Obladi Oblako 資料室

帝国日本の専制と侵略戦争、植民地支配について知り、考えるための文書資料

【工事中】爆音南京に轟く 中支に於ける海軍戦闘の概要(其の一) 1937.8.25


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  爆音南京に轟く
    中支における海軍戦闘の概要(その1)
           海軍省海軍軍事普及部

 1 今次事変勃発より最近に至る中南支

 今次の事変が起ってから、帝国海軍は北支においては陸軍の作戦に協同し、中南支においては専ら居留民の保護、帝国権益の擁護に任じ、飽くまで事件不拡大の方針を守って、最も慎重かつ厳正な態度で事に当たってきたことは、前号、前々号の週報においても述べた通りである。
 一方支那側においても心ある者は彼らの生命·財産を脅されることを欲するはずはなく、北支のことは北支で解決し、事件が拡大して中南支に波及することを決して望んではおらなかった。事変の起った7月7日から1週間は上海市政府成立10周年記念を祝して、市中は非常な賑ひをすら見せていたのは、彼等が北支の事変に対しいかなる考へを持っていたかの一面を察知することができよう。実に経済都市上海の市民は、ひたすら金融市場の崩壊を恐れ、南京政府の態度を憂慮をもって注視していたのである。敢えて上海と言わず、各地の心ある支那人は恐らく同様であったであろう。
 しかるに南京政府は表面(うはべ)を糊塗しつつ、裏に廻ってはあらゆる系統の抗日団体を動員して無知な民衆を唆かし、反日·抗日を煽(あふ)ったのであった。
 かくのごとくして上海においては7月11日頃からようやく一部に硬論が台頭し、13日頃から、抗日気勢は逐次深刻化しつつあった。しかし兪上海市長は、我が方に治安維持協力を約し、表面、不自然ながら平静を続けていたのである。ところが25日頃から支那保安隊は諸所に土嚢を築き、塹壕を構築し始め、徒に民心を刺激して、全市に不安の気を漲らすに至り、謡言は流布せられ、公債は暴落し、人心動揺、上海を後に避難する者漸く多数に上った。かかる折しも7月29日、蔣介石のなした彼の挑戦的声明は、民心をいたく刺激して、表面的に不穏の兆(てう)なきも、裏面において抗日指導により漸次統制ある全般的抗日に転ぜんとする意図歴然たるものあるを示すに至った。ここにおいて29日、我が第3艦隊司令長官は儼乎たる決意を表明して支那関係当局に猛省を促すところがあった。
 かくて8月に入るや、各種の謡言乱れ飛び、いよいよ物情騒然たるものあり、ついに日支商取引は途絶し、食料不買の如き、あるいは電灯、水道の不配給の如き非人道的暴挙に出づるものあるに及んで、まず我が在留婦同胞女子の一部引揚げを見るに至ったのである。
 前号において述べた彼の大山大尉事件発生前後における上海の一般情況を要約すれば、次の通りである。
(1) 閘北(ぎほく)、江湾(キヤンリン)、虹口(ホンキユウ)、北四川路方面支那人は大半、避難を完了した。従来の避難と異なり、家に一物をも残さず、全くの空家となれるものが多い。

(2) 支那側の各種防御工事は停戦協定を無視して行われ、江湾市政府方面は昼夜兼行、陣地を構築しつつあり、保安隊類似の服装をした多数の武装壮丁が頻りに演習を行い、従来は事変に際して避難したことのなかった楊樹浦(ヤンジツポ)方面の住民さえ続々と避難し、租界外の邦人も租界内に避難しつつあった。

(3) 邦人に関する食料不買はいよいよ深刻化し、投石、悪戯なども頻繁になって来た。また素性不明の支那人が、日本人居住の情況を調査に来たるものがあり、一般邦人は不安と緊張の中に、夜間は自ら自重して外出をなさず、北四川路方面の歓楽街には邦人の出入りがほとんど途絶するに至った。
 以上が上海に於ける先般来の一般情況であって、正に山雨至らんとして風楼に満つるの気配であった。
 上海意外、漢口、広東、福州その他中南支における一般情勢もまた、概ね上海におけると同様に、逐次、抗日挑戦の一途を辿った。

 2 支那軍の上海停戦協定蹂躙

 上海停戦協定は、昭和7年5月5日、上海事変の停戦に関し、英、米、仏、伊四国公使の斡旋·仲介により日支両国間に協定せられ、前記四国公使は同席者としてこれに調印せられたもので、日誌両軍の直接接触を回避し、事端の発生を未然に防止し、もって国際都市上海の平和を維持する重要なる役目を有し、その第1条には、
「…双方ノ軍ハ其ノ統制ノ及フ限リ一切ノ且凡ユル形式ノ敵対行為ヲ上海ノ周囲二於テ停止スヘシ停戦ニ関シ疑ヲ生スルトキハ右ニ関スル事態ハ参加友好国ノ代表者ニ依リ確メラルへシ」
とあり、付属書において日支両軍の駐屯すべき地域の限界を示してある。
 爾来、該協定は我が方の厳重な監視の下に曲がりなりにも維持されて来つたのであるが、時日の経過とともに支那側は漸次、不誠意を暴露し、昭和8年11月、無断、隠密裡に憲兵を北停車場に駐屯せしめたのを手始めとし、幾多、軍隊の停戦地区不法通過を重ねつつあったので、ここにあらためて通過問題を中心として日支関係者間に折衝が行われ、紆余曲折の後、昭和9年3月、これに関する双方の了解がようやく成立を見るに至った。
 しかしながら支那側はその後においても依然、我が方の眼を掠めて協定違反行為をあえてし、逐次、保安隊員を増加するとともに、規定に背いてその装備を必要以上に強化し、または停戦地区内各所に塹壕その他防御施設を構築し、あるいは再防備を禁止されて居る呉淞(ウースン)砲台内に私(ひそか)に野砲·迫撃砲等を搬入して隠然たる砲台の再興を企つるのみか、さらに一昨年秋の6中全総、5全大会を契機として、支那側中央軍は大軍を京滬(けいこ)(南京、上海)の間に集結し、宛(さなが)ら我が勢力を圧倒せんとするがごとき気配を示すに至った。しかして最寄り軍隊を保安隊または便衣隊に仕立てて恣[ほしいまま]に停戦地区に潜入せしめ、各種戦備を行わしめながら、我が方の詰問に対しては言を左右にして、決してその実情を語らない様な事態に逢着した。そこで本年5月14日、在上海我が海軍当局および上海総領事館協同して予め支那に通告して上海~嘉定~大倉~崑山~蘇州間における停戦地区内支那側施設実況を踏査したところ、沿道各所において塹壕を復旧せる跡、戦車、装甲車を使用せる形跡、ならびに新しくトーチカを取毀した形跡あり、いかに平素、協定順守に不誠意なるやを如実に暴露した。
 ついで本年6月23日、支那側の嫌がるのを促し、列国とともに協同委員会を開催し、我が方より呉淞砲台再軍備に関する件を中心として、停戦地区内に於ける(1)保安隊の装備、人員その他が警察力の程度を遥かに超ゆること、(2)軍用飛行機の訓練が行はれて居ること、(3)トーチカ類似の防備施設が築造されて居る点を指摘したるところ、支那側委員(現上海市長)兪鴻鈞は「停戦協定は忠実に遵奉するも、協定の条文によれば、同地城内に軍隊を入れざる限り、砲台構築等戦闘準備、ないしこれに対する委員の監視は問題外である」と空嘯き恬(てん)として反省の色なく、また議長より保安隊の総数、装備および防御工事の有無に関し説明を求められたるに対しても、「南京政府に請訓しなければ回答し難い」として極めて不真面目なる態度を示したのである。
 かくのごとき支那側首脳者の言動は、明らかに協定違反を如実に物語るものであって、その結果は部下保安隊、警察隊、一般民衆の言動に影響するところ多く、これ等をしてますます抗日·侮日傾向を助長せしむるに至ったのである。
 しかして今次事変が勃発するや、上海を囲繞する軍隊をして表(あらは)に抗日戦術を整へしめる一方、上海保安隊は夜間、隠密浬に市政府江湾鎮付近に盛んに塹壕を築き、また閘北方面には堅固なる土嚢陣地を構築せしめつつあったが、去る7日以来は公然、停戦協定を無視して市政府付近および北停車場にトーチカその他の軍事施設を公然と昼夜兼行で築くに至った。

 3 帝国海軍陸戦隊に対する支那軍の挑戦

 大山事件発生以後、上海の情勢愈々険悪を加え、8月11日以来、租界周囲における支那軍の包囲的移動、地雷敷設により、最悪の事態が憂慮せらるるに至った。
 12日から支那側は、停戦協定違反の歩をさらに進めて、全然これを蹂躙して正規軍をもって呉淞を固め、南京~上海間の鉄道は旅客輸送を停止して、軍用のみに供せらるに至った。翌13日早朝、支那便衣隊はダラッチ路、スコット路、狄思威(テキシイ)路等、市街各所において我が陸戦隊の歩哨を狙撃した。我が方は尚慎重な態度をとってこれに応戦しなかったのであるが、同日午前9時15分、我が陸戦隊は支那便衣隊および正規兵の小銃·機銃射撃を受けるに至り、ついにこれに応戦するのやむを得ざるに至った。

 4 帝国海軍ついに決意す

 我が海軍は、東洋における国際的大商港であり大都市である上海を、兵戦の巷たらしむることから救い、300万無辜の市民の生命·財産を安全ならしむる熱望を最後の間際まで捨てなかった。すなわち、十二日に至り米、英、仏三国総領事が刻下の局面転換を希望し、日支両国関係当局に対して停戦に関する調停を申し入れて来たのに対して、こに応じ誠意を竭(つく)して至急審議したのであった。したがって13日午後、支那空軍秘蔵のマルチン単葉双発動機の爆撃機が、租界上空に飛来し、700mの低空飛行をなしつつ、虹口方面の示威飛行を行ったに対しても、調停に関し協議中であったので応射することなく専ら危局収集に努めた。
 しかるに支那軍はこれをもって日本軍与(くみ)し易しと見たるか、3国の調停を無視して、翌14日、その空軍は大挙して上海上空に現れ、我が陸戦隊を攻撃し我が財産を破壊したのみならず、驚くべき空前絶後の狂的暴挙をあえてし、全世界を憤激せしめたことは周知の通りである。
 ここにおいて3国総領事の調停も、我が方の自重も、ついに空しく水泡に帰し、事態は急転直下した。実に彼は背信·暴虐をこととし、我1歩を自重すれば、彼2歩を増長し、驕慢その度を加え、貪婪飽くことを知らず、かくのごとくして我なお忍ばんか、数万の在留邦人と数万の我が財産は、粒々(りふりふ)数十年苦心経営の帝国権益とともに、揚子江の濁流に溺没すらるるのやむなきに至るであろう。隠忍自重もすでに度を超えた。事ここに至ってはいかんともする能はず、すでに帝国海軍も意を決するところあり、8月14日、左の声明を発して、疾風迅雷の行動を開始した。

「大山事件における支那側の不法極まる暴虐行為は、日支両国委員および工部局員立会の現地検証によりいよいよ明白に確認せられたるにかかわらず、支那側はその非を全く顧みず、却って不逞にも我が方に対する積極的進攻の態度を示し、上海方面の事態、頓(とみ)に緊迫したるも、我が方としては多数各国人の居住する国際都市たるの故をもって自重に自重を重ね、ことに13日、列国大使より日支両国に調停の申出あり。我が方はこれに対し審議中なりしため、昨日来の支那側不法攻撃に対しては単に応戦に止め、支那飛行機の租界内低空飛行に対しても特に攻撃を加えざりしが、本14日午前10時ごろ支那飛行機十数機は我が艦船陸戦隊本部および総領事館等に対し爆撃を加うるの暴挙を敢えてし、言語に絶す。帝国海軍は今日まで隠忍に隠忍を重ね来りしが、今や必要にしてかつ有効なるあらゆる手段を執らざるべからざるに至れるは、従来の念願に鑑み甚だ遺憾とするところなるも、またやむを得ざる次第なり。」

 5 支那空軍の空襲経過とその成果

(1) 14日午前9時過、敵の爆撃機1機、我が陸戦隊本部上空に現はれ、我が軍一斉に砲火を集中、敵は黄浦江岸に爆弾数箇を投下して遁走した。敵は我が総領事館及び戦艦○○を狙ったもののごとくであったが爆弾は江上に爆発し、1発も命中せず。

(2) 14日午前10時頃、楊樹浦にある法人経営の公大紡、裕豊紡は、敵機爆撃により数弾を見舞われ、相当損害を受けた。

(3) 14日午後零時半、閘北方面に敵機襲来、我が軍、砲火をもってこれを撃攘。

(4) 14日午後零時50分、敵爆撃機1機が再び我が陸戦隊本部を空襲、爆弾数箇を投じたが1発も命中せず、高射砲をもって撃攘した。

(5) 14日午後4時23分、精鋭を誇る支那空軍マルチン重爆機9機、戦闘機2機は、黄浦江上空から襲来、我が旗艦○○に対し編隊爆撃を敢行した。我が軍一斉に防空砲火ならびに軍艦○○の艦載機をもってこれに応戦·撃退、我が軍損害なし。

 右のほか敵の飛行機は単騎あるいは編隊を組んで絶えず断続的に上海の上空に現はれ、我が陸戦隊本部と旗艦○○とは終始、空爆の目標となったが、1発も命中しなかった。しかしこれらの爆撃により北四川路方面には火災を生じた。この日午前午後にわたって数次の敵の空襲において我が防空砲火は克くその威力を発揮し、我が艦載機の勇猛は群がる敵を撃攘し敵空軍に損害を与えた。すなわち、

(イ) 我が旗艦○○の艦載水上機は市街上空で単機よく多数の敵と戦い、敵のノースロップ大型爆撃機一機を撃墜した。

(ロ) 軍艦○○艦載水上機は真茹上空の戦闘において単機、敵の数機中に突入し、そのカーチスホーク戦闘機1機を射落とした。

(ハ) 我が艦艇の高角砲弾はカーチスホーク1台に命中し、これを撃墜した。

 6 血迷うたか支那空軍

 我が方に対する支那の空襲は大体右の様であったが、支那空軍の爆撃は他の方面に途方もない椿事を惹き起こした。すなわち、英国人経営の碼頭(埠頭のこと)、倉庫を破壊したり、米国スタンダード石油会社油槽(タンク)に大爆発を起させたりしたのは未だしも、午後4時半頃にバンド(黄浦港河岸通)にある正金銀行前黄浦江に爆弾を投下したのに引き続き、午後4時45分頃、上海歓楽街の中心、大世界で数千の避難民の真只中に爆弾を投下して数百名の無辜の人民を殺傷して阿鼻叫喚の修羅境を現出し、ついで午後6時半ごろ、上海目抜きの街である南京路の入口近くにあるカセイホテルの玄関前に二個2の爆弾を投下した。折から避難民殺到中であったため路上は死傷者の鮮血で真赤になり、あるいは片手を奪われ、あるいは頭をやられた瀕死の重傷者がその上を匐(は)い回り、上海一の国際社交場であるカセイ、パレス両ホテルに宿泊中の外国婦女子等が滅茶々々に粉砕せられたガラスで傷ついて狂気の様に泣き喚(わめ)き、道路一杯、身動きのならぬ様な混乱の中から逃れようとして踏み殺された小児など、思はず眼を覆はす様な大惨状を呈した。さらに黄浦江に停泊中の米国軍艦オーガスタス、揚子江口付近に停泊中の英国軍艦カムバーランドを爆撃するに至っては何を血迷うたか、評するに言葉がない次第である。
 なお15日、ジュルナル·ド·シャンハイ紙はこの支那空軍の爆撃よにり仏租界における死者445名、負傷者821名、共同租界の死者495名、負傷者600名に達したと報じて居る。

 7 海軍大臣、帝国海軍の決意を語る

 この事態に当面して我が米内海軍大臣は8月15日、マイクを通じて、次のごとく帝国海軍の決意を放送し、全国民に対して挙国一致、軍民協力、帝国の使命達成に邁進せんことを要望した。

「(前略)昨14日に至り支那は軍用飛行機を出動せしめて、帝国軍艦、陸戦隊本部、我が総領事館等に対し爆撃を加え、ついには外国居留民および自国人の居住地まで爆撃し幾多無辜の人々を殺傷するに至りましたことは、天人ともに許すべからざる暴虐非道の所業(しわざ)で御座います。帝国海軍は事変勃発以来、帝国の方針に則り、東洋平和のため隠忍自重して参ったのでありますが、事ここに至りましては最早断乎として支那軍を膺懲するため、実力を加ふるの已むなき次第であります。
 すなわち海軍と致しましては、かねて今日あるを覚悟し、万一に対する準備を完成しておりましたので、ここに敢然立って、徹底的に当面の支那軍を屈服せしむるため、必要の措置をとるの決心を固め、すでに発動した次第であります。念(おも)うに時局は重大となりました。私は挙国一致、国家の全力を挙げてどこまでも暴戻支那を膺懲し、出師(すいし)の目的を達成せんがため、全努力を国民諸君とともに誓いたいと存ずるのであります。」

 8 長駆、南京を衝く

 8月14日午後、長谷川第○艦隊司令長官は、次のごとき重大声明を発表した。

支那軍隊の挑戦的攻撃を受けたる我が第○艦隊は、自衛のため必要とする措置を執るの止むなきに至れり。よって支那軍隊の占拠する地域およびその軍用施設付近にある一般住民は、直ちに右以外の適当なる地に撤去せんことを勧告す。」

 右声明と前後して、その基地に待機中の我が航空部隊に命令は飛び、ここに帝国海軍部隊の精鋭は活動を開始し、あるいは台風の中心を突破し、あるいは長駆、海を渡り、あるいは荒天·豪雨を冒し、昼となく夜となく、上海およびその付近は勿論、支那内地奥深く進入して、航空戦史いまだかつて見ざる空戦を敢行したのであった。いまその概要を述べてみると次の通りである。

  8月14日

 我が○○海軍航空隊○○機は○○を出発し、途中、悪天候を冒し、その一部は午後6時半ごろ杭州、筧橋および喬司飛行場を、他の一部は午後7時半ごろ広徳飛行場を爆撃したが、この空襲で筧橋においては格納庫1および庫外飛行機数機、広徳、格納庫2および庫外飛行機十数機を爆破し、空中戦闘により敵の戦闘機4を撃墜した。
 この杭州爆撃の際、被害を蒙った1機(機長、大串3等航空兵曹)は、敵の地上砲撃および戦闘機十数機により被弾、実に大小70発に及び、発動機1台および電信機を射抜かれ使用不能になったにもかかわらず、勇敢にも敵機2機を撃墜し、残りの発動機のみにて操縦しつつ、台風を冒し海上を翔破して、無事、夜に入って単機○○基地に帰投した。その乗員の勇敢沈着、真に絶賛に値するとともに、我が航空機の威力を中外に示したものである。

  8月15日

(イ) 我が○○海軍航空隊○○機は正午ごろ、折からの暴風雨·狭視界の中に僚機、互いに見失いつつも、敢然、南昌飛行場を爆撃し、格納庫外飛行機9機を爆破、その他指揮所、飛行場に大損害を与えた。

(ロ) 我が○○海軍航空隊○○機は午前九時半頃、南京を空襲し、南京城内外航空基地を雨中低高度にて爆撃し、格納庫3棟その他指揮所等を爆破し、さらに庫外飛行機8機以上を爆破した。

 なお蘇州付近および南京上空において敵戦闘機十数機と壮烈なる空中戦を展開、確実に撃墜したるもの9機を数う。

(ハ) 我が○○海軍航空隊の精鋭○○編隊機は折からの悪天候と闘いつつ午前9時ごろ、喬司および紹興杭州湾南岸)飛行場を爆撃し、地上にあった敵の飛行機六機6を破壊、さらに格納庫に損害を与えた。

 また○○編隊機は午前8時半ごろ、筧橋飛行場を爆撃、飛行場および格納庫に損害を与えた。
 右両回の爆撃の際、敵戦闘機多数と空中戦闘を交へ、敵の飛行機九機を撃墜した。

(ニ) 我が○○海軍航空隊○○機は午後4時半ごろ杭州飛行場爆撃を行ひ、地上にあった戦闘機1、格納庫4を爆破した。

 前記両日における我が軍の損害飛行機は8台であって、右のうち大部分は暴風雨中の低高度爆撃を決行せるため犠牲となったものである。

  8月16日

(イ) 我が○○海軍航空隊○○機は驟雨を衝いて午前6時ごろ嘉興飛行場を襲い、折から出動準備中の支那軍飛行機8機を爆破し、さらに空中戦闘において他の2機を撃墜した。
 また○○隊所属○○機は午前6時半ごろ虹橋飛行場を爆撃し、中型航空機2機を爆破し、大格納庫1、兵舎1、その他の建物を粉砕した。
 本攻撃中、我が軍には偵察員1名の微傷があったほか損害なし。

(ロ) 午前、嘉興および虹橋方面支那航空根拠地を爆破し、之に多大の損害を与へた我が○○海軍航空隊は、引続き其の○○機を以て我が陸戦隊に協力し、同日午前午後数回にわたり江湾鎮、南昌、大場鎮方面の敵砲兵陣地に猛烈なる爆撃を加え、また他の○○機は空中戦闘において支那軍ダグラス機2、コルセア機1、計3機を撃墜した。本攻撃中、我が軍に損害なし。

(ハ) 早朝○○を出発せる我が○○海軍航空隊句容爆撃隊○○機は、午前11時および午後零時半ごろ句容および楊州を爆撃し、句容においては折から格納庫外にありし敵の戦闘機13機を爆破し、さらに20機の敵戦闘機と交戦し、その11機を撃墜した。

 楊州においては庫外にあった大型機6、小型機3を爆破し、さらに空中戦闘において敵機2を撃墜した。
 両空襲隊を通じ我が軍は行方不明1機、なお句容空襲においては天候不良のため僚機を見失いたる我が1機は、敵の多数戦闘機と交戦し、その3機を撃墜し、機体に無数の敵弾を受け燃料タンクを貫通され乗員に負傷者を生じたるも、沈着、適正なる航路を選び、無事帰還した。
(ニ) ○○を出発せる我が○○海軍航空隊○○機は、夜陰に乗じ敵の虚を衝いて南昌飛行場を急襲し、敵に大打撃を与え全機無事帰還した。

  8月17日

(イ) ○○海軍航空部隊は○○機をもって蚌埠および淮陰方面支那空軍根拠地を爆撃し、蚌埠においては敵飛行機3機、大型格納庫1棟を爆破し、同格納庫は猛烈な火災を起こした。淮陰においては敵飛行機1及び倉庫1棟を粉砕し、各機とも無事帰還した。

(ロ) ○○海軍航空部隊○○機は悪天候を冒して海寧(ハイニン)飛行場を爆撃し、敵大型爆撃機4および大型格納庫2棟を爆破したり。我に損害なし。

(ハ) 上海方面においては、我が○○海軍航空部隊の○○機は陸戦隊に協力し、江湾鎮および浦東(プウトン)方面の敵の砲兵陣地を攻撃しこれに大損害を与え、また他の○○機は北停車場付近列車砲に対して急降下爆撃を行い、付近線路および格納庫を粉砕し列車砲に多大の損害を与え、また商務印書館の敵に対しても徹底敵爆撃を加え同館中央部を完全に爆破した。
 なお本攻撃中、空中戦において敵戦闘機2機を撃墜した。本空襲中、我が軍の1機は消息不明となった。

  8月18日

 我が海軍航空部隊は完全に上海付近上空を制圧し、其の○○及び○○部隊は敵陣地および敵空軍根拠地に対し終日果敢なる爆撃を加え、何れも敵に多大の損害を与えたが、その主要なる爆撃箇所は左の通りである。

楊家宅、江湾鎮、大乗鎮、遠東競馬場、楊樹浦(ヤンジツポ)東部、北停車場付近、商務印書館付近および市政府付近の敵陣地

南通および南翔飛行場、良山鉄橋、無錫~常州間鉄道

 本爆撃中、我が航空機の中には機体に十数発の弾丸を受け帰還したるものもあるが、その他の被害なし。

  8月19日

(イ) 連日、長距離空中攻撃を敢行しつつある我が○○海軍航空部隊の○○機は、本19日また長駆南京を襲い、午後1時半ごろその火薬厰を爆撃した。爆弾は正しく同厰に命中、一大爆発とともに大火災を起こした。

(ロ) 南京火薬厰爆破に引き続き○○海軍航空部隊の○○機は、同午後8時ごろ南京参謀本部および軍官学校を爆撃し、それぞれ約10発宛の爆弾を命中しめ、構内各所に大火災を起こさせた。

 我が方に損害なく、夜間飛行を敢行しつつ全機無事帰還

 9 陸戦隊の勇戦

1. 支那側の発砲開始

 8月13日午前10時ごろ、横浜路、宝山路交差点付近において、我が斥候に対し、支那正規軍は突如商務印書館より機銃弾を浴びせかけ、これと同時に付近の家屋から便衣隊も発泡したので、我が陸戦隊はやむを得ず

↑週報 第45号
https://www.digital.archives.go.jp/das/image/M2006041420222168511