Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

震災戒厳令下の虐殺

「海軍側は手薄のため在郷軍人団および一時青年団または自警団を閘北占領地内の治安維持に用ひたる行き懸かりもあり、彼らの行動は、便衣隊に対する恐怖および憎悪とともに、あたかも大地震当時の自警団の朝鮮人に対する態度と同様なるものあり、支那人にして便衣隊の嫌疑をもつて処刑(殺戮)されたるもの既に数百に達せるもののごとく」 在上海重光公使より芳沢外務大臣あて電報 1932.2.2

昭和7年2月2日 在上海重光公使より芳沢外務大臣あて電報 上海帰任以後の状況について 上海 2月2日午後発 本省 2月2日午後着 第61号 本使着任以後の当方面状況、左の通り。なほ総領事電報参照ありたし。 1.我が陸戦隊はその占領地域を死守し居り、兵…

日本外交文書 満州事変 第2巻より 第1次上海事変における「便衣隊」と「自警団」 1932.2

在昭和7年2月1日 上海重光公使より芹沢外務大臣あて電報 上海 2月1日午後発 本省 2月1日午後着 第56号 本使、帰任後直ちに現下の実情を子細に観察せるところ(一般情勢は上海閣下あて電報第158号によりご承知の通り)予想外に急迫せる事態と認めらる…

【工事中】「毒瓦斯は必ずしも非人道的とはいへない」「毒瓦斯はこれを戦場にて敵兵に向かつて使用する限り、いかなる種類のものにても、いかに苛烈性、残酷性、獰悪性のものであつても、それが敵の戦闘力を挫く上において絶対必要であるならば、これを非とする理由は考へられない。」 信夫淳平『戦時国際法講義』第2巻より 1941.11.23

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1060837/9 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1060837/10 第3章 戦闘 第3項 毒瓦斯 第1目 毒瓦斯の当否 第1次大戦のもたらせる3種の新兵器 1036 第1次大戦において始めて出現したる新兵器の中には、世人周…

在日特権を許さない市民の会 予定表 【そよ風講演会】 小池百合子先生講演会「日本と地球の護りかた」 【女性部】 2010.12.5

在日特権を許さない市民の会 予定表 2010年12月5日(日曜日)14時00分 2010年12月5日(日曜日)17時00分 あうるすぽっと(有楽町線東池袋駅直結) 【そよ風講演会】 小池百合子先生講演会「日本と地球の護りかた」 【女性部】 そよ風 小池百合子先生講演会<…

問「どのようなお考えで追悼文の送付を取り止める決定をしたのか」 答「関東大震災で犠牲となられた全ての方々への追悼の意を表した」 問「民族差別が背景にある…不幸な悲劇について、特別にその追悼の文を送ることに…何かしら特別な意味というのは見出されないですか」 答「民族差別という観点というよりは…災害の被害、さまざまな被害によって亡くなられた方々に対しての慰霊」 問「朝鮮人が殺害された事実は否定される」 答「さまざまな歴史的な認識があろうかと思っております」 小池都知事記者会見 2017.8.25

小池百合子 東京都知事 記者会見 2017年8月25日(金曜) 14時00分~14時48分 より 【記者】共同通信の河村です。2点お伺いいたします。1点目です。毎年9月1日に都立公園で市民団体が主催で開催されている、関東大震災の朝鮮人犠牲者の追悼式…

問「ネット上などでは、朝鮮人虐殺は正当防衛だったとの説も飛び交っていますが、知事の今回の対応は、結果的にその説を勢いづかせることにもなりかねない」 答「それぞれの受け止め方でございますので、それによってどういう反応になってるのかは、それぞれだと思っております」 問「虐殺と呼ばれる事実があったと…捉えていらっしゃるのか」 答「さまざまな見方がある」「まさしく歴史的な、歴史家が紐解くもの」 小池都知事記者会見 2017.9.1

小池百合子 東京都知事 記者会見2017年9月1日(金曜)14時00分~14時44分 【記者】東京新聞の榊原です。関東大震災の朝鮮人犠牲者の追悼式への追悼文送付を取り止めたことについてお伺いします。 その追悼式と同じ公園内で開かれている都慰霊協会主催の大法…

「救恤方法若し一歩を誤らんか、人心忽ち悪化し、或は革命擾乱を起こさんも測り難し」 郵船会社経営者太刀川又八郎から海軍大臣財部彪への進言 1923.9.3

[名刺]小田原へ船をを出してくれ。北白川宮付宮内属 梅田次郎 東京市芝区区高輪南町十七番地 【岡田】印 財部彪花押 前内相職を辞して、新内相未だ命を拝せず、前後の内閣を通じて国務大臣たるは実に閣下あるのみ。 斯く絶大なる天変地異に対し遭難者を救…

「四大臣鳩首協議中、偶々総理大臣も参加して本件を議したるが、結局、本件は諸般の関係上、之を徹底的に隠蔽するの外なしと決定し」 王希天問題及び大島町事件善後策決定の顚末 1923.11.8

出渕勝次(1878年~1947年)1923年(大正12年),本省に戻りアジア局長,翌年には外務次官となる。http://www.city.morioka.iwate.jp/shisei/moriokagaido/rekishi/1009526/1009629/1009648.html 【極秘】王希天問題及び大島町事件善後策 決定の顚末(追て焼き捨…

「署長は自動車喞筒[ポンプ]に乗じ現場を観察せることあり。之の虐殺の原因は何れも警察官の宣伝にして、当時、一警察官の如きは盛に、支鮮人は見付け次第殺害すべしと宣伝せり」 支那人被害調査員行動に関する件 1923.11.18

警視庁編『大正大震火災誌』よりhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1748933/48亀戸警察署長 古森警視 (極秘)大臣 了 次官 了 小村次長 花押 □□秘書官 花押 【極秘】 大正十二年十二月三日、警備会議において受く。花押[出淵] 【亜細亜局長】一課長 花押 …

「本所大島町付近に於て約三百名の支那労働者殺害せられたる事実は、九月十六日、警視総監の出渕局長に言明(正力官房主事、熱心に之を裏書せり)せる所なるを以て」 支那人王希天行衛不明の件 1923. 9. 21

警視庁編『大正大震火災誌』(1925年)より(三)震災当時の幹部官房主事 正力松太郎https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1748933/41 【極秘】 亜細亜局長 支那人王希天行衛不明の件 確実なる報道を総合するに、元東京支那基督教青年会幹事、元支那労働組合…

「目下の所、集団的不逞行動あるを全然認めず」「放火、毒薬投下等の現行犯は今日迄の処、一つも発見せられたることなし」 守屋特別高等課長直話 1923.9.6

警視庁編『大正大震火災誌』よりhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1748933/42特別高等課長 守屋警視 【極秘】 鮮人に関する報道 九月六日 警視庁 守屋警視直話 目下の所、集団的不逞行動あるを全然認めず。但し大塚方面に於て石油、綿及びマツチを携帯せ…

「第一回は同日朝、軍隊において青年団より引き渡しを受けたる二名の支那人を銃殺し、第二回は午後一時ごろ軍隊および自警団(青年団および在郷軍人段等)において約二百名を銃殺または撲殺。第三回には午後四時ごろ約百名を同様殺害せり」 警視庁広瀬外事課長直話 1923.9.3

警視庁編『大正大震火災誌』よりhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1748933/42外事課長 広瀬警視 【極秘】 <次官 花押[田中都吉] 欧長 花押 情報長 花押 花押> <花押[出渕勝次] 花押> 支那人に関する報道 <花押 欧州> 九月六日 警視庁広瀬外事課長直…

電報 各地方長官宛 内務省警保局長発 「東京付近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内に於て爆弾を所持し、石油を注ぎて放火するものあり」 1937.9.3

【秘】電報 大正十二年九月十六日 九月十五日 前九時三十六分発 午後〇時十分着 参謀次長宛 大坂 河本中佐大坂第四十二号同市電第四十一号転電 我が船橋無線電信は支那各地無線に傍受せられ、不逞鮮人の行動等、支那内外新聞等に発表せられ、地方欧州人宣伝…

「内外に対し各方面官憲は鮮人問題に対しては左記事項を事実の真相として宣伝に努め、将来、之を事実の真相とすること」 臨時震災救護事務局警備部 鮮人問題に関する協定 1923.9.5

朝鮮問題に関する協定【極秘】 警備部【極秘】 鮮人問題に関する協定 一、鮮人問題に関し外部に対する官憲の採るべき態度につき九月五日、関係各方面主任者、事務局警備部に集合、 取りあへず左の打合せをなしたり。 第一、内外に対し各方面官憲は鮮人問題に…

「船橋無線電信局がSOSを送信中」 海軍省宿直中の重要生起事項 1923.9.4

宿直中の重要生起事項 4日午后9:55 田子社会局第一部長来り、越中島に十万人飢えんとす、品川にある米を三十石を越中島に送られむ事を望む。右により□迄に大田 芝浦に行き先方の人と落合ひ手配の筈。 午后11:55 通行者より船橋無線電信局がSOSを送…

九月六日 関東戒厳司令部布告 戒厳地域拡張 1923. 9. 6

九月六日 関東戒厳司令部 戒厳地域拡張 九月四日、勅令第四〇二号を以て戒厳施行地域を千葉、埼玉両県下に拡張せらる。 右に依り、関東戒厳司令官は関係地方長官及び警察官、郵便局長及び電信局長に対し左の諸勤務を施行すべき事を命令し、且つ一般に別項の…

「社会主義者及び不逞鮮人往行し、人心恟々たり」 九月五日 戒厳司令官宛 南警備区司令官第一師団長報告 1937

九月五日 於第一師団司令部 南警備区司令官 第一師団長 戒厳司令官宛 報告 一、警備地区内一般の情況 各部隊の努力に基き、各種流言の虚偽にして為めにせんとするものの宣伝に過ぎざるを了解すると共に、逐次静穏に帰し、鮮人に対する圧迫も暫時緩和せられつ…

「主義者は最後迄、革命万歳を高唱せり」 九月五日 戒厳司令官宛 北警備区司令官近衛師団長報告 1923

九月五日午後九時 於近衛師団司令部 北警備区司令官 近衛師団長 戒厳司令官宛 報告 一、警備に就て 逐次新部隊の増加に伴ひ、明日より別紙要図の如く配備を変更す。 二、治安維持に就て 各警備管区共に引続き人心安定しつつあるも尚、不逞鮮人·主義者と一般…

九月四日の情況 九月五日朝の状況 1923.9.4

九月四日の情況 一、警備の槪況 各警備隊は前日来益々守備の徹底に努め、今や戒厳施行区域内の要点は概ね軍隊を以て被掩することを得、民心漸く安堵の域に達しつつあり。 神奈川県方面も本日、奥平少将の指揮する歩兵·騎兵各一連隊の到着に依り、不安の状態…

「主として社会主義者其の他、之に類する不逞の徒が治安妨害の事項を流布したる場合に限る」 治安維持に関する緊急勅令の適用の件、通牒 1923.9.7

【秘】 司法省刑事局 秘 第二五号 大正十二年九月七日 司法省刑事局長 林頼三郎 大審院長控訴院長地方裁判所長 御中 治安維持に関する緊急勅令の適用の件、通牒 標記の件に関し別紙の如く通牒致し候う条、御参考の為、通牒に及び候う也。 司法省刑事局 秘 第…

正力君から「朝鮮人がむほんを起こしているといううわさがあるから、各自、気をつけろということを、君たち記者が回るときに、あっちこっちで触れてくれ」と頼まれた。 石井光次郎『回想八十八年』より 1923.9.1深夜

警視庁編『大正大震火災誌』(1925年)より(三)震災当時の幹部官房主事 正力松太郎https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1748933/41 帝国ホテルは焼けなかったので、一室を、早く借りたいと思った。夜中に、アサヒグラフの編集長、鈴木文四郎君を、使いに…

特別諜報班 班長 正力官房主事  (一)裏面偵察  (二)不穏不逞の徒の蠢動に対する偵察 警視庁編『大正大震火災誌』(1925年)より 1923.9.1

警視庁編『大正大震火災誌』(1925年)より第一章 概要第二節 本庁活動の概要第二、警戒本部の組織并に応急活動の概要 九月一日、赤池警視総監は烈震後直に参内して摂政宮殿下に伺候せる後、本庁に帰り、幹部を収集して善後策を協議し、臨機の処分を講じたり…

「況や窮乏困憊の極に達したる民衆を煽動して事端を惹起せむと企る者なきに非らざるに於てをや」 警視庁編『大正大震火災誌』(1925年)より 1923.9.1

警視庁編『大正大震火災誌』(1925年)より第二章 警戒第一節 震災直後に於ける応急警戒措置第三、近衛師団長に対する出兵の要求 此時に方り、曩に管内視察の為に出動せる田辺·柏両監察官の帰庁するあり。各警察署よりの報告亦到達せるのみならず、本庁附近…

九月一日午後七時ごろ警察署は警鐘を乱打し、警察官は和服に日本刀を帯び、自転車に乗じて町民に左のごとく警告せり。「爆弾·凶器を有する鮮人十一名、当町に襲来し、内一名捕縛さる。この者は六連発短銃と短刀を携帯す。全町は灯を減じ戸締りをせよ。」 『東京震災録 別輯』より 1923.9.1

地方における訛伝の一節として、埼玉県入間[川]町分会長の口頭報告したるもの、左のごとし。 九月一日午後七時ごろ警察署は警鐘を乱打し、警察官は和服に日本刀を帯び、自転車に乗じて町民に左のごとく警告せり。 「爆弾·凶器を有する鮮人十一名、当町に襲来…

「横須賀長官は暴動惹起を顧慮し、自兵力に依り鎮圧するの必要を認め居るを以て」 憲兵司令部報告 横須賀方面の状況 1823.9.2

軍務局長(大角) 軍務局 供覧 午後七時 報告 憲兵司令部 横須賀方面の状況 震災につき横須賀長官は暴動惹起を顧慮し、自兵力に依り鎮圧するの必要を認め居るを以て、横須賀憲兵分隊は衛戍司令官に補助憲兵使用方を協議し、昨二日より横須賀重砲兵連隊より補…

「今回の震害に因る戒厳は事変に因る戒厳と見做し、且つ其の戒厳区域は臨戦地境と見做し、陸海軍に関する諸条規の適用を為すことを得ることに致したし」 閣議案 戒厳に関する件 1923.9.7

閣議案 戒厳に関する件 今回の震害に因る戒厳は事変に因る戒厳と見做し、且つ其の戒厳区域は臨戦地境と見做し、陸海軍に関する諸条規の適用を為すことを得ることに致したし。 陸軍大臣 海軍大臣 [鉛筆で書き込み]九月七日 閣議案 戒嚴二関スル件今囘ノ震害…

「春日の途中寄港を取止め、大至急、横浜に回航、所在陸海軍と協力し、同市治安維持の任務に服せしめられたし」 電報 岡田啓介 海軍次官発 大石正吉 大湊要港部司令官宛 1923.9.2

⑪ 9-2 九月二日 済 大湊司令官宛 次官 軍艦春日を急速、塩釜又は石巻に回航せしめ、宮城県知事より東京市に送るべき食糧品輸送の任務に服せしめ、芝浦に於て当該官吏に引渡方、取計はしめられたし。依命。 (31)9/2 九月二日 済 大湊司令官 次官 食糧…

「大佐の指揮する一隊、厳重なる武装の下に大至急同市に差遣し、治安維持の任に当らしめらるる様、取計はれ度し」 電報 岡田啓介 海軍次官発 野間口兼雄 横須賀鎮守府司令長官宛 1923.9.2

28-9/2 九 二 横須賀長官あて 次官 横浜市罹災者の窮状言語に絶し、窮余形勢頗る悪化しつつあるものの如く、殆ど無警察の有様なりと云ふ。依て貴麾下、及び機関学校其の他の各部より、大佐の指揮する一隊、厳重なる武装の下に大至急同市に差遣し、治安…

「在郷軍人及びトビ職の輩、鮮人と見れば突きさす状況」 九月二日午前七時半酒匂発、自転車、 同日午後七時喜久□□門着、森山明氏談 1923.9.2

【軍務局】 花押[財部彪大臣] (海軍省岩村秘書官戻し) 九月二日午后七時着?男明氏報告 酒匂 森山中将報知 (一日午前十一時四十五分頃より) 一、小田原方面 詳細不明。酒匂よりも甚しく概倒家、二三ヶ所より大火災起り、夜九時頃迄、火焔天を焼い足[た…

「其の形跡なし」 横浜派遣山城艦長 暴動発生に関する問合せの返電 1923.9.5

【軍務局】 大正十二年九月五日 午後〇時一〇分 富士局発 長州局着 発信者 山城艦長 受信者 軍務局長 電報訳其の形跡なし。戒厳令布かれて以来、小泥棒の外、見聞せず。尚取調べ報告す。 [書き込み]暴動発生に関する状況問合せの返なり。【軍務局】 大正十…