Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

2020-10-15から1日間の記事一覧

「ことここに至ったのはもちろん、政治の政策がよくなかったからでもあるが、また国民の道義のすたれたのもこの原因の一つである。この際私は軍官民、国民全体が徹底的に反省し懺悔しなければならぬと思う。全国民総懺悔することがわが国再建の第一歩であり、わが国内団結の第一歩と信じる。」 内閣総理大臣、東久邇宮稔彦王の日本人記者団との会見 1945.8.28

◎国体護持ということは理屈や感情を超越した硬いわれわれの信仰である。祖先伝来我々の血液の中に流れている一種の信仰である。四辺からくる状況や風雨にとって決して動くものではないと信じる。 ◎現在において先日下された詔書を奉戴し、これを実践に移すこ…

「至尊の聖明を以てさえも尚お今日の悲局を招来し、斯くも深く宸襟を悩まし奉りましたことは、臣子として洵に申訳のないことでありまして、民草の上を是程までに御軫念あらせらるる大御心に対し、我々国民は御仁慈の程を深く肝に銘じて自粛自省しなければならないと思います。敗戦の因って来る所は固より一にして止まりませぬ。前線も銃後も、軍も官も民も総て、国民悉く静かに反省する所がなければなりませぬ。我々は今こそ総懺悔し…」 内閣総理大臣、東久邇宮稔彦王の施政方針演説から 1945.9.5

第 88 回帝国議会 貴族院 本会議 第 2 号 昭和 20 年 9 月 5 日 000 会議録情報 昭和二十年九月五日(水曜日)午前十時五分開議 ━━━━━━━━━━━━━ 議事日程 第二號 昭和二十年九月五日 午前十時開議 一 國務大臣の演説に關する件 ―――――◇――――― ↑https://teikokug…

「今の軍隊は慰安婦を同伴して尚且つ強姦罪少なからずいふ有様なり。」 岡村寧次の『陣中観想録』より 1938.8.30

昭和13.8.30 A 6Dは剛勇敵陣中にも轟き、其の将兵の態度は厳然として敬礼も正しく、我が国最精鋭の一つなるには相違なきも、強姦罪の多きには困つたものなり。 稲葉師団長、牛島旅団長等も之が取締りに苦心しあり。兵の行衛不明の多くは我が幹部の…

「斯く申す私は恥かしながら慰安婦案の創始者である。昭和七年の上海事変のとき二、三の強姦罪が発生したので…」 上海派遣軍(第一次事変時)参謀副長、第十一軍(日中戦争時)司令官、岡村寧次の回想 1932, 1938

十 軍、風紀所見(その三) [前略] (二)慰安婦問題を考える。昔の戦役時代には慰安婦などは無かったものである。斯く申す私は恥かしながら慰安婦案の創始者である。昭和七年の上海事変のとき二、三の強姦罪が発生したので、派遣軍参謀副長であった私は、…

「この頃、兵が女捜しに方々をうろつき、いかがわしき話を聞くこと多し。これは、軍が平時状態になるたけ避け難きことであるので、寧ろ積極的に施設をなすを可と認め、兵の性問題解決策に関し種々配慮し、その実現に着手する。」 上海派遣軍(第一次事変時)高級参謀、岡部直三郎の日記から 1932.3~4

三月十四日(月)曇 前日来寒気強かりしが、本日天候稍〻回復す。 ○朝、永見中佐は今中中佐を伴い、陣地視察に赴く。 ○この頃、兵が女捜しに方々をうろつき、いかがわしき話を聞くこと多し。これは、軍が平時状態になるたけ避け難きことであるので、寧ろ積極…