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帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

【工事中】極東国際軍事裁判速記録より 判決(1) 1948.11.4

                    48,413

  Thursday, 4 November 1948
      ― ― ―
     INTERNATIONAL MILITARY TRIBUNAL           FOR THE FAR EAST
        Court House 9f the Tribunal
           War Ministry Building
                      Tokyo, Japan

  The Tribunal met, pursuant to adjournment, at 0930.

      ― ―  ―
Appearances:

  For the Tribunal, all Members sitting.

  For the Prosecution Section, same as before.

  For the Defense Section, same as before.

      ― ― ―

                    (1)

◯昭和二十三年11月末四日(木曜日)

東京都旧陸軍省極東国際軍事裁判所法廷において

    ―――――――――――――――――――

 裁判所側

  裁判長

   オーストラリア連邦代表

    ウィリアム・F・ウエッブ卿

  判 事

   カナダ代表

    E・スチュワート・マックドウガル判事

   中華民国代表

    梅 汝 璈 氏

   フランス共和国代表

    アンリ・ベルナール氏

   オランダ王国代表

    バーナード・ヴィクター・

              A・ローリング氏

   ニユージーランド代表

    エリマ・ハーべー・ノースクロフト判事

   ソビエット社会主義共和国連邦代表

    I・M・ザリャノフ判事

   グレート・ブリテン北アイルランド

   連合王国代表

    パ  ト  リ  ッ  ク  卿

   アメリカ合衆国代表

    マイロン・C・クレーマー判事

   印度代表

    ラーダ・ビード・パル判事

   フィリッピン代表

    ジ ャ ラ ニ ラ 判 事

 

 検事側

  主席検察官

   アメリカ合衆国代表

    ジョセフ・キーナン氏

  参与検察官

   アメリカ合衆国代表

    フランク・ダヴナー・J・R氏

   中華民国代表

    向 哲 濬 氏

   グレート・ブリテン北アイルランド

   連合王国代表

    A・S・コミンズ・カー氏

   ソビエツト社会主義共和国連邦代表

    S・A・ゴルンスキー氏

    S・Y・ローゼンブリット大佐

   オーストラリア連邦代表

    A・J・マンズフィールド

   カナダ代表

    H・G・ノーラン代将

   フランス共和国代表

    ロベル・オネト氏

   オランダ王国代表

    W・G・ド・ボルゲルホフ・マルデル氏

    A・T・ラヴァージ氏

   ニユージーランド代表

    R・H・ウィリアムス代将

   インド代表

    ゴビンダ・メノン氏

   フイリツピン代表

    ペドロ・ロペス氏

 

  弁護人側

    ローレンス・P・マックマナース氏

     被告荒木貞夫弁護人

    フランクリン・ワーレン氏

     被告土肥原賢二弁護人

    E・R・ハリス氏

     被告橋本欣五郎弁護人

    ジェームス・N・フリーマン氏

     被告畑俊六弁護人

    フランクリン・ワーレン氏

     被告平沼騏一郎弁護人

    ジョージ・A・フアーネス氏

     被告廣田弘毅弁護人

    ジョセフ・G・ハワード氏

     被告星野直樹弁護人

    フロイド・J・マタイス氏

     被告板垣征四郎弁護人

    E・R・ハリス氏

     被告賀屋興宣弁護人

    ジョン・G・ブラナン氏

     被告木戸幸一弁護人

    ジヨセフ・C・ハワード氏

     被告木村兵太郎弁護人

    アルフレッド・W・ブルックス

     被告小磯國昭弁護人

    フロイド・J・マタイス氏

     被告松井石根弁護人

    アルフレッド・W・ブルックス

     被告南次郎弁護人

    ロージャー・ド・コール氏

     被告武藤章弁護人

    ジヨン・G・ブラナン氏

     被告岡敬純弁護人

    オウエン・カニンガム氏

     被告大島浩弁護人

    ジェームズ・N・フリーマン氏

     被告佐藤賢了弁護人

    ジョージ・A・ファーネス氏

     被告重光葵弁護人

    ジョン・G・ブラナン氏

     被告嶋田繁太郎弁護人

    チャールス・B・コードル氏

     被告白鳥敏夫弁護人

    フロイド・J・マタイス氏

     被告鈴木貞一弁護人

    ベン・B・ブレークニー少佐

     被告東郷茂德弁護人

    ジョージ・ブルーエット氏

     被告東條英機弁護人

    ベン・B・ブレークニー少佐

     被告梅津美治郎弁護人

 

  弁護人(日本側)

    鵜澤 總明氏

 

    菅原  浩氏

    蓮岡 高明氏

    德岡 次郎氏

     被告荒木貞夫弁護人

    太田金次郎氏

    加藤 隆久氏

    木村 重治氏

    北鄕 爲雄氏

     被告土肥原賢二弁護人

    林  逸郎氏

    奥山 八郎氏

    金瀨 薫二氏

    岩間 幸平氏

     被告橋本欣五郎弁護人

    神崎 正義氏

    國分 友治氏

    今成泰太郎氏

     被告畑俊六弁護人

    宇佐美六郎氏

    澤  邦夫氏

    毛利 與一氏

     被告平沼騏一郎弁護人

    花井  忠氏

    澁澤 信一氏

    廣田 正雄氏

     被告廣田弘毅弁護人

    藤井五一郎氏

    右田 政夫氏

    松田 令輔氏

     被告星野直樹弁護人

    山田 半藏氏

    佐々川知治氏

    阪埜 淳吉氏

    大越 兼二氏

    金内 良輔氏

     被告板垣征四郎弁護人

    高野 弦雄氏

    田中 康道氏

    藤原 謙治氏

    山際 正道氏

     被告賀屋興宣弁護人

                    (2)

    穂積 重威氏

    木戸 孝彥氏

     被告木戸幸一弁護人

    鹽原時三郎氏

    是恒 達見氏

    安部  明氏

     被告木村兵太郎弁護人

    三文字正平氏

    高木 一也氏

    小林 恭一氏

    松坂 時彥氏

    斉藤 誠一氏

     被告小磯國明弁護人

    伊藤  清氏

    上代 琢禪氏

     被告松井石根弁護人

    岡本 敏男氏

    松澤 龍雄氏

    近藤 儀一氏

    小田 安馬

     被告南次郎弁護人

    岡本 尚一氏

    佐伯 千仞氏

    原  清治氏

     被告武藤章弁護人

    宗宮 信次氏

    小野淸一郎氏

    榎本 重治氏

     被告岡敬純弁護人

    島内 龍起氏

    内田 藤雄氏

    牛場 信彥氏

     被告大島浩弁護人

    草野豹一郎氏

    藪馬伊三郎氏

     被告佐藤賢了弁護人

    梅?井 恒夫氏

    金谷 靜夫氏

    三浦 和一氏

     被告重光葵弁護人

    高橋 義次氏

    瀧川政次郎氏

    祝  島男氏

    安田 重雄氏

    奥山 八郎氏

    鈴木  勇氏

     被告嶋田繁太郎弁護人

    成富 信夫氏

    佐久間 信氏

    廣田 洋二氏

     被告白鳥敏夫弁護人

    高柳 賢三氏

    戒能 通孝氏

    加藤 一平氏

    福島  □氏

     被告鈴木貞一弁護人

    西  春彥氏

    加藤傳次郎氏

    七田 基玄氏

     被告東鄕茂德弁護人

    淸瀨 一郎氏

    内山  弘氏

    河北健次郎氏

     被告東條英機弁護人

    宮田 光雄氏

    小野 喜作氏

    池田 純膝氏

    梅津 美一氏

     被告梅津美治郎弁護人

   (English to Japanese and Japanese to English interpretations was nade by the Language Section, IMTFE.)

(英文和訳及び和文英訳は極東国際軍事裁判所言語部に於てこれを行つた。

 〔午前九時三十分開廷〕

                    48,414
                  Spratt & Wolf

  MARSHAL OF THE COURT:  The International Military Tribunal for the Far East is now in session.

◯法務執行官 ただいまより極東国際軍事裁判諸を開廷します。

  PRESIDENT:  All of the accused are present except HIRANUMA, SIRATORI and Umezu.  The Sugamo prison surgeon certifies that they are ill and unable to attend the trial today.  The certificatewill be recorded and filed.

◯裁判長 平沼、白鳥及び梅津の三被告を除き、全被告出廷、欠席被告は弁護人によつて代表されています。

 巣鴨拘置所医務官からの証明書によれば、右三被告は病気のため本日出廷できないとのことであります。この旨記録に留め、証明書は綴込みに入れます。

  CLERK OF THE COURT: THE UNITED STATES OF AMERICA, THE REPUBLIC OF CHINA, THE UNITED KINGDOM OF GREAT BRITAIN AND NORTHERN IRLAND, THE UNION OF SIVIET SOCIALIST REPUBLICS, THE COMMONWEALTH OF AUSTRALIA, CANADA, THE REPUBLIC OF FRANCE, THE KINGDOM OF THE NETHERLANDS, NEW ZEALAND, INDIA, AND THE CMMONWEALTH OF PHILIPPINES.

      AGAINST

ARAKI, Sadao, DOIHARA, Kenji, HASHIMOTO, Kingoro, HATA, Shunroku, HIRANUMA, Kichiro, HIROTA, Koki, HOSHINO, Naoki, ITAGAKI, Seishiro, KAYA, Okinori, KIDO Kouchi, KIMURA, Heitaro, KOISO, Kuniaki, MATUI, Iwane, MATUOKA, Yosuke, MINAI, Jiro, MUTO, Akira, NAGANO, Osami, OKA, Takasumi, OKAWA, Shumei, OSHIMA, Hiroshi, SATO, Kenryo, SHIGEMITU, Mamoru, SHIMADA, Shigetaro, SHIRATORI, Toshio, SUZUKI, Teiichi, Togo, Shigenori, TOJO, Hideki, UMEZU, Yoshijiro.

  JUDGMENT OF THE INTERNATIONAL TRIBUNAL

                    48,415

FOR THE FAR EAST.

◯法廷書紀 アメリカ合衆國、中華民国、グレート·ブリテン·北アイルランド連合王國、ソビエット社会主義共和国連邦、オーストラリア連邦、カナダ、フランス共和国オランダ王国ニュージーランド、インド及びフィリッピン
   対
荒木貞夫土肥原賢二橋本欣五郎、畑俊六、平沼騏一郎廣田弘毅星野直樹板垣征四郎賀屋興宣木戸幸一木村兵太郎、小磯國昭、松井石根松岡洋右、南次郎、武藤章永野修身岡敬純大川周明大島浩佐藤賢了重光葵嶋田繁太郎白鳥敏夫、鈴木貞一、東鄕茂德、東條英機梅津美治郎

 ―――――――――――――――――――――――――――

   極東国際軍事裁判所判決

  THE PRESIDENT: I will read the Judgment of the International Military Tribunal for the Far East. The title and formal parts will not be read.

◯裁判長 本官は、これから極東国際軍事裁判所の判決を朗読します。表題及び形式的の部分は朗読しません。

  PART A ― CHAPTER 1

  Establishment and Proceedings of the Tribunal

  The Tribunal was established in virtue of and to implement the Cairo Declaration of the 1st of December, 1943, the Declaration of Potsdam if the 26th of July, 1945, the Instrument of Surrender of the 2nd of September, 1945, and the Moscow Conference of the 26th of December, 1945.The Cairo Declaration was 

〔朗読〕

  A部 第1章 本裁判所の設立及び審理

 本裁判所は1943年12月 1 日のカイロ宣言、1945年 7 月26日のポツダム宣言、1945年 9 月 2 日の降伏文書及び1945年12月26日のモスコー会議に基いて、またこれらを実施するために設立された。

  The Cairo Declaration was made by the President of the United Ststes of America, the President of the National Government of the Republic of China, and the Prime Minister of Great Britain. It reads as follows:

 カイロ宣言アメリカ合衆国大統領中華民国国民政府主席及びグレート・ブリテン国総理大臣によって発せられた。それには、次のように述べてある。すなわち、

  “The several military missions have agreed upon future military operations against Japan.  The Three Great Allies expressed their resolve to bring unrelenting pressure against their brutal enemies by sea, land and air.  This pressure is already rising.

 「各軍事使節は日本国に対する将来の軍事行動を協定せり。

 「三大同盟国は海路、陸路及び空路に依り其の野蛮なる敵国に対し仮借なき圧迫を加ふるの決 意を表明せり。右圧迫は既に増大しつつあり。

  “The Three Great Allies are fighting this war to restrain and punish the aggression of Japan.  They covet no gain for themselves and have no thought of territorial expansion.  It is their purpose that Japan 

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shall be stripped all of the islands in the Pacific which she has seised or occupied since the beginning of the first World War in 1914, and that all the territories Japan has stolen from the Chinese, such as Manchuria, Formosa, and the Pescadores, shall be restored to the Republic if China.  Japan will also be expelled from all other territories which she has taken by violence and greed.  The aforesaid Three Great Powers, mindful of the enslavement of the people if Korea, are determined that in due course Korea shall be free and independent.

 「三大同盟国は日本国の侵略を制止し且つ之を罰する為め、今次の戦争を為しつつあるものなり。右同盟国は自国の為に何等の利得をも浴求するものに非ず。又領土拡大の何等の念をも有するものに非ず。右同盟国の目的は1914年の第一次世界戦争の開始以来、日本国が奪取し又は占領したる太平洋に於ける一切の島嶼を日本国より剥奪すること、並に満洲、台湾及び澎湖島の如き日本国が清国人より盗取したる一切の地域を、中華民国に返還することに在り。日本国は暴力及び貪慾に依り日本国が略取したる他の一切の地域より駆逐せらるべし。前記三大国は朝鮮の人民の奴隷状態に留意し、軈て朝鮮を自由且つ独立のものたらしむるの決意を有す。

  “With these objects in view three Allies, in harmony with those of the United Nations at war with Japan, will continue to persevere in the serious and prolonged operstions necessary to procure the ubconditional syrrender of Japan.”

 「右の目的を以て右三同盟国は同盟諸国中日本国と交戦中なる諸国と協調し、日本国の無条件降伏を齎すに必要なる重大且つ長期の行動を不撓不屈続行するものなり。」

  The Declaration of Potsdam (Annex No. A−1) was made by the President of the United States of America, the President of the National Government of the Republic of China, and the Prime Minister of Great Britain and later adhered to by the Union of Soviet Socialist Republics.  Its principal relevant provisions are:

 ポツダム宣言(附属書A―1)はアメリカ合衆国大統領中華民国国民政府主席及びグレート・ブリテン国総理大臣によつて発せられ、後に、ソビエット社会主義共和国連邦がこれに参加した。この宣言中、本件に関連のある主要な規定は次の通りである。すなわち、

  “Japan shall be given an opportunity to end this war.

 「日本国に対し、今次の戦争を集結するの機会を与ふべし。」

  “There must be eliminated for all time the authority and influence of those who have deceived and

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musled the people of Japan into embarking on world conquest, for we insist that a new order of peace, security and justice will be impossible until irresponsible militarism is driven from the world.

 「無責任なる軍国主義が世界より駆逐せられざれば、平和、安全及び正義の新秩序が生じ得ざることを吾等は主張するものなるを以て、日本国国民を欺瞞し誤導して世界征服の挙に出でしめたる者の権力及び勢力は、永久に除去せられざるべからず。」

  “The terms of the Cairo Declaration shall be carried out and Japanese sovereignty shall be limited to the Islands of Honshu, Hokkaido, Kyushu, Shikoju and such minor islands we determine.

 「カイロ宣言の条項は履行せらるべく、又日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国並に吾等の決定する諸小島に極限せらるべし。」

  “We do not intend that the Japanese people shall be enslaved as a race or destroyed as a nation, but stern justice shall be meted out to all war criminals including those who visited cruelties upon our prisoners.”

 「吾等は日本人を民族として奴隷化せんとし、又は国民として滅亡せしめんとするの意図を有するものに非ざるも、吾等の俘虜を虐待せるものを含む一切の戦争犯罪人に対しては、峻厳なる正義に基き処罰を加ふべし。」

  The Instrument if Surrender (Annex No. A−2) was signed on behalf of the Emperor and Government of Japan and on behalf of the nine Allied Powers. It contains inter alia the following proclamation, undertaking, and order:

 降伏文書(附属書A―2)は日本国天皇及び日本政府の名において、また九つの連合国の名において署名された。その中には、いろいろなことのほかに、次の布告、約定及び命令が含まれている。すなわち、

  “We hereby proclaim the unconditional surrender to the Allied Powers of the Japanese Imperial General Headquarters and all Japanese armed forces and all armed forces under Japanese control wherever situated.

 「下名は茲に日本帝国大本営並に何れの位置に在るを問はず、一切の日本国軍隊及び日本国の支配下に在る一切の軍隊の連合国に対する無条件降伏を布告す。」

  “We hereby undertake for the Emperor, the Japanese Government, and their successors, to carry out the provisions of the Potsdam Declaration in good faith, and to issue whatever orders and take whatever action 

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may be required by the Supreme Commander of the Allied Powers or by any other designated representatives of the Allied Powers for the purpose of giving effect to the Declaration.

 「下名は茲にポツダム宣言の条項を誠実に履行すること、並に右宣言を実施する為め、連合国最高司令官又は其の他特定の連合国代表者が要求することあるべき一切の命令を発し、且つ斯る一切の措置を執ることを天皇日本国政府及び其の後継者の為に約す。」

  “The authority of the Emperor and the Japanese Government to rule the State shall be subject to the Supreme Commander for the Allied Powers who will take such steps as he deems proper to effectuate these terms of surrender.   We hereby command all civil, military, and naval officials to obey and enforce all proclamations, orders, directives deemed by the Supreme Commander for the Allied Powers to be proper to effectuate this Surrender and issued by him or under his authority.”

 「天皇及び日本国政府の国家統治の権限は、本降伏条項を実施する為め適当と認むる措置を執る連合国最高司令官に服せしめらるるものとす。下名は茲に一切の官庁、陸軍及び海軍の職員に対し、連合国最高司令官が本降伏実施の為め適当なりと認めて自ら発し又は其の委任に基き発せしむる一切の布告、命令及び指示を遵守し且つ之を施行することを命ず。」

  By the Moscow Conference (Annex No. A−3) it was agreed by and between the Government of the United States of America, Great Britain, and the Union of Soviet Socialist Republics with the concurrence of China that:

                    (3)

 モスコー会議(附属書A―3)の結果、アメリカ合衆国、グレート・ブリテン国及びソビエット社会主義共和国連邦の各政府によつて、またこれらの各政府の間に、中華民国の賛同を得て、次のことが協定された。すなわち、

  “The Supreme Commander shall issue all orders for the implementation of the Terms of Surrender, the occupation and control of Japan and directives supplementary thereto.”

 「最高司令官は日本降伏条項の履行、同国の占領及び管理に関する一切の命令並に之が補充的指令を発すべし」

  Acting on this authority on the 19th day of January, 1946, General MacArthur, the Supreme Commander fir the Allied Powers, by Special Proclamation established the Tribunal for “the trial of those persons charged 

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individually or as members of organization or in both capacities with offences which include crines against peace.”  (Annex No. A−4)  The constitution, jurisdiction, and function of the Tribunal were by the Proclamation declared to be those set forth in the Charter of the Tribunal approved by the Supreme Commander on the same day.  Before the opening if the Trial the Charter was amended in several respects. (A copy of the Charter as anended will be found in Annex No. A−5).

 右の権能に基いて、連合国最高司令官マックアーサー元帥は1946 年 1 月19日に特別宣言書により、「平和に対する罪を含む犯罪に付き訴追せられたる個人又は団体員又は其の双方の資格に於ける人々の審理」のために本裁判所を設置した。(附属書A―4

)。この宣言書によつて、裁判所の構成、管轄及び任務は、同日最高司令官の承認を得た裁判所条例中に規定されたところによると宣言された。本裁判所の開始に先立つて、この条例は数箇の点で修正された。(修正された条例の写は附属書A―5にある。)

  On the 15th day of February, 1946, the Supreme Commander issued an Order appointing the nine members of the Tribunal nominated respectively by each of the Allied Powers.  This Order also provides that “the responsibilities, powers, and duties of the Members of the Tribunal are set forth in the Charter thereof…”

 1946年 2 月15日、最高司令官は各連合国からそれぞれ指名された 9 人の裁判官を任命する命令を発した。この命令もまた「裁判官の責任、権力及び任務は同裁判所条例中に規定せられあり……」と規定している。

  By one of the amendments to the Charter the maximum number of members was increased from nine to eleven to permit the appointment of members nominated by India and the Commonwealth of the Philippines.  By subsequent Orders the present member from the United States and France were appointed to succeed the original Appointees who resigned and the members from India and the Philippines were appointed.

 裁判所条例に加えられた修正の中の一により、インド及びフィリッピン国によって指名された裁判官を任命することができるようにするため、裁判官の人数の最大限は 9 名から11名に増加された。最初に任命されたアメリカ及びフランスの裁判官が辞任したので、その後任として、その後の命令によって現在の裁判官が任命され、またインド及びフィリッピンの裁判官が任命された。

  Pursuant to the provision of Article 9 (c) of the Charter each of the accused before the opening of 

                    48,420

the Trial appointed counsel of his own choise to represent him; each accused being represented by American and Japanese counsel.

 裁判所条例の第9条(ハ)の規定に従って、各被告は裁判の開始に先立ち、自己を代表する者として、みずから選んだ弁護人を使命した。かくて、各被告とも、アメリカ人弁護人と日本人弁護人によって代表されている。

  On the 29th of April, 1946, an indictment, which had previously been served on the accused in conformity with the rules of procedure adopted by the Tribunal, was lodged with the Tribunal.

 1946年 4 月29日、裁判所によって採用された手続規定に従って、あらかじめ被告に渡されていた起訴状が裁判所に提出された。

  The indictment (Annex No. A−6) is long, containing fifty-five counts charging twenty-eight accused with Crimes against Peace, Cinventional War Crimes, and Crimes against Humanity during the period from the 1st of 1928, to the 2nd of September, 1945.

 起訴状(附属書A―6)は、1928年 1 月 1 日から1945年 9 月 2 日までの期間中の平和に対する罪、通例の戦争犯罪及び人道に対する罪について、28名の被告を訴追する55の訴因を挙げた長文のものである。

                    48,421

  It may summarized as follows:

 それは次のように要約することができる。すなわち、

  In Count 1 all accused are charged with conspiring as leaders, organizers, instigaters, or accomplices between 1st January 1928 and 2nd September 19450 to have Japan, either alone or with other countries, wage wars of aggression against any country or countries which might oppose her purpose of securing military, naval, political economic domination of East Asia and of the Pacific and Indian oceans and their adjoining countries and neighbouring islands.

 訴因第1では、全被告について、1928年 1 月 1 日から1945年 9 月 2 日までの間に、東アジア、太平洋及びインド洋とこれに接壌する諸国及び隣接する諸島嶼とにおける軍事的、政治的及び経済的支配を獲得しようとする日本の目的に反対する国または国々に対して、日本をして単独または他の諸国とともに侵略戦争を行わせるために、指導者、組織者、教唆者または共犯者として共同謀議を行ったものとして訴追している。

  Count 2 charges all accused with conspiring throughput the same period to have Japan wage aggressive war ageinst China provinces of Liaoning, Kirin, Heilungkiang (Manchuria), and Jo.hol.”

 訴因第2は、全被告について、右と同じ期間を通じて、日本をして遼寧吉林黒龍江及び熱河の中国諸省(満州)の完全な支配を獲得するために、中国に対して侵略戦争を行わせる共同謀議を行ったものとして訴追している。

  Count 3 charges all accused with conspiracy over the same period to have Japan wage aggressive war ageinst China to secure complete dominatiin of China.

 訴因第3は、全被告について、右と同じ機関にわたって、日本をして中国の完全な支配を獲得するために、中国に対して侵略戦争を行わせる共同謀議を行ったものとして訴追している。

  Count 4 charges all accused with conspiring to have Japan, alone or with other countries, wage aggressive war against the United States, the British Commonwealth, France, the Netherlands, China, Portgal, Thailand, the Philippines and the Union of Soviet Socialist Republics to secure the complere domination of East Asia and Pacific and Indian Oceans and their 

                    48,422

adjoining countries and neighboring islands.

 訴因第4は、全被告について、東アジア、太平洋及びインド洋とこれに接壌する諸国及び隣接する諸島嶼とにおける完全な支配を獲得するために、日本をして単独または他の諸国とともに合衆国、全イギリス連邦、フランス、オランダ、中国、ポルトガル、タイ、フイリツピン及びソビエツト社会主義共和国連邦に対して、侵略戦争を行わせる共同謀議を行ったものとして訴追している。

  Count 5 charges all accused with conspiring with Germany and Italy mutually assist each other in aggressive warefare against any country which might oppose them for the purpose of having these three nations acquire complete domination of the entire world, each having special domination in its own sphere, Japan’s sphare to cover East Asia and the Pacific and Indian Oceans.

 訴因第5は、全被告について、日独伊がおのおのその勢力圏内において特別の支配権をもつとともに――日本の勢力圏は東アジアと印度洋にわたるものとして――これらの三国が全世界の完全な支配を取得するという目的に対して、いやしくもこれに反対するあらゆる国に対する侵略戦争において、右の三国が相互に援助するために、ドイツ及びイタリアと共同謀議を行ったものとして訴追している。

  Count 6 to 17 charge all accused except SHIRATORI with having planned and prepared aggressive war against named countries.

 訴因第6ないし第17は、全被告について、訴因中に名を挙げられた諸国に対する侵略戦争を計画し、準備したものとして訴追している。

 

 訴因第18ないし第26は、白鳥を除いた全被告について、訴因中に名を挙げられた諸国に対する侵略戦争を開始したものとして訴追している。

 

 訴因第27ないし第36は、全被告について訴因中に名を挙げられた諸国に対する侵略戦争を遂行したものとして訴追している。

 

 訴因第37は、被告中のある者について、1907年10月18日のヘーグ第三条約に違反して、合衆国、フイリツピン、全イギリス連邦、オランダ及びタイに対して不法な敵対行為を開始することにより、これらの諸国の軍隊の人員及び一般人を殺害する共同謀議を行ったものとして訴追している。

 

 訴因第38は、右と同じ被害について、1908年11月30日の合衆国と日本との協定、1921年12月13日のイギリス、フランス、合衆国、及び日本間の条約、1928年 8 月27日のパリー条約並びに1940年 6 月12日のタイ日本友好条約に違反して、敵対行為を開始することにより、軍人及び一般人を殺害する共同謀議を行ったものとして訴追している。

 

 訴因第39ないし第43は、右と同じ被告について、1941年12月 7 日及び 8 日に、真珠湾(訴因第39)、コタバル(訴因第40)、香港(訴因第41)、上海における米国軍艦ペトレル号上(訴因第42)、及びダバオ(訴因第43)において、殺害を行ったものとして訴追している。

 

 訴因第44は、全被告について、日本の権力内にある捕虜及び一般人を大規模に殺害する共同謀議を行ったものとして訴追している。

 

 訴因第45ないし第50は、被告中のあ

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る者について、南京(訴因第45)、広東(訴因第44)、漢口(訴因第47)、長沙(訴因第48)、衡陽(訴因第49)、及び桂林と柳州(訴因第50)において、武装を解除された軍人及び一般人を殺害したものとして訴追されている。

 

 訴因第51は、被告中のある者について、1939年ハルヒン・ゴール河地域で蒙古及びソビエット連邦の軍隊の人員を殺害したものとして訴追している。

 

 訴因第52は、被告中のある者について、1938年 7 月及び 8 月ハーサン湖地域でソビエツト連邦の軍隊の人員を殺害したものとして訴追している。

 

 訴因第53及び第54は、大川と白鳥を除いた全被告について、各作戦地の日本軍指揮官、陸軍省の職員、各地方の収容所及び労務班の職員に、起訴国の軍隊、捕虜及び一般人抑留者に対して戦争の法規及び慣例の違反行為を頻繁にまた常習的に行うことを命じ、授権し、または許可するために、また、日本政府をして戦争の法規慣例の遵守を確保し、その違反を防止するに適当な手段をとらせないために、共同謀議を行ったものとして訴追している。

 

 訴因第55は、右と同じ被告について、その官職によって戦争の法規慣例の遵守を確保し、その違反を防止するために適当な手段をとるべき法律上の義務を負っていたのに、これをすこしも顧慮しないで無視したものとして訴追している。

 

 起訴状には5箇の附属書がついている。すなわち、

 

 附属書Aは、訴因の基礎となっている主要な諸事項と出来事を要約している。

 

 附属書Bは、条約の条項の一覧表である。

 

 附属書Cは、日本が違反したといわれている誓約を明記している。

 

 附属書Dは、違反されたといわれている戦争の法規及び慣例を包含している。

 

 附属書Eは、被告の個人的責任といわれているものに関する諸事実の部分的な記述である。

 

 これらの附属書は、(この判決の)附属書A―6に包含されている。

 

 審理の途中で被告のうちの二人、すなわち松岡と永野は死亡し、大川被告は、審理を受けるに適せず、また自分を弁護することができないと宣告された。従って、松岡と永野は起訴状から削除された。大川に対しては、この裁判で、起訴状に基いて審理を続けることを中止された。

 

 5月3日と4日に、起訴状は公判廷において全被告の出席の上で朗読された。それから、裁判所は被告の申立を受けるために6日朝まで休廷した。6日には、現在本裁判所で審理されている全被告が「無罪」の申立をした。

 

 そこで、裁判所はその年の6月3日を検察側の証拠提出の開始の日と定めた。

 

 その間に、弁護側は、起訴状に含まれている基礎事実を審理し決定する本裁判所の管轄権を争う動議を提出した。1946年 5 月17日、弁論の後に、右の動議の一切を「追って示すべき理由に依って」却下するという判定が言渡された。これらの理由は、本判決のこの部の第2章で、本件に関する法を論ずるにあたって、これを与えることにする。

 

 検察側はその主張を1946年 6 月 3 日に始め、1947年1947年 1 月24日に終った。

 

 弁護側の証拠提出は、1947年 2 月24日に開始され、1948年 1 月12日に終了した。その間に、弁護人が全被告に共通な証拠を提出するについて、彼等の仕事を調整することができるように、1947年 6 月19日から 8 月 4 日まで、休廷が許された。

 

 検察側の反駁証拠と弁護側の回答証拠が許容され、証拠の受理は1948年 2 月10日に終った。総計して4,336通の法廷証が証拠として受理され、419人の証人が法廷で証言し、779人の証人が供述書と宣誓口供書によって証言し、審理の(英文)記録は48,412頁に及んでいる。

 

 検察側の最終論告と弁護側の最終弁論は1948年 2 月11日に始まり、同年 4 月16日に終った。

 

 「争点の迅速なる取調」と「不当に審理を遅延せしむるが如き行為を防止する為め厳重なる手段」をとることを要求している裁判所条例第12条にかんがみ、この裁判に要した期間については、いささか説明と注釈を必要とする。

 

 提出される前に準備することのできる証拠や陳述やその他の事項を、そのときに、途中でさえぎって通訳するという普通の通訳方法を採用したならば、不必要な遅延が引き起こされたであろうが、それを避けるために、精巧な発言聴取装置(パブリック・アドレス・システム)が備えつけられた。この装置によって、できる限り、英語または日本語への同時通訳が行われた。これに加えて、必要な場合には、中国語、ロシア語及びフランス語からの、またはこれらの国語への、同時通訳が行われた。このような便宜がなかったならば、裁判はもっと遥かに長い期間にわたっていたことであろう。しかし、反対尋問や、異議についての即席の議論や、其の他の偶然的な発言は、その進行につれて、普通の方法で、通訳しなければならなかった。

 

 裁判所条例の第13条(イ)は「本裁判所は証拠に関する専門技術的規則に拘束せらるることなし。本裁判所は……本裁判所に於て証明力ありと認むる如何なる証拠をも受理するものとす……」と規定している。提出された大量の文書と口頭証拠にこの規則を適用したために、必然的に非常な時間を費やす結果になった。その上に、起訴状の中の起訴事実からして、直接に、1928年から1945年に至る17年間の日本の歴史の調査が必要となった。それに加えて、われわれの調査は、それほど詳細にではないが、それ以前の日本の歴史の研究にも及んだ。なぜならば、この研究をしなければ、日本とその指導部とのその後の行動を理解し、評価することができなかったからである。

 

 起訴事実に包括されている期間は、日本の内政と外交において、強度な活動の行われた期間であった。

 

 国内的には、明治維新の時代に発布された憲法が、これを運営した軍人と文民との間で、重大な闘争の主題となっていた。結局には軍部が優位を獲得し、それによって、かれらは和戦の問題ばかりでなく、外交と内政の進行についても、これを左右することができるようになった。政府部内における文官側と軍部の闘争において、議会(選挙された国民の代表者)は早くから重要ではなくなった。文民と軍部の争いは、文民の側では、職業的文官によって戦われたのであるが、これらの文官は、ほとんどもっぱら内閣の中の文官大臣の地位や天皇の周囲の輔弼の地位を占めていたものである。軍人と文官の間の闘争は、長い期間に、わたるものであった。多くの事件がこの争いの消長を示しているが、どの事件についても、検察側と弁護側の間で、意見の一致したことは稀であった。各事件の事実も意義も、ともに論争の種であり、それに向って多量の証拠が提出される論題

であった。

 

 国内的には、さらに、起訴状に言及されている期間は、日本が近代的工業国家への転換を完成した時期である。また、日本の急速に増加する人工のはけ口として、日本の工場のために原料を手に入れることのできる供給源として、日本の製品に対する市場として、他の諸国の国土に対する要求が増大した時期である。対外的には、この期間中に、右の要求を満たそうとする日本の努力が行われた。この分野でも、諸事件の発生や意義について、弁護側はこれを争った。しかも、しばしば、争う余地がないように思われることまで争うというほどであった。

 

 25人の被告がこれらの事件で演じた役

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割を調査しなければならなかったが、この点でも、一歩一歩困難と戦って進んだのであった。

 

 裁判所に提出された争点に関連する時間と場所との広汎な範囲と、重要であってもなくても、各事件について一々行われた論争とのために、裁判所条例の要求したように、「迅速」に裁判が進むわけに行かなかった。その上に、法廷で話される言葉が、いちいち、英語から日本語に、英語から日本語に、またはその反対に、通訳する必要があったので、審理は少なくとも二倍の長さになった。日本語と英語の間の翻訳では、西洋の一つの国語を西洋の他の国語に飜訳するときのような速さと確実さをもって、飜訳を行うことができない。日本語から英語に、またはその反対に、逐語的に飜訳するのは、不可能なことが多い。大部分はただ意訳ができるにすぎない。しかも、両国語の專門家の間で、正しい意訳について、しばしば意見を異にすることがある。その結果として、法廷の通訳者たちの間に、たびたぴ、どう訳してらよいかについて困難を生じた。そこで、通訳に関する争いの問題を解決するために、裁判所は言語裁定部を設けなければならなかった。

 

 これらの遅延に加えて、検察官や証人は、冗長であったり、関連性を欠いたりする傾向があった。この傾向を抑制することは、最初はなかやか困難であった。というのは、多くの場合に、念が入り過ぎたり、関連性のない質問や答弁が日本語で行われて、裁判所が英語の飜訳を聞き、それに対する異議の申立てができるようになったときには、すでに弊害が生じたあとであり、無用の時間が空費されていたからである。ついには、この時間の空費を防ぐために、特別な規則を実施することが必要になった。
 この目的のための主要な規則は、予定された証人の供述書をあらかじめ提出しておくことと、反対訊問を主訊問における証拠の範囲内の事項に限ることであった。

 裁判所によって課せられた規則は、これらの規則にせよ、その他のどの規則にせよ、厳格に適用され

 

 

↑A級極東国際軍事裁判速記録(英文)・昭和23.11.4(第48413~48674わ頁) https://t.co/59ubKOrlZj 4/273

↑A級極東国際軍事裁判速記録(和文)・昭和23.11.4~昭和23.11.12(判決) https://t.co/KKtuak12wp 8/135