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『従軍慰安婦問題の経緯ー河野談話をめぐる動きを中心にー』より Ⅰ 河野談話までの経緯とアジア女性基金の設立(1990~1995年) 2013. 9

レファレンス 平成25年9月号

従軍慰安婦問題の経緯

河野談話をめぐる動きを中心にー

国立国会図書館 調査及び立法考査局 外交防衛課 山本 健太郎

より

Ⅰ  河野談話までの経緯とアジア女性基金の設立(1990~1995年)

1 慰安婦問題の浮上

 慰安婦問題が浮上するのは1990年以降である(3)。当時は海部俊樹内閣(1989年 8月~1991年11月)であった。1990年5月、韓国の盧泰愚大統領が訪日することになった。これに対し、韓国国内では反対論が高まった。このとき、日本の戦争責任、戦後処理問題が浮上することになった(4)。

 こうした状況のなか、大統領の訪日に先立つ 5月18日、韓国女性団体連合などが、「盧泰愚大統領の訪日及び挺身隊に対する女性界の立場」と題する共同声明を発表し、日本政府に真相究明と謝罪、補償を求めた(5)。これが、韓国による初めての問題提起とされている。なお、韓国では「挺身隊」という言葉が「慰安婦」の意味で使われることがある(6)。

 一方、日本でも、1990年 6月 6日に、日本社会党本岡昭次参議院議員が、慰安婦問題について国会で質問する(7)など、1990年以降、国会で何度か取り上げられた(8)。

 そして1990年11月に韓国で、元慰安婦を支援する挺身隊問題対策協議会(挺対協)が結成され、慰安婦問題に対する運動が本格化していくこととなる。1991年 8月には、元慰安婦の金学順氏が実名を出して証言した(9)。12月 6日に元慰安婦らは、日本政府に謝罪と補償を求め、東京地方裁判所に提訴した(10)。

 これに対し、宮澤喜一内閣(1991年11月~1993 年 8月)の加藤紘一内閣官房長官は「日本政府が関与した資料はなく今のところ政府が対処するのは困難」と述べた(11)。しかし、10日、韓国外務部が駐韓日本大使館の川島純公使を呼び、日本に真相究明を求める(12)と、日本政府は11日、慰安婦問題について調査することを表明した(13)。

(3) この間の日韓間の動きについては、以下も参照。木村幹「日韓歴史認識問題にどう向き合うか~」『究―ミネルヴァ通信』22号~, 2013.1~(連載中);「慰安婦問題という名の泥沼」『Newsweek』1352号, 2013.6.11, pp.24-28. なお、1990年代以前にも、以下の図書の出版などにより、慰安婦が注目されたことがあった。千田夏光従軍慰安婦―“声なき女”八万人の告発』双葉社,1973;吉田清治『私の戦争犯罪朝鮮人強制連行』三一書房,1983.

(4) 山下英愛「韓国における従軍慰安婦問題へのとりくみ」『婦人新報』1086号,1991.3,p.23.

(5) この間の経緯については、以下を参照。同上, pp.22-25; 鈴木裕子「『挺身隊』(朝鮮人従軍慰安婦)問題をめぐる最近の韓国女性界の動き」『未来』287号, 1990.8, pp.10-15; 金英姫「『慰安婦』問題―韓国政府変化の経緯」『月刊状況と主体』254号, 1997.2, pp.40-49.

(6) 山下 同上,p.22.

(7) 第118回国会参議院予算委員会会議録第19号 平成2年6月6日 p.6.

(8)  伊東秀子「誠意ある調査と補償を一刻も早く―従軍慰安婦問題・政府追及の経過」『月刊社会党』448号, 1992.12, pp.57-62; 早川勝「国会での取り組みの進展と今後の課題―『社会党戦後補償対策特別委員会』3年間の活動を中心に」『月刊社会党』461号,1993.12, pp.45-46.

(9) 「問う、日本の加害 忘れ去られた『過去』  終戦 8·15」『朝日新聞』(大阪)1991.8.15, 夕刊.

(10) 「『日本は1人に2千万円払え』“強制動員”で集団提訴 元従軍慰安婦ら35人」『毎日新聞』1991.12.6,夕刊.

(11) 「慰安婦問題の官房長官発言、韓国で反発」『日本経済新聞』1991.12.7, 夕刊.

(12) 「従軍慰安婦 真相究明を要求 韓国政府が公使に申し入れ」『読売新聞』1991.12.11.

(13) 「韓国の従軍慰安婦問題 資料収集に全力/加藤官房長官」『読売新聞』1991.12.12.

2 宮澤首相の訪韓と加藤談話

 こうしたなか、1992年1月11日、朝日新聞は、防衛庁防衛研究所図書館に、軍が慰安所の設置や慰安婦の募集を監督、統制していたことを示す史料が見つかったとの報道を行った(14)。この報道は反響を呼び、日本政府は対応を迫られることになった(15)。おりしも宮澤首相の訪韓直前であった。

 まず、13日に加藤官房長官が談話を発表し、「発見された資料や関係者の証言、米軍等の資料を見ると、従軍慰安婦の募集や慰安所の経営等に旧日本軍が何らかの形で関与していたことは否定できない」として謝罪した(16)。日本政府が軍の関与を認め、謝罪したのは初めてのことであった。

 そして、訪韓した宮澤首相は、17日、盧泰愚大統領との首脳会談で謝罪し、その後の記者会見や国会での演説でも謝罪の言葉を述べ従軍慰安婦問題の経緯た(17)。

 その後、7月6日に、日本政府は慰安婦問題の調査結果を発表し(18)、加藤官房長官慰安婦について軍の関与を認め謝罪する内容の談話を発表した(19)。

 しかし、政府の関与は認めたものの、強制連行については認めなかった(20)。一方、韓国政府は7月31日に独自の報告書を発表し、事実上の強制連行があったとした(21)。このように、強制の有無について日韓で差異が生じた。そのため、韓国の対日批判は収まらず、日本政府は調査を継続した(22)。その際、強制を裏付ける資料がなかったため、日本政府は対応に苦慮し、元慰安婦からの聞き取り調査が検討された(23)。

(14) 「慰安所への軍関与示す資料 防衛庁図書館に旧日本軍の通達・日誌」『朝日新聞』1992.1.11.

(15) 秦郁彦慰安婦と戦場の性』(新潮選書)新潮社,1999,pp.11-14.

(16) 「政府が正式謝罪 宮沢首相訪韓時に表明 慰安婦問題」『朝日新聞』1992.1.14.

(17) 「慰安婦問題で公式謝罪  宮沢首相、日韓首脳会談で表明」『朝日新聞』1992.1.17, 夕刊;「宮澤内閣総理大臣大韓民国訪問における政策演説」外務省『外交青書』平成4年版,pp.383-388. http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1992/h04-shiryou-2.htm#b2

(18)  内閣官房内閣外政審議室「朝鮮半島出身のいわゆる従軍慰安婦問題について」1992.7.6. この文書は以下の資料に収録されている。女性のためのアジア平和国民基金編『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成  1』龍溪書舎, 1997, pp.7-10. デジタル記念館慰安婦問題とアジア女性基金ウェブサイト https://www.awf.or.jp/6/document.html

https://www.awf.or.jp/pdf/0051_1.pdf

(19) 「朝鮮半島出身者のいわゆる従軍慰安婦問題に関する加藤内閣官房長官発表」1992.7.6. 外務省ウェブサイト https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kato.html

(20) 「『従軍慰安婦』に政府関与認める 強制連行は否定 調査結果を公表」『朝日新聞』1992.7.7.

(21) 「従軍慰安婦『事実上の強制連行』  日本政府発表に反論―韓国政府、中間報告」『毎日新聞』1992.7.31,夕刊.

(22) 「従軍慰安婦問題 具体化せぬ謝罪措置  『強制』の有無で日韓にズレ」『朝日新聞』1993.3.3.

(23) 「韓国人慰安婦問題 対応に政府苦慮  『強制』裏付けられず聞き取り調査検討も」『読売新聞』1993.3.4.

3 聞き取り調査と河野談話

1993年3月23日には河野洋平官房長官(24)が、国会で、聞き取り調査について「文書を探す調査だけでは十分でないという部分もございますから、関係された方々のお話もお聞きをするということを考えております」との答弁を行った(25)。

 そして、7月26日から30日の5日間、日本政府はソウルにて、韓国の遺族会の元慰安婦16人から、聞き取り調査を行った(26)。

 8月 4日、政府は調査結果を発表し(27)、その際、河野官房長官は、それまで認めていなかった慰安婦の強制性を認め謝罪する談話を発表した(28)。これが「河野談話」である。

 河野談話では、「慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった」「その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」と記述された。

 なお、聞き取り調査から河野談話の発表までわずかな期間しかなかったことについて、政治決着を急ごうとしたとの指摘がみられた(29)。

 こうした背景には、当時の政治状況がある。慰安婦問題に関する動きが本格化し、河野談話で日本政府が慰安婦の強制性を認めるまでの時期は、宮澤内閣の時期と一致する。宮澤内閣は1991年11月に発足するが、その直後の12月に元慰安婦らによる訴訟が提起された。1993年 6月には、宮澤内閣不信任決議案が、自由民主党の一部の賛成により可決され、衆議院が解散された。7月の総選挙で、自民党過半数を確保することができず、8月には細川護煕氏を首相とする非自民連立政権が発足した。聞き取り調査が開始された 7月26日は、非自民連立政権の発足に向けた動きが活発化していた時期であり、河野談話が出された 8月 4日は、宮澤内閣総辞職の前日であった。こうした状況下、政権交代の前に懸案である慰安婦問題を処理しておきたいという焦りがあったのではないかと指摘されている(30)。

(24) 1992年12 月に内閣改造が行われ、加藤氏から交代していた。

(25) 第126回国会参議院予算委員会会議録第 7号 平成 5年 3月23日 pp.4-5.

(26) 「[記者の目]従軍慰安婦調査 初めて『強制』認めたが…『過去の真実』息長い発掘を」『毎日新聞』1993.8.5.

(27) 内閣官房内閣外政審議室「いわゆる従軍慰安婦問題について」1993.8.4. 外務省ウェブサイト http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/pdfs/im_050804.pdf

(28) 「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」1993.8.4. 外務省ウェブサイト http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html

(29) 『毎日新聞』前掲注(26)

(30) 秦 前掲注⒂, p.257.

4 アジア女性基金の設立と国際社会の動き

 なお、河野談話では「お詫びと反省の気持ちを(中略)我が国としてどのように表すかということについては、(中略)今後とも真剣に検討すべきものと考える」として、何らかの措置をとることを示唆していた。前述したように宮澤内閣は1993年 8月に総辞職し、細川内閣(1993年 8月~1994年4月)、羽田孜内閣(1994年4月~6月)を経て、村山富市内閣(1994年6月~1996年 1月)が発足した。1994年 8月31日、村山首相は、「平和友好交流計画」に関する談話を出し(31)、改めて「お詫びと反省の気持ち」を示した。これを受け、民間募金によって元慰安婦へ「見舞金」を贈る構想が検討され、1995 年7月19日、財団法人「女性のためのアジア平和国民基金」(アジア女性基金)が設立された(32)。同基金は、フィリピン、韓国、台湾、インドネシア、オランダの元慰安婦に対する償いの事業を行うことを目的とするものであった。先の大戦に係る賠償や財産、請求権の問題は法的に解決済みというのが日本政府の立場(33)なので、政府による個人補償は否定した上で、民間の基金による「償い金」を支給することとなったのである(34)。政府は、同基金の運営経費の全額を負担し、募金活動に全面的に協力した。「償い金」の支給に際しては、歴代首相が「お詫びと反省」の気持ちを表す手紙を届けた(35)。

 また、この間、国際社会でも慰安婦問題についての関心が高まっていた。1996年2月には国連人権委員会の「女性に対する暴力特別報告官」の報告書(通称「クマラスワミ報告」)が出された。これは慰安婦への国家としての補償と加害者の処罰などを勧告するものであった(36)。

(31) 「『平和友好交流計画』に関する村山内閣総理大臣の談話」1994.8.31. 外務省ウェブサイト http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/murayama.html

(32) 外務省ウェブサイト 前掲注⑵

⑵  慰安婦問題の経緯がまとめられた資料としては以下がある。小針進「第3期を迎えた日韓間の『慰安婦』問題をどう考えるべきか」『国際情勢―紀要』82号, 2012.2, pp.1-13;「基礎からわかる『慰安婦問題』」『読売新聞』2007.3.27;「慰安婦問題詳細年表」『Will』増刊, 2007.8, pp.116-133. また、政府の施策については以下がまとまっている。「慰安婦問題に対する日本政府のこれまでの施策」2011.8. 外務省ウェブサイト http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/ianfu.html 以下、本稿の注におけるインターネット情報の最終アクセス日は、2013年 8月13日である。

(33) 「外務省:歴史問題Q&A問5.『従軍慰安婦問題』に対して、日本政府はどのように考えていますか。」外務省ウェブサイトhttp://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/qa/05.html

(34) ただし、韓国の元慰安婦の多くは、日本政府による補償を求め、償い金の受け取りを拒否した。同基金は2007年3月に解散した。「元慰安婦支援、壁も残し アジア女性基金、今月末解散」『朝日新聞』2007.3.25.

(35) 外務省ウェブサイト 前掲注⑵

(36) 「元従軍慰安婦に補償を 加害者処罰も勧告 国連人権委報告官」『朝日新聞』1996.2.6,夕刊.

 

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/8301279?tocOpened=1

https://dl.ndl.go.jp/view/prepareDownload?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F8301279&contentNo=1