Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

中曽根康弘

中曽根康弘 「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものが出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。」 『終りなき海軍』より 1978.6.15

二十三歳で三千人の総指揮官 衆議院議員 中曽根康弘 (海軍主計大尉) 喜びは任務遂行の瞬間にある 「中曽根主計中尉は至急呉鎮守府へ着任すべし」 私は三か月の艦上生活を送った巡洋艦「青葉」に別れをつげ、九州南部に上陸して、再び呉に戻ってきた。昭和…

「バリクパバンでは飛行場の整備一応完了して、攻撃機による蘭印作戦が始まると、工員連中ゆるみが出た風で、また日本出港の際、約二ヶ月の旨、申し渡しありしため、帰心、矢のごとく、気、荒くなり、日本人同志けんか等起る様になる(中曾根康弘)主計長の取り計らいで土人女を集め、慰安所を開設、気持ちの緩和に非常に効果ありたり」 海軍航空基地 第2設営班資料 1941.11.9~1942.4.26  

第二設営班 矢部部隊 一、編成 隊 長 海軍技師 矢部雅士工営長 〃 宮地米三軍医長 海軍軍医大尉 平敏郎主計長 海軍主計中尉 中曾根康弘通信長 海軍兵曹長 宮西職 員 亀本技手始め 別記の通り徴用工員 約2,300名兵 員 看護兵曹 主計兵曹 通信兵等 約40名…