Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

信夫淳平『戦時国際法講義』第2巻より 「遊撃隊」 1941.11.23


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第二章 交戦者

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1060837/5


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  第二款 正規兵及び不正規兵

    第一項 その資格の異同

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1060837/47

 

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遊撃隊

 811 交戦軍は攻城野戦の用兵以外に特殊の隊伍を以て敵の背後に出没せしめ、多くは夜間を利用して或は鉄道道路橋梁等の交通線の破壊、或は敵の小部隊に対する襲撃、その他諸般の奇襲的行動に当らしむることは往々ある。之を遊撃隊(Guerilla)と称する。ハレックは遊撃隊を「自ら編成し、自ら統御し、国家の直接の区処の下に立つに非ずして公敵に向つて対抗する所の徒団なり。彼等は徴募も任命も受けず、将た国家の軍隊の構成分子に編入せられたるに非ず。随つてその行動に就て国家は単に間接的にその責任を負ふに止まる。」と定義する(Halleck, I, p.559)。大体そういふ性質のものである。遊撃隊は決死して敵と闘ふよりも、迅速に行動し迅速に遁走し、努めて敵に捕獲せられざるを本務とするもので、殊に敵の占領地が広範に亘り、しかも占領地守備兵の各所に分散して比較的希薄となり、別して交通線守備の疎なる方面にありては、相応に効果を挙げ得る所から、敵の広報攪乱に之を利用することは古来珍しからぬ所で、近代の戦に於ても南北戦、普仏戦、米西戦、南阿戦の各役、孰れも相当の程度に遊撃隊の出没をみざるはなかつた。最近の支那事変に於ても、支那は盛に之を使用しつつある。

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適法の交戦者なるや否や

 812 遊撃隊は之を適法の交戦者と認むるを得るや。ハレックの所説に「遊撃隊にして国家に依り任用せらるるに於ては、彼等は自ら統御するのでなく国家の指揮命令の下に交戦に従事する者で、随つて最早や本来の字義に於ける遊撃隊ではない。然るに本国政府の任命又は允許なしに行ふ個々又は徒団の敵対行為にありては、それは適法の交戦行為でないから、犯行の性質を按じて処罰し得べきである。かかる徒輩にして敵の財産に加害すれば盗賊であり、人命に加害すれば交戦行為に非ざる殺人である。該犯行者は交戦法則の下に弁護を為し得る適法武装の敵でない。故に之を捕らえたる場合には俘虜として取扱はず、その犯行に応じ盗賊、殺人者、匪賊に擬して処罰するを妨げす。」(Ibid, p.560)とある所、大体は爾く論じ得べきであるが、要するに遊撃隊を適法の交戦者と認るを得るや否やの問題に対しては、彼等はある場合には適法の交戦者たることもあり、たらざることもありて、要はその系統、その行動の方法、場所、及び時期の如何に依り肯否孰れにも答へ得べきである。遊撃隊にして正規軍の一部として又は特定の法的条件を具備したる民兵又は義勇兵として行動し、将た或は次項に述ぶるが如き適法の民衆軍たるの資格に於て行動する限りは、そは明かに適法の交戦者と謂ひ得られる。然るに遊撃隊にして国家の主権者の軍系統に属せず、さりとて民間有志者として武器を手にするにしても、その行動は交戦の法規慣例に遵由せず、行動の場所も敵国の未占領地に非ずして既占領地であるが如きに於ては、之に交戦者たるの資格を認むるを得ざるものである。

 殊に問題は時期である。解り易き実例に就いて云へば、支那事変に於ける支那国民政府の遊撃隊にして同政府の直接間接の指揮の下に行動するものたるに於ては、他の条件に欠くる所なき限り適法の交戦者である。然しながら直接間接に指揮を為す所の国民政府にして全然土崩瓦解したる後、即ち支那の正当政府――よし

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1060837/54


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んば僅かに形式的なるにもせよ――が消滅して了つた後に於て、尚ほ且遊撃隊として行動するに於ては、既に正常の戦が終了した後のことであるから、彼等は最早や匪賊と択ばざるもので、之に交戦者たるの資格を認めんとするも得ない。オッペンハイムは曰く。

「斯かるゲリラ戦[正常の戦の終了後に於ける]は国際法上厳正の意味に於ける実[リアル]の戦なるやと云へば、自分は二つの理由から否と答へる。第一に、最早や戦場に両交戦国の軍隊は無い。なぜならば敗国は、その領土は占領せられ、正当政府は転覆し、軍隊の大部分は捕獲となり、残余は烏合の衆となつたのであるから、その存在は既に熄んだが故である。第二には、両国軍隊間には最早や闘争の進行は無い。遊撃隊は敵と小競合を為すことあるにもせよ、彼等は正戦を避け、ただ敵の橋梁鉄道を破壊し、交通及び兵站線を遮断し、護衛兵を襲撃する等に依り、敵がいつしか撤退する日の到らんことの希望の下に敵を悩ますことに於いて満足するのみである。斯く遊撃戦術にして既に実の戦に非ざる以上は、勝者は厳正なる法律眼に照し最早や遊撃隊を交戦者として、又その捕へたる隊員を兵として、取扱ふに及ばざること明瞭である。さりながら彼等にして責任ある指揮者の下に立ち且交戦の法規慣例に遵由する限りは、之を爾く取扱ふを望ましとする。」(Oppenheim, Ⅱ,§ 60, pp. 77-8)

 右の末段の一句は敢て論を俟たぬことであるが、正当政府は転覆したるが故に敗国の存在は既に熄んだもので、随つて遊撃隊は本源の指揮者を既に喪へる烏合の衆と視る見方は正しいと思ふ。尤も正当政府は顚覆しても之を継承する所の交戦国政府が新に出来たこと例へば普仏の役にナボレオン三世帝の政府は顚覆しても之に代りて国防政府が現はれて引続き交戦に当たるが如き場合は別である)。昔は南北戦役の末期に於て南軍の領将相次で降り、その軍勢の崩潰せる時、敗残の将士中には遊撃戦術にて依然抵抗を継続せんと試むる者もあつたが、北軍では斯かる遊撃隊に交戦者たるの資格を認むるを拒んだとある。(Spaight, Land War, p.


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61) 。そは当然のことなりしと謂ふべく、要するに遊撃隊を適法の交戦者として取扱ふのは、それが主[ぬし]ある遊撃隊たる間のことで、主家亡びて浪人となれる遊撃隊は最早や目するに適法の交戦者を以てするを得ずで、一の匪賊団を以て取扱ふに妨げなきものと知るべきである。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1060837/55

 

タイトル  戦時国際法講義. 第2巻
著者    信夫淳平 著
出版者   丸善
出版年月日 昭和16


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奥付

昭和十六年十一月二十三日發行
(1941年11月23日)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1060837/644