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南京附近戦闘詳報 歩兵第百五十連隊 1937.12.10-13

自昭和十二年十二月十日
至昭和十二年十二月十三日
南京附近戦闘詳報
第六号
歩兵第百五十連隊

 

南京附近戦闘詳報  歩兵第百五十連隊長
           陸軍歩兵中佐 山本重悳

  第一、戦闘前に於ける彼我形勢の概要

 一、師団作戦地境更改のため、上黄墅附近より方山南方を迂回して転進せる旅団は、師団命令に依り昨十二月九日夜、午後八時頃、永慶庵附近に露営す。
 我第一線は数線に編成せられたる本防御線、将軍山南方約二吉米の菓园村東西の敵陣地に対し、夜に入るも攻撃を続行しありて近く対峙し、彼我の銃砲声は夜を徹し猛烈を極む。

 二、同夜、第二大隊(第五中隊欠)及歩兵砲隊主力復帰し、次で翌十日、第一大隊長の指揮する第一、第五、第一機関銃中隊も復帰を予想せられ、連隊は第二、第三、第十二中隊及連隊砲中隊を除き悉く軍旗の下に終結し、戦力一段と充実せんとし、志気大いに振ふ。

  第二、戦闘経過の概要

一、十二月十日、天漸く白し。連隊は左記要旨の旅団命令に接す。

 旅団命令の要旨
 一、前面の敵は退却を開始す。
 師団は此の敵を追撃す。
 二、旅団は 150i 、✡️、115i の順序を以て速に本道上を南京に向ひ進撃せんとす。
 三、各隊は所命の序列を以て速に本道上を南京に向ひ追撃すべし。

二、連隊は直に集合、勇躍、追撃行動に移る。時に午前八時なり。
 連隊長は同時、左の要旨の訓示を命令受領者をして伝達せしむ。

   訓示

 南京城攻撃に方り部下将兵に告ぐ。
 上陸以来、茲に一閲月、諸子は各々其の任務に基き或は金山嘴鎮、或は上海より連日連夜、万難を克服して百数十里に亘る各地の頑敵堅陣を掃蕩し、今や既に南京要塞本防御線を突破し、南京本城指呼の地に達す。
 余は此の間に於ける諸子の辛労に衷心感謝す。抑々南京攻略は皇国三千年史上、未曾有の雄図にして、又、本事変最重要の作戦なるを信ず。
 茲に軍旗を奉じ連隊主力と共に此の最も意義深き大会戦に参加し得るは、諸子の均しく本懐とする所たるを信ずると共に、諸子は益々上下協力一致、死力を尽して奮闘すべき恐らく最後の戦場たるを思ひ、死力を尽し率先、南京城頭に突進し、我軍旗の光輝と信州健児の勇名と嚇々たる勲積とを永く我史上に高揚せんことを期すべし。
   昭和十二年十二月十日午前八時
              於将軍山東
        歩兵第百五十連隊長 山本重悳

三、午前十時三十分頃、連隊は麻田橋十字路に達す。
 此の時、増子中尉より左記旅団命令を伝達さる。

   歩一二八旅団命令
          十二月十日午前十時十分
          於麻田橋
 一、師団は当面の敵を撃破し周家凹、雨花台の線に進出す。師団は重点を雨花台に指向す。秋山旅団は当面の敵を追撃し雨花台の線に進出する筈。
 両旅団の戦闘地境は回花営東側より丁家巷に通ずる両点線路(五万分の一図)の線とす。線上は右旅団に属す。
 二、旅団は周家凹、丁家巷を連ぬる線以東の地区より一挙に敵を攻撃し、南京城壁の線に向ひ進出せんとす。
 三、右より 115i 、150i の順序に第一線旅団の重点指向方面は左連隊の正面とす。
展開終らば直に攻撃前進。
 四、両連隊の戦闘地境は丁家巷、鮮魚寧、南京東南角の線とす。線上は左連隊に属す。
 五、工兵中隊(二小隊)は歩兵第百十五連隊の後方を前進し、適時、第一線連隊と協力すべし。
 六、両連隊より予備隊として各一ヶ中隊を現在地に残置し、先任中隊長の指揮を以て丁家巷、周家凹道を前進すべし。
 七、余は予備隊と共に家巷、周家凹道を前進す。
              旅団長 奥少将
   注意
 周家凹─雨花台の線以北には両連隊より連隊長の指揮する一ヶ大隊以内の兵力を使用し、先づ城壁を占領したる後、城内に兵力を終結するものとす。

一、右命令に基き連隊長は直に左記要旨の命令を下達すると共に、部下各隊全員に軽装を命じ、背嚢監視の為、若干の兵を残置す。

   歩兵第百五十連隊命令
        十二月十日午前十時五十分
        於麻田橋北側
 一、旅団は師団の右翼隊となり、丁家巷附近に展開し、周家凹附近の敵を攻撃し、南京東南角に進出す。
 二、連隊は旅団の右一線。左連隊との戦闘地境、丁家巷─鮮魚竈─南京東南角を連ぬる線とす。線上は左連隊に属す。
 三、第二大隊(第五中隊を欠き第一機関銃1/2iAを属す)は第一線戦闘地境の東側に傍ひ、先ず曽家門に向ひ前進すべし。
 爾余は第二線。第一線の後方三〇〇米を□, RMG, LA, Ⅲ(9, 11, 12欠)の順序を以て前進。
 四、第九中隊は旅団予備とす。
 五、通信班は連隊本部、第二大隊間及✡️間の有線連絡に任ずべし。
 六、余は第二線の前方を曽家門に向ひ前進す。
             連隊長 山本中佐
 下達法
  命令受領者を集め口達筆記せしむ。

四、諸隊は迅速に軽装準備を整へ、所命の態勢を以て 115i の後方を前進し、林家崗南方に於て 115i の進路より離脱し逐次東方に転移、丁家巷南側を経て蔣家の附近に達し、現態勢を以て展開し、張家東側の敵を攻撃す。敵は既設陣地の銃眼及トーチカより小銃、機関銃、迫撃砲を猛射し、其の炸裂の音響、喧轟を極む。忽ち連隊本部も迫撃砲弾の狭窄を蒙り、第一線中隊亦迫撃砲の集中を浴び数名の戦死者を出せり。

五、此の頃より左連隊たる 115i は戦闘地境を越へ逐次右方に右方にと其の位置を転じ、連隊も止むなく重点方面に順応して第一線を右方に移動し、予備隊を右翼後に位置せしめ曽家門に通ずる新道を東方に越ゆ。然るに新道に接し 19i 展開し戦況交線しあり、其の東方若干を距て 36i あり、止むなく其の中間より曽家門台上の敵と交戦す。重火器多数を有する約一大隊の敵は、台上に防御編成せる六角堂葬場及二軒家並に其の前後に散在する五六個のトーチカ及位置不明の側防機関銃を有し、鉄条網二条を囲らし我を瞰制せる堅固なる陣地に頑強なる抵抗を続け、当時何等の協力なく連隊長は僅に五ヶ中隊を有する現況にありしを以て、迅速に攻撃奏功しめ難き為め、旅団長に砲兵協力の希望、特に配属砲兵の必要を報告し、更に午後四時頃、毛家営附近に於て第三大隊(九、十一、十二中隊欠、第四中隊及歩兵砲二分の一、連隊機関銃の主力を属す)を右第一線とし、薄暮、攻撃により陣地の奪取を企図せしも、日没迄砲兵の協力を得ず、我戦線、遂に膠着し、且つ電話線は再三敵弾に切断せられ、連絡屡々断絶するの景況にて夜に入る。

六、当時、第九師団の 19i は前夜曽家門附近の夜襲に成功せず、連隊の戦闘地区たる本道東側曽家門南側斜面に終始停止し、其の東北方千米には 36i の第一線ありて、連隊は 115i との連繋不可能にして、地形上、敵の瞰制下の不利なる低地に 19i, 36i の中間に展開せざるを得ざりき。

七、此の日午後二時半、我飛行機数機は突如、銀翼を連ねて上空に飛来す。敵高射砲数門、一斉に連続発射し空中に炸裂せるも、我が飛行機の悠然たるを仰ぎ見て、我将兵、意気大に揚れり。

八、日没後も我死傷、漸次、其の数を増し、衛生隊の請求を受くること頻なり。連隊は屡々旅団を通じ該隊の派遣を請ひたるも、実現を見ずして了せり。
 夜に入ると共に連隊本部は燕子根の寺院に移動す。同時、第一大隊甘利曹長、連絡に来りしを以て、該大隊に復帰を命ず。
 午後一時頃、上陸以来連隊主力を離れありし第一大隊長は第一中隊、第一機関銃中隊一小隊及第五中隊を併せ指揮しつつ連隊に復帰し、連隊長の指揮下に入る。午後十一時四十分、聯隊は旅団命令に基き左記の命令を下達す。

    歩兵第百五十聯隊命令
         十二月十日午後十一時十分
         於燕子根寺院
 一、敵は我勧降を入れず南京城外に於て辛ふじて最後の抵抗を保持しつつあり。
 二、師団は当旅団方面に重点を保持し、夜に入るも攻撃を続行し、待望の南京入城を企図す。歩兵第百二十七旅団は周家凹以西の地区を攻撃す。
 砲兵隊は主力を以て朱家楼附近に陣地を占領し敵砲兵制圧、南京城壁の破壊射撃に任じ、主として右翼隊の戦闘に協力す。
騎兵隊は燕子山附近に在り、依然、攻撃を続行す。
 軽装甲車は主力を以て、右翼隊一部を以て左翼隊に協力。
 旅団(野砲兵第百二十聯隊一ヶ中隊及工兵第百十四聯隊(二中隊欠)配属)は師団の右翼隊となり、依然、攻撃を続行し周家凹東側地区に進出す。
 三、聯隊(1/4Pを配属)は依然、重点を右翼に保持し夜に入るも攻撃を続行し、先ず曽家門北側地区に進出し明払暁の攻撃を準備せんとす。
野戦重砲兵第十四連隊第二大隊は主として明払暁の攻撃を準備せんとす。
 第一線両大隊は夜に入るも攻撃を続行し、努めて小部隊を以てする肉薄攻撃等の方法に依り、逐次、トーチカ陣地を占領し、先ず陸家北側の線に進出すべし。正子以後、各大隊に各一小隊を増加せしむ。
 四、戦闘地域の境界を左の如く変更す。
115i と Ⅱ 間 牛王村─曽家門─南京東南門(線上は 115i に属す)
Ⅱ と Ⅲ 間 燕子根南側寺院─陸家中央─双橋門
 五、工兵中隊は両第一線大隊に連絡し、陣地前障碍物の破壊に協力し、且つ地雷の偵察に任ずべし。
 六、会田大隊は連隊予備とす。右大隊の後方に位置すべし。
余は暫く現在地に在り、戦闘の進捗に随ひ右大隊の後方に到る。
             連隊長 山本中佐
 下達法
  命令受領者を集め口達筆記せしむ。
 歩法協定事項
 午前七時三十分より三十分間、効力射準備射撃、引続き敵トーチカ陣地に対する破壊射撃

 右命令に基き第一線は万難を排し攻撃を続行せるも、進捗、意の如くならず、膠着して払暁となる。

  十二月十一日

 午前九時半、野重大隊は砲撃を開始す。野重は観測所を連隊本部の位置に進め、其の連絡将校は第二大隊に位置し、密接なる協同の許に砲撃を実施せり。午前十時頃、第三師団の連絡将校来り、同師団の先頭は明朝頃、先頭を以て現在地に進出すべきを告げ、当面の状況を承知し去れり。重砲の猛威に依り敵陣の掩蓋銃座或はトーチカは概ね沈黙せり。此の時、敵と三百乃至五百の距離まで近接しある第一線に対し連隊長は攻撃前進の命を下達す。時に午前十一時三十分なり。
 第一線攻撃前進を起すと見るや、俄然、敵陣は一斉に猛射を開始し、小銃、機関銃、迫撃砲の十字火網を浴び、忽ちにして死傷続出せり。連隊本部亦、第一線近く毛家営北端に進出せるも、此の時、友軍の不明なる集中砲弾、極めて近く落下し、危険に瀕し攻撃一時頓挫す。直に先ず野重及旅団に連絡し、何れの砲火なるやを確めたるも判然せず、不安の内に砲兵に射撃中止を要求す。
 日没頃より彼我の交戦益々激烈を極め、死傷漸次多きも、極力、敵左側背に向ひ第一線両大隊は鋭意力攻し、敵前百五十乃至二百米に達せりと雖も、凹角に入り戦線愈々膠着の状態を呈し、且我右側に敵兵益々増加し、其約一大隊は我右側を包囲し、戦況の発展を期し難き苦戦の景況となれり。同時、旅団長より、旅団主力方面は敵兵退却の徴あり追撃を準備すべき通報を受く。然れ共、連隊方面は現状の侭を以てしては追撃の機を失する恐あり、又、我右翼側の敵の包囲翼を破砕せんとするも兵力之を許さざるを以て、連隊長は、現戦線を更改し、目下攻撃中の敵陣地右側背に展開し、台上より重点を指向し攻撃続行の決心をとり、左の命令を下達す。

   歩兵第百五十連隊命令
        十二月十一日午后七時三十分
        於毛家営
 一、敵は揚子江を渡り退却の徴あり。
 115i は其第一線を以て紅土山北側附近に進出しつつあり。
 二、連隊は 19i と 115i の間隔に重点を指向し、当面の敵の右側背を攻撃して南京に向ふ追撃を準備する為め本道方面に転進せんとす。
 三、第一線両大隊転進の準備完了せば、先ず燕子根附近に速に兵力を終結し、本道方面に転進すべし。
 四、予備隊は一部を以て速に第一線の患者を燕子根寺院に護送すべし。
 五、転進の為の行軍序列、左の如し。
第一大隊の一小隊、歩兵砲、連隊本部、通信班、第一大隊主力、第二大隊、第三大隊、第三大隊の一小隊、機関銃一小隊(配属部隊、故の如し)
 六、各大隊は転進の準備完了次第、報告すべし。
 七、余は暫く現地に在り、後、本隊の戦闘にありて行進す。
             連隊長 山本中佐
 下達法
  命令受領者を集め口達筆記せしむ。
 注意
  企図の秘匿に特に注意すべし。

 午後九時頃より急造担架により第一線両大隊の戦死傷者収容を始む。約一時間を要して之を終り、部隊亦逐次に所命の場所たる燕子根の寺院附近に集結し、午後十一時頃、概ね之を完了す。
 而して第一線部隊は昨日来、敵と近く相対し、或は三回、或は四回の食事を欠く者あり、次で追撃準備のため小行李弾薬、及新に受領の弾薬、並に携帯口糧を分配せしむ。
 一方、患者の処置は隊附軍医をして合同の隊
繃帯所に初療に任ぜしめ、衛生隊の派遣を請求せるも、本夜中の派遣は覚束なしとの回答により、戦死者の処置を兼ね小銃三分隊を残置するに決す。同時、森下中尉をして野重第二大隊長に連絡せしめ、連隊長の爾後の企図を通報し、協力に関し協定せしむ。

  十二月十二日

 午前四時、聯隊は予定の如く転進を始む。
 星明に淡く光る細道を粛々として本道を越え西北進す。
 午前六時三十分、聯隊は曽家門西南側凹地に兵力の集結を了り、朝食を喫し、兵器の手入整備に着手し、午前七時四十分、諸準備を完了せり。
 午前八時、聯隊長は左の命令を下達す。

    歩一五〇聯隊命令
           十二月十二日午前八時
           於曽家門西南側凹地
 一、敵は逐次退却の徴あり。
 二、聯隊(野砲兵第八中隊を属せられ、工兵小隊の配属如故)は115iの右翼に進出し、周家凹東側の敵陣地を攻撃したる後、南京東南角に進出せんとす。
 三、第一大隊(第二、第三中隊欠、第五中隊、聯隊機関銃一小隊、平射砲小隊、工兵小隊を属す)は第一線。115iの右に進出し展開すべし。
 四、第二大隊の歩兵一小隊及機関銃一小隊は右側掩護隊。第一線大隊の右側後を前進し、攻撃前進間、右側の警戒掩護に任ずべし。
 五、爾余の予備隊、第一線中央後を左の順序に依り疎開前進すべし。
予備隊第一線  第二大隊(第五中隊欠)
   第二線  右、聯隊機関銃(一小隊欠)
        左、第三大隊(9, 11, 12 欠)
   第三線  歩兵砲隊(平射小隊欠)
各線の距離、二百米とす。
 六、野砲兵第八中隊は終始、第一線大隊と連絡し、同大隊の攻撃に協力すべし。現在の位置に於て攻撃の進捗に伴ひ敵陣地の銃眼の制圧、爾後、南京城壁の破壊に任ずべし。
 七、通信班は前任務を続行すべし。
 八、余は暫く現在地に在り、爾後、第一線の中央後を前進す。
            聯隊長  山本中佐
 下達法 命令受領者を集め、口達筆記せしむ。

 午前八時三十分、第一線大隊の前進準備完了するや、聯隊長は全員を整列せしめ、旗手に命じて軍旗の覆を脱し部隊中央前に誘導せしめ、左記要旨の訓示を与ふ。

    訓示

 愈々今より軍旗を奉じ敵国の首都南京を攻撃するに先んじ、恭しく軍旗を奉迎す。時こそ至れり。各自、一死奉公の誠を尽せ。決して人後に落つる勿れ。

 次に東方宮城を遥拝し、聖壽万歳、皇国万歳を祈念す。将兵の士気、頓に昂り、戦前既に敵を呑むの概あり。
 終るや聯隊長は直ちに「第一線前進」を命令し、予備隊之に続行し、目標に向ひ急進す。此頃、雨花台方向より19iは東方に転進の為め部隊を集結中なり。
 午前九時三十分頃、第一線大隊は曽家門高地上を占領し、歩兵第百十五聯隊の右翼に展開を終る。同地砲兵観測所に於て聯隊長は野砲兵聯隊長と城壁を指呼し細部の協定を遂げ、配属砲兵中隊に対する要求をなす。此頃、雨花台方向より数十発の敵迫撃砲弾及野砲弾、道路の両側付近に落下し轟然たる爆音を挙げ炸裂するも、我に損害なし。
 聯隊長は直ちに第二大隊(二ヶ中隊欠)を右第一線に増加し、聯隊機関銃(一小隊欠)を両大隊中間に陣地進入せしめ、両大隊に協力を命ず。
 第一線両大隊は攻撃前進を開始し、陸家東北方台地本道附近の堆土及集団家屋より敵自動火器の射撃を受くるも逐次、之を撃退しつつ、午前十一時、第一線は南京東南方約三百米の陸軍高射砲兵団に達し、戦線表示の為め十一時十分、高さ三十米の桿頭に国旗を掲ぐ。予備隊も亦、相次で此の附近に到着せるも、敵は周家凹附近の高地及城壁方向より自動火器、野砲及迫撃砲を以て猛烈なる射撃をなし、我又之が制圧に勉めたるも、数名の死傷者を出すに至れり。正午頃、旅団予備隊たりし第九中隊は連隊に復帰を命ぜられ到着せるを以て予備隊に加ふ。最後の目標たる南京城を眼前に睨み、将兵の志気、弥が上にも昂揚せる時、連隊長は左の命令を下す。

   歩兵第百五十聯隊命令
        十二月十二日午前十一時四十分
        於高射砲兵団兵舎
 一、城壁外の敵は逐次撃退せられつつあり。
歩兵第百十五聯隊は周家凹高地を奪取せるものの如し。
 二、聯隊は現在の線に先ず突撃を準備し、砲兵の射撃終了と共に南京城東南角に突撃、之を奪取せんとす。
 三、第一大隊(配属部隊、故の如し)は現在の線に態勢を整へ、東南角城門より城内に突入すべし。勇敢なる将校以下一小隊を選抜し、砲兵射撃間、城壁に接近せしめ、城門の奪取に任ぜしむべし。
 四、第二大隊(配属部隊、故の如し)は現在の線に態勢を整へ、城壁破壊口より城内に突入すべし。勇敢なる将校以下一小隊を選抜し、砲兵射撃間、逐次、城壁に接近せしめ、城壁破壊口の奪取に任ぜしむべし。
 五、第一線両大隊は直ちにクリーク通過点及城壁附近の敵情地形を捜索すべし。
 六、野砲兵第八中隊は城壁破壊射撃を実施すべし。之が終了時刻は午後一時二十分とす。
 七、爾余は予備隊とす。左大隊の後方を前進すべし。
 八、余は暫く現在地に在り、後、左大隊の後方に在りて突撃す。
            聯隊長  山本中佐
    下達法
     命令受領者を集め口達筆記せしむ。

    注意
 一、城内には毒瓦斯及細菌散布の疑あり、殊に水につき注意を要す。
被毒の疑あるものは速に報告すべし。化学実験部は師団と同行しあり。
 二、突入部隊は国旗を振り突入のこと。又、第一線部隊は敵眼に見えざる所に国旗を表示せしむべし。
 三、選抜両小隊の外、第一線部隊は兵営の北側の線以北に進出することなく、突撃準備を整へ後命を俟つべし。
 四、現在の線より突撃前進に際しては、重火器を以て城壁上を制圧し突撃を掩護せしむるを要す。
 五、第一線は速にクリーク通過及城壁攀登の為め応用材料を聚集すべし。

 第二大隊は正午、兵営北端の線に達し、机、丸太、戸板等を以て軽渡河の材料を準備し、尚、城壁登攀のため梯子、机等蒐集するに勉む。
 当時に於ける彼我の態勢、附図第 図の如し。
 同時尚、武定門東方地区及南門附近並城壁上より射撃を受け、彼我の重砲弾、盛に飛来す。砲兵は射撃を開始し城壁に命中、轟々たる爆音は青空に響き、一弾毎に弾着良く、逐次破壊の度を進む。十五糎榴弾砲は弾着近く、或は低きを以て、旅団を通じ観測の結果を通報せり。
 当時、所々に敵眼に遮蔽して日章旗の翻り、南京城一番乗に対し必勝の信念は愈々堅く、将兵全員、意気正に軒昂たり。
 同時、工兵第百十四連隊副官、一分隊を率ゐ当連隊に来着したるを以て、クリーク通過及爆破を協定し、又、野戦重砲兵第十四連隊第二大隊の連絡将校と城壁破壊射撃に関する連絡をなす。午後一時、連隊長は第二大隊長の許に至り、前方の状況を仔細に聴取し、砲兵の射撃終了を待つ。之より先、第二大隊長は三村上等兵以下三名の部下をしてクリークを渡河し城門に国旗の植立を命じ、一時二十分、城門左側に之れを樹つ。時に前方より伝令来り、「敵約二百名、クリークの両側を退却中。小隊は之を射撃中。城壁は既に登れます。左前の橋梁は破壊されて居りません」と報告す。既にして砲兵の射撃は中止の時期、刻々と迫るを以て、射撃中止を要求し、連隊長は午後一時二十分、突撃前進を命じ、軍旗の覆を脱してクリークの線に到る。伝令の報告にある橋梁(鉄橋)は出前三米の所より約一橋節、破壊せられあり、惟ふに伝令の帰還直後、敵の装置せる爆薬に我砲兵の射弾命中、爆破したるものなるべし。
 一部の兵は携行したる机、戸板等を以て軽架橋を実施せんとせしが、クリークの巾大にして、応急の間に合はざるを知り、工兵をして橋梁を修理せしむるに決し、連隊長は第二大隊と共に橋梁南岸に進出し、茲に第二次の突撃準備に着手す。時に午後二時二十分頃なり。
 我砲撃に一時制圧されたる敵は、射撃中止の長引くに従ひ再び城壁上に姿を現し、各銃眼より狙撃す。城壁迄の距離二〇〇米なるを以て敵の狙撃は正確を極めたり。
 我は機関銃平射、歩兵砲、擲弾筒等を以て之が制圧に勉めたるも、死傷者続出す。
 茲に於て連隊長は、今にして工兵の架橋を成功せしめ、続いて城門を爆破するにあらざれば成功望みがたしとなし、全連隊の重火器を家屋内に隠蔽配列し銃砲眼を穿たしめ掩護射撃を準備せしめ、電話を以て更に城壁上際に対する砲兵の射撃復行を要求す。時に午後二時四十分頃なり。
 然るに旅団高級副官より、城内には既に歩一一五の一部、午後一時二十分頃、進入しあるを以て、射撃するを得ずとの回答を得、他に突入の場所なく誤報たるは明瞭なるも、其の隊は何れより進入せしや、然らば当連隊は攻撃の要なきやを反問せるも、共に明瞭なる回答なくして黙せり。
 当時、鉄道踏切を隔て連隊の第一線の左側道路上には、歩兵第百十五連隊の第一線たる第三大隊密集し突撃を準備中にして、城門は閉され、城壁破壊口は友軍の射撃連続し、何れよりも通過点なく、同隊の斥候にてクリークを泳ぎ渡りしものすら場内に潜入し得ざるは明瞭なるを以て、旅団の接受せる報告は単なる予想報告、若くは誤報たるを現認せるを以て、連隊長は砲兵不要と絶叫し、全然歩工兵の協力に依り之を敢行せんとして、鉄道より東方の重火器を北沢大尉をして統制せしめ、西方を内田大尉及小林大尉をして統制せしむ。茲に於て工兵連隊副官阿部中尉及小隊長浅川少尉をして、協力して歩兵掩護射撃下に迅速に電柱、戸板、梯子等を利用する橋梁補修材料の準備を終らしめ、爆破班の区処を了へ、射撃効果を俟つ。当時、安倍中尉も亦、砲兵の掩護射撃を要求したるも、旅団の電話一時聞へず、同時頃、幸にも配属砲兵、城壁に対する短時間制圧射撃を開始す。弾着稍低きに失し、友軍に危害を与ふる惧れあるを以て、射距離の修正を要求するに意の如し。時刻は良し。此の勢に乗じ連隊長は全重火器をして銃眼を逐次にしらみつぶし的に制圧する如く一斉射撃を命じ、彼我の銃砲声殷々たる中を工兵は煙幕を構成し、架橋決死隊先づ突進し、辛ふじて一列を以て通過し得る架橋終るや、間髪を入れず爆破班、之を超越して突進す。更に先頭突撃部隊たる第六中隊の一小隊、次に第八中隊、連隊本部、第七中隊等続行す。同時、歩兵第百十五連隊配属の工兵は、其の梯子短くて届かざる為、我が連隊配属の工兵の架設せる電柱及梯子に託して梯子を倒し掛け、歩兵一部一五の一小隊は連隊に混淆して渡橋せるを見る。電話を以て砲兵の射撃中止を要求するに、須叟[臾?]にして止む。此の頃、敵は三度射撃を開始するも、決死隊は意とすることなく猛然前進して城門に爆薬を装し、遅れて到着せる歩一一五連隊配属工兵爆破班を待ち合せ傍らなる城壁外に身を隠す。轟然たる爆音は耳を聾し、濛々たる黒煙は天を掩へり。爆薬の装着不完成なる為か、城門は僅に匍匐して通ずる程度に破壊せられたるのみなり。
 然れ共、我勇敢無比なる歩兵は第二大隊長児森少佐先頭となり城門内に突入す。同時、連隊長は軍旗、連隊本部及軍旗中隊の一部を率い、前方にある部隊を超越して城壁の破壊口を攀登し、崩壊する土砂礫石に悩まされつつ強行を続け突進し、連隊本部書記浜曹長先頭、第一に日章旗を城壁上に打ち振り、軍旗、連隊長之に続き、敵国首都南京城壁上に敵弾尚雨飛の裡、軍旗の光は燦然として斜陽に輝き、仰ぎ観る将兵、感極まりて奮進す。時当に午後四時七分なり。
 通信班は此等の経過を逐一、旅団に報告せり。
 城門の爆破不十分なりしため当初、第二大隊本部笹沢曹長、連隊本部林一等兵、第二大隊本部、榛葉上等兵、第二大隊長児森少佐の順序に突入せしが、爾後、土砂の崩壊により破壊口を閉塞せられ、一時、部隊の突進を狙[阻?]止せられしが、以上の四名は寡奮闘、克く拠点を確保せり。此の情況を知れる工兵は、殺到する我兵を抑制し、午後四時十五分、第二回の爆破を敢行す。轟然たる爆音と共に、一列通過に支障なき程度に開かれ、濛々たる黒煙に掩はれ一時、咫尺を弁ぜざりしが、煙の消ゆると共に第一大隊本部甘利曹長は第一中隊征上等兵の指揮する軽機関銃を率いて突入し、一軒家の扉を破りて之を占領し、逃ぐる敵を猛射す。之に引続き第八、第七中隊陸続突入して第二大隊長の指揮下に入り、第一大隊長又第一中隊を伴ひ突入し、両大隊長は城内確保に就き協定せり。此頃、歩兵第百十五連隊の一部、混淆して突入せり。然るに第一大隊長は旅団より城外の警備に任ずべき電話命令を受領し、一旦城外に出づるのやむなきに至れり。
 城壁上に於ては破壊口険峻なるため戦果の拡張遅々として進捗せず、連隊長は躍起として叱咤激励し、滝沢少尉、森下中尉、小沢少尉、声を涸らして之が伝達に勉め、第二回の爆破以後、漸く進捗を見るに至れり。
 然れども執拗なる敵は城壁上下より各種火力を集中し、又は喇叭を奏しつつ逆襲を試むる等、城壁奪回に死力を竭したり。為に我が死傷続出せしが、我が兵は雄奮蹶起し、既に占領せる地歩を確保し、各々敵弾雨飛の裡に射撃と工事を反復実施し、極力戦果の拡張に勉むるところありたり。折しも第三機関銃中隊長内田大尉の指揮する一銃は破壊口を攀登し来り、機敏に陣地進入をなし射撃を開始せり。之に依り敵は一時動揺を来せり。我は歩一歩と戦線の拡張に勉めたり。時に各隊混淆しありしを以て、城門内に於ては連隊長直接此の任に当り、城外橋梁等、後方警備は第三大隊長をして担任せしむ。
 折しも勇敢なる通信主手は連隊長の許に電話を開設せしが、彼我の銃砲声盛にして聴取得ざりき。
 第一線部隊は漸く弾薬、特に手榴弾、機関銃弾の不足を訴ふるに至れり。折よく広陳鎮西北方部落より別路を前進せしめたる桜井技術准尉の率ゆる連隊小行李到着し、十分に弾薬を補給し得たるは戦闘上、特に志気上に与へたる効果、預つて大なるものありたり。
 時間の経過と共に各隊各々地歩を進め、之を確保するに勉む。日は西山に没し暮靄漸く四辺を包む頃より敵の火力次第に衰へ、南京城東南角及城壁は確実に我が連隊の有に帰したり。
 此の間、城壁上に於て連隊本部は森下中尉、壮絶なる戦死を遂げ、小沢少尉旗手、小山少尉及副官滝沢少尉、相次ぎ負傷し、救急処置の侭、後退をせず任務を継続せり。連隊長は軍旗を擁して城壁内部の階段を経て城内に到り、具に内部の配備及児森少佐重傷の状況を聴取す。当時に於ける彼我の態勢、附図第二の如し。
 茲に於て新に部隊を整理し、既に奪取したる地域を堅固に保持し夜を徹するの決心をなし、左記要旨の命令を下す。

   歩兵第百五十連隊命令
        十二月十二日午後八時三十分
        於南京城内東南角
 一、敵は首都南京を放棄して北方に退却せるが如きも、一部は尚、至近距離に止りて我を撃退するに汲々たり。
 歩兵第百十五連隊の一部は当連隊と混淆しつつ城内に進入せり。
 二、連隊は既に奪取せる地歩を堅固に保持し夜を徹せんとす。
 三、会田少佐は城内第一線部隊を指揮し現在の線を確保し、敵の逆襲に対し至厳なる警戒をなすべし。
一部を以て雨花門を守備せしむるを要す。
 四、内田大尉は城壁破壊口より右、野口大尉は左側の城壁占領部隊を指揮し、城内の部隊と密に連絡し特に現在の線を確保すべし。特に両側城壁上よりする敵の逆襲を警戒するを要す。
 五、第三大隊長大塚少佐は其の指揮下にある部隊及第四中隊、独立機関銃第五大隊の二小隊を指揮し城外を警備し、城外の敵の逆襲を警戒し現在の線を確保すべし。
 六、第八中隊の二分隊は軍旗の直接護衛に任ずべし。
 七、各砲兵部隊は大逆襲に対しては友軍に危険なき地域に射撃し得る如く準備すべし。
 八、通信班は前任務を続行すべし。
 予は雨花門内第一線の直後に位置す。
            連隊長  山本中佐
 下達方
  命令受領者を集め口達筆記せしむ。

 日は没したれども十日の月は沖天に懸り、剰へ南方部落に火災起りたるため、城壁上に行動する我は一兵と雖空際に投影し、敵は其の都度迫撃砲、自動火気を以て猛射し、我が行動は大に制[掣?]肘せられたり。
 夜の更くるに従ひ敵の火力は次第に衰へたりしが、大小の逆襲は数回に亘り繰り返されたり。然れども第一線各隊は克く陣地を確保し之を撃退せり。
 午前二時三十分頃、関中尉は左記旅団命令を伝達す。

   右翼隊命令
      十二月十二日午後八時三十分
      於南京東南角東南方七〇〇米
              道路側無名部落
 一、師団は南京城頭高く日章旗を翻せり。
 師団は主力を周家凹─両下台の線以南の地区に集結し、一部を以て城内を掃蕩す。
 二、右翼隊は主力を以て所命の線以南の地区に集結し、一部を以て城内を掃蕩せんとす。
 三、歩兵両連隊は既に示しある兵力を以て城壁附近に軍旗を奉じ、其の主力を以て城壁近く堅固に地歩を占め、敵の逆襲に備へ、逐次城内の掃蕩に任ずべし。
 掃蕩及警戒区域の境界、左の如し。
 観音庵─白鷺洲─国貨界上西端道路集合点を連ぬる線(線上は右連隊に属す)。
 四、戦闘地境、左の如し。
 師団と上海派遣軍の境界は共和門より西方に通ずる道路とす。
 両翼隊間は周家凹東端、養虎巷、琵琶巷、市政府、社会局、大陸銀行を連ぬる大街の線(線上は左翼隊に属す)。
 五、爾余の諸隊は予備隊とし、南京東南角より東南方約七〇〇米道路に添ふ無名部落に(野砲兵中隊は現在地)に至厳なる警戒裡に夜を徹すべし。警戒に関しては先任中隊長、之を区処すべし。
 六、余は南京東南角より東南方約七〇〇米道路に添ふ無名部落に在り。
             右翼隊長 奥少将
   注意
 幹部に於て露営火の警戒のため(迫撃砲)至厳なる注意を要す。

 右命令に基き、会田少佐を招致し、第一大隊(第二、第三中隊欠)、野砲兵第百二十連隊第八中隊及第五、第六、第七中隊、第一機関銃中隊、歩兵砲(二分の一欠)を指揮し十三日天明後より指定区域の掃蕩を実施すべく命じ、通信班をして之と有線連絡に任ぜしむ。午後[前?]五時、兵力不明の敵大部隊は喇叭を吹奏しつつ大逆襲を試みたりしが、第一線諸隊は蹶然之を撃退し、午前六時三十分頃より附近は全く静穏となりたり。
 午前七時十分頃より掃蕩隊は至厳なる警戒をなしつつ掃蕩に着手し、午前八時三十分、既に武定門を占領す。此頃、歩兵第百十五連隊は軍旗を擁して城壁上に至り、万歳を三唱せり。
 当時、第三師団は武帝門より入城する能はざるため、当隊の占領せる雨花門より入城せしめられ度き旨、通報を受け、連隊長之を承認す。該師団は約一ヶ中隊を雨花門より入城せしめ、内側より武定門を開き、該門より主力を入城せしめたり。午後五時、掃蕩隊は担任区域の掃蕩を完了す。
 同時頃、旅団より両連隊は掃蕩区域の北部に前進、集結すべき命を受け、連隊長は第八中隊を率いて前進し、第一大隊、第二大隊を区処し、第三大隊は依然、前夜の位置により後方の警備、死傷者の収容、糧秣の補給、行李の掩護に任じ、至厳なる警戒をなし夜を徹す。
 
南京附近戦闘詳報 (第6号) 昭和12年12月10日~12月13日 歩兵第150連隊(1)
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  第五、戦闘の成績

一、彼我の被害
 イ、友軍 死傷  附表第一の如し
      損耗  附表第三の如し
 ロ、敵軍 遺棄せる死体、約八五〇
      鹵獲品 附表第二の如し

二、戦闘の成果
 イ、十日以来、連隊が曽家門台上の敵の左翼側に対し、石娑婆廟、毛家営の線より猛烈なる力攻を加へ、雨花台、向花営、周家凹等、一帯の要地に在る敵の内部防御線の側背に大なる脅威を与へ、有力なる敵を同方面に牽制せるのみならず、終に十二日払暁、南京一帯の陣地を放棄せしめ、助攻の目的を達成せり。
 ロ、十二日、南京東南角、雨花門に対する攻撃は、配属砲工兵と緊密なる連絡の下に頑強なる敵の最後の抵抗を破砕し、全軍に先じ一挙に雨花門附近の城壁上及城内を奪取し、午後四時七分、軍旗、城壁上に翻り、爾後十数回の逆襲を撃退し、以て敵国首都占領の魁となり、歴史的戦捷に光栄なる戦果を挙げたり。

  戦闘に影響を及ぼす天候気象及戦闘地の状況

一、天候気象
 1. 十二月十日は朝来曇天なりしも、十一日、十二日両日は快晴にして温暖、戦闘行動は容易、且地上、上空より展望観察に好適たり。然れども十一日の朝は靄深くして砲兵の射撃を困難ならしめたり。
 2. 夜間は概ね前半月明(旧十一月十日頃)ありて、夜間の行動容易なりしも、敵の射撃効果を大にし、且我企図の秘匿上、尠からず不利を招きたり。但し後半夜は暗夜にして、企図を秘匿する行動に適せり。
 3. 後半夜気温低下、降霜甚しく、対陣中の第一線部隊は相当苦痛を感ぜり。
   日出 午前七時五十分
   日没 午後五時十分

二、戦闘地の状況
 1. 付近一帯丘陵地にして、処々に雑木あるも、中距離以内に於ける展望、射撃を妨げず、陣地編成に好適たり。又、観測に適する高地(標高四〇~八〇米)点在す。
 2. 道路の景況
 叉路口─南京道、秣陵関─南京道(二万五千分の一の図)は共に重車輌の通過を許すも、上述道路の中間地区にある点線道路は殆んど車輌の通過を許さず。但し叉路口─南京道は対戦車壕の構築、鉄条網及土嚢による遮断等により車輌通過のため工兵の作業を要せり。
 3. 河川(クリーク)
 障碍たるべきクリークは城壁外のものを除き殆どなし。城壁外のクリークは巾七、八十米、水深三、四米位にして、橋梁破壊せられありたるため大なる障碍を呈せり。
 4. 住民地及南京城内は地図と大差なく、家屋は煉瓦建、瓦屋根多く、住民は大部分避難しあり。
 5. 南京城壁(東南角附近)は上際に銃丸を有し、所々屈曲部に掩蓋側防機関あり、大部分煉瓦にして斜面垂直、高さ約三十米、巾概ね五米位ありて、射撃設備を施せり。城門(雨花門及武定門)は鉄扉あり、且土嚢等により閉塞せられあり。

  交戦せし彼我の戦力

一、友軍
     通信班
     第一大隊(第二、第三中隊欠)
     第二大隊
     第三大隊(第十一、第十二中隊欠)
     連隊機関銃隊
     歩兵砲隊
   工兵第百十四連隊第二中隊の一小隊
 尚、十一日より野戦重砲兵第十四連隊
           第二大隊(一中隊欠)
 十一日の夜より野砲兵第百二十連隊
           第八中隊各々に協力す。
 十二日午後より工兵第百十四連隊副官の
           指揮する工兵一分隊配属

二、敵軍
 毛家営石娑婆廟附近、迫撃砲、機関銃多数を有する約三大隊なりしが、十一日午後三時頃より逐次増加して約四大隊なり。
 十二日、高射砲兵団正面約一大隊、城壁附近約一大隊、十数回に亘り実施したる逆襲兵力は約三大隊に上る。
 蔣介石直径の八十八師及八十七師にして、野砲、迫撃砲、機関銃を多数所持し、巧に地形を利用して構築せる鉄条網及堅固なるトーチカ掩蓋銃座及所在不明の側防機関に拠り極めて頑強に抵抗せり。特に防御戦闘に長じ、我が重砲、野砲の集中射撃を蒙る間は一時沈黙するも、射撃を中止するや直に射撃を開始し突撃の機を与へざるが如きは、彼に一日の長あるが如し。又、城壁占領後の十二日午後四時過より深更迄十数回に亘りて逆襲を試み、之が奪回に勉めたるは首都防衛の任を有する敵として当然なるも、城内、城外、城壁上相呼応し喇叭を吹奏し、其の堂々たる逆襲振りは賞賛に価し、其の精神教育も亦、徹底しあるものと認められたり。

  特に功績顕著なる者[略]

 

↑南京附近戦闘詳報 (第6号) 昭和12年12月10日~12月13日 歩兵第150連隊(2)
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