Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

「其の発するや旧東北軍権の暴虐より三千万民衆を救ひ、次いで久しく白人の専制搾取下に苦しんで居た全亜細亜民族を解放せんとする大慈大悲の勇猛心となり、其の結ぶや日満の一徳一心となり民族協和となり、其の実るや王道楽土の完成となり、延いては支那四億の民をして自ら満洲国を渇仰羨望させ、又、求めずして印度三億の民に自覚を促し、全亜細亜·全世界をして期せずして天皇の大御心に帰依し道義世界の再建に偕行協力せしめる様な」 満洲国の根本理念と協和会の本質に就て 『満洲国関係重要参考書類聚 基本篇』所収大幅改変·加筆版 


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満洲国の根本理念と協和会の本質に就て
(昭和11.9.18 関東軍司令部)

 満洲国の基本理念と協和会の本質とは、建国以来一貫不動のものなるも、動[やや]もすれば歪曲誤解せられ易きに鑑み、茲に軍司令官の意図を体し、永久に其の拠る所を明かならしめんとす。

 昭和十一年九月十八日
         関東軍参謀長 板垣征四郎

    一、満洲建国の世界史的意義

 階級闘争を手段とし無産階級を煽動して其の国際的提携支援により世界革命を企図する蘇連の野望と、資本主義的侵略により植民地の膏血を搾取して本国人の安逸を図らんとする英、米、仏、和等の世界政策とは、共に其の不純、功利的な当然の酬いとして、幻滅の方向を辿らうとして居る時に、独り皇道を基調とし共存共栄を目的とする我道義的世界政策にのみ、赫々たる光明を認めらる。

 満洲建国は「六合を兼て都を開き八紘を掩いて宇となすべき」我肇国以来の大理想を顕現する為の第一段階であつて  天皇の御稜威により旧東北軍権の暴政に苦悩しつつあつた三千万民衆を救ひ、更に全亜細亜民族を白人の桎梏より解放し、次いで白人共にも覚醒の機を与へるべき大使命を実現する為の第一歩的意義を有するものである。

 即ち強権を以て侵略制服する覇道ではなく、宛も太陽が六合を照し八紘を掩ひ万物を無限に生成発育せしめる様な絶対愛、即ち皇道に立脚するものである。

 満洲国の指導に関しては、建国当時に於て既に上述の理想に基づき我帝國と一体不可分の独立国として育成することに、其の大方針が画定せられたのである

 実に我が大和民族は内には優秀なる素質と卓越せる実力とを有し、外には寛仁謙譲の態度を以て他民族に交はり、裸一貫、何等の特権も持たない平等の境地に於て俯仰天地に愧ぢず、中外に施して悖らざる道義を以て他の民族を指導啓蒙し、宛も長兄が血を分けた弟に対する如き慈愛を以て其足らない点を補ひ、努めない者には大慈の鞭を加へ、まつろはない者は顕正の剣によつてまつろはせ、恩威並び行ひ、我に悦服信頼し進んで道義による世界の再建に協力せしめ、以て 天皇の大御心に副ひ奉るべき天与の使命を有するものである。

 治外法権を我より自発的に一方的に撤廃した真精神は、即ち在満大和民族が進んで特恵的条件を放棄し、喜んで平等の境地に立ち 多民族と共に栄えんとする決意を内外に闡明したものである。

 万一、満洲を以て日本の属国か又は保護国乃至植民地の様に考へるものがあつたなら、夫れは大なる誤である。又、英、仏等の植民政策に見る様に、各種民族を操縦離間し、之を対立相剋させて、結束して背反する力を減殺する様なことや、或は故意に此等民族を低分化未教育の状態に放置し、或は蘇連が階級闘争により各民族内部に革命運動を醸成させる様なことや、或は清朝の蒙古政策に見る様に、他民族を去勢し無気力、衰減に導かうとした様な秘道義的、権謀的、欺瞞政策は我が国是に鑑み絶対に採らない所である。各民族は各々其の伝統と希望とを持つて居る。従つて之を強権を以て圧迫すれば、一時的には屛息随従するであろうが、結局は各民族を絶滅させない限り何時かは反噬離反するものであることは、英国の愛蘭統治に見ても明かである。

 是即ち冒頭に述べた諸國の世界政策が何れも幻滅の悲運に際会して居る原因であると共に、道義を基調とし共存共栄を信条とする我皇国独自の世界政策に赫々たる光明を認められる反証である。

 我が一部の国民中にも「満洲国は独立国家であつて 何時背反するか判らないから、条約等で強く縛つて置く必要がある」と云ふ様な考へを抱いて居る者があるかも知れぬが、此の様な考へは西洋的法文至上主義より発したもので、極めて消極的思想であり、 天皇の大御心を奉体し天壌と共に無窮に発展する大和民族の信念と矜持とを有しないものの思想である。

    二、建国精神の真義

 満洲建国は前述の様に道義的世界完成の第一段階であつて、其の建国の精神は究極する所、日本精神に一致し、 天皇の大御心に帰着するものである。

 其の発するや旧東北軍権の暴虐より三千万民衆を救ひ、次いで久しく白人の専制搾取下に苦しんで居た全亜細亜民族を解放せんとする大慈大悲の勇猛心となり、其の結ぶや日満の一徳一心となり民族協和となり、其の実るや王道楽土の完成となり、延いては支那四億の民をして自ら満洲国を渇仰羨望させ、又、求めずして印度三億の民に自覚を促し、全亜細亜·全世界をして期せずして 天皇の大御心に帰依し道義世界の再建に偕行協力せしめる様な、無限の発展性を有するものである。

 換言すれば、満洲国の建国精神とは日満一徳一心、民族協和、王道楽土、道義世界の実現を理想とする 天皇の大御心に外ならないものである。

    三、日満一体不可分の真義

 満洲国は建国の本義に基き日本と皇道によつて固く結合した所謂皇道連邦内に於ける一独立国家である。

 皇道連邦とは決して権力と服従の関係より生ずるものではなく、四海に光被する 天皇の御稜威の下に万邦が喜んで生成発展し、侵略なく搾取なく、日本を精神的道義的盟主として結成せらるべき一大連邦国家群の姿である。

 卑近な例を取つて話せば、秀吉の馬標であつた千成瓢箪が最も良く日満の関係、否、皇道連邦の貌を明示して居る。皇道、即ち 天皇の大御心を軸心として其の周囲に無数の瓢箪が連結せられて居る有様は、宛も皇道による一大連合国家、即ち皇道連邦の姿である。個々に見れば各瓢箪は夫々個々の生命を持ち、瓢箪として夫々独立の機能を具有して居るが、全体的には強靭なる道義の蔓によつて根軸(皇道)に固く接合し、同一の総合的生命体を形成して居るのである。誰か個々の瓢を瓢と謂はないものがあらうか。併し又、此の一群の瓢を以て誰か千成瓢箪に非ずと謂ふものがあらうか。日満一体不可分の関係、及び之を拡大した皇道連邦の観念は、正に前述の通りである。保護国的思想を以て論ぜば、千個の瓢箪を某一個の瓢箪に呑み込んだ形になるものであつて、満洲国育の根本精神に全然背馳するものである。

 従つて 天皇は皇道連邦の精神的核心として道義を以て被圧迫民族を解放し給ひ、真の世界平和を実現し給ふ中心であり、満洲国皇帝は、回鑾訓民詔書にも宣べられた様に、 天皇の大御心を以て御心とせられ、且つ 天皇の御名代たる軍司令官の御輔導により、満洲国の中心として王道楽土を完成せらるべき主権者である。其の関係は、宛も月が太陽の光によつて光輝を発する様に、皇帝は 天皇の大御心を奉じ給ふことによつて皇帝としての尊厳を保持し給ふものである。即ち満洲国皇帝に忠勤を尽すことは、直ちに以て其の光源たる日本 天皇に忠誠を尽し、其の無窮の恩沢に浴し得る所以となるのである。

 又、別の観点から満洲国を見ると、我大和民族は他の民族と共に平等の立場に於て満洲国構成の道義的中核分子として偕に其の国家を形成して居るものである。換言すれば、日本と満洲国とは其の構成内容に於て血を分けた国家である。印度に於ける英国人の立場(征服者)と、満洲に於ける日本人の立場(特権を放棄せる一構成分子)とは、其の根底に於て全然違つた点があることを判然認識し、又、認識させねばならぬ。

    四、満洲国 政治の特色

 日満一徳一心、民族協和、王道楽土、道義世界の実現を理想とする満洲国の政治は、弊害多き過去の政治形態に執着することなく、真に新国家の本質と実情とに適合する公明正大のものでなくてはならない。従つて

 一、満洲国に於ては議会政治を否定する。

 議会政治は民主的、唯物的の政治に堕し、又、所謂衆愚の政治に陥り易い。文化の程度、未だ十分ならざる満洲国に於て特に然るのである。又、議会政治なるものは必然的に政党政治を誘導し、党利に偏し、党略に陥り、遂には朝野両党の対立抗争のみに止らず、四海同胞の国家を化して仇敵雑居の国家となす虞がある。我が満洲国の如く絶対に民族的対立を排除し、一貫せる方針の下に計画的施設を進め、以て民族協和·安居楽業の平和境を出現せしめんとする国家に於ては、議会政治は正に否定せらるべきである。

 二、満洲国に於ては専制政治を排斥する。

 共産党専制による蘇連の政治形態、又は蔣介石におよる武断専制の中国政治は、共に道義国家たる満洲国の運営に即応しないものである、蘇連の暴圧政治は蘇連邦の国情を基礎としたもので、同国のみに強行せらるべきものであり、又、武断専制の中国政治は其の変態的現状に於てのみ強行し得るのであつて、両者共に其の人民を窮迫困厄のどん底に陥らしめておる。此の様な政治組織が満洲国の本質に合致しないことは勿論である。

 三、満洲国は王道政治の実現を企図する。

 王道政治は哲人政治である。是は禅譲放伐を肯定する支那旧来の所謂王道思想に基く政治とは其の趣旨を異にし、大日本 天皇の大御心を政治上に顕現完成することを理想とするものである。即ち動もすれば国家本位より離れ党争の弊に陥り、或は衆愚の政治に流れやすい議会政治の顰に傚ふことなく、又、私人私党の利権に趨り易い専制政治の弊に陥ることなく、只管に道義の顕揚と人民の康福とを庶幾はせ給ふ 天皇の大御心を以て心とする哲人、及び哲人的組織体によつて運営せらるる政治が即ち王道政治である。

    五、満洲国政治(王道政治)の運営
   (皇帝、軍司令官、政府、協和会の相関)

 王道政治は皇道を生命とする哲人、及び哲人的組織体により運営せらるべきものであることは前述の通りである。然らば満洲国に於ける政治は如何なる哲人、如何なる哲人的組織体に依り運営せらるべきであらうか。

 満洲国皇帝は、其の回鑾訓民の詔書に明示し給へる如く、一徳一心、日本 天皇の大御心をお心とせらるる意義に於て哲人であり、 天皇の御名代たる軍司令官の御後見により、満洲国に於ける王道政治の中心たるべきものである。

 満洲国政府は皇帝を中心として建国精神を政治的に発動顕現せしむるものであり、其の構成分子たる官吏は建国精神の体得者中より任命せらるべきである。

(政府 及 官吏の性質 右の如くであるから 万一政府の行ふ所にして建国の精神に背馳するに至つたならば、既に其の資格は喪失せられ、其の存在は許さるべからざるものであり、其の官吏にして建国の理念に反するものあらば、之亦即時満洲国外に去らしむべきものである。)

 関東軍司令官は畏くも 天皇の大御心を奉じ、其の御名代たる資格に於て公人的哲人として皇帝の御輔導に任じ、且つ大御心を奉じて満州国政府の内面指導に任ずるものである。

 以上述べた様に、政府は皇帝を中心として官治機構を構成するが、未だ之のみを以て哲人政治の機構が完成したとは云ひ得ないのである。

 蓋し満洲国は建国、日尚浅く、未だ一般に建国精神の意義が徹底せず、国内諸民族は従来、必ずしも和親なりと云ふを得ず、寧ろ対立抗争の歴史を有し、又、国際情勢を考察するに、列国中には満洲国の発展を悦ばないものがあり、就中、接壤隣邦中には思想的に武力的に満洲国を撹乱して反満抗日の気運を作らんと企図して居るものがある。而も国内民族中には民族性と地理的歴史的関係よりして隣邦の撹乱工作に感染し易き特性を有して居るものがある。斯の如き不健全なる環境に於て、是等の障碍に対抗し、之を排除して 天皇の大御心に基く建国精神を普及徹底し、如何なる外力作用があつても巍然として建国精神を堅持する国民を養成することは、真の国家の大業にして、政府機構のみに委してなし得るものではない。

 加之、満洲国民の大部は三千年来、官治政治に虐げられた歴史こそあれ、之によつて慈育された経験を持たない。従つて民衆は動もすれば政府と官吏とを目して苛斂誅求の暴圧者と做すことはあつても、之を以て民衆の慈育者であり、其の生命財産の保護者たりと信頼して赤裸々の気分を以て接して来る様なことは容易に望み得ないのである。

 固より満洲国政府の官吏は建国精神の体得者中より任命せられ、燃へるが如き熱誠を以て民衆に接し、之に対して建国精神を注入することに努むべきことは勿論であるが、其の立場は兎角、日常行政の処理に忙殺せられ 、又、必然的に官治行政の分野以上に民衆生活の内部に深く浸透することは不可能なものである。

 茲に於てか、建国精神を普及徹底し、如何なる誘惑策動に対しても之を堅持し実践する国民を養成すべき全国的組織を必要とするものであつて 其の機関が野に在りて政府の政治的発動に照応し、民衆と共に自らの実践を以て之を教導し、建国精神の真義を民衆に徹底せしめ 、以て日満一徳一心に基く真の王道楽土を建設し、民族協和して道義世界を実現せしむる様に努める必要がある。此の必然的要求により生れたものが、即ち満洲帝国協和会である。

 以上述べたる所の皇帝、軍司令官、政府、協和会が渾然一体の哲人的組織体となつて活動する時、始めて王道政治の実現を期待し得るのである。

 (協和会の歴史)

 協和会は其の淵源を満州事変前に於ける旧東北軍権の飽くなき暴政、圧迫、搾取に対する民衆の奮起に端を発し、之を膺懲する為に満洲青年連盟及び雄峯会等の結成となつて現はれ、日満憂国の志士を核心として皇道国家の建設に献身的活動を為し、次いで国家の公的機関たる自治指導部となりて建国運動に尽瘁し、軍司令官の直系指導下に於て或は匪賊の討伐に随伴し、或は軍閥暴政の社会的汚毒を粛正し、建国精神を思想的に、教化的に、政治的に実践具現せしめることを生命として建国の天業に参与貢献し、各民族合意合作の国家完成に努力し来つたものである。

 昭和七年七月、満洲国協和会が国家機関として設立せられたが、実質的にその前身は前述の如く建国に先だちて産れて居たものと見るべきである。

    六、満洲帝国協和会の本質と其使命

 満洲帝国協和会は官民一途の全国的組織体であつて、皇帝は協和会精神の最高の具現者として軍司令官の後見により協和会指導の中心たるものである。

 而して其の使命とする所は、建国精神を全国民に徹底し、之が実現に身命を惜まざる熱烈なる建国精神の体現者を養成すると共に、政府の政治的発動·顕現に照応し、教化的、思想的、政治的に実践し、民衆を教導し、且つ政府の行ふ所をして民情に即せしむるに力むるのである。

 之が為、民族と階級と職域の如何を問はず、真に同志たり得る資質を有する者を簡抜し、教導し、訓練し、陶冶して、如何なる困難、如何なる障碍に会するも毫も屈せず、撓まず死力を尽して建国精神を護持し実践し、而も燃ゆるが如き熱情を以て四周の同胞を感化し指導し得る真の共和会員を獲得し、此等会員の協力奮闘に依り遂に全国民を誘導教化し、以て建国精神を満洲全土に徹底せしむることが絶対必要である。又、野に在る協和会員が民衆と共に実践し垂範し建国精神の顕現に努むると共に、民意を未然に察して之を政府に通じ、政府の行ふ所をして民衆の実際生活に即応せしめ、依つて以て哲人政治をして専制政治に陥らしめず、官民を結合し「政治の発動と其実践」とを調和融合して、始めて能く満洲国の健全なる発達を図り得るのである。

 皇道宣布の目的を有する組織体を協和会の名を以てする所以のものは、斯の大偉業が天の時(満洲事変)、地の利(大陸の一角)に依りて発生せりと雖も、人の和を以て更に重要なる素因とし、特に数民族合作の新国家の基礎確立には民族協和を以て先決の要件と為すからである。

「即ち同一の理念を有する血盟的同志を各民族間に求め 民族内部並び相互の協和結合を図り、外力又は内争に依つて民族の分裂解体運動が起る様な場合に於ても、之を未然に防止し、所謂、砂を固めるセメントの作用を為すものである」

    七、協和会と政權

 協和会の本質と其の使命は前述の如くであつて、政権獲得を唯一の目標とする現存政党の如きものとは断じて其軌を同じうするものではない。即ち求むることなき絶対愛を以て政府を抱擁する絶対的母体であつて、其の主張する所は寸毫も権利の獲得ではなく、又、其の実践する所は法に縛られた義務でもない。政府と協和会とは唯其の職能を異にすると雖も、相呼応して官民一体、建国精神の実現、道義世界の完成を期するものである。

 右の如きを以て、協和会は政府の従属機関たらざると共に、又、断じて政府と対立する機関でもない。従つて協和会は議会政治に見るが如く野党の立場に於て故意に政府の施設を論難攻撃するものでもなく、又、与党として政府と苟合し野次と腕力とを以て野党を制圧せんとする様な低級な政党でもない。即ち結合して私利私欲に趨ることもなく、実践して一方に偏することなき唯一永久の有機的実践組織体である。

 而して政府の官吏は熱烈なる建国精神の体現者でなければならない。必然の結果として協和会員中より之を求めらるべきである。

 右の如く、官吏は固より熱烈なる協和会員と雖も、官治の分野に於ける職責は政府官規の統制を受けるものであつて、政治的発動顕現に関する指導を協和会機関に仰ぐものではない。従つて協和会と政権との混淆を来すが如きことは有り得ないのである。

    八、軍司令官の内面指導と

      政府及び協和会 各首脳者

 協和会の本質は前述の通りであつて、時代と人によつて其の解釈を異にすべきものではない。満洲国に於ては軍、官、民と民族の如何を問はず進んで協和会に入り、相互に切磋琢磨して其の発展を計り、官吏は官吏の立場より建国精神の顕現に努め、正しき民意を野に在る協和会員に聞き、其の行政をして建国精神の軌道外に出づるを戒め、又、野に在る協和会員は朝に在る同志会員たる官吏の政治的発動に呼応し、率先、之が実践に努め 、両者融合して各機能の運営に熟し、庶政の根基、大本にして確立するに至つたならば、軍司令官の内面指導は大綱の把握のみに止め、政治、経済、思想、教化等の直接指導は、真の協和会員より成る政府及び協和会の各首脳者を通して之を行はしめ、自らは沈黙の威信を示して力を統帥に傾注することが可能となるであらう。又、斯くあることを理想としてをるのである。

 

満洲国関係重要参考書類聚 基本篇
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C12120096600 p.12-p.