警秘第 4049 号の 1
隆熙三年十二月二日
警視総監 若林賚蔵【官印】
統監子爵 曽禰荒助殿
日韓合邦問題に関する件
近来喧伝せらるる日韓合邦問題の径路に関し、さらに探聞するところによれば、過般来より宋秉畯と一進会長李容九との間においてしばしば交渉を重ねつつありしは事実にして、その成立せる連邦案の綱目は、左のごときものなりと伝ふ。
一、大韓国を韓国と称すること。
二、皇帝を王と称すること。
三、王室は現今のまま韓国に存在す。
四、国民権は日本国民と同等たるへきこと。
五、政府は現今のごとく存在すること。
六、日本官吏はことごとく傭聘とし、現今よりその数を減少すること。
七、人民の教育、軍隊教育を提起すること。
八、本問題は韓政府より直接日本政府に交渉すること。
(以上の綱目は甚た要領を得さるも聞込みの侭之を列記す)
しかして大韓協会は一進会においてこの謀議あるを知り、さきに一進、大韓両会提携の際、協定したる宣言書中、「両会は連邦制度を排斥し、専ら韓国の自治を期す」(この宣言書は十月十四日、警秘第三二三七号の一をもつて報告)云々とあるにより、これをもつて抗議を申込まんとするも、該宣言書は当時、明月館において両会政見協定委員会合の上、可決したるも、
文字の修正を要すべしとて、修正委員二名づつを選定、これに附托しそのままとなりて今日に至り、いまだ発表しあらざるをもつて、この際、速かに政見協定委員会を開きこれを発表し、一進会の企図を破壊せんとし、しばしば政見協定委員会の開催を促したるも、一進会は事故に托して応ぜず、ここにいおて大韓協会はその動ずべからざるを知り、即ち客月二十六日、総務尹孝定、一進会長李容九を訪問し、種々質問せり。その問答は左のごとしと伝ふ。(問答中、要領を得ざるところあるも聞込みのまま列記す。)
尹曰く、合邦問題の提出は何らの意思なるか。
李答、わが国は日本の保護国なるも、その外形上、独立国のごとし。故に国民の多くはこれを誤解し変乱を生ず。これかため日本の憤怒を招き、国権は漸次墜落せり。たとへば国権を十位とすれば、現今の位置は第三位なり。しかるにこれをもまさに皆無とならんとす。故にわが両会は相呼応して六、七位の間に国権を進め、しかして皇帝を王となし、日本に之これを請求すれば、現状より勝るにあらずや。
尹曰、契約履行は同等者の事なり。強弱不同なる日韓国の契約は虚文に属す。
李曰、貴会にてはこの案に不同意なりや。
尹曰、このことを前日幹部会に提出せしに異論多し。故に不同意なり。
李曰、吾会は今正に本案を日本政府に交渉中に付決定次苐施行の計画なり
尹曰、意見合はざれば反対すべく、したがつて両会の衝突、破裂となり国家のため不利益なり。深く再考を望む。
李曰、いづれにしても一度政見協定委員会を開き、しかるのち決定すべし。
尹孝定は以上の問答を交換し立帰り、翌二十七日、なほ政見協定委員の会合を二十八日、鐘路商業会議所において開始せんとの故をもつてこれに応ぜず、遂に無期延期となり、今は宣言書の発表はその望なきに至り、同時に勢ひ両会分裂の危機に迫りつつありと云ふ。
右、報告に及び候ふなり。
[ 「陸軍」 事務用箋]
十二月三日午後三時二十五分発
同 六時三十五分著
曽禰統監宛 寺内陸軍大臣発
電 文 訳
この電報は榊原少将をして陸軍の暗号にて訳せしめらるべし。
密報によれば、一進会員は日韓合併の請願をなすの決心をなし、明日にもこれを決行するやの様なり。
この際における閣下の態度は、将来、国是遂行に大いなる関係を有するをもって、いささか卑見を述べ御参考に供したし。御聴許を得ば幸甚なり。
もし一進会が前述のごとき請願をなしたる場合においては、統監は泰然としてこれを受領し、単に参考に供すべき旨を答え置かれ、一面、韓国政府に諭し、本件請願のごときは目下、韓国の情態において一つの政事的意見と見るのほかなきをもって、穏当にこれを受領せしむるの処置に (「に」 なり。恐らくは 「を」 な誤りならん【認印】) 執らしめられさかるべしと考う。またこの際、捕縛またはまた虐殺等、無謀なる処置に出でざるよう厳に韓国政府に注意を与えられたし。かつ憲兵警察機関を戒飭し騒擾を予防せしめられたし。また要すれば密かに軍隊を戒め不慮に備え置くの必要あるべし。
以上は小生一巳 [→己] の私見を披瀝したるものなれども、大体において首相も異存なきことと信ずるをもって、幸いに右の趣旨をもって御処理あらんことを乞う。寺内手書す。
[「陸軍」 事務用箋]
十二月三日 午後三時四十分発
同 六時三十分着
韓国憲兵隊長宛 寺内陸軍大臣発
電報訳
密報によれば一進会員は明日にも日韓合併の請願書を提出する由。果してしかるときは、これを韓国現下の状態において一つの政治的意見として穏当に受理せらるるを当然と考ふれども、これを従来の政争よりせば、あるいは暗殺、捕縛等無謀の処置に出づることなしとも限らず、この際において貴官は統監の意図を奉じ、部下を戒飭して騒擾を未発に鎮め、治安を保つことに尽力せられんことを要す。
右、密令す。 陸軍大臣
[ 「統監府」 電報送信控]
電送 統監:承知 秘書官:承知 主任:【中野】
明治四十二年十二月四日午前十一時十五分発
東京
寺内大臣 曽禰統監
第 暗合 号
御申込の御意見拝?承す。本官も一つの運動たりと考へ、その際には平凡の置を採らんと考へ居りしところなり。御意見感謝す。
警秘第 4106 号の 1
隆熙三年十二月四日
警視総監若林貴蔵【官印】
統監子爵 曽禰荒助殿
日韓合邦問題に関する件
日韓合邦問題に関し一進会において企図しつつあることは既報するところなりしが、これに関し今四日、別紙のごとく皇帝、統監、総理にあて上書せり。また声明書は明五日配布・公表するはずなり。
大韓協会はこれより先き、一進会にこの企画あることを知り、同会と提携の際起案せし宣言書を決定し、その企画を破壊せんとし、過日来より政見協定委員の会合を促したるも、一進会は容易に応ぜざりしことは既に所報のごとし。しかるに昨三日夜、いよいよ鐘路商業会議所において会することに協定し、両会の政見協定委員二十四名 (一会より十二名づつ) 会合し議事に移りたるに、一進会側協定定委員は該宣言書は初め一進会に何等協議なくして起案し、成案の後同意を求めたるはその根本において不同意なりと難詰するや、大韓協会側の委員は、一進会は既に禍心 (合邦問題の企図を意味す) を抱蔵するものにして、最早ともに議するの要なしとて、ここに両会の提携破裂し、午後九時大韓協会側委員は一同引き上げたり。一進会側委員は所期の目的を達したるがごとく悠々帰会、その顚末を報告し、同夜、以上の上書ならびに声明書の発表を決定したるものなりと云ふ。大韓協会幹部は今朝未、金嘉鎮または尹致昊宅に集合、何事か密議しつつあり、内偵中なるも現今までは不穏の状况なし。
右、報告に及び候ふなり。
了
警秘第 4,107 号の 1
隆煕三年十二月四日
警視総若林賚蔵【警視総監印章】
統監子爵曽禰荒助殿
臨時国民演説会の開催
明五日正午十二時、西部夜珠峴円覚社に於て臨時国民演説会を開催し、その演題、弁士は左記のごとくなる旨、本日届け出でたり。
一、日韓親善の関係 閔泳奎
一、一進会を問責す 李学寧?
一、叱唑?詐魔 文 沢
一、国民の心得 高羲駿
一、過去の反省将来の警戒
鄭応卨
[尚?] 開催の内容は国是遊説団員高羲駿、鄭応卨、閔泳奎等の発起にし [て?] 大韓恊会、天通 [→道] 教、漢城府民会等 [に] して賛同成立したるものなりと。しかして彼らの主唱するところは、近来、一進会は日韓の合邦を企図せりとの説あり。かくのごときは売国的行為なれば、臣子の分としてこれを黙過すべきにあらず、宜しく満天下に向けて同会の罪を鳴らさんと云ふにありと云ふ。
右、報告に及び候ふなり。
追って、本演説につき人心の動揺を挑発し、または詭激の言論を弄さざる様、あらかじめ発起者召喚、警告のはず。
[ 「統監府」 電報送信控]
電送 統監:承知 総務長官:承知 秘書官:承知 主任:【中野】
昭和四十二年十二月四日午后七時十七分発
桂首相 統監
第 号
一進会長李容九ほか三名、合邦意見を上書として持ち来たりたり。同主意の上書を韓皇および内閣にも提出し、世上には声明書として発表したる趣あり。小官は通常の上書建白と同様に受領し置きたり。世間には未だ何たる影響見えず。当地内閣には注意いたし置けり。
[ 「統監府」 事務用箋]
電送 統監:承知 総務長官:了 秘書官:花押 主任:花押 花押【中野】
明治四十二年十二月五日午后六時二十分発
桂首相 曽祢統監
第 36 号
日韓合邦に関する一進会上書の趣旨は、要するに、(一) 韓国皇室の尊栄を日本皇室と共に永遠不朽に垂?れんと欲すること、(二) 韓国をして世界一等国の班に列し、韓国民に日本人同様の権利、幸福を享受せしめんとするの二点に帰着し、合邦の意味は連邦なるがごとく、また合併なるがごとく見え、はなはだ不明なり。
元来、かかる大事を一進会ごときものの行動に基づき今日に実行せんとするがごときは、徒らに平地に風波を起し、その局を結ぶことなきに終るべし。速成を欲して大成を壊るに至るは必然なるのみならず、延いて 我が陛下の御稜威を傷つけんことを恐る。
ことに内田は韓人に対し、このことについては桂首相、寺内陸相の密旨を受け来たれることを声言しおれるがごとし。これ、最も憂うべきのことと存ず。本書訳文は閣下はじめ各大臣の御参考として郵送す。
本官に提出したる右上書のほかに、韓帝および李総理に宛てたるもの弐通あり、その韓帝に対する分は内閣大臣の執奏を煩すとのことなるも、右は国体の変更に関し、古来の慣例に照らし謀反律に問わるべき筋のものなるにつき、これを執奏するは穏当ならずとし返却せんことを望?みおれり。右に?取り計らわしめばいかがかな。御返電を乞う。
了
憲機第 2,238 号
一進会攻撃の目的をもって開催すべき国民大演説会発起人、正一品輔国閔永韶、同趙同熙、従一品金宗漢、同李應鐘らの元老輩は、昨日発表せし一進会の声明書は文字の上においては敢て非難すべきなしといへども、同文中、政合邦なる三字を深く研究、解釈を下す時は、その間種々なる意味を有し、我が韓の亡滅、該三字中に包含し居るは衆目の等しく認むる所なり。同人は今回の同声明書に対して大いに歓喜し居れりと聞く。要するに同会が斯かる声明書発表するに至れも、要は日本政府の陰に使嗾
に因するならんとは予見するに難からず、この際、我らは死を賭して彼に反対し、日韓合併の挙なからしむべきを期せざるべからず云々と、意気込み居る由。
明治四十二年十二月五日
憲機第 2,239 号
承寧府総管趙民𠘑は去る二日午後二時ごろ、承寧府内において徳寿宮の一般官吏を集め、左のごとく訓示したりと。
一進会より近日中に重大なる問題を提する由。ついては我々韓国官民は極力これに反対し、官民共に同心恊力して現場 [→状] 維時 [→持] の努力せざるベからず。しかして一進会員中、当宮に職を置く者は速やかに同会を退会すべし云々と。
右に対し一進会員侍従尹範植は大いに憤怒し、我が一進会は韓国将来のため事を計るものにして、我らは決して退会するに及ばずとて互いに争論したりと云ふ。
因みに官相閔丙奭も一昨三日午後三時ごろ、昌徳宮職員一同に右趙民凞と同一なる意味をなしたりと聞く。
明治四十二年十二月五日
警秘苐四〇四九號ノ一
隆熙三年十二月二日
警視總監 若林賚藏【官印】
統監子爵 曽禰荒助殿
日韓合邦問題ニ関スル件
近来喧傳セラルヽ日韓合邦問題
ノ徑路ニ関シ更ニ探聞スル処ニ
依レハ過般来ヨリ宋秉畯ト一進
会長李容九トノ間ニ於テ屢々交
渉ヲ重子 [=ネ] ツヽアリシハ事実ニシ
テ其成立セル聯邦案ノ綱目ハ左
ノ如キモノナリト傳フ
一、大韓國ヲ韓國ト稱スルヿ
二、皇帝ヲ王ト稱スルヿ
三、王室ハ現今の儘韓國ニ存在ス
四、国民権ハ日本國民ト同等タル
ヘキヿ
五、政府ハ現今ノ如ク存在スルヿ
六、日本官吏ハ悉ク傭聘トシ現今
ヨリ其数ヲ減少スルヿ
七、人民ノ教育、軍隊教育ヲ提起ス
ルヿ
八、本問題ハ韓政府ヨリ直接日本
政府ニ交渉スルヿ
(以上ノ綱目ハ甚タ要領ヲ得
サルモ聞込ミノ侭之ヲ列記
ス)
然シテ大韓協会ハ一進會ニ於テ
此謀議アルヲ知リ曩ニ一進、大韓
両會提携ノ際𫝓定シタル宣言書
中 「両會ハ聯邦制度ヲ排斥シ専ラ
韓國ノ自治ヲ期ス」(此宣言書ハ十月
十四日警秘苐三二三七号ノ一ヲ以テ報告)云
々ト在ニ依リ之ヲ以テ抗議ヲ申
込マントスルモ該宣言書ハ當時
明月舘ニ於テ両會政見𫝓定委貟
會合ノ上可決シタルモ文字ノ修
正ヲ要スヘシトテ修正委貟二名
ツヽヲ撰定之ニ附托シ其侭トナ
リテ今日ニ至リ未タ発表シアラ
サルヲ以テ此際速カニ政見𫝓定
委貟会ヲ開キ之ヲ発表シ一進会
ノ企図ヲ破壊セントシ屢々政見
𫝓定委貟会ノ開催ヲ促シタルモ
一進会ハ亊故ニ托シテ應セス茲
ニ於テ大韓𫝓會ハ其動スヘカラ
サルヲ知リ即チ客月廿六日總務
尹孝定、一進会長李容九ヲ訪問シ
種々質問セリ其問答ハ左ノ如シ
ト傳フ(問答中要領ヲ得サル処アルモ聞
込ミノ侭列記ス)
尹曰、合邦問題ノ提出ハ何等ノ
意思ナルカ
李答、吾國ハ日本ノ保䕶國ナル
モ其外形上獨立國ノ如シ
故ニ國民ノ多クハ之ヲ誤
解シ変乱ヲ生ス之レカ為
メ日本ノ憤怒ヲ招キ國権
ハ漸次墜落セリ
仮令ハ國権ヲ十位トスレ
ハ現今ノ位置ハ苐三位ナ
リ然ルニ之ヲモ將ニ皆無
トナラントス故ニ吾両会
ハ相呼应シテ六七位ノ間
ニ國権ヲ進メ而テ皇帝ヲ
王ト為シ日本ニ之ヲ請求
スレハ現状ヨリ勝ルニア
ラスヤ
尹曰、契約履行ハ同等者ノ事ナ
リ強弱不同ナル日韓國ノ
契約ハ虚文ニ属ス
李曰、貴会ニテハ此案ニ不同意
ナリヤ
尹曰、此亊ヲ前日幹部会ニ提出
セシニ異論多シ故ニ不同
意ナリ
李曰、吾会ハ今正ニ本案ヲ日本
政府ニ交渉中ニ付決定次
苐施行ノ計画ナリ
尹曰、意見合ハサレハ反対スヘ
ク従テ両会ノ衝突、破裂ト
ナリ國家ノ為メ不利益ナ
リ深ク再考ヲ望ム
李曰、何レニシテモ一度政見𫝓
定委貟会ヲ開キ然ル後決
定スベシ
尹孝定ハ以上ノ問答ヲ交換シ立
帰リ翌二十七日尚ホ
政見恊定委貟ノ會合ヲ廿八日鐘
路商業会議所ニ於テ開始セント
ノ故ヲ以テ之ニ應セス遂ニ無期
延期トナリ今ハ宣言書ノ発表ハ
其望ナキニ至リ同時ニ㔟ヒ両会
分裂ノ危機ニ迫リツヽアリト云
フ
右及報告候也
↑(2) 日韓合邦問題に関する件、警秘第 4049 号の 1、1909 年 12 月 2 日
[ 「陸軍」 事務用箋]
十二月三日午後三時二十五分發
仝 六時三十五分著
曾禰統監宛 寺内陸軍大臣發
電 文 譯
此ノ電報ハ榊原少將ヲシテ陸軍ノ暗號ニ
テ譯セシメラルベシ
密報ニ依レハ一進會員ハ日韓合併ノ請願
ヲナスノ決心ヲ為シ明日ニモ之ヲ決行ス
ルヤノ様ナリ
此際ニ於ケル閣下ノ態度ハ將來國是遂行
ニ大ナル関係ヲ有スルヲ以テ聊カ卑見ヲ
述ヘ御参考ニ供シタシ御聴許ヲ得バ幸甚
ナリ
若シ一進會カ前述ノ如キ請願ヲナシタル
場合ニ於テハ統监ハ泰然トシテ之ヲ受領
シ單ニ参考ニ供スベキ旨ヲ答ヘ置カレ一
面韓國政府ニ諭シ本件請願ノ如キハ目下
韓國ノ情態ニ於テ一ノ政事的意見ト見ル
ノ外ナキヲ以テ穏當ニ之ヲ受領セシムル
ノ處置ニ✓執ラシメラレ然ルヘシト考フ又
「ニ」 ナリ 恐ラク
ハ 「ヲ」 ノ誤ナラン
【認印】
此際捕縛又ハ虐殺等無謀ナル處置ニ出テ
ザルヨウ嚴ニ韓國政府ニ注意ヲ与ヘラレ
タシ且ツ憲兵警察機関ヲ戒飭シ騒擾ヲ豫
防セシメラレタシ又要スレハ密ニ軍隊ヲ
戒メ不慮ニ備へ置クノ必要アルヘシ
以上ハ小生一巳 [ママ] ノ私見ヲ披瀝シタルモノ
ナレドモ大体ニ於テ首相モ異存ナキコト
ト信スルヲ以テ幸ニ右ノ趣旨ヲ以テ御処
理アランコトヲ乞フ寺内手書ス
↑(3) [一進會員の韓日合邦請願に関する件]、電文訳、1909 年 12 月 3 日
[ 「陸軍」 事務用箋]
十二月三日 午後三時四十分発
仝 六時三十分著
韓國憲兵隊長宛 寺内陸軍大臣發
電報譯
密報ニヨレハ一進會員ハ明日ニモ日韓合
併ノ請願書ヲ提出スル由果シテ然ルトキ
ハ之ヲ韓國現下ノ狀態ニ於テ一ノ政治的
意見トシテ穏当ニ受理セラルルヲ当然ト
考フレトモ之ヲ從來ノ政争ヨリセハ或ハ
暗殺、捕縛等無謀ノ處置ニ出ツルコトナシ
トモ限ラス此際ニ於テ貴官ハ統監ノ意圖
ヲ奉シ部下ヲ戒飭シテ騒擾ヲ未發ニ鎮メ
治安ヲ保ツコトニ盡力セラレンコトヲ要
ス
右密令ス 陸軍大臣
↑(4) [一進会員の韓日合邦請願による政治的騷擾への対策密令]、電報訳、1909 年 12 月 3 日
[ 「統監府」 電報送信控]
電送 統監:承知 秘書官:承知 主任:【中野】
明治四十二年十二月四日午前十一時十五分發
东京
寺内大臣 曽禰統監
第 暗號 號
御申込ノ御意見拝?承ス 本
官モ一ツノ運動タリト考ヘ其
ノ際ニハ平凡ノ処置ヲ採ラン
ト考ヘ居リシ処ナリ 御意見
感謝ス
↑(7) [一進会員の韓日合邦運動への対応に関する件]、暗号返電、1909 年 12 月 4 日
警秘第四一〇六號ノ一
隆熙三年十二月四日
警視總監若林貴藏【官印】
統監子爵 曽禰荒助殿
日韓合邦問題ニ
関スル件
日韓合邦問題ニ関シ一進會ニ於
テ企圖シツヽアルヿハ既報スル
處ナリシカ之ニ関シ今四日別紙
ノ如ク皇帝、統監、總理ニ宛テ上書
セリ又聲明書ハ明五日配布公表
スル筈ナリ
大韓恊會ハ之ヨリ先キ一進會ニ
此企画アルヿヲ知リ同會ト提携
ノ際起案セシ宣言書ヲ決定シ其
企画ヲ破壊セントシ過日来ヨリ
政見恊定委員ノ會合ヲ促シタル
モ一進會ハ容易ニ應セサリシヿ
ハ既ニ所報ノ如シ然ルニ昨三日
夜愈〻鐘路商業會議所ニ於テ開
會スルヿニ𫝓定シ両會ノ政見恊
定委貟廿四名 (一會ヨリ
十二名ツヽ) 會合シ議亊ニ
移リタルニ一進會側恊定委貟ハ
該宣言書ハ初メ一進會ニ何等恊定
議ナクシテ起案シ成案ノ後同意
ヲ求メタルハ其根本ニ於テ不同
意ナリト難詰スルヤ大韓恊會側
ノ委貟ハ一進會ハ既ニ禍心 (合邦問題ノ企
図ヲ意味ス)
ヲ抱藏スルモノニシテ最早共ニ
議スルノ要ナシトテ爰ニ同會ノ
提携破裂シ午後九時大韓恊會側
委貟ハ一同引上ケタリ一進會側
委貟ハ所期ノ目的ヲ達シタルカ
如ク悠々帰會其顚末ヲ報告シ同
夜以上ノ上書并ニ聲明書ノ發表
ヲ決定シタルモノナリト云フ
大韓恊會幹部ハ今朝未金嘉鎭又
ハ尹致昊宅ニ集合何事カ密議シ
ツヽアリ内偵中ナルモ現今迠ハ
不穏ノ状况ナシ
右及報告候也
↑(5) 日韓合邦問題ニ関スル件、警秘第 4106 号の 1、若林警視総監、1909 年 12 月 4 日
了
警秘第四、一〇七號ノ一
隆煕三年十二月四日
警視總若林賚蔵
【警視總監印章】
統監子爵曽禰荒助殿
臨時国民演説會ノ開催
明五日正午十二時西部夜珠峴円
覺社ニ於テ臨時国民演説會ヲ開
催シ其演題、弁士ハ㔫記ノ如クナ
ル㫖本日届出タリ
一、日韓親善ノ関係 閔泳奎
一、一進會ヲ問責ス 李學寧?
一、叱唑?詐魔 文 澤
一、国民ノ心得 高羲駿
一、過去ノ反省
将来ノ警戒 鄭應卨
尚?開催ノ内容ハ国是遊説團貟高
羲駿、鄭應卨、閔泳奎等ノ發起ニシ
[テ] 大韓恊會、天通教、漢城府民會等
[ニ] シテ賛同成立シタルモノナリ
ト而テ彼等ノ主唱スル處ハ近来
一進會ハ日韓ノ合邦ヲ企圖セリ
トノ説アリ如此ハ賣国的行為ナ
レハ臣子ノ分トシテ之ヲ黙過ス
ヘキニアラス冝シク満天下ニ向
テ同會ノ罪ヲ鳴ラサント云フニ
在リト云フ
右及報告候也
追而本演説ニ付キ人心ノ動揺
ヲ挑發シ又ハ詭激ノ言論ヲ弄サ
サル様豫メ發起者召喚警告ノ
筈
(6) 臨時国民演説会ノ開催、警秘第 4107 号の 1、若林警視総監、1909 年 12 月 4 日
[ 「統監府」 電報送信控]
電送
統監:承知 總務長官:承知
秘書官:承知 主任:【中野】
昭和四十二年十二月四日午后七時十七分發
桂首相 統監
第三三號
一進會長李容九外三名
合邦意見ヲ上書トシテ持
チ来リタリ 同主意ノ上書ヲ
韓皇及内閣ニモ提出シ卋
上ニハ聲明書トシテ發表シ
タル趣アリ 小官ハ通常ノ上
書建白ト同様ニ受領シ置キ
タリ卋間ニハ未タ何タル影響
見ヘス 當地内閣ニハ注意致シ
置ケリ
↑(8) [一進會長 李容九外三名の韓日合邦上書接受に関する件]、往電第 33 号、曽禰統監、12 月 4 日
[ 「統監府」 電報送信控]
電送 統監:承知 總務長官:了 秘書官:花押 主任:花押 花押【中野】
明治四十二年十二月五日午后六時二十分發
桂首相 曽祢統監
第三六號
日韓合邦ニ関スル一進会上書ノ趣
旨ハ要スルニ (一) 韓國皇室ノ尊栄ヲ
日本皇室ト共ニ永遠不朽ニ垂?レント
欲スルヿ (二) 韓國ヲシテ卋界一䒭国ノ
班ニ列シ韓國民ニ日本人同様ノ権利
幸福ヲ享受セシメントスルノ二奌ニ归
着シ合邦ノ意味ハ聨邦ナルカ如ク又合併ナ
ルカ如ク見エ甚タ不明ナリ元来此ル大事ヲ一進
会如キモノヽ行動ニ基キ今日ニ實行セントスルカ
如キハ徒ニ平地ニ風波ヲ起シ其局ヲ結フコトナキニ
終ルヘシ速成ヲ欲シテ大成ヲ壊ルニ至ルハ必然
ナルノミナラス延テ 我陛下ノ御稜威ヲ傷ケン
コトヲ恐ル殊ニ内田ハ韓人ニ對シ此事ニ付テ
ハ桂首相寺内陸相ノ密旨ヲ受ケ来レルコト
ヲ聲言シ居レルカ如シ是最モ憂フヘキノ事
ト存ス本書譯文ハ閣下始各大臣ノ御参
考トシテ郵送ス 本官ニ提出シタル右上書ノ
外ニ韓帝及李総理ニ宛タルモノ貮通アリ
其ノ韓帝ニ対スル分ハ内閣大臣ノ執奏
ヲ煩ストノ事ナルモ右ハ国体ノ変更ニ関
シ古来ノ慣例ニ照ラシ謀反律ニ問ハルヘキ
筋ノモノナルニ付キ之レヲ執奏スルハ穏當ナ
ラストシ返却センヿヲ望?ミ居レリ右ニ?取計
ハ [×レ□□×]
<シメ> ハ如何哉 御返電ヲ乞フ
↑(10) [一進会請願書の趣旨に関する請訓の件]、往電第 36 号、曽禰統監1909 年 12 月 5 日
了
憲機第二、三三八號
一進會攻擊ノ目的ヲ以テ開催ス可
キ國民大演説会發起人正一品輔國
閔永韶、仝趙同熙、從一品金宗漢、仝
李應鐘、等ノ元老輩ハ昨日發表セシ
一進會ノ聲明書ハ文字ノ上ニ於テハ
敢テ非難ス可キナシト雖 トモ 仝文中
政合邦ナル三字ヲ深ク研究解釋
ヲ下ス時ハ其間種々ナル意味ヲ
有シ我韓ノ亡滅該三字中ニ包含
シ居ルハ衆目ノ等シク認ムル所ナ
リ同人ハ今回ノ仝聲明書ニ對シテ
大ニ歓喜シ居レリト聞ク要スルニ
仝會カ斯カル聲明書發表スルニ
至レルモ要ハ日本政府ノ陰ニ使嗾
ニ因スルナラントハ豫見スルニ難カ
ラス此際我等ハ死ヲ賭シテ彼ニ反
對シ日韓合併の擧ナカラシム可キ
ヲ期セサルへカラス云々ト意気込
ミ居ル由
明治四十二年十二月五日
↑(11) [元老大臣たちの一進会非難の件]、憲機第 2338 号、1909 年 12 月 5 日
憲機第二、三三九號
承寧府總管趙民𠘑ハ去ル二日午后二
時頃承寧府内ニ於テ徳壽宮ノ一般官
吏ヲ集メ左ノ如ク訓示シタリト
一進會ヨリ近日中ニ重大ナル問題ヲ提
スル由就テハ我々韓國官民ハ極力之ニ
反対シ官民共ニ同心恊力シテ現塲 [ママ] 維
時 [ママ] ノ努力セザル可カラス而シテ一進會貟
中當官ニ職ヲ置ク者ハ速カニ同會ヲ
退會スヘシ云々ト
右ニ対シ一進會貟侍従尹範植ハ大ニ憤
怒シ我ガ一進會ハ韓國將来ノ為メ亊ヲ
計ルモノニシテ我等ハ決シテ退會スルニ及
ハストテ互ニ争論シタリト云フ
因ニ宮相閔丙奭モ一昨三日午后三時頃
昌徳宮職貟一同ニ右趙民凞ト同一ナ
ル意味ヲ為シタリト聞ク
明治四十二年十二月五日
↑(12) [政府高官による一進会勧誘の慫件] 憲機第 2339 号、1909 年 12 月 5 日
↑한국사데이터베이스 韓国史データベース
조선시대 사료 DB 朝鮮時代資料DB
駐韓日本公使館記録・統監府文書
統監府文書第8巻 2.韓日合邦関係書類