Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

内務省警保局編『公娼と私娼 昭和六年二月』より 21. 娼妓の自由廃業 1931.2

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二〇 娼妓と出身地

 昭和五年六月末現在娼妓五万三百五十五人の出身地を調べてみる。長﨑縣の三千四百三人が最高であつて、海外出稼の醜業婦の多いことを以て名を知られて居ると同時に、國内に於ても娼妓の有数の産地であつて、實に全国娼妓数の六分九厘を占めて居る。福岡縣の三千百七十人の六分三厘。熊本縣の二千九百六十七人の五分九厘。此の熊本縣も長﨑縣と同一の意味に於て記憶して置きたい。山形縣二千三百四十九人で四分六厘、東京府の二千二十六人の四分といふ順序である。少いのは福井県の百七十九人全数の五厘、外に樺太の十五人がある――樺太出身といっても樺太土着の民ではない――。

 實家に近い所で娼妓稼をすることは、一面に於ては便宜があるが、他面に於ては親族知己に對する手前もあり、また、そんな狭い

 

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                    p.261
  二一 娼妓の自由廢業

 娼妓となるには、一時に纏まつた金が欲しいからである。所謂前借をする代りに、貸主たる貸座敷業者の下に寄寓して娼妓稼業をする。法制のたてまえからいへば、金銭の消費貸借と娼妓稼業とは別個の問題ではあるものの、事實上に於ては遺憾ながら必ずしも否らずといはざるを得ない。娼妓たらんとする子女の父兄には信用もなければ、債權の担保に供すべき財産もない、斯かる者を相手に多額の金を貸すのであるから、貸方に於ても借方に於ても、其の子女は娼妓稼に因る所得が債務の弁濟に充てられる關係上、自然子女の者が担保物件なるが如く解せられないものではない。前借制の桎梏の下に稼業する藝妓、酌婦其の他私娼等何れもさうである。

 

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                    p.262

 民法では其の第九十條によつて、債権を確保するが爲に人の自由を拘束するが如き契約を爲したならば、公助良俗に反するものとして無效として居るし、娼妓取締規則に於ても亦第六條で娼妓名簿の削除申請については何人と雖之を妨害することを禁じて居る。だが、事實に於て前借金未済にして娼妓稼業を廃めやうとすれば、債權者たる抱主は直接間接に、之を妨げやうとして陋劣なる手段を弄する者がないでもない。

 明治三十三年娼妓取締規則を制定した當時、内務大臣は地方長官に訓令を發し「娼妓稼ノ廃止ハ各自ノ自由ニ属スルヲ以テ名簿ノ削除ヲ申請スル者アルトキハ娼妓取締規則第五條ノ手續ニ違ハサル限リ総テ之ヲ受理スヘシ而シテ一旦受理シタル上ハ同上[ママ]末項ニ依リ直ニ名簿ヲ削除スヘシ」と示して居る。其の後屡々訓示もすれば通牒

 

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                    p.263

發して、債務の弁濟を終らざるの故を以て、楼主が娼妓稼業の廃止を妨げることねないやうに努力して居る。従つて其の弊害は餘程少くなつて来た。

 債權者たる貸座敷業者が、稼業契約書を楯にとつて、債務を完済せざる娼妓が廃業せんとするに對し同意を與へざる場合、娼妓が之を顧みずして廃業することを自由廃業と唱へられて居る。

 所謂自由廃業、これは娼妓の獨力でする場合は殆ど稀である。樓主側の債務不履行に對する強硬なる交渉、父兄達の楼主から一時に債務の履行を迫られて苦し紛れの口説、これを押し切つていくことは無知な而も弱い娼妓自らの力のみでは迚も出來がたい。

 自由廃業に力を添へる人々は、正義人道の爲といふ眞に敬虔な心を持つて居るもののみとは限らない。食はんが爲の賣名的婦人解放

 

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                    p.264

運動者、楼主側を恐喝して金を得んが爲に、或は自由廃業を爲さしめて之を再び他に賣らんが爲にする無頼の輩等のあつたことも稀ではない。之等の介在せる自由廃業は、娼妓の自由意思の現はれて居ないものがある。かうした場合に於ては、其の眞相を究明し、娼妓を保護するが爲に警察側で手古擦る。不良な介在者は俗耳に入りやすい「警察官憲の樓主擁護、自由廃業の彈壓」等聲を大にして叫ぶ、警察の立場も苦しい。

 最近五年間に於いて自由廃業を爲した娼妓の数、大正十四年百二十八人、大正十五年及昭和元年二百四十九人、昭和二年百八十六人、昭和三年百五十八人、昭和四年百五十六人、合計で五年間八百七十七人である。其の総数に對する各年の百分比は、大正十五年及昭和元年の二十八、昭和二年の二十一、昭和三年同四年の各十八、大

 

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                    p.265

正十四年の十五といふ順位になつて居る。

 各年をつうじて道府県別にみれば、大正十五年及昭和元年中に於て神奈川縣及大阪府の各二十二人が最も多く、同年中の香川縣に於ける二十七人之に亜ぎ、翌昭和二年中の神奈川県立縣及香川縣にの各二十一人、昭和四年中の東京府の二十人等が何れも多い分であつて、五年間を通じ最も多く出したものとしては香川県に指を屈しなければならない。其の数九十二人、自由廃業者総数の一〇·五%に當つて居る。第二位は大阪府の八十五人(九·七%) 第三位は神奈川縣の七十九人(九%) 第四位は東京府の六十四人(七·三%) である。五年間自由廃業者をださなかつたのは、京都、愛知、鳥取、島根、愛媛、熊本、鹿児島の七府縣である。

 自由廃業の風は其の廓内に伝播すると斯の道の人々にいはれて居

 

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p.266
るが、統計が確に此の説を裏書してゐる。娼妓の数にも比例しないし、娼妓に對する待遇の優劣も反映しないし、また地方文化の程度も之に影響しない。要するに過去に於て自由廃業者の多かつた地は、將來に於て同亦一傾向を辿ることになる。

 大正十四年は自由廃業者百二十八人に過ぎなかつたものが、翌年の大正十五年及昭和元年には、一躍倍加して、二百八十六人に達したのは、何が故であらう。

 大正十五年は内務省に於て公娼制度の改善を目論んだ年である。内務省當局が公娼廃止の意圖ありとの憶測を流布せられた、廃娼運動も起つた、一般も公娼制度に相當の関心を持つやうになつた、斯くて廃娼論は急に頭を抱える擡げて來た。此の「勢ひ」が自由廃業の数にまで反響を及ぼして來たものと見ざるを得ない。

 

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p.267
昭和三年以降は数の上では逓減しつつあるが、実際は必ずしもさうであるとは断定出來ない。といふのは、廃業したい強い希望を持つて居る娼妓は、樓主の承認の有無に拘はらず決行する。承諾を與へないことが結果には影響を與へないのみならず、自由廃業の行はれたことが、一般に宣傳せられ、現に稼業に就いて居る娼妓達には望ましい印象を與へず、社會も例外なく貸座敷業者に不利な批評を下す、だから、かうした場合に於ては、密かに前借金を棒引きして廃業をせしむるの手段を採るの傾向が生じて來たことである。自由廃業に對する抱主側の新しき消極的戰術ともいへやう。

 

↑分割1 https://www.jacar.archives.go.jp/das/meta/B04122145400 JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B04122145400、国際連盟婦人児童問題一件/東洋ニ於ケル婦女売買実施調査ノ件 第六巻(外務省外交史料館 B-9-10-0-1_1_006)

↑公娼と私娼 https://www.jacar.archives.go.jp/das/meta/A05020127200 JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A05020127200、種村氏警察参考資料第17集(国立公文書館 平9警察00702100)

上の二件は p. 60 から p. 63 (原頁) か欠落している。全頁が揃っているのは下の国会図書館蔵の冊子である。

内務省警保局 編『公娼と私娼』,内務省警保局,1931.2. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1454977 (参照 2023-10-10)