Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

吉岡吉典 著『総点検 日本の戦争はなんだったか』より 戦後も続く「併合は正当」とする議論 2007.4.5

戦後も続く「併合は正当」とする議論

  「韓国併合」について「カイロ宣言」は、「朝鮮の人民の奴隷状態に留意し」といいましたが、日本はこれを認めようとせず、日本政府自身、長い間、「併合条約」は「自由な意思、対等な立場で締結した」ものといい続けてきました。それを改めたのは、実に一九九五年にいたってのことでした。

 しかも、「韓国併合」を韓国人の「要請によったものである」とする出版物が後を絶ちません。そのさい持ち出されるのが、「一進会」の「合邦上奏文」提出です。韓国からも厳しい批判を受けた、文部省検定合格の『新しい歴史教科書』(扶桑社)は、「韓国の国内には、一部に併合を受け入れる声もあった…」と書きました(二四〇頁)。「一進会」を念頭に置いたものです。小林よしのり戦争論』(漫画)も、「『韓国併合』は、韓国の最大政党である、一進会の要請をうけたもの」としています。

 一進会が「合邦上奏文」を提出したのは事実です。しかし、この「上奏文」を書いたのは、内田良平率いる日本の右翼国粋団体=黒竜会の武田範之でした。黒竜会はアジア侵略を主眼においた団体で、明治政府の侵略主義政策の熱烈な下請け運動者であり、内田は一進会顧問として、一進会を裏から操縦していました。その黒竜会の重鎮である武田範之が起草した「合邦上奏文」案は、山縣有朋桂太郎首相、それに初代朝鮮総督となる寺内正毅陸軍大臣に内示されて事前の了解を得ていたものです。それを一進会会長李容九の名で発表させたのです。このことは、黒竜会編『日韓合邦秘史』下巻(原書房)、滝沢誠『武田範之とその時代』(三嶺書房)などに詳しく書かれている否定できない事実です。

  「一進会」については、「併合」によって設置された日本の朝鮮植民地支配機関である朝鮮総督府が編纂した『朝鮮の保護及び併合』(=『日韓外交資料集成』8)によっても、「一進会の提唱する日韓合邦問題に対する反対の声頗る盛んにして同会は殆ど孤立の状態にあり」(三一八ぺージ)と記しているのです。「韓国併合」が朝鮮人の要請を受けたものだという議論など出てくる余地などありません。

 

↑吉岡吉典 著『総点検 日本の戦争はなんだったか』(2007年、新日本出版社)pp.145-146
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784406050364