Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

「そもそも騎兵連隊を龍山に招致せられたる所以のものは、併合のため威力を要することを予期せるがためなるや明らかなり。しかしてこの目的のため騎兵は実に適当なる兵種なりしなり。何となれば未開の人民を鎮撫せむがためには、実力を有する歩兵よりも反って外観威厳を存する騎兵を必要すればなり。」 日韓併合始末 1911. 8. 29

 日韓併合始末

  第一章 発端

 明治四十三年四月、参謀長会義に列せむがため上京中なりし韓国駐箚軍参謀長明石少将は、会議を終はるもなほ東京に止まりて帰龍の途に上らず、巷間あたかも統監の交迭ならびにさきに一進会により一たび唱導せられたる韓国併合の事実として現出せることを説けり。当時流布せられたる風説を概括すれば左のごとし。

一、曽根統監病気のため統監の交迭あり、これが後任者は陸軍大臣寺内大将なり。
二、寺内大将統監となるや日韓の併合は断行せらるべし。
三、明石少将の東京に滞在せるは、新統監の帷幄に参与し韓国併合の画策に与るものなり。

 かくのごとく風説紛々たるの間、羅南に駐屯せる騎兵第二連隊本部および一中隊は、龍山に招致せらるることとなり、ここに韓国併合準備の第一歩を開始せらるるに至れり。

  第二章 軍隊の集中

    第一節 騎兵聯隊の招致

 五月二十四日、軍司令部より在羅南騎兵第二連隊本部ならびに一中隊を龍山に招致すべき命に接し、同日、同隊に出発準備をなさしむ。
 五月二十八日、騎兵連隊の招致に関する軍命令を受領し、直ちに同連隊に龍山に来たるべきことを命ず。
 連隊本部および第二中隊は六月三日、清津にて乗船し、五日、釜山に着し、七日午前八時二十八分、龍山に到着せり。その人馬数、左のごとし。

人、藤縄騎兵少佐以下  97
馬、         106

 そもそも騎兵連隊を龍山に招致せられたる所以のものは、併合のため威力を要すること予期せるがためなるや明らかなり。しかしてこの目的のため騎兵は実に適当なる兵種なりしなり。何となれば未開の人民を鎮撫せむがためには実力を有する歩兵よりも反って外観威厳を存する騎兵を必要とすればなり。
 騎兵連隊の招致は実に秘密のうちに実施せられたり。左にこれが事実を示さむ。

一、連隊の招致決定するや、これを収容すべき位置研究せられたり。はじめ人員はこれを京城憲兵隊司令部内に、馬は同隊前の空地に建築する仮厩舎に収容せむとせり。しかして厩舎の建築に当たりては憲兵隊の新馬を収容するものなりと揚言し、人民をして騎兵隊の招致は日韓併合の前提なることを察知せざらしめむとせり。後この位置は改正せられ、連隊は全部龍山騎兵営内に収容せらるるに至れり。
二、連隊の羅南を出発するや連隊長は単に同地衛戍司令官たる齋藤少将にのみその龍山に招致せられたることを語り告別せるのみ。その他の歩、砲兵連隊長には一つの挨拶だもなさず、清津に行軍を行ふと称して羅南を出発せり。

    第二節 統監および軍謀謀長の交迭

 五月三十日、統監の交迭、事実として現出し、左のごとく発表せらる。

兼任統監 陸軍大臣兼馬政長官、陸軍大将、正三位、勲一等、功一級、子爵  寺内正毅
任福統監 従三位、勲一等  山県伊三郎

 越えて六月十六日、軍参謀長明石少将は韓国駐箚憲兵隊司令官に転補し、同司令官たりし榊原少将、代はつて軍参謀長たり。
 六月二十九日、統監府警察官署の官制改正せられ、韓国内における警務機関を統一せられたり。明石少将は警務総監としてこれが長たり。

    第三節 歩兵隊の招致

 騎兵連隊招致後における龍山の兵数は、歩兵五中隊、騎兵二中隊砲、工兵各一中隊にして、この兵力は有事の日、警備の任に服するため未だ十分ならざるものあり。京城およひ龍山警備のため、龍山の兵力を歩兵十三箇中隊に増加せむとするの説ありしが、後に至り臨時韓国派遣隊より歩兵六箇中隊を招致し、第二師団の兵力を歩兵九箇中隊となし、合計歩兵十五箇中隊を集むるに決せり。
 師団内においていづれの連隊より上述の兵力を集むべきかについては、当時師団の配置を顧慮するのほか、千載一遇の併合に際し各連隊をして均シクこれに参与せしめむとする師団長の意図に基づき、左のごとく兵力を集中するに決せり。

歩兵第六十五連隊より 連隊本部および大隊長の指揮する三箇中隊
歩兵第二十九、第四、第三十二より 各大隊長の指揮する二箇中隊
合計 歩兵九箇中隊

 これがため六月十一日、左の要旨の命令を下す。

成川守備隊は一小隊を同地に残置し、主力をもって平壌に至らしむ。

 

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 日韓併合始末

  第一章 發端

明治四十三年四月參謀長會義ニ列セムカ爲上京中ナリシ韓國駐箚軍參謀長明石少將ハ會議ヲ終ルモ尚東京ニ止リテ未タ歸龍ノ途ニ上ラス巷間恰モ統監ノ交迭並ニ曩ニ一進會ニ依リ一タヒ唱導セラレタル韓國併合ノ事實トシテ現出セムコトヲ説ケリ當時流布セラレタル風説ヲ槪括スレハ左ノ如シ

一、曾根統監病氣ノ爲統監ノ交迭アリ之カ後任者ハ陸軍大臣寺内大將ナリ
二、寺内大將統監トナルヤ日韓ノ併合ハ斷行セラルヘシ
三、明石少將ノ東京ニ滯在セルハ新統監ノ帷幄ニ參與シ韓國併合ノ畫策ニ與ルモノナリ

斯ノ如ク風説紛々タルノ間羅南ニ駐屯セル騎兵第二聯隊本部及一中隊ハ龍山ニ招致セラルルコトトナリ茲ニ韓國併合準備ノ第一歩ヲ開始セラルルニ至レリ

  第二章 軍隊ノ集中

    第一節 騎兵聯隊ノ招致


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五月二十四日軍司令部ヨリ在羅南騎兵第二聯隊本部並一中隊ヲ龍山ニ招致スヘキ命ニ接シ同日同隊ニ出發準備ヲナサシム
五月二十八日騎兵聯隊ノ招致ニ關スル軍命令ヲ受領シ直ニ同聯隊ニ龍山ニ來ルヘキコトヲ命ス
聯隊本部及第二中隊ハ六月三日淸津ニテ乘船シ五日釜山ニ著シ七日午前八時二十八分龍山ニ到著セリ其ノ人馬數左ノ如シ

人、藤繩騎兵少佐以下  九七
馬、         一〇六

抑モ騎兵聯隊ヲ龍山ニ招致セラレタル所以ノモナハ併合ノ為威力ヲ要スルコトヲ豫期セルカ爲ナルヤ明ナリ而シテ此ノ目的ノ爲騎兵ハ實ニ適當ナル兵種ナリシナリ何トナレハ未開ノ人民ヲ鎭撫セムカ爲ニハ實力ヲ有スル歩兵ヨリモ反ツテ外觀威嚴ヲ存スル騎兵ヲ必要トスレハナリ
騎兵聯隊ノ招致ハ實ニ秘密ノ裡ニ實施セラレタリ左ニ之カ事實ヲ示サム

一、聯隊ノ招致決定スルヤ之ヲ收容スヘキ位置研究セラレタリ始メ人員ハ之ヲ京城憲兵隊司令部内ニ馬ハ同隊前ノ空地ニ建築スル假厩舎ニ收容セムトセ


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リ而シテ厩舎ノ建築ニ當リテハ憲兵隊ノ新馬ヲ收容スルモノナリト揚言シ人民ヲシテ騎兵隊ノ招致ハ日韓併合ノ前提ナルコトヲ察知セサラシメムトセリ後此ノ位置ハ改正セラレ聯隊ハ全部龍山騎兵營内ニ收容セラルルニ至レリ
二、聯隊ノ羅南ヲ出發スルヤ聯隊長ハ單ニ同地衞戍司令官タル齋藤少將ニノミ其ノ龍山ニ招致セラレタルコトヲ語リ告別セルノミ其ノ他ノ歩、砲兵聯隊長ニハ一ノ挨拶タモナサス淸津ニ行軍ヲ行フト稱シテ羅南ヲ出發セリ

    第二節 統監及軍參謀長ノ交迭

五月三十日統監ノ交迭事實トシテ現出シ左ノ如ク發表セラル

兼任統監 陸軍大臣兼馬政長官陸軍大將正三位勲一等功一級子爵         寺 内  正 毅
任福統監 從三位勲一等     山縣伊三郎

越テ六月十六日軍參謀長明石少將ハ韓國駐箚憲兵隊司令官ニ轉補シ同司令官タリシ榊原少將代テ軍參謀長タリ
六月二十九日統監府警察官署ノ官制改正セラレ韓國内ニ於ケル警務機關ヲ統一セ


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ラレタリ明石少將ハ警務總監トシテ之カ長タリ

    第三節 歩兵隊ノ招致

騎兵聯隊招致後ニ於ケル龍山ノ兵數ハ歩兵五中隊騎兵二中隊砲、工兵各一中隊ニシテ此ノ兵力ハ有事ノ日警備ノ任ニ服スル爲未タ十分ナラサルモノアリ
京城及龍山警備ノ爲龍山ノ兵力ヲ歩兵十三箇中隊ニ增加セムトスルノ說アリシカ後ニ至リ臨時韓國派遣隊ヨリ歩兵六箇中隊ヲ招致シ第二師團ノ兵力ヲ歩兵九箇中隊トナシ合計歩兵十五箇中隊ヲ集ムルニ決セリ
師團内ニ於テ何レノ聯隊ヨリ上述ノ兵力ヲ集ムヘキカニ就テハ當時師團ノ配置ヲ顧慮スルノ外千載一遇ノ併合ニ際シ各聯隊ヲシテ均シク之ニ參與セシメムトスル師團長ノ意圖ニ基キ左ノ如ク兵力ヲ集中スルニ決セリ

歩兵第六十五聯隊ヨリ 聯隊本部及大隊長ノ指揮スル三箇中隊
歩兵第二十九、第四、第三十二聯隊ヨリ 各大隊長ノ指揮スル二箇中隊
合計 歩兵九箇中隊

之カ爲六月十一日左ノ要旨ノ命令ヲ下ス

成川守備隊ハ一小隊ヲ同地二残置シ主力ヲ以テ平壌ニ至ラシム

 

日韓併合始末 第2章 軍隊の集中 https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C13021428400 第1~4画面

JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C13021428400、日韓併合始末(防衛省防衛研究所)」