Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

電報 各地方長官宛 内務省警保局長発 「東京付近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内に於て爆弾を所持し、石油を注ぎて放火するものあり」 1937.9.3

【秘】電報        大正十二年九月十六日

九月十五日 前九時三十六分発 午後〇時十分着
  参謀次長宛 大坂 河本中佐
大坂第四十二号
同市電第四十一号転電

 我が船橋無線電信は支那各地無線に傍受せられ、不逞鮮人の行動等、支那内外新聞等に発表せられ、地方欧州人宣伝の材料を与へ、注意を要すべきものあり、相当の取調べを要するものと認む。


 震災以来、不逞鮮人に関係ある電報、別紙の通り。
 右の内、海軍が発信者なるは、横鎮長官の横浜状況報告電及び船橋自身の発電なり。

○呉鎮副官宛打電 九月三日午前八時十五分了解
   各地方長官宛 内務省警保局長出

 東京付近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内に於て爆弾を所持し、石油を注ぎて放火するものあり。既に東京府下には一部、戒厳令を施行したるが故に、各地に於て充分周密なる視察を加へ、鮮人の行動に対しては厳密なる取締を加へられたし。

[上部余白注記]此の電報を伝騎にもたせやりしは、二日の午後と記憶す。当時の衆人の印象は斯くの如かりしなり。事後、又は他地方の人には考へも及ばざるべし。

○鎮海要副官宛 九月三日午前八時三十分了解
   朝鮮総督府警務局長宛 内務省警保局長出

 東京付近の震災を利用し、在留鮮人は放火、投擲等、其の他の不逞手段に出でんとするものあり。既に東京府下には一部、戒厳令を施行せるを以て、此の際、朝鮮内鮮人の動静に付ては厳重なる取締を加へられ、且つ内地渡来を阻止する様、御配慮相煩はし度し。

○呉鎮副官宛 九月三日午後〇時一〇分了解
   山口県知事宛 内務省警保局長出

 東京付近震災を利用し、内地在留鮮人は不逞の行動を敢てせんとし、現に東京市内に於ては放火をなし、爆弾を投擲せんとし、頻に活動しつつあるを以て、既に東京府下に一部、戒嚴令を施行する至りたるが故に、貴県に於ては内地渡来鮮人に付ては此の際、厳密なる視察を加へ、苟くも容疑者たる以上は内地上陸を阻止し、殊に上海より渡来する仮装鮮人に付ては充分御警戒を加へられ、機宜の措置を採られ度し。

○九月二日午後八時二十分
   船橋発電

 騎兵二十名七時半、警戒の任につきつつあり。付近鮮人、不穏の噂。

○九月二日午後八時二十八分
   横鎮長官発 海軍大臣

 本日午前十一時横浜着、警備艦の状況報告の要領、左の如し。

一、一日午前十一時五十八分、激震防波堤税関を破壊し、全市の家屋倒壊し、爆破所々に起り、不逞鮮人の放火と相俟て全市火の海と化し、死傷数知れず。

ニ、(下略)

○九月三日 午後四時三十分
   船橋發電

 船橋送信所襲撃の虞あり。至急救援頼む。
 騎兵一ヶ小隊、応援に来る筈なるも、未だ来らず。

○九月四日 午前八時十分 同所電

 本所爆撃の目的を以て襲来せる不逞団接近。騎兵二[上部余白注記:二十ならん]、青年団、消防隊等にて警戒中。右の兵員にては到底、防御不可能に付き、約百五十の歩兵急派方、取計はれ度し。当方面の陸軍には右以上派兵の余力なし。

○同夜、危急電

○九月五日 午後十一時五分 船橋
霞ヶ浦航空隊、定方中尉の率ゆる陸戦隊、三ひ午後四時着。右陸軍へも御伝へを乞ふ。

○六日以後の「無線震災特報」は、朝鮮人に有利なる情報のみなり。

[○]台北        尾間□□官出
   台湾総督府総務長官宛 
          九月三日

 一日正午より大激震あり。今尚続く激震と同時に、市内各区に火災起り、焼失家屋約三十万と死者一万、傷者十万、火猶ほ憇まず、此の火災に乗じ、不逞鮮人多数集合して暴行を始め、検束せられたるもの数千。今般、戒厳令を布かる。
 事務所及び総督以下、台湾より出張しあり、皆無事。

 本電は「控へ」あるも、発信せしや否や不明。今尚ほ取調中。

[上部余白注記]藤田の記憶を辛く想起すれば、当時は艦隊の行動、糧食取寄せ以外、一切電報を打たしめざらん。只、警保局長のものは緊急必要と認め発電せしめし覚あり。縁の遠き台湾のもの迄発電を許可したりと考へず。尤も一方ならざる混雑の際、万一パツスしたること絶無なりとは保証し難し。


f:id:ObladiOblako:20200912180749j:image
【秘】電報 大正十二年九月十六日

九月十五日 前九時三十六分發 午後〇時十分著
参謀次長宛 大坂 河本中佐
大坂苐四十二號
仝市電苐四十一號轉電

我舩橋無線電信ハ支那各地無線ニ傍受セラレ 不逞鮮人ノ行動等 支那内外新聞等ニ發表セラレ 地方欧州人宣傳ノ材料ヲ與へ 注意ヲ要スヘキモノアリ 相當ノ取調へヲ要スルモノト認ム


震災以来 不逞鮮人ニ關係アル電報 別紙ノ通リ、
右ノ内 海軍ガ發信者ナルハ 横鎮長官ノ横濱状況報告電 及 船橋自身ノ發電ナリ

f:id:ObladiOblako:20200912214559j:image
○呉鎮副官宛打電 九月三日午前八時十五分了解
   各地方長官宛 内務省警保局長出

東京附近ノ震災ヲ利用シ 朝鮮人ハ各地ニ放火シ 不逞ノ目的ヲ遂行セントシ 現ニ東京市内ニ於テ爆弾ヲ所持シ石油ヲ注キテ放火スルモノアリ 既ニ東京府下ニハ一部戒嚴令ヲ施行シタルガ故ニ 各地ニ於テ充分周密ナル視察ヲ加へ 鮮人ノ行動ニ対シテハ嚴密ナル取締ヲ加ヘラレタシ

[上部余白注記]此電報ヲ傳騎ニモタセヤリシハ 二日ノ午後ト記憶ス 當時ノ衆人ノ印象ハ斯ノ如カリシナリ 事後 又ハ他地方ノ人二ハ考ヘモ及ハサルへシ

○鎮海要副官宛 九月三日午前八時三十分了解
   朝鮮総督府警務局長宛 内務省警保局長出

東京附近ノ震災ヲ利用シ 在畄鮮人ハ放火 投擲等 其他ノ不逞手段ニ出ントスルモノアリ 既ニ東京府下ニハ一部
f:id:ObladiOblako:20200912214753j:image
戒嚴令ヲ施行セルヲ以テ 此際 朝鮮内鮮人ノ動静ニ付テハ嚴重ナル取締ヲ加ヘラレ 且 内地渡来ヲ阻止スル様 御配慮相煩度

○呉鎮副官宛 九月三日午後〇時一〇分了解
   山口縣知事宛 内務省警保局長出

東京附近震災ヲ利用シ 内地在畄鮮人ハ不逞ノ行動ヲ敢テセントシ 現ニ東京市内ニ於テハ放火ヲナシ 爆弾ヲ投擲セントシ 頻ニ活動シツヽアルヲ以テ 既ニ東京府下ニ一部 戒嚴令ヲ施行スルニ至リタルカ故ニ 貴県ニ於テハ内地渡来鮮人ニ付テハ此際 嚴密ナル視察ヲ加へ 苟クモ容疑者タル以上ハ内地上陸ヲ阻止シ殊ニ上海ヨリ渡来スル仮装鮮人ニ付テハ充分 御警戒ヲ加ヘラレ 機宜ノ措置ヲ採ラレ度

f:id:ObladiOblako:20200912215149j:image
○九月二日午後八時二十分
   船橋發電

騎兵二十名七時半 警戒ノ任ニツキツヽアリ 附近鮮人 不隱ノ噂

○九月二日午後八時二十八分
   横鎮長官發 海軍大臣

本日午前十一時 横浜著 警備艦ノ状況報告ノ要領 左ノ如シ

一、一日午前十一時五十八分 激震 防波堤税関ヲ破壞シ 全市ノ家屋倒壊シ爆破 所々ニ起リ 不逞鮮人ノ放火ト相俟テ全市 火ノ海ト化シ 死傷 数知レズ

ニ、(下畧)

f:id:ObladiOblako:20200912215317j:image
○九月三日 午後四時三十分
   船橋發電

船橋送信所 襲撃ノ虞アリ 至急 救援頼ム
騎兵一ヶ小隊 應援ニ来ル筈ナルモ 未ダ来ラズ

○九月四日 午前八時十分 仝所電

本所爆撃ノ目的ヲ以テ襲来セル不逞団 接近 騎兵二[上部余白注記:二十ナラン]、青年團、消防隊等ニテ警戒中 右ノ兵員ニテハ到底 防禦不可能ニ付 約百五十ノ歩兵急派方ヒ取計度 当方面ノ陸軍二ハ右以上派兵ノ余力ナシ

○仝夜、危急電

f:id:ObladiOblako:20200912215512j:image
○九月五日 午後十一時五分 船橋
霞ヶ浦航空隊 定方中尉ノ率ユル陸戦隊三ヒ午後四時着、右陸軍ヘモ御傳ヘヲ乞フ

○六日以後ノ「無線震災特報」ハ朝鮮人ニ有利ナル情報ノミナリ

f:id:ObladiOblako:20200912215717j:image
台北        尾間□□官出
 台湾総督府総務長官宛 
          九月三日

一日正午ヨリ大激震アリ 今尚續ク激震ト同時ニ 市内各区ニ火災起リ 焼失家屋 約三十万ト死者一萬 傷者十萬 火猶ホ憇マス 此ノ火災ニ乗シ 不逞鮮人 多数 集合シテ 暴行ヲ始メ 検束セラレタルモノ数千 今般 戒嚴令ヲ布カル
事務所 及 總督以下 台湾ヨリ出張シアリ際 無事

 本電ハ「扣ヘ」アルモ發信セシヤ否ヤ不明、

 今尚ホ取調中

[上部余白注記]藤田ノ記憶ヲ辛ク想起スレハ 當時ハ艦隊ノ行動、糧食取寄セ以外 一切電報ヲ打タシメサラン 只 警保局長ノモノハ緊急必要ト認メ發電セシメシ覚アリ 緣ノ遠キ台湾ノモノ迠 發電ヲ許可シタリト考ヘス 尤モ一方ナラサル混雑ノ際 萬一パツスシタルコト絶無ナリトハ保証シ難シ

 

↑大正12年 公文備考 巻155 変災災害
海軍省-公文備考-T12-157-3040
情報(5)C08050970300
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C08050970300
50~56/56