Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

特命全権公使 大鳥圭介発 外務大臣 陸奥宗光 内政改革案拒絶ニ付 朝鮮政府ヘ掛合 附大院君執政ノ件 1894.7.25 

【秘】
二十七年八月一日接受 主管 政務局【加藤】

機密受第1134号

機密第136号

内政改革案拒絶につき朝鮮政府ヘ掛合

附 大院君執政の件

 貴大臣閣下の訓令を奉じ内政改革案を当国政府に提出したるに、外務督弁ならびに改正委員等は、まづ我兵を撤去したる後、朝鮮政府自ら改革を行ふべき旨、回答したる趣は、去る十八日、機密第129号をもつて申進候ふところ、右は到底本官において満足すべき回答にこれなく候ふにつき、我満足を得るがため機密信または電信をもつて追々申進候ふ方針、ならびに去る十九日、第53号電訓および本野参事官の携帯したる御訓示の趣意に従ひ、左の四手段を決行いたし候ふ。

 第一、去る十九日、京釜間に軍用電線の架設に着手せり。

 右は追々御電訓の次第もこれあり候ふにつき、成るべく平和の手段をもつて彼の同意を得て架設いたすべしと存じ、去る七日、別紙甲号の通り照会致し候ふところ、乙号の通り照覆これあり候ふ。よつて更にまた丙号の通り弁駁相加へ候ふところ、丁号の通り回答致し越し候ふ。しかるに本件電線架設の義は是非とも施行すべき必要あるべしと存じ候ふあひだ、本官は遂に去る十九日、別紙戊号の通り照会し、即日架設に着手せしめ候ふ。

 第二、兵営を設置すべき旨、朝鮮政府へ照会せり。

 今日の模様にては急に撤兵の運びにも至り難き旁、威力をもつて当国政府に臨むことは最も必要と存じ候ふあひだ、去る十二日第36号の御電信の趣旨を奉じ、別紙己号の通り照会に及び候へども、今に何等の回答これなく、 また設営に至らず候ふあひだ、追々催促に及ぶ積りにこれあり候ふ。

 第三、在牙山清兵撤回を清国政府に請求すべき旨、当国政府に照会せり。

 朝鮮政府がさきに南方の民乱鎮定のため借兵を清国政府に申込みたるに、清国政府は属邦を保護するの旧例と称し兵三千を牙山に上陸せしめ、聶軍門は全羅忠清一帯の地に一つの告示を発して属邦を保護す云々公布したるは、朝鮮の独立を蔑視し、併せて我が修好条規の文面と直接衝突するにつき、速やかに牙山の清兵を撤回すべき旨、本官は別紙庚号の通り照会に及び候ふところ、兼ねて考案なきのみならず、清国とは従来の関係もこれある事とて、徒に宮中の会議に夜を明かし居りたるに、折から袁世凱突然にも帰国の途に上りたるがため、一層政府部内にては困却したる様子にて、我に対する照覆も三度まで書き替へたる由なるが、遂に去る二十日、即ち回答期日の夜に至り、別紙辛号の通り漠然たる照覆を差し越し候ふにつき、本官は断然たる処置を行ふことに決し、一面、朝鮮政府に別紙壬号の通り照会し、一面には大島旅団長とも協議の上、 翌二十三日午前四時、龍山より兵一連隊ならびに砲工兵若干を入京せしめ、王城を囲繞せんがためこれを王宮の方に進めたるに、彼より発砲したるにつき、我が兵これに応撃し、遂に彼を逐ひ退け、城門を押し開き、闕内に進入し、その四門を固めたり。この出来事につきては別に報告致すべく候ふにつき、右について御祥覧相成りたく候ふ。また各国公使館へは即日、直ちに別紙A号の通り回文発し置き候ふ。

 第四、中朝商民水陸貿易章程、中江通商章程および吉林通商章程を廃棄すべき旨、朝鮮政府に照会したり。

 従来、清国が朝鮮に対する処置は全く属国扱ひにして、該章程のごときもその実、清国皇帝これを制定して朝鮮に遵奉を命じたるものなれば、該章程の効力あらん限りは朝鮮政府は我が修好条規を犯すものにつき、本官は朝鮮政府に対し、これが廃棄を宣言し我に対する遵約の実を示すべき旨、別紙癸号の通り照会致し候ふ。これに対しては未だ何等の回答これなく候ふ。

 右は本官が成るべく速やかに是非の決局相付けたき考へをもつて公然、当国政府に施行したる処分の大要にこれあり。事体やや軽からざるものに候へども、この際、断然、清朝間主属の関係を絶たざれば、当国の独立を鞏固にし併せて内政の改革を行ひ難かるべしと信じ、決行致したる次第にこれあり候ふ。

 右は表向きの運動にこれあり候へども、裏面において種々探偵相用ひ候ふところ、一般の人気は全く大院君に向かひ、同君もまた全く青雲の志なきにあらざる様子につき、兼ねて申進候ふ通り、金嘉鎮、安䮐壽、岡本、小川らを利用し、まづ大院君を入閣せしむることに尽力致し候へども、同君は今一歩のところに至り決し兼ぬる様子これあり、誠に隔靴の感これあり候ふあひだ、種々苦心いたし居るところ、同君の股肱にして、大院君清国より帰韓以来、捕盗庁に幽囚され居る鄭雲鵬を獄より取り出し、これを勧めて大院君を説かしむるにしかずとの事につき、非常手段とは存し候へども、去る二十三日午前一時、国分書記生をして兵卒十名、巡査十名を従へ右捕盗庁獄舎に赴かしめたるに、夜深の事とて一般に寂寥、誰とて傍りに見るものこれなきにつき、始めの間はかれこれ鄭において故障を云ひ立てたるも、遂に難なくこれを引き出し、当館に連れ来りたるところ、一時はやや驚きたる様子にて、自分が今図らずも大院君に見ゆるを得るは実に歓喜に堪へざるも、自分は国王陛下の命により禁錮中の者故、日本人の手により解放せらるるは不本意なる旨、相述べ候へども、追々利害を説きて大院君出でざれば国民を救ふを得ざる旨、説明いたし候ふところ、彼も遂に服し候ふにつき、国分書記生はこれと同道、直ちに同君邸に赴きたるに、大院君容易に蹶起すべき模様これなく候へども、鄭雲鵬種々に諌告する所ありたりしため、大概は出仕に決心せり。さりながらこの問答に時刻相移り夜も明け来たり候ふ内、我兵と韓兵との間に発砲起こり、遠くより望見するに、あるいは国王陛下闕後に落ち行かれたる事あるまじきやの疑虞これあり候ふにつき、本官も一方ならず心配し、遂に秋村書記官を大院君邸に遣はし、速やかに出世方、相促し候ふところ、同君の心中全く出世に意あるも、日本人に强ゐられ出でたりと云はぱ同国人間の評言もこれあるにつき、わざと我が勧告に応ぜざる様子を仮装し、ひたすら国王陛下より勅使の至ることを待ち居りたり。このとき安䮐壽、愈吉濬らは大闕と同君邸との間に奔走し、遂に勅使を差し立つることに至りたるにつき、大院君ここに断然決意をなし、勅使の帰邸に引き続き直ちに参内せられたり。

 これより先き大闕内にては閔家の一族我が兵の侵入に驚き追々後門より逃走し、亜閔の輩もこれに続き、闕内やや騒優を極めたるがため、大君主陛下は特に外務督弁を当館に遣はし、速やかに本官に参内致すべき旨、王命これあり候ふ間、本官は直ちに入闕致すべき筈なりしも、日人韓人ともに轎夫に不足相告げ、容易にまとまらざりしにつき、遂に十一時頃、漸く出館、参内いたし候ふところ、この時大院君もまた参内相成り、 久々にて父子の対面、満悦感涙の観あれば、大院君怒つて国王の失政を責め、陛下はこれを謝する実あるなど、一時は図らざる演劇を呈し候ふ。その内大院君は正堂に出で来たり、本官に対し、大君主は本日、貴公使を引見致すべき筈なりしも、何分の取り込みにて混雑につき、自分代つて進謁を受くる旨を述べ、且つ自分は大君主の命により自今政務を統轄すべきにつき、同国内政改革の事は追つて委しく貴公使に御協議及ぶべし云々述べられ候ふにつき、本官はまづ大君主陛下の無恙なりしを祝し、次いで大院君執政の賀辞を述べ引き取り申し候ふ。また各国使臣にも同二十三日午後三時進宮、同じく大院君に謁見いたし候ふ。

 右御報告に及ぴ候ふなり。

  明治二十七年七月二十五日

       特命全権公使 大鳥圭介

       【在朝鮮日本帝国特命全権公使

   外務大臣 陸奥宗光殿


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【秘】
廿七年八月一日接受 主管 政務局【加藤】
機密受第一一三四號

機密第一三六号 本七九
  内政改革案拒絶ニ付 朝鮮政府ヘ掛合 附
  大院君執政ノ件

貴大臣閣下ノ訓令ヲ奉シ内政改革案ヲ当国政府ニ提出シタルニ 外務督弁 並ニ改正委貟等ハ 先ツ我兵ヲ撤去シタル後 朝鮮政府自ラ改革ヲ行フヘキ旨囬答シタル趣ハ 去ル十八日 機密苐一二九号ヲ以テ申進候處 右ハ到底本官ニ於テ満足スヘキ囬答ニ無之候ニ付 我満足ヲ得ルカ為メ 機密信 又ハ電信ヲ以テ追〻申進候方針 並二去ル十九日 苐五三号電訓 及ヒ本野参事官ノ携帶シタル御訓示ノ趣意二従ヒ左ノ四手段ヲ決行致候

苐一 去ル十九日 京釜間ニ軍用電線ノ架設ニ着手セリ 右ハ追々御電訓ノ次苐モ有之候ニ付 可成平和ノ手段ヲ以テ彼ノ同意ヲ得テ架設可致ト存シ 去ル七日 別紙甲号ノ通リ照會致候處 乙号ノ通リ照覆有之候 依テ更ニ又 丙号ノ通リ弁駁相加へ候處 丁号ノ通リ囬答致越候 然ルニ本件電線架設ノ義ハ是非トモ施行スヘキ必要可有之ト存候間 本官ハ遂ニ 去十九日 別紙戊号ノ通リ照會シ 即日 架設ニ着手セシメ候

苐二 兵営ヲ設置スヘキ旨 朝鮮政府ヘ照會セリ
今日ノ模様ニテハ急ニ撤兵ノ運ニモ難至旁 威力ヲ以テ当国政府ニ臨ムコトハ最モ必要ト存候間 去ル十二日 苐三十六号ノ御電信ノ趣旨ヲ奉シ 別紙己号ノ通リ照會及候ヘ共 今ニ何等ノ囬答無之 又 設営ニ至ラス候間 追〻催促ニ及積リニ有之候

苐三 在牙山清兵撤囬ヲ清国政府ニ請求スヘキ旨 当国政府ニ照會セリ
朝鮮政府カ曩ニ南方ノ民乱鎮定ノ為メ借兵ヲ清国政府ニ申込ミタルニ 清国政府ハ属邦ヲ保護スルノ旧例ト称シ兵三千ヲ牙山ニ上陸セシメ 聶軍門ハ全羅忠清一帶ノ地ニ一ノ告示ヲ發シテ属邦ヲ保護ス云々公布シタルハ 朝鮮ノ獨立ヲ蔑視シ 併セテ我修好条規ノ文面ト直接衝突スルニ付 速ニ牙山ノ清兵ヲ撤囬スヘキ旨 本官ハ別紙庚号ノ通リ照會及ヒ候處 兼テ考案ナキノミナラス清国トハ従来ノ関係モ有之事トテ 徒ニ宮中ノ會議ニ夜ヲ明カシ居タルニ 折柄袁世凱 突然ニモ帰国ノ途ニ上リタルカ為メ 一層政府部内ニテハ困却シタル様子ニテ 我ニ對スル照覆モ三度迄書替ヘタル由ナルカ 遂ニ去ル廿ニ日 即チ囬答期日ノ夜ニ至リ別紙辛号ノ通リ漠然タル照覆ヲ差越シ候ニ付 本官ハ断然タル處置ヲ行フコトニ決シ 一面 朝鮮政府ニ別紙壬号ノ通リ照會シ 一面ニハ大島旅團長トモ協議ノ上 翌二十三日午前四時 龍山ヨリ兵一聨隊 並ニ砲工兵若干ヲ入京セシメ 王城ヲ圍繞センカ为メ之ヲ王宮ノ方ニ進メタルニ 彼ヨリ發砲シタルニ付 我兵之ニ応撃シ 遂ニ彼ヲ逐ヒ退ケ 城門ヲ押開キ闕内ニ進入シ 其四門ヲ固メタリ 此出来事ニ付テハ別ニ報告可致候ニ付 右ニ就テ御祥覧相成度候 又 各国公使館ヘハ即日 直ニ別紙A号ノ通リ囬文發シ置候

苐四 中朝商民水陸貿易章程 中江通商章程 及 吉林通商章程ヲ廢棄スヘキ旨 朝鮮政府ニ照會シタリ
従来 清国カ朝鮮ニ對スル處置ハ全ク属国扱ヒニシテ 該章程ノ如キモ其実 清国皇帝 此ヲ制定シテ朝鮮ニ遵奉ヲ命シタルモノナレハ 該章程ノ效力アラン限リハ朝鮮政府ハ我修好条規ヲ犯スモノニ付 本官ハ朝鮮政府ニ對シ 之カ廢棄ヲ宣言シ我ニ對スル遵約ノ実ヲ示スヘキ旨 別紙癸号ノ通リ照會致候 之ニ對シテハ未タ何等ノ囬答無之候

右ハ本官カ可成速ニ是非ノ決局相付度考ヲ以テ公然 当国政府ニ施行シタル處分ノ大要ニ有之 事体稍軽カラザルモノニ候ヘ共 此際 断然 清朝間主属ノ関係ヲ絶タサレハ 当国ノ獨立ヲ鞏固ニシ併セテ内政ノ改革ヲ行ヒ難カルへシト信シ決行致シタル次苐ニ有之候

右ハ表向ノ運動ニ有之候ヘ共 裏面ニ於テ種々探偵相用ヒ候處 一般ノ人氣ハ全ク大院君ニ向ヒ 同君モ亦 全ク青雲ノ志ナキニアラサル様子ニ付 兼テ申進候通リ 金嘉鎮 安䮐壽 岡本 小川等ヲ利用シ 先ツ大院君ヲ入閣セシムルコトニ尽力致候ヘ共 同君ハ今一歩ノ處ニ至リ決シ兼ヌル様子有之 誠ニ隔靴ノ感有之候間 種々苦心致居処 同君ノ股肱ニシテ 大院君 清国ヨリ帰韓以来 捕盗廳ニ幽囚サレ居ル鄭雲鵬ヲ獄ヨリ取出シ 之ヲ勸メテ大院君ヲ説カシムルニ如カストノ事ニ付 非常手段トハ存候得共 去廿三日午前一時 国分書記生ヲシテ兵卒拾名 巡査拾名ヲ従ヘ右捕盗廳獄舎ニ赴カシメタルニ 夜深ノ事トテ一般ニ寂寥 誰トテ傍リニ見ルモノ無之ニ付 始メノ間ハ彼此鄭ニ於テ故障ヲ云ヒ立テタルモ 遂ニ難ナク之ヲ引出シ当舘ニ連レ来リタル処 一時ハ稍〻驚キタル様子ニテ 自分カ今不図モ大院君ニ見ユルヲ得ルハ実ニ歡㐂ニ堪ヘザルモ 自分ハ国王陛下ノ命ニヨリ禁錮中ノ者故 日本人ノ手ニヨリ解放セラルヽハ不本意ナル旨 相述ヘ候得共 追〻利害ヲ説キテ大院君出テサレハ国民ヲ救フヲ得ザル旨 説明致候処 彼モ遂ニ服シ候ニ付 国分書記生ハ此ト同道 直チニ同君邸ニ赴キタルニ 大院君 容易ニ蹶起スヘキ模様無之候得共 鄭雲鵬 種〻ニ諌告スル所アリタリシ為メ 大概ハ出仕ニ決心セリ 乍然 此問答ニ時刻相移リ夜モ明ケ来リ候内 我兵ト韓兵トノ間ニ発砲起リ 遠クヨリ望見スルニ或ハ国王陛下 闕後ニ落行カレタル事アル間敷ヤノ疑虞有之候ニ付 本官モ一方ナラス心配シ 遂ニ秋村書記官ヲ大院君邸ニ遣シ 速ニ出卋方相促シ候処 同君ノ心中 全ク出世ニ意アルモ 日本人ニ强ヰラレ出テタリト云ハヽ同国人間ノ評言モ有之ニ付 態ト我勸告ニ應セサル様子ヲ仮装シ 只管 国王陛下ヨリ勅使ノ至ルコトヲ待チ居タリ 此時 安䮐壽 愈吉濬等ハ大闕ト仝君邸トノ間ニ奔走シ 遂ニ勅使ヲ差立ツルコトニ至リタルニ付 大院君 此ニ断然決意ヲナシ 勅使ノ帰邸ニ引續キ直チニ参内セラレタリ

是ヨリ先キ大闕内ニテハ閔家ノ一族 我兵ノ侵入ニ驚キ追〻後門ヨリ逃走シ 亜閔ノ輩モ之ニ續キ 闕内稍〻騒優ヲ極メタルカ為メ 大君主陛下ハ特ニ外務督弁ヲ当舘ニ遣ハシ 速ニ本官ニ参内可致旨 王命有之候間 本官ハ直チニ入闕可致筈ナリシモ 日人韓人共ニ轎夫ニ不足相告ケ容易ニ纏マラサリシニ付 遂ニ十一時頃 漸ク出舘 参内致候処 此時大院君モ亦 参内相成リ 久〻ニテ父子ノ對面 滿悦感涙ノ觀アレハ 大院君怒テ国王ノ失政ヲ責メ 陛下ハ之ヲ謝スル実アル等 一時ハ図ラザル演劇ヲ呈シ候 其内大院君ハ正堂ニ出来リ 本官ニ對シ 大君主ハ本日 貴公使ヲ引見可致筈ナリシモ 何分ノ取込ニテ混雑ニ付 自分 代テ進謁ヲ受クル旨ヲ述ヘ 且ツ自分ハ大君主ノ命ニヨリ自今 政務ヲ統轄スヘキニ付 同国内政改革ノ事ハ追テ委シク貴公使ニ御協議可及云〻述ヘラレ候ニ付 本官ハ先ツ大君主陛下ノ無恙ナリシヲ祝シ 次テ大院君執政ノ賀辞ヲ述ヘ引取リ申候 又 各国使臣ニモ同廿三日午後三時進宮 同シク大院君ニ謁見致候

右御報告ニ及候也

  明治廿七年七月廿五日
      特命全権公使 大鳥圭介
      【在朝鮮日本帝國特命全權公使】
  外務大臣 陸奥宗光殿

庚号

苐八十三号

以書柬致啓上候 陳者 貴朝鮮國ハ本来 自主ノ邦國ニシテ 何レノ邦國ニモ覇属セザルコトハ 日朝修好条規苐一款ニ之ヲ明載シ 尚ホ貴曆本年五月二十七日 貴署公文苐十六号 及 我曆本年七月二日 本署公文苐六十六号ヲ以テ益〻其意義ヲ慥メ候儀ハ 貴政府ニ於テモ御熟悉ノ儀有之候 然ル處 本年六月初旬 清國政府カ其兵ヲ派遣スルニ當リ我政府ニ通知シタル公文中 我朝保護属邦旧例ト称シ 且ツ清國聶軍門ガ牙山カラ全州ニ至ル各地方ニ告示シタル文中 竟有我中朝愛恤属國不忍坐視不救或保護藩属 等ノ字様ヲ以テシタルハ 明瞭ニ貴國ノ獨立ヲ無視シ自主ノ権利ヲ損害シタル者ト認定致候 右清國政府ノ通知ハ本署本年㐧五十九号公文ニ附属シテ貴督弁ニ及御囬示候ニ付 既ニ御熟閲ノ儀ト存候 聶軍門ノ告示ハ別紙甲号ノ通リニテ 本公使ハ其事実ヲ慥メンカ為メ嘗テ之ヲ清国總理袁氏ニ問合候處 我曆本年七月一日ヲ以テ同總理ヨリ別紙乙号ノ通リ 事実無相違旨 囬答シタルモノニ有之候 依之 貴政府カ 右等不正ノ名義ヲ以テ派来セル清兵ヲ 永ク其境内ニ駐在セシムルコトハ 貴国自主獨立ノ権利ヲ侵害シ 隨テ日朝條約ニ載セタル 朝鮮自主之邦 保有與日本國平等之権 一節ヲ無視スル者ニ付 速ニ之ヲ貴境外ニ退去セシメ 以テ貴政府守約ノ義務ヲ完フセンコト深ク希望スル所ニ有之候 右清兵ヲ退去セシムル義ハ固ヨリ差急キ候儀ニ付 迅速御決行相成度 且又 右ニ付 貴政府御決議之趣ハ明後 即 我本月二十二日迠ニ御囬答有之様致度候 万一 貴政府ノ御囬答延行スルニ於テハ 本公使自カラ決意スル所可有之ト存候 此段照會得貴意候 敬具

 明治廿七年七月二十日
     特命全権公使 大鳥圭介
  督弁交渉通商事務 趙秉稷閣下

   別紙甲号 本年六月廿六日 袁總理宛書翰
   別紙乙号ハ本年七月一日(旧五月廿八日)袁總理来翰

壬号

苐八十五号

以書翰致啓上候 陳者 貴曆本年六月廿日 貴照會苐十八号ヲ以テ云〻御申越之趣 致拝承候 査スルニ清國政府知照中 我朝保護属邦旧例等語ヲ掲ケタル義ニ付テハ 先般 本公使ヨリ公然及御承會候ニ付 貴政府ニ於テハ既ニ御熟悉之儀ニ有之候 聶軍門ノ告示ニ至テハ牙山ヨリ全州ニ至ル各地ニ貼付シタル所ナレハ 是亦貴政府ニ於テ素ヨリ御承知可相成筈ト存候 然ルニ今 貴督弁ハ徒ラニ 與本国無渉 或ハ 未及聞知 等語ヲ以テ其責ヲ免レントセラルヽハ 是レ貴国自ラ其自主獨立ノ権利ヲ墜損シ 併テ日朝條約 朝鮮自主之邦 有與日本國平等之権 一節ヲ無視スル者ニシテ 本公使ノ断然 同意シ能ハサル所ニ有之候 依之 此際 貴政府ヲシテ條約名文ヲ遵守セシムルカ為メ満足ナル囬答ヲ要求スルハ 我政府カ當然 為スヘキコトト致確信候間 右ニ付 至急 御囬答有之候様致度候 猶 貴政府ヨリ満足ナル囬答ヲ與ヘラレサルニ於テハ 時宜ニヨリ 我権利ヲ保護スルカ為メ兵力ヲ用フルコトモ可有之ニ付 右 豫メ御承知相成度 此段照會得貴意候 敬具

 明治廿七年七月廿三日
     特命全権公使 大鳥圭介
  督弁交渉通商事務 趙秉稷閣下

 

↑内政改革案拒絶ニ付 朝鮮政府ヘ掛合 附 大院君執政ノ件

韓国内政改革ニ関スル交渉雑件 第一巻
5 明治27年7月18日から明治27年7月30日
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B03050308500 p.32~p.37