Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

上海·南京侵攻戦に落ちる毒ガス·細菌戦の影 1937.8.15~12.16

 臨参命第73号

      命 令

一 上海派遣軍(編組、別紙の如し)を上海に派遣す。

二 上海派遣軍は海軍と協力して上海付近の敵を掃滅し、上海並び其の北方地区の要線を占領し、帝国臣民を保護すべし。

 [中略]

六 細項に関しては参謀総長をして指示せしむ。

   昭和12年8月15日

別紙

  上海派遣軍の編組

上海派遣軍司令部     (参謀総長

第3師団         ( 

第11師団(天谷支隊欠)  (

 [中略]

野戦瓦斯第7小隊     (第7師団長管理)

 [以下略]

↑臨参命綴(支那事変)巻1(1) https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C14060903000 p.53-p.58

 

 臨命第452号

      指 示

 臨参命第73号に基き左の如く指示す。

 [中略]

五、催涙筒の使用に関しては別に示す。

 [中略]

 昭和12年8月16日

      参謀総長 載仁親王

上海派遣軍司令官 松井石根殿

支那事変 臨命 巻1 第431号~452号 https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C14060925200

f:id:ObladiOblako:20200920203426j:image


f:id:ObladiOblako:20200920203741j:image

 

8月16日

 [前略]

 みどり筒に関する指示。

 [中略]

 催涙筒使用は別に指示すとあり、之に関し石原少将に意図を確かめたるに、結局、第一線にて適宜、発煙筒を混用する程度に使用、已むを得ざるべし。

 海軍は国際都市にて之が使用を嫌ひあり。

 尚、敵には瓦斯の準備ありやの情報あり。

 我が催涙筒を使用したる為、敵に瓦斯を使用されては少々困る。

上海派遣軍参謀長、飯沼守の日記より

 

 臨参命第119号

       命 令

一 上海方面に第10軍並び所要の兵力を増派す。

二 第10軍は海軍と協力して杭州湾北岸に上陸し、上海派遣軍司令官の任務達成を容易ならしむべし。

三 上海派遣軍司令官は現任務を続行すると共に、第10軍の上陸を援助すべし。

四 細項に関しては参謀総長をして指示せしむ。

   昭和12年10月20日

 

 臨参命第123号

       命 令

一 左記部隊を北支那方面軍戦闘序列並び第1、第2軍戦闘序列より除き、第10軍司令官の隷下に入らしむ。

(イ)北支那方面軍戦闘序列より

    第1野戦化学実験部  第1師団長管理

[中略]

   北支那方面軍直轄平坦部編成中

    4号野戦瓦斯廠   第16師団長管理

[中略]

(ハ)第2軍戦闘序列より

[中略]

    野戦瓦斯第6中隊(乙)第2師団長管理

    野戦瓦斯第8小隊  第16師団長管理

[中略]

四 細項に関しては参謀長をして指示せしむ。

   昭和12年10月20日

↑臨参命綴(支那事変)巻1(4) https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C14060903300 p.13-p.16

 

四、緑筒の利用に就て

 緑筒は毒瓦斯にあらず、各隊は必要に応じ最も有効に使用すべし。然れども之亦其の補給十分ならざるを以て、特に必要大なる場合に於てのみ使用するの着意を必要とす。
 尚、軍に於ても防毒面を有せざる部隊あるを以て、此等友軍に危害を与へざるの注意を必要とす。

十一、衛生に関する件

[前略]又、上海方面の軍に於て九月初旬コレラ突発し、多数の罹患者を出し軍の戦闘力を著しく減殺せしが、其の原因は敵の細菌散布に依るの疑、 濃厚なり。(支那軍の指令を奪取せるところ、其の中に井戸水を飲用すべからずとの指示あり、即ち敵が井戸に細菌を投ぜしものと察せらる。)故に仮令井戸水と雖、生の侭飲用すべからず。濾過器には石井式と岡崎式と二種類あり。岡崎式は細菌を除去するの効果なきを以て、更に煮沸を必要とす。
 石井式は完全に細菌を除去するを以て、石井式に依り濾過せる生水は其の侭飲用するも差支へなし。[以下略]

↑第10軍作戦指導に関する参考資料 其1
軍参謀長注意事項 昭和12年10月25日
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C11111741600 p.3~p.4, p.8~p.9

 

 臨参命第137号

       命 令

一 別紙の如く上海派遣軍瓦斯隊編成を令ず。

二 前項の部隊は乗船港出発又は上海派遣軍瓦斯隊長上海到着の時を以て其の隷下に入るものとす。

 昭和12年10月30日

別紙

  上海派遣軍戦闘序列付表 第三

   上海派遣軍瓦斯隊編成

上海派遣軍野戦瓦斯隊本部(2号野戦瓦斯隊本部)             (第2師団長)

野戦瓦斯第1、第2中隊(甲) (近衛師団長) 

野戦瓦斯第5中隊         (第2師団長)

野戦瓦斯第13中隊        (第7師団長)

野戦瓦斯第6、第7小隊       (第7師団長)

 備考

  下段括弧内は動員管理者を示す。

↑臨参命綴(支那事変)巻1(5) https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C14060903400 p.13, p.17

 

 臨参命第138号

       命 令

一 左の部隊を中支那方面軍に編合し、中支那方面軍司令官松井大将をして指揮せしむ。

 中支那方面軍司令部

 上海派遣軍

 第10軍

ニ 中支那方面軍司令官の任務は、海軍と協力して敵の戦争意思を挫折せしめ、戦局終結の動機を獲得する目的を以て上海上海付近の敵を掃滅するに在り。

三 細項に関しては参謀総長をして指示せしむ。

   昭和12年11月7日

↑臨参命綴(支那事変)巻1(5) https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C14060903400 p.15-p.16

 

 臨命第595号

      指 示

 臨参命第138号に基き左の如く指示す。

[中略]

三 瓦斯並び催涙筒に関しては追て示す。

 

支那事変 臨命 巻1 第574号~608号 https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C14060925500 p.21-p.22

 

  南京攻略に関する意見
        昭和12月[→年]11月30日
        丁集団司令部

    一、要領

 南京攻略は、先づ敵が湖東会戦に於て蒙りし精神的打撃、及指揮組織の混乱を未だ回復し得ず、且南京防禦の組織完成せざるの期に乗じ、神速果敢なる追撃に依り一撃に之を急襲奪取するを以て第1案とし、若し敵にて態勢を整頓し防備堅固にして要塞戦を惹起する虞あるに至りたる場合には、特種の方策を採るものとして之を第2案とす。
 而して先づ第1案を敢行し、已むを得ざる場合に於て第2案の実施に移行するものとす。

[中略]

    三、第2案

 南京を急襲に依り奪取し得ざる場合の攻略案。
 此の場合に於ても正攻法の要領に依り力攻することを避け、左記要領に依り攻略す。
 急襲案と同一要領に依り、先づ南京に急追し包囲態勢をて完了し、主として南京市街に対し徹底的に空爆、特にイペリツト及焼夷弾を以てする爆撃を約1週間連続的に実行し、南京市街を廃墟たらしむ。

[中略]

 本攻撃に於ては徹底的に毒瓦斯を使用すること極めて肝要にして、此際、毒瓦斯使用を躊躇して再び上海の如き多大の犠牲を払う如きは忍び得ざるところなり。
 一方、軍としては南京攻略の際、敵の毒瓦斯使用及び細菌散布は当然あるものと判断し、所要の準備あるを要す。

↑第10軍作戦指導に関する参考資料 其2(6)より

「南京攻略に関する意見」
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C11111743000 p.26-p.28

 

 大陸命8号

    命 令

一、中支那方面軍司令官は海軍と共同して敵国首都南京を攻略すべし。

ニ、細項に関しては参謀長をして指示せしむ。

   昭和12年12月1日

↑命 巻2 3部の内1号(1) https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C14060903700 p.17

 

 大陸指第9号

     指 示

 大陸命第8号に基き左の如く指示す。

 [中略]

四、瓦斯並び催涙筒の使用に関しては更めて指示を待つべし。

 昭和12年12月1日

↑指 巻2 第9号~31号 https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C14060925900 p.1

-p.2

 

丁集作命甲第56号
   丁集団命令  12月6日正午
          於湖州
一、中支那方面軍は南京要塞を攻略す。
上海派遣軍は[以下略]
上海派遣軍と丁集団との作戦地境は[以下略]

二、集団は南京に向ひ追撃を続行せんとす。
[中略]
八、第1野戦化学実験部は南京へ急行し、第一線部隊と協力し科学捜索に任ずべし。
九、各部隊主力の雨花台─綿花地の線を越へ南京市街への進入に関しては別命す。
[中略]
          丁集団司令官 柳川平助
下達方 印刷命令を交付す。

↑第10軍作戦指導に関する参考資料 其3(1)
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C11111743500 p.38-p.42

 

丁集作命甲号外

   丁集団命令  12月6日午後2時
          於湖州
一、野戦瓦斯第6中隊及び第8小隊は湖州─宣興─溧水─南京道を速に南京に向[け]前進すべし。
二、予は湖州にあり。
          丁集団司令官 柳川平助
 下達法 筆記せるものを交付す。 

 

  指示        12月6日午後2時
            於湖州

第1野戦化学実験部は野戦瓦斯隊より湖州に於て左記資材を借用並受領すべし。
第6中隊より物料検知器五組、斥候検知器三組を借用。

第8小隊より晒粉箱(消函三個入)三箱を受領。
          丁集団参謀長 田辺森武

 

  指示        十二月六日午後二時
            於湖州
野戦瓦斯隊は左の如く第一野戦化学実験部に対し湖州に於て資材を貸与並に交付すべし。
第6中隊
 物料検知器五組、斥候検知器三組を貸与。
第8小隊
 晒粉箱(消函三個入)三箱を交付。
          丁集団参謀長 田辺森武

第10軍作戦指導に関する参考資料 其3(2)
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C11111743600 p.4, p.5, p.7

 

    注意

一、城内には毒瓦斯及細菌散布の疑あり、殊に水につき注意を要す。
被毒の疑あるものは速に報告すべし。化学実験部は師団と同行しあり。

↑南京附近戦闘詳報 (第6号)
昭和12年12月10日~12月13日 歩兵第150連隊(1)
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C11111559100 p.22

 

   南京城壁占領

 第6師団歩兵第47聯隊第3中隊は12月12日午後0時20分、南京城壁上を占領し日章旗を掲ぐ。之れ南京攻略作戦に於ける全軍の魁なり。

↑第10軍作戦指導に関する参考資料 其3(3)
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C11111743700 p.4

 

丁集作命甲第65号
  丁集団命令 12月12日午后3時30分
        於秣陵関
一、第6師団は野戦瓦斯第6中隊及び野戦瓦斯第8小隊を区処し、南京の掃蕩に任ぜしむべし。
          丁集団司令官 柳川平助
下達法 両部隊長に印刷命令を交付し、第6師団には同命令を送達す。

↑第10軍作戦指導に関する参考資料 其3(3)
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C11111743700 p.6

 

丁集作命甲号外
  丁集団命令 12月13日午前8時30分
        於秣陵関
一、敵は南京城内に於て頑強に抵抗を続けつつあり。
二、集団は南京城内の敵を殲滅せんとす。
三、丁集作命甲第56号第9項の制限を解く。
四、各兵団は城内に対し砲撃は固より有らゆる手段を尽し敵を殲滅すべし。
之が為、要すれば城内を焼却し、特に敗敵の欺瞞行為に乗せられざるを要す。
五、集団の掃蕩区域は共和門─公園路─中正門─中正路─漢中路(含む)以南とし、以北は上海派遣軍の担任とす。
          丁集団司令官 柳川平助
 下達法 印刷命令を交付す。

↑第10軍作戦指導に関する参考資料 其3(3)
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C11111743700 p.19-p.20

 

支受第6030号 其の4
【極秘】丁集1野化報第6号
        昭和12年12月19日
        於湖州
  第1野戦化学実験部要報第7号

  一、戦闘経過の概要

(一)12月6日、丁集作命甲第56号に依り、第一線と協力し南京に於ける化学捜索をなすべき命を受くるや、主力を以て直ちに湖州出発、12月8日夜、東善橋に到着し、第六師団及第114師団司令部に各々連絡将校を派遣し緊密なる連携を保持す。

(二)爾後、主力は第6師団師団司令部に続行し、連絡将校を第六師団司令部、第6師団右翼隊第一線及び第114師団司令部に派遣し、敵化学戦に関する情報の収集をなすと共に、師団の通報に依り花岩寺高地等、撒毒地域構成の疑ひある地点に対し化学捜索を実施し、其の結果を逐次第一線部隊に通報せり。

(三)12月13日正午頃、第6師団掃蕩隊と共に南門より南京城内に突入し、先づ最も緊要なるクリーク、井水等に対し化学捜索を実施し、其の結果、撒毒なき旨を標示すると共に、適時第一線部隊に通報し、軍をして危惧の念無からしめたり。爾後、16日迄化学捜索を引続き実施せり。

  二、化学捜索を実施せる箇所

(一)軍作戦地域境内に於ける各クリーク及井水
(二)金陵兵工廠
(三)軍政部応用化学研究所
(四)軍政部学兵隊
(五)軍政部軍医署
(六)軍政部軍官学校
(七)軍政部
(八)軍政部陸軍部
(九)軍政部参謀部
(十)国立中央大学
(十一)金陵大学
(十二)南京市立病院
(十三)其他陸軍官衙諸学校

  三、敵軍化学戦に対する判断

(一)敵は化学戦を重視し、瓦斯使用に関し一応準備を為しありしも、撒毒等に任ずる化学戦部隊は戦はずして南京より撤退せしを以て、今後、敵軍が瓦斯を使用するの懸念、全くなしとせず。然れども其の瓦斯使用は頗る幼稚なるものと判断す。

(二)敵は瓦斯防護に関し相当の準備をなしあるも、之に対し猶多大の欠陥を有しあるを以て、我が軍の瓦斯使用は極めて有利なり。

附記

鹵獲せし多種の敵軍化学戦資料に就ては今後、実験調査の上、詳報す。

↑第1野戦化学実験部要報の件(3)
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C04120414400 p.8-p.