Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

「朝鮮人の慰安婦、内地婦人(極めて僅少。生存者あるや疑はし)は地方人とともに収容されあり。 なほ今後問題となるべきは、内地の将校、下士官、兵にして便衣を着し、住民として投降し、地方人収容所にありて巡査(CP)、教員、配給所役員等になり、沖縄人と結婚し、沖縄人となりすましある者、相当数に達しあることなり。住民の密告により軍人収容所に移されたる者あれど未だ多数潜入しあるもののごとし。」 参考情報第12号 沖縄本島の状況  1946.1.9

参考情報第12号 沖縄本島の状況
          昭21.1.16 資料課

(註) 本資料は1月9日、沖縄本島より帰還せる歩兵第22連联隊付き軍医大尉 ●●●●の報告要旨を複写せるものなり。

1.終戦前後の一般状況

(1) 沖縄本島の荒廃

 昨年三月、米機動部隊の来襲および上陸軍の攻擊開始以来、諸地上施設、建造物、村落等の全部は完膚なきまでに破壊され、中頭郡以南には完全なる民家、数指を屈するのみとなる。しかれども米軍の驚くべき土木機械力により、終戦時までに沖縄島の隅々に至るまで自動車道路が掘開·改築せられ、至る所、自動車の疾走を見る状態に激変、近代化せり。

(2) 日本軍の状況

 6月22日、軍司令官●●中将、参謀長の自決に伴ひ友軍の組織的戦闘は終りを告げ、 ゲリラ戦に入る。当時、友軍の兵力15,000を越えあるものと認めらる。当時までに米軍捕虜となりたる、700名内外なり。爾後、米軍の掃蕩および宣伝放送に投降せるもの、終戦時までに9,500~9,600に達す(米軍初表。沖縄出身の軍人軍属、看護婦、友軍に関係を有する地方人を含む)。なほ沖縄南端地区、海岸地帯に追ひ詰められ逃げ場を失ひつつもなほ投降を肯ぜざる者は三々五々、あるいは住民を伴ひ、敵中を突破しと国頭山中に潜入し、該地□戸部隊(独[立]混[成第]44[旅団]の某歩兵連隊主力)に合流を企てたるも、米軍の警戒厳重を極め、無事目的を達したる者、数名に過ぎず、大部分は敢へなく米兵の弾丸の餌食となりたるもののごとし。その数、10,000にも達すべきが、勿論、国頭脱出の途中、米軍捕虜となりたる者モ多々あり、また筏を組みクリ舟(沖縄特有ノ小舟)を操?り?、破損せる小舟を修理し島外に脱出を企てたる者[中略]

2.終戦後における軍隊および邦人状況、軍紀、一般秩序

     [中略]

(2) 邦人ノ状況

 前項に述べたるごとく、地方人は柵内に収容、米軍の給与を受けたるをもつて、全員無財産となりたるも、日々の生活は寧ろ今日の東京都民より幸福ならんか。PW[捕虜]収容所に収容しありし沖縄出身の軍人(含将校)は10月以降、全員開放され、青年層不足により女護ヶ島の観あり。未婚女性の大歓迎を受けたりと聞く。沖縄州知事とも言ふべき人は、前開南中学校長某氏なり。最近、米軍の資材揚陸にゃり復興計画は着々進み、沖縄大学、市民病院の設立も近しと聞く。沖縄人の思想は現在、大別して三つに別れ、青年層は「われわれは飽くまでも日本人なり。いつかは必ず日本に復帰すべし」との希望を有し、壮年層は「沖縄、沖縄自身にて独立し、日米両方とも頼りにせず」と言ひ、老年層は「ヤンキー様々」ならんやと思はるる点なきにしもあらず。なほ1月中旬、南鮮地方に疎開しありし沖縄出身婦女子は全員、米船により帰国せり。住民間には軍票流通しあらず。内地の邦人は石川の日本軍人収容所に収容されあるも、その数僅少。一部は軍人に混じ還送せられたるもののごとし。朝鮮人慰安婦、内地婦人(極めて僅少。生存者あるや疑はし)は地方人とともに収容されあり。

 なほ今後問題となるべきは、内地の将校、下士官、兵にして便衣を着し、住民として投降し、地方人収容所にありて巡査(CP)、教員、配給所役員等になり、沖縄人と結婚し、沖縄人となりすましある者、相当数に達しあることなり。住民の密告により軍人収容所に移されたる者あれど未だ多数潜入しあるもののごとし。

     [中略]

   昭和21年1月9日
         馬堀収容所にて

 

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参考情報第一二號 沖縄本島ノ状况
          昭二一・一 一六 資料課

(註) 本資料ハ一月九日 沖縄本島ヨリ帰還セル歩兵第二十二联隊附 軍医大尉 ●●●●ノ報告要旨ヲ複寫セルモノナリ

一、終戰前後ノ一般状況

(一) 沖縄本島ノ荒廢

昨年三月 米機動部隊ノ来襲 及 上陸軍ノ攻擊開始以来 諸地上施設、建造物、村落等ノ全部ハ完膚ナキ迠ニ破壞サレ 中頭郡以南ニハ完全ナル民家 数指ヲ屈スルノミトナル 然レドモ米軍ノ驚クベキ土木機械力ニヨリ 終戰時マデニ沖縄島ノ隅々ニ至ルマデ自動車道路ガ掘開改築セラレ 至ル所 自動車ノ疾走ヲ見ル状態ニ激変 近代化セリ

(二) 日本軍ノ状況

六月二十二日 軍司令官●●中将 参謀長ノ自決ニ伴ヒ

 

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友軍ノ組織的戰斗ハ終リヲ告ゲ 「ゲリラ」戰ニ入ル、當時 友軍ノ兵力 一萬五千ヲ越エアルモノト認メラル、當時マデニ米軍捕虜トナリタル 七百名内外ナリ 爾后 米軍ノ掃蕩 及 宣傳放送ニ投降セルモノ 終戰時マデニ九千五、六百ニ達ス(米軍發表、沖縄出身ノ軍人軍属、看護婦、友軍ニ関係ヲ有スル地方人ヲ含ム)尚 沖縄南端地区、海岸地帶ニ追詰メラレ逃場ヲ失ヒツヽモ 尚 投降ヲ肯ゼザル者ハ三々五々 或ハ住民ヲ伴ヒ 敵中ヲ突破シテ國頭山中ニ潜入シ 該地□戸部隊(獨混四四ノ某歩兵聨隊主力)ニ合流ヲ企テタルモ 米軍ノ警戒 嚴重ヲ極メ 無事 目的ヲ達シタル者 数名ニ過ギズ 大部分ハ敢ヘナク米兵ノ彈丸ノ餌食トナリタルモノヽ如シ、ソノ数 一萬ニモ達スベキガ 勿論 國頭脱出ノ途中 米軍捕虜トナリタル者モ多々アリ 又 筏ヲ組ミ「クリ」舟(沖縄特有ノ小舟)ヲ操?リ? 破損セル小舟ヲ修理シ 島外ニ脱出ヲ企テタル者

     [中略]


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二、終戰後ニ於ケル軍隊 及 邦人状況 軍紀 一般秩序

     [中略]

(二) 邦人ノ状況

前項ニ述ベタル如ク、地方人ハ柵内ニ収容 米軍ノ給與ヲ受ケタルヲ以テ、全員無財産トナリタルモ、日々ノ生活ハ寧ロ今日ノ東京都民ヨリ幸福ナランカ、PW収容所ニ収容シアリシ沖縄出身ノ軍人(含將校)ハ十月以降 全員開放サレ、青年層不足ニヨリ女護ヶ島ノ觀アリ 未婚女性ノ大歡迎ヲ受ケタリト聞ク。沖縄州知事トモ


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言フベキ人ハ前開南中學校長 某氏ナリ、最近 米軍ノ資材揚陸ニヨリ復興計画ハ着々進ミ、沖縄<大学 市民病院ノ設立モ近シト聞ク 沖縄>人ノ思想ハ現在 大別シテ三ツニ別レ、青年層ハ、吾々ハ飽クマデモ日本人ナリ。何時カハ必ズ日本ニ復帰スヘシトノ希望ヲ有シ、壮年層ハ沖縄、沖縄自身ニテ独立シ、日米両方トモ頼リニセズト言ヒ、老年層ハ「ヤンキー」様々ナランヤト思ハルヽ奌ナキニシモ非ズ、尚ホ一月中旬 南鮮地方ニ疎開シアリシ沖縄出身婦女子ハ全員 米船ニヨリ帰國セリ。住民間ニハ軍票流通シ非ズ。内地ノ邦人ハ石川ノ日本軍人収容所ニ收容サレアルモ ソノ数 僅少。一部ハ軍人ニ混ジ還送セラレタルモノヽ如シ。朝鮮人慰安婦、内地婦人(極メテ僅少、生存者アルヤ疑ハシ)ハ地方人ト共ニ收容サレアリ。


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尚 今後 問題トナルベキハ、内地ノ將校、下士官、兵ニシテ便衣ヲ着シ住民トシテ投降シ 地方人収容所ニアリテ巡査(CP)敎員、配給所役員等ニナリ 沖縄人ト結婚シ 沖縄人ト<ナリスマシアル者 相當数ニ達シアルコトナリ 住民ノ密告ニヨリ>軍人収容所ニ移サレタル者アレド未ダ多数潜入シアルモノヽ如シ

     [中略]

   昭和二十一年一月九日
         馬堀収容所ニテ

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https://www8.cao.go.jp/okinawa/okinawasen/pdf/b0905019/b0905019.pdf

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