Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

第二復員局残務処理部 開戦迄の政略戦略 其の1(1950年3月)より 考証資料第10号  1937.8.14

考證資料第十號

 

◯昭和年八月十四日午后六時發電の作戰命令

大海令第十三號
昭和十二年八月十四日
奉勅 軍令部總長 博恭王
長谷川第三艦隊司令官に命令

一、帝國は上海に派兵し同地に於ける帝國臣民を保護すると共に當面の支那軍を擊破するに決す。
青島に對しては陸軍派兵準備を整へ待機せしむ。

二、第三艦隊司令官は現任務の外 派遣軍と協力し所要の地域を確保し 同方面に於ける敵陸軍 及 中支那に於ける敵航空兵力を擊破すると共に 所要海面を制壓し必要に應じ敵艦隊を擊滅すべし。

三、第三艦隊司令官は上海方面に派遣せらるる帝國陸軍の海上護衞 及 其の一部の輸送に任ずべし。

四、細項に關しては軍令部總長をして之を指示せしむ。

 

◯八月十四日午后七時十五分發電の作戰指示

大海令第十五號
昭和十二年八月十四日
軍令部總長 博恭王
長谷川 第三艦隊司令官に指示

一、帝國陸軍上海派遣軍の編成 左の如し

上海派遣軍指令部
第三師團
第十一師團(天谷支隊缺)
其の他所要部隊

二、第三師團 及 第十一師團の各先遣隊輸送は槪ね左の要領に依るべし。

(一)第三師團先遣隊(約三千五百名)は八月十九日 乃至 二十日 熱田に於て海軍艦船に乘船進發の豫定、右艦船の乘船地入泊期日を十八日とす。

(二)第十一師團先遣隊(約四千名)は八月十九日 乃至 二十日 多度津 及 丸龜に於て海軍艦船に乘船進發の豫定。

右艦船の乘船地入泊期日を八月十八日とす。

 

↑第二復員局残務処理部 開戦迄の政略戦略 其の1(1950年3月)より

考証資料第10号

昭和12年8月14日午後6時発電の作戦命令 大海令第13号

8月14日午後7時15分発電の作戦指示 大海令第15号

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C16120625500