Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

「斯く申す私は恥かしながら慰安婦案の創始者である。昭和七年の上海事変のとき二、三の強姦罪が発生したので…」 上海派遣軍(第一次事変時)参謀副長、第十一軍(日中戦争時)司令官、岡村寧次の回想 1932, 1938

十 軍、風紀所見(その三)

[前略]

 (二)慰安婦問題を考える。昔の戦役時代には慰安婦などは無かったものである。斯く申す私は恥かしながら慰安婦案の創始者である。昭和七年の上海事変のとき二、三の強姦罪が発生したので、派遣軍参謀副長であった私は、同地海軍に倣い、長崎県知事に要請して慰安婦団を招き、その後全く強姦罪が止んだので喜んだものである。

 現在の各兵団は、殆んどみな慰安婦団を随行し、兵站の一分隊となっている有様である。第六師団の如きは慰安婦団を同行しながら、強姦罪は跡を絶たない有様である。

 嘗て聞いたところによれば、北京附近の中国古老は、団匪事件のとき、欧米各国が掠奪強姦の限りを尽したのに、ただ独り日本兵のみが、軍、風紀森厳にして寸毫も冒すことなかったことを回想し、どうして今の日本兵がかくも変わったのかと痛嘆したという。

 全く昔と今とどうしてかくも変わったのか。

 

稲葉正夫編『岡村寧次大将資料(上)戦場回想篇』1970年、原書房、p.302~p.303