Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

「折角かくのごとき大兵を御派遣相成り候ふ以上は、何とぞ更に一層有益なる目的にこれを御使用相成りたきものと存じ候ふ。しかして更に一層有益なる目的とは他なし、当朝鮮国をもつて我が日本帝国の保護国となすことに御座候ふ。」 在京城二等領事 内田定槌より外務大臣 陸奥宗光あて 対韓政策に関し意見上申の件 1894.6.26


f:id:ObladiOblako:20210208001811j:image
f:id:ObladiOblako:20210208001748j:image

大臣 花押〈光〉 次官【林董】
【機密受第八九〇号】 二十年七月三日接受

主幹 通商局【原敬】 政務局 稟義

機密第二十六号
  対韓政策に関し意見上申の件

 我が帝国政府が当朝鮮国に対する政略上の件に関し小官において喋々意見を上申するは、いささか職務外にわたるやの嫌ひも御座候へども、その方針の如何は当国における我が帝国の勢力と帝国商民の利害に至大の関係を及ぼすものにこれあり、しかして今や実に危機一発の間に差し廻り居るものと相考へ候ふにつき、僣越を顧みずここに卑見を開陳して閣下の御参考に煩はしたしと存じ候ふ。

 そもそも今回、海陸の軍隊を当国へ向け御派遣相成りたる目的は、ただ東学党の民乱につき当国における帝国公使館·領事館を衛護し、帝国臣民の安全を保護するにありて、決して他意これなき旨、本月十一日付機密送第十三号をもつて御通知に相成り候ふところ、我が公使館·領事館ならびに居留帝国臣民にして危害を受くるの虞あるに至りては相当の方法によりこれを保護せらるべきこと勿論には候へども、折角かくのごとき大兵を御派遣相成り候ふ以上は、何とぞ更に一層有益なる目的にこれを御使用相成りたきものと存じ候ふ。しかして更に一層有益なる目的とは他なし、当朝鮮国をもつて我が日本帝国の保護国となすことに御座候ふ。

 従来、我が帝国政府は当朝鮮国をもつて一つの独立国と公認せるのみならず、欧米列国をしてその独立国たるを公認せしめたるにもかかはらず、清国政府においては陰にこれを属邦と見なし、頻りに属邦たるの実を挙ぐるの政策を執り着々その歩を進め、今や朝鮮国が清国に対し藩属たるの姿を呈せるは、単に同国国王が清国皇帝に対する虚礼の上に止まらず、当地における清国駐在官は当国政府の内治外交に干渉し、当国政府もまた謹んでその命を聴き、敢てこれに逆らふことなく、あたかも属邦政府監督のため本国政府より派遣せられたるがごとき状を呈し、当国税関官吏もまた清国政府において雇聘せる外国人をもつてこれに充て、かつ清国人と朝鮮人との間に起りたる訴訟事件は朝鮮人の被告たる場合といへども清国の法衙においてこれが裁判を行ひ、その他、朝鮮国と清国との間に締結せる諸条約中にもまた、朝鮮は清国の属邦たるがごとき文句を記載いたし居り候ふ次第にして、今回、清国政府が当国政府の請に応じ東学党民乱鎮圧のため数多の兵員を派遣したるもまた、朝鮮をもつてその属邦とするの実を挙ぐる政策にほかならざるものと存じ候ふ。

 さて我が国を始め欧米諸国が独立国と公認したる朝鮮国が今日のごとく甘んじて清国政府より属邦視せらるるに至りたる所以のものは、畢竟、現政府の当路者たる閔族の所為にして、該族はかつて明治十五年および明治十七年の変乱に際しても清国政府の力によりてその権力を回復し、その後、今日に至るまで自家の政権を維持するため常に清国政府の力を利用したるをもつて、清国政府の威令はおのづから閔族、即ち当国政府の上に行はれ、朝鮮国はついに清国に対し属邦たる実を現はすに至りたる次第に御座候ふ。

 しかるに従来、帝国政府が朝鮮国をもつて独立国と公認するの政略を執られたるは、必竟、他国の干渉侵略を防ぎ、これを開明富強の位置に導き、一つはもつて我が国の藩屛を築き、一つはもって我が国との貿易を盛んにせらるの御主意にほかならざる儀と存じ候ふところ、已往十数年来、帝国政府の政策は前述のごとく清国政府のために蹂躙せられ、該政府は我が国が対等国として交際する朝鮮国をしてその属邦たるの実を挙げしめ、我が国が開明富強の域に導かんとする朝鮮国をして益々退歩衰弱せしめ、もつて我が国威を辱かしめ、もつて我が藩屛を破壊し、もつて我が商民の利益を害したること実に少々に御座なく候ふ。しかりしかして帝国政府の政策がかくのごとき清国政府のため蹂躙せらるるに至りたる所以のものは、従来、帝国政府は独立国の名義を重んじ、敢てその国政に干与することこれなきのみならず、清国政府の干渉をも制止することなく徒にこれを放任したるの過失より起こりたるものと断定いたし候ふ。

 されば今後、当国に対し帝国政府において執らるべき御政策は、従来のごとく単に朝鮮をもつて一つの独立国と公認するに止まらず、更に一歩を進めその独立を擁護せらるるにあらざれば今後益々当国に対してその勢力を失ひ、他日、臍を噬むも及ばざる時期に相達すべく、しかしてその独立を擁護するには、勢ひ当国の外政に干与して清国およびその他の干渉侵略を拒絶するのみならず、その内政にも干与してこれが進歩改良を計らざるべからざる儀と存じ候ふ。

 つらつら当国内政の有り様を観察するに、中央政府を始めとし百般の行政機関は実に腐敗の極点に達し、民力の困弊、実に名状すべからざる有り様に陥り候ふ。今その一斑を述ぶれば、従来、当国政権上の実権は常に国王または王妃の近親たる二三の門族に帰するの例となり、各族互ひに権力を競争し、その競争に当たりてはおのおの自家の利益を図るに汲々たるのほか、国家の安危、王室の栄辱をもつて眼中に置く者なく、現今の執権者たる閔族のごときも自家の勢力を維持するため清国政府の後援を借り、その結果としてついに今日に至りてはその国をして清国の属邦たるの実を現はさしめ、その君をして清帝の臣隷としてこれにへしめざるを得ざるがごとき勢ひに推移りたるも、みづからこれに安んじ居る次第に御座候ふ。しかるに同族中にもまた互ひに権力を争ふ者これあり、その最も勢力を得て顕要の位置を占むる者は実際その位置に相当するだけの智識·才能を有する人物にはあらずして、ただ最も奸佞にして国王または王妃に多額の財物を進貢する者に過ぎざれば、いやしくもその進献をなさざる者は、たとひ有用の人物たりとも相当の官職を授けらるることこれなく、 すでに閔族中においてすらなほかつかくのごとき有り様なれば、閔族以外の者にして朝官ならんとする者は独り国王·王妃のみならず閔族の有力者にもまた贈賄せざるべからず。しかして右は独り中央政府の官吏を登用する場合においてしかるのみならず、各道の長官たる観察使を始めとし、その他府県州軍等における地方官を選任するもまた同様ね方法によるものに御座候ふ。

 右の次第につき、賢良跡を潜めて群奸頻りに進み、百官有志の職はみな、これら鼠輩をもつて充満いたし居り候ふところ、すべてこれらの徒は在職中みなその職権を濫用して貪欲をにし、公然、賄賂を収めて私曲を行ひ、その威に逆らふ者あるに当たりては残忍酷薄の所置をなして毫も顧みるところなし。しかしてその最も酷だしきは即ち地方官にして、例へばここに観察使の職を得んがため道献·賄賂等に十万金を費消したる者ありとせんか、当人任所到着の上は右の失費を回復し、かつ自家の囊中を充たさんがため、猥りに威福を張つて強索を行ひ、あるいは部下の官吏に対して賄賂を誅求し、あるいは二三の商人に特典を付与して多額の金額を貪り、あるいは種々の重税を賦課しと細民を苦しめ、あるいは口実を設けて富豪を捕らへ、これを牢獄に下してその財産を掠奪し、あるいは凶歉を名として防穀令を布き、相場の下落するに乗じて多額の穀物を買ひ占めたる後、かにその禁令を解きて奇利を博するなど乱暴狼藉至らざる所なきは、少しく当国の事情に通ずる者の熟知する所に御座候ふ。 

 しかるに観察使を始め、その他の地方官はみな生殺与奪の権を有するが故に、その配下に属する人民はたとひ多少の虐政に逢ふことあるも多くはこれを忍耐して容易に抵抗する者これなく候へども、虐政の度合やうやく加はり地方人民が最早忍耐する能はざる点にまで達するときは、即ち発して民乱となり、地方の騒擾を惹起し、 乱民どもは直ちに地方官庁を襲撃してその官吏を殺傷すること往々にしてこれあり候ふところ、かかる場合に臨みては地方官はみづからこれを陳定するの力なく、さりとて中央政府より一々兵隊を派してこれを鎮定する暇あらず候ふにつき、わづかにその地方官の交迭を行ふときは直ちに静謐に帰するの例と相成り居り候ふ。しかしてこの種の民乱、各地方に蜂起する者、近年やうやくその数を増加し、ついには今度、全羅·忠清両道地方の大擾乱と相成り、中央政府といへどもこれが鎮圧力に苦しむに立ち至りたる次第に候ふところ、今回の民乱は支那兵の来着を聞き一時その気息を収め、目下ほとんど平定の有り様には候へども、実際、当国政府の自力をもつて討滅したるにはこれなく候ふにつき、今後、支那兵が本国に引き上げたる後は、又々早晩再発に至るべき儀と存じ候ふ。

 さてまた当国人民一般の状態を案ずるに、政府積年の弊政により、職業にはげみて家産を起こし、これを蓄積せんとする念、全く消亡し、もしその勤労により多少の財産を貯ふる者これあり候ふときは、直ちに地方官の注目する所となり、種々の口実によりこれを貪り取られ、その身体にまでいかなる災を及ぼすことあるやも測られ難き次第につき、人々自然に惰弱の習慣を養成し、ただわづかにその口を糊し朝露を凌ぐをもつて足れりとし、赤貧洗ふがごときをもつて最も安全の策なりと考へ、偶々多少の財産を貯ふる者あるも務めてこてを秘密にし、家屋·衣服のごときも成るべくこれを質素にして故らに貧困をふの有り様に御座候へば、百般の農工商業は悉く萎靡して少しも開発することこれなく候ふ。

 それ国家の貧富強弱は国民個々の貧富強弱に基づき、国民個々の貧富強弱は国政の良否に基づき、国政の良否ひ一に行政機関の善悪、百官有志の賢不肖に存するめのに御座候ふところ、今や当国行政機関はかくのごとく腐敗し、百官有志かくのごとく暗愚残忍なる以上は、民力疲弊せざらんとするも得べからず、国力衰亡せざらんとするも得べからざる儀と存じ候ふ。しかりといへども、もしそれ当国の諸制度に根本的の大改革を加へ、歳入歳出の途を明らかにし、厳に官吏ね私曲を制し、人民の権利義務を明確にしてその生命·身体·財産の安全を計り、盛んに文明的の教化を敷きて専ら殖産興業の道を奘励したらんには、沃野の広き、かくのごとく鉱山の饒多なる、かくのごとく沿海漁猟の利を有する、かくのごとくしかも人口一千万に垂んとするこの朝鮮国のことなれば、百般の殖産事業は続々てして振興し、外国貿易もまた従つて隆盛に赴き、その富強に至るべきは期して俟つべきことと存じ候ふ。

 しからば即ち当国をしてその独立を維持せしむるだけの国力を養成せしめんとするには、是非ともまづその国政の大改革を行はざるべからざる義と存じ候ふところ、これを改革するに当たり、その方法の如何はさて置き、果たして当国政府みづからかくのごとき大改革を行ひ首尾よくその目的を達し得べきや否や、これ甚だ覚束なき次第にして、あるいは望みを現国王の御生父なる大院君に属する者もこれあり候へども、かくのごとき大事業は一朝一夕にしてその功を奏すべきにあらず、必ずや五年、十年、もしくは二十年前後の長日月を要するものに御座候ふところ、同君たとひ剛毅英邁の令聞ありといへども、すでに七十余歳の高齢に及ばれ居るが故に、その独力をもつて回天の大業を成就すること到底でき難きものと存じ候ふ。されば当国政府を補佐してこの大改革を行ひしむるものは即ち我帝国政府の任にして、帝国政府がこのことを行ひ、朝鮮国をして清国を始め、その他外国に対し厳然たる東洋の一独立国たる体面を保たしむるは、我が国のため最も名誉なる、 かつ最も安全なる策にして、また我が帝国の勢力を朝鮮半島に拡張する好手段にほかならずと存じ候ふ。

 しかるに我が帝国政府が当国の政府に干渉するは、従来、当国をもつて独立国なりと公認したるにかかはらず、みづからその独立の権利を侵害するの嫌ひもこれあり候ふところ、右は万やむを得ざる次第につき、その不都合を避くるため、ならびに諸外国の妨害を避くるため、この際、当国政府に懇々、利害のあるところを説明し、将来、朝鮮政府をして我が日本帝国の保護を受けしむるの条約を締結し、内政の改革に関してもまた帝国政府の輔助を受けしむるの特約をなし、帝国政府は条約上の権利として当国政府の内治外交に干渉すること、すこぶる肝要と存じ候ふ。

 しかりといへども朝鮮国をして我が日本帝国の保護を受けしむるの条約を締結せんとするも、当国政府は果たしてこれを承諾するや否や、 また清国政府を始め他の諸外国より故障を申し出づるものこれなき否やなどの懸念も御座候ふところ、帝国政府においてはすでに数千の大兵を京仁両地の間に屯在せしめ居ることにて候へば、我が外交官たる者の掛け合い方如何によりては意外にも容易に当国政府の承諾を得らるべしと存じ候ふ。もつともかかる場合に臨みては清国政府よりの故障は勿論 これあるばき義につき、我が帝国政府は右の目的を達するため、今後、当地において清国政府と決戦を試むるの御覚悟これありたきものに御座候ふ。しかるにこれがため我が国が他の諸外国と兵端を開くに至るべきや否やといふに、当国の成り行きに関し最も利害を感ずるものは日清両国のほか英露の2国に御座候ふところ、もし英国にして清国の応援をなさんとすれば露国においてこれが抵抗を試むるべく、また露国にしてある口実を設け当国へ出兵せんとするは英国においてこれに抵抗すべしといへども、目下、両国の状勢ならびにその関係を案ずるに、未だ当地においてかくのごとき衝突を生ずべしとも思はれず、従つて互ひに出兵を差しひかへべきをもつて、この両国はさまで意に介するに足らざる儀と存じ候ふ。また米独仏の三国はたとひ一時その居留人保護のため仁川より水兵を上陸せしむるぐらいのことはこれあるべしと存じ候へども、我が国と衝突を惹起するごとき愚策を執らざるものと相信じ候ふ。しかして我が国が清国と交戦することは、朝鮮をもつて我が保護国となすの条約を締結するにつきその妨害を除去するため最も必要なるのみならず、従来、清国政府が当国政府の当路者を自国に懐つくるには常に自国の強大なるを誇り、日本の小弱にして恃むに足らざるを説き、かつ不幸にして往時壬申の役ならびに明治十七年の変乱には、あたかも日本兵支那兵のため討ち退けられたるごとき形迹を現はしたるをもつて、当国官民は自然、清国に結託すれば日本は恐るるに足らざるものと誤認したし居るにつき、もし今般、日清両国ともに兵を当国に出したる後、一回も交戦することなくして互ひに兵を引揚ぐるにも相成り候へば、彼の清国人は当国人に向かひ例の大言を吐き、日本兵は中国兵の威を恐れてついに本国へ帰れりなどと言ひ触らすことなしとも計られず、果たしてしからば益々我が国威を毀損する次第につき、この好機に臨み痛く彼の清兵を打ち破り、当国人をして親しく我が国の威風を目撃せしめ、もつて清国の将来恃むに足らざるを知らしむこと、目下の必要と存じ候ふ。

 これを要するに、今回、我が国よりかくのごとき大軍を派遣相成り候ふ上は、この好機会を失ふことなく、帝国公使館·領事館ならびに居留帝国民臣を御保護相成り候ふほかになほ一歩を進め、当朝鮮国をもつて我が日本帝国の保護を受けしむるの条約を締結し、自今、我が帝国政府において当国の内治外交に干与し、その進歩·改良を図りてこれを富強の域に導き、一つはもつて我が帝国の藩屛を強固にし、一つはもつて当国における我が帝国の勢力を拡張し、あはせて帝国商民の利益を増進するの御政策を執られたきものと存じ候ふ。

 右、上進に及び候ふなり。

            在京城

  明治二十七年六月二十六日

   二等領事 内田定槌【在京城日本帝国領事】
 外務大臣 陸奥宗光 殿

 

【機密受第八九一号】  次官【林董】
二十七年七月三日接受 主管 通商局【原敬

機密第二十七号

 本日付機密第二十六号をもつて上申に及び置き候ふ対韓政策に関する小官の意見は、念のため大鳥特命全権公使の一覧に供し置き候ふ間、左様御承知置き乞ひたく、この段、申進候ふ。敬具。
           在京城
 明治二十七年六月二十六日

   二等領事 内田定槌【在京城日本帝國領事】
  外務大臣 陸奥宗光 殿

 

大臣 花押 次官【林董】
【機密受第九〇四号】 二十七年七月四日接受
主管 通商局【原敬】 政務局 稟義

 機密第二十八号
   対韓政策に関し意見再申の件

 今回、帝国政府より海陸の大軍を当国へ向け御派遣相成り候ふ好機会を利用し、当朝鮮国をもつて我が日本帝国の保護国となすの条約を締結し、我が政府において当国の内治·外交に干与し、その進歩·改良を図りてこれを富強の域に導き、一つはもつて我が帝国の藩屛を強固にし、一つはもつて当国における我が帝国の勢力を拡張し、あはせて帝国商民の利益を増進するの御政策を執られたきむね、昨二十六日付、機密第二十六号をもつて上申いたし置き候ふところ、右条約の決締方は一日も御遅延これなく、成るべく速やかに御決行相成りたきものと存じ候ふ。

 何となれば、かかる条約を締結するには当国政府に向つて多少の威力を示すの必要もこれあるべしと存じ候ふところ、もし今後、清国の軍隊が続々入京すらることにも相成り候はば、現政府の当路者は例によつてこれを頼みとし、我が外交官の言を容易に採用せざるべきをもつて、その掛け合ひ方益々困難に至るべき義と存じ候ふ。

 もつともかかる計画を実行するには、我が国と清国との衝突は到底免るべからさる儀につき、早晩、交戦を要することと存し候ふところ、交戦の廟議相定まり候ふ上は、我が軍隊が当地において曠日持久、清兵陸続として来着するを俟ち、彼より我に向かつて戦端を開きたる時に至り始めてこれに応戦せんよりは、寧ろ清兵の入京に先立ち速やかに当国政府に要請し、朝鮮国をして我が日本帝国の保護を受けしむるの条約を締結し、我が政府はこの条約により朝鮮政府をして現に牙山その他の地方へ屯在する清兵の撤去を要求せしめ、もしこれを撤去せざるときはその所為をもつて当国の安全を害するものとし、我より進んでこれを襲撃し、爾後続々当地へ向かつて来着する清兵はみなこれを途に要撃してその入京を拒絶する様いたしたきものと存じ候ふ。

 もしそれしからずして徒らに清兵の来着を俟ち、戦否を決せず、 また当国政府に対しても何等の処分を決行せざるときは、折角我が数千の軍隊が当地へ先入したる甲斐もこれなく候ふにつき、今回の事件は何とぞ清韓両国を始めとし、その他列国をして謂はゆる霹靂一声、迅雷耳を掩ふに遑あらざるの感を起さしむること、すこぶる肝要と存じ候ふ。

 右、再申に及び候ふ。敬具。

          在京城
 明治二十七年六月二十七日

   二等領事 内田定槌【在京城日本帝國領事】
  外務大臣 陸奥宗光 殿


f:id:ObladiOblako:20210207163931j:image

大臣 花押〈光〉 次官【林董】
【機密受第八九〇號】廿七年七月三日接受

主幹 通商局【原敬】 政務局 稟義

機密苐二拾六号
  對韓政策ニ関シ意見上申之件

我帝国政府カ当朝鮮国ニ對スル御政畧上ノ件ニ関シ小官ニ於テ喋々意見ヲ上申スルハ聊カ職務外ニ亘ル哉ノ嫌モ御座候得共 其方針ノ如何ハ当国ニ於ケル我帝国ノ㔟力ト帝国商民ノ利害ニ至大ノ関係ヲ及ホスモノニ有之 而シテ今ヤ実ニ危機一発ノ間ニ差シ廻リ居ルモノト相考候ニ付 僣越ヲ顧ミス茲ニ卑見ヲ開陳シテ閣下ノ御参考ヲ煩シ度ト存候

抑モ今囬 海陸ノ軍隊ヲ当国ヘ向ケ御派遣相成リタル目的ハ 唯タ東學党ノ民乱ニ付 当国ニ於ケル帝国公使舘 領事舘ヲ衛護シ 帝国臣民ノ安全ヲ保護スルニアリテ 決シテ他意無之旨 本月十一日付 機密送苐一三号ヲ以テ御通知ニ相成候処 我公使舘 領事舘 併ニ居畱帝国臣民ニシテ危害ヲ受クルノ虞アルニ至リテハ 相当ノ方法ニヨリ之ヲ保護セラル可キコト勿論ニハ候得共 折角 如此大兵ヲ御派遣相成候以上ハ 何卒 更ニ一層有益ナル目的ニ之ヲ御使用相成度モノト存候 而シテ更ニ一層有益ナル目的トハ他ナシ 当朝鮮国ヲ以テ我日本帝国ノ保護国トナスコトニ御座候

従来 我帝国政府ハ当朝鮮国ヲ以テ一ノ独立国ト公認セル而已ナラス 欧米列国ヲシテ其独立国タルヲ公認セシメタルニモ拘ハラス 淸国政府ニ於テハ陰ニ之ヲ属邦ト見做シ 頻リニ属邦タルノ実ヲ挙クルノ政策ヲ執リ 着々其歩ヲ進メ 今ヤ朝鮮国カ淸国ニ對シ藩属タルノ姿ヲ呈セルハ 單ニ同国国王ガ淸国皇帝ニ對スル虚禮ノ上ニ止マラス 当地ニ於ケル淸国駐在官ハ当国政府ノ内治外交ニ干渉シ 当国政府モ亦 謹ンテ其命ヲ聴キ敢テ之ニ逆ラフコトナク 宛モ属邦政府監督ノ為メ本国政府ヨリ派遣セラレタルカ如キ状ヲ呈シ 当国税関官吏モ亦 淸国政府ニ於テ雇聘セル外国人ヲ以テ之ニ充テ 且ツ淸国人ト朝鮮人トノ間ニ起リタル訴訟事件ハ朝鮮人ノ被告タル塲合ト虽トモ淸国ノ法衙ニ於テ之カ裁判ヲ行ヒ 其他 朝鮮国ト淸国トノ間ニ締結セル諸条約中ニモ亦 朝鮮ハ淸国ノ属邦タルカ如キ文句ヲ記載致居候次苐ニシテ 今囬 淸国政府カ当国政府ノ請ニ応シ東學党民乱鎮壓ノ為メ数多ノ兵員ヲ派遣シタルモ亦 朝鮮ヲ以テ其属邦トスルノ実ヲ挙クル政策ニ外ナラザルモノト存候

扨テ我国ヲ始メ欧米諸国カ独立国ト公認シタル朝鮮国カ 今日ノ如ク甘シテ淸国政府ヨリ属邦視セラルヽニ至リタル所以ノモノハ畢竟 現政府ノ当路者タル閔族ノ所為ニシテ 該族ハ曽テ明治十五年 及 明治十七年ノ変乱ニ際シテモ淸国政府ノ力ニヨリテ其權力ヲ恢復シ 其後 今日ニ至ル迠 自家ノ政權ヲ維持スル為メ常ニ淸国政府ノ力ヲ利用シタルヲ以テ 淸国政府ノ威令ハ自カラ閔族 即チ当国政府ノ上ニ行ハレ 朝鮮国ハ終ニ淸国ニ對シ属邦タルノ実ヲ現ハスニ至リタル次苐ニ御座候

然ルニ従来 帝国政府カ朝鮮国ヲ以テ独立国ト公認スルノ政略ヲ執ラレタルハ必竟 他国ノ干渉侵畧ヲ防キ 之ヲ開明冨强ノ位置ニ導キ 一ハ以テ我国ノ藩屛ヲ築キ 一ハ以テ我国トノ貿易ヲ盛ニセラルノ御主意ニ外ナラザル儀ト存候処 已往十数年来 帝国政府ノ政策ハ前述ノ如ク淸国政府ノ為メニ蹂躙セラレ 該政府ハ我国カ對等国トシテ交際スル朝鮮国ヲシテ其属邦タルノ実ヲ挙ケシメ 我国カ開明冨强ノ域ニ導カントスル朝鮮国ヲシテ益〻退歩衰弱セシメ 以テ我国威ヲ辱カシメ 以テ我藩屛ヲ破壊シ 以テ我商民ノ利益ヲ害シタルコト実ニ少々ニ御座ナク候 然リ而シテ帝国政府ノ政策カ如此 淸国政府ノ為メ蹂躙セラルヽニ至リタル所以ノモノハ 従来 帝国政府ハ独立国ノ名義ヲ重ンジ 敢テ其国政ニ干與スルコト無之而已ナラス 淸国政府ノ干渉ヲモ制止スルコトナク 徒ニ之ヲ放任シタルノ過失ヨリ起リタルモノト断定致候

去レハ今後 当国ニ對シ帝国政府ニ於テ執ラルヘキ御政策ハ 従来ノ如ク單ニ朝鮮ヲ以テ一ノ独立国ト公認スルニ止マラス 更ニ一歩ヲ進メ其独立ヲ擁護セラルヽニ非サレハ今後 益〻当国ニ對シテ其㔟力ヲ失ヒ 他日 臍ヲ噬ムモ及ハザル時期ニ相達スベク 而シテ其独立ヲ擁護スルニハ 㔟ヒ当国ノ外政ニ干與シテ淸国 及 其他ノ干渉侵畧ヲ拒絶スル而已ナラス 其内政ニモ干與シテ之カ進歩改良ヲ計ラサルヘカラサル儀ト存候

熟ラ当国内政ノ有様ヲ觀察スルニ 中央政府ヲ始トシ百般ノ行政機関ハ実ニ腐敗ノ極点ニ達シ 民力ノ困弊 実ニ名状スヘカラザルノ有様ニ陥リ候 今 其一斑ヲ述フレハ 従来 当国政権上ノ実權ハ常ニ国王 又ハ王妃ノ近親タル二三ノ門族ニ帰スルノ例トナリ 各族 互ニ權力ヲ競爭シ 其競爭ニ当リテハ各 自家ノ利益ヲ図ルニ汲々タルノ外 国家ノ安危 王室ノ栄辱ヲ以テ眼中ニ置ク者無ク 現今ノ執權者タル閔族ノ如キモ 自家ノ㔟力ヲ維持スル為メ淸国政府ノ後援ヲ借リ 其結果トシテ終ニ今日ニ至リテハ其国ヲシテ淸国ノ属邦タルノ実ヲ現ハサシメ 其君ヲシテ淸帝ノ臣隷トシテ之ニ事ヘシメザルヲ得サルカ如キ㔟ニ推移リタルモ 自ラ之ニ安ンジ居ル次苐ニ御座候 然ルニ同族中ニモ亦 互ニ権力ヲ爭フ者有之 其最モ㔟力ヲ得テ顕要ノ位置ヲ占ムル者ハ実際 其位置ニ相当スル𠀋ケノ智識才能ヲ有スル人物ニハアラズシテ 唯 最モ奸佞ニシテ国王 又ハ王妃ニ多額ノ財物ヲ進貢スル者ニ過キサレハ 苟モ其進献ヲナサヾル者ハ仮ヒ有用ノ人物タリトモ相当ノ官職ヲ授ケラルヽ事無之 既ニ閔族中ニ於テスラ尚且 如此キ有様ナレハ 閔族以外ノ者ニシテ朝官タラントスル者ハ獨リ国王 王妃而已ナラス閔族ノ有力者ニモ亦 贈賄セサル可カラス 而シテ右ハ獨リ中央政府ノ官吏ヲ登用スル塲合ニ於テ然ル而已ナラス 各道ノ長官タル觀察使ヲ始メトシ 其他 府縣州軍等ニ於ケル地方官ヲ選任スルモ亦 同様ノ方法ニヨルモノニ御座候

右ノ次苐ニ付 賢良 跡ヲ潜メテ 群奸 頻リニ進ミ 百官有志ノ職ハ皆 之䓁鼠輩ヲ以テ充満致居候処 凡テ此䓁ノ徒ハ在職中 皆 其職権ヲ濫用シテ貪欲ヲ擅ニシ 公然 賄賂ヲ収メテ私曲ヲ行ヒ 其威ニ逆フ者アルニ当リテハ残忍酷薄ノ所置ヲナシテ毫モ顧ミル処ナシ 而シテ其最モ酷タシキハ即チ地方官ニシテ 例ヘハ茲ニ觀察使ノ職ヲ得ンカ為メ道献賄賂等ニ十万金ヲ費消シタル者アリトセンカ 当人 任所到着ノ上ハ右ノ失費ヲ囬復シ 且ツ自家ノ囊中ヲ充タサンガ為メ猥リニ威福ヲ張ツテ強索ヲ行ヒ 或ハ部下ノ官吏ニ對シテ賄賂ヲ誅求シ 或ハ二三ノ商人ニ特典ヲ付與シテ多額ノ金額ヲ貪リ 或ハ種々ノ重税ヲ賦課シテ細民ヲ苦シメ 或ハ口実ヲ設ケテ冨豪ヲ捕ヘ 之ヲ牢獄ニ下シテ其財産ヲ掠奪シ 或ハ凶歉ヲ名トシテ防穀令ヲ布キ 相塲ノ下落スルニ乗シテ多額ノ穀物ヲ買占メタル後 卒カニ其禁令ヲ解キテ竒利ヲ博スル等 乱暴狼藉 至ラサル所ナキハ少シク当国ノ事情ニ通スル者ノ熟知スル所ニ御座候

然ルニ觀察使ヲ始メ其他ノ地方官ハ皆 生殺與奪ノ權ヲ有スルカ故ニ 其配下ニ属スル人民ハ仮ヒ多少ノ虐政ニ逢フコトアルモ多クハ之ヲ忍耐シテ容易ニ抵抗スル者無之候得共 虐政ノ度合 漸ク加ハリ 地方人民カ最早忍耐スル能ハサル点ニ迠達スルトキハ 即チ発シテ民乱トナリ 地方ノ騒擾ヲ惹起シ 乱民共ハ直ニ地方官廳ヲ襲撃シテ其官吏ヲ殺傷スルコト往々ニシテ有之候処 斯ル塲合ニ臨ミテハ地方官ハ自ラ之ヲ鎭定スルノ力ナク 左リトテ中央政府ヨリ一々 兵隊ヲ派シテ之ヲ鎭定スル暇アラス候ニ付 僅ニ其地方官ノ交迭ヲ行フトキハ直ニ静謐ニ帰スルノ例ト相成居候 而シテ此種ノ民乱 各地方ニ蜂起スル者 近年 漸ク其数ヲ増加シ 終ニハ今度 全羅 忠淸 両道地方ノ大擾乱ト相成リ 中央政府ト虽トモ之カ鎮壓力ニ苦シムニ立至リタル次苐ニ候処 今囬ノ民乱ハ支那兵ノ来着ヲ聞キ一時 其氣息ヲ収メ 目下 殆ト平定ノ有様ニハ候得共 実際 当国政府ノ自力ヲ以テ討滅シタルニハ無之候ニ付 今後 支那兵カ本国ニ引上ケタル後ハ 又々早晩 再発ニ至ルヘキ儀ト存候

扨又 当国人民一般ノ状態ヲ案スルニ 政府 積年ノ弊政ニヨリ 職業ニ勵ミテ家産ヲ起シ之ヲ蓄積セントスルノ念 全ク消亡シ 若シ其勤労ニヨリ夛少ノ財産ヲ貯フル者 有之候トキハ 直ニ地方官ノ注目スル所トナリ 種々ノ口実ニヨリ之ヲ貪ホリ取ラレ 其身体ニ迠 如何ナル災ヲ及ホスコトアルヤモ測ラレ難キ次苐ニ付 人々 自然ニ惰弱ノ習慣ヲ養成シ 唯 僅ニ其口ヲ糊シ朝露ヲ凌クヲ以テ足レリトシ 赤貧 洗フカ如キヲ以テ最モ安全ノ策ナリト考ヘ 偶々 多少ノ財産ヲ貯フル者アルモ務メテ之ヲ秘密ニシ 家屋 衣服ノ如キモ可成 之ヲ質素ニシテ 故ラニ貧困ヲ粧フノ有様ニ御座候得ハ 百般ノ農工商業ハ悉ク萎靡シテ少シモ開発スルコト無之候

夫レ国家ノ貧富强弱ハ国民個々ノ貧富强弱ニ基キ 国民個々ノ貧富强弱ハ国政ノ良否ニ基キ 国政ノ良否ハ一ニ行政機関ノ善悪 百官有志ノ賢不肖ニ存スルモノニ御座候処 今ヤ当国行政機関ハ如此腐敗シ 其百官有志 如此暗愚残忍ナル以上ハ 民力疲弊セサラントスルモ得ヘカラス 国力衰亡セサラントスルモ得ヘカラザル儀ト存候 然リト虽トモ 若シ夫レ当国ノ諸制度ニ根本的ノ大改革ヲ加ヘ 歳入歳出ノ途ヲ明ニシ 嚴ニ官吏ノ私曲ヲ制シ 人民ノ權利義務ヲ明確ニシテ其生命 身体 財産ノ安全ヲ計リ 盛ンニ文明的ノ教化ヲ敷キテ 專ラ殖産興業ノ道ヲ奘勵シタランニハ 沃野ノ廣キ 如此 鑛山ノ饒多ナル 如此 沿海漁猟ノ利ヲ有スル 如此 而モ人口一千万ニ垂ントスル此朝鮮国ノコトナレハ 百般ノ殖産事業ハ續々トシテ振興シ 外国貿易モ亦従テ隆盛ニ赴キ 其富强ニ至ルヘキハ期シテ俟ツヘキコトト存候

然ラハ即チ当国ヲシテ其独立ヲ維持セシムル𠀋ノ国力ヲ養成セシメントスルニハ 是非共 先ツ其国政ノ大改革ヲ行ハサル可カラサル義ト存候処 之ヲ改革スルニ当リ 其方法ノ如何ハサテ置キ 果シテ当国政府自ラ如此大改革ヲ行ヒ首尾能ク其目的ヲ達シ得ヘキヤ否ヤ 是レ甚タ覚束ナキ次苐ニシテ 或ハ望ヲ現国王ノ御生父ナル大院君ニ属スル者モ有之候得共 如此大事業ハ一朝一夕ニシテ其功ヲ奏ス可キニ非ス 必スヤ五年 十年 若クハ二十年前後ノ長日月ヲ要スルモノニ御座候処 同君 仮ヒ剛毅英邁ノ令聞アリト虽トモ既ニ七十余歳ノ高齢ニ及ハレ居ルカ故ニ 其獨力ヲ以テ囬天ノ大業ヲ成就スルコト到底 出来難キモノト存候 サレハ当国政府ヲ補佐シテ此大改革ヲ行ハシムルモノハ即チ我帝国政府ノ任ニシテ 帝国政府カ此事ヲ行ヒ 朝鮮国ヲシテ淸国ヲ始メ其他外国ニ對シ嚴然タル東洋ノ一独立国タル体面ヲ保タシムルハ 我国ノ為メ最モ名誉ナル 且 最モ安全ナル策ニシテ 亦 我帝国ノ㔟力ヲ朝鮮半島ニ拡張スル好手段ニ外ナラスト存候

然ルニ我帝国政府カ当国ノ政府ニ干渉スルハ 従来 当国ヲ以テ独立国ナリト公認シタルニ拘ハラス自ラ其独立ノ權利ヲ侵害スルノ嫌モ有之候処 右ハ万 已ムヲ得サル次苐ニ付 其不都合ヲ避クル為メ 并ニ諸外国ノ妨害ヲ避クル為メ 此際 当国政府ニ懇々 利害ノアル所ヲ説明シ 将来 朝鮮政府ヲシテ我日本帝国ノ保護ヲ受ケシムルノ条約ヲ締結シ 内政ノ改革ニ関シテモ亦 帝国政府ノ輔助ヲ受ケシムルノ特約ヲ為シ 帝国政府ハ条約上ノ權利トシテ当国政府ノ内治外交ニ干渉スルコト頗ル肝要ト存候

然リト虽トモ 朝鮮国ヲシテ我日本帝国ノ保護ヲ受ケシムルノ条約ヲ締結セントスルモ 当国政府ハ果シテ之ヲ承諾スルヤ否ヤ 又 淸国政府ヲ始メ他ノ諸外国ヨリ故障ヲ申出ツルモノ無之ヤ否ヤ等ノ懸念モ御座候処 帝国政府ニ於テハ既ニ数千ノ大兵ヲ京仁両地ノ間ニ屯在セシメ居ル事ニテ候得ハ 我外交官タル者ノ掛合方如何ニヨリテハ意外ニモ容易ニ当国政府ノ承諾ヲ得ラルヘシト存候 尤モカヽル塲合ニ臨ミテハ淸国政府ヨリノ故障ハ勿論 可有之義ニ付 我帝国政府ハ右ノ目的ヲ達スル為メ今後 当地ニ於テ淸国政府ト決戦ヲ試ムルノ御覚悟 有之度モノニ御座候 然ルニ之レカ為メ我国カ他ノ諸外国ト兵端ヲ開クニ至ルヘキヤ否ヤト云フニ 当国ノ成行ニ関シ最モ利害ヲ感スルモノハ日淸両国ノ外 英露ノ二国ニ御座候処 若シ英国ニシテ淸国ノ応援ヲ為サントスレハ露国ニ於テ之カ抵抗ヲ試ムル可ク 又 露国ニシテ或ル口実ヲ設ケ当国ヘ出兵セントスルハ英国ニ於テ之ニ抵抗スヘシト虽トモ 目下 両国ノ状勢 并ニ其関係ヲ案スルニ 未タ当地ニ於テ如此衝突ヲ生スベシトモ思ハレス 従テ互ニ出兵ヲ差扣ヘ可キヲ以テ 此両国ハ左迠 意ニ介スルニ足ラザル儀ト存候 又 米独佛ノ三国ハ仮ヒ一時 其居畄人保護ノ為メ仁川ヨリ水兵ヲ上陸セシムル位ノ事ハ可有之ト存候得共 我国ト衝突ヲスル如キ愚策ヲ執ラザルモノト相信候 而シテ我国カ淸国ト交戦スルコトハ朝鮮ヲ以テ我保護国トナスノ条約ヲ締結スル[×為メ×]ニ付キ 其妨害ヲ除去スル為メ最モ必要ナル而已ナラス 従来 淸国政府カ当国政府ノ当路者ヲ自国ニ懐ツクルニハ常ニ自国ノ强大ナルヲ誇リ 日本ノ小弱ニシテ恃ムニ足ラサルヲ説キ 且ツ不幸ニシテ往時壬申ノ役 并ニ明治十七年ノ変乱ニハ恰モ日本兵支那兵ノ為メ討チ退ケラレタル如キ形迹ヲ現ハシタルヲ以テ当国官民ハ自然 清国ニ結託スレハ日本ハ恐ルヽニ足ラザルモノト誤認致居ニ付 若シ今般 日清両国 共ニ兵ヲ当国ニ出シタル後 一囬モ交戦スルコトナクシテ互ニ兵ヲ引揚クルニモ相成候得ハ彼淸国人ハ当国人ニ向ヒ例ノ大言ヲ吐キ 日本兵ハ中国兵ノ威ヲ恐レテ終ニ本国ヘ帰レリナドト言觸ラスコトナシトモ計ラレス 果シテ然ラハ益〻我国威ヲ毀損スル次苐ニ付 此好機ニ臨ミ痛ク彼淸兵ヲ打破リ 当国人ヲシテ親シク我国ノ威風ヲ目撃セシメ 以テ淸国ノ将来 恃ムニ足ラザルヲ知ラシムルコト 目下ノ必要ト存候

之ヲ要スルニ 今囬 我国ヨリ如此大軍ヲ派遣相成候上ハ 此好機會ヲ失フコトナク 帝国公使舘 領事舘 并ニ居畱帝国民臣ヲ御保護相成候外ニ 尚ホ一歩ヲ進メ 当朝鮮国ヲ以テ我日本帝国ノ保護ヲ受ケシムルノ条約ヲ締結シ 自今 我帝国政府ニ於テ当国ノ内治外交ニ干與シ 其進歩改良ヲ図リテ之ヲ富强ノ域ニ導キ 一ハ以テ我帝国ノ藩屛ヲ强固ニシ 一ハ以テ当国ニ於ケル我帝国ノ㔟力ヲ擴張シ 併セテ帝国商民ノ利益ヲ増進スルノ御政策ヲ執ラレ度キモノト存候

右 及上進候也

          在京城
 明治廿七年六月廿六日 二等領事 内田定槌
         印【在京城日本帝國領事】
  外務大臣 陸奥宗光 殿


f:id:ObladiOblako:20210207164136j:image

【機密受第八九一號】  次官【林董】
廿七年七月三日接受 主管 通商局【原敬

機密苐二十七号

本日附 機密苐二十六号ヲ以テ及上申置候對韓政策ニ関スル小官ノ意見ハ 為念 大鳥特命全權公使ノ供一览置候間 左様御承知置乞度 此段 申進候 敬具
           在京城
 明治廿七年六月廿六日 二等領事 内田定槌
         印【在京城日本帝國領事】
  外務大臣 陸奥宗光 殿


f:id:ObladiOblako:20210207164345j:image

大臣 花押 次官【林董】
【機密受第九〇四號】 廿七年七月四日接受
主管 通商局【原敬】 政務局 稟議

 機密苐二十八号
   對韓政策ニ関シ意見再申ノ件

今囬 帝国政府ヨリ海陸ノ大軍ヲ当国ヘ向ケ御派遣相成候好機會ヲ利用シ 当朝鮮国ヲ以テ我日本帝国ノ保護国ト為スノ条約ヲ締結シ 我政府ニ於テ当国ノ内治外交ニ干與シ 其進歩改良ヲ図リテ之ヲ冨强ノ域ニ導キ 一ハ以テ我帝国ノ藩屛ヲ强固ニシ 一ハ以テ当国ニ於ケル我帝国ノ㔟力ヲ擴張シ 併セテ帝国商民ノ利益ヲ増進スルノ御政策ヲ執ラレ度旨 昨廿六日付 機密苐二十六号ヲ以テ上申致置候処 右条約ノ決締方ハ一日モ御遅延無之 可成速カニ御決行相成度モノト存候

何トナレハ 斯ル条約ヲ締結スルニハ当国政府ニ向テ多少ノ威力ヲ示スノ必要モ可有之ト存候処 若シ今後 淸国ノ軍隊カ續々入京スルコトニモ相成候ハヽ 現政府ノ当路者ハ例ニヨツテ之ヲ頼トシ 我外交官ノ言ヲ容易ニ採用セサルベキヲ以テ 其掛合方 益〻困難ニ至ルヘキ義ト存候

尤モ斯ル計画ヲ実行スルニハ我国ト淸国トノ衝突ハ到底 免ル可ラザル儀ニ付 早晩 交戰ヲ要スル事ト存候処 弥 交戰ノ廟議 相定リ候上ハ 我軍隊カ当地ニ於テ曠日持久 淸兵 陸續トシテ来着スルヲ俟チ 彼ヨリ我ニ向テ戰端ヲ開キタル時ニ至リ 始メテ之ニ應戰センヨリハ 寧ロ淸兵ノ入京ニ先立チ速ニ当国政府ニ要請シ 朝鮮国ヲシテ我日本帝国ノ保護ヲ受ケシムルノ条約ヲ締結シ 我政府ハ此条約ニ依リ朝鮮政府ヲシテ現ニ牙山 其他ノ地方ヘ屯在スル淸兵ノ撤去ヲ要求セシメ 若シ之ヲ撤去セサルトキハ其所為ヲ以テ当国ノ安全ヲ害スルモノトシ 我ヨリ進ンデ之ヲ襲撃シ 尓後 續々当地ヘ向テ来着スル淸兵ハ皆ナ之ヲ途ニ要撃シテ其入京ヲ拒絶スル様致度モノト存候

若シ夫レ然ラスシテ徒ラニ淸兵ノ来着ヲ俟チ戰否ヲ決セス 亦 当国政府ニ對シテモ何等ノ処分ヲ決行セサルトキハ 折角 我数千ノ軍隊カ当地ヘ先入シタル甲斐モ無之候ニ付 今囬ノ事件ハ何卒 淸韓両国ヲ始メトシ其他列国ヲシテ 所謂 霹靂一聲 迅雷 耳ヲ掩フニ遑アラザルノ感ヲ起サシムルコト頗ル肝要ト存候

右 及再申候 敬具

          在京城
 明治廿七年六月廿七日 二等領事 内田定槌
         印【在京城日本帝國領事】
  外務大臣 陸奥宗光 殿

 

↑韓国内政改革ニ関スル交渉雑件 第一巻
2 明治27年6月20日から1894〔明治27〕年7月12日
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B03050308200 p.7~p.16 p.25~p.27