Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

昭和20年8月14日 水曜 機密戦争日誌 陸軍省軍務課内政班長竹下正彦中佐 1945.8.14


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竹下正彦

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阿南惟幾陸軍大臣

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梅津美治郎参謀総長

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   昭和20年8月14日 水曜

1.7時、大臣、総長前後して登庁。大臣は荒尾とともに総長室に至り、決行に同意を求む。しかるに総長は、まず官[→宮]城内に兵を動かすこと難し。(計画は本日10時よりの御前会議の際、隣室まで押しかけ、お上を侍従武官をして御居間に案内せしめ、他を監禁せんとするの案なり。) 次いで全面的に同意を表せず。ここにおいて計画崩れ、万事去る。

2.大臣は自室に帰れば東武軍司令官田中大将、参謀長高島少将ありて待つ。大臣は一般的に治安警備を厳にすべきむね示されたるに対し、参謀長より降伏受諾の結果とならざることに関し縷々具申し、継戦となれば治安を維持すること可能なるも、降伏となりては請け合い兼ぬるむね述べ、かつたとい御聖断あるも詔書に副書せざれば効力発生せずとの意見など述べ、治安出兵のためには筆記命令を貰いたきむね述べたり。

3.一方この日、畑元帥広島より到着、次官これを迎え、このころ陸軍省に出頭せらる。白石参謀随行原子爆弾の威力大したことにあらざるむね語れるをもって、元帥会議の際、是非そのむね上聞に達せられたく頼む。

4.ここに一箇の挿話あり。すなわち大臣総長室を出、自室に帰り東部軍管区司令官と面会終わりしころ、井田中佐大臣室に来たり、総長が先ほど上奏に出られしも、二課、総務課に訊すも上奏案件なく、今の大臣の計画を暴露しに行かれしにあらずや。かつ総長は昨日、鈴木[首相]、東郷[外相]、迫水[内閣書記官長]と会しあり、本日の御前会議においては和平論を唱ふることとなりし風説ありとのことを述ぶ。真逆とは思へども、今日の計画が計画だけに棄て置かれず、さりとも処置もなし。大臣は「そんなことはない。二課をよく調べよ」とのことにして、井田は退室せるも、再び来たりて、二課にては本日上奏案件なしと言う。参内は確実なりと言う。されど大臣は「そんなことはない」を繰り返せられたり。

5.昨日よりの計画にて810には省内高級部員以上集合しあり。大臣は、不決行と決まりしをもって、訓示内容を変更し、本日は重大時期なること、全省の一致結束を説かれたるに止まる。

6.本日午前に予定されありし御前会議は1330に延期せられ、午前は閣議のみとなる。

 しかるに閣議参集の閣僚および平沼[枢密院議長]、両総長、戦争指導会議幹事に対し、突如1030より宮中に御召し遊ばされ、歴史的御前会議は突如開かれ、世記[→紀]の御聖断は下さるることとなりたり。

 陸軍の昨夜の計画と思い合わせ、この御前会議の変更過程は何らかの関連を予想せらる、すなわち部内に政府と通ずるものなきやを思はしむるに十分なり。

7.竹下は万事の去りたるを知り、自席に戻りしが、黒崎中佐、佐藤大佐ら相踵いで来たり、次の手段を考ふべきを説き、特に椎﨑畑中に動かさる。

 次いで総長が決心を固め、大臣とともに最後までやるむね述べたとの報あり。ここにおいて「兵力使用第二案」を急遽起案す。要旨、左の如し。

1.近衛師団をもって宮城をその外周に対し警戒し、外部との交通、通信を遮断す。

2.東部軍をもって部内各要点に兵力を配置し、要人を保護し、放送局等を抑へ、

3.たとい聖断下るも右態勢を堅持して、謹みて聖慮の変更を待ち奉る。

4.右実現のためには大臣、総長、東部軍司令官、近衛師団長の積極的意見の一致を前提とす。

 このころにおいてわれらは、大臣は閣議中にて、御前会議は午後なりと思い込みありたり。

8.竹下右計画を持参して宮内省に至り、ここにて最高戦争指導会議メンバーおよび閣僚全部が御召しにより参集中なるを知りたり。

 12時ごろ終了。大臣の跡を追いて総理官邸閣議室に到り、御前会議の模様を承る。陸相、両総長のみに発言を許され、その後、御聖断ありし由。細部第9項。

 大臣は沈痛なり、予は閣議室を眺め硯箱の用意を見て、大臣に辞職して副書を拒みては如何と申せし所、意大いに動き、林秘書官に対し辞表の用意を命じたるも、「辞職せば陸軍大臣欠席のまま詔書煥発必至なり。かつまた最早御前にも出られなくなると呟き、取り止めらる。

 予はこのとき兵力使用第二案を出し、詔書発布までに断行せむことを希む。これに対し大臣は意少からず動かれし様なり。また閣議までの間、一度本省に帰るむね言はれしにより、次官、総長と御相談の上、決意せられたきむね述べたり。

 これより先、総長があれより朝の案に同意せられたりと述べたるに対し、 「そうか、ほんとうか」とて兵力使用第二案に意動かされしを察せり。

9.午後1時より3時まで閣議あり。その後、大臣は課員以上全員を第一会議室に集め、左の趣旨の訓示をなせり。

 本日午前、最高戦争指導会議構成員および閣僚を御召し遊ばされ、

御聖断によりポツダム宣言の内容の大要を受諾することとせらる。そのとき御上にはこの戦争遂行の見込みなきことをのべられ、無辜の民を苦しめるに忍びず、明治天皇の三国干渉の時の心境をもって和平に御決心遊ばされ、「一時いかなる屈辱を忍びても、将来皇国護持するの確信あり。忠勇なる軍隊の武装解除は耐え難し。しかれどもなさざるを得ず」と言われ、特に陸軍大臣の方に向かわれ、「陸軍は勅語を起草し朕の心を軍隊に伝えよ」と宣わせらる。また武官長は侍従武官を陸軍省に派遣する由。

 御聖断に基づき、また重なる有り難き御取り扱井を受け、最早陸軍の進むべき道は、唯一筋に大御心を奉戴、実践するのみなり。

 皇国護持の確信については本日も「確信あり」と言われ、また、元帥会議に際しても元帥に対し「朕は確証を有す」と仰せしあり。

 三長官、元帥会合の上、皇軍は御親裁の下に進むことと決定いたしたり。

 今後、皇国の苦難はいよいよ加重すべきも、諸官においては過早の玉砕は任務を解決する途にあらざることを思い、泥を食い野に伏しても最後まで皇國護持のため奮闘せられたし。ー

7[→10].次いで軍務局長より本日御前会議における御言葉を伝達す。 要旨、左のごとし。

 自分のこの非常の決意は変わりない。

 内外の情勢、国内の状況、彼我戦力の問題等、これらの比較において軽々に判断したものではない。

 この度の処置は国体の破壊となるか。しからず。敵は国体を認めると思う。これについては不安は毛頭ない。ただ反対の意見(陸相、両総長の意見を指す)については字句の問題と思う。一部反対者の意見の様に、敵にわが国土を保障占領せられた後にどうなるか。これについて不安はある。しかし戦争を継続すれぱ国体もなにもみななくなってしまい、玉砕のみだ。今後の処置をすれぱ、多少なりとも力は残る。これが将来、発展の種になるものと思う。

 ― 以下、御涙とともに ―

 忠勇なる日本の軍隊を武装解除することは耐えられぬことだ。しかし国家のためにはこれも実行せねばたらぬ。

 明治天皇の三国干渉の時の御心境を心としてやるのだ。どうか賛成をしてくれ。

 これがためには国民に詔書を出してくれ。陸海軍統制の困難なことも知っている。これにもよく気持ちを伝えるため詔書を出してくれ。ラジオ放送もしてよい。いかなる方法も採るから。

11.閣議は午後7時20分より8時半まで開かれ、さらに9時より11時30分まで開かれたり。この間、詔書案文議せらる。閣僚署名あり。

12.竹下は連日不眠を医するため駿河台渋井別館に帰り、白井、浴両中佐と語りたる後、23時ごろ就寝したるところ、24時半ごろ畑中来訪し、 「近歩二連隊長芳加大佐は本日、近歩二が守衛上番なるを機とし、さらに一ヶ大隊を赴援し、軍旗を奉じて蹶起するの決心を固め、本夜2時を期し宮城を固むるの処置を採るに決す。近衛師団中には別に四ヶ大隊蹶起に同意せしめたり。自分は今より近衛師団長の許に至りこれを説得するも、もし聴かざるときはこれを許[→誅]りても実行す。石原、古賀の両参謀は同意しあり」と述べ、予に対し大臣の許に至り本朝来の計画に基づき近衛師団の蹶起を機とし、全軍蹶起に至らしめなれたく依頼す。竹下は、東部軍が立たずしては問題とならず、近衛師団長も難かしかるべく、成功の算少きをもって計画中止を静かにすすめたるも、畑中の決心牢固たるものあり、かつ予はかつて予自ら棒持せし軍旗が動き、大臣に取りてはこれまたかつてこれを仰ぎたる軍旗が動くことは天意かも知れずと、大いに心動きたるをもって、畑中に対し大臣の許に至るを約す。ただし昨日来の決心と同じく、近衛師団長、東部軍司令官の同意を先決とし、近衛師団長は斬りて代理者によりて動くならともかく、東部軍管区司令官が立たざるときは大臣命令の発動は要求せず、もし両者策應蹶起せば大臣に対し力の限り蹶起を進[→勧]るべしと約し、同車出発、畑中は一寸役所に寄り、軍事課の諸士に東部軍への工作を依頼し、直ちに予を大臣官邸に送り、自らは近衛師団に向かいたり。

13.14日夜、すなわち15日1時半、竹下大臣官邸着、案内を乞ひたるところ、大臣は自室にあり「何しに來たか」と一寸咎めるごとき語調なりしも、やがて「よく来た」とて室に請す。室内には床を展べ、白き蚊帳を吊りあり、その奥にて書きものをせられありしごとく感ず。 ― 遺書なり ―

 机上には膳を置き、一酌始まらんとしありし模様なりき。

 大臣は予に対し、本夜、かねての覚語[→悟]に基づき自刃するむね述べられ、これに対し予は、「覚語[→悟]もっともにして、その時機も本夜か明夜かぐらいのところと思うにつき、敢えて御止めせず」と述べたるところ、大臣は大いに喜び、「君が来たので妨げらるるかと思いしが、それならいい。却ってよいところに来てくれた」とて盃を差し、すこぶる上機嫌となり、「本夜は十分に飲み、かつ語らん」とて、それより5時ごろまで語る。その要旨、左のごとし。

 [現場見取り図]

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 予は、平素に以[→似]ず飲まるるをもって、「あまり飲み過ぎては仕損ずると悪し」と言ひしところ、「否、飲めば酒が廻り、血の巡りもよく、出血十分にて致死確実なり。予は剣道五段にて腕は確か」と笑われたり。

 問答要旨 前後不同

一、若しバタバタせるときは君が始末してくれ。しかしその心配はなからん。

一、遺書は「一死もって大罪を謝し奉る。昭和20年8月14日夜 陸軍大臣阿南惟幾」と、すでに書きあるを示されしが、裏にさらに「神洲不滅を確信しつつ」と書き足されたり。

 辞世 大君の深き恵みに浴し身は言い残すべき片言もなし  8月14日夜 陸軍大将阿南惟幾

「これは戦地に出るときいつもの心境なり」と言わる。

一、短刀でやるが卑怯のつもりはない。

一、畳の上は武人の死に場所ではない。外では見張りに妨げられるので、縁側でやる。向きは皇居の方向である。

一、大臣は夜、風呂に入りあり、自決のときは侍従武官時代拝領せし下着を身に付けらる。「これはお上がお肌に付けらるたものである。これを着用して逝くのだ」と。

一、本夜、畑中らの件については、蹶起時刻たる2時までは触れざりしも、(事前に知れば大臣として中止を命ずるの責も生ずべきを考慮したるものなり。)2時過ぎ説明したるところ、「東部軍は立たぬだろう」と言われたり。その後、3時ごろ窪田少佐来訪、竹下のみに面会し、同少佐より、森師団長は肯んぜざりしため、畑中少佐これを拳銃にて射撃し、窪田少佐軍刀にて斬りたる由。また居合わせたる白石参謀(第二総軍)は制止せるため、これまた窪田少佐斬殺せる由。窪田少佐は報告に来たり、今より守衛隊本部に行く由を聞き取り、東部軍のことは分からぬ由も聞き、少佐の帰りたる後、大臣に報告せるところ、「森師団長を斬ったか。本夜のお詫びも一緒にする」と演されたり。

 これより先、大臣は13日、大臣において井田中佐が「大臣は変節されたのか。その理由を承りたし」と言いしことにつき、「あの際の返答は井田を後に残したかったのだ」と言われ、「井田中佐に宜しく伝えてくれ」と言われおりしが、井田来訪するに及び、相擁して語られたり。

一、井田中佐帰りたる後、大城戸憲兵司令官来邸、近衛師団の変を報告に来らる。大臣は、「夜が明けるから始める。司令官にはお前会え」とて、竹下を応接間に出し、その後にて自刃せられたり。

 林秘書官このころ近衛師団の件にて来邸、応接間にて竹下に合い、大臣の登庁を要すと言われしが、大臣室に至り自刄中なるを知り、竹下にそのむね伝えらる。

一、細田大佐によろしく。

一、安井国務大臣に御世話になった。

一、林秘書官に礼を言うてくれ。よい秘書官だった。

一、総長に長い間世話になりました。書き遺しませんが、閣下には御世話になりました。国家は閣下が指導して下さい。

一、竹下の舅として、阿南家の陸軍大将として、堂々と死してゆく。笑って逝く。

一、、ああ60年の生涯、顧みて満足だった。はははは。

一、惟敬に対し、ああいう性格だから、過早に死なぬ様くれぐれ伝えてくれ。

一、惟晟はよいとき死んでくれた。惟晟と一緒に死んで逝く。

一、大臣は3時ごろ例の下着を着換え、その上に一度、勲章を全部佩用して軍服を着し、竹下に対し、「どうだ、堂々たるものろう」と言われ、このとき両人相擁せり。やがて服を脱いで床の間に残置され、「終ったら体の上にかけてくれ」と頼まれしが、その際、両袖の間に惟晟の写真を抱くがごとく安置されたり。

 人一倍家族に対する情の強き人とて、これを見たる予は、強く胸を打たれたり。

一、惟正以下、男の子が3人もいるから大丈夫。

一、綾子に対し、「お前の心境に対しては信頼し感謝して死んでゆくと伝えてくれ。

一、姉を始め親戚一同に、よく分ってくれるだろう。

一、惟道はお父さんに叱られたと呉[→思?]うと可愛そうだが、この前帰ったとき風呂に入れて洗っねやったので、よく分ったろう。みなと同じ様に可愛がっていることを伝えてくれ。

一、家族のことなど君が来たから伝えられたのだ。

一、次官に、後を頼む。

一、豊田大西、畑閣下に厚思を謝す。

一、板垣石原小畑閣下、同じく。

一、荒木閣下によろしく。

一、米内を斬れ。

一、台上各位によろしく。

一、野口、余野、久雄さんによろしく。

一、もう15日だが、自決は14日夜の積りなり。14日は父の命日で、この日と決めた。そうでない場合は20日の惟晟の命日だが、それでは遅くなる。

14.林秘書官の知らせにて竹下が現場に至れば、大臣はすでに割腹を了わり、喉を切りつつあり。予が「介添しましょうか」と言いたるに対し、「無用。あちらに行け」と言わる。

 しばらくして来たり検するに、少々右前のめりとなりおられたるも、呼吸十分に聞こゆるをもって、「苦しくはありませんか」と呼ばわりたるも、すでに意識なきごときも、手足も少々動くをもって、短刀を取りて合添えす。

 その後、戴仁親王より拝領の軸物を側に展げ、遺書を並べ、軍服を体にかけたり。

15.陸軍省より再度連絡ありしにより、3度大臣の死をたしかめ登庁す。このとき未だ呼吸あり。


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   昭和二十年八月一四日 水曜

一、七時 大臣、總長 前後シテ登廳、大臣ハ荒尾ト共ニ總長室ニ至リ 決行ニ同意ヲ求厶 然ルニ總長ハ先ツ官[ママ]城内ニ兵ヲ動カスコト難シ(計畫ハ本日十時ヨリノ御前會議ノ際隣室迄押シカケ オ上ヲ侍從武官ヲシテ御居間ニ案内セシメ 他ヲ監禁セントスルノ案ナリ) 次テ全面的ニ同意ヲ表セス 茲ニ於テ計畫崩レ萬事去ル

二、大臣ハ自室ニ歸レハ東武軍司令官 田中大將、參謀長 高島少將アリテ待ツ 大臣ハ一般的ニ治安警備ヲ嚴ニスヘキ旨示サレタルニ對シ 參謀長ヨリ降伏受諾ノ結果トナラサルコトニ關シ縷々具申シ 繼戰トナレハ治安ヲ維持スルコト可能ナルモ 降伏トナリテハ請ケ合ヒ兼ヌル旨述ヘ 且 假令 御聖斷アルモ詔書ニ副


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書セサレハ効力發生セストノ意見等述ヘ 治安出兵ノ爲ニハ筆記命令ヲ貰ヒ度旨述ヘタリ

三、一方 此ノ日 畑元帥廣島ヨリ到着 次官之ヲ迎ヘ 此ノ頃 陸軍省ニ出頭セラル 白石參謀隨行 原子爆彈ノ威力大シタコトニ非ル旨語レルヲ以テ 元帥會議ノ際是非其ノ旨上聞ニ達セラレ度賴厶

四、茲ニ一ヶノ挿話アリ 卽 大臣總長室ヲ出 自室ニ歸ヘリ東部軍管區司令官ト面會終リシ頃 井田中佐大臣室ニ來リ 總長カ先程上奏ニ出ラレシモ 二課、總務課ニ訊スモ上奏案件ナク、今ノ大臣ノ計畫ヲ暴露シニ行カレシニアラスヤ、且 總長ハ昨日 鈴木、東鄕、迫水ト會シアリ .本日ノ御前會議ニ於テハ和平論ヲ唱フルコトトナリシ風説アリトノコトヲ述フ 眞逆トハ思ヘトモ 今日ノ計畫カ計畫丈ケニ棄テ置カレス サリトモ處


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置モナシ 大臣ハ ソンナコトハ無イ 二課ヲヨク調ヘヨトノコトニテ 井田ハ退室セルモ 再ヒ來リテ 二課ニテハ本日上奏案件ナシト言フ 參内ハ確実ナリト言フ、サレト大臣ハ ソンナコトハナイヲ繰リ返ヘセラレタリ

五、昨日ヨリノ計畫ニテ 八一〇ニハ省内高級部員以上集合シアリ 大臣ハ 不決行ト決マリシヲ以テ 訓示内容ヲ變更シ 本日ハ重大時期ナルコト 全省ノ一致結束ヲ説カレタルニ止マル

六、本日午前ニ豫定サレアリシ御前會議ハ一三三〇ニ延期セラレ 午前ハ閣議ノミトナル

然ルニ閣議参集ノ閣僚 及 平沼、兩總長、戰爭指導會議幹事ニ對シ 突如一〇三〇ヨリ宮中ニ御召シ遊サレ 歴史的御前會議ハ突如開カレ 世記[ママ]ノ御聖斷ハ下ルルコトトナリタリ


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陸軍ノ昨夜ノ計畫ト思ヒ合ハセ 此ノ御前會議ノ変更過程ハ何等カノ關聯ヲ豫想セラレ 卽 部内ニ政府ト通スルモノナキヤヲ思ハシムルニ十分ナリ

七、竹下ハ萬事ノ去リタルヲ知リ自席ニ戾リシカ 黒崎中佐 佐藤大佐等 相踵イデ來リ 次ノ手段ヲ考フヘキヲ説キ 特ニ椎﨑、畑中ニ動カサル

次テ總長カ決心ヲ固メ 大臣ト共ニ最後迄ヤル旨述ヘタリトノ報アリ 茲ニ於テ「兵力使用第二案」ヲ急遽起案ス 要旨 左ノ如シ

一、近衞師團ヲ以テ宮城ヲ其ノ外周ニ對シ警戒シ 外部トノ交通 通信ヲ遮斷ス

二、東部軍ヲ以テ部内各要點ニ兵力ヲ配置シ 要人ヲ保護シ 放送局等ヲ抑ヘ

三、假令 聖斷下ルモ右態勢ヲ堅持シテ 謹ミテ聖


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慮ノ變更ヲ待チ奉ル

四、右實現ノ爲ニハ大臣、總長、東部軍司令官、近衞師團長ノ積極的意見ノ一致ヲ前提トス

此頃ニ於テ吾等ハ 大臣ハ閣議中ニテ 御前會議ハ午後ナリト思ヒ込ミアリタリ

八、竹下右計畫ヲ持參シテ宮内省ニ至リ 此處ニテ最高戰爭指導會議「メンバー」及 閣僚全部カ御召シニヨリ參集中ナルヲ知リタリ

十二時頃終了 大臣ノ跡ヲ追ヒテ總理官邸閣議室ニ到リ 御前會議ノ模樣ヲ承ル 陸相、兩總長ノミニ發言ヲ許サレ 其ノ後 御聖斷アリシ由 細部 第九項

大臣ハ沈痛ナリ 予ハ閣議室ヲ眺メ硯箱ノ用意ヲ見テ 大臣ニ辞職シテ副書ヲ拒ミテハ如何ト申


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セシ所 意大イ二動キ 林秘書官ニ對シ辞表ノ用意ヲ命シタルモ 辞職セハ陸軍大臣缺席ノ儘 詔書煥発必至ナリ且又 最早御前ニモ出ラレナクナルト呟キ 取止メラル

予ハ此ノ時 兵力使用第二案ヲ出シ 詔書發布迄ニ斷行セムコトヲ希厶 之ニ對シ大臣ハ意少カラス動カレシ樣ナリ 又 閣議迄ノ間 一度本省ニ歸ヘル旨言ハレシニヨリ 次官 總長ト御相談ノ上 決意セラレ度旨述ヘタリ

之ヨリ先 總長カアレヨリ朝ノ案ニ同意セラレタリト述ヘタルニ對シ 「サウカホントウカ」トテ兵力使用第二案ニ意動カレシヲ察セリ

九、午后一時ヨリ三時迄閣議アリ 其ノ後 大臣ハ課員以上全員ヲ第一會議室ニ集メ 左ノ趣旨ノ訓示ヲ爲セリ

本日午前 最高戰爭指導會議構成員 及 閣僚ヲ御


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召シ遊ハサレ

御聖斷ニ依リ「ポツダム」宣言ノ内容ノ大要ヲ受諾スルコトトセラル 其ノ時 御上ニハ此ノ上戰爭遂行ノ見込ナキコトヲ述ヘラレ 無辜ノ民ヲ苦シメルニ忍ヒス 明治天皇ノ三國干渉ノ時ノ心境ヲ以テ和平ニ御決心遊サレ 一時 如何ナル屈辱ヲ忍ヒテモ 將來 皇國護持スルノ確信アリ 忠勇ナル軍隊ノ武裝解除ハ耐ヘ難シ 然レ共爲ササルヲ得スト言ハレ 特ニ陸軍大臣ノ方ニ向ハレ 陸軍ハ勅語ヲ起草シ朕ノ心ヲ軍隊ニ傳ヘヨト宣ハセラル 又 武官長ハ侍從武官ヲ陸軍省ニ派遣スル由

御聖斷ニ基キ 又 重ナル有リ難キ御取リ扱ヒヲ受ケ 最早 陸軍ノ進ムヘキ道ハ 唯一筋ニ大御心ヲ奉戴 実践スルノミナリ

皇國護持ノ確信ニ就テハ本日モ「確信アリ」ト言ハレ 又 元


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帥會議ニ際シテモ 元帥ニ對シ「朕ハ確證ヲ有ス」ト仰セシアリ

三長官、元帥會合ノ上 皇軍ハ御親裁ノ下ニ進ムコトト決定致シタリ

今後 皇國ノ苦難ハ愈々加重スヘキモ 諸官ニ於テハ過早ノ玉碎ハ任務ヲ解決スル途ニ非サルコトヲ思ヒ 泥ヲ食ヒ 野ニ伏シテモ 最後迄 皇國護持ノ爲奮鬪セラレ度

七[ママ]、次テ軍務局長ヨリ本日御前會議ニ於ケル御言葉ヲ傳達ス 要旨 左ノ如シ

自分ノ此ノ非常ノ決意ハ変リハナイ

内外ノ情勢、國内ノ狀況、彼我戰力ノ問題等 之等ノ比較ニ於テモ輕々ニ判断シタモノテハナイ

此ノ度ノ處置ハ國体ノ破壞トナルカ、否ラス、敵ハ國体ヲ認メルト思フ 之ニ付テハ不安ハ毛頭ナイ 唯反對ノ意見


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陸相、兩總長ノ意見ヲ指ス)ニ付テハ字句ノ問題ト思フ 一部反對ノ者ノ意見ノ樣ニ 敵ニ我國土ヲ保障占領セラレタ後ニドウナルカ 之ニ付テ不安ハアル 然シ戰爭ヲ繼續スレハ國体モ何モ皆ナクナツテシマヒ 玉碎ノミタ 今後ノ處置ヲスレハ多少ナリトモ力ハ残ル コレカ將來  發展ノ種ニナルモノト思フ

― 以下 御淚ト共ニ ―

忠勇ナル日本ノ軍隊ヲ武裝解除スルコトハ耐エラレヌコトタ 然シ國家ノ爲ニハ之モ実行セネハナラヌ

明治天皇ノ三國干渉ノ時ノ御心境ヲ心トシテヤルノタ ドウカ賛成ヲシテ呉レ

之カ爲ニハ國民ニ詔書ヲ出シテ呉レ 陸海軍ノ統制ノ困難ナコトモ知ツテ居ル 之ニモヨク氣持ヲ傳ヘル爲 詔書ヲ出シテ呉レ 「ラヂオ」放送モシテヨイ、如何ナル方法モ


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採ルカラ

十一、閣議ハ午后七時二十分ヨリ八時半迄開カレ 更ニ九時ヨリ十一時三十分迄開カレタリ 此ノ間 詔書案文 議セラル 閣僚署名アリ

十二、竹下ハ連日不眠ヲ醫スル爲 駿河臺澁井別館ニ歸ヘリ 白井、浴 兩中佐ト語リタル後 二十三時頃就寝シタル所 二十四時半頃 畑中來訪シ 「近歩二聯隊長芳加大佐ハ本日 近歩二カ守衞上番ナルヲ機トシ 更ニ一ヶ大隊ヲ赴援シ 軍旗ヲ奉シテ蹶起スルノ決心ヲ固メ 本夜二時ヲ期シ宮城ヲ固ムルノ處置ヲ採ルニ決ス 近衛師團中ニハ別ニ四ヶ大隊 蹶起ニ同意セシメタリ 自分ハ今ヨリ近衞師團長ノ許ニ至リ之ヲ説得スルモ 若シ聽カサル時ハ之ヲ許[ママ]リテモ實行ス、石原、古賀ノ兩参謀ハ同意シアリ」ト述ヘ 予ニ對シ大臣ノ許ニ至リ本朝來ノ計畫ニ基


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キ 近衞師團ノ蹶起ヲ機トシ 全軍蹶起ニ至ラシメラレ度依頼ス、竹下ハ 東部軍カ立タスシテハ問題トナラス 近衞師團長モ難シカルヘク 成功ノ算少キヲ以テ計畫中止ヲ靜ニススメタルモ 畑中ノ決心牢固タルモノアリ 且 予ハ嘗テ予自ラ棒持セシ軍旗カ動キ、大臣ニ取リテハ之亦嘗テ之ヲ仰キタル軍旗カ動ク事ハ天意カモ知レスト 大イニ心動キタルヲ以テ 畑中ニ對シ大臣ノ許ニ至ルヲ約ス 但シ昨日來ノ決心ト同シク近衞師團長、東部軍司令官ノ同意ヲ先決トシ 近衞師團長ハ斬リテ代理者ニ依リテ動クナラ兎モ角 東部軍管區司令官カ立タサル時ハ大臣命令ノ發動ハ要求セス 若シ兩者策應蹶起セハ大臣ニ對シ力ノ限リ蹶起ヲ進[ママ]厶ヘシト約シ 同車出發 畑中ハ一寸役所ニ寄リ 軍事


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課ノ諸士ニ東部軍ヘノ工作ヲ依賴シ 直チニ予ヲ大臣官邸ニ送リ 自ラハ近衞師團ニ向ヒタリ

十三、十四日夜 卽 十五日一時半 竹下大臣官邸着 案内ヲ乞ヒタル所 大臣ハ自室ニ在リ「何シニ來タカ」ト一寸咎メル如キ語調ナリシモ 軈テヨク來タトテ室ニ請ス 室内ニハ床ヲ展ヘ 白キ蚊帳ヲ吊リアリ ソノ奥ニテ書キモノヲセラレアリシ如ク感ス ― 遺書ナリ ―

机上ニハ膳ヲ置キ 一酌始マラントシアリシ模樣ナリキ

大臣ハ予ニ對シ 本夜豫テノ覺語[ママ]ニ基キ自刄スル旨述ヘラレ 之ニ對シ予ハ 覺語[ママ]尤ニシテ 其ノ時機モ本夜カ明夜カ位ノ所ト思フニ付 敢テ御止メセスト述ヘタル所 大臣ハ大イニ喜ヒ 君カ來タノテ妨ケラルルカト思ヒシカ 夫ナライイ 却テヨイ處ニ來テ呉レタトテ盃ヲ差シ 頗ル上機嫌トナリ 本夜ハ十分ニ飲ミ 且 語ラント


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テ 夫ヨリ五時頃迄語ル 其ノ要旨 左ノ如シ

[図略]

予ハ平素ニ以[ママ]ス飲マルルヲ以テ アマリ飲ミ過キテハ仕損スルト惡シト言ヒシ所 否 飲メハ酒カ廻リ血ノ巡リモヨク出血十分ニテ致死確實ナリ 予ハ劍道五段ニテ腕ハ確カト笑ハレタリ

問答要旨 前後不同

一、若シバタバタセル時ハ君カ始末シテ呉レ 然シソノ心配ハナカラン


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一、遺書ハ「一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル 昭和二十年八月十四日夜 陸軍大臣 阿南惟幾」ト 既ニ書キアルヲ示サレシカ 裏ニ更ニ「神洲不滅ヲ確信シツツ」ト書キ足サレタリ

辞世 大君ノ深キ惠ニ浴シ身ハ言ヒ残スヘキ片言モナシ  八月十四日夜 陸軍大將 阿南惟幾

コレハ戰地ニ出ル時ノイツモノ心境ナリト言ハル

一、短刀テヤルカ卑怯ノツモリハナイ

一、疊ノ上ハ武人ノ死ニ場所テハナイ 外テハ見張リニ妨ケラレルノテ 縁側テヤル 向キハ皇居ノ方向テアル

一、大臣ハ夜 風呂ニ入リアリ 自決ノ時ハ侍從武官時代拜領セシ下着ヲ身ニ付ケラル コレハ オ上カオ肌ニ付ケラレタモノテアル コレヲ着用シテ逝クノタト

一、本夜 畑中等ノ件ニ付テハ 蹶起時刻タル二時迄ハ觸


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レサリシモ(事前ニ知レハ大臣トシテ中止ヲ命スルノ責モ生スヘキヲ考慮シタルモノナリ)二時過キ説明シタル處 東部軍ハ立タヌタラウト言ハレタリ 其ノ後 三時頃 窪田少佐來訪、竹下ノミニ面會シ 同少佐ヨリ 森師團長ハ肯セサリシ爲 畑中少佐 之ヲ拳銃ニテ射擊シ 窪田少佐 軍刀ニテ斬リタル由 又 居合ハセタル白石參謀(第二總軍)ハ制止セル爲 之亦窪田少佐 斬殺セル由 窪田少佐ハ報告ニ來リ 今ヨリ守衞隊本部ニ行ク由ヲ聞キ取リ 東部軍ノ事ハ分ラヌ由モ聞キ、少佐ノ歸リタル後 大臣ニ報告セル所 森師團長ヲ斬ツタカ 本夜ノオ詫ヒモ一緒ニスルト演サレタリ

之ヨリ先 大臣ハ十三日 大臣ニ於テ井田中佐カ「大臣ハ変節サレタカ ソノ理由ヲ承リ度」ト言ヒシコトニ付 アノ際ノ返答ハ井田ヲ後ニ残シタカツタノタト言ハレ 井田中佐ニヨ


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ロシク傳ヘテ呉レト言ハレ居リシカ 井田來訪スルニ及ヒ相擁シテ語ラレタリ

一、井田中佐歸リタル後 大城戸憲兵司令官來邸 近衞師團ノ変ヲ報告ニ來ラル 大臣ハ夜カ明ケルカラ始メル、司令官ニハオ前會ヘトテ竹下ヲ應接間ニ出シ 其ノ後ニテ自刄セラレタリ

林秘書官 此ノ頃 近衞師團ノ件ニテ來邸 應接間ニテ竹下ニ會ヒ 大臣ノ登廳ヲ要スト言ハレシカ 大臣室ニ至リ自刄中ナルヲ知リ 竹下ニ其ノ旨傳ヘラル

一、細田大佐ニヨロシク

一、安井國務大臣ニ御世話ニナツタ

一、林秘書官ニ禮ヲ言フテクレ ヨイ秘書官タツ

一、總長ニ長イ間 世話ニナリマシタ 書キ遺シマセンカ 閣下ニハ御世話ニナリマシタ 國家ハ閣下カ指導シ


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テ下サイ

一、竹下ノ舅トシテ 阿南家ノ陸軍大將トシテ堂々ト死シテユク 笑ツテ逝ク

一、アア六十年ノ生涯 顧ミテ滿足タツタ ハハハハ

一、惟敬ニ對シ アア言フ性格タカラ 過早ニ死ナヌ樣 呉々傳ヘテクレ

一、惟晟ハヨイ時死ンテ呉レタ 惟晟ト一緒ニ死ンテ逝ク

一、大臣ハ三時頃 例ノ下着ヲ着換ヘ ソノ上ニ一度 勲章ヲ全部佩用シテ軍服ヲ着シ竹下ニ對シ ドウダ 堂々タルモノタラウト言ハレ 此時 兩人相擁セリ 軈テ服ヲ脱イデ床ノ間ニ残置サレ 終ツタラ體ノ上ニカケテ呉レト賴マレシカ、ソノ際 兩袖ノ間ニ惟晟ノ寫眞ヲ抱クカ如ク安置サレタリ


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人一倍 家族ニ對スル情ノ强キ人トテ 之ヲ見タル予ハ 强ク胸ヲ打タレタリ

一、惟正以下 男ノ子カ三人モ居ルカラ大丈夫

一、綾子ニ對シ オ前ノ心境ニ對シテハ信賴シ感謝シテ死ンテユクト傳ヘテ呉レ

一、姉ヲ始メ親戚一同ニ ヨク分ツテ呉レルタロウ

一、惟道ハオ父サンニ叱ラレタト呉[ママ]フト可愛相タカ 此ノ前歸ツタ時 風呂ニ入レテ洗ツテヤツタノテ ヨク分ツタロウ 皆ト同シ樣ニ可愛カツテ居ルコトヲ傳ヘテ呉レ

一、家族ノ事等 君カ來タカラ傳ヘラレタノタ

一、次官ニ 後ヲ賴ム

一、豊田、大西、畑閣下ニ厚思ヲ謝ス

一、板垣、石原、小畑閣下 同シク

一、荒木閣下ニヨロシク


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一、米内ヲ斬レ
一、臺上各位ニヨロシク
一、野口、餘野、久雄サンニヨロシク
一、モウ十五日タカ 自決ハ十四日夜ノ積ナリ、十四日ハ父ノ命日テ此日ト決メタ サウテナイ場合ハ二十日ノ惟晟ノ命日タカ、夫テハ遲クナル

十四、林秘書官ノ知ラセニテ竹下カ現場ニ至レハ 大臣ハ既ニ割腹ヲ了ハリ 喉ヲ切リツツアリ、予カ介添シマセウカト言ヒタルニ對シ 無用 アチラニ行ケト言ハル
暫クシテ來リ檢スルニ 少々右前ノメリトナリ居ラレタルモ 呼吸十分ニ聞ユルヲ以テ 苦シクハアリマセンカト呼バハリタルモ 既ニ意識ナキ如キモ 手足モ少々動クヲ以テ 短刀ヲ取リテ合添ヘス


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其ノ後、戴仁親王ヨリ拜領ノ軸物ヲ側ニ展ケ 遺書ヲ竝ヘ 軍服ヲ体ニカケタリ

十五、陸軍省ヨリ再度連絡アリシニ依リ 三度 大臣ノ死ヲ慥メ登廳ス コノ時 未タ呼吸アリ

 

↑機密戦争日誌 昭和20年8月14日 水曜 
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C12120362700

JACAR(アジア歴史資料センター)

Ref.C12120362700、

機密戦争日誌 昭和20年8月9日~20年8月15日(防衛省防衛研究所)