Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

「日満支の提携は現国民政府が存在する限り、到底望むべくもなく、日満支の提携の為めには、国民政府の打倒が先決問題であることである。而して、国民政府打倒の上に、日満支の結合に基く大亜細亜主義を実現するには、国民政府の背後にある英米との衝突が不可避と考えらるるのであつて、時局は今後極めて重大である。」 松井石根の大亜細亜協会にやって来た板垣征四郎の講話 1933.7.13

亜細亜協会年報. 昭和9年3月

亜細亜協会の諸会合(自昭和八年一月 至昭和九年三月)より


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板垣少将歓迎懇談会(七月十三日、大阪ビルに於いて)

七月十三日午後六時より、参謀本部附として着任せられた前奉天特務機関長、板垣征四郎少将の歓迎を兼ね、同少将の北支時局に関する講話を聴取した。右講話の要旨は左の如くである。

 「満州事変を惹起するに至つたのは、英米を背景とする国民政府の責任である。即ち、国民政府の現状では、将来どうしても満洲国を否定しようとするものであるから、東洋平和の基礎を確立せんとする見地より現国民政府を相手とし日満支三国の調整を図ることは不可能である。然りとすれば、支那の或地方に於て我々と手を握り得る者を支持し、北支地方に国民党と分離せる何等かの政権の樹立を希望する外はなかつたが、上海事変以来 抗日排日の声のみ高く、適当なる機会がなかつたのである。

 然るに停戦協定に依り、黄郛、何応欽を中心とする新政権樹立を見たのであるが、彼等は非国民党政府を標榜するも、黄郛自身何処迄も頑張り得る人でなく、また誠意を示さうとしても、自己の武力を持たない。また、黄郛、何応欽の政府が成功しても、河北省一省の問題である。停戦協定に依り長城に対する挑戦を断念せしむる目的は略達成せしめたと考へられるが、新政権が北支の時局を担当してゆくことは困難であり、今日の新政権は極めて不徹底なものと考へられる。

 蓋し新政権は(1)従来の旧東北軍西北軍の整理に当らねばならぬが、これを実現することは新政権の力では殆んど不可能である。(2)財政的に言ふも河北省には財源がない。中央からの仕送りがなければ、軍備さへ支出し得ない。即ち中央政府自体が、今日米国の借款を求め、その一部を此の地方に振向けることになつてゐる時、中央政府は、新政権を寧ろいびらうとするであらうから、財源の関係よりいふも、軍政の整理は余程困難である。

 また被武装地帯の整理、治安の恢復、戦争に依つて荒らされた地方の救済に於ても、黄郛が何応欽と一致し得るといふことも考へられない。

 顧みれば、日満支の関係は前途遼遠であつて、是を如何に処すべきかに却々名案がない。結局 今日の状態を打開してゆく為には、根気よく一貫せる方針を以てすべきであつて、第一になすべきは満洲国を速かに完成し、その内容の充実を計り、以てその余力を北支那に及ぼすことである。

 今日支那の人民は国民党を唾棄して已まず、彼等は、青天白日旗に対するより、第一革命時の五色旗に対し、何となく親しみを感じてゐる。

 故に満洲国の内容が充実し、日本の声明せる所が何等虚構に非ざることが示さるるに至れば、余得は自然に北支に波及するのである。

 また北支那から言えば、経済、交通等に於て満洲国とは一体の関係にある。然も、それは、河北のみでなく、山東、山西等黄河以北の地が此の関係に含まれてゐる。

 更に、日本からいへば、満洲国のみでは、資源は不足であつて、それは、北支那と経済的関係を密接にすることに依り補はれるべきである。殊にチャハルは経済的、軍事的に重大であるが、経済的に最も富むる山東省であって、その鉱山は特に注目せられる。

 今、国民政府は、北支を統一するの力がない。先年国民軍が北上したのは、力あまつて行つたものでなく、已む得ず行つたに過ぎない。然も、現在国民政府は没落の過程を辿るものであつて、統一の機運に向つてゐるものでなく、支那は割拠するのが自然の勢なる情勢にある。故に今日すべての解釈も、此の事実を根底におくの必要がある。

 是を要するに、国民党は、その組織そのものが、日本との提携策と両立し得ないものであり、却つてこれを障碍し、破壊する性質のものである。而して三民主義が仆れ、国家主義が抬頭しようとしてゐる今日、国家主義を助長させることは、最も緊要なことであるが、一党一派を助けることは日本の正道でなく、主義そのものを扶けることを目標とせねばならぬ。唯従来北支の国家主義青年党のごときを支持すべきであると考へられたのであるが、之も何処まで信を措いて提携し得べきか疑問である。

 以上の結論は、日満支の提携は現国民政府が存在する限り、到底望むべくもなく、日満支の提携の為めには、国民政府の打倒が先決問題であることである。而して、国民政府打倒の上に、日満支の結合に基く大亜細亜主義を実現するには、国民政府の背後にある英米との衝突が不可避と考えらるるのであつて、時局は今後極めて重大である。」

当日の出席者左の如くである(順序不同)。

板垣少将、松井石根、村川堅固、菊池武夫、紀平正美、石原莞爾、内藤智秀、樋口孝一郎、根岸佶、石川信吾、下中弥三郎、太田宇之助、筒井潔、岸井壽郎、今岡十一郎、清水薫三、中山優、小林順一郎、工藤豪吉、稲葉鼎一郎、三好康三、太田耕造、島谷寅雄、中谷武世。

 

↑大亜細亜協会年報. 昭和9年3月
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1443323/21