第二編 各警察署の活動
第五十七章 亀戸警察署
署長警視 古森繁高
第六、流言及び自警団の取締
九月二十日午後七時頃、朝鮮人数百名管内に侵入して強盗・強姦・殺戮等暴行至らざる所なしとの流言行はるると同時に、小松川方面に於て警鐘を乱打して非常を報ずるあり、事変の発生せるものの如くなれば、古森署長は軍隊の援助を求むると共に、署員を二分し、一隊をして平井方面へ出動せしめ、躬ら他の一隊を率ゐて吾嬬町方面に向ひしに、多宮ケ原に避難せる凡二万の民衆は流言に驚きて悉く結束し鮮人を索むるに余念なく、闘争・殺傷所在に行はれて騒擾の衢と化したれども、遂に鮮人暴行の形跡を認めず、即ち附近を物色して鮮人二百五十名を収容して之を調査するに亦得る所なし、而して民衆の行動は次第に過激となり、警察官及び軍人に対してまで誰何訊問を試み、又は暴挙に出でんとせり。然るに鮮人暴行の説が流言に過ぎざること漸く明かとなりたれば同三日以来其旨を一般民衆に宣伝せしも肯定せる者なく、自警団の狂暴は更に甚しく鮮人の保護収容に従事せる一巡査に瀕死の重傷を負はしめ、又砂村の自警団員中の数名の如きは、良民に対して迫害を加へたる際、巡査の制止せるを憤り之を傷けしかば、直に逮捕したるに、署内の留置場に於て喧騒を極め、更に鎮撫の軍隊にも反抗して刺殺せられたり。是に於て本
署は各自警団の幹部を招集して厳戒を加へ、且戎・凶器の携帯を厳禁するに及び、稍々一般民衆の反省を促すを得たれども、震火災以来人心動揺の虚に乗じ、或は暴行を敢てし、或は不穏の挙に出づるものなきにあらず、亀戸町柳島新地の某は平素より十余名の乾児を養ひしが、是日凶器を携へて徘徊せるを以て、本署巡査の之を制止するや、直に抜刀して斬付しかば、同巡査も亦已むを得ず正当防衛の手段として之を刺殺せり。且流言蜚語を放ちて人心を攪乱し、革命歌を高唱して不穏の行動ありしが為に、九月三日検束せる共産主義者数名も是日留置場に於て騒擾し、鎮撫の軍隊に殺されたるが如き、以て当時管内に於ける情勢を察するに足らん。而して物情漸く鎮定するを待ちて自警団の犯罪捜査に従事し、十月一日以来其検挙に着手せり。
↑警視庁 編『大正大震火災誌』1955年 7月31日発行 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1748933