Ob-La-Di Oblako 文庫

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朴烈・金子文子裁判記録 大審院第二回公判調書より 弁護人布施辰治の弁論 1926.2.27

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前同日午後一時、前同一事件につき、前同一法廷において、前同一の判事、検事、裁判所書記列席の上、
公開せずして対審を続行す。
前同一の被告人出頭、身体の拘束を受けず。
前同一の弁護人出頭。
裁判長は、

引き続き審理する旨を告げたり。

弁護人布施辰治は、

 私の所見を述べ、裁判所の参考に附したし。私は法律の命ずる形式に従って、ここにこの事件の審理に携りをる次第なるが、むしろこれは一個の社会事相にして、この事件が引き起こされたるその時に、これに携るべき一つの因縁を持ちしものなり。私はこの意味において本件の弁護人として、検事が対象となしたる犯罪、その捜査、裁判所の判断を求めんとする公訴事実はもとより、検事局の捜査の態度、裁判所の審理の態度等を対象として、これに厳正なる批判を加へんと欲す。特に朴、金子両氏に誤解なき様一言すると同時に、裁判所各位にも誤解なきことを望む。
 しかして弁論の趣旨は、朴、金子両氏らに対する裁判所、検事局の誤解を正し、またこれらの両氏に加へたる法律的手続、態度の誤られたことを正すために、裁判所、検事局等の深き反省と考慮を求めんとするにありて、決して朴、金子両氏のためにいはゆる弁疏せんとするものにあらざるをもって、この点は特に両氏の了解を求め置きたし。
 同時に私は、両氏が自己の所信を断行するために極めて忠実なる人にして、また真理を熱愛することにおいて、この人たちの志を貴しとするものなるをもつて、両氏の立場を比較的理解し得る一人なることを信ずるが故に、この事案につき批判を試み、検事局と裁判所の反省を求むる次第にして、またこれを求め得ると否とは第二の問題とし、これを要求することが両氏に対する態度と責任なることを痛感するものなり。
 問題となれる事案につき一件法律の裁する所は、 何を審理の対象として調べたるか、そは即ち朴、金子両氏の思想なり。検事はその論告にあたり、この事案の怖るべきことにおいて生命を要求する所以の理由は、この両氏の思想が叛逆、暴戻、怖るべき危険を包蔵するにありとなし、また裁判所においては、昨日以来朴氏がなしたる「所謂裁判ニ対スル俺ノ態度」「一不逞鮮人より日本の権力者階級に与ふ」と題する書面の朗読、ならびに本日検事の論告に対しなしたる宣言と態度の闡明、これらの上に戰慄と脅威を感じをらるることと思ふ。故にこの事案に対し裁判所と検事は、これを公開したる時において一般の民心、これらの人たちに万一にも与へらるる戦慄と脅威を拒否せんがために裁判をなすものであり、またしかなすことを使命となすものと言はざるべからず、ここにおいて本弁護人は朴の朗読したる書面、ならびに本日検事の論告に答へたる宣言、また金子夫人の公判準備手続の答へに代へて書かれたるあの虚無主義の要旨、本日ここに述べられたるその思想の要旨、これらのものに対し他意なき批判を加ふべき検討の第一義となさざるべからざる様思考す。
 私がかくいふ時、それは問題となれる刑法第七十三条に該当する犯罪事件と応接せざる因縁であり、動機である。論を拡むるものとなし、これを不可とするもの者存するやも知れず。しかしながら、命を賭けて所信に邁進したるこの両人の態度につきて、そのことが果たして誤てるや否、結論の上に所見を異にする者にありても、貴き生命を賭けて邁進し所信に忠誠なる態度に、敬意を表し感激すべきなり。
 しかして検事はこの両人に死刑を要求し、生命を奪ふべき死刑を要求しをれり。私はこの死刑といふ、生命を要求する刑罰法理につき多少なりとも学ぶ所もある。その理論の上に非難あるがごとく、もとより生命を奪ふべき死刑といふものに相当重大なる意義存することは言ふまでもなし。しかし生命を奪ふべく理論上正当づけられたりとするも、これを実際に取り扱ふことが、法律の命ずるままに執行の局に当たる人々の、人間としての長所と信念をいかに傷つけらるかを思はざるべからず。裁判所としても、検事としても、それ位のことは知らざるはずこれなきなり。
 また私は昨年中、獄に殪[たふ]れたる人を三人までも目撃したり。その私の感情を親切にいへば、理論上、死刑が正当づけらるるとするも、問題を離れ、生命を奪ふ死刑の要求そのものにつき、私どもは生命の貴さ、生きんがための努力の上に、あるいは個人として団体として、あるいは国家として社会として、相当厳粛に考察せざるべからざることを思ふ。
 また私は裁判所と検事に対し一、二言ひたきことあり。そは、実際、その思想を抱き、これを実現せんとなしたその人たちの気持は、その人たちにあらざれば裁き得ざるの一事と。この両人の考へたる思想や真理が今日の国家に取りて正しからず、また今日の法律に違反するものとしてこれらの人を処罰することを否むものにあらず。しかしながら、これらの人たちの思想そのものを是非し、これらの人たちが命を賭けたる所信に対し侮辱を与へられたくなしと思ふものなり。
 私は、本日、大阪控訴院において判決を言ひ渡さるべきはずのギロチン社の事件につき、被告らの心からの叫びとしてなしたる行為に対し、思想の異なる立場にある検事がこれを批判し、被告らがその批判の誤れることを憤慨したる態度に見て、私はその真理のあることを痛感したり。何人といへども生を愛し一日にても生き延びんことを希はざる者はなかるべし。しかるに過日、東京地方裁判所において古田大次郎が死刑の宣告を受けたるに対し、わずか一通の控訴状を提出すればその生は引き延ばさるべきを、同人は敢へてこれをなさず、生を望まず、生き延びんとせず、即刻、独ひでギロチンの上に満足して受けたることのごとき、私はその心情は全く当人にあらざれば解し得ざるものにして、その信念の痛烈なるを深く感得したり。
 かかるが故に、生命を賭けたる出来事につき客観的に結果の上に不祥の大罪なりと認むべきものある時、これが制裁は自由にして、またなさざるべからざる裁判所と検事の立場はこれを認む。またこの両人も覚悟をなせり。しかしながら現れたる範囲を逸脱して両人に対し濫りに是非の観察を敢へてせらるることを欲せざるなり。
 私は弁論の範囲として、また順序として申し立てんと思ふことは、第一、この事件の特別裁判に付せらるるまでの経過を明らかにし、これに批判を加えんとすること、第二にこれら両人が 公判開始決定に掲げられたるごとき事実ありとし、その責任は被告ら両人の生命を奪ふべきものとしての、検事の要求を承認すべきものか、あるいはこの両人の責を問ふ前に、他に責を問はるべき者あるにあらざるかとの点につき、国家の反省を求むること、第三に 公判開始決定に認めをる事実そのものが刑法第七十三条の大逆罪の構成を認むべきや認むべからざるやにつき法律論を進めたきこと、最後にこの事案につき公判後の裁判所の態度を批判し、この事案に対する疑惑につき私の所信に従って弁明したきことなどにして、まづ裁判所は特に私の弁論に幾分なりとも注意を払はれんことを要望す。
 しかして特別裁判といへばいつも傍聴を禁止し、いつも検事の閲覧して審理したる証拠を充分なりとし、公判におけるニ証拠申請を脚下しをれり。また判決の結果は検事の要求通り少しの相違なきものなれば、あるいは弁護は不必要にして、お芝居であるといふもまた止むを得ずとも、私は私の所信に極めて忠実なる一人として、私はいかなる事情のもとにおいても裁判の結果付けらるるものにあらざることを信じ、その無理を正し、更正を求め、まさに変更はある得るものと思考す。私は一個の法律の命ずる所により、ここに審理に携わる裁判所、検事、弁護人とうふ立場よりするにあらずして、この審理の真相と理由を明らかにし、すべての者の幸福と、正義の光と、審[→真]理の貴さ、を宣揚せんとする一つの社会事相を人間的覆面のまま、私どもの所信は語るものと思ふ。特別裁判といへば傍聴は禁止され、証拠申請は却下され、判決は検事の要求通りになるものと一般に考へをるをもって、裁判所においてはこれを裏書きせざる様、その独自の所信、所見によりこの事案を裁断されんことを希望するものなり。
 次にこの事案の捜査の経過を詮議することは、第一義的に心裡に痛感するところにして、これを批判的に言へば、検事局の捜査は無能、検事の考察は無定見なりといふべく、この特別裁判に選ばるるまでの経過を見る時、何人といへどもその感を深くせざるものはあらざるべし。もしそうした感情にして正しからずとせば、本日、金子氏の今日の考へを正しきものとするも、明日またそう考へるとは考へ得られないといひたると同様に、検事のこの事案に対する考へが、今日の考は昨日考へたるところと異なり、明日はまた今日の考ヘと異なることを感ぜらるるに相違なしと思考す。しかも検事の要求するところは、両人の生命を奪はんとするにあり、一度その刑を執行せんか、その考へは間違ひとして両人を呼び起こさんとするも及ばざるなり。そこに検事がこの事案を特別裁判に選ぶまでの捜査の無能、その方針の定まらざることを推定するに足る、最初の態度と今日の態度との相違の甚しきを思はしむる事由あり。これ、ここにこの事案を特別裁判にまで選ぶに至りたる経過を論ぜんとする所以なり。
 この両人に対する起訴状は、そこに積みある記録中に三枚存し、いづれも宛名を異にせり。即ち大正十二年十月二十日付予審請求書によれば、この両人とともに、いはゆる不逞社同志十五名が治安警察法を擬せられたる秘密結社の事実なり。罪ありと断ぜらるるも禁錮一年の罪案なり。その次に存在せる起訴状は、大正十三年二月十五日付をもって予審を請求せられたる爆発物取締罰則違反といふ罪名により、この両人と、未だ予審の終結決定を見ざる金重漢らが、爆発物の輸入を企てたといふ罪案なり。次に存在するは、大正十四年七月十七日付をもって予審を請求せられたる、この両人に対する刑法第七十三条の罪あることを内容とせる起訴状なり。卒然としてこの両人に対する三個の起訴状を罪名より考ふるとき、誰かその内容の同一を信ずる者あらん。しかし事実、罪名は異なってゐる。掲げられたる起訴内容の上に法律該当の条件的事実をいふ。無論、異なる様に読まる。
 しかしながら一個の人間行動として、生れて死するまで生命の連続あり、生の躍動生ず。この人間行為そのものの上より、分ちことの出来ざる一つのものより、三個の起訴事実は異なる予審請求に及びをるといふことは、断じて誤りなきを信ず。むしろ今、検事の論告に引用せる、杉本船員に対する供述、いはゆる第一爆弾輸入に関する警察の調べ、崔嚇鎮なる朝鮮の同志と爆弾輸入に関する江戸川辺の会合、左様のことがこの朴といふ一人の被告の罪を断ずる有力な資料になるといへるなれば、それは大正十二年十月二十日、治安警察法違反として起訴されてゐた、前の事実として厳存する朴氏の大逆計画であると言はねばならぬ。また金翰、金重漢関係のごとき、元より大正十二年十月二十日の治安警察法違反の起訴から実に法律上に明白なる事実であるといふことを誓言し誤りなきことを信ず。これらの事実は、大正十二年十月、治安警察法違反として起訴せらるる時、明らかなり。しかして今やこれを顧みれば、検事は大逆罪陰謀計画の一端なりとし、しかもその当時において、これが大逆罪陰謀計画の一端なりしことを捜査するの力なかりしより検事局これを確証せざりしといふか、あるいは捜査の力あり確証しをりたるも大逆罪といふ程度に至らざりしといふか、いづれにしてもこの間の起訴事実が検事局の態度のぐら付きを思はせるものあることを考へざるを得ず、いやしくも法律を精読すれば何人も、検事事が起訴方針に確実なる定見なく、これを危うしと見ざるわけには行かぬことを首肯するならん。私は今ここに、記録にある公判開始決定の起訴事実にいふ内容を新たに瞥見せられ、刑法第七十三条の大逆罪といはれるのでなく、事実そのものは大正十二年十月、すでに明らかになりをりたるものにて、それに対しある法律観より治安警察法違反なりとし、またある法律観より爆発物取締罰則違反なりとし、さらにある法律観より刑法第七十三条に該当する大逆罪なりとし、法律観の異同によりて相違あり。事実そのものは異ならずと思料す。裁判所においても検事の所論、要求の、いつもその通りなりとの考察が特に加へらるると思ふ。私は念のためこの起訴状の内容を読んで置く。
 (この時、弁護人は治安警察法違反事件の予審請求書写および爆発物取締罰則違反事件の予審請求書写等を朗読し、当時すでに大逆罪の事実判明しありたることを力説せり。)
 そこで検事は一つの弁釈をなして曰く、初めの内はいはゆる大言壮語と思ひ、真にこの虚無思想の実現あるいは権力階級に対する反抗が刑法第七十三条法益を害するものと考へざりしも、段々その事実が確実となり来たりたるをもって、特別公判に付するに至りたりとのことなり。
 また検事はその論告の冒頭において、大正十三年秋、難波某なる者に対する大逆事件の審理ありたることは世人の記憶になほ新たなるに、今またここに被告ら両名に対する大逆事件の審判をこの法廷に見るは遺憾とすといへり。皇室に対しかくのごとき企てありたることは恐れ多い。私どもとしても、本件のごとき事案がしばしば法廷に現るることを限りなき遺憾とす。しかし検事は、その遺憾は遺憾として、事実のありたる以上、法の命ずるところに従って厳正にこれを検討精査せざるべからずといへり。
 しかるに検事は職務上そのことを真に考へられたる時、今日より見て畏いといひ遺憾なりとなすも、一時なりとも大言壮語をなすものとされた責任をいかにかなす。私は両人のために弁護をなすにあらず。私は、起訴経過の上に誤ってをりその弾劾の方法において誤ってゐることに対し、厳正な批判を加ヘ置きたし。なほこれに関連し、裁判所は検事局の公明なる態度といふものを疑はねばならぬ。遺憾さをこの起訴経過の上に指さして、それはなんであるかといふ時、この事件の起訴経過の上に、さきに治安警察法違反として起訴され、後に爆発物取締罰則違反として予審を求め、さらに大逆罪該当の特別裁判を要求された。そこには昨日以来、田坂弁護人のこの事案に関する被告両人の供述態度に挟む疑問、また検事の論告の上に現れたる脅威、自暴自棄、それらの現れならざるやを疑はしむべき両人の供述が進展し、起訴事実を肯定する様になってゐる関係を見出さねばならぬ。また本件は大正十二年九月一日、人類歴史ありて以来の一大不幸とさる大震火災の、その自然の災害より以上の不幸である鮮人虐殺事件の弁疏のために検挙されたるものなりと疑ふ者あり。私はこの間の事情を、裁判所としては世界に向かって日本国家を代表する最高権威ある裁所所の立場を明らかにせざるべからざることを、私はこれら両人のためにあらず、真にこの事案の疑問とし、日本国家の雪[すす]がねばならぬその疑ひの前に答ふべきものを要求す。法律を精査されたる方は承知せらるるはずなりと思ふ。本事件の起こりは大正十二年十月二十日なり。しかれども被告両人がその自由を奪はれたるは震災の直後なる大正十二年九月二日なり。彼の鮮人ならびに主義者といふ者の陰謀、不逞あるいは焼打ち、あるいは毒物を井中に投ずとの流言蜚語の下に鮮人、主義者らの人たちに対する逆上ぶりは、日本国民性を世界に恥曝しした最もはなはだしきものなることは、裁判所としても、検事としても知りをららるるはずなり。この鮮人虐殺の問題が日本の国家として世界に言ひ分けのない不祥事として悩まされをることは、今さら事新らしくいふまでもなし。日本の有識の人たちはこれを真に自然の大災害の不幸よりも不幸なりとし、善後策を論じたることは、人の記憶に新たなることと確信す。しかしてこの際、彼の誤りは誤りとし、国民性の転操をはっきり明らかになし、将来を戒め、誤りは素直に謝罪し、事の真相を鮮人に明らかにするほかなしと私どもは確信したり。ある耶蘇教信者のごとき、朝鮮に自治を許すことにより、これを謝罪すべしといはれたり。しかし彼の鮮人虐殺事件の真相は遂に発表を許されず、私は当時の実情を自らの体験上、最もよく知るものなり。しかしてこれらの誤れる官憲の処置と態度に対しては、誤解、怨恨、憤懣、は簇生せり。
 朝鮮在京の同胞にしてその死体を埋葬せんとして捕へられ、あるいは一朶花を捧げんとして勾留の刑に逢ひたるなど、悲惨なる物語は山程あるなり。
 しかもそれらを糊塗すべく彌縫すべく、なにものが計画されたるや。朝鮮人の間にはこの大逆事件についても種々の風説あり。
 しかして本件は最初、治安警察法違反として審理されたるが、その刑の最長期は禁錮一年なり。しかるに後に爆発物取締罰則違反として追起訴をなし、事実上、自由を奪ふこと、実に半年。その間、新聞には、なにを誤りたるか某重大事件といふことにより、未だ特別公判に付せられず、刑法第七十三条に問擬せられざる時において盛んに宣伝せられをれり。単に秘密結社がなんの重大事件なりや。しかして検事は新聞紙法によりその事件の内容を新聞に掲載することを禁止したるため、ただ某重大事件、鮮人朴烈の事件として新聞に見へるばかりなり。ここにおいてか、いはゆる震災時の鮮人虐殺事件を追想せしめ、内容の知れざるまま、この事件は社会の疑惑の内に投ぜられたるなり。私は昨日、少し遅れて出廷したるため手違ひを生じ、それらに関する所見を述ぶる機会を失ひたり。私はこの事案につき公開の審理を求め、その内容を国民一般に知らしめ、あるいは社会の謎とせる震災直後鮮人虐殺騒ぎの出所につき、行政官憲のいかんにかかはらず、裁判所の態度の出来得る限り公明厳正ならんことを望みたるなり。被告両人の供述は順次、起訴事実に添って進展したりとのことなるが、それは人の死に花といふか虚栄といふか、どうせこうなればといふ気持ちなどが両人を魅惑したる結果にあらざるか。私は大正十二年十月、確か二十日[ご]ろと記憶するこの事件につき、被告らが接見禁止となりたる以来、特別裁判の公判開始決定後一ヶ月を経て、牧野裁判長の接見禁止を解かるるまで、その間、実に二ヶ年の永き、これを裁判所として、検事としていかに観らるるや。人間は社会的な、動物と異なり相愛の情、共栄を熱愛する生物なりといはれる。しかるに監獄においていはゆる独房に投ぜられ、外部との交通杜絶がいかに人間性を害ふか。この間、この二人は二年、審理の必要ありとするも接見禁止により外部との交通を杜絶され、いつ出らるるか、いつ外部の人との交通が許さるるか、あるいはこのまま囚はれに、闇から闇の自分らの行先といふものの凝視されねばならぬ立場にあり、いかに思想の上に主義の上に確乎たるものありとするも、人間としての心配、その感情に、この人たちがいかに悩まされたかを思はずにゐられない。
 しかして予審判事 一人、常にこれに同情し、これを理解し、これを慰めたりといふ。私はあるいはそれらものが事件の進展に添ふべき供述を抽出したるにあらざるかと思ふ。もとより脅迫されたりとはいはず、圧迫を受けたりともいはず。しかしそれがその供述を、

あの記録に記載せられた事実を言はさるものならざりしかと首肯することが、私の批判としてト私の胸に浮く。

裁判長は

一時休憩する旨を告げたり。

同日午後三時 、前同一事件につき前同一法廷において、
前同一の判事、検事、裁判所書記列席の上、
公開せずして対審を続行す。
被告人両名は出頭し、身体の拘束を受けず。
前同一の弁護人出頭せり。
裁判長は、

引き続き審理する旨告げたり。

弁護人布施辰治は、

 以上、起訴事実の進展、それに従ひ両人の陳述する上に同様になっていったのでないかと思はるる私の考察、私の所感、それはやがて検事の証拠調べに対する根本的な批判であることを承知してもらひたきと同時に、私は、私が要望した事件の公開に同意せられざる裁判所の態度といふものにつき、今後、判決、それがいかなる結果を見るにせよ、私が今まで力述したこの事件に対し一般の疑心暗鬼、世界の謎そのものに答ふる態度におそれを敢てせられぬ時、この事案に対し私が前刻来申し述べた震災直後の鮮人虐殺事件につき、この際において虐殺問題に対し一つの弁明の道具、犠牲に供せらるるものでないかといふ時、当局官憲はいかに弁明する。私はこれを提言したい。
 第二号の論を進めるが、この両人の人に公判開始決定に掲ぐる通りの事実ありとする場合、その責任は勿論、法律所定の条件の範囲に問はるることを期するものである。私どもは法律を多少知る立場よりいへば、後にいふごとく、この事実が法律責任と犯罪の予見はある。仮にそれらのことに触れるこの公訴事実そのまま、それが検事の論ずるごとく刑法第七十三条大逆罪に該当するも、被告等らの責を問ふ前に官憲の責を問ふものありはせぬか。この点につき、国家を代表する裁判所の反省と考慮を要せらるることと考ふ。公訴事実の法益は、刑法第七十三条の大逆罪となれり。しかしながら刑法第七十三条の大逆罪はいはゆる大逆不逞の思想を罰せるにあらず、その思想を実行に移す行為そのものを罰せんとせり。これが刑法第七十三条大逆罪の構成条件なることは、検事も否認せざることを信ず。私は二人の人を大逆不逞の思想の抱持、それらのことにつき論議するにあらず。ただ言葉を慎むべきことを考ふ。しかしこの二人のああした大逆不逞の思想を抱くに至りたる原因として供述せる内容を仔細に点検する時、昨日の証拠調べに裁判長の読まれた内、刑法第七十三条法益の 天皇、 皇太子、これらの方々に対し自分等はなんら私怨を持つものでないといへり。また言葉の表現といたし随分強く、あらわなものがあることを謹まねばならないことを私どもは注意するが、昨日ここに朴が読みたる『一不逞鮮人より日本の権力者階級に与ふ 』といふ一文の内に、刑法第七十三条法益天皇に対し皇太子に対し、これ等の方々のいかに現在の制度の上において、彼の政治の実権を握るそれらの人のために、あるいは看板、あるいは置き物とさるることをいひをれり。私は、これら両人の胸底にかかる全人類愛を、真理を熱求する気持ちそのものに端的な理解を持つことが出来るとすれば、刑法第七十三条法益、 天皇、 皇太子といふ方々に対して触るることと、その法益を犯すこと、それはこれら両人の人たちの期せざることにて、思想上、権力破壊の信念よりそこに直到したるものにして、却って他に負はねばならぬ責任者あり、それらの人からそこに押し向けられた感を持つものである。果たしてしかりとすれば、私はこの両人を責め罪する前に、責任を持ちべき人があらことを考へねばならぬと思ふ。
 検事は朝鮮における統治をもって最善の政治を行ひをるものなりといへり。しかれども朝鮮の総督政治の実相を見聞する者、誰かその最善を謳歌する者あらんや。私は、最も公正なる立場にある学者にして、近く朝鮮に行きたる穂積重遠氏の朝鮮行の感想を雑誌の上に見たるが、彼等は朝鮮における政治は根本の基調を誤てるを嘆きをれり。当検事局いかなる根拠をもって鮮総督政治の最善をいはるるや。私はこれを知ることが出来ない。恐らくその言は間違ひにして、それこそ妄断、独断である。ここに一言せざるを得ざることあり。刑法第七十三条法益、「天皇神聖にして侵すべからず」とは、憲法の明記するところにして、一切の政治に大臣は輔弼の責任有 あり。しかも総督政治はこれを誤りたる結果、その神聖を侵す者あるに至る。輔弼の実権者、荷ふべくして荷ひ切れざる責任ありといふへし。刑法七十三条法益を、政治治悪の結果、その呪ひに直面せることに対し、政治の実権に携る者、責なきや愧なきや。ただここに大逆不逞の思想を抱く者を責むれば可なり、罪すれば可なりといふ検事は、刑法第七十三条法益の神聖を侵せることにつき深思熟慮せられたし。
 私はここにおいて裁判所が不正を糺弾せらるるにあたり、強き不正を許してはならぬことを考ふるものなり。しかるに弱き者に対する強き者の不正は裁かれず、弱き者の強き者に対し企てたる不正は厳に裁かれる。時に不正なからざるにかかわらず罪せらるあり、憂ふべきことにして、裁判の神聖なるものを考へざるを得ず。これ現在の裁判に対し憂へざるを得ざる一事相なり。とにかく両人の今日あるに至りたるは、朴については朝鮮総督政治の欠陥、金子については同情すべき境遇、ならびに両人の優秀にして□々なる才能が、却って周囲の障碍に対し劇しく衝突したる結果なるも、この人たちの持つ気分は決して極悪なるものにあらざるをもって、このことは充分認めて置いてもらひたし。またこの事案につき、私は死刑を酌量せよとはいはず、両人の結婚問題、あるいは思想の上より両人の希望をいふなれば、死刑は両人の今の希望なるをもって、それを私どもは止めたところでなんらの慰めをも与ふるわけにあらざるが故に、むしろその望むがままにギロチンに投ずることが両人の本望と思ふ。しかれども真理を熱愛する思想、その裁きは、時が裁きといふことを裁判所ならびに検事において考慮せられんことを望むものなり。
 最後に法律論として、刑法第七十三条の「加へんとしたる」とは、危害を加ふる陰謀予備の行為をも包含するものなりや否については、検事と所見を異にす。即ち刑法において陰謀予備の行為を罰する場合は内乱罪外患罪その他においてそれぞれ各本条に規定しありて、刑法七十三条のみ特別なる犯罪態様を認めたりとは思はれず、故に予備陰謀は包含せざるものと解す。
 次に本件第一、二、三、四回の爆弾輸入の関係を見るに、爆弾を手に入るるも、これを投擲する策動を開始せざるうちは、被害法益となんらの交渉なく、従って刑法第七十三条の大逆罪は構成せず。しかるに本件は爆弾を手にすら入れをらざるをもって、全く大逆罪の構成要件を欠くものなり。また本件の事実より見るも爆弾入手の可能性なし。被告ら相互の間に激越なる言動ありてらとすれば、他に罰すべき法条あり。
 要するに本件は刑法第七十三条の大逆罪成立せぞるものと思料す。すべてにおいて公正厳粛なる御裁断を希望すとの弁論をなしたり。

裁判長は、

弁論を続行する旨を告げ、次回期日を明、二月二十八日午前九時と指定し、関係人に出廷を命じ、閉廷したり。  

大正十五年二月二十七日
大審院第一特別刑事部
裁判所書記 戸沢五十三 印
裁判所書記 内村文彦 印
裁判長判事 牧野菊之助 印

 

《原文》

前同日午後一時 前同一事件ニ付

↑p. 718

前同一法廷ニ於テ前同一ノ判
事 検事 裁判所書記列
席ノ上
公開セズシテ対審ヲ續行ス
前同一ノ被告人出頭 身体
ノ拘束ヲ受ケス
前同一ノ弁護人出頭
裁判長ハ
  引続キ審理スル旨ヲ告ケタリ
弁護人 布施辰治ハ
  私ノ所見ヲ述ヘ 裁判所ノ参

  考ニ附度シ 私ハ法律ノ命
  スル形式ニ従テ茲ニ此ノ事
  件ノ審理ニ携リ居
  ル次㐧ナルガ 寧ロ之レハ一個
  ノ社會事相ニシテ 此ノ事
  件カ引起サレタル其時ニ
  之ニ携ルベキ一ツノ因縁ヲ
  持チシモノナリ 私ハ之ノ意
  味ニ於テ本件ノ弁護人
  トシテ 検事ガ対象ト
  ナシタル犯罪 其捜査 裁
  判所ノ判断ヲ求メント

  スル公訴事實ハ元ヨリ 検
  事局ノ捜査ノ態度 裁
  判所ノ審理ノ態度等
  ヲ対象トシテ 之レニ厳正
  ナル批判ヲ加ヘント欲ス 特ニ
  朴 金子両氏ニ誤解
  ナキ様 一言スルト同時ニ 裁
  判所各位ニモ誤解ナ
  キコトヲ望ム
  而シテ弁論ノ趣旨ハ 朴
  金子 両氏等ニ対スル裁
  判所 検事局ノ誤解ヲ

  正シ 又 是等ノ両氏ニ加ヘ
  タル法律的手続 態度
  ノ誤ラレタ事ヲ正ス為
  メニ 裁判所 検事局等
  ノ深キ反省ト考慮ヲ
  求メントスルニ在リテ 決シテ
  朴 金子 両氏ノ為メニ所謂
  弁疏セントスルモノニアラサ
  ルヲ以テ 此ノ奌ハ特ニ両
  氏ノ了解ヲ求メ置度
  同時ニ私ハ 両氏カ自己ノ
  所信ヲ断行スル為メニ

↑p. 719

  極メテ忠實ナル人ニシテ 又
  真理ヲ熱愛スルコトニ於
  テ此ノ人達ノ志ヲ貴シト
  スルモノナルヲ以テ 両氏ノ立
  場ヲ比較的 理解シ得
  ル一人ナルコトヲ信スルガ故二
  此ノ事案ニ付 批判ヲ試
  ミ 検事局ト裁判所
  ノ反省ヲ求ムル次㐧ニシテ
  又 之ヲ求メ得ルト否トハ㐧
  二ノ問題トシ 之ヲ要求スル
  コトガ 両氏ニ対スル態度

  ト責任ナルコトヲ痛感ス
  ルモノナリ
  問題トナレル事案ニ付 一件
  法律ノ載スル所ハ 何ヲ審
  理ノ対象トシテ調ベタル
  カ 其ハ即チ 朴 金子 両氏
  ノ思想ナリ 検事ハ其
  ノ論告ニ際リ 此ノ事案
  ノ怖ルヘキ事ニ於テ生
  命ヲ要求スル所以ノ理
  由ハ 此ノ両氏ノ思想ガ叛
  逆 暴 怖ルベキ危

  险ヲ包藏スルニ在リトナシ
  又 裁判所ニ於テハ 昨日
  以来 朴氏ガ為シタル「所
  謂裁判ニ対スル俺ノ態度」
  「一不逞鮮人より日本の
  権力者階級に与ふ」ト題
  スル書面ノ朗讀 并ニ本
  日 検事ノ論告ニ対シ
  為シタル宣言ト態度
  ノ闡明 是等ノ上ニ戰
  慄ト脅威ヲ感シ居ラルヽ
  コトト思フ 故ニ此ノ事案

  ニ対シ 裁判所ト検事
  ハ之レヲ公開シタル時ニ於
  テ 一般ノ民心 是等ノ人達
  ニ萬一ニモ與ヘラルヽ戰慄
  ト脅威ヲ拒否センガ為メ
  ニ裁判ヲ為スモノデアリ
  又 爾カ為スコトヲ使命
  ト為スモノト言ハザルベカラ
  ス 茲ニ於テ本弁護人
  ハ朴ノ朗讀シタル書面
  并ニ 本日 検事ノ論告
  ニ答ヘタル宣言 又 金

↑p. 720

  子夫人ノ 公判準備手
  續ノ答ニ代テ書カレタル
  アノ虚無主義ノ要旨
  本日 茲ニ述ヘラレタル其
  思想ノ要旨 是等ノモ
  ノニ対シ 他意ナキ批判
  ヲ加フベキ 検討ノ㐧一義
  ト為サヽルベサラサル様 思
  考ス
  私カ斯ク云フ時 夫レハ問題
  トナレル刑法㐧七十三条
  ニ該當スル犯罪事件

  ト應接セサル因縁デア
  リ動機デアル 論ヲ擴ム
  ルモノト為シ 之ヲ不可トスル
  者 存スルヤモ知レズ 併シ
  ナガラ 命ヲ賭ケテ所
  信ニ邁進シタル此ノ両人ノ
  態度ニ付テ 其事ガ果
  シテ誤テルヤ否 結論
  ノ上ニ所見ヲ異ニスル者
  ニアリテモ 貴キ生命ヲ
  賭ケテ邁進シ所信ニ忠
  誠ナル態度ニ 敬意ヲ表

  シ感激スベキナリ
  而シテ検事ハ此ノ両人ニ
  死刑ヲ要求シ 生命
  ヲ奪フベキ死刑ヲ要
  求シ居レリ 私ハ此ノ死
  刑ト云フ 生命ヲ要求
  スル刑罰法理ニ付 多少
  ナリトモ學フ所モアル 其
  理論ノ上ニ非難アルガ如
  ク 元ヨリ生命ヲ奪フベキ
  死刑ト云フモノニ相當
  重大ナル意義 存スル

  コトハ言フ迄モナシ 併シ生
  命ヲ奪フベク理論上
  正當付ラレタリトスルモ 之
  レヲ實際ニ取扱フ事ガ
  法律ノ命スル侭ニ執行
  ノ局ニ當ル人々ノ 人間トシテ
  ノ長所ト信念ヲ 如何
  ニ傷ツケラルカヲ思ハサル
  ベカラズ 裁判所トシテモ
  検事トシテモ 夫レ位ノ
  事ハ知ラサル筈無之
  ナリ

↑p. 721

  又 私ハ昨年中 獄ニ殪レタ
  ル人ヲ三人迄モ目撃シタ
  リ 其ノ私ノ感情ヲ親
  切ニ云ヘハ 理論上 死刑
  ガ正當付ラルヽトスルモ 問
  題ヲ離レ生命ヲ奪フ
  死刑ノ要求 其モノニ付
  私共ハ生命ノ貴サ、生ン
  ガ為メノ努力ノ上ニ 或ハ個
  人トシテ團体トシテ 或ハ
  国家トシテ社会トシテ
  相當厳粛ニ考慮セ

  サルベカラサルコトヲ思フ
  又 私ハ裁判所ト検事ニ
  対シ一、二 言ヒ度事アリ
  其ハ 實際 其思想ヲ抱
  キ之ヲ實現セントナシタル
  其人達ノ氣持ハ 其人達
  ニアラサレハ裁キ得サルノ
  一事ト 此ノ両人ノ考ヘタル
  思想ヤ真理ガ今日
  国家ニ取リテ正シカラズ
  又 今日ノ法律ニ違反ス
  ルモノトシテ 此等ノ人ヲ處

  罰スルコトヲ 否ムモノニアラズ
  併シナカラ 此等ノ人達ノ
  思想 其モノヲ是非シ
  此等ノ人達ガ命ヲ賭
  ケタル所信ニ対シ 侮辱
  ヲ與ヘラレ度ナシト思フ
  モノナリ
  私ハ本日 大阪控訴院ニ於
  テ判決ヲ言渡サルベキ
  筈ノ ギロチン社ノ事件ニ
  付 被告等ノ心カラノ叫ヒ
  トシテ為シタル行為ニ対シ

  思想ノ異ナル立場ニ在ル
  検事ガ之レヲ批判シ 被
  告等ガ其批判ノ誤
  レルコトヲ憤慨シタル態度
  ニ見テ 私ハ其ノ真理ノ
  在ルコトヲ痛感シタリ 又 
  何人ト虽モ生ヲ愛シ 一日ニ
  テモ生キ延ンコトヲ希ハ
  サル者ハ無カルベシ 然ルニ
  過日 東京地方裁判所
  ニ於テ古田大次郎ガ死
  刑ノ宣告ヲ受ケタルニ対

↑p. 722

  シ 僅カ一通ノ控訴状ヲ提
  出スレバ其ノ生ハ引延サルベ
  キヲ 同人ハ敢テ之ヲ為サス
  生ヲ望マズ生延ントセズ
  即刻 独リテ ギロチンノ上
  ニ満足シテ受ケタル事ノ
  如キ 私ハ 其心情ハ全ク當
  人ニアラサレハ解シ得サル
  モノニシテ 其信念ノ痛
  烈ナルヲ深ク感得シタリ
  斯ルガ故ニ 生命ヲ賭ケタ
  ル出来事ニ付 客観的ニ

  結果ノ上ニ不祥ノ大罪ナ
  リト認ムベキモノアル時 之レカ
  制裁ハ自由ニシテ 又 為サ
  サルベカラサル裁判所ト検
  事ノ立場ハ之ヲ認ム 又
  此ノ両人モ覚悟ヲナセリ
  併シナカラ 現レタル範囲
  ヲ逸脱シテ 両人ニ対シ濫
  リニ是非ノ観察ヲ敢
  テセラルヽコトヲ欲セサルナ
  リ
  私ハ弁論ノ範囲トシテ 又

  順序トシテ申立ント思
  フコトハ 㐧一 此ノ事件ノ特
  別裁判ニ付セラルヽ迄ノ
  圣過ヲ明ニシ 之レニ批判
  ヲ加エントスルコト 㐧二ニ此
  等両人カ 公判開始決定
  ニ掲ケラレタル如キ事実
  アリトシ 其責任ハ 被告
  等両人ノ生命ヲ奪フ
  ベキモノトシテノ 検事事ノ要
  求ヲ承認スベキモノカ 或ハ
  此ノ両人ノ責ヲ問フ前ニ 他

  ニ責ヲ問ハルベキ者アルニア
  ラサルカトノ奌ニ付 国家ノ
  反省ヲ求ムルコト 㐧三ニ公
  判開始決定ニ認メ居
  ル事実 其モノガ刑法
  㐧七十三条ノ大逆罪ノ
  構成ヲ認ムベキヤ認ムベ
  カラサルヤニ付 法律論
  ヲ進メ度コト 最後ニ 此
  ノ事案ニ付 公判後ノ
  裁判所ノ態度ヲ批判
  シ 此ノ事案ニ対スル疑

↑p. 723

  惑ニ付 私ノ所信ニ従テ辨
  明シタキコト等ニシテ 先ツ
  裁判所ハ特ニ私ノ弁論
  ニ幾分ナリトモ注意ヲ払
  ハレンコトヲ要望ス
  而シテ特別裁判ト云ヘバ 何
  時モ傍聴ヲ禁止シ 何
  時モ検事ノ閲覧シテ
  審理シタル証據ヲ充分
  ナリトシ 公判ニ於ケル証據
  申請ヲ脚下シ居レリ
  又 判決ノ結果ハ検事

  ノ要求通リ 少シノ相違ナ
  キモノナレハ 或ハ弁護ハ不
  必要ニシテ オ芝居デアルト
  云フモ亦 不得止トモ 私ハ
  私ノ所信ニ極メテ忠実
  ナル一人トシテ 私ハ如何ナ
  ル事情ノ下ニ於テモ
  裁判ノ結果付ラルヽモノ
  ニアラサルコトヲ信シ 其
  無理ヲ正シ 更正ヲ求
  メ 當ニ変更ハアリ得
  ルモノト思考ス 私ハ一個

  ノ法律ノ命スル所ニ依
  リ 茲ニ審理ニ携ル裁
  判所 検事 弁護人ト云
  フ立場ヨリスルニアラズシテ
  此ノ審理ノ真相ト理由
  ヲ明ニシ 總テノ者ノ幸福
  ト、正義ノ光ト、審理[ママ]ノ
  貴サ、ヲ宣揚セントスル一ツ
  ノ社會事相ヲ人間的
  覆靣ノ侭 私共ノ所信
  ハ語ルモノト思フ 特別裁
  判ト云ヘハ 傍聴ハ禁止

  サレ 証據申請ハ却下サレ
  判決ハ件事ノ要求通
  リニナルモノト 一般ニ考ヘ居ル
  ヲ以テ 裁判所ニ於テハ
  之ヲ裏書セサル様 其独
  自ノ所信 所見ニヨリ此
  ノ事案ヲ裁断サレン
  コトヲ希望スルモノナリ
  次ニ此ノ事案ノ捜査ノ圣
  過ヲ詮議スルコトハ 㐧一義
  的ニ心裡ニ痛感スル所
  ニシテ 之レヲ批判的ニ言

↑p. 724

  ヘハ 検事局ノ捜査ハ無
  能 検事ノ考察ハ無
  定見ナリト云フベク 此ノ
  特別裁判ニ選ハルヽ迄ノ
  圣過ヲ見ル時 何人ト虽
  モ其感ヲ深クセサルモノハ
  アラザルベシ 若シ ソウシタ
  感情ニシテ正シカラズトセバ
  本日 金子氏ノ 今日ノ考
  ヲ正シキモノトスルモ 明日 又ソ
  ウ考ヘルトハ考ヘ得ラレナイ
  ト謂ヒタルト同様ニ 検事

  ノ此ノ事案ニ対スル考ガ 今
  日ノ考ハ昨日考ヘタル處
  ト異リ 明日ハ又 今日ノ考
  ト異ナルコトヲ感セラルヽニ
  相違ナシト思考ス 爾モ
  検事ノ要求スル所ハ 両人
  ノ生命ヲ奪ハントスルニ在
  リ 一度 其ノ刑ヲ執行センカ
  其考ハ間違トシテ両
  人ヲ呼起サントスルモ及ハサル
  ナリ 其處ニ 検事カ此ノ
  事案ヲ特別裁判ニ

  選フ迄ノ捜査ノ無能 其
  方針ノ定マラサルコトヲ
  推定スルニ足ル 最初ノ態
  度ト今日ノ態度トニ相
  違ノ甚シキヲ思ハシムル
  事由アリ 之レ茲ニ 此ノ
  事案ヲ特別裁判二迄
  選フニ至リタル圣過ヲ論
  セントスル所以ナリ
  此ノ両人ニ対スル起訴状ハ 其
  處ニ積ミ在ル記録中ニ
  三枚存シ 孰レモ宛名ヲ

  異ニセリ 即チ大正十二年
  十月二十日付 豫審請求
  書ニ依レハ 此両人ト共ニ所
  謂不逞社 同志十五名
  ガ治安警察法ヲ擬セ
  ラレタル秘密結社ノ事
  實ナリ 罪アリト断セラルヽ
  モ禁錮一年ノ罪案
  ナリ 其次ニ存在セ
  ル起訴状ハ 大正十三年二
  月十五日付ヲ以テ豫審
  ヲ請求セラレタル 爆發

↑p. 725

  物取締罰則違反ト云フ
  罪名ニ依リ 此ノ両人ト
  未タ豫審ノ終結決定
  ヲ見サル金重漢等ガ 爆
  發物ノ輸入ヲ企タト云フ
  罪案ナリ 次ニ存
  在スルハ 大正十四年七月十七
  日付ヲ以テ豫審ヲ請求
  セラルタル 此ノ両人二対スル
  刑法㐧七十三条ノ罪
  アルコトヲ内容トセル起訴
  状ナリ 卒然トシテ

  此ノ両人ニ対スル三個ノ起訴
  状ヲ罪名ヨリ考フルトキ
  誰カ其内容ノ同一ヲ信ス
  ル者アラン 併シ事實 罪
  名ハ異テ居ル 掲ケラレタ
  ル起訴内容ノ上ニ法律
  該當ノ条件的事
  實ヲ云フ 無論 異ナル
  様ニ讀ル
  乍併 一個ノ人間行動
  トシテ 生レテ死スル迄 生命
  ノ連續アリ 生ノ躍動 生

  ス 此ノ人間行為 其モノヽ上
  ヨリ 分ツコトノ出来サル一
  ツノモノヨリ 三個ノ起訴事
  實ハ異ナル豫審請求
  ニ及ヒ居ルト云フコトハ 断
  シテ誤ナキヲ信ス 寧ロ
  今 検事ノ論告ニ引
  用セル 杉本船員ニ対スル
  供述 所謂㐧一爆弾輸
  入ニ關スル警察ノ調 崔
  嚇鎮ナル朝鮮ノ同志ト
  爆弾輸入ニ関スル江戸

  川辺ノ會合 左様ノ事ガ
  此ノ朴ト云フ一人ノ被告ノ
  罪ヲ断スル有力ナ資料
  ニナルト云ヘルナレハ 夫レハ大正
  十二年十月二十日 治安警
  察法違反トシテ起訴サレテ
  居タ前ノ事實トシテ厳
  存スル朴氏ノ大逆計劃
  デ在ルト言ハネバナラヌ
  又 金翰、金重漢關係
  ノ如キ 元ヨリ大正十二年
  十月二十日ノ治安警察

↑p. 726

  法違反ノ起訴カラ實ニ
  法律上ニ明白ナル事実デ
  アルト云フコトヲ誓言シ誤
  ナキ事ヲ信ス 此等ノ
  事実ハ 大正十二年十月
  治安警察法違反トシ
  テ起訴セラルヽ時 明ナリ
  而シテ今ヤ之ヲ顧レハ 検
  事ハ大逆罪陰謀計
  劃ノ一端ナリトシ 爾モ其
  當時ニ於テ 之レガ大逆罪
  陰謀計劃ノ一端ナリシ

  事ヲ捜査スルノ力ナカリ
  シヨリ 検事局之ヲ確証
  セサリシト云フカ 或ハ捜査
  ノ力アリ確証シ居リタルモ
  大逆罪ト云フ程度ニ至
  ラサリシト云フカ 何レニシテモ
  此ノ間ノ起訴事實カ検
  事局ノ態度ノグラ付
  ヲ思ハセルモノ有ル事ヲ考
  ヘサルヲ得ス 苟モ法律ヲ
  精讀スレハ 何人モ 検事
  ガ起訴方針ニ確實ナル

  定見ナク 之ヲ危シト見サ
  ル譯ニ行カヌコトヲ 首肯
  スルナラン 私ハ今茲ニ 記録
  ニ在ル公判開始決定ノ起
  訴事實ニ云フ内容ヲ
  新ニ瞥見セラレ 刑法㐧
  七十三条ノ大逆罪ト云
  ハレレルノデナク 事實 其モノ
  ハ大正十二年十月 已ニ明ニナ
  リ居リタルモノニテ 夫レニ対
  シ或ル法律観ヨリ治安警
  察法違反ナリトシ 又 或ル法

  律観ヨリ爆發物取締
  罰則違反ナリトシ 又 更ニ
  或ル法律観ヨリ刑法㐧
  七十三条ニ該當スル大
  逆罪ナリトシ 法律観ノ
  異同ニヨリテ相違アリ
  事實 其モノハ異ナラズ
  ト思料ス 裁判所ニ
  於テモ圏事ノ所論
  要求ノ何時モ其通リ
  ナリトノ考察カ特
  ニ加ヘラルヽト思フ 私ハ念ノ

↑p. 727

  為メ此ノ起訴状ノ内容ヲ讀
  テ置ク
   (此時 弁護人ハ治安警
    察法違反事件ノ予
    審請求書写 及 爆發
    物取締罰則違反事
    件ノ豫審請求書
    写等ヲ朗讀シ 當時
    已ニ大逆罪ノ事実
    判明シ在リタルコトヲ力
    説セリ)
  其處デ検事ハ一ツノ弁

  釈ヲ為シテ曰ク 初ノ内ハ所
  謂大言壮語ト思ヒ 真
  ニ此ノ虚無思想ノ實現
  或ハ権力階級ニ対スル反
  抗ガ 刑法㐧七十三条
  ノ法益ヲ害スルモノト考
  ヘサリシモ 段々 其事実
  ガ確實トナリ来リタル
  ヲ以テ 特別公判ニ付ス
  ルニ至リタリトノ事ナリ
  又 検事ハ其論告ノ
  冒頭ニ於テ 大正十三年

  秋 難波某ナル者ニ対スル
  大逆事件ノ審理
  アリタルコトハ世人ノ記憶ニ
  猶新ナルニ 今又茲ニ被
  告等両名ニ対スル大逆
  事件ノ審判ヲ
  此ノ法廷ニ見ルハ遺憾トス
  ト云ヘリ 皇室ニ対シ
  如此企テアリタルコトハ恐レ
  多イ 私共トシテモ 本件
  ノ如キ事案カ屡〻法廷
  ニ現ルヽ事ヲ限ナキ遺

  憾トス 併シ検事ハ 其
  遺憾ハ遺憾トシテ 事
  實ノアリタル以上 法ノ命
  スル處ニ従テ厳正ニ之レヲ
  検討精査セザルベカラズ
  ト云ヘリ
  然ルニ検事ハ職務上 其
  事ヲ真ニ考ヘラレタル時
  今日ヨリ見テ畏ヒト云ヒ
  遺憾ナリト為スモ 一時ナリ
  トモ大言壮語ヲ為スモノト
  サレタ責任ヲ如何ニカナ

↑p. 728

  ス 私ハ両人ノ為メニ弁護
  ヲナスニアラズ 私ハ 起訴
  圣過ノ上ニ誤テ居リ 其
  弾劾ノ方法ニ於テ誤テ
  居ルコトニ対シ 厳正ナル批
  判ヲ加ヘ置度 尚 之レニ
  関連シ 裁判所ハ検事
  局ノ公明ナル態度ト云フ
  モノヲ疑ハネハナラヌ 遺憾
  サヲ此ノ起訴圣過ノ上
  ニ指指シテ 夫レハ何デア
  ルカト云フ時 此ノ事件

  ノ起訴圣過ノ上ニ 曩ニ
  治安警察法違反トシ
  テ起訴サレ 後ニ爆發物
  取締罰則違反トシテ
  豫審ヲ求メ 更ニ大逆
  罪該當ノ特別裁判
  ヲ要求サレタ 其處ニハ
  昨日以来 田坂弁護人
  ノ 此事案ニ關スル被告
  両人ノ供述態度ニ挟ム
  疑問 又 検事ノ論
  告ノ上ニ現レタル脅威 自

  暴自棄 夫等ノ現レ
  ナラサルヤヲ疑ハシムベキ
  両人ノ供述カ進展シ
  起訴事實ヲ肯定
  スル様ニ成テ居ル關係ヲ
  見出サネハナラヌ 又
  本件ハ大正十二年九
  月一日 人類歴史アリテ
  以来ノ一大不幸トサルヽ
  大震火災ノ 其自然
  ノ災害ヨリ以上ノ不
  幸デアル 鮮人虐殺事

  件ノ弁疏ノ為メニ検挙
  サレタルモノナリト疑フ者
  アリ 私ハ此ノ間ノ事情
  ヲ 裁判所トシテハ世界
  ニ向テ 日本国家ヲ代表
  スル最高権威アル裁判
  所ノ立場ヲ明ニセサル
  ベカラサルコトヲ 私ハ此等
  両人ノ為ニアラズ 真ニ
  此ノ事案ノ疑問トシ
  日本国家ノ雪カネバナ
  ラヌ其ノ疑ノ前ニ 答

↑p. 729

  フベキモノヲ要求ス 法律
  ヲ精査サレタル方ハ承
  知セラルヽ筈ナリト思フ
  本事件ノ起リハ大正
  十二年十月二十日ナリ
  然レ共 被告両人カ其
  自由ヲ奪ハレタルハ震
  災ノ直後ナル大正十二年
  九月二日ナリ 彼ノ鮮人
  并ニ主義者ト云フ者ノ
  陰謀、不逞 或ハ焼打
  或ハ毒物ヲ井中ニ投ス

  トノ流言蜚語ノ下ニ 鮮人、
  主義者等ノ人達ニ対スル
  逆上振リハ 日本国民性
  ヲ世界ニ恥曝シシタ最
  モ甚シキモノナルコトハ 裁
  判所トシテモ 権を事
  トシテモ 知リ居ラルヽ筈ナ
  リ 此ノ鮮人虐殺
  ノ問題ガ日本ノ 国家
  トシテ世界ニ言分ケノ
  ナイ不祥事トシテ惱サ
  レ居ル事ハ今更 事新

  シク云フ迄モナシ 日本
  有識ノ人達ハ 之ヲ真ニ
  自然ノ大災害ノ不幸
  ヨリモ不幸ナリトシ 善
  後策ヲ論シタルコトハ
  人ノ記憶ニ新ナル事ト確
  信ス 而シテ此際 彼ノ誤
  リハ誤トシ 国民性ノ转[=轉]
  操ヲ ハツキリ 明ニナシ 将
  来ヲ戒メ 誤リハ素直ニ
  謝罪シ 事ノ真相ヲ鮮
  人ニ明ニスル外ナシト私共

  ハ確信シタリ 或 耶蘇
  敎信者ノ如キ 朝鮮ニ
  自治ヲ許スコトニ依リ之
  ヲ謝罪スベシト云ハレタリ
  併シ彼ノ鮮人虐殺事
  件ノ真相ハ遂二發表
  ヲ許サレス 私ハ當時ノ実
  情ヲ自ラノ体验上 最
  モ克ク知ルモノナリ 而シテ
  此等ノ誤レル官憲ノ處置
  ト態度二対シテハ 誤解
  怨恨、憤懣、ハ簇生セリ

↑p. 730

  朝鮮在京ノ同胞ニシテ
  其死体ヲ埋葬セン
  トシテ捕ヘラレ 或ハ一朶
  ノ花ヲ捧ケントシテ勾畄
  ノ刑ニ逢ヒタル等 悲惨
  ナル物語ハ山程アルナリ
  併モ夫等ヲ糊塗スベ
  ク彌縫スベク 何モノガ計
  劃サレタルヤ 朝鮮人
  ノ間ニハ此ノ大逆事件
  ニ付テモ種々ノ風説アリ
  而シテ本件ハ最初 治

  安警察法違反トシテ
  審理サレタルガ 其刑ノ
  最長期ハ禁錮一年
  ナリ 然ルニ後二爆發
  物取締罰則違反トシ
  テ追起訴ヲナシ 事実
  上 自由ヲ奪フコト、實
  ニ半年 其間 新
  聞ニハ 何ヲ誤リサルカ 某
  重大事件ト云フ事
  ニ依リ 未タ特別公判
  ニ付セラレズ 刑法㐧七十

  三条ニ問擬セラレザル時
  ニ於テ盛ニ宣傳セラレ
  居レリ 単ニ秘密結
  社ガ何ノ重大事件ナ
  リヤ 而シテ検事ハ
  新聞紙法ニ依リ 其
  事件ノ内容ヲ新聞
  ニ掲載スルコトヲ禁止
  シタル為メ 只 某重大事
  件 鮮人朴烈ノ事件
  トシテ新聞ニ見ヘル許
  リナリ 茲ニ於テカ所謂

  震災時ノ鮮人虐殺
  事件ヲ追想セシメ
  内容ノ知レサル侭 此ノ事
  件ハ社会ノ疑惑ノ
  内ニ投セラレタリ 私ハ昨
  日 少シ遲レテ出廷シタル為
  メ手違ヲ生シ 夫レ等ニ關
  スル所見ヲ述フル機會
  ヲ失ヒタリ 私ハ此ノ事
  案ニ付 公開ノ審理ヲ求
  メ 其内容ヲ國民一般ニ
  知ラシメ 或ハ社会ノ謎

↑p. 731

  トセル震災直後
  鮮人虐殺騒ノ出所
  ニ付 行政官憲ノ如何
  ニ拘ハラズ 裁判所ノ態
  度ノ出来得ル限 公明
  厳正ナランコトヲ望ミタ
  ルナリ 被告両人ノ供
  述ハ順次 起訴事實
  ニ添テ進展シタリトノ
  コトナルガ 夫レハ人ノ死花
  ト云フカ虚栄ト云フカ ド
  ウセコウナレバト云フ氣持

  等ガ両人ヲ魅惑シタル
  結果ニアラサルカ 私ハ大正
  十二年十月 確カ二十日
  ロト記憶スル 此ノ事件
  ニ付 被告等ガ接見
  禁止トナリタル以来 特
  別裁判ノ公判開始
  決定後 一ヶ月ヲ圣テ
  牧野裁判長ノ接見
  禁止ヲ解カルヽ迄 其
  間 實ニ実二ヶ年ノ永キ
  之ヲ裁判所トシテ、検

  事トシテ如何ニ観ラルヽ
  ヤ 人間ハ社会的ナ 動物
  ト異リ相愛ノ情、共
  栄ヲ熱愛スル生物ナリ
  ト云ハレル 然ルニ监獄ニ
  於テ所謂独房ニ投セ
  ラレ 外部トノ交通杜
  絶カ如何ニ人間性
  害フカ 此ノ間 此ノ二人ハ二
  年 審理ノ必要アリト
  スルモ接見禁止ニヨリ
  外部トノ交通ヲ杜絶

  サレ 何時出ラルヽカ 何時外
  部ノ人トノ交通ガ許
  サルヽカ 或ハ此ノ侭 囚ハレ
  ニ 暗カラ暗ノ自分等ノ
  行先 ト云フモノヲ凝視
  サレネバナラヌ立場ニ
  在リ 如何ニ思想ノ上
  ニ主義ノ上ニ確乎タル
  モノアリトスルモ 人間トシ
  テノ心配、其感情ニ
  此ノ人達カ如何ニ惱サ
  レタカヲ思ハスルニ居ラレナイ

↑p. 732

  而シテ豫審判事 一人
  常ニ之ニ同情シ 之ヲ理
  解シ 之ヲ慰メタリト云
  フ 私ハ或ハ夫等ノモノガ
  事件ノ進展ニ添フ
  ヘキ供述ヲ抽出シタルニ
  アラサルカト思フ 元ヨリ
  脅迫サレタリトハ云ハス
  壓迫ヲ受ケタリトモ云
  ハス 併シ夫レガ 其供述
  ヲ アノ記録ニ記載セラ
  レタ事實ヲ 言ハサル

  ルモノナラサリシカト首
  肯スルコトガ 私ノ批判ト
  シテ私ノ胸ニ浮ク
裁判長ハ
  一時休憩スル旨ヲ告ケ
  タリ
同日午後三時 <前同一事件ニ付>
       前同一法廷ニ於テ
前同一ノ判事 検事 裁判
所書記 列席ノ上
公開セズシテ対審ヲ続行ス
被告人両名ハ出頭シ 身体
ノ拘束ヲ受ケス

前同一ノ弁護人 出頭セリ
裁判長ハ
  引キ続キ審理スル旨ヲ告
  ケタリ
弁護人 布施辰治ハ
  以上 起訴事實ノ進展、
  夫レニ従ヒ両人ノ陳述スル
  上ニ同様ニ成テ往ツタ
  ノデナイカト思ハルヽ私
  ノ考察 私ノ所感 夫レ
  ハ軈テ検事ノ証據
  調ニ対スル根本的ナ

  批判デアルコトヲ承知
  シテ貰ヒ度ト同時ニ 私
  ハ 私ガ要望シタ此ノ事
  件ノ公開ニ同意セラ
  レサル裁判所ノ態度ト云
  フモノニ付 今後 判決、
  夫レガ如何ナル結果ヲ見
  ルニセヨ、私ガ今迄 力述シ
  タ此ノ事件ニ対シ 一
  般ノ疑心暗鬼、世界
  ノ謎 其モノニ答フル態
  度ニ於テ 夫レヲ敢テセラ

↑p. 733

  レヌ時 此ノ事案ニ対シ私
  カ前刻来 申述タ震
  災直後ノ鮮人虐殺
  事件ニ付 此際ニ於テ
  虐殺問題ニ対シ一ツノ弁
  明ノ道具 犠牲ニ供セ
  ラルヽモノデナイカト云フ
  時 當局官憲ハ如何ニ
  弁明スル 私ハ之ヲ提言
  シ度イ
  㐧二號ノ論ヲ進メルガ 此両
  人ノ人ニ 公判開始決定

  ニ掲クル通リノ事實ア
  リトスル場合 其責任ハ
  勿論 法律所定ノ条件
  ノ範囲ニ問ハルヽコトヲ期
  スルモノデアル 私共ハ法律
  ヲ多少 知ル立場ヨリ云
  ヘハ 後二云フ如ク 此ノ事
  實カ法律責任ト犯
  罪ノ豫見ハアル 仮リニ夫
  等ノ事ニ觸レル此ノ公
  訴事実 其侭 夫レガ
  検事ノ論スル如ク刑

  法㐧七十三条 大逆罪
  ニ該當スルモ 被告等ノ
  責ヲ問フ前ニ官憲ノ責
  ヲ問フモノアリハセヌカ 此ノ
  奌ニ付 国家ヲ代表スル裁
  判所ノ反省ト考慮
  ヲ要セラルヽ事ト考フ
  公訴事實ノ法益ハ刑
  法㐧七十三条ノ大逆罪
  トナレリ 乍併 刑法㐧
  七十三条ノ大逆罪ハ所
  謂大逆不逞ノ思想ヲ

  罰セルニアラズ 其思想
  ヲ實行ニ移ス行為 其
  モノヲ罰セントセリ 之カ刑
  法㐧七十三条 大逆罪
  ノ構成条件ナル事ハ
  検事モ否認セサルコトヲ
  信ス 私ハ二人ノ人ヲ大逆
  不逞ノ思想ノ抱持 夫
  レ等ノ事ニ付 論議スル
  ニ非ス 只 言葉ヲ慎ムベ
  キ事ヲ考フ 併シ此ノ
  二人ノアヽシタ大逆不逞ノ

↑p. 734

  思想ヲ抱クニ至リタル原
  因トシテ供述セル内容ヲ
  仔細ニ奌検スル時 昨日
  ノ証據調ニ裁判長ノ
  讀マレタ内 刑法㐧七十
  三条ノ法益ノ 天皇 
  皇太子 此等ノ方々ニ対シ
  自分等ハ何等 私怨ヲ持
  ツモノデナイト云ヘリ 又 言
  葉ノ表現ト致シ随分
  強ク アラワナモノガ在ル事
  ヲ 謹マネバナラナイ事ヲ

  私共ハ注意スルガ 昨日 茲
  ニ朴ガ讀ミタル 一不逞
  鮮人より日本の権力者階
  級に与ふ ト云フ一文ノ内ニ 刑
  法㐧七十三条法益
   天皇ニ対シ 皇太子
  ニ対シ 此等ノ方々ノ如何
  ニ現在ノ制度ノ上ニ於テ
  彼ノ政治ノ實権ヲ握
  ル夫等ノ人ノメニ 或ハ
  看板 或ハ置物トサルルコト
  ヲ謂ヒ居レリ 私ハ此等

  両人ノ胸底ニ斯ル全人類
  愛ヲ、真理ヲ熱求スル
  氣持 其モノニ端的ナ
  理解ヲ持ツ事ガ出来
  ルトスレハ 刑法㐧七十三条
  ノ法益 天皇 皇太子
  ト云フ方々ニ対シテ觸ルヽ
  コトヽ 其法益ヲ犯スコト
  夫レハ此等両人ノ人達
  ノ期セサル事ニテ 思想
  上 権力破壞ノ信念ヨ
  リ其處ニ直到

  シタルモノニシテ 却テ他ニ
  負ハネバナラヌ責任者
  アリ 夫等ノ人カラ其
  處ニ押向ケラレタ感ヲ
  持ツモノデアル 果シテ然
  リトスレハ私ハ 此ノ両人ヲ
  責メ罪スル前ニ 責任ヲ
  持ツヘキ人ガ在ル事ヲ考
  ヘネバナラヌ思フ
  検事ハ朝鮮ニ於ケル
  統治ヲ以テ最善ノ政治
  ヲ行ヒ居ルモノナリト謂

↑p. 735

  ヘリ 然レ共 朝鮮ノ総督
  政治ノ實相ヲ見聞スル
  者 誰カ其最善ヲ謳歌
  スル者アランヤ 私ハ 最モ
  公正ナル立場ニ在ル学者
  ニシテ近ク朝鮮ニ行タル
  穂積重遠氏ノ朝鮮
  行ノ感想ヲ雑誌ノ上ニ
  見タルガ 彼等ハ朝鮮ニ
  於ケル政治ハ根本ノ基
  調ヲ誤テルヲ嘆キ居
  レリ 當検事局 如

  何ナル根據ヲ以テ朝
  鮮総督政治ノ最善
  ヲ云ハルヽヤ 私ハ之レヲ
  知ルコトガ出来ナイ 恐ラ
  ク其ノ言ハ間違ニシテ
  夫レコソ妄断 独断
  デアル、茲ニ一言セサルヲ得
  サルコトアリ 刑法㐧七十三
  条ノ法益 天皇ハ神
  聖ニシテ侵スベカラストハ
  憲法ノ明記スル處ニシテ
  一切ノ政治ニ大臣ハ輔弼ノ

  責任有リ 爾モ総督政
  治ハ之ヲ誤リタル結果 其
  神聖ヲ侵ス者アルニ至
  ル 輔弼ノ實権者 荷
  フベクシテ荷ヒ切レサル責
  任アリト云フベシ 刑法
  七十三条法益ヲ政
  治悪ノ結果 其呪ニ直
  面セルコトニ対シ 政治ノ実
  権ニ携ル者 責ナキヤ
  愧ナキヤ 只是處ニ大
  逆不逞ノ思想ヲ抱ク

  者ヲ責ムレハ可ナリ 罪ス
  レハ可ナリト云フ検事
  ハ 刑法㐧七十三条法益
  ノ神聖ヲ侵セルコトニ
  付 深思熟慮セラレ
  度シ
  私ハ茲ニ於テ 裁判所カ
  不正ヲ糺弾セラルルニ方
  リ強キ不正ヲ許シテハ
  ナラヌ事ヲ考ルモノ
  ナリ 然ルニ弱キ者
  ニ対スル強キ者ノ不正ハ

↑p. 736

  裁カレズ 弱キ者ノ強キ
  者ニ対シ企テタル不正ハ
  厳ニ裁カレル時ニ 不正
  ナラサルニ不拘 罪セラル
  ルアリ 憂ヘキコトニシテ
  裁判ノ神聖ナルモノ
  ヲ考ヘサルヲ得ス 之レ
  現在ノ裁判ニ対シ憂
  ヘサルヲ得サル一事相
  ナリ
  兎ニ角 両人ノ今日 在ルニ
  至リタルハ 朴ニ付テハ朝

  鮮総督政治ノ欠陷 金
  子ニ付テハ同情スベキ
  境遇 并ニ 両人ノ優秀
  ニシテ□〻ナル才能ガ却テ
  周囲ノ障碍ニ対シ劇
  シク衝突シタル結果
  ナルモ 此ノ人達ノ持ツ氣
  分ハ決シテ極悪ナルモノニ
  アラザルヲ以テ 此ノ事ハ
  充分 認テ置テ貰ヒ度
  又 此ノ事案ニ付 私ハ死
  刑ヲ酌量セヨトハ云ハズ

  両人ノ結婚問題 或ハ思
  想ノ上ヨリ両人ノ希
  望ヲ云フナレハ 死刑ハ両
  人ノ今ノ希望ナルヲ以
  テ 夫レヲ私共ハ止メタ
  處デ何等ノ慰メヲモ與
  フル譯ニアラサルガ故ニ
  寧ロ其望ムガ侭ニ ギ
  ロチン ニ投スルコトガ両人
  ノ本望ト思フ、然レ共
  真理ヲ熱愛スル思
  想、其ノ裁キハ時ガ裁

  クト云フコトヲ裁
  判所 並ニ検事ニ於テ考
  慮セラレン事ヲ望ム
  モノナリ
  最後ニ法律論トシテ 刑
  法㐧七十三条ノ 加ヘン
  トシタル トハ危害ヲ加フ
  陰謀豫備ノ行為
  ヲモ包含スルモノナリヤ
  否ニ付テハ検事ト所
  見ヲ異ニス 即チ 刑法
  ニ於テ陰謀豫備  

↑p. 737

  ノ行為ヲ罰スル場合ハ内
  乱罪、外患罪 其他
  ニ於テ 夫レ〱各本條
  ニ規定シ在リテ 刑法
  七十三条ノミ特別ナル
  犯罪態様ヲ認メタ
  リトハ思ハレス 故ニ豫
  備陰謀ハ包含セサ
  ルモノト解ス
  次ニ本件㐧一、二、三、四回
  ノ爆弾輸入ノ關係
  ヲ見ルニ 爆弾ヲ手ニ

  入ルヽモ 之ヲ投擲スル策
  動ヲ開始セサル内ハ 被
  害法益ト何等ノ交
  渉ナク 従テ刑法㐧
  七十三条ノ大逆罪ハ
  構成セス 然ルニ本件
  ハ爆弾ヲ手ニスラ入
  レ居ラサルヲ以テ 全ク
  大逆罪ノ構成要件
  ヲ欠クモノナリ 又 本
  件ノ事實ヨリ見
  ルモ 爆弾入手ノ可

  能性ナシ 被告等 相
  互ノ間ニ激越ナル言
  動アリタリトスレハ 他
  ニ罰スヘキ法条アリ
  要スルニ本件ハ刑
  法㐧七十三条ノ大逆
  罪 成立セザルモノト思
  料ス 総テニ於テ
  公正厳粛ナル御裁
  断ヲ希望ストノ弁
  論ヲ為シタリ
裁判長ハ
  弁論ヲ続行スル旨ヲ告ケ
  次回期日ヲ明、二月二十八日
  午前九時ト指定シ 關
  係人ニ出廷ヲ命シ 閉廷
  シタリ
大正十五年二月二十七日
大審院㐧一特別刑事部
裁判所書記 戸澤五十三 印
裁判所書記 内村文彦 印
裁判長判事 牧野菊之助 印

 

↑再審準備会 編『「最高裁判所蔵」 金子文子 朴烈 裁判記録 刑法第 73 条ならびに爆発物取締罰則違反 付 参考資料』1977 年、黒色戦線社、pp. 719−738 https://iss.ndl.go.jp/sp/show/R100000002-I000001371351-00/