Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

「如此将兵の性欲の吐け場所を何人が考へ出したかと其の経営者に問ふたところ、現文相荒木大将閣下なりと答えた。大将が即ち立案者であり、亦元締であるといふ。」 早尾乕雄『戦場心理心理の研究(総論)』第八章「戦争と性欲」 1938.5.31


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第八章 戦争と性欲

 今事変に於て目立った軍部の副業の一つに慰安所なるものがあった。其の数は実に夥しきもので、津々浦々迄行き届いたものである。如此将兵の性欲の吐け場所を何人が考え出したかと其の経営者に問うたところ、現文相荒木大将閣下なりと答えた。大将が即ち立案者であり、亦元締であるという。故に売笑婦と雖も是れ軍婦なりという。軍が汽車船舶自動車の世話をなし、戦地へ着けば出迎えを受け、其の保護のもとに動き、軍より与えられた家に生活をしてる。そして御客は将兵と限られてある。将校慰安所下士官以下の慰安所と画然と区別されて設けられてある。其の設置に当る者は本科の将校で、少尉から中佐位の人が之にあたり、女を選ぶ、商売に適不適を決定する者は軍医である。慰安所によっては楼主にあたり、牛太郎の様な者も付いて居り、其等が相当手広く縄張りを持って居る(例之上海)。従って其の収入も一時は巨額に上り、一ヶ月一万円の純益をみてるが如きものもあると言われた。女は約一年も辛棒すれば凡千円の金を懐にして自由の身となりて国へかえり得る様になってるとの話を聞いたことがある。其の代り客を取る数も多いのは一日に四五十人に達するのもあるという。実際、将兵の数に比較すれば売笑婦の数は微々たるものであって、到底、兵の要求通りには応じ兼ねる。売笑婦は日本、支那、朝鮮の三種になって居る。如此女の数は、確実の所は不明であるが、中支だけで五六千人位と思われる。何のために軍監督の下に売笑婦軍が渡支し来ったか。恐らく線線に立つ将兵が一度休戦状態になった時に爆発する性欲の発散場所を与えたのであろう。然らざれば将兵の気は益々荒くなり、支那婦人を姦することも起るであろうし、酒の上の上の障害沙汰も起るだろう。将兵の気持を和らげるには女を用うるが最上策と考えたのにあると思う。

 北支某地にては更に進んだ方法が講ぜられた。支那女学生と契約して将校に限り其のアパートに通わしめ、御互に利益交換の道を開きしと。即ち学資の道絶え生活の資を失った女学生の救済法となり、将校は語学勉強の傍ら安全なる生理的要求の満足を得たわけである。中支には何処に行くとも如此女性は得難いので悉く売笑婦である。此の慰安所設置は将兵の精神緩和には少からず役に立ったが、花柳病は是が為めに増加した。休戦状態間に尤も目立った産物は犯罪行為と花柳病患者であった。犯罪行為中、性欲に関係あるものは、強姦若くは変態性欲的行為である。慰安所の女は決して完全な身体ではなく、其の既に有する性病の重きを除き、或は休業させるだけで、無病というのは殆どなく、亦在っても忽ち多くの客をとる間に感染をしてる。将校へ供給する女は比較的軽く、兵へ供給する女は相当に顕著なる者も止むなく勤めさせるという取扱い方である。女の数が兵の需要に応じ兼ぬると共に、幾人かは病の為に使用に堪えぬ様になり、益々兵を満足せしむる上に困難が状態である。慰安所にて足らざる故に自ら兵は支那婦人へ向い、安価に目的を達する道を選ぶ。是が殆んど性病を持って居る。生活に困った下層級の支那婦人は自ら街頭に出て身を売る様になり、十銭二十銭で兵隊を対手にする様になった。小さき包を背に負ひ何処の空家でも利用する。遠慮なく宿舎へとやって来る。慰安所は兵は一円乃至二円(三十分間)、将校五円位の定りであつた。兵の俸給に対して二円は高過ぎると言いつつ支那婦人へと変る傾向があらわれた。是ばかりでなく遂には脅迫して只で支那婦人を冒すものもあらわれて来た。例之農家に侵入し亭主を監視し其の妻を姦するというやり方である。支那婦人に向ふ様になったのは、一つは日本人朝鮮人の売笑婦より性病を受くることを恐れるのと、亦一種の好奇心から強き興奮を味わわんとするを目的とするものと考えられる。

 女気のなかった時にはたとえ片輪者でも如何なる醜婦でも老婆でも左程も考えなかった状態であったが、次第に支那人が帰り来り、其の中に若き女の居るのを見た時は非常な誘惑になったと考えるが当然である。是がために思いも寄らぬ犯罪に陥る者も出来た。惜むべきことである。

 然るに慰安所は軍では持ち切れなくなって来た。亦支那婦人は次第に解雇する方針となり、部隊の前方移動と共に閉鎖されて行くものもある。上海の如きは他に沢山のぬけ道があるから漸次不必要となるわけである。然らば女軍は何処へ行くだろうか。彼等は次第に前進して行く。そして前線にある将兵の需要に応ずるのである。或る女衒の談話の中にあった。部隊の行進すると共に女軍もトラックで進む。是が兵の慰安となり鼓舞ともなり、女の中には恋人を慕い行く心持の者もあると。而も花柳病患者は前線より送らるる中に多きを見るとは皮肉な現象と言わねばならぬ。

 余は兵について問うた。何故に防具を使用せぬかと。彼等の答は悉く「持っては行くが、酒に酔ううちにそんなことは忘れて了ったり、平気だという心持になる」と。中には女の方が病気もないのに防具を使用する必要はないと忌避する場合もあり、或は自然の感覚を疎害するからとの理由もある。大多数は酒の勢で感染を怖れぬというのにあると考えられる。亦一度罹りたる者が再々くり返すという例が多いが、是は無頓着になる結果であろうが、余が検した例には、感染入院し治ると共に二度と売笑婦には触れまいと固く決心し、却って路傍の支那婦人に誘惑を感じ是を姦した兵があった。是も飲酒の上の暴行である。或は慰安所の女に通う時がないため用弁外出の時に支那民家へ侵入して脅迫のもとに若き女を輪姦した例もあった。

 結局、性欲の問題は戦場に限らず男性が異性との接触の機会を遮断せらるることから起る以上は、其の自由を与えられられし時に於て、飢餓せる者の食を貪る如く、性欲を満す為めには方法を選ばぬ現象を示すのが普通かも知れない。此処に娼妓の必要も存し、ストリートガールの出現も許されるのであろう。与えられざれば強姦をやっても差支ないではないか。そんな事は見逃して置けば良いと言う人も少くない。日本人は余りに潔癖過ぎでいけない。西洋人の如くに野合をなし居るを知っても横を向いて知らぬ顔で通って行けば善いではないか。彼等は必要があっての行為なんだからと言う人もある。余は是に絶対に賛成しない。亡び行かんとする国では是を抑える力がないのである。日本の如き振興に向う国では断じて如此行為を見逃してはならぬ。決して潔癖なるが故ではなく、国民教育上ゆるせぬものと解釈すべきである。

 慰安所は強姦を防ぎ、亦安価で身を鬻ぐ女との接触を防ぐための施設であると解釈できるが、実際に於ては其の目的は貫徹されなかったことは遺憾である。

 変態性欲的行為としては勿論其の例は多くはない。

 其の例としては、死人の陰部に悪戯せるもの(男女)、捕虜の陰部に特に悪戯せるもの(即ち陰茎に油を注ぎ是に点火せること)、或は他兵若くは支那人(殊に夫の前)に見られつつ性交せる者、或は性交にて足らず虐待し或は是を銃殺せる者、等を挙げる事が出来る。亦、支那婦人の中には金を貰いて陰部を見せる悪風がある。兵も是に興味を感じ、脅迫の上、見ることに止まらず遂に強姦に及んだ例もあった。

 上海事変の時には、女の乳首のみ切り取り、紙に包みて持ち歩きたる兵があったと聞いた。今度の事変には女が逃げて居らなかったからこんな例はなかったと思う。

 性欲は抑え難きが普通であろう。然し半歳や一ヶ年是を抑えらるぬ事はない。禁欲生活の所へ若き女を見せらるる事は誘惑となるが当然である。然し誘惑に勝てぬことはない。

 或る要人は、将校はすべからく酒をつつしみ行いを正しくすべきだ。故に禁酒·禁欲を以て範を兵に示しては如何かと。此の言葉は今事変の裏面に向かっては至言である。日本軍の強いのは兵に中心点がある。休戦間はありとあらゆる不仕鱈があっても、いざ戦となると別人の如く強い。是は世界に例がないであろう。反之、兵の模範となるべき将校が極めて素行が悪い。是を改めて兵をして常に規律あらしめたならば、更に日本軍の声価は挙るだろうと同要人は評された。亦、今事変に於て教育の高き者は将兵共に概して成績が宜しい。依って将来は更に教育の徹底を必要とするの意見も出た。強くばかりあって如何に広く敵地を占拠しても、将兵が良民の反感を買う行為があっては宣撫の努力も無効である。就中、敵の婦女を冒す行為は最も目立って宜しくないことである。

 余が所属の班が船舶輸送に際し部隊と共に数十名の慰安所の女を乗せて揚子江を上ったことがある。部隊長は輸送指揮官の権限なりと言いて此の女を将兵に分配して、毎夜酒宴をなし且つ各自に其の女を室に呼んで楽しんだことがある。対手がどうせ、売笑婦だから一向構わないではないかと言う人もあろうが、軍人の品格上、将校から先に立って如此事は謹んで欲しい。

 亦、慰安所へ行くことは時間外でも差支なく許可をする。而も公用書を持って行けと命令が出てる。是は極る可笑しなことだと言う者が多かった。人は妙なもので、こう出られると却って行かなくなる。

 外出を馬鹿に厳にして置きながら慰安所には絶対の自由を与えることは、心ある兵は馬鹿にされた感が深く、当局の親切過ぎた手段をむしろ滑稽に眺め、俺たちは決して性欲ばかりで生きてるものではないと言うて居った。

 

↑早尾乕雄『戦場心理心理の研究(総論)』第八章 戦争と性欲

不二出版 十五年戦争極秘資料集 補完32 戦場心理の研究 第1冊 p71.~p.80