大義を八紘に宣揚し、坤輿を一宇たらしむるは、実に皇祖皇宗の大訓にして、朕が夙夜眷々措かざる所なり。而して今や世局は其の騒乱、底止する所を知らず、人類の蒙るべき禍患、亦将に測るべからざるものあらんとす。朕は禍乱の戡定、平和の克復の一日も速かならんことに軫念、極めて切なり。乃ち政府に命じて、帝国と其の意図を同じくする独伊両国との提携協力を議せしめ、茲に三国間に於ける条約の成立を見たるは、朕の深く懌ぶ所なり。
惟ふに、万邦をして各々其の所を得しめ、兆民をして悉く其の堵に安んぜしむるは、曠古の大業にして、前途甚だ遼遠なり。爾臣民、益々国体の観念を明徴にし、深く謀り遠く慮り、協心戮力、非常の時局を克服し、以て天壌無窮の皇運を扶翼せよ。
昭和十五年九月二十七日
内閣総理大臣 公爵 近衛文麿
陸軍大臣 東条英機
外務大臣 兼
拓務大臣 松岡洋右
文部大臣 橋田邦彦
商工大臣臨時代理
大蔵大臣 河田 烈
大蔵大臣 河田 烈
内務大臣 兼
厚生大臣 安井英二
司法大臣 風見 章
逓信大臣 兼
鉄道大臣 村田省蔵
農林大臣 石黒忠篤
海軍大臣 及川古志郎
企画院総裁 星野直樹
大義ヲ八紘ニ宣揚シ坤輿ヲ一宇
タラシムルハ實ニ皇祖皇宗ノ大
訓ニシテ朕ガ夙夜眷々措カザル
所ナリ而シテ今ヤ世局ハ其ノ騷
亂底止スル所ヲ知ラズ人類ノ蒙
ルベキ禍患亦將ニ測ルベカラザル
モノアラントス朕ハ禍亂ノ戡定
平和ノ克復ノ一日モ速ナランコトニ
軫念極メテ切ナリ乃チ政府ニ命ジ
テ帝國ト其ノ意圖ヲ同ジクスル
獨伊兩國トノ提攜協力ヲ議セシ
メ茲ニ三國間ニ於ケル條約ノ成
立ヲ見タルハ朕ノ深ク懌ブ所
ナリ
惟フニ萬邦ヲシテ各〻其ノ所ヲ得シ
メ兆民ヲシテ悉ク其ノ堵ニ安ンゼ
シムルハ曠古ノ大業ニシテ前途甚
ダ遼遠ナリ爾臣民益〻國體ノ觀
念ヲ明徴ニシ深ク謀リ遠ク慮リ
協心戮力非常ノ時局ヲ克服シ以
テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼セヨ
昭和十五年九月二十七日
内閣總理大臣 公爵 近衞文麿
陸軍大臣 東條英機
外務大臣 兼
拓務大臣 松岡洋右
文部大臣 橋田邦彦
商工大臣臨時代理
大蔵大臣 河田 烈
大蔵大臣 河田 烈
内務大臣 兼
厚生大臣 安井英二
司法大臣 風見 章
逓信大臣 兼
鉄道大臣 村田省藏
農林大臣 石黒忠篤
↑署名原本・昭和十五年・詔書九月二七日・日本国、独逸国及伊太利国間三国条約締結ニ関スル詔書 JACAR (アジア歴史資料センター) Ref. A03022428400、(国立公文書館 御23265100)