Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

偽証

宋子文工作について 極東国際軍事裁判速記録 第310号 弁護側文書2670号、法廷証3409号、岡田尚の宣誓口供書より 1947.11.7

松井将軍は二月中旬、軍の編成改革に連れてその職を免ぜられて日本に歸ることになりました。その節、将軍は 「南京陥落をもって武力戦の一段落となし、今後は南京より上流には戦線を拡大せず、中国政府との和平工作に重点を置く。この仕事こそ軍司令官の地位…

投降勧告について 極東国際軍事裁判速記録 第310号 弁護側文書2670号、法廷証3409号、岡田尚の宣誓口供書より 1947.11.7

四、私は12月8日、軍司令官に同行蘇州の司令部陣営に赴きました。 蘇州に着任せる松井大将は、南京攻略に当たり出来得る限り無血入場、また中国首都の破壊を極力回避する主旨のもとに、12月9日、降伏勧告文を作成、飛行機を以て南京場内に投下し、更に…

問「貴下は17日に南京入城をしたと陳述しているが、貴下は一般人なり、婦人なり、子供なりの死骸を見ましたか。なにかその様なものを。」 答「それらのものは入城までに片付けられてありました。自分は西門間近で2~3の支那兵の死骸を見ました。」 A級極東国際軍事裁判記録より 法廷証第257号 松井石根尋問調書 1946.8.8

21-8-8.(4) 検察側主張段階 (支那事変)松井石根 22 検察側文書 10104-1 法廷証第257号 高橋義次(松井石根) 問、貴下の軍隊が南京において幾多の暴虐行為をなしたと欧・米が考えているということを貴下が聴いたとすれば、最初に聞いたのはい…