Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

陸戦隊報告  五十鈴艦長発 横鎮長官宛 1923.9.3

五十鈴第四六号
  大正十二年十月二十四日 横浜港
           五十鈴艦長 石渡武章
            【五十鈴艦長之印】
   海軍大臣 財部彪殿
    震災関係報告の件

[中略]

九、所見

 九月二日夜より三日に至る磯子方面に派遣の警衛隊は、当時強度に流言蜚語に畏怖せる住民及避難者の安定、混乱の防止、及不逞行為の阻止等に至大の効果ありたり。
 横浜に於ける警衛、及乗船者の整理は、配船の関係上、多少の混雑を免がれざりしも、能く事故を防止し、秩序を維持し得たるものと信ず。
                  (終)

  陸戦隊報告
   (宛横鎮長官 発五十鈴艦長)

 九月二日午後十一時三十分、陸戦隊一個小隊を磯子、根岸間の八幡橋に上陸せしむ。同隊指揮官の報告、次の如し。
 同地市民代表者の談に依れば、市民の大部分は根岸及磯子附近に避難し居れり。二、三百名の不逞鮮人、附近の山地に潜伏、時々部落に出入、被害多し。市民は之をパルチザンと称し、怖るること甚だし。依て本隊は市民を安堵せしむる必要を認め、避難民の多き地方、及被害大なる地方を、喇叭を吹奏しつつ行軍す。至る所、市民歓呼して之を迎ふるを見るも、余程不安に襲はれ居たりしものと認めらる。
 避難民の数、五、六万人。官憲の保護としては巡査二、三名に過ぎず、主として在郷軍人、青年会等、警戒に任ず。
 尚、流言に依れば、程ヶ谷附近に於て悪化せる鮮人鉄道工夫約二百名は、在郷軍人に追はれて磯子方面に潜伏すと。又、噂によれば、不逞鮮人本部は東神奈川方面に在るものの如く、時々二、三百名、一隊を為して襲ふと。
 磯子在住、現役平岡歩兵太尉の言に依れば、不逞鮮人が火薬庫の爆発を企て、或は五十名以上の集団にて避難民を脅迫する等の事は、凡て流言なり。唯、信を置くべき在郷軍人上等兵)の言に、二日朝、鮮人四十名の集団、程ケ谷、戸部方面にて子供を殺害したりとの事にて、市民怒り鮮人十三名を殺戮せりと。当磯子方面に於て二三名づつ組を作し家屋に放火し、市民の為、殺されたるを自ら目撃せり。鮮人にして酒精罎を所持し、全市を焼き尽すと云ひ、逃れたるもあり、第一夜、磯子方面を六名一組となり襲ひたるもの、間々、短銃を所持して横行せるもあり、又、一名ノ社会主義者は四名の鮮人を指嗾して暴行をなさしめたる為め、市民の為に殆ど半殺にせらる。解放せられたる根岸刑務所の囚人は凡て市民側に味方し、盛に鮮人を膺懲せり。
 避難民中、根岸磯子方面に逃れたるものは、比較的、食糧等に窮せざるも、公園、根岸競馬場等に避難したるものは糧道を断たれ、困難を感じつつあり。目下、知事、市長等中心人物なきを以て、統一なく支離滅裂の状態にあり。

九月三日

 昨夜上陸したる陸戦隊は、今朝七時三十分、磯子を発し、中村町、伊勢佐木町を経て、市内全般を視察せり。
 流言等、第二日に同じ。各所に於て鮮人と見れば容赦なく殺害したるものの如し。
 安河内知事に面談。同知事より聞くところによれば、最も困難しつつあるは糧食なり。目下、船渠会社に米八千袋、市の倉庫に多量の貯蔵あり。両者共解放し、自由に持ち出すに任せ居れり。之が為め全く秩序なく、奪ひ合ひの態なり。在郷軍人、青年会等、武裝して秩序維持に努めつつあるも効力なく、 往々死傷者を出しつつある現状なり。この状況を持続すれば米は二、三日間、支持し得る見込。今の処、大阪方面より五千石輸送方、交渉済なり(但し東京方面と分割供給のこととならん)。
 
 警備に就ては左の如く陸軍と交渉済。
(イ)今三日中、騎兵五十騎、東京より来着する筈。
(ロ)甲府、宇都宮、佐倉、高崎より合計一個連隊位、今夜中に到着し得る予定なるも疑はし。
(ハ)赤十字社全滅の為め衛生材料欠乏、鎮守府の助力を仰き度き旨、申出あり。

 市役所助役に面談。要領、左の如し。
 市役所仮事務所を中央職業紹介所に設く。
 飲料水は井戸、水道の一部、及貯水池より配給しつつあり。
 災害に対する処置に就ては別に方針確定し居らず。

 安河内知事の不逞鮮人に対する所見は平岡太尉の報告に略〻同じ。
                  (終)
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五十鈴第四六號
  大正十二年十月二十四日 横浜港
           五十鈴艦長 石渡武章
            【五十鈴艦長之印】
   海軍大臣 財部彪殿
    震災関係報告ノ件

[中略]

九、所見

九月二日夜ヨリ三日ニ至ル磯子方面ニ派遣ノ警衛隊ハ 當時強度ニ流言蜚語ニ畏怖セル住民 及 避難者ノ安定 混乱ノ防止 及不逞行爲ノ沮止等ニ至大ノ効果アリタリ

横浜ニ於ケル警衛 及 乘舩者ノ整理ハ 配舩ノ関係上 多少ノ混雜ヲ免カレサリシモ 能ク事故ヲ防止シ 秩序ヲ維持シ得タルモノト信ス
                  (終)

  陸戰隊報告
   (宛 横鎮長官 発 五十鈴艦長)

九月二日午後十一時三十分 陸戰隊一個小隊ヲ磯子 根岸間ノ八幡橋ニ上陸セシム 同隊指揮官ノ報告 次ノ如シ

同地市民代表者ノ談ニ依レハ 市民ノ大部分ハ根岸 及 磯子附近ニ避難シ居レリ 二三百名ノ不逞鮮人 附近ノ山地ニ潜伏 時々部落ニ出入 被害多シ 市民ハ之ヲパルチザント稱シ 怖ルルコト甚タシ 依テ本隊ハ市民ヲ安堵セシムル必要ヲ認メ 避難民ノ多キ地方 及 被害大ナル地方ヲ 喇叭ヲ吹奏シツツ行軍ス 至ル處 市民 歡呼シテ之ヲ迎フルヲ見ルモ 余程 不安ニ襲ハレ居タリシモノト認メラル

避難民ノ数 五、六万人 官憲ノ保護トシテハ巡査二三名ニ過キス主トシテ在郷軍人 青年會等 警戒ニ任ス

尚 流言ニ依レハ 程ヶ谷附近ニ於テ悪化セル鮮人鐵道工夫 約二百名ハ 在郷軍人ニ追ハレテ磯子方面ニ潜伏スト 又 噂ニヨレハ 不逞鮮人本部ハ東神奈川方面ニ在ルモノヽ如ク 時々二三百名一隊ヲ爲シテ襲フト

磯子在住 現役 平岡歩兵太尉ノ言ニ依レハ 不逞鮮人カ火薬庫ノ爆発ヲ企テ 或ハ五十名以上ノ集團ニテ避難民ヲ脅迫スル等ノ事ハ凡テ流言ナリ 唯 信ヲ置クへキ在郷軍人上等兵)ノ言ニ 二日朝、鮮人四十名ノ集団 程ケ谷 戸部方面ニテ子供ヲ殺害シタリトノ事ニテ 市民怒リ 鮮人十三名ヲ殺戮セリト 當磯子方面ニ於テ二三名ツヽ組ヲ作シ家屋ニ放火シ市民ノ爲 殺サレタルヲ自ラ目撃セリ 鮮人ニシテ酒精罎ヲ所持シ 全市ヲ焼キ盡スト云ヒ 逃レタルモアリ 第一夜 磯子方面ヲ六名一組トナリ襲ヒタルモノ、間々短銃ヲ所持シテ横行セルモアリ 又 一名ノ社會主義者ハ四名ノ鮮人ヲ指嗾シテ暴行ヲナサシメタル爲メ 市民ノ爲ニ殆ト半殺ニセラル 解放セラレタル根岸刑務所ノ囚人ハ凡テ市民側ニ味方シ 盛ニ鮮人ヲ膺懲セリ

避難民中 根岸磯子方面ニ逃レタルモノハ比較的 食糧等ニ窮セサルモ 公園、根岸競馬場等ニ避難シタルモノハ糧道ヲ断タレ困難ヲ感シツヽアリ 目下 知事 市長等 中心人物ナキヲ以テ統一ナク支離滅裂ノ狀態ニアリ

九月三日

昨夜上陸シタル陸戰隊ハ 今朝七時三十分 磯子ヲ發シ 中村│町 伊勢佐木町ヲ経テ市内全般ヲ視察セリ

流言等 第二日ニ同シ 各所ニ於テ鮮人ト見レハ容赦ナク殺害シタルモノノ如シ

安河内知事ニ面談 同知事ヨリ聞クトコロニヨレハ 最モ困難シツツアルハ糧食ナリ 目下 船渠会社ニ米八千袋 市ノ倉庫ニ多量ノ貯蔵アリ 両者共 解放シ 自由ニ持チ出スニ任セ│居レリ 之カ為メ 全ク秩序ナク奪ヒ合ヒノ態ナリ 在郷軍人青年會等 武裝シテ秩序維持ニ努メツヽアルモ効力ナク 往々死傷者ヲ出シツヽアル現狀ナリ コノ狀況ヲ持續スレハ米ハ二、三日間 支持シ得ル見込 今ノ處 大阪方面ヨリ五千石 輸送方交渉済ナリ(但シ 東京方面ト分割供給ノコトトナラン)

警備ニ就テハ左ノ如ク陸軍ト交渉済
(イ)今三日中 騎兵五十騎 東京ヨリ来着スル筈
(ロ)甲府 宇都宮、佐倉、髙崎ヨリ合計一個聯隊位 今夜中ニ到着シ得ル予定ナルモ疑ハシ
(ハ)赤十字社全滅ノ爲メ衛生材料欠乏 鎮守府ノ助力ヲ仰キ度キ旨 申出アリ

市役所助役ニ面談 要領 左ノ如シ

市役所仮事務所ヲ中央職業紹介所ニ設ク

飲料水ハ井戸、水道ノ一部 及 貯水池ヨリ配給シツヽアリ

災害ニ對スル處置ニ就テハ別ニ方針確定シ居ラス

安河内知事ノ不逞鮮人ニ對スル所見ハ平岡太尉ノ報│告ニ畧〻同シ
(終)

 

↑大正12年 公文備考 変災災害付属 巻10
防衛研究所 海軍省-公文備考-T12-178-3061
軍艦(5) JACAR Ref. C08051009500
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C08051009500 p.10, p.16~p.23