Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

信夫淳平『戦時国際法講義』第2巻より 不助命宣言の禁止とその例外

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不助命の宣言も禁止

 997 次の(二)の禁止は「助命セザルコトヲ宣言スルコト」で、これも前の(ハ)号と同じく人道上の要求に出づるものである。往昔にありては、戦場の敗兵は敵に対して助命を望むことをえなかつた。勝者はその捕らへたる敗者をば殺すも活すも勝手次第と公認せられてあった。負傷者の如きは尚ほさらで、医療の手不足から寧ろ之を手取り早く片付けて了ふといふのが常であつた。敗兵の助命が稍々行はるるに至つたのは、14世紀の頃「慈悲を祈る者は慈悲を受くべし。」("He who prays for mercy ought to have mercy")の格言が稍々奉ぜらるるやうになつた以来で、しかも真に降者は之を殺害すべからずとの観念が洽く萌したのは、漸く十八九世紀の交以来のことである。

不助命宣言を是認する例外の場合

 998 本両号に該当する条項を1874年のブリュッセル会議にて都議せる際の原案は「交戦者は敵を助命せざることを宣言するの権なきものとす。但し敵の執りし過酷の行為に対する報復として、若くは味方の敗滅を防ぐ不可避手段として、の場合に限りこれを為すことを得。敵を助命せざる軍隊は己れの助命を要求するの権なきといふのであつたが、この例外的許容の字句は削られて大体現行の本両号となつたものである。然しながら現行規定の下にありても、或場合には不助命の宣言に例外を認めぬではない。その

 

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例外の場合としてオッペンハイムは(一)敵軍隊にして白旗を掲げて降伏の意を表したる後尚ほ且射撃を続行するあらばその兵に対し、(二)敵の交戦法規違反の行為に対する報復手段として、(三)助命に伴ふ俘虜のため累を我軍に与へ、ために軍の安全を致命的に危うせしむるといふが如き絶対必要の場合、以上の三種を挙げる(Oppenheim, Ⅱ, § 109, pp. 169―170)。ホールも「自身交戦法規を」

第二は報復手段であるが、敵の軍隊指揮官の交戦法規違反の責任を個々の兵に負はしむるのは理に於て妥


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当を欠くのみならず、暴を以て暴に酬ゆる報復それ自身理論として議すべきの余地なきに非ざるも、現代の国際法は報復を是認するのであるから已むを得ない。ただ然しながら、報復は既に説きたるが如く、対手の交戦規則違反の程度に能ふ限り比例せしむべく、報復の名に於て漫に過度の蛮的暴挙を無辜の敵兵個々に加ふるなきの斟酌はあつて然るべきである。

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1060837/201

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1060837/202