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松井石根『出征日誌第1巻』その1(新漢字ひらがな表記・原文対照) 1937.8.15~9.6

[表紙]

出征日誌
第1巻
昭和12年8月14日
至 同   9月22日
 (上陸作戦後1ヶ月間)

 上海派遣軍司令部
       松井大将

 

出征日誌
第壱巻
自 昭和十二年八月十四日
至  仝     九月二十二日
  (上陸作戦後一ヶ月間)
上海派遣軍司令部
      松井大將

 

[本文]

出征日誌

   前記

 昭和12年5月、北支盧溝橋日支軍の戦闘に端を発し、爾後、河北地方における両軍の抗争つひに解けず、政府はつひに意を決して7月初旬、第5第6第10の3師団を動員して北支に増派し、さきに朝鮮満州より増派せる第20師団、熱海独立混成旅ならびに機械化兵団を合し、概ね張家口より保定に至る線以内の支那軍を撃攘して北支の治安を確保するに決せり。

 超ゑて8月10日、上海における大山海軍中尉外1水兵、遽然、上海保安隊のために撃殺せらるのみならず、上海周辺における支那軍の我が海軍陸戦隊に対する挑戦、日を追うて熾盛を極め、つひに8月初旬以来この地方また日支両軍の真面目なる交戦状態を惹起し、彼我飛行隊の爆撃により戦況は漸次に局面を拡張し、日を追ふて我が海軍の兵力を逐次増遣して専ら保留地を守備するに至れり。

 予は7月上旬以来、富士山中山荘にありて静かに心身を養ひ、時々出京して政府および陸軍当局に意見を開陳してその決意を促しつつあり。けだし時局に対する政府の態度は、すでに1ヶ月前、いはゆる重大決意の語をもつて国内に声明せられあるも、内実、政府部内においてもその決意未だ強固ならず。国民は挙げて献金慰恤等、熱誠なる後援の意気を顕しつつあるも、上層財界ならびにいはゆる自由主義者インテリ階級の時局観は、必ずしも未だ意を安んずるに足らざるもの多きを感じたり。

 たまたま14日午後、陸軍次官より、至急出京せられたき旨、電報に接したるをもつて、急遽出蘆して夜10時半、陸相官邸に杉山陸相訪ひ、はじめて政府は上海海軍に協力するため上海派遣軍を編成急派するに決したることを知る。しかれども陸軍の意向は未だ中支方面に主作戦を行ふ決意なく、むしろ海軍の要求に応じ不満足ながらこれを増援するの程度において上海派兵を決したるに過ぎず、したがつて派遣軍の兵力は第11師団(1旅欠)と第3師団の2個師団に若干の直属部隊を付するの範囲に過ぎざることを知れり。

 かくて中支派兵のことは政府が従来の局地解決・不拡大方針を撤回し、全支的戦争により南京政府の反省を強要し全面的日支関係の回復するに決したるの結果にほかならず、海軍当局はこれに関し強硬なる態度と決意を有しあるに係はらず、陸軍、ことに参謀本部の方針は未だここに至らず、依然、陸軍の作戦主目的を努めて北支方面に制限することを欲しありて、この間、政府当局の態度なほ明瞭と一致を欠くものあり、外務当局のごときはなほ外交交渉に一縷、否な多分の望みを属し、努めて武力的圧迫を忌避せんとする意向、今なほまざるなど、今後時局の推移に関する我が政府ならびに軍部の態度に関しては、相当杞憂すべき現情にあるものと認めらる。

 

  出征日誌

  前記

昭和十二年五月 北支芦溝橋 日支軍

ノ戰斗二端ヲ発シ 尓後 河北地方二

於ケル両軍ノ抗争 遂二解ケス 政

府ハ遂ニ意ヲ決シテ七月初旬 㐧五、

第六、第十ノ三師団ヲ動員シテ北支

ニ増派シ 曩ニ朝鮮 満州ヨリ増派

セル第二十師団、熱海独立混成旅

幷 機械化兵団ヲ合シ 概ネ張

家口ヨリ保定ニ至ル線以内ノ支那

軍ヲ撃攘シテ 北支ノ治安ヲ確

保スルニ決セリ

超ヱテ八月十日 上海ニ於ケル大山海軍中尉

外一水兵 遽然 上海保安隊ノ為メニ

撃殺セラルノミナラス 上海周辺ニ於ケル

支那軍ノ我海軍陸戦隊ニ対スル挑

戦 日ヲ追フテ熾盛ヲ極メ 遂ニ八

月初旬以来 此地方 又 日支両軍ノ

真面目ナル交戰状態ヲ惹起

シ 彼我飛行隊ノ爆撃ニ依リ戦況

ハ漸次ニ局面ヲ拡張シ 日ヲ追フテ

我海軍ノ兵力ヲ逐次増遣シテ專ラ

保畄地ヲ守備スルニ至レリ

予ハ七月上旬以来 富士山中山荘ニ

アリテ静心身ヲ養ヒ 時々出京シテ

政府 及 陸軍當局ニ意見ヲ開陳

シテ其決意ヲ促シツツアリ 蓋シ時局

ニ對スル政府ノ態度ハ 既ニ一ヶ月前 所謂

重大決意ノ語ヲ以テ国内ニ聲明セラレ

アルモ 内実 政府部内ニ於テモ其決

意 未タ鞏固ナラス 國民ハ挙テ献

金慰恤等 熱誠ナル後援ノ意気

ヲ顕シツヽアルモ 上層財界 幷ニ所謂

自由主義者インテリ階級ノ時局観

ハ 必スシモ未タ意ヲ安ンスルニ足ラサルモ

ノ多キヲ感シタリ

偶々十四日午後 陸軍次官ヨリ 至急出

京セラレ度旨 電報ニ接シタルヲ以テ

急遽出蘆シテ夜十時半 陸相

邸ニ杉山陸相ヲ訪ヒ 始メテ政府ハ上

海海軍ニ協力スル為メ上海派遣軍

ヲ編成急派スルニ決シタルコトヲ知ル 然

レ共 陸軍ノ意嚮ハ未タ中支方面ニ主

作戦ヲ行フ決意ナク 寧ロ海軍ノ要

求ニ応シ不満足乍ラ之ヲ増援スル

ノ程度ニ於テ上海派兵ヲ決シタルニ過

キス 従テ派遣軍ノ兵力ハ㐧十一師団

(一旅欠)ト㐧三師団ノ二個師団ニ若

干ノ直属部隊ヲ附スルノ範囲ニ

過キサル事ヲ知レリ

此クテ中支派兵ノコトハ政府カ従来ノ

局地解決、不拡大方針ヲ撤回シ

全支的戦争ニ因リ南京政府

反省ヲ強要シ全面的日支関係

ノ恢復スルニ決シタルノ結果ニ外ナラ

ス 海軍當局ハ之ニ関シ強硬ナル態度

ト決意ヲ有シアルニ係ラス 陸軍 殊

参謀本部ノ方針ハ未タ此ニ至

ラス 依然 陸軍ノ作戦主目的ヲ

努メテ北支方面ニ制スルコトヲ

欲シアリテ 此間 政府當局ノ態度 尚

明瞭ト一致ヲ欠クモノアリ 外務當局

ノ如キハ尚 外交々渉ニ一縷 否ナ 多分ノ

望ヲ属シ 努メテ武力的壓迫ヲ忌避

セントスル意嚮 今尚 熄マサル等 今後

時局ノ推移ニ関スル我政府 幷 軍

部ノ態度ニ関シテハ相當 杞憂

スヘキ現情ニ在ルモノト認メラル

 

   8月15日

 午前10時、御召しにより宮中に参内し、謁を賜ひ上海派遣軍司令官親補の光栄に接す。回顧すれば往年、陸軍内部の紛糾に因し予の引退を決せしより方々二星霜、この間、予は努めて陸軍内部の小乗的状勢より一身を脱脚し、いはゆる大亜細亜主義政策の貫徹により内外重大時局に貢献せんことを期し、大亜細亜協会の運動に畢生の努力を致さんことに決し、さきに昭和10年秋より11年春にわたり両度、満洲国ならびに支那の南北を歴遊してその状勢を窺ひ、支那朝野と我が国民の反省と覚醒を促すに微力を尽くし、未だ一日、亜細亜運動のことを忘るること能はざりしが、爾来、日支の関係は却つて悪化の趨勢を辿り、最近の形勢前記のごとく、最早、断乎鉄鎚を揚げて支那当局を覚醒するの外なきを痛感し、徐ろに政府当局ならびに内外にこれが画策を焦慮しつつありたるに際し、このたび上海派遣軍を統率して全支的解決の重任を荷ふに至りたるは一身の光栄、もとより譬ふるに物なく、ことに多年の予の抱負実顕の機会を得たること、欣懐これに過ぐるものなし。宜しく一身の毀誉褒貶を顧みず、死生を超越して心身を費して重任を完ふせんことを期したり。

 よつて宮中を辞して閑院伏見梨本浅香東久邇宮および大宮御所等に参内、御礼を言上したるに、梨本元帥殿下よりは時局に対する我が陸軍の方針につき御懇切かつ剴切なる御意見の開陳あり、恐懼の至りなり。その要旨、左のごとし。

 過去十数年、我が陸軍の海外出兵の事、一再に止まらず。しかるに彼のシベリア事件山東事件等、多大の犠牲を払ひたるに係はらず、その成果のほとんど見るべきものなかりしを、真に陸軍のため痛歎の至りなり。

 此次時局に関しても、予の見る所にては、北支那における戦闘の輸贏は支那の全戦局問題の解決に対し大なる効果なかるべきは想像に難からず。宜しく政略戦略の全局に着眼し、真に出征の目的を達成することに注意せざるべからず。云々。

 なほ殿下より予に対し極めて優渥なる御語を賜ひ、感激やまず。畏みて退出して窃かに令旨の存する所を拝し、しかも予の抱懐するものとその揆を一にすることを憚べり。

 昨夜、在山中の文子に電話して帰京を促し、本朝、文子、花を伴ひ急遽帰京したれば、命じて諸般の準備に万遺憾なからしむ。

 

  八月十五日

午前十時 御召ニ依リ宮中ニ参内シ謁

賜ヒ 上海派遣軍司令官 親補

ノ光栄ニ接ス 回顧スレハ往年

陸軍内部ノ紛糾ニ因シ予ノ引退[✕セ✕]ヲ

決セシヨリ方々二星霜 此間 予ハ努メ

テ陸軍内部ノ小乗的状勢ヨリ一身

ヲ脱脚シ 所謂 大亜細亜主義

策ノ貫徹ニヨリ内外重大時局ニ

貢献センコトヲ期シ 大亜細亜協会

ノ運動ニ畢生ノ努力ヲ致サンコト

ニ決シ 曩ニ昭和十年秋ヨリ十一年

春ニ亙リ両度 満洲國 幷 支那ノ南北

ヲ歴遊シテ其状勢ヲ窺ヒ 支那

埜ト我國民ノ反省ト覚醒ヲ促スニ

微力ヲ盡シ 未タ一日 亜細亜運動ノ

コトヲ忘ルヽ事 能ハサリシカ 尓来 日支ノ関

係ハ却テ悪化ノ趨勢ヲ辿リ最近ノ

形勢 前記ノ如ク 最早 断乎 鐵鎚

ヲ揚ケテ支那当局ヲ覚醒スルノ外ナ

キヲ痛感シ 徐ロニ政府當局 幷 内外

ニ之レカ畫策ヲ焦慮シツヽアリタルニ

際シ 此次 上海派遣軍ヲ統率

シテ全支的解決ノ重任ヲ荷フニ

至リタルハ一身ノ光栄 固トヨリ譬フルニ物

ナク 殊ニ多年ノ予ノ抱負 実顕ノ機

会ヲ得タルコト 欣懐 之ニ過クルモノナシ

宜シク一身ノ毀譽褒貶ヲ顧ミス

死生ヲ超越シテ心身ヲ費シテ

重任ヲ完フセンコトヲ期シタリ

仍テ宮中ヲ辞シテ閑院、伏見、梨

本、浅香、東久邇宮 及 大宮

御所等ニ参内 御礼ヲ言上シタ

ルニ 梨本元帥殿下ヨリハ時局ニ對

スル我陸軍ノ方針ニ付 御懇切 且ツ

剴切ナル御意見ノ開陳アリ 恐懼ノ至

リナリ 其要旨 如左

 過去十数年 我陸軍ノ海外出兵ノ

 事 一再ニ止マラス 然ルニ彼ノ西伯利事

 件、山東事件等 多大ノ犠牲ヲ拂

 ヒタルニ係ハラス 其成果ノ殆ト見ルヘ

 キモノナカリシヲ 真ニ陸軍ノ為メ痛

 歎ノ至リナリ

 此次時局ニ関シテモ 予ノ見ル所ニテハ

 北支那ニ於ケル戦斗ノ輸贏ハ支

 那ノ全戦局問題ノ解決ニ對

 シ大ナル効果ナカルヘキハ想像ニ難

 カラス 宜シク政畧戦畧ノ全局ニ着眼

 シ 真ニ出征ノ目的ヲ達成スルコトニ

 注意セサル可カラス 云々

尚 殿下ヨリ予ニ對シ極メテ優渥ナル

御語ヲ賜ヒ感激 已マス 畏ミテ

退出シテ窃カニ令旨ノ存スル所ヲ

拝シ 而カモ予ノ抱懐スルモノト

其揆ヲ一ニスルコトヲ憚ヘリ

昨夜 在山中ノ文子ニ電話シテ

帰京ヲ促シ 本朝 文子 花ヲ伴

ヒ急遽 帰京シタレハ 命シテ諸般

ノ準備ニ萬 遺憾ナカラシム

 

   8月16日

 朝10時、参謀本部に出勤、総長殿下より奉勅命令ならびに指示を下し賜ふ。謹んで拝するに、上海派遣軍の任務は

上海付近の敵軍を掃蕩し、その西方要地を占領上海居留民の生命を保護するに在り。

 その任務の消極にして前記政府声明に副はざること、はなはだ遺憾なるのみならず、その海軍との協定ならびに司令部機関の編成等に関しても満足し難きものあり。すなはち陸戦隊の指揮関係を明らかにせざること、および軍の任務達成上、最も重要なる宣伝謀略に関する機関の不備なる等、すなはちこれにして、要するに参謀本部当局、ことに第一部長が上海派遣軍のことに関し十分の熱意を有せざるの結果なるを察す。

 よつて本間第2部長に面会して、これに関する予の意見を接述し、その研究を促すとともに、陸相に会見して、右の事情を述ぶるとともに、さらに左記要旨の意見を開陳、その熟慮と努力を希望せり。

 今や時局はいはゆる不拡大方針を解消して全面的解決の域に進みあり。すなはち対支全般的政策ならびに両軍の作戦につき考ふるに、宜しくその全力を挙げて中支那、ことに南京政府をその目標とし、武力的、経済的圧迫により速やかに全局の解決に邁進すべき秋となれり。

 我が陸軍が徒らに過去の行き掛かりに捉はれ、あるいは対露ないしは爾余の対外関係を過度に顧念し、右顧左眄、断乎たる作戦を回避するごときは、却つて将来の国策を危地に陥らしむるもののみならず、我が陸軍の伝統的精神と作戦の方針に鑑みるも、いはゆる速戦即決·重点把握主義に基づき今後の作戦を実行すること極めて肝要なり。この見地に基き 山東に一師団を派遣するの計画のごときは予の執らざる所、山東のごときは一時、全然これを放棄するも我が権益は将来において十分これを確保することを得べく、今や要点作戦の目的にむかひ兵力を使用すること緊要なり。

 以上の理由に基づき我が軍は速やかに南京を攻略するの目的をもつて中支地方に所要の兵力(約5師団)を派遣し、一挙、南京政府を覆滅するを必要とす。

 しかして南京政府に対する圧迫は、一方、武力的強力によるの外、経済·財政的圧迫を加ふること、さらに有効なりと認めらる。この見地に基づき、支那沿岸を封鎖することを得ば、最もその目的の遂行を容易ならしむるべく、これがため我が政府はこの際、支那に対し宣戦すること寧ろ有利なりと考へらる。けだし宣戦による戦争状態に入ることは、国際連盟その他の中立諸国に対し我が国の受くる不利益もとより少なからざるべきも、これによつて今次の時局を速やかに解決するに与つて利益甚大なることを信ず。

 しかのみならず、これにさらに考慮すべきは国内の情勢にあり。目下、我が朝野の時局感は極めて熾盛なりといへども、今後、時日の経過に伴ひ自然、漸次、緊張を失ふべきこと前年の例に徴するも明かなるをもつて、能く挙国、時局に対する覚悟を強固にし、動揺なからしむるためには、宣戦に伴ふ詔勅の降下を待つことすこぶる有効なり。しかのみならず、頃来、支那の朝野は近年における我が対支那政策の発動を軍部の陰謀的侵略主義によるものと誤認し、これをもつて我が挙国不動の政策の発現と認めあらざるは、今次時変の根本的原因とも認むべく、これらの感情は英米その他の諸列国においても同様なれば、この際、あらためて詔勅により我が国策の向かふ所を明らかにし、正義皇道の真精神を中外に宣布せらるることは、独り対支那関係のみならず、一般今後の国際関係上、極めて有利なるベければなり。云々。

 以上は大体において杉山陸相、個人的に異存なき模様なれど、参謀本部の意向これに伴はざるため、未だ同意を表するに至らず。却つて予より陸軍部外に対するこの種の言動を慎まれたき様申され、その決意はなはだ足らざるは遺憾とするところなり。

 右終つて午後2時半、米内海相、参謀、軍令部総長を訪問、挨拶す。海相の時局に関する意見は上記予の所見とほとんど所説を同じふするは、すこぶる欣懐とする所なり。すなはち特に今後、政策の指導につき尽力を希望し置けり。

 軍令部総長殿下には特に予を引見せられ、優渥なる御諚あり。特に陸海軍の協力については能ふ限りの尽力を惜まざるべき旨、力説せられ、深く感激す。

 なほ海軍大臣、軍令部次長に対し、軍今後の宣伝·謀略に関し海軍との密接協同の必要を述べ、海軍より適当の人物を軍司令部に差献せしめられたく、犬塚大佐のごとき最も適任なるべしとの希望を述べ、大体同意を得たるは併せて欣懐とする所なり。

 

  八月十六日

朝十時 参謀本部ニ出勤 總長殿下

ヨリ奉勅命令 幷 指示ヲ下シ賜フ

謹テ拝スルニ 上海派遣軍ノ任務ハ

─上海附近ノ敵軍ヲ掃蕩シ 其西方

│要地ヲ占領シテ上海居留民ノ生命

 ヲ保護スルニ在リ

其任務ノ消極ニシテ前記政府聲

明ニ副ハサルコト甚タ遺憾ナルノミナラス

其海軍トノ協定 幷 司令部機関

ノ編成等ニ関シテモ満足シ難キモノ

アリ 即 陸戦隊ノ指揮関係ヲ

明ニセサルコト 及 軍ノ任務達成上

最モ重要ナル宣傳謀畧ニ関スル

機関ノ不備ナル等 即 之ニシテ 要ス

ルニ参謀本部当局 殊ニ第一部長

上海派遣軍ノコトニ関シ 十分ノ

熱意ヲ有セサルノ結果ナルヲ察ス

依テ本間第二部長ニ面會シテ之ニ関スル

予ノ意見ヲ接述シ 其研究ヲ促スト

共ニ 陸相ニ會見シテ右ノ事情ヲ述フ

ルト共ニ 更ニ左記要旨ノ意見ヲ

開陳 其熟慮ト努力ヲ希望

セリ

今ヤ時局ハ所謂 不拡大方針ヲ解

消シテ全面的解決ニ域ニ進ミアリ

即 對支全般的政策 幷 両軍ノ

作戦ニ就キ考フルニ 宜シク其全力

ヲ<挙ケテ>

 中支那 殊ニ南京政府ヲ其目標

トシ 武力的、経済的圧迫ニヨリ速ニ全

局ノ解決ニ邁進スヘキ秋トナレリ

我陸軍カ徒ラニ過去ノ行掛ニ捉ハレ

或ハ對露 乃至ハ爾餘ノ對外関係

ヲ過度ニ顧念シ 右顧左眄

断乎タル作戦ヲ回避スル如キハ

却テ将来ノ国策ヲ危地ニ陥ラシ

ムルモノ[✕ニシテ✕]ノミナラス 我陸軍ノ傳統

的精神ト作戦ノ方針ニ鑑ミルモ

所謂 速戦即決 重点把握主義

ニ基キ今後ノ作戦ヲ実行スルコト

極メテ肝要ナリ 此見地ニ基キ

山東ニ一師團ヲ派遣スルノ計画ノ

如キハ予ノ執ラサル所 山東ノ如キハ

一時 全然 之ヲ放棄スルモ我権

益ハ将来ニ於テ十分 之ヲ確保

スルコトヲ得ヘク 今ヤ[✕主力✕]

           要点作戦ノ目的

ニ向ヒ兵力ヲ使用スルコト緊要ナリ

以上ノ理由ニ基キ我軍ハ 速ニ南京ヲ

攻畧スルノ目的ヲ以テ中支地方ニ所要

ノ兵力(約五師團)ヲ派遣シ 一挙

南京政府ヲ覆滅スルヲ必要トス

而シテ南京政府ニ對スル壓迫ハ 一方

武力的強力ニ依ルノ外 経済、財政

的壓迫ヲ加フルコト更ニ有効ナリト

認メラル 此見地ニ基キ 支那沿岸

ヲ封鎖スルコトヲ得ハ最モ其目的ノ遂

行ヲ容易ナラシムヘク 之レカ為 我政府

ハ此際 支那ニ對シ宣戦スルコト寧

ロ有利ナリト考ヘラル 蓋シ宣戦ニ依

ル戦争状態ニ入ユコトハ 国際聯盟其

他ノ中立諸国ニタ對シ我國ノ受クル

不利益 固トヨリ尠カラサルヘキモ 之ニ依

テ今次ノ時局ヲ速ニ解決スルニ与テ

利益甚大タルコトヲ信ス

加之 此ニ更ニ考慮スヘキハ国内ノ情

勢ニアリ 目下 我朝埜ノ時局感ハ

極テ熾盛ナリト虽 今後 時日ノ経

過ニ伴ヒ自然 漸次 緊張ヲ失フヘ

キコト 前年ノ例ニ徴スルモ明カナル

ヲ以テ 能ク擧國 時局ニ對スル覚悟

ヲ鞏固ニシ動揺ナカラシムル為メニハ

宣戦ニ伴フ詔勅ノ降下ヲ待ツ

コト頗ル有効ナリ 加之 頃来 支那

ノ朝埜ハ近年ニ於ケル我 對支那

政策ノ發動ヲ軍部ノ陰謀的侵

略主義ニ依ルモノト誤認シ 之ヲ以テ

我挙国不動ノ政策ノ發現ト認

メアラサルハ 今次時変ノ根本的原

因トモ認ムヘク 此等ノ感情ハ英米

其他ノ諸列國ニ於テモ同様ナレハ

此際 更メテ 詔勅ニ依リ 我国策

ノ嚮フ所ヲ明ニシ 正義皇道ノ真精

神ヲ中外ニ宣布セラルヽコトハ

独リ對支那関係ノミナラス 一般

今後ノ国際関係上 極メテ有利

ナルヘケレハナリ 云々

以上ハ大体ニ於テ杉山陸相 個人的

ニ異存ナキ模様ナレト 参謀本部

ノ意嚮 之ニ伴ナサル為メ 未タ同意

ヲ表スルニ至ラス 却テ予ヨリ陸軍部外

ニ對スル此種ノ言動ヲ慎マレ度様

申サレ 其決意 甚タ足ラサルハ遺

憾トスル所ナリ

右終テ午後二時半 米内海相、参謀

軍令部總長ヲ訪問 挨拶ス 海

相ノ時局ニ関スル意見ハ上記 予ノ所見

ト殆ト所説ヲ同フスルハ 頗ル欣懐

トスル所ナリ 即 特ニ今後 政策

ノ指導ニ就キ盡力ヲ希望シ置ケ

軍令部總長殿下ニハ特ニ予ヲ引

見セラレ 優渥ナル御諚アリ 特ニ

陸海軍ノ協力ニ就テハ能フ限ノ

盡力ヲ惜マサルヘキ旨 力説セラレ

深ク感激ス

海軍大臣、軍令部次長ニ對シ

軍 今後ノ宣傳謀略ニ関シ海軍

トノ密接協同ノ必要ヲ述ヘ 海軍

ヨリ適当ノ人物ヲ軍司令部ニ

差獻セシメラレ度 犬塚大佐ノ如キ

最モ適任ナルヘシトノ希望ヲ述

ヘ 大体同意ヲ得タルハ併セテ

欣懐トスル所ナリ

 

   8月17日

 朝9時、有田元外相の申し出により東京倶楽部にて同氏と会見、そのいふところによれば、広田外相は上海における外国国際調和の目的をもつて有田氏を上海に派遣したき旨、昨日同氏に勧説せりとて、これに関する予の意見を求めんとするにあり。よつて予は、

目下、軍部の意向は上海における対支外交については極めて自重主義を取り、支那側の言説に惑わされざることを希望しあるにより、この際、有田氏の上海行きは、この見地に基づき、これ過早なりと認めらる。

なほ有田氏のごとき地位なるものが何ら公的の資格なくして上海に行くことは、返つて内外の疑惑を招く虞あり。行くならばむしろ公然、大使の資格にて川越に代ること可ならん。

と考へ 有田氏も大体同意を表せるにより、さらに予自ら広田外相と会見の上、改めて返答すべきを約せり。

 10時、宮中に参内し、左記、優渥なる勅語を賜ひ、なほ金千円、菓子1包を下賜せらる。天恩、感激に耐へず。

 問、朕、卿に委するに上海派遣軍の統率を以てす。宜しく宇内の大勢に鑑み速やかに敵軍を戡定し、皇軍の威武を中外に顕揚し、もつて予の倚信に応へよ。

 よつて左のごとく奉答す。臣石根、上海派遣軍司令官の大命を拝し、優渥なる勅語を賜ひ、恐懼感激の至に禁へず。畏みて聖旨を奉戴し、惟れ仁、惟れ威、克く皇軍の本領を発揮宣揚し、もつて宸襟を安じ奉らんことを期す。

 次いで陛下より、今後派遣軍の任務を達成する為めの方針いかんとの御下問ありたるにより、

 軍の任務上、特に密接に海軍と協同し、所在我が外務官憲は勿論、列国外交団ならびに列国軍との連繋を密にし協力、もつて速やかに上海付近の治安を回復せんことを期しある

旨、奉答せるに、御満足げに御嘉納あらせられ、退出せり。

 次いでさらに皇后陛下に謁を賜ひ、左の令旨を賜ふ。

 このたび派遣軍司令官の重任に膺ること御苦労に思ふ。特に身体の養生に注意し、その任を完ふせんことを望む。

 よつてほぼ前奉答と同様に奉答し、これまた御嘉納ありて、退出す。

 終つて賢所参謀長角副官を伴ひ参拝す。

 11時、寺内教育総監を総監部に訪問、挨拶を述べ、なほ今後対支政策、陸軍作戦に関する前期意見を開陳せるに、寺内大将は全然予の意見に同意し、今後、杉山陸相を鞭撻しその実行を努力すべき旨、約せり。

 11時40分、内閣総理大臣官邸を訪ひ、首相以下各閣僚に会見、挨拶を述べ、首相に対し前同様の意見を大要開陳せり。首相はこれに対し賛否を名言せざるも、大体意[→異?]義なき意向に認めらる。ただ体力·健康など果たして今後、重大なる時局を担任するに耐え得るや否、 卿が疑ひあらしめたるは遺憾なり。

 終つて閣僚と会食中、さらに時局に対する予の意見の一端を各閣僚に吹聴しつつ、さらに食後、広田首相に対し昨日有田氏の言につき予の意見を述べ、予の上海着後の形勢に応じさらに意見を開陳すべきにより、それまで本件を見合はせられたき旨、申し入れ、同意を得たり。

 また軍の宣伝·謀略機関に外務官憲の協同を希望し、大使館参事官および上海総領事らを軍司令部嘱託に充てられたき旨、申し入れ、これまた同意を得たり。

 午後2時、[大]亜細亜協会に至り、末次大将建川中将高木陸郎下中橋本西原らと会見、右時局に関する意見を述べ、その活動を希望せるに、末次氏はじめ全然同意にて、今後の努力を約せり、また予の出征不在中、末次氏に代理、協会の総締まりに当たらんことを申し出で、これまたその同意を得たり。

 なほ外相との会談に際し、予は上海における宣伝外交の任に当たるため佐藤安之助氏および萱野長知氏を使用したき腹案なる旨を予告するとともに、幸ひ列席の塩野法相に対し、予および広田氏より同人の保釈取扱ひの件に関し特別の取扱ひを希望し、その快諾を得たり。

 午後3時より幕僚と会し、一般の状勢および軍の受けたる命令および指示に関する打ち合はせをなし、予より左の諸項を当局に交渉方命ぜり。

1.宣伝·謀略機関として少なくも少将を長とする特別機関を設置したきこと。

2.右のため海軍、外務の協同を希望し、可能人員の軍司令部嘱託採用方を軍部より交渉し貰ふこと。

3.佐藤、萱野および岡田尚を軍司令部嘱託に採用方、取り計らはれたきこと。

4.軍の受けたる命令中、海軍との協定不満足にして、 ことに陸戦隊の指揮に関し不明瞭なる点あること。すなはち戦闘間、高級先任者の指揮に委ぬるとの意はこれを質し、一層指揮関係を明確にすべきこと。

 なほ今後、時局の推移とこれに応ずべき我が国策および陸軍の派遣方針に関する予の意見の大要を説述し、幕僚主役者の理解を促せり。

 付記

 本日御下賜の金品はこれを三分し、その一分を予自ら戴き、その一分を両師団長に、残余の一分を軍司令部職員一同に分配し、聖恩を頒たしめたり。

 

  八月十七日

朝九時 有田元外相ノ申出ニヨリ東京倶

楽部ニテ同氏ト會見 其云フ所ニ依レハ

広田外相ハ上海ニ於ケル外国々際調

和ノ目的ヲ以テ有田氏ヲ上海ニ派遣シ

度旨 昨日 同氏ニ勧説セリトテ 之ニ関スル

予ノ意見ヲ求メントスルニアリ 因テ予ハ

 目下 軍部ノ意嚮ハ 上海ニ於ケル對

 支外交ニ就テハ極メテ自重主義

 ヲ取リ 支那側ノ言説ニ惑ハサレ

 サルコトヲ希望シアルニヨリ 此際 有田

 氏ノ上海行キハ 此見地ニ基キ 之 過早

 ナリト認メラル

 尚 有田氏ノ如キ地位ナルモノカ何等 公

 的ノ資格ナクシテ上海ニ行クコトハ 返テ

 内外ノ疑惑ヲ招ク虞アリ 行クナラハ

 寧ロ公然 大使ノ資格ニテ川越

 ニ代ルコト可ナラン

ト考ヘ 有田氏モ大体 同意ヲ表セルニヨリ

更ニ予 自ラ広田外相ト會見ノ?上?

改メテ返答スヘキヲ約セリ

十時 宮中ニ参内シ左記 優渥

ナル勅語ヲ賜ヒ 尚 金千円 菓子一

包ヲ下賜セラル 天恩 感激ニ耐ヘス

 朕 卿ニ委スルニ 上海派遣軍ノ統

 率ヲ以テス 宜シク宇内ノ大勢ニ鑑

 ミ 速ニ敵軍ヲ戡定シ 皇軍

 ノ威武ヲ中外ニ顕揚シ 以テ

 予ノ倚信ニ應ヘヨ

依テ左ノ如ク奉答ス  臣 石根

 上海派遣軍司令官ノ大命ヲ拝

 シ 優渥ナル勅語ヲ賜ヒ 恐懼感

 激ノ至ニ禁ヘス 畏ミテ聖旨ヲ

 奉戴シ 惟レ仁 惟レ威 克ク

 皇軍ノ本領ヲ発揮宣揚シ

 以テ宸襟ヲ安シ奉ランコトヲ

 期ス

次テ陛下ヨリ今後派遣軍ノ任務ヲ

達成スル為メノ方針 如何トノ御下問

アリタルニ依リ

 軍ノ任務上 特ニ密接ニ海軍ト

 協同シ 所在我外務官憲ハ勿論

 列國外交團 幷 列国軍トノ連

 繫ヲ密ニシ 協力 以テ速ニ上海

 附近ノ治安ヲ恢復センコトヲ期

 シア[✕リ✕]ル

旨 奉答セルニ 御満足ケニ御嘉納アラセ

ラレ 退出セリ

次テ更ニ皇后陛下ニ謁ヲ賜ヒ左ノ

令旨ヲ賜フ

 此次 派遣軍司令官ノ重任ニ膺ル

 コト御苦労ニ思フ 特ニ身体ノ養

 生ニ注意シ 其任ヲ完フセンコトヲ望ム

依テ略 前奉答ト同様ニ奉答シ 是

亦 御嘉納アリテ 退出ス

終テ賢所ニ参謀長、角副官ヲ伴ヒ

参拝ス

十一時 寺内教育總监ヲ總监部ニ訪

問 挨拶ヲ述ヘ 尚 今後對支政策

陸軍作戦ニ関スル前期意見ヲ開

陳セルニ 寺内大将ハ全然 予ノ意見

ニ同意シ 今後 杉山陸相ヲ鞭撻シ

其実行ヲ努力スへキ旨 約セリ

十一時四十分 内閣総理大臣官邸訪

ヒ 首相以下各閣僚ニ會見 挨拶

ヲ述ヘ 首相ニ對シ前仝様ノ意見

ヲ大要 開陳セリ 首相ハ之ニ對シ賛

否ヲ名言セサルモ 大体 意義ナキ

意嚮ニ認メラル 唯 体力健康等

果シテ今後 重大ナル時局ヲ担任スルニ耐

エ得ルヤ否 卿カ疑アラシメタルハ遺憾

ナリ

終テ閣僚ト會食中 更ニ時局ニ對スル

予ノ意見ノ一端ヲ各閣僚ニ吹聴シツヽ

更ニ食後 広田首相ニ對シ昨日有田

氏ノ言ニ付 予ノ意見ヲ述ヘ 予ノ上海着

後ノ形勢ニ応シ 更ニ意見ヲ開陳

スヘキニ依リ 其迄本件ヲ見合セラレ度

旨申入 同意ヲ得タリ

又 軍ノ宣傳謀略機関ニ外務官憲

ノ協同ヲ希望シ 大使館参事官 及

上海總領事等ヲ軍司令部嘱托ニ

充テラレ度旨申入 是亦同意ヲ得

タリ

午後二時 亜細亜協会ニ至リ末次大将

建川中将、高木陸郎、下中、橋本

西原等ト會見 右時局ニ関スル意見

ヲ述ヘ其活動ヲ希望セルニ 末次氏始

全然同意ニテ 今後ノ努力ヲ約セリ

又 予ノ出征不在中 末次氏ニ代理 協會

総締リニ当ラレン事ヲ申出 是亦其

同意ヲ得タリ

尚 外相トノ會談ニ際シ 予ハ上海ニ於ケル

宣傳外交ノ任ニ当ル為メ 佐藤安之助

氏 及 萱野長知氏ヲ使用シ度腹

案ナル旨ヲ豫告スルト共ニ 幸ヒ列

席ノ塩埜法相ニ對シ 予 及 広田

氏ヨリ同人ノ保釈取扱ノ件ニ関シ

特別ノ取扱ヲ希望シ 其快諾ヲ

得タリ

午後三時ヨリ幕僚ニ會シ 一般ノ状勢

及 軍ノ受ケタル命令 及 指示ニ関スル

打合ヲ為シ 予ヨリ左ノ諸項ヲ当局ニ

交渉方 命セリ

一、宣傳謀略機関トシテ少クモ少将

  ヲ長トスル特別機関ヲ設置シ

  度事

二、右ノ為メ海軍、外務ノ協同ヲ希望シ

  可能人員ノ軍司令部嘱托採用

  方ヲ軍部ヨリ交渉シ貰フ事

三、佐藤、萱野 及 岡田尚ヲ軍司令

  部嘱托二採用方 取計ハレ度

  事

四、軍ノ受ケタル命令中 海軍トノ協定 不

  満足ニシテ 殊ニ陸戦隊ノ指揮権

  権ニ関シ不明瞭ナル点アル事 即 戦闘

  間 高級先任者ノ指揮ニ委ヌルトノ

  意ハ此ヲ質シ 一層 指揮関係ヲ明確

  ニスヘキ事

尚 今後 時局ノ推移ト之ニ応スネキ我

国策 及 陸軍ノ作戦方針ニ関

スル予ノ意見ノ大要ヲ説述シ 幕

僚主役者ノ理解ヲ促セリ

  付記

 本日御下賜ノ金品ハ之ヲ三分シ 其

 一分ヲ予 自ラ戴キ 其一分ヲ両師

 団長ニ 残余ノ一分ヲ軍司令部職員

 一同ニ分配シ 聖恩ヲ頒タシ

 メタリ

 

   8月18日

 朝9時半、軍司令部職員中既着のものおよび第3、第11師団より来たれる連絡参謀を集め、勅語奉読式を行ひ、 簡単なる司令部職員に対する予の訓示を与ふ。

 10時、平沼枢府議長をその私邸に訪問、今後の時局観、これに対する国策の確定、ことに宣戦およびこれに伴ふ詔勅の下降の件につき、意見を開陳し、同氏は全然予の所見に同意し、今後その実行につき努力すべきを約す。

 11時、軍司令部に本庄阿部両大将を招き、同様の所見を述べたるに、阿部大将はほぼ同意し、本庄大将はなほ不拡大主義を抱蔵せるの感あり。よつて今後さらに研究して我が陸軍当局今後の態度を指導せられたく依頼し、その目道[→途?]を得たり。

 正午、陸相官邸において3長官の送別宴あり。閑院宮殿下の台臨を得て、幕僚隷下、司令部員多数招致せられ 、陸相より挨拶あり。就中、時局はすでに不拡大方針を撤棄し全面的戦闘状態に入れる旨の語あるは、陸軍当局の意あるところやうやく強化しつつあるを感じ、予もこれに対し積極的上海方面作戦の要ある旨、言及し、政府と一般を激励するの意を諷す。

 終て別席において総長殿下に対し、結局、宣戦の必要なるの意を言上し置けり。

 午後3時、参謀本部次長および総務部長第1第2部長に会同を求め、前記の予の時局対策ならびに作戦に関する意見を赤裸々に開陳し、当局の意見を徴せるに、第1部長はじめ多く語らざるも、敢て予の意見に賛成の意向なきを確めたるにより、さらにその研究を促し置きたり。宣伝機関特設の件についても、在上海大使館付武官を中心とするに止め、直ちに予の意見に同意せず。

 要するに参謀本部上海派遣軍に対する意見はすべてはなはだ消極的にして、現在の状勢に適せざるははなはだ遺憾とする所なり。予はあらためて上海上陸後の状勢に応じ公式に意見を具申するに決し、大要、この非公式意見開陳に止めて東京を出発するに覚悟を定めたり。

 この夜、早川海城館において大亜細亜協会同人の送別会あり。会するもの20名、一同誠意誠心に予の出征を歓送するとともに、これによる時局の根本的解決と建設的事業の大成につき熱烈なる希望を抱けるは予の本懐とするところにして、予は深く同志の厚意を謝するとともに、今後の後援と国内朝野の指導に同志の尽力を期望せり。

 

  八月十八日

朝九時半 軍司令部職員中 既着ノモノ

及 㐧三、㐧十一師團ヨリ来レル連絡参

謀ヲ集メ 勅語奉読式ヲ行ヒ

簡単ナル司令部職員ニ對スル予

ノ訓示ヲ与フ

十時 平沼枢府議長ヲ其私邸ニ訪問

今後ノ時局観 之ニ對スル國策ノ確定

殊ニ宣戦 及 之ニ伴フ詔勅ノ下

降ノ件ニ付 意見ヲ開陳シ 同氏ハ

全然 予ノ所見ニ同意シ 今後 其実

行ニ付 努力スヘキヲ約ス

十一時 軍司令部ニ本庄、阿部両大将

ヲ招キ同様ノ所見ヲ述ヘタルニ 阿部

大将ハ略 同意シ 本庄大将ハ尚 不拡

大主義ヲ抱蔵セルノ感アリ 依テ今

後 更ニ研究シテ我陸軍當局 今

後ノ態度ヲ指導セラレ度 依頼

シ 其目道ヲ得タリ

正午 陸相官邸ニ於テ三長官ノ送別

宴アリ 閑院宮殿下ノ台臨ヲ得テ

幕僚隷下 司令部員 多数招致

セラレ 陸相ヨリ挨拶アリ 就中 時局

ハ既ニ不拡大方針ヲ撤棄シ全面

的戦斗状態ニ入レル旨ノ語アルハ 陸軍

當局ノ意アル処 漸ク強化シツヽアルヲ

感シ 予モ之ニ對シ積極的上海方面

作戦ノ要アル旨 言及シ 政府ト一般

ヲ激勵スルノ意ヲ諷ス

終テ別席ニ於テ總長殿下ニ對シ

結局 宣戦ノ必要ナルノ意ヲ言上シ

置ケリ

午後三時 参謀本部ニ次長 及 總務部長

㐧一、㐧二部長ニ會同ヲ求メ 前記ノ

予ノ時局対策 幷 作戦ニ関スル意見

ヲ赤裸々ニ開陳シ 當局ノ意見ヲ徴

セルニ 㐧一部長始 多ク語ラサルモ敢

テ予ノ意見ニ賛成ノ意嚮ナキヲ

確メタルニ依リ 更ニ其研究ヲ促シ

置キタリ

宣傳機関特設ノ件ニ就テモ 在上

海大使館附武官ヲ中心トスルニ止メ

真ニ予ノ意見ニ同意セス

要スルニ参謀本部ノ上海[✕方✕]派遣

軍ニ對スル意見ハ 凡テ甚タ消極

的ニシテ 現在ノ状勢ニ適セサルハ甚タ

遺憾トスル所ナリ 予ハ更メテ

海上陸後ノ状勢ニ応シ<公式ニ>

           意見ヲ具

申スルニ決シ 大要 此非公式意見

開陳ニ止メテ東京ヲ出発スルニ

覚悟ヲ定メタリ

此夜 早川海城舘ニ於テ大亜細亜

協会同人ノ送別会アリ 會スルモノ

二十餘名 一同 誠意誠心ニ予

ノ出征ヲ歓送スルト共ニ 之ニ依ル

時局ノ根本的解決ト建設的事

業ノ大成ニ就キ熱烈ナル希

望ヲ抱ケルハ 予ノ本懐トスル所

ニシテ 予ハ深ク同志ノ厚意ヲ謝

スルト共ニ 今後ノ後援ト国内朝埜

ノ指導ニ付 同志ノ尽力ヲ

期望セリ

 

   8月19日

 朝9時、家族ならびに参集せる親族一同に訣別し、征途に就く。

 10時、司令部員一同を帯同し明治神宮に参拝し、神明の加護を祈願し、正午、軍令部において一同会食、杯を挙げて大元帥陛下の万歳と派遣軍武運隆盛を祈る。

 0時半、参謀長以下司令部員約20名を帯同し、軍司令部を出発、途上、宮城を遥拝し東京駅に到る。

 近衛首相、陸海両相、大角大将内山両老将軍以下多数の出迎を受け、午後1時東京駅発、名古屋に向かふ。感慨転[うた]た深し。

 午後6時半、名古屋駅に着。藤田第3師団長、大岩市長等の出迎を受け、八勝館に投宿す。西原少将、相沢等、名古屋まで見送る。この夜、師団長に会し、第3師団動員状態の可良なるを聞き、安堵す。

 

  八月十九日

朝九時 家族 幷 参集セル親戚

一同ニ訣別シ 征途ニ就ク

十時 司令部員一同ヲ帯同シ 明治

神宮ニ參拝シ 神明ノ加護

ヲ祈願シ 正午 軍令部ニ於テ

一同会食 杯ヲ挙ケテ

 [✕天皇✕]大元帥陛下ノ萬歳ト

 派遣軍 武運隆盛ヲ祈ル

〇時半 参謀長以下 司令部員約

二十名ヲ帯同シ 軍司令部を出発

途上 宮城ヲ[搖?]拜シ 東京駅

ニ到ル

近ヱ首相、陸海両相、寺内總監、大角

大将、内山、柴 両老将軍以下

多数ノ見送ヲ受ケ 午後一時 東京

駅発 名古屋ニ向フ 感慨 轉タ

深シ

午後六時半 名古屋駅に着 藤田第三

師團長、大岩市長等ノ出迎ヲ

受ケ 八勝館ニ投宿ス 西原

少将、相澤等 名古屋迄 見送ル

此夜 師団長ニ會シ 第三師團 動員

状態ノ可良ナルヲ聞キ 安堵ス

 

   8月20日

 朝6時、八事山墓地に詣で、祖先および両親の霊に報告、加護を祈願し、三原、桜井、木村らの知己に告別す。

 午前7時、八勝館出発、熱田神宮に参拝、武運の隆盛を祈願し、9時、熱田埠頭出発、10時、軍艦足柄に乗艦、11時半抜錨、第3師団先遣隊とともに揚子江口に向かふ。

 昨日東京出発以来、沿線各駅における国民の熱誠なる出征部隊歓送の状を目撃し、今また我らの郷里名古屋港より、予の出身連隊たる歩兵第6連隊等の第3師団を率い、あはせてかねて2年間予の統率·訓練せし第11師団をも併せ率いてこの壮途に上るは、予の多年の心願と支那に関する抱負とに鑑み、快これに過ぐるものなく、心神自から鼓動を禁ぜず。伊藤次郎左衛門は予に刀一振りを贈り、関屋惣助、河野甚七らとともに埠頭に送る。

 午前11時半、第5戦隊は三木少将の指揮により、巡洋艦足柄、那智羽黒摩耶および第2水雷戦隊旗艦神通ほか駆逐艦10隻、1航陣となり堂々熱田を出航す。天気晴朗、一天の雲なく、微風わづかに床より来たり、吾らの軍司令部および第3師団長藤田中将の率ゆる第3師団の先遣隊(歩兵4大隊、砲1大隊を基幹とす)を征途に送る。

 午後2時、伊勢湾口に達す。乗員一同、遥かに伊勢神宮を遥拝し、武運の隆盛と加護を祈る。

 

  八月二十日

朝六時八事山墓地ニ詣テ祖先及両親ノ霊ニ報告加護ヲ祈願シ 三原、桜井、木村等ノ知己ニ告別ス

午前七時八勝館出発 熱田神宮ニ参拝武運ノ隆盛ヲ祈願シ 九時熱田埠頭出発 十時軍艦足柄ニ乗艦 十一時半抜錨第三師団先遣隊ト共ニ揚子江口ニ向フ

昨日東京出発以来 沿線各駅ニ於ケル国民ノ熱誠ナル出征部隊歓送ノ状ヲ目撃シ 今又我等ノ郷里名古屋港ヨリ 予ノ出身聯隊タル歩兵第六聯隊等ノ第三師団ヲ率ヒ 并セテ豫テ二年間予ノ統率訓練セシ第十一師団ヲモ併セ率ヒテ此壮途ニ上ルハ 予ノ多年ノ心願ト支那ニ関スル抱負トニ鑑ミ快コレニ過クルモノナク心神自ラ鼓動ヲ禁セス 伊藤次郎左衛門ハ予ニ刀一振ヲ贈リ関屋惣助、河野甚七等ト共ニ埠頭ニ送ル

午前十一時半第五戦隊ハ三木少将ノ指揮ニ依巡洋艦足柄、那智、羽黒、摩耶及第二水雷戦隊旗艦神通外駆逐艦十隻 一航陣トナリ堂々熱田ヲ出航ス 天気晴朗一天ノ雲ナク微風僅ニ床ヨリ来リ 吾等ノ軍司令部及第三師団長藤田中将ノ率ユル第三師団ノ先遣隊(歩兵四大隊、砲一大隊ヲ基幹トス)ヲ征途ニ送ル

午後二時伊勢湾口ニ達ス 乗員一同遥ニ伊勢神宮ヲ遥拝シ 武運ノ隆盛ト加護ヲ祈ル

 

   8月21日

 昨日来、平穏なる航行を続行す。やうやく東海に入るに従ひ風波いよいよ静かに、海面真に鏡のごとし。すなはち吟じて曰く、

  東海如磯航路易  和平来兮亜洲定

 三木司令官、武田艦長以下、懇切·誠実、輸送に任ず。感激やまず。午後、陸海全員乾杯して武運の隆昌を祈念す。

 夕陽漸に没するころ風波いよいよ静かに、あたかも十五夜の満月東天に登り、満星光を失ひ銀波翻々、爽快極まりなし。すなはち吟じて曰く、

  夜艨艟渡東海  満天明月思悠々

  宣揚皇道是此秋  十万豼貅四百州

 往年大正天皇御製に韻を奉ずるなり。

 書してもつて三木司令官、武田艦長に贈る。

 

   八月二十一日

昨日来平穏ナル航行ヲ続行ス 漸ク東海ニ入ルニ従ヒ風波愈々静ニ海面真ニ鏡ノ如シ 即句シテ曰ク

  東海如磯航路易  和平来兮亜洲定

三木司令官、武田艦長以下懇切誠実輸送ニ任ス 感激已マス 午後陸海全員乾杯シテ武運ノ隆昌ヲ祈念ス

夕陽漸ニ没スル頃風波愈々静ニ恰モ十五夜ノ満月東天ニ登リ 満星光ヲ失ヒ銀波翻々爽快極リナシ 即吟シテ曰ク

  夜駕艨艟渡東海  満天明月思悠々

  宣揚皇道是此秋  十万豼貅四百州

往年大正天皇御製ニ韻ヲ奉スル也

書シテ以テ三木司令官、武田艦長ニ贈ル

 

   8月22日

 朝2時、艦隊は馬鞍群島に入り、この地に仮泊す。

 小林海軍少将の率ゆる第9戦隊は、第11師団諸隊を搭載してすでに同錨地に先着しあり。ここに両師団の先遣諸隊が無事、江口に終結するを得たり。桜井大佐の率ゆる碇泊場部隊もまた昨日来、当地に着せり。午前6時、上海に先遣し第3艦隊と連絡し上陸計画に任ぜる西原大佐芳村中佐帰来し、報告するところあり。幕僚を会して上陸計画を検討す。

 昨日会場において幕僚間において研究せる上陸計画は、両師団を川沙鎮付近に併列上陸し、直接上海の背後およびその退路に作動して敵軍を捕捉せんとするにあり。しかるに西原大佐らの携へ来たれる上陸案は、第3師団を呉淞南方地区に、第11師団を川沙鎮付近に上陸せしめ、前後上海付近の敵軍を包囲攻撃せんとするにあり、呉淞付近の上陸は敵軍の中央に突入するものにして相当の困難を予想せらるるも、海軍陸戦隊約500の上陸掩護部隊と所在海軍艦船の援護射撃によりこれを強行せんとするにあり。

 幕僚の議、一決せず両論争ひしが、予は目下の情勢上、密接·直接に海軍と協力するの必要と、居留民の危急を速やかに直接救脱するの考慮とにより、大要、西原大佐の携行せる第2案を可なりと認め、これに採決を与へたり。けだし参謀長以下、支那情勢に通ぜざるものは、専ら大学校流の作戦を欲し、軍の現任務を軽視するの観あり。ことに支那軍を蔑視して専ら戦略的行動により敵を敗退せしめんと欲するも、これ支那軍の現状に通ぜざる結果にして、軍現在の兵力をもつて少なくも7個師団の支那軍に対する先遣部隊の行動として、あまりに理想に捉はれたるものにして、いはゆる敵を知り己を知り百戦殆からざるもの克く今日の状勢に適するものと認めたるによる。すなはち本計画により命令の作為に当たらしめ、午前9時、両師団長を軍艦足柄に招致しこれを下達するとともに、上記上陸計画に関する予の主旨を説明し、なほ相当、作戦の困難を予期し慎重これに当たるべき旨を訓示せり。また便衣隊および土民の対日感情に鑑み、将兵能く身辺の注意·警戒を忘るべからざること、水および耕作物の摂取に際する支那人の毒物投入につき十分の注意を与ふべき旨の注意を与へ、杯を挙げて両師団の武運の隆盛を祈り告別す。

 両師団長、ことに山室師団長は決意眉于に顕し、頗る緊張せる態度をもつて、万難を排して任務の達成を計るべきを誓ひ、勇躍辞去す。また藤田中将の悠々迫らざる態度もまた推賞に値す。

 午後3時、軍艦足柄を離れ巡洋艦神通に移乗し(第2水雷戦隊旗艦)夜9時碇地出航、揚子江を遡航、夜半、ビルブイ付近において駆逐艦綾波に転乗、遡航を続行す。

 両師団の部隊はそれぞれ馬鞍仮泊地において第1、第2水雷戦隊に移乗、午後5時以降、逐次、呉淞に向かひ遡航す。

 

  八月二十二日

朝二時艦隊ハ馬鞍群島ニ入リ此地ニ仮泊ス

小林海軍少将ノ率ユル第九戦隊ハ第十一師団諸隊ヲ搭載シテ既ニ同錨地ニ先着シアリ 此ニ両師団ノ先遣諸隊カ無事江口ニ終結スルヲ得タリ 桜井大佐ノ率ユル碇泊場部隊モ亦昨日来当地ニ着セリ 午前六時上海ニ先遣シ第三艦隊ト連絡シ上陸計画ニ任セル西原大佐、芳村中佐帰来シ報告スル所アリ 幕僚ヲ会シテ上陸計画ヲ検討ス

昨日会場ニ於テ幕僚間ニ於テ研究セル上陸計画ハ 両師団ヲ川沙鎮附近ニ併列上陸シ 直接上海ノ背後及其退路ニ作動シテ敵軍ヲ捕捉セントスルニ在リ 然ルニ西原大佐等ノ携ヘ来レル上陸案ハ 第三師団ヲ呉淞南方地区ニ 第十一師団ヲ川沙鎮附近ニ上陸セシメ 前後上海附近ノ敵軍ヲ包囲攻撃セントスルニ在リ 呉淞付近ノ上陸ハ敵軍ノ中央ニ突入スルモノニシテ相当ノ困難ヲ予想セラルルモ 海軍陸戦隊約五百ノ上陸掩護部隊ト所在海軍艦船ノ援護射撃ニ依リ之ヲ強行セントスルニ在リ

幕僚ノ議一決セス両論争ヒシカ 予ハ目下ノ情勢上密接直接ニ海軍ト協力スルノ必要ト 居留民ノ危急ヲ速ニ直接救脱スルノ考慮トニ依リ 大要 西原大佐ノ携行セル第二案ヲ可ナリト認メ之二採決ヲ与ヘタリ 蓋シ参謀長以下支那情勢ニ通セサルモノハ 専ラ大学校流ノ作戦ヲ欲シ軍ノ現任務ヲ軽視スルノ観アリ 殊ニ支那軍ヲ蔑視シテ専ラ戦略的行動ニヨリ敵ヲ敗退セシメント欲スルモ 是レ支那軍ノ現状ニ通セサル結果ニシテ 軍現在ノ兵力ヲ以テ少クモ七個師団ノ支那軍ニ対スル先遣部隊ノ行動トシテ 余リニ理想ニ捉ハレタルモノニシテ 所謂 敵ヲ知リ己ヲ知リ百戦殆カラサルモノ克ク今日ノ状勢ニ適スルモノト認メタルニ由ル 即本計画ニ依リ命令ノ作為ニ当ラシメ 午前九時両師団長ヲ軍艦足柄ニ招致シ之ヲ下達スルト共ニ上記上陸計画ニ関スル予ノ主旨ヲ説明シ 尚相当作戦ノ困難ヲ予期シ慎重之ニ当ルヘキ旨ヲ訓示セリ 又便衣隊及土民ノ対日感情ニ鑑ミ 将兵能ク身辺ノ注意警戒ヲ忘ル可カラサルコト 水及耕作物ノ摂取ニ際スル支那人ノ毒物投入ニ付十分ノ注意ヲ与フへキ旨ノ注意ヲ与へ 杯ヲ挙ケテ両師団ノ武運ノ隆盛ヲ祈リ告別ス

両師団長殊ニ山室師団長ハ決意眉于ニ顕シ頗ル緊張セル 態度ヲ以テ 万難ヲ排シテ任務ノ達成ヲ計ルヘキヲ誓ヒ勇躍辞去ス 又藤田中将ノ悠々迫ラサル態度モ亦推賞ニ値ス

午後三時軍艦足柄ヲ離レ巡洋艦神通ニ移乗シ(第二水雷戦隊旗艦)夜九時碇地出航揚子江ヲ遡航 夜半ビルブイ附近ニ於テ駆逐艦綾波ニ転乗遡航ヲ続行ス

両師団ノ部隊ハ夫々馬鞍仮泊地ニ於テ第一第二水雷戦隊ニ移乗 午後五時以降逐次呉淞ニ向ヒ遡航ス

 

   8月23日

 朝2時第8戦隊旗艦由良に移乗、呉淞錨知に到る。司令官南雲少将は先年来亜細亜協会における同志にして旧知の人にして、同少将は本上陸作戦において同戦隊および第1水雷戦隊を指揮して直接、軍に協力することとなり、公私ともすこぶる好都合なり。

 かくて幕僚を伴ひ艦橋に登り両師団上陸の状勢を観察す。このころより両上陸地付近に猛烈なる砲声起こる。呉淞鎮付近には火災の起こるあり、これ我が援護艦隊の砲撃にして、海軍は昨日午後すでに右両上陸地付近を砲撃·爆撃し、また上海七了口付近ならびに杭州乍浦沿岸に達し陽動を行ひたりしが、本朝また直接上陸戦闘に協力するため本砲撃を開始せるものにして、ことに第3師団上陸直接援護として陸戦隊500を派遣、協力せるなど、熱誠なる行動に対しては感激の至りなり。

 第3師団は午前3時より陸戦隊(歩43[歩兵第43連隊]の1中隊を付す)の掩護により上陸を開始し、敵の歩兵約2中隊(砲兵を付す)の抵抗を排して逐次上陸を敢行し、午前8時、師団司令部の上陸を最後に第1次輸送隊の上陸を了る。第2次部隊は午後10時ごろ続いて呉淞桟橋に上陸す。

 第11師団は午前2時上陸開始の予定なりしが、約2時間遅れ(移乗その他の事情のため)午前3時50分より上陸を開始し、同7時ごろ第1次輸送部隊をもつて川沙鎮両側地区の浅岸に上陸を敢行す。後は微弱なる敵の抵抗ありしのみなりしが、第二次部隊は本日中、未だ来着せず。

 これを要するに敵の抵抗はその兵力多からざるも、両方面ともすこぶる勇敢に戦闘し、多くの死者を遺棄して退却し、我が方の損害は両師団を合し死傷40余名にして、とにかく両方面とも予定の上陸に成功したるは将兵の勇敢に頼りしは勿論なれども、先日来、天候極めて可良にして、また汐時も満潮時を利用し得たるによるものにして、ひとへに天祐に頼るものと感激するところなり。

 この日、両師団はつひに予定の線にまで占領するに至らざりしが、それぞれ上陸地の前方に確実なる地歩を獲得し、爾後の攻撃を準備するを得たり。

 よつて右上陸の成功を取り敢へず参謀総長に報告するとともに、第3艦隊長官に対し協力に関する感謝の電報を発し、両師団には各々その成功を祝すとともに、幕僚一同とともに盃を挙げて第元帥陛下の万歳を三唱せり。

 

  八月二十三日

朝二時第八戦隊旗艦由良ニ移乗呉淞錨知ニ到ル 司令官南雲少将ハ先年来亜細亜協会ニ於ケル同志ニシテ旧知ノ人ニシテ 同少将ハ本上陸作戦ニ於テ同戦隊及第一水雷戦隊ヲ指揮シテ直接軍ニ協力スルコトトナリ 公私共頗ル好都合ナリ

此クテ幕僚ヲ伴ヒ艦橋ニ登リ両師団上陸ノ状勢ヲ観察ス 此頃ヨリ両上陸地附近ニ猛烈ナル砲声起ル 呉淞鎮附近ニハ火災ノ起ルアリ 是レ我援護艦隊ノ砲撃ニシテ 海軍ハ昨日午後既ニ右両上陸地附近ヲ砲撃、爆撃シ 又上海七了口附近并杭州湾乍浦沿岸ニ達シ陽動ヲ行ヒタリシカ 本朝又直接上陸戦闘ニ協力スル為メ本砲撃ヲ開始セルモノニシテ 殊ニ第三師団上陸直接援護トシテ陸戦隊五百ヲ派遣協力セル等 熱誠ナル行動ニ対シテハ感激ノ至ナリ

第三師団ハ午前三時ヨリ陸戦隊(歩43ノ一中隊ヲ付ス)ノ掩護ニ依リ上陸ヲ開始シ 敵ノ歩兵約二中隊(砲兵ヲ付ス)ノ抵抗ヲ排シテ逐次上陸ヲ敢行シ 午前八時師団司令部ノ上陸ヲ最後ニ第一次輸送隊ノ上陸ヲ了ル 第二次部隊ハ午後十時頃続テ呉淞桟橋ニ上陸ス

第十一師団ハ午前二時上陸開始ノ予定ナリシカ 約二時間遅レ(移乗其他ノ事情ノ為メ)午前三時五十分ヨリ上陸ヲ開始シ 同七時頃第一次輸送部隊ヲ以テ川沙鎮両側地区ノ浅岸ニ上陸ヲ敢行ス 後ハ微弱ナル敵ノ抵抗アリシノミナリシカ 第二次部隊ハ本日中未タ来着セス

要之敵ノ抵抗ハ其兵力多カラサルモ 両方面共頗ル勇敢ニ戦闘シ 多クノ死者ヲ遺棄シテ退却シ 我方ノ損害ハ両師団ヲ合シ死傷四十余名ニシテ 兎ニ角両方面共予定ノ上陸ニ成功シタルハ将兵ノ勇敢ニ頼リシハ勿論ナレトモ 先日来天候極メテ可良ニシテ又汐時モ満潮時ヲ利用シ得タルニ由ルモノニシテ 偏ニ天祐ニ頼ルモノト感激スル所ナリ

此日両師団ハ遂ニ予定ノ線ニ迄占領スルニ至ラサリシカ 夫々上陸地ノ前方ニ確実ナル地歩ヲ獲得シ 尓後ノ攻撃ヲ準備スルヲ得タリ

仍テ右上陸ノ成功ヲ不取敢参謀総長ニ報告スルト共ニ 第三艦隊長官ニ対シ協力ニ関スル感謝ノ電報ヲ発シ 両師団ニハ各々其成功ヲ祝スト共ニ 幕僚一同ト共ニ盃ヲ挙ケテ第元帥陛下ノ万歳ヲ三唱セリ

 

   8月24日

 早朝、旗艦由良は呉淞錨地を出港せしめ川沙鎮に遡航し、第11師団方面の戦況ならびに上陸の状況を視察し、軍参謀を師団司令部に派して直接連絡を行はしむ。

 第11師団第2次部隊は昨夜半、錨地に到着せしも、上陸地付近は遠浅のため毎満潮時3~4時間ぐらいのほかは舟艇の接岸に適せず、自然、諸隊の揚陸遅延し、この日中、第2次部隊の人員約8割を揚陸せしに過ぎず。諸材料ならびに弾薬、糧食等はわづかに所要の一部を揚陸せしめたるのみ。ことに上陸地付近の土民はほとんど避難し、残留者の態度はなはだしく疑はしく、いはゆる便衣隊の残留して狙撃を行ふなどあり、師団の前進に伴ふ後方連絡·補給、極めて容易ならず。やむなく海軍より人夫を借用して輸送に当たらしめんとするも、人員寡少にしてその効程見るべきなく、ここに折角敵の背後に上陸せし師団も、速やかにその前進を起こすこと能はざるは、すこぶる遺憾とするところにして、要は揚陸および補給に必要なる人員·材料の準備はなはだ不備なりしに起因するものなり。

 第3師団は未明の逆襲を受けたること2回に及びしも、能くこれを撃退し、夕刻までに概ね予定の線に前進するを得たるも、呉淞鎮家屋に堅固なる陣地を有する少数の敵は砲若干とともに依然、同地付近を占領し、第3師団部隊を側射し、行動容易ならざるのみならず、黄浦江口出入の小艇に対し狙撃を試むるなどあり、なほ対岸浦東地区にも所在不明の砲兵ありて、時々後方より我が軍を射撃し、師団の運動を著しく妨害し連絡線を脅威しつつあり。

 かくて予は由良にありて夕刻再び呉淞錨地に帰来、仮泊す。

   

  八月二十四日

早朝旗艦由良ハ呉淞錨地ヲ出港セシメ川沙鎮ニ遡航シ 第十一師団方面ノ戦況并上陸ノ状況ヲ視察シ、軍参謀ヲ師団司令部ニ派シテ直接連絡ヲ行ハシム

第十一師団第二次部隊ハ昨夜半錨地ニ到着セシモ 上陸地附近ハ遠浅ノ為メ毎満潮時三四時間位ノ外ハ舟艇ノ接岸ニ適セス 自然諸隊ノ揚陸遅延シ此日中第二次部隊ノ人員約八割ヲ揚陸セシニ過キス 諸材料并弾薬、糧食等ハ僅ニ所要ノ一部ヲ揚陸セシメタルノミ 殊ニ上陸地附近ノ土民ハ殆ト避難シ 残留者ノ態度甚タシク疑ハシク 所謂便衣隊ノ残留シテ狙撃ヲ行フナトアリ 師団ノ前進ニ伴フ後方連絡補給極メテ容易ナラス 已ムナク海軍ヨリ人夫ヲ借用シテ輸送ニ当ラシメントスルモ 人員寡少ニシテ其効程見ルヘキナク 此ニ折角敵ノ背後ニ上陸セシ師団モ 速ニ其前進ヲ起スコト能ハサルハ頗ル遺憾トスル処ニシテ 要ハ揚陸及補給ニ必要ナル人員材料ノ準備甚タ不備ナリシニ起因スルモノナリ

第三師団ハ未明ノ逆襲ヲ受ケタルコト二回ニ及ヒシモ 能ク之ヲ撃退シ夕刻迄ニ概ネ予定ノ線ニ前進スルヲ得タルモ 呉淞鎮家屋ニ堅固ナル陣地ヲ有スル少数ノ敵ハ砲若干ト共ニ依然同地附近ヲ占領シ 第三師団部隊ヲ側射シ行動容易ナラサルノミナラス 黄浦江口出入ノ小艇ニ対シ狙撃ヲ試ムルナトアリ 尚対岸浦東地区ニモ所在不明ノ砲兵アリテ 時々後方ヨリ我軍ヲ射撃シ師団ノ運動ヲ著ク妨碍シ連絡線ヲ脅威シツツアリ

此クテ予ハ由良ニ在リテ夕刻再ヒ呉淞錨地ニ帰来仮泊ス

 

   8月25日

 この日、呉淞錨地に止まり両師団戦況の発展を待つ

 第11師団は歩43(Ⅲ欠)[歩兵第43連隊(第3大隊欠)]をもつて昨日夕、瀏家鎮を占領し、爾余の主力をもつて川沙鎮根拠地より昨日午後以来、羅店鎮に向かひ前進し、昨夜、羅店鎮北邦地区において相応の兵力を擁する敵の逆襲に遭ひこれを撃退し、本朝来さらに前進を続行し、正午、羅店鎮を占領するを得たり。一部をして劉家行方向に敗敵約300を追撃せしめ、主力をもつて嘉定の攻撃を準備しつつあり。

 昨日上海上陸未済の人馬·材料は、揚陸材料の不足と遠浅のための困難に闘ひつつ、この日中、人員の全部を揚陸せしめ、今朝来続いて錨地に着せる人馬の揚陸を続行す。

 よつて軍は第11師団に命じ速やかに嘉定を攻撃すべきを命ぜり。

 第11師団の上陸以来の死傷は約四百□□名にして、師団参謀下坂少佐は上陸直後、敵飛行機の爆撃の為め戦死し、師団長以下、土塊を冠れりといふ。

 第3師団は昼夜、間断なく攻撃を続行し、漸次、黄浦江岸に沿ふ地域において戦線を前進せしめ得たり。しかれども呉淞鎮付近を死守せる敵の歩·砲兵は依然師団の背後より射撃し、なほ前面の敵は此日午後に至つて再び兵力を増加して攻撃し来たるあり、自然、死傷続出し、上陸以来、戦死100余名、死傷総計300名に達せり。

 当面の敵の兵力未詳なるも、呉淞西南、江湾鎮を中心とせる地区に現在するもの約20,000にして、さらに敵は閘北東端より大場鎮に亘る陣地を占領しあるもののごとく、なほその西方、南翔鎮付近にも陣地あるもののごとく、その一部は昨日来、嘉定方面に増援せられつつあるごとし。

 かくて第3師団は呉淞鎮攻撃をこの日夜、つひに決行するを得ず。

 

  八月二十五日

此日呉淞錨地ニ止リ両師団戦況ノ発展ヲ待ツ

第十一師団ハ歩43(Ⅲ欠)ヲ以テ昨日夕瀏家鎮ヲ占領シ 尓余ノ主力ヲ以テ川沙鎮根拠地ヨリ昨日午後以来羅店鎮ニ向ヒ前進シ 昨夜羅店鎮北邦地区ニ於テ相応ノ兵力ヲ擁スル敵ノ逆襲ニ遭ヒ之ヲ撃退シ 本朝来更ニ前進ヲ続行シ正午羅店鎮ヲ占領スルヲ得タリ 一部ヲシテ劉家行方向ニ敗敵約三百ヲ追撃セシメ 主力ヲ以テ嘉定ノ攻撃ヲ準備シツツアリ

昨日上海上陸未済ノ人馬材料ハ 揚陸材料ノ不足ト遠浅ノ為メノ困難ニ闘ヒツツ此日中人員ノ全部ヲ揚陸セシメ  今朝来続テ錨地ニ著セル人馬ノ揚陸ヲ続行ス

仍テ軍ハ第十一師団ニ命シ速ニ嘉定ヲ攻撃スヘキヲ命セリ

第十一師団ノ上陸以来ノ死傷ハ約四百□□名ニシテ 師団参謀下坂少佐ハ上陸直後 敵飛行機ノ爆撃ノ為メ戦死シ 師団長以下土塊ヲ冠レリト云フ

第三師団ハ昼夜間断ナク攻撃ヲ続行シ 漸次黄浦江岸ニ沿フ地域ニ於テ戦線ヲ前進セシメ得タリ 然レトモ呉淞鎮附近ヲ死守セル敵ノ歩砲兵ハ依然師団ノ背後ヨリ射撃シ 尚前面ノ敵ハ此日午後ニ至テ再ヒ兵力ヲ増加シテ攻撃シ来ルアリ 自然死傷続出シ上陸以来戦死百余名 死傷総計三百名ニ達セリ

当面ノ敵ノ兵力未詳ナルモ呉淞西南江湾鎮ヲ中心トセル地区ニ現在スルモノ約二万ニシテ更ニ敵ハ閘北東端ヨリ大場鎮ニ亘ル陣地ヲ占領シアルモノノ如ク 尚其西方南翔鎮附近ニモ陣地アルモノノ如ク 其一部ハ昨日来嘉定方面ニ増援セラレツツアル如シ

此クテ第三師団ハ呉淞鎮攻撃ヲ此日夜遂ニ決行スルヲ得ス

 

    8月26日

 この日、依然呉淞錨地にありて、両師団戦況の発展と後続人馬の揚陸を督励区署す。

 第11師団の戦況

 第11師団が一昨年来すでに羅点鎮を占領せりとの報は誤報にして、この日正午ごろ、43 i (Ⅲ欠)[歩兵第43連隊(第3大隊欠)]はなほ瀏家鎮南方地区において敵兵約2連隊(捕虜の言にして過大ならん)となほ交戦中にして、師団の主力も同時ごろ、なほ羅点鎮付近にある兵力未詳の敵に対し攻撃中なるを知る。師団の前進は後方補給の困難なることもまた遅滞の一因なり。

 よつて碇泊場司令部を督励し、上海より小蒸汽、ライターおよび人夫を徴発し揚陸および陸路の輸送に努む。幸ひ昨夜来、先遣隊残留人馬および輜重の一部到着せるをもつて、その協力により夕刻ごろより揚陸効程を増加し、連絡線の補給も容易となりつつあり。

  なほこの師団の動員人馬はこの日夕刻その一部を錨地に到着し、漸次師団兵力を増加するに至る。

 第3師団の戦況

 第3師団は依然昨日来の陣地にありて戦線を保持し、わづかに西方正面においてその戦線を進め得たるほか、江岸に沿ふ前進も昨日報告のごとく意のごとく進捗せず。

 ことに呉淞鎮付近の状況、依然とし、間断なく背後より脅威を受けあるも、師団の現況は未だ直ちに同地を攻撃する能はず。これがため揚陸地付近もしはしば敵の攻撃を受け、今後の揚陸に支障あるをもつて、第3師団を督励して呉淞鎮を攻撃せしめんとし、なほ成し得れば海軍陸戦隊の協力を得るため海軍側の意向を質しつつあり。師団正面の敵は計約1師団にして、江湾鎮付近のものを合すれば約2師団内外なるべし。

 これがため幕僚中には第11師団の一部をもつて呉淞鎮攻撃に協力せしめんとの意見あるも、これ過早に根本的作戦方針を動揺せしむるものなるをもつて、これを採用せず。依然第3師団をして海軍の協力(あるいは多分艦砲援助のみならん)によりこれを奪取するの方針を継続し、これが準備のため時日の遷遠はやむなきこととせり。

 これを要するに呉淞鎮の攻撃は、軍幕僚始め往年下元旅団の失敗の歴史などを思ひ、やや臆病に過ぐる感あり、師団も前面の敵情を奔命し速やかに呉淞鎮を攻撃するの意気乏しき感あるをもつて、いささかこれを激励するの要を認めたる次第なり。

 参謀総長陸軍大臣小磯朝鮮香月北支那司令官より上陸戦闘成功の祝電を受く。

 またこの日、廟議に依り、山東省における軍の作戦を止め、青島諸住民は要すれば撤去のことに決したる旨、 海軍へ入電あり。また参謀本部より北支作戦を迅速に解決する目的をもつて方面軍を編成し(寺内大将司令官)新たに16D[第16師団]および特設108·、109の3師団を派遣し、第1軍(香月)、第2軍(西尾)を編成することに決したる旨、電報あり。

 当軍に対しては昨日さらに重砲兵および攻城砲の一部を増加するの入電ありたるも、第11師団の1連隊および第14師団についてはなほ何らの電示なし。参謀本部はなほ当軍の兵力増加の意、決せざるもののごとく、況んや根本的対支作戦の方針としては依然、北支に重点を置くの意、変らざるものと思はれ、当局の固執せる作戦方針の持続に関し少なからず遺憾の念に禁ぜず。よつて原田少将をして大使館付き武官の見地において、当方面の敵情判断につき意見を当局に打電せしむる様、申し含めたり。けだし予は江南地方における支那軍の作戦に相当攻勢的意志あるものと判断したればなり。

 

  八月二十六日

此日依然呉淞錨地ニ在リテ 両師団戦況ノ発展ト後続人馬ノ揚陸ヲ督励・区署ス

第十一師団ノ戦況

第十一師団カ一昨年来既二羅点鎮ヲ占領セリトノ報ハ誤報ニシテ 此日正午頃 43 i (Ⅲ欠)ハ尚瀏家鎮南方地区ニ於テ 敵兵約二聯隊(捕虜ノ言ニシテ過大ナラン)ト尚交戦中ニシテ 師団ノ主力モ同時頃尚羅点鎮附近ニアル兵力未詳ノ敵ニ対シ攻撃中ナルヲ知ル 師団ノ前進ハ後方補給ノ困難ナルコトモ亦遅滞ノ一因ナリ

仍テ碇泊場司令部ヲ督励シ 上海ヨリ小蒸汽、ライター及人夫ヲ徴発シ揚陸及陸路ノ輸送ニ努ム 幸ヒ昨夜来先遣隊残留人馬及輜重ノ一部到着せセルヲ以テ 其協力ニ依リ夕刻頃ヨリ揚陸効程ヲ増加シ 連絡線ノ補給モ容易トナリツツアリ

尚此師団ノ動員人馬ハ此日夕刻其一部ヲ錨地ニ到着シ 漸次師団兵力ヲ増加スルニ至ル

第三師団ノ戦況

第三師団ハ依然昨日来ノ陣地ニ在リテ戦線ヲ保持シ 僅ニ西方正面ニ於テ其戦線ヲ進メ得タル外 江岸ニ沿フ前進モ昨日報告ノ如ク意ノ如ク進捗セス

殊ニ呉淞鎮附近ノ状況依然トシ 間断ナク背後ヨリ脅威ヲ受ケアルモ師団ノ現況ハ未タ直ニ同地ヲ攻撃スル能ハス 之カ為メ揚陸地附近モ屢々敵ノ攻撃ヲ受ケ今後ノ揚陸ニ支障アルヲ以テ 第三師団ヲ督励シテ呉淞鎮ヲ攻撃セシメントシ 尚成シ得レハ海軍陸戦隊ノ協力ヲ得ル為メ海軍側ノ意嚮ヲ質シツツアリ 師団正面ノ敵ハ計約一師団ニシテ江湾鎮附近ノモノヲ合スレハ約二師団内外ナルへシ

之レカ為メ幕僚中ニハ第十一師団ノ一部ヲ以テ呉淞鎮攻撃ニ協力セシメントノ意見アルモ 是レ過早ニ根本的作戦方針ヲ動揺セシムルモノナルヲ以テ之ヲ採用セス 依然第三師団ヲシテ海軍ノ協力(或ハ多分艦砲援助ノミナラン)ニヨリ之ヲ奪取スルノ方針ヲ継続シ 之レカ準備ノ為メ時日ノ遷遠ハ已ムナキコトトセリ

要之呉淞鎮ノ攻撃ハ軍幕僚始メ往年下元旅団ノ失敗ノ歴史ナトヲ思ヒ稍臆病ニ過クル感アリ 師団モ前面ノ敵情ヲ奔命シ速ニ呉淞鎮ヲ攻撃スルノ意気乏シキ感アルヲ以テ 聊カ之ヲ激励スルノ要ヲ認メタル次第ナリ

参謀総長陸軍大臣、小磯朝鮮、香月北支那司令官ヨリ上陸戦闘成功ノ祝電ヲ受ク

又此日廟議ニ依リ山東省ニ於ケル軍ノ作戦ヲ止メ 青島諸住民ハ要スレハ撤去ノコトニ決シタル旨 海軍へ入電アリ 又参謀本部ヨリ北支作戦ヲ迅速ニ解決スル目的ヲ以テ方面軍ヲ編成シ(寺内大将司令官)新ニ16D及特設108·[109]ノ三師団ヲ派遣シ 第一軍(香月)第二軍(西尾)ヲ編成スルコトニ決シタル旨電報アリ

当軍ニ対シテハ昨日更ニ重砲兵及攻城砲ノ一部ヲ増加スルノ入電アリタルモ 第十一師団ノ一聯隊及第十四師団ニ就テハ尚何等ノ電示ナシ 参謀本部ハ尚当軍ノ兵力増加ノ意 決セサルモノノ如ク 況ヤ根本的対支作戦ノ方針トシテハ依然 北支ニ重点ヲ置クノ意 変ラサルモノト思ハレ 当局ノ固執セル作戦方針ノ持続ニ関シ 不少 遺憾ノ念ニ禁セス 仍テ原田少将ヲシテ大使館附武官ノ見地ニ於テ 当方面ノ敵情判断ニ就キ意見ヲ当局ニ打電セシムル様 申含メタリ 蓋シ予ハ江南地方ニ於ケル支那軍ノ作戦ニ相当攻勢的意志アルモノト判断シタレハナリ

 

   8月27日

 この日、依然、呉淞錨地にありて後続人馬の来着を俟つ。

 第11師団方面の戦況

 第11師団は依然、昨日来の線において後方補給の整備を俟ちつつ、主として敵情の偵察をなす。

 羅店鎮には相応の防御設備あり。なほこの地および嘉定県城に対して敵軍、漸次兵力を増進しつつあるも、その兵力未詳。

 この日、各部隊の大小行李人馬はほとんど上陸を了り、さらに騎兵中隊も上陸を了り、輜重1中退も本夜泊地に到着の予定。

 なほ本日、第11師団より帰来せる軍参謀の言に依れば、去る25日、我工兵中隊は一時、羅店鎮に侵入するを得たるも、敵の攻撃に遭ひ敗退したるものにして、補給の不十分に伴ふ歩兵隊の前進遅れたるためこの不覚を取りたるは遺憾なり。

 なほ第一線部隊はすでに携帯口糧を使用し尽くし、人家より米の若干を徴発し、粥などを食しありといふ。

 第3師団方面の戦況

 第3師団も依然、昨日来の陣地に在りて敵情の偵察をなす。それぞれこの師団前面の敵の攻撃はやや緩和せるもののごとく、左翼方面においては殷行鎮を占領し、その戦線を若干前進せしめたるも、この方面において過早の前進は徒らに戦線を拡大するに過ぎざるをもつて注意を与へしめたり。

 呉淞鎮およびその西方地区には敵兵若干増加の模様あり、師団はこの方面の敵を攻撃するため準備中なるも、未だ成案を得るに至らざるは遺憾なり。

 海軍より陸戦隊の一部を増援せしめたき希望なるも、これまた今日のところ実行不能の状勢なり。

 この日までにおける師団の死傷は約500を算し、死者、割合に多し。

 この日、68 i [歩兵第68連隊]の人馬、連隊砲等の一部来着、陸揚を了り、漸次、兵力を増しつつあり。  

 

  八月二十七日

此日 依然 呉淞錨地ニアリテ後続人馬ノ来着ヲ俟ツ

第十一師団方面ノ戦況

第十一師団ハ依然 昨日来ノ線ニ於テ後方補給ノ整備ヲ俟チツツ 主トシテ敵情ノ偵察ヲナス

羅店鎮ニハ相応ノ防御設備アリ 尚 此地 及 嘉定県城ニ対シテ敵軍 漸次 兵力ヲ増進シツツアルモ 其兵力未詳

此日 各部隊ノ大小行李人馬ハ殆ト上陸ヲ了リ 更ニ騎兵中隊モ上陸ヲ了リ 輜重一中退モ本夜 泊地ニ到着ノ予定

尚 本日 第十一師団ヨリ帰来セル軍参謀ノ言ニ依レハ 去二十五日 我工兵中隊ハ一時 羅店鎮ニ侵入スルヲ得タルモ 敵ノ攻撃ニ遭ヒ敗退シタルモノニシテ 補給ノ不十分ニ伴フ歩兵隊ノ前進遅送レタル為メ此不覚ヲ取リタルハ遺憾ナリ

尚 第一線部隊ハ既ニ携帯口糧ヲ使用シ尽シ 人家ヨリ米ノ若干ヲ徴発シ 粥ナトヲ食シアリト云

第三師団方面ノ戦況

第三師団モ依然 昨日来ノ陣地ニ在リテ敵情ノ偵察ヲナス 夫々此師団前面ノ敵ノ攻撃ハ稍ヤ緩和セルモノノ如ク 左翼方面ニ於テハ殷行鎮ヲ占領シ其戦線ヲ若干前進セシメタルモ 此方面ニ於テ過早ノ前進ハ徒ラニ戦線ヲ拡大スルニ過キサルヲ以テ注意ヲ与ヘシメタリ

呉淞鎮 及 其西方地区ニハ敵兵若干増加ノ模様アリ 師団ハ此方面ノ敵ヲ攻撃スル為準備中ナルモ 未タ成案ヲ得ルニ至ラサルハ遺憾ナリ

海軍ヨリ陸戦隊ノ一部ヲ増援セシメ度希望ナルモ 是亦今日ノ処 実行不能ノ状勢ナリ

此日迄ニ於ケル師団ノ死傷ハ約五百ヲ算シ 死者 割合ニ多シ

此日68 i ノ人馬、聯隊砲等ノ一部来著 陸揚ヲ了リ漸次 兵力ヲ増シツツアリ 

 

   8月28日

 この日、依然呉淞錨地にあり。

 第11師団の戦況

 第11師団は今朝来、海軍の爆撃に次ぎ午前8時より羅店鎮の攻撃を開始し、正午、同地占領し、同鎮西方·南方地区を占領し、爾後の前進を準備す。

 敵は主力をもつて大場鎮方面に、一部は嘉定方向に退却す。その兵力5~6団を算す。

 瀏河鎮方面の状況、依然たるごとし。師団は強ひてこれを攻撃するの企図を有せざるごとく何らの報なし。

 第3師団の戦況

 師団は依然、現在地を固守し、徐ろに呉淞鎮の攻撃を準備中なり。この夜、正面の敵は我が戦線に向かひ攻撃し来たれるも、これを撃退せり。 第3師団の呉淞鎮攻略は、第3師団の兵力余力少なきと同地陣地の堅固なるに因し、師団の計画、意のごとく進捗せず。よつて第11師団をして月浦鎮楊行鎮方面より有力なる部隊をもつてこれに協力せしむることに決し、その内意を第11師団に伝へ、準備せしむ。けだし幕僚の意見はむしろ第11師団をして呉淞を攻撃せしむるを利とするの意見多きも、予は第3師団の名誉のため依然、同師団をしてこれを実行せしめ、第11師団の一部をしてこれに協力せしむるを可なりとし、右様取り計らひたるものにて、海軍の綿密なる協力を頼り、呉淞鎮北方江岸方面よりこれを攻撃せしむることとなれり。なほ海軍陸戦隊をしてこれに協力せしむることは、到底、海軍の欲せざるところなりと察せられたるにより、これを要求せざることとせり。

 この日、軍司令部の残部到着、各部長と会見す。一同元気なり。

 

  八月二十八日

此日 依然 呉淞錨地ニ在リ

第十一師団ノ戦況

第十一師団ハ今朝来 海軍ノ爆撃ニ次キ午前八時ヨリ羅店鎮ノ攻撃ヲ開始シ 正午 同地ヲ占領シ 同鎮西方·南方地区ヲ占領シ 爾後ノ前進ヲ準備ス

敵ハ主力ヲ以テ大場鎮方面ニ 一部ハ嘉定方向ニ退却ス 其兵力五、六団ヲ算ス

瀏河鎮方面ノ状況 依然タル如シ 師団ハ強テ之ヲ攻撃スルノ企図ヲ有セサル如ク何等ノ報ナシ

第三師団ノ戦況

師団ハ依然 現在地ヲ固守シ徐ニ呉淞鎮ノ攻撃ヲ準備中ナリ 此夜 正面ノ敵ハ我戦線ニ向ヒ攻撃シ来レルモ 之ヲ撃退セリ 第三師団ノ呉淞鎮攻略ハ 第三師団ノ兵力 余力少ナキト 同地陣地ノ堅固ナルニ因シ 師団ノ計画 意ノ如ク進捗セス 仍テ第十一師団ヲシテ月浦鎮、楊行鎮方面ヨリ有力ナル部隊ヲ以テ之ニ協力セシルムコトニ決シ 其内意ヲ第十一師団ニ伝ヘ準備セシム 蓋シ幕僚ノ意見ハ寧ロ第十一師団ヲシテ呉淞ヲ攻撃セシムルヲ利トスルノ意見多キモ 予ハ第三師団ノ名誉ノ為メ依然 同師団ヲシテ之ヲ実行セシメ 第十一師団ノ一部ヲシテ之ニ協力セシムルヲ可ナリトシ 右様取計ヒタルモノニテ 海軍ノ密接ナル協力ヲ頼リ 呉淞鎮北方江岸方面ヨリ之ヲ攻撃セシムルコトトナレリ 尚 海軍陸戦隊ヲシテ之ニ協力セシムルコトハ 到底 海軍ノ欲セサル所ナリト察セラレタルニ依リ 之ヲ要求セサルコトトセリ

此日 軍司令部ノ残部到着 各部長ト会見ス 一同元気ナリ

 

   8月29日

 この日、由良にありて川沙鎮江岸に転錨し、第11師団根拠地状勢を視察し、夕刻、呉淞錨地に帰還す。

 第11師団方面の戦況

 第11師団はこの日、現在地において爾後の前進を準備す。

 先遣支隊の残留人馬はこの日をもつて全部の上陸を了へ、根拠地の設備も海軍の協力により漸次整頓しつつあり、揚陸効程も水路の設定と、上海より徴用せる小蒸汽、ライターの到着により著しく増加せると、潮の干満漸減により、最早、終日揚陸を実行し得ることとなれり。

 第3師団方面の戦況

 第3師団は昨夜、全線において再度、敵の逆襲を受けたるも、これを撃退せり。歩第6連隊長、倉永大佐これがため戦死す。

 第3師団の呉淞鎮攻撃はその後、海軍と協同偵察の結果、いよいよ明後31日朝をもつて江岸方面より決行することに決し、第11師団をして有力なる歩砲部隊をもつてこれに協力せしめ、かつ呉淞砲台宝山県城付近の敵を掃蕩すべきを命令せり。

 第3師団の揚陸地は終日終夜、呉淞鎮の敵部隊および新たに江湾鎮付近に布置せられたる敵重砲の射撃を受け、揚陸困難にして運送船の船長以下、船員の死傷相次ぐに至り、一時、運送船の荷物揚陸を見合はせ、呉淞錨地に仮泊せしむるのやむなきこととなれり。

 この日、軍直属高射砲隊、無線電信隊等の揚陸を了はり、高射砲隊は第三師団長の指揮に属して根拠地付近の防空に任ぜしむ。

 由来、軍はミミズのごとき形にて輸送せられつつ、しかもその先端は海軍輸送のためますます前方に引き延ばされたるものにて、上陸以来一週日の今日、やうやく先遣隊全部の終結を了せり。この間、幸ひに大規模なる敵の攻撃なかりしため、能く予定の線を占領し兵力の終結を完ふするを得たるは、我が将兵の勇武に頼ること勿論なるも、天候その他、天祐に俟つもの多く、ことにこの間、海軍の密接·熱心なる援助の結果なりと信ず。第3師団方面においてことにしかりとす。

 

  八月二十九日

此日 由良ニ在リテ川沙鎮江岸ニ転錨シ 第十一師団根拠地状勢ヲ視察シ 夕刻 呉淞錨地ニ帰還ス

第十一師団方面ノ戦況

第十一師団ハ此日 現在地ニ於テ爾後ノ前進ヲ準備ス

先遣支隊ノ残留人馬ハ此日ヲ以テ全部ノ上陸ヲ了ヘ 根拠地ノ設備モ海軍ノ協力ニ依リ漸次整頓シツツアリ 揚陸効程モ水路ノ設定ト 上海ヨリ徴用セル小蒸汽、ライターノ到着ニ依リ著ク増加セルト 潮ノ干満漸減ニ依リ最早 終日 揚陸ヲ実行シ得ルコトトナレリ

第三師団方面ノ戦況

第三師団ハ昨夜 全線ニ於テ再度 敵ノ逆襲ヲ受ケタルモ之ヲ撃退セリ 歩第六聯隊長倉永大佐 之レカ為メ戦死ス

第三師団ノ呉淞鎮攻撃ハ其後海軍ト協同偵察ノ結果 愈々明後三十一日朝ヲ以テ江岸方面ヨリ決行スルコトニ決シ 第十一師団ヲシテ有力ナル歩砲部隊ヲ以テ之ニ協力セシメ 且ツ呉淞砲台、宝山県城附近ノ敵ヲ掃蕩スへキヲ命令セリ

第三師団ノ揚陸地ハ終日終夜 呉淞鎮ノ敵部隊 及 新ニ江湾鎮附近ニ布置セラレタル敵重砲ノ射撃ヲ受ケ 揚陸困難ニシテ運送船ノ船長以下 船員ノ死傷相次クニ至リ 一時 運送船ノ荷物揚陸ヲ見合セ 呉淞錨地ニ仮泊セシムルノ已ムナキコトトナレリ

此日 軍直属高射砲隊、無線電信隊等ノ揚陸ヲ了リ 高射砲隊ハ第三師団長ノ指揮ニ属シテ根拠地附近ノ防空ニ任セシム

由来 軍ハ「ミミズ」ノ如キ形ニテ輸送セラレツツ 而カモ其先端ハ海軍輸送ノ為メ益々前方ニ引延サレタルモノニテ 上陸以来一週日ノ今日 漸ク先遣隊全部ノ終結ヲ了セリ 此間 幸ニ大規模ナル敵ノ攻撃ナカリシ為メ 能ク予定ノ線ヲ占領シ兵力ノ終結ヲ完フスルヲ得タルハ 我将兵ノ勇武ニ頼ルコト勿論ナルモ 天候其他 天祐ニ俟ツモノ多ク 殊ニ此間 海軍ノ密接熱心ナル援助ノ結果ナリト信ス 第三師団方面ニ於テ殊ニ然リトス

 

   8月30日(杉山陸相に私的意見具申)

 この日、依然、呉淞錨地にあり。

 第11師団方面の情況

 昨日来、当師団方面の視察に赴きたる長参謀、帰来せり、その報告によれば、28日、羅店鎮の攻撃は中々の苦戦にして、和地[→知]連隊長自ら軍刀を振るふて敵数名を斬りたるほどにて、能く敵ヲ撃壤シテ同鎮東南地区を確保しあるも、前面の敵は2万に達し、新たに嘉定方面より増援せるものを合し、依然、我が戦線近く対峙し我を反撃するの姿勢にあり。当方面の情況かくのごとし。しかも軍は昨日、有力なる部隊をもつて呉淞方面の敵軍掃蕩を命じたるをもつて、師団はやむなく瀏家鎮方面より43連隊本部と砲兵中隊を招致し、残余の1大隊をもつて退いて湯宅南方地区を占領し、師団の右側を援護せしめたり。

 かくて43 i(一大欠)[歩兵第43連隊(1大隊欠)]、砲兵1中隊は夜半、羅店鎮付近を経て呉淞方面に前進することとなれり。

 第3師団方面の情況

 第3師団は現在の線にありて明日のための呉淞鎮付近攻撃を準備し、近藤海軍少将の指揮する第8水雷戦隊との間に密接協同動作を図りつつあり。

 この師団の応急動員部隊の充足人馬は今朝来、続々、呉淞錨地に到着し、一部の材料、糧秣等の外、人馬の全部を揚陸するを得。明日の呉淞攻撃に要する兵を増加し得たるは幸ひなり。 

 これを要するに、第3師団方面の戦局はこれによつて一時の小康を得、また漸次、呉淞鎮付近を攻略して根拠地を安固ならしめ得る見込み立ちたるも、第11師団方面の戦況は今後さらに困難を加ふるの危険あり、篤と考慮を要すべき情勢にありと判断せられ、幕僚に命じて一般情勢判断の研究を命ずるととも、私信を杉山陸相に送り、この際、上海南方に対する考慮上からも1師団の増兵を必要とする旨、申し遣はす。

 数日前、在南京英国大使ヒューゲッセン氏は、陸軍武官そね他とともに自動車により南京·上海道を上海に来たる途中、某飛行機上より機関銃射撃を受け重傷を負へり。こは多分、我が海軍飛行機の射撃によるものらしきも、昨今、支那軍飛行機も機体に赤丸の印を付し我が飛行機に模する事実あり、果たして日支いづれのものなるや明らかならず。ことに支那共産党はこの際、日本軍のみならず上海租界その他を爆撃せし事実あり。 また一昨日、米国商船フーバー号は呉淞下流揚子江内に仮泊中、支那飛行機の爆撃を受け、死傷者を生ぜし事実もあり。今後共産派の行動に付ては端倪し難きものあり、自然、上記英国大使の負傷のごときも敢へてこれを我が軍のものと断定するを得ざるのみならず、たとひ我が軍の射撃によるものとするも、警告なく戦場内を通過する内外人が戦闘の傍杖を受くることはやむなき次第にして、我が国より慌てて遺憾の意を表すべきものにあらず、我が政府および上海外務、海軍の態度はあまりに慌て過ぎたる感あり。

 また先日来、英国商船の上海港に出入するもの毎日数隻に及び、うちガソリン船と認むべきものの英国軍艦に護衛せられ入港せることもあり、英国船が支那側を利すべき輸入を続行せることは事実なり。けだし今後これらの状勢は、戦時状況の永続せられ支那軍需品やうやく欠乏を告ぐるに際しますます頻繁を加ふべく察せらる。よつてかねて希望せし沿岸封鎖を実行するの手段に出づ[る]ことますます必要なるを痛感す。よつてこの旨、大使館付き武官に通じ、重ねてこれに関する意見を具申すべく慫慂す。ちなみに海軍の行はんとする封鎖は消極的にして、第三国船に対して実功[→効]なし。

 

  八月三十日(杉山陸相ニ私的意見具申)

此日 依然 呉淞錨地ニ在リ

第十一師団方面ノ情況

昨日来 当師団方面ノ視察ニ赴キタル長参謀 帰来セリ 其報告ニ依レハ 二十八日 羅店鎮ノ攻撃ハ中々ノ苦戦ニシテ 和地聯隊長自ラ軍刀ヲ振フテ敵数名ヲ斬リタル程ニテ 能ク敵ヲ撃壤シテ同鎮東南地区ヲ確保シアルモ 前面ノ敵ハ二万ニ達シ 新ニ嘉定方面ヨリ増援セルモノヲ合シ 依然 我戦線近ク対峙シ我ヲ反撃スルノ姿勢ニアリ 当方面ノ情況如此 而カモ軍ハ昨日 有力ナル部隊ヲ以テ呉淞方面ノ敵軍掃蕩ヲ命シタルヲ以テ 師団ハ已ムナク瀏家鎮方面ヨリ43聯隊本部ト砲兵中隊ヲ招致シ 残余ノ一大隊ヲ以テ退イテ湯宅南方地区ヲ占領シ 師団ノ右側ヲ援護セシメタリ

斯クテ43 i(一大欠)砲兵一中隊ハ夜半 羅店鎮附近ヲ経テ呉淞方面ニ前進スルコトトナレリ

第三師団方面ノ情況

第三師団ハ現在ノ線ニ在リテ明日ノ為メノ呉淞鎮附近攻撃ヲ準備シ 近藤海軍少将ノ指揮スル第八水雷戦隊トノ間ニ密接協同動作ヲ図リツツアリ

此師団ノ応急動員部隊ノ充足人馬ハ今朝来 続々 呉淞錨地ニ到着シ 一部ノ材料、糧秣等ノ外 人馬ノ全部ヲ揚陸スルヲ得 明日ノ呉淞攻撃ニ要スル兵ヲ増加シ得タルハ幸ナリ 

要之 第三師団方面ノ戦局ハ之ニ因テ一時ノ小康ヲ得 又 漸次 呉淞鎮附近ヲ攻略シテ根拠地ヲ安固ナラシメ得ル見込 立チタルモ 第十一師団方面ノ戦況ハ今後 更ニ困難ヲ加フルノ危険アリ 篤ト考慮ヲ要スへキ情勢ニ在リト判断セラレ 幕僚ニ命シテ一般情勢判断ノ研究ヲ命スルト共 私信ヲ杉山陸相ニ送リ 此際 上海南方ニ対スル考慮上カラモ 一師団ノ増兵ヲ必要トスル旨 申遣ス

数日前 在南京英国大使ヒューゲッセン氏ハ 陸軍武官其他ト共ニ自動車ニ依リ南京上海道ヲ上海ニ来ル途中 某飛行機上ヨリ機関銃射撃ヲ受ケ重傷ヲ負ヘリ コハ多分我海軍飛行機ノ射撃ニ依ルモノラシキモ 昨今 支那軍飛行機モ機体ニ赤丸ノ印ヲ附シ我飛行機ニ模スル事実アリ 果シテ日支何レノモノナルヤ明カナラス 殊ニ支那共産党ハ此際 日本軍ノミナラス上海租界其他ヲ爆撃セシ事実アリ 又 一昨日 米国商船フーバー号ハ呉淞下流揚子江内ニ仮泊中 支那飛行機ノ爆撃ヲ受ケ死傷者ヲ生セシ事実モアリ 今後共産派ノ行動ニ付テハ端倪シ難キモノアリ 自然 上記英国大使ノ負傷ノ如キモ敢テ之ヲ我軍ノモノト断定スルヲ得サルノミナラス 仮令 我軍ノ射撃ニヨルモノトスルモ 警告ナク戦場内ヲ通過スル内外人カ戦闘ノ傍杖ヲ受クルコトハ已ムナキ次第ニシテ 我国ヨリ敢テ慌テテ遺憾ノ意ヲ表スへキモノニ非ス 我政府 及 上海外ム、海軍ノ態度ハ余リニ慌テ過キタル感アリ

又先日来、英国商船ノ上海港ニ出入スルモノ毎日数隻ニ及ヒ 内「ガソリン」船ト認ムヘキモノノ英国軍艦ニ護衛セラレ入港セルコトモアリ 英国船カ支那側ヲ利スへキ輸入ヲ続行セルコトハ事実ナリ 蓋シ今後 是等ノ状勢ハ 戦時状況ノ永続セラレ 支那軍需品 漸ク欠乏ヲ告クルニ際シ益々頻繁ヲ加フヘク察セラル 依ツテ予テ希望セシ沿岸封鎖ヲ実行スルノ手段ニ出ツコト益々必要ナルヲ痛感ス 依テ此旨 大使館附武官ニ通シ 重ネテ之ニ関スル意見ヲ具申スへク慫慂ス 因ニ海軍ノ行ハントスル封鎖ハ消極的ニシテ 第三国船ニ対シテ実功ナシ

 

   8月31日(参謀総長陸軍大臣

             情勢判断具申)

 この日、呉淞錨地にありて第3師団の呉淞鎮攻撃を視察す。

 第11師団ノ情況

 第11師団は依然、現在地にあり爾後の攻撃を準備す。 

 瀏河鎮方面敵の進出は、予の最も痛心しあるところなるも、幸ひに未だこのことなく、我が第1水戦隊の駆逐艦2隻は近く瀏河河口付近にありて同方面我が部隊に協力しあり。

 第3師団の呉淞砲台攻撃に協力すべき43 i の部隊は、この日、近く獅子林砲台に迫り、同方面の敵を攻撃中。

 第3師団の戦況

 鷹森大佐の率ゆる68 i (Ⅱ欠)[歩兵第68連隊(第2大隊欠)]、砲1中隊は、第8水雷戦隊および第8戦隊の有力なる砲撃ならびに飛行機の爆撃に次ぎ、午前10時、発動艇により呉淞鎮北方江岸に上陸し同地付近を占領し、終日、敵の頑強なる抵抗を排除しつつ砲台湾付近より呉淞鎮西端に至る線に前進す。

 昨日来の研究に基づき、予は参謀総長および陸軍大臣に対し、江南方面に関する状勢判断を具申す。その要、支那軍は津浦鉄道方面より招致せる陳誠の軍を併せ、計約15~16師団をもつて機を見て我が軍に対し攻撃を開始するごとく、軍はこれらの大兵団に対し鉄槌を加ふるを要し、その兵、少なくも5ヶ師団を要すべく、差し当たり第11師団の天谷支隊および待機中の第14師団を当方面に派遣するを要すといふにあり。なほこの判断は第3艦隊および川越大使に通報し、その同意を得たるをもつて、右両方面よりもそれぞれ外務、海軍に意見を具申することに取り計らひたり。

 南京政府は一昨29日、露支不可侵条約(21日締結)を発表せり。その内容、従来露国と西欧諸国とのものに大要同一なるも、我が大使館付き武官の得たる情報によれば、露支両国間には同時に秘密協定成立し、ある程度の攻守同盟を締結せしこと事実なるがごとし。

 

  八月三十一日(参謀総長陸軍大臣

             情勢判断具申)

此日 呉淞錨地ニ在リテ第三師団ノ呉淞鎮攻撃ヲ視察ス

第十一師団ノ情況

第十一師団ハ依然 現在地ニ在リ爾後ノ攻撃ヲ準備ス

劉河鎮方面 敵ノ進出ハ 予ノ最モ痛心シアル処ナルモ 幸ニ未タ此事ナク 我第一水戦隊ノ駆逐艦二隻ハ近ク劉河々口附近ニ在リテ同方面我部隊ニ協力シアリ

第三師団ノ呉淞砲台攻撃ニ協力スへキ43 i ノ部隊ハ 此日 近ク獅子林砲台ニ迫リ 同方面ノ敵ヲ攻撃中

第三師団ノ情況

鷹森大佐ノ率ユル68 i (Ⅱ欠)、砲一中隊ハ 第八水雷戦隊 及 第八戦隊ノ有力ナル砲撃 并 飛行機ノ爆撃ニ次キ 午前十時 発動艇ニヨリ呉淞鎮北方江岸ニ上陸シ 同地附近ヲ占領シ 終日 敵ノ頑強ナル抵抗ヲ排除シツツ砲台湾附近ヨリ呉淞鎮西端ニ至ル線ニ前進ス 

昨日来研究ニ基キ 予ハ参謀総長陸軍大臣ニ対シ 江南方面ニ関スル状勢判断ヲ具申ス その要 支那軍ハ津浦鉄道方面ヨリ招致セル陳誠ノ軍ヲ併セ 計約十五六師団ヲ以テ機をヲ見テ我軍ニ対シ攻撃ヲ開始スル如ク 軍ハ是等ノ大兵団ニ対シ鉄槌ヲ加フルヲ要シ 其兵 少クモ五ケ師団ヲ要スへク 差当リ第十一師団ノ天谷支隊 及 待機中ノ第十四師団ヲ当方面ニ派遣スルヲ要ストイフニアリ 尚此判断ハ第三艦隊 及 川越大使ニ通報シ 其同意ヲ得タルヲ以テ 右両方面ヨリモ外務、海軍ニ意見ヲ具申スルコトニ取計ヒタリ

南京政府ハ一昨二十九日 露支不可侵条約(廿一日締結)ヲ発表セリ 其内容 従来露国ト西欧諸国トノモノニ大要同一ナルモ 我大使館附武官ノ得タル情報ニ依レハ 露支両国間ニハ同時ニ秘密協定成立シ 或程度ノ攻守同盟ヲ締結セシコト事実ナルカ如シ

 

   9月1日

 呉淞錨地にありて呉淞砲台攻撃を視察す。

  第11師団方面の情況

 状勢変化なし。

 浅間支隊(43 i [歩兵第43連隊])は朝来、獅子林砲台付近の敵を攻撃し、夕刻、全く同砲台を占領す。

 この日、第11師団の天谷支隊(12 i[歩兵第12連隊]、砲兵1大[隊])は派遣軍に復帰せしめられたるはずのはずの旨、参謀本部より来電あり。

 第3師団の方面の情況

 鷹森部隊は朝来攻撃を続行し、正午ごろ商船学校付近および大金家村付近を占領せしも、砲台に占拠せる敵はすこぶる頑強に同砲台を死守し、同日没まで我が海軍の背後より援助射撃に係はらず、つひにこれを占領するを得ず。

 呉淞クリーク右岸地区における敵の反撃はこの両三日来ほとんどやみ、わづかに江湾鎮付近の砲兵(重砲)により鉄道桟橋付近の我が陸揚を妨害するに過ぎず、しかれどもこの間、我が軍の揚陸に支障多く、効程著しく遅延せり。しかも第3師団の後続部隊もすでに呉淞に着き、揚陸を急ぐべき情勢なるをもつて、軍の糧秣その他の荷物は一時、上海楊橋埠頭に揚陸せしめ、海軍の監視に依頼することとなれり。

 この朝、参謀次長より軍参謀長あて、昨日の意見具申に対し返電あり。その要は軍現在の任務と実況に応じ今直ちに我が意見に同意する能はざるの意なり。なほ第14師団はすでに北支に向け派遣せられたる旨、通報あり。わづかに天谷支隊を第11師団に復帰せしめたるほか何ら従来の方針を改めず。予は今さらながら参謀本部の迷見固執に対し深く遺憾に禁へざるも、しばらく状勢を静観し自然の成り行きに委すことに決意せり。

 なほ昨日、第3師団の呉淞鎮攻撃に際し、あたかも同時黄浦江口を下航し来たれる仏国砲艦が著しく我が発動艇の航行を妨害せるのみならず、該艦中よりピストルをもつて我が小艇を射撃せしものあり、その事情明らかならざれど、あるいは支那軍人が仏艦に便乗し来たり、戦況を観察せんとし、この種の悪戯をなせしものなるやとも察せらるるをもつて、直ちに第3艦隊および川越大使に通報し、仏国側に対し厳重抗議すべく申し入れたり。なほ将来この種のことあるにおいては、我が陸軍は必ずしも仏国艦船の安全を保証せざるべき旨、通告せしむることとせり。

 両三日来、支那空軍の来襲はすこぶる少なし。毎朝川沙鎮江岸および上海に対し少数飛機の小爆撃あるに過ぎざるに至れるは、敵空軍の勢力萎靡せるか爆弾の欠乏によるものなるべしと思はるる際、既述露支密約の結果、ソ国は近く新疆方面より飛行機70余台を支那へ応援する旨、日本からのラジオ放送あり。真偽疑はしきも、将来この種のこと実現の機あるは疑ふべくもあらず、我が軍の特に注意を要するものなることを痛感す。

 

  九月一日

呉淞錨地ニアリテ呉淞砲台攻撃ヲ視察ス

 第十一師団方面ノ情況

状勢変化ナシ

浅間支隊(43 i )ハ朝来 獅子林砲台附近ノ敵ヲ攻撃シ 夕刻 全ク同砲台ヲ占領ス

此日 第十一師団ノ天谷支隊(12 i 砲兵一大)ハ派遣軍ニ復帰セシメラレタル筈ノ旨 参謀本部ヨリ来電アリ

鷹森部隊ハ朝来攻撃ヲ続行シ 正午頃 商船学校附近 及 大金家村附近ヲ占領セシモ 砲台ニ占拠セル敵ハ頗ル頑強ニ同砲台ヲ死守シ 同日没迄 我海軍ノ背後ヨリ援助射撃ニ係ハラス遂ニ之ヲ占領スルヲ得ス

呉淞クリーク右岸地区ニ於ケル敵ノ反撃ハ此両三日来 殆ト已ミ 僅ニ江湾鎮附近ノ砲兵(重砲)ニヨリ鉄道桟橋附近ノ我陸揚ヲ妨害スルニ過キス 然レトモ此間 我軍ノ揚陸ニ支障多ク 効程著ク遅延セリ 而カモ第三師団ノ後続部隊モ既ニ呉淞ニ着 揚陸ヲ急クヘキ情勢ナルヲ以テ軍ノ糧秣其他ノ荷物ハ一時上海楊橋埠頭ニ揚陸セシメ 海軍ノ監視ニ依頼スルコトトナレリ

此朝 参謀次長ヨリ軍参謀長宛 昨日ノ意見具申ニ対シ返電アリ 其要ハ軍現在ノ任務ト実況ニ応シ今直ニ我意見ニ同意スル能ハサルノ意ナリ 尚第14師団ハ既ニ北支ニ向ケ派遣セラレタル旨 通報アリ 僅ニ天谷支隊ヲ第十一師団ニ復帰セシメタル外 何等 従来ノ方針ヲ改メス 予ハ今更乍ラ参謀本部ノ迷見固執ニ対シ深ク遺憾ニ禁ヘサルモ 暫ク状勢ヲ静観シ自然ノ成行ニ委スコトニ決意セリ

尚昨日 第三師団ノ呉淞鎮攻撃ニ際シ 恰モ同時 黄浦江口ヲ下航シ来レル仏国砲艦カ著ク我発動艇ノ航行ヲ妨害セルノミナラス 該艦中ヨリ「ピストル」ヲ以テ我小艇ヲ射撃セシモノアリ 其事情明カナラサレト 或ハ支那軍人カ仏艦ニ便乗シ来リ 戦況ヲ観察セントシ 此種ノ悪戯ヲナセシモノナルヤトモ察セラルルヲ以テ 直ニ第三艦隊 及 川越大使ニ通報シ 仏国側ニ対シ厳重抗議スへク申入レタリ 尚 将来 此種ノコトアルニ於テハ 我陸軍ハ必スシモ仏国艦船ノ安全ヲ保証セサルヘキ旨 通告セシムルコトトセリ

両三日来 支那空軍ノ来襲ハ頗ル少シ 毎朝 川沙鎮江岸 及 上海ニ対シ少数飛機ノ小爆撃アルニ過キサルニ至レルハ 敵空軍ノ勢力萎靡セルカ爆弾ノ欠乏ニ因ルモノナルへシト思ハルル際 既述露支密約ノ結果 蘇国ハ近ク新疆方面ヨリ飛行機七十余台ヲ支那へ応援スル旨 日本カラノラジオ放送アリ 真偽疑ハシキモ 将来 此種ノコト実現ノ機アルハ疑フヘクモアラス 我軍ノ特ニ注意ヲ要スルモノナルコトヲ痛感ス

 

   9月2日

 この朝、呉淞錨地にあり。午前10時ごろ呉淞砲台上に日章旗の翻ふるを見、欣懐極まりなし。終日、同錨地にありて68 i 、43 i 宝山鎮に向かふ戦況の進展を俟つ。

 第11師団方面の情況

 当師団主力方面は朝、敵の攻撃を受けたるも、これを撃退せり。劉河鎮方面、変化なし。

 浅間支隊[歩兵第43連隊]は今朝来、獅子林砲台東南方に進出せるも、爾後前進せず。月浦鎮方面の情況不明なるも、同鎮およびその東方地区江岸にわたる地区に相当の敵兵あるがごとし。

 第3師団方面の情況

 呉淞クリークの右岸地区はほとんど敵の来襲やみ、鉄道桟橋付近の揚陸も容易となれり。

 クリーク左岸における68 i [歩兵第68連隊]は今朝、呉淞砲台を占領し、その西方大金村にわたる線にあり。前面の敵はなほ尹家宅付近にありて抵抗し、宝山城に逃入せる敵兵500は依然、城内を占領す。

 第3師団長は努めて宝山城守備兵の強攻を避け、宣伝宣布により投降せしむるの策を案じあるも、恐らくは実功[→効]なかるべし。

 第3師団の後続兵団は昨日来、呉淞錨地に着しあるも、揚陸効程はかどらざるため待機しありしが、本朝、呉淞砲台の占領により商船学校埠頭に上陸せしめ得るに至りしをもつて、海軍の援助により同桟橋の修理、危険物の除去を了へ、午後より第18連[歩兵第18連隊]の部隊の揚陸を開始するを得たり。

 ここにおいて軍は第3師団長に命じ、第29旅団[歩兵第18連隊と歩兵第34連隊で構成]の上陸終了後、これを基幹とする部隊をもつて楊行鎮を占領し、爾後、劉家行~顧家宅の線に前進せしめ、呉淞クリーク右岸の部隊は現在地にありて漸次西方にその戦線を拡張すべきを命ぜるも、第29旅団の前進開始は早くも5日朝となるべしと察せらる。

 さきに青島に派遣せられたる天谷支隊[歩兵第10旅団]は、第11師団に復帰せしめられ、今夜半、呉淞錨地に到着する旨、来電ありしをもつて、この部隊はその携行する上陸材料により呉淞鎮北側江岸に上陸せしめ、速やかに月浦鎮付近の小敵を撃破せし[め?]、羅店鎮に向かひ前進せしめ、同方面敵の側背を攻撃せしめ、師団長の隷下に入らしむこととし、これに戦車1中隊を配属せり。この部隊は遅くも5日朝、出発し得るならん。

 また浅間支隊は天谷支隊と協力し月浦鎮北方地区より羅店鎮に復帰せしむべく区処せしむ。

 本支隊は元来、宝山城付近の掃蕩に任じたるものなれど、その前進、意のごとく進捗せざるをもつて、その目的を放棄せしむるに決したる次第なり、これ他面、宝山城の掃蕩は最早この支隊の援助を要せざるに至れるによる。

 なほ公大飛行場西側地区の占領は、かねて第3師団に命じたるところなりしが、当面の状況により今日まで着手するに至らず、一方、飛行場の設備はほぼ終了し、我が偵察隊もすでに昨日、錨地に到着したるをもつて、第3師団に命じ、来着せる18 i [歩兵第18連隊]の2中隊に野砲1中隊を付せしめ、これに軍直属の戦車1小隊を配属し、沈家巷鎮東側にある敵のトウチカ陣を攻撃、該地付近を占領せしむることとせり。なほ該部隊は 陸戦隊の状況これを許せば、その目的を達したる後、第3師団に復帰せしむる様、海軍と交渉中なるも、1度この方面に増援せる部隊は、今後、恐らくはこれを撤去すること能はざるべしと予想せらるるにより、この方面に使用する兵力は、本目的に必要なる最小限度にこれを使用したる次第なり。けだし将来、軍の攻勢転移の場合における呉淞クリーク右岸地区の攻撃は、努めてその正面を鉄道(呉淞~上海)の西方に制限し、江湾鎮を避け、 その西方大場鎮方面に攻撃せしむるの意図を有すればなり。

 

  九月二日

此朝 呉淞錨地ニアリ 午前十時頃 呉淞砲台上ニ日章旗ノ翻フルヲ見 欣懐 極リナシ 終日 同錨地ニアリテ 68 i 、43 i  宝山鎮ニ向カフ戦況ノ進展ヲ俟ツ

第十一師団方面ノ情況

当師団主力方面ハ朝 敵ノ攻撃ヲ受ケタルモ 之ヲ撃退セリ 劉河鎮方面 変化ナシ

浅間支隊ハ今朝来 獅子林砲台東南方ニ進出セルモ 爾後 前進セス 月浦鎮方面ノ情況不明ナルモ 同鎮 及 其東方地区江岸ニ亘ル地区ニ相当ノ敵兵アルカ如シ

第三師団方面ノ情況

呉淞クリークノ右岸地区ハ殆ト敵ノ来襲已ミ 鉄道桟橋附近ノ揚陸モ容易トナレリ

クリーク左岸ニ於ケル68 i ハ今朝 呉淞砲台ヲ占領シ 其西方 大金村ニ亘ル線ニ在リ 前面ノ敵ハ尚 尹家宅附近ニ在リテ抵抗シ 宝山城ニ逃入セル敵兵500ハ依然 城内ヲ占領ス

第三師団長ハ 努メテ宝山城守備兵ノ強攻ヲ避ケ宣伝宣布ニ依リ投降セシムルノ策ヲ案シアルモ 恐クハ実功ナカルヘシ

第三師団ノ後続兵団ハ昨日来 呉淞錨地ニ着シアルモ 揚陸効程捗取ラサル為 待機シアリシカ 本朝 呉淞砲台ノ占領ニ依リ商船学校埠頭ニ上陸セシメ得ルニ至リシヲ以テ 海軍ノ援助ニ依リ同桟橋ノ修理 危険物ノ除去ヲ了ヘ 午後ヨリ第18連ノ部隊ノ揚陸ヲ開始スルヲ得タリ

於此 軍ハ第三師団長ニ命シ 第廿旅団ノ上陸終了后 之ヲ基幹トスル部隊ヲ以テ楊行鎮ヲ占領シ 尓後 劉家行、顧家宅ノ線ニ前進セシメ 呉淞クリーク右岸ノ部隊ハ現在地ニアリテ漸次 西方ニ其戦線ヲ拡張スへキヲ命セルモ 第二十九旅団ノ前進開始ハ早クモ5日朝トナルヘシト察セラル

曩ニ青島ニ派遣セラレタル天谷支隊ハ 第十一師団ニ復帰セシメラレ 今夜半 呉淞錨地ニ到着スル旨 来電アリシヲ以テ 此部隊ハ其携行スル上陸材料ニヨリ呉淞鎮北側江岸ニ上陸セシメ 速ニ月浦鎮附近ノ小敵ヲ撃破セシ[メ?] 羅店鎮ニ向ヒ前進セシメ 同方面敵ノ側背ヲ攻撃セシメ 師団長ノ隷下ニ入ラシムコトトシ 之ニ戦車一中隊ヲ配属セリ 此部隊ハ遅クモ五日朝 出発シ得ルナラン

又 浅間支隊ハ天谷支隊ト協力シ月浦鎮北方地区ヨリ羅店鎮ニ復帰セシムヘク区処セシム

本支隊ハ元来 宝山城附近ノ掃蕩ニ任シタルモノナレト 其前進 意ノ如ク進捗セサルヲ以テ 其目的ヲ放棄セシムルニ決シタル次第ナリ 之レ他面 宝山城ノ掃蕩ハ最早 此支隊ノ援助ヲ要セサルニ至レルニ由ル

尚 公大飛行場西側地区ノ占領ハ 予テ第三師団ニ命シタル処ナリシカ 当面ノ状況ニヨリ今日迄 着手スルニ至ラス 一方 飛行場ノ設備ハ略 終了シ 我偵察隊モ既ニ昨日 錨地ニ到着シタルヲ以テ 第三師団ニ命シ 来着セル18 i ノ二中隊ニ野砲一中隊ヲ附セシメ 之レニ軍直属ノ戦車一小隊ヲ配属シ 沈家巷鎮東側ニアル敵ノトウチカ陣ヲ攻撃 該地附近ヲ占領セシムルコトトセリ 尚 該部隊ハ陸戦隊ノ状況 之ヲ許セハ 其目的ヲ達シタル後 第三師団ニ復帰セシムル様 海軍ト交渉中ナルモ 一度此方面ニ増援セル部隊ハ 今後 恐クハ之ヲ撤去スルコト能ハサルヘシト予想セラルルニ依リ 此方面ニ使用スル兵力ハ 本目的ニ必要ナル最小限度ニ之ヲ使用シタル次第ナリ 蓋シ将来 軍ノ攻勢転移ノ場合ニ於ケル呉淞クリーク右岸地区ノ攻撃ハ 努メテ其正面ヲ鉄道(呉淞─上海)ノ西方ニ制限シ 江湾鎮ヲ避ケ 其西方大場鎮方面ニ攻撃セシムルノ意図ヲ有スレハナリ

 

   9月3日

 この日、依然呉淞錨地にあり。

 第11師団方面の戦況

 情勢変化なく、羅店鎭前面の敵は漸次、兵力を増加して我右翼を包囲しつつあり。

 瀏河鎮方面の敵は依然、攻撃し来たらざるも、なほ根拠地防御のため第11師団の1中隊を江岸に沿ひ配置せしむ。

 浅間支隊は終日、沙竜口の戦にまでやうやく前進せしむ。前面の敵に阻止せられ、前進はなはだ遅滞しあるは遺憾なり。

 天谷支隊は今朝未明、呉淞錨地に到着せり。よつて直ちに呉淞鎮北側地区に上陸せしめ、爾後の前進を準備せしめたり。この朝、艦上にて天谷少将に会見して命令を与へ、師団が一刻千金の思ひにて支隊の来着を待ちある旨を告げ、速やかに月浦鎮方面に前進し敵の側背に進出すべきを命ず。

2.第3師団方面

 宝山城付近の敵に対し今朝、飛行機より投降勧告を与へ、午後2時を期し、聴かざればこれを攻撃することにしたるが、敵兵毫も動揺の色なきをもつて、午後3時より砲撃を開始し、若干、攻撃に前進せしが、当師団の宝山攻撃の気勢昂らず。終日、積極的攻撃に出でざるは天谷支隊の進出を遅れしむるをもつて、夜に至りさらに第3師団長に諭すに、速やかに宝山城を攻略して天谷支隊の進路を開くべきをもつてせり。

 なほこの日、第3師団は再度明日、勧降ビラを撒布したき意向を報ぜるをもつて、軍の威信を害するものと認め、これを否認せり。

 公大方面攻撃に協力する陸軍部隊の兵力寡弱なるにつき、海軍側の感情面白からざる模様。最も至極につき、さらに該方面の攻略方法、使用兵力につき研究を命ず。

 

  九月三日

此日 依然 呉淞錨地ニ在リ

第十一師団方面ノ戦況

情勢変化ナク 羅店鎭前面ノ敵ハ漸次 兵力ヲ増加シテ我右翼ヲ包囲シツヽアリ

劉河鎮方面ノ敵ハ依然 攻撃シ来ラサルモ 尚 根拠地防禦ノ為メ第十一師団ノ一中隊ヲ江岸ニ沿ヒ配置セシム

浅間支隊ハ終日 沙竜口ノ戦ニ迄 漸ク前進セシム 前面ノ敵ニ阻止セラレ 前進 甚タ遅滞シアルハ遺憾ナリ

天谷支隊ハ今朝未明 呉淞錨地ニ到着セリ 依テ直ニ呉淞鎮北側地区ニ上陸セシメ 尓後ノ前進ヲ準備セシメタリ 此朝 艦上ニテ天谷少将ニ会見シテ命令ヲ与ヘ 師団カ一刻千金ノ思ヒニテ支隊ノ来着ヲ待チアル旨ヲ告ケ 速ニ月浦鎮方面ニ前進シ敵ノ側背ニ進出スヘキヲ命ス

二、第三師団方面

宝山城附近ノ敵ニ対シ今朝 飛行機ヨリ投降勧告ヲ与ヘへ 午後二時ヲ期シ 聴カサレハ之ヲ攻撃スルコトニシタルカ 敵兵 毫モ動揺ノ色ナキヲ以テ 午後三時ヨリ砲撃ヲ開始シ 若干 攻撃ニ前進セシカ 当師団ノ宝山攻撃ノ気勢昂ラス 終日 積極的攻撃ニ出テサルハ天谷支隊ノ進出ヲ遅レシムルヲ以テ 夜ニ至リ更ニ第三師団長ニ諭スニ 速ニ宝山城ヲ攻略シテ天谷支隊ノ進路ヲ開クヘキヲ以テセリ

尚 此日 第三師団ハ再度明日 勧降ビラヲ撒布シ度意嚮ヲ報セルヲ以テ 軍ノ威信ヲ害スルモノト認メ 之ヲ否認セリ

公大方面攻撃ニ協力スル陸軍部隊ノ兵力寡弱ナルニ付 海軍側ノ感情面白カラサル模様 最モ至極ニ付 更ニ該方面ノ攻略方法、使用兵力ニ付 研究ヲ命ス

 

   9月4日

 この日、呉淞錨地にあり。

1.第11師団方面の戦況

 全般に変化なく、羅店鎭前面の敵の攻撃はなほやまざるも、漸次小規模となり、我が砲火による敵砲兵の沈黙により、当面、敵の志気も逐日衰退の色ありとの報あり、まづこの方面も当分は少なくも安心なり。

 浅間部隊月浦鎮北方各所に江岸に向かひ、配置せる敵と交戦を続け相当の戦闘をなし、両大隊長死傷し砲弾も尽きたることを確かめ、その支隊の前進遅かりし所以を知るを得たり。よつてこの夜、呉淞よりさらに砲弾を補給し、明日における天谷支隊との共同戦闘に当たらしむることとせり。

  天谷支隊は停[→碇?]泊場司令部大小発動艇の努力により、本日正午までにその戦闘部隊の上陸を了へ、即時前進を図りしも、宝山県城およびその西方の敵兵なほ後退せざるため、やむなくその前進を明日に延期するのやむなきこととなれり。

 第3師団方面の情況

 呉淞クリーク右岸の敵の志気は糧食の欠乏に因し日々衰退しつつあるごとし。

 宝山県城およびその西南方地区は依然、敵兵頑強に抵抗を続けつつあり。師団は68 i [歩兵第68連隊](1大隊欠)をしてこれを攻撃し、夕刻までに漸次その西方河岸陣地まで圧迫するを得たるも、ついにこれを撃破するに至らずして夜を徹す。かくて宝山城の攻撃は明日までこれを遷延すべき師団の意図なるを知り、天谷支隊前進を遅[→踟]せしむるの不利を思ひ、午後3時に至りさらに師団を督励するの意味にて速やかに宝山城を攻撃すべき命令を与へ、またこの日上陸を完了せる臼砲大隊を、一時、第3師団長の指揮に属し宝山城の攻撃に協力せしむることとせり。

 公大飛行場方面攻撃に関する海軍との感情融和につき、特に芳村参謀を派遣して第3艦隊の了解を遂げしめ、なほ当方面に使用する18 i [歩兵第18連隊]の兵力を完全なる1大隊に増加し、円滑に該方面陸戦隊との間に協力攻撃の準備を整へつつあり。明後6日払暁より攻撃を開始する予定なり。

 以上の情況に基づき 予は全軍志気の振興上、なるべく速やかに軍司令部を水産学校付近に上陸せしめんことを欲し、前日来、これが準備を急がしめありしも、通信準備の未了によりその意を果たすを得ざるをもつて、取り敢へず輸送船一隻を残置し、これに移乗して該地江岸に横付けせしむることにし、これが準備を急がしめたり。

 五郎上海より来たる。岡田尚よりも書面あり、ともに元気の由。清も上海にある由につき、これまた速やかに帰郷すべき様、申し付けたり。

 

  九月四日

此日呉淞錨地ニ在リ

一、第十一師団方面ノ戦況

全般ニ変化ナク 羅店鎭前面ノ敵ノ攻撃ハ尚已マサルモ 漸次 小規模トナリ 我砲火ニ依ル敵砲兵ノ沈黙ニヨリ 当面 敵ノ志気モ逐日 衰退ノ色アリトノ報アリ 先ツ此方面モ当分ハ少クモ安心ナリ

浅間部隊ハ月浦鎮北方各所ニ江岸ニ向ヒ 配置セル敵ト交戦ヲ続ケ相当ノ戦闘ヲナシ 両大隊長死傷シ砲弾モ尽キタルコトヲ確メ 其支隊ノ前進遅カリシ所以ヲ知ルヲ得タリ 依テ此夜 呉淞ヨリ更ニ砲弾ヲ補給シ 明日ニ於ケル天谷支隊トノ共同戦闘ニ当ラシムルコトトセリ

天谷支隊ハ停泊場司令部 大小発動艇ノ努力ニヨリ 本日正午迄ニ其戦闘部隊ノ上陸ヲ了ヘ 即時前進ヲ図リシモ 宝山県城 及 其西方ノ敵兵 尚 後退セサル為メ 已ムナク 其前進ヲ明日ニ延期スルノ已ムナキ事トナレリ

第三師団方面ノ情況

呉淞クリーク右岸ノ敵ノ志気ハ 糧食ノ欠乏ニ因シ 日々 衰退シツツアル如シ

宝山県城 及 其西南方地区ハ依然 敵兵 頑強ニ抵抗ヲ続ケツツアリ 師団ハ68 i (一大隊欠)ヲシテ之ヲ攻撃シ 夕刻迄ニ漸次 其西方河岸陣地迄 圧迫スルヲ得タルモ 遂ニ之ヲ撃破スルニ至ラスシテ夜ヲ徹ス 此クテ宝山城ノ攻撃ハ明日迄 之ヲ遷延スヘキ師団ノ意図ナルヲ知リ 天谷支隊前進ヲ遅蹰セシムルノ不利ヲ思ヒ 午後三時ニ至リ 更ニ師団ヲ督励スルノ意味ニテ 速ニ宝山城ヲ攻撃スヘキ命令ヲ与ヘ 又 此日上陸ヲ完了セル臼砲大隊ヲ 一時 第三師団長ノ指揮ニ属シ宝山城ノ攻撃ニ協力セシムルコトトセリ

公大飛行場方面攻撃ニ関スル海軍トノ感情融和ニ就キ 特ニ芳村参謀ヲ派遣シテ第三艦隊ノ諒解ヲ遂ゲシメ 尚 当方面ニ使用スル18 i ノ兵力ヲ完全ナル1大隊ニ増加シ 円滑ニ該方面陸戦隊トノ間ニ協力攻撃ノ準備ヲ整ヘツツアリ 明後六日払暁ヨリ攻撃ヲ開始スル予定ナリ

以上ノ情況ニ基キ 予ハ全軍志気ノ振興上 可成速ニ軍司令部ヲ水産学校付近ニ上陸セシメンコトヲ欲シ 前日来 之カ準備ヲ急カシメアリシモ 通信準備ノ未了ニヨリ其意ヲ果スヲ得サルヲ以テ 不取敢 輸送船一隻ヲ残置シ 之ニ移乗シテ該地江岸ニ横付セシムルコトニシ 之カ準備ヲ急カシメタリ

 五郎上海ヨリ来ル 岡田尚ヨリモ書面アリ 共ニ元気ノ由 清モ上海ニアル由ニツキ 之レ又速ニ帰郷スヘ様、申付ケタリ

 

   9月5日(第3師団の消極態度)

 この日、宝山城前面船中にありて戦況を視察す。

1.第11師団の情況

 羅店鎮瀏河鎮方面、変化なし。

 天谷支隊[歩兵第10旅団]は今朝来、宝山城西方地区に展開し、18 i [歩兵第18連隊]の中間地区より前進し独力、宝山城の敵を抑へつつその西方、西門大街の線に前進す。その行動、賞すべし。

浅間支隊[歩兵第43連隊]は依然、沙竜江の線にありて天谷支隊の進出を俟つ。同師団の輜重の残余は本日より貴陽湾根拠地に上陸を開始す。

2.第3師団の情況

 呉淞クリーク右岸の状勢、変化なし。第68連隊の主力は漸次、敵をクリーク右岸に駆逐するに、曹家沙東側橋頭堡は夕刻、未だ奪取するを得ず。

 歩兵第29旅団の半部は昨日すでにその兵力を張家上付近に集結せるも、34 i [歩兵第34連隊]の上陸未完のためか、師団長はこの日その部隊をクリーク右岸ニ進出せしめざるのみならず、宝山城の攻撃もこれを決行せず、自然、天谷支隊をして独力、西門大街の線に前進せしむるに至れるは、その協同動作上、遺憾少なからざるのみならず、昨日の軍命令を軽んじたる責ありと認む。その原因 いずれにあるや調査の上、今後のため適当の措置を取るの必要ありと感ず。

 これを要するに本日の戦況は、第3師団の消極的態度により天谷支隊の進出を遅延せしめたるのみならず、第3師団の楊行鎮方面前進の準備においても遺憾なきを得ず。

 軍直属の重砲兵部隊は昨夜、呉淞錨地に到着、即時、上陸を開始せり。明日中には概ね戦列部隊の上陸を完了する見込みなり。

 公大方面攻撃部隊は歩兵2中隊を増加し、海軍陸戦隊と円満密接に協力し明日の攻撃を準備中なり。

 

  九月五日(第三師団ノ消極態度)

此日 宝山城前面 船中ニ在リテ戦況ヲ視察ス

羅店鎮、劉河鎮方面 変化ナシ

天谷支隊ハ今朝来、宝山城西方地区ニ展開シ 18 i ノ中間地区ヨリ前進シ 独力 宝山城ノ敵ヲ抑ヘツツ其西方 西門大街ノ線ニ前進ス 其行動 可賞

浅間支隊ハ依然 沙竜江ノ線ニ在リテ天谷支隊ノ進出ヲ俟ツ 同師団ノ輜重ノ残余ハ本日ヨリ貴陽湾根拠地ニ上陸ヲ開始ス

二、第三師団ノ情況

呉淞クリーク右岸ノ状勢 変化ナシ 第六十八聯隊ノ主力ハ漸次 敵ヲクリーク右岸ニ駆逐スルニ 曹家沙東側橋頭堡ハ夕刻 未タ奪取スルヲ得ス

歩兵第二十九旅団ノ半部ハ昨日 既ニ其兵力ヲ張家上附近ニ集結セルモ 34 i ノ上陸未完ノ為メカ 師団長ハ此日 其部隊ヲクリーク右岸ニ進出セシメサルノミナラス 宝山城ノ攻撃も之ヲ決行セス 自然 天谷支隊ヲシテ独力 西門大街ノ線ニ前進セシムルニ至レルハ 其協同動作上 遺憾 少カラサルノミナラス 昨日ノ軍命令ヲ軽シタルノ責アリト認ム 其原因 孰レニアルヤ調査ノ上 今後ノ為メ適当ノ措置ヲ取ルノ必要アリト感ス

之ヲ要スルニ本日ノ戦況ハ 第三師団ノ消極的態度ニ依リ天谷支隊ノ進出ヲ遅延セシメタルノミナラス 第三師団ノ楊行鎮方面前進ノ準備ニ於テモ遺憾ナキヲ得ス

軍直属ノ重砲兵部隊ハ昨夜 呉淞錨地ニ到着 即時 上陸ヲ開始セリ 明日中ニハ概ネ戦列部隊ノ上陸ヲ完了スル見込ナリ

公大方面攻撃部隊ハ歩兵二中隊ヲ増加シ 海軍陸戦隊ト円満密接ニ協力シ 明日ノ攻撃ヲ準備中ナリ

 

   9月6日(宝山城占領)

 この日、依然、宝山城沖において戦況を視察す。

 この夜、軍艦由良に敵機の爆弾を受け、艦側海上に3発落下(約30キロ弾)、破片のため水兵2名傷つきしが、予は知らずに眠り居りしは可笑し。

 第11師団方面の情況

 羅店鎮瀏河鎮方面変化なし。

 天谷支隊は今朝来、宝山城西方地区にある敵を撃破し、夕刻、概ね呉淞クリークの線に進出するを得たり。

 この戦闘において敵の降伏するもの約500に算せしも、その後なほ抵抗の意を顕せしをもつて、ことごとくこれを撃殺せり。

 この夕、上陸を完了せし野戦重砲兵連隊本部ならびに第1大隊を天谷支隊に配属し、当面の攻撃を容易ならしむ。

 第3師団方面の情況

 呉淞クリーク右岸、依然、変化なし。

 公大飛行場方面攻撃の18 i [歩兵第18連隊]の1大隊はこの日、一部をもつて江岸方面より、主力をもつて楊橋浦方面より敵陣を攻撃し、予定の第一線陣地を獲得するを得たり。

 呉淞クリーク右岸地区においては天谷支隊に協力し、概ねクリークの線に進出せり。宝山城は早朝より臼砲および榴弾砲の猛射の後、攻撃を実行し、11時ごろまづ西南門方面より、次いで南門および東南門方面の城壁を占領し、終日、城内に残留せる敵の掃蕩に当たる。

 かくて本日をもつて軍は呉淞クリーク右岸一帯の地を占領し、その根拠地を確保するを得たり。しかれども当面の敵の死守的健闘と、これに反する第3師団の消極態度により攻撃に時日を費やし、自然、この間敵軍の後方陣地構築と一部の増強とを招致し、今後、月浦鎮方面進出時期を遅延せしめたり。

 参謀本部西村騎兵少佐、情況視察のため一昨日来着、その言によるに参謀本部の当方面作戦に関する方針、依然改められず。まづ北支を片付け、次いで余力あればこれを江南に使用せんとする意向なると聞き、その妄を改めざる愚直さ加減に一驚せり。よつて予の江南作戦に関する軍の立場を説明し、少なくも取り敢へず1ヶ師団を増加することは、西方および南方に対し上海を確保するに緊要なる旨を懇切に説明し、将来、速やかに善処を約せしむ。なほ今後の軍の状勢判断は、もとより軍の任務達成上、我が軍に向かひ攻勢防御をなせる敵を撃破するを必要とするの意なることをも説明し置けり。

 

  九月六日(宝山城占領)

此日 依然 宝山城沖ニ於テ戦況ヲ視察ス

此夜 軍艦由良ニ敵機ノ爆弾ヲ受ケ 艦側海上ニ三発落下(約卅吉弾) 破片ノ為メ水兵二名傷キシカ 予ハ知ラスニ眠リ居リシハ可笑

第11師団方面ノ情況

羅店鎮、瀏河鎮方面 変化ナシ

天谷支隊ハ今朝来 宝山城西方地区ニアル敵ヲ撃破シ 夕刻 概ネ呉淞クリークノ線ニ進出スルヲ得タリ

此戦闘ニ於テ敵ノ降伏スルモノ約五百ニ算セシモ 其後 尚 抵抗ノ意ヲ顕セシヲ以テ 尽ク之ヲ撃殺セリ

此夕 上陸ヲ完了セシ野戦重砲兵連隊本部 并 第一大隊ヲ天谷支隊ニ配属シ 当面ノ攻撃ヲ容易ナラシム

第三師団方面ノ情況

呉淞クリーク右岸 依然 変化ナシ

公大飛行場方面攻撃ノ18 i ノ1大隊ハ此日 一部ヲ以テ江岸方面ヨリ 主力ヲ以テ楊橋浦方面ヨリ敵陣ヲ攻撃シ 予定ノ第一線陣地ヲ獲得スルヲ得タリ

呉淞クリーク右岸地区ニ於テハ天谷支隊ニ協力シ 概ネクリークノ線ニ進出セリ 宝山城ハ早朝ヨリ臼砲榴弾砲ノ猛射ノ後 攻撃ヲ実行シ 十一時頃 先ツ西南門方面ヨリ 次テ南門 及 東南門方面ノ城壁ヲ占領し 終日 城内ニ残留セル敵ノ掃蕩ニ当ル

此クテ本日ヲ以テ軍ハ呉淞クリーク右岸一帯ノ地ヲ占領シ 其根拠地ヲ確保スルヲ得タリ 然レトモ当面ノ敵ノ死守的健闘ト 之ニ反スル第三師団ノ消極態度ニ依リ 攻撃ニ時日ヲ費シ 自然 此間 敵軍ノ後方陣地構築ト一部ノ増強トヲ招致シ 今後 月浦鎮方面進出時期ヲ遅延セシメタリ

参謀本部 西村騎兵少佐 情況視察ノ為メ一昨日来着 其言ニ依ルニ 参謀本部ノ当方面作戦ニ関スル方針 依然改メラレス 先ツ北支ヲ片付ケ 次テ余力アレハ之ヲ江南ニ使用セントスル意向ナルト聞キ 其妄ヲ改メサル愚直サ加減ニ一驚セリ 仍テ予ノ江南作戦ニ関スル軍ノ立場ヲ説明シ 少クモ不取敢 一ケ師団ヲ増加スルコトハ 西方 及 南方ニ対シ上海ヲ確保スルニ緊要ナル旨ヲ懇切ニ説明シ 将来 速カニ善処ヲ約セシム 尚 今後ノ軍ノ状勢判断ハ 固トヨリ軍の任務達成上 我軍ニ向ヒ攻勢防御ヲナセル敵ヲ撃破スルヲ必要トスルノ意ナルコトヲモ説明シ置ケリ

 

↑松井井石根大将 出征日誌 第1巻(その1) 昭和12.8.14~9.22

防衛省防衛研究所 支那-支那事変日誌回想-307)