Obladi Oblako 資料室

帝国日本の専制と侵略戦争、植民地支配について知り、考えるための文書資料

松井石根『戦陣日誌』から(新漢字ひらがな表記) 1937.11.1~1938.2

昭和12年

   11月1日

《周宅に軍司令部移転》

 昨夜来、雨なりしも、今朝以来、漸次霽[は]る。
 午後1時、楊家宅司令所出発。新に大場鎮南方約2キロの周宅に移る。

《新司令部は上海市政府公立の助産教育学校および児童健康部にて、さきの呉淞水産学校はともに常に「産」に縁あるは端徴といふべし》

1.第9師団は朝来渡河を決行し、その右翼方面において、遠く上流屈曲点付近において漕渡により成功し、姚家宅、張家宅付近に向かひ、歩兵約3大隊をもつて地歩を獲得するを得たるも、左翼隊方面においては渡船、潮流に妨げられ、敵火の損害と相俟つてつひに中途に挫折す。

2.第3師団は右翼隊方面において歩兵3大隊注入し、漸次戦果を拡大しつつあるも、左翼方向の渡河はつひに断念のやむなき状勢にあり。

3.この日、飛行機の報告により、蘇州河対岸の敵軍退却の報あり。あるいは敵は上海放棄に決したるにあらずやとも考へらるるにより、第101師団をして蘇州河突破、およびその後における南市封鎖を準備せしむるとともに、新たに架橋材料1中隊を配属す。

4.右翼方面第13、第11師団変化なし。

 この日、方面軍幕僚を会し、派遣軍幕僚とともに方面軍今後の作戦指導方針につき研究す。大要、既往研究の範囲を出でざるも、第10軍の作戦方針は今後の情勢において多少とも変更せしむるの必要あるも、情勢未明なれば確定せず。

 しばらく第10軍司令官の注意を喚起せしむる程度に止むることとし、なほ研方針の決定も今後の情勢に応じ定むることとす。

 

昭和十二年

  十一月一日

《周宅ニ/軍司令部/移轉》

昨夜来 雨ナリシモ今朝以来 漸次 霽ル

午後一時 楊家宅司令所出発 新ニ大場

鎮南方約二吉ノ周宅ニ移ル

《新司令部ハ/上海市政府/公立ノ助産敎育/

 学校 及 児童/健康部ニテ/曩ノ呉淞/水産学校ハ/

 共ニ常ニ/「產」ニ緣/アルハ端徴/ト云フ可シ》

一、㐧九師団ハ朝来 渡河ヲ決行シ 其右翼方面

  ニ於テ 遠ク上流屈曲点附近ニ於テ漕渡ニ

  ヨリ成功シ 姚家宅、張家宅付近ニ向ヒ 歩兵

  約三大隊ヲ以テ地歩ヲ獲得スルヲ得タルモ 左

  翼隊方面ニ於テハ渡船 潮流ニ妨ケラレ

  敵火ノ損害ト相俟テ 遂ニ中途ニ挫折ス

ニ、㐧三師団ハ右翼隊方面ニ於テ歩兵三大隊

  注入シ 漸次 戦果ヲ拡大シツヽアルモ 左翼

  方向ノ渡河ハ遂ニ断念ノ已ムナキ状㔟

  ニ在リ

  此日 飛行機ノ報告ニ依リ 蘓州河対岸ノ敵軍

  退却ノ報アリ 或ハ敵ハ上海放棄ニ決シタ

  ルニ非スヤトモ考ヘラルヽニ依リ 㐧百一師団ヲシテ

  蘓州河突破 及 其後ニ於ケル南市封鎖ヲ

  準備セシムルト共ニ 新ニ架橋材料一中隊ヲ配属
  ス

四、右翼方面 㐧十三、㐧十一師団 変化ナシ

  此日 方面軍幕僚ヲ會シ 派遣軍幕僚ト共ニ

  方面軍今後ノ作戦指導方針ニ付 研究

  ス 大要 既往研究ノ範囲ヲ出テサルモ 㐧十軍

  ノ作戦方針ハ 今後ノ情㔟ニ於テ多少共 変更

  セシムルノ必要アルモ 情㔟未明ナレバ確定セス

  暫ク㐧十軍司令官ノ注意ヲ喚起セシムル程度ニ

  止ムルコトトシ 尚 研方針ノ決定モ今後ノ情

  㔟ニ応シ定ムルコトトス
 

 

   11月21日  曇小雨

 連日の悪天候のため両軍とも戦線の行動すこぶる困難を極め、後方補給の停滞と相俟つて一般に戦況の進捗せざるはやむを得ざるところなり。

 しかれども第10軍の湖州占領部隊は鋭意前進を継続し、この夕、その先頭をもつてすでに湖州当方10余キロの地に進出し、これに後続する第114師団も主力をもつて南潯鎮付近に達したるごとし。

 派遣軍諸師団の状況は不明。

 この日、予は原田少将をして協同租界局および仏国租界当局に対し左の要求をなさしむ。

1.軍は租界当局が租界内における拝日·侮日および共産主義の諸策動に対し充分なる取締りを行ふことを要求す。

2.当局の処置にして我が軍の意に満たざるものあるときは、軍は作戦の要求上、所要の措置を執ることあるべし。

 右に関し協同租界当局は大要、予の要求を容れ、機宜の措置を執るべきを約し、仏国租界当局(仏国総領事)の態度は明瞭ならず、保留的回答をなしたるも、ある程度は軍の要求に遵ふのやむなきを自覚しあるごとし。

 よつて仏国租界に対してはさらに我が大使館より仏国大使に軍の希望を告げ、機宜の措置を講ぜしむることとせり。

 なほ岡本総領事をして協同租界に対し、前記要求に関し具体的に諸問題を協議せしむることとせり。

 

    11月22日  晴

 10日振りに好天を拝し気宇晴朗、譬ふるに物なし。あたかもこの日、一昨20日下賜せられたる勅語写しを飛行便によりて携へ来たるあり、午後5時、方面軍司令部員一同を会して厳粛なる捧読式を行ひ、なほこれに対する予の奉答文を披露す。感慨胸に迫り、筆舌をもつて到底予の、皆の感情を露す能はず。勅語を捧読し、聖慮、戦死傷者に及ぶの御語に至りて、予はつひに涕泣、声なく、これを捧読する能はざりしは、老の身の少なからず感傷的に陥りし感なきにはあらざれど、また予の胸が何としても包み得ざる至誠赤心の発露なり。聞く司令部員、いかにこれを感得せしやを知らず。

 両軍戦況、大なる変化なし。漸次無錫、湖州に肉薄しあるも、未だこれを奪取するに至らず。

 両軍の補給は連日の追撃前進に伴はず、やむなく飛行機をもつて空中より糧食、弾薬を投下し、 その急を救ふの状なりしが、今日の晴天も御蔭し、今後逐日その状勢を回復することを得ん。

《軍司令官の意見具申》

 この日、軍今後の作戦に関する予の意見を参謀総長に具申す。その要領、すでに先日参謀本部陸軍省の派遣員に述べたるところのものに同じ。要は速やかに軍容を整へ、12月中旬以降、南京に向かふ攻撃を開始せんとするに在りて、遅くも2ヶ月以内にその目的を達成し得るの見込みなることを付言せり。

 

  十一月二十二日

十日振ニ好天ヲ拜シ氣宇晴朗

譬フルニ物ナシ 恰モ此日 一昨二十日

下賜セラレタル勅語写ヲ飛行便ニヨリ

テ携来ルアリ 午後五時 方面軍司令

部員一同ヲ會シテ厳粛ナル捧讀式

ヲ行ヒ 尚 之ニ對スル予ノ奉答文ヲ披露

ス 感慨 胷ニ迫リ 筆舌ヲ以テ到底

予ノ 皆ノ感情ヲ露ス能ハス 勅語

ヲ捧讀シ 聖慮 戦死傷者ニ及フノ御

語ニ至リテ予ハ遂ニ涕泣 聲ナク 之ヲ

捧読スル能ハタリシハ、老ノ身ノ不少

感傷的ニ陥リシ感ナキニハアラサレト

亦 予ノ胷カ何トシテモ包ミ得サル

至誠赤心ノ発露ナリ 聞ク司

令部員 如何ニ之ヲ感得セシヤヲ知ラス

両軍戦況 大ナル変化ナシ 漸次

無錫、湖州ニ肉薄シアルモ 未タ之

ヲ奪取スルニ至ラス

両軍ノ補給ハ連日ノ追擊前進ニ伴

ハス 已ムナク飛行機ヲ以テ空中ヨリ糧

食 弾薬ヲ投下シ 其急ヲ救フノ状

ナリシカ 今日ノ晴天モ御蔭シ今後 逐

日 其状㔟ヲ恢復スルコトヲ得ン

《軍司令官ノ/意見具申》

此日 軍今後ノ作戦ニ関スル予ノ意見

ヲ参謀總長ニ具申ス 其要領 既

ニ先日 参謀本部陸軍省ノ派遣員ニ述

ヘタル所ノモノニ仝シ 要ハ速ニ軍容ヲ整ヘ

十二月中旬以降 南京ニ向フ攻撃ヲ開始

セントスルニ在リテ 遅クモ二ヶ月以内ニ其目

的ヲ達成シ得ルノ見込ナルコトオ附言セリ

 

 

   11月23日  曇

 昨日1日の快晴に今日ははや曇天となり、今後の天候を危ぶむも、幸ひに風西北なれば間もなく妖雲を払拭することを得ん。

 この日、派遣軍司令部に至り、昨日同様の勅語奉読式を行ひ報読み聞かせ、さらに一同会食して、大元帥陛下の万歳を三唱せり。なほこの機会において予の上陸以来の感想を述べ、一同に対し三月間の勤労を感謝し、今後さらに将兵一同、皇道の精神に精進して出兵の最終目的を達成するに努むるの緊要なるを訓示せり。なほ明日、速やかに全派遣軍に対する訓示を与ふべくその起案を命ぜり。

 派遣軍、第10軍の無錫、湖州攻撃は漸次に進捗しあるも、無錫の陣地は敵軍なほ容易にこれを放棄せざるもののごとく、今後これを奪取するためには努めて第9師団の太湖を利用する水路機動等により正面における力攻を避くべきを可なりとし、今後の戦況に応じしかるべく措置すべきを命ず。

   11月24日  晴

 第10軍は今朝、湖州を占領せり。湖州を占領する敵の兵力多からず、一時宜興方面より増加の模様ありしも、我軍の爆撃に妨げられこれを中止したるもののごとし。

 派遣軍は続いて無錫を攻撃中なり。この方面またその後、敵の抵抗力増大の模様なきをもつて、近く無錫も我が軍の有に帰すべしと判断せらるるも、なほ余り油断せざるを可とす。

《仏国陸軍司令官との初度会見》

 この日、仏国陸軍司令官、来訪す。その態度慇懃なり。予はこれに対し、上海地方の治安を維持するためには列国軍の協力を根本原則として必要なりと認むること、なほ目下南市にある我が陸軍部隊の補給、連絡のため仏租界バンドの交通の必要なるを述べ、仏国官憲が能く前記の精神によりこれを我が軍に許容せんことを勧告し、仏軍にして我が誠意を解せず飽くまで仏国租界の特権を主張するにおいては、南市付近に現在する仏国軍に対しても我が方の執るべき手段ありと語り、暗にその撤去を諷してその反省を促したるに、司令官は能く予の意をし、大使にしかるべく進言すべきを約し去れり。

 

   11月25日  晴

《無錫占領》

1.派遣軍はこの朝、第9、第11師団の一部をもつて無錫を占領し、第16師団の部隊もこれに伴ひ市内を清掃中なりとの報あり。これによつて江陰要塞の背面はつひに我が有に帰し、爾後、南京方面に対する作戦を容易ならしむるを得たり。

2.第10軍は昨日湖州を占領したる後、第114師団および国崎支隊をもつて西方に敵を追撃し、湖州西方約2キロの高地にある敵を続いて攻撃中。その兵力多からず。

 この日、蕪湖方面より広徳に向かひ敵軍約1万、鉄道により東進し来たるを知り、我が陸海飛行機をもつてこれを爆撃す。

参謀本部決定の不明瞭》

 この日、参謀総長より伝宣電あり。かねて方面軍の作戦区域を蘇州~嘉興の線に制限せられたるを解除すとの意なり。なほ次長より参謀長あて電によれば、軍は依然、蘇州~嘉興付近の線にありて、一部をもつて無錫(あるいはその西方若干地域)湖州の線を占領するも、爾後さらに西方に作戦を拡大せしめざる中央部の意向なるを告げ、また12月上旬までに重藤支隊および第11あるいは第18師団を他に転用するの予定なる旨、通じ来たる。その意、明瞭ならざるも、中央部はなほ南京に向かふ作戦を決定しあらざることは明瞭にして、その因循姑息、誠に不可思議なり。しかもかねて申し入れある軍特務機関の拡大につきては、何ら指示するところなし。その真意いずれにある了解し能はざるところなり。よつてさらにこの旨、参謀長より次長あて督促せしむることとす。

《再度外交および海軍側の上海善後処置に対する態度を激励す》

 この朝、大使館参事官、岡本総領事、海軍代表者を集め、上海協同租界および仏租界に関する交渉の経過を聞く。各租界とも漸次、排日分子の清掃、新聞の発行停止等、多少とも我が方の申し入れを実行しつつあるごときも、未だその誠意の見るべきものなく、その実行も甚だ不満足なるをもつて、さらに我が外交官憲を督促し、一層有効的手段を執るべきを要求するとともに、要すれば軍は兵力をもつて税関を占領するは勿論、協同租界に示威的行軍を行ふ等の準備あるこてを告げ、これを激励す。なほ外務省よりは概ね予の従来の措置に依存なき旨、電示来たれる由なるも、なほ国際関係を過度に配慮しあるの状あり。

 上海居留民会長以下、居留民代表者十余名、慰問として来訪す。よつて予は従来軍の作戦に対する居留民の協力を謝するとともに、今後上海方面における我が国策の遂行には居留民一同、一時的自己の権益等を犠牲にして軍の行動に協力するの覚悟あるを要する旨を告げ、一同を戒飭し置けり。

 派遣軍司令部はこの日戦闘司令処を常熟に前進せしむるも、予は今後の方針を委曲参謀長に示し、しかるべく善処するを命じ、方面軍司令部に止まる。けだし目下、上海の善後措置等、国際関係諸問題等を処理するため上海を離れ難ければなり。

 《この日、皇太后陛下より軍に包帯下賜の恩命あり。感涙す。》

 

   11月26日  晴

《仏国海軍長官および総領事との会見》

 仏国海軍長官、上海総領事来訪す。その意は予に挨拶をなすとともに、今後仏租界に対する我が軍の行動につき、穏便なる態度を希望するの意なり。よつて予は、仏国軍がその租界、特に南市の治安維持のためには日本軍と共同するの必要を述べ、これがため南市にある我が軍の補給連絡のため、仏国租界の一部たる河岸を我が軍の交通に使用せしむることを希望したるも、彼らは大体において我が軍との協力には勿論異議なきも、武装軍人の仏租界通過には条約と仏国の権益上、承認し難きを述べたるにより、予は、しからば南市にある仏国軍隊の措置等に関して当方としても考慮せざるべからざる旨を告げ、これを威嚇し置くとともに、租界内支那国家銀行の封鎖を希望したるに、彼は辞を設けてこれを実行するの誠意を欠くをもつて、委曲さらに原田少将および岡本総領事との間にこれが善後手段を協議決定すべきを希望し、ひとまづ穏便に会見を終る。

《大阪住友支店長代理、来訪し、軍慰問として金5万円を寄送す。よつて予は之を謝するとともに、今後における国民の犠牲的精神を発揚するの要あるを説き、相当感激して帰れり。》

1.派遣軍方面

 第16師団の一部は常州に向かひ追撃し、また第9師団の約1連隊は蘇州より地方民船により大湖を渡りて無錫西南方約10里の沙塘港附近に上陸、無錫~宜興道を遮断す。

2.第10軍方面

 第114師団をもつて長興付近を、国崎支隊をもつてその南方、公徳道を公徳に向かひ追撃中。第18、第6師団も逐次、湖州に向かひ集結中なり。

 

   11月27日  曇

1.派遣軍方面

 第16師団の一部は常州東方約4里の線に、第13師団は江陰南方約4キロの線に進出す。

 第九師団渡湖部隊の状況不審。

2.第10軍方面

 第114師団は主力をもつて長興付近に、一部をもつて宜興に向かひ敵を追撃し、

 第18師団の一部は国崎支隊に合し公徳に向かひ敵を追撃中。

 第6師団は逐次、湖州に向かひ集結す。

 両軍の後方補給は軍の追撃に伴はず、一時困難の状勢にありしが、天候の回復と地方舟楫の整備により漸次に補給力を増加しつつあり。ここ旬日の間には概ね両軍ともに補給の整正を得るに至るべし。ことに鉄道連隊(2大隊)昨日その先頭をもつて到着し、差し当たり蘇州、嘉興、平望を目途とし鉄道の補修、材料の収集に勉め、なほ内地に輸送すべき運転材料(機関車約20両、貨車200両)をもつて輸送を開始する見込みにて、遅くもこれまた12月上旬にはその運輸を開始すべき見込みなり。

 この日、萱野長知を招き今後の謀略につき所要の注意を与へ、陳中孚等の活動を督励す。

徳川侯井上清純子爵を招き内地各方面の鞭撻を依頼し、左の2詩を贈る。》

  一、湖東戦局直後

 梟敵運生日漸窮  旌旗高耀湖東空

 休論世俗糊塗策  不抜南京皇道倥

  二、勅語拝受即吟

 湖東戦局日漸収  聖慮昭々人未酬

 遥望妖気西又北  何時皇道洽亜洲

 

   11月28日  晴

1.派遣軍の状況

 第16師団の追撃隊は近く常州市街に迫る。

 第13師団の部隊も江陰要塞の背後に逼迫す。

2.第10軍の状況

 第114師団の部隊は宜興を占領す。

 その他両軍の戦況、大なる変化なし。

 上海租界における工作進展し、この日、共同租界にある支那政府の電報局、新聞検査所および税関等を我が官憲の手にて接収し、また市政府埠頭をも接収す。

 銀行口座はほとんど閉鎖状態にあるも、これが接収取扱にはなほ幾多の手数を要するをもつて、漸次これを具体化することとす。

《侍従武官御差遣》

 この日、侍従武官、司令部御慰問、優渥なる聖旨·令旨を賜ひ、また皇后陛下より特に御手製の毛糸襟巻を賜ふ。洵に恐懼感激の極みなり。謹んで奉答托送ならびに言上方、侍従武官に言上す。また一般隷下に右聖旨および令旨を伝達す。

参謀本部より南京攻略決定の報あり》

 参謀本部より、南京攻略に決定せる旨、次長電あり。これにて過日来予の熱烈なる意見具申も功を奏し、欣懐この上なし。その後、方軍の後方連絡線の整斉、やうやく順調に向かひつつあれば、命令一下、遅くも来12月5日頃より全軍の進撃を命ずるを得ん。

 岡田尚を招致し、支那人謀略につき注意を与ふ。

 

  十一月二十八日  晴

一、派遣軍ノ状况

㐧十六師団ノ追撃隊ハ近ク常州市街ニ迫ル

㐧十三師團ノ阝隊モ江隂要塞ノ背後ニ逼迫ス

二、第十軍ノ状況

㐧百十四師團ノ部隊ハ宣興ヲ占領ス

其他 両軍戦況 大ナル変化ナシ

上海租界ニ於ケル工作 漸次 進展シ 此日

共同租界ニアル支那政府ノ電報局、新

聞検査所、及 税関等ヲ我官憲ノ手

ニテ接收シ 又 市政府埠頭ヲモ接收

銀行ハ殆ト閉鎖状態ニアルモ之レカ接收

取扱ニハ尚 幾多ノ手数ヲ要スルヲ以テ

漸次 之ヲ具体化スルコトトス

《侍従武官/御差遣》

此日 侍従武官 司令部 御慰問 優渥ナル聖

旨令旨ヲ賜ヒ 又 皇后陛下ヨリ特ニ御手製

ノ毛糸襟巻ヲ賜フ 洵ニ恐懼感激ノ

極ナリ 謹テ奉答程奏 并 言上方 侍

従武官ニ言上[ス×] 又 一般隷下ニ右聖

旨 及 令旨ヲ伝達ス

参謀本部ヨリ/南京攻略/決定ノ報/アリ》

参謀本部ヨリ南京攻畧ニ決定セル旨

次長電アリ 是レニテ過日来 予ノ熱烈

ナル意見具申モ奏功シ 欣懐 此上

ナシ 其後 方軍ノ後方連絡線ノ整斉

漸ク順調ニ向ヒツヽアレハ 命令一下 遅クモ

来十二月五日頃ヨリ全軍ノ進撃ヲ命

スルヲ得ン

岡田尚ヲ招致シ 支那人謀畧ニ付 注意ヲ与フ

 

 

   11月29日  晴

1.派遣軍の情況

 この日、第16師団は完全に常州を占領し、市内を掃蕩す。

 また第13師団も江陰要塞を占領すとの報あるも、実況不審。

2.第10軍の状況、変化なし

 この日、原田少将を招致し、上海善後措置および今後の謀略につき予の希望を告げ督励す。

 また同盟通信の松本を招致し、西洋人、支那人に対する側面的工作を指示す。

 諸情報によれば常州~宜興の線にありし敵は西(後)方に退却し、また一部は公徳、寧徳付近より杭州方面に退却中なり。すなはち敵軍は大体に南京東方山地線に防御線を退け、また浙江方面においても浙江·杭州西方山地線に防御線を退けたるがごとく、鎮江、江陰付近には多数の民船収集しありて、適時江北地方に退却を準備するもののごとし。

 また江蘇省政府は顧祝同、新たに任命せられ、江北(徐州付近か)にその位置を退避しつつあるがごとし。

 浙江省主席へ黄欽雄、新任せらるるも、その政府の位置等は未審。

 上海にありし宋子文はマニラに、杜月笙等は香港に遁避せしとの報あるも、確かならず。また浦東付近にはすでに少数なる親日委員会成立し、漸次、我が軍に接近し来りつつあり。また周作民は漢口より広東を経て、呉震脩も同様、上海仏租界に帰来せりとの報あり。漸次これらの連中も上海に集まり来たらん。

 

  十一月二十九日  晴

一、派遣軍ノ情況

此日正午 第十六師団ハ完全ニ常州

占領シ 市内ヲ掃蕩ス

又 㐧十三師団モ江隂要塞ヲ占領スト

ノ報アルモ 実况不審

二、第十軍ノ状況 変化ナシ

此日 原田少将ヲ招致シ 上海善後措

置 及 今後ノ謀畧ニ付キ予ノ希望ヲ

告ケ 督励ス

又 同盟通信ノ松本ヲ招致シ 西洋人、支

那人ニ対スル側面的工作ヲ指示ス

諸情報ニ依レハ常州 宣興ノ線ニ在リシ

敵ハ西(後)方ニ退却シ 又 一部ハ廣徳 甯徳

附近ヨリ杭州方面ニ退却中ナリ 即 敵軍

ハ大体ニ南京東方山地線ニ防禦線ヲ

退ケ 又 浙江方面ニ於テモ浙江杭州西方

山地線ニ防禦線ヲ退ケタルカ如ク 鎮江、

江隂附近ニハ多数ノ民船蒐集シアリテ適

時 江北地方ニ退却ヲ準備スルモノヽ如シ

江蘇省政府ハ顧祝同 新ニ任命セラレ江北

(徐州附近カ)ニ其位地ヲ退避シツヽアルカ

如シ

浙江省主席ヘ黄欽雄 新任セラルヽモ 其政

府ノ位置等ハ未審

上海ニアリシ宋子文ハ「マニラ」ニ 杜月笙等ハ香港ニ

遁避セシトノ報アルモ 確カナラス 又 浦東附近

ニハ既ニ少数ナル親日委員會成立シ 漸

次 我軍ニ擑近シ来リツヽアリ 又 周作民ハ

漢口ヨリ広東ヲ経テ 呉震脩モ同様 上海

佛租界ニ帰来セリトノ報アリ 漸次 是等

ノ連中モ上海ニ集リ来ラン

 

 

   11月30日  晴

《江陰陥落未成》

1.派遣軍方面

 第16師団の1部隊は常州西方約2里の点まで敵を追撃す。

 第13師団の江陰陥落の報は誤りにて、近く江陰市街に迫りあり、敵兵、現在守備するもの多からずも、我が海軍の江陰に接近する艦に対し砲台より射撃を行ひたる由。明日は全部陥落するならん。

2.第10軍方面

 第6師[団]の一部、国崎支隊は本日広徳を占領せり。

 この日、方面軍幕僚を集め南京攻略に関する軍の作戦方針を議し、従来の計画を補修し、大体12月上旬より(5日頃)全軍の攻撃前進を開始することに定む。

 この日、ロンドン·タイムスのフレザア、およびニューヨーク·タイムスのアベンドを招致し、予の上海占領およびその後における態度を説明し、就中、上海における列国の権益を保護するため予の執りたる苦心の程を説明せり。彼等能く予の意を諒し、かつ我軍の公正なる態度につき尊敬·感謝の意を表し、各本国に向かひ委曲通信すべきを約す。

 また在日本各国武官は戦線視察終了につき、今夜、原田少将をしてこれを晩餐に招かしめ、予も出席して一言の挨拶をなす。一同感激す情、顕著なり。

 

  十一月三十日  晴

《江隂陥落未成》

一、派遣軍方面

㐧十六師団ノ一部隊ハ 常州西方約二里

ノ点迄 敵ヲ追撃ス

㐧十三師団ノ江隂陥落ノ報ハ誤ニテ

近ク江隂市街ニ迫リアリ 敵兵 現在守備スル

モノ不夛モ 我海軍ノ江隂ニ接近ス

ル艦ニ対シ砲臺ヨリ射撃ヲ行ヒタル

由 明日ハ全部陥落スルナラン

二、㐧十軍方面

㐧六師ノ一部、国崎支隊ハ本日 広徳
ヲ占領セリ

此日、方面軍幕僚ヲ集メ南京攻略

ニ関スル軍ノ作戦方針ヲ議シ 従

来ノ計畫ヲ補修シ 大体十二月上旬ヨリ

(五日頃)全軍ノ攻撃前進ヲ開始スルコトニ定ム

此日 倫敦タイムスノフレザア 及 紐育タイムスノ

「アベンド」ヲ召致シ 予ノ上海占領 及 其後

ニ於ケル態度ヲ説明シ 就中 上海ニ於ケル

列国ノ権益ヲ保護スル為メ予ノ執リタ

ル苦心ノ程ヲ説明セリ 彼等 能ク予ノ意

ヲ諒シ 且ツ我軍ノ公正ナル態度ニ付

尊敬感謝ノ意ヲ表シ 各本国ニ

向ヒ委曲通信スヘキヲ約ス

又 在日本各国武官ハ戦線視察終了

ニ付 此夜 原田少将之ヲシテ之ヲ晩餐

ニ招カシメ 予モ出席シテ一言ノ挨拶

ヲナス 一同感激ス情 顕著ナリ
 

   12月1日

1.派遣軍の状況

 第13師団は江陰市街を確実に占領し、同砲台の占領を準備す。

 第16師団は常州を占領し、一部をもつて西方に敵を追撃す。

 第9師団の部隊は常州~金壇道を追撃す。

2.第10軍の状況

 第114師団の一部は漂陽に向かひ敵を追撃す。

 国崎支隊は公徳を占領す。さらに西方に敵を追撃す。

 第18師団は長興南方地区に、第6師団主力は湖州付近に兵力を集結す。

《方面軍の新戦闘序列を令ぜらる》

《南京攻略の大命降下》

 この日、参謀次長着、南京攻撃の伝宣命令を携へ来たる。またこの日、新たに中支那方面軍の戦闘序列を令ぜらる。

 また広東方面に作戦するため、第11師団(1旅欠)および重藤支隊を12月中旬以降、同方面に転用せらるるはずなることを内命を受く。

 次長の語るところによれば、中央部は未だ十分目下の謀略および宣撫の重要性を認識せず、特務部の組織の拡大および人員の整備につき決定を与へざるは甚だ遺憾に耐へず。よつてさらに方面軍より具体的意見を上申し決定を急ぐの要あるを認む。

 

  十二月一日

一、派遣軍ノ状況

第十三師団ハ江陰市街ヲ確実ニ

占領シ 同砲台ノ占領ヲ準備ス

第十六師団ハ常州ヲ占領シ 一部ヲ

以テ西方ニ敵ヲ追撃ス

第九師団ノ部隊ハ常州─金壇道ヲ

追撃ス

二、第十軍ノ状況

第百十四師団ノ一部ハ漂陽ニ向ヒ敵ヲ

追撃ス

国崎支隊ハ公徳ヲ占領ス 更ニ西方

ニ敵ヲ追撃ス

第十八師団ハ長興南方地区ニ 第六師

団主力ハ湖州附近ニ兵力ヲ集結ス

方面軍/ノ新戦斗/序列ヲ/令セラル

南京攻畧/ノ大命/降下[上欄]

此日 参謀次長着 南京攻撃ノ傳宣命

ヲ携ヘ来ル 又 此日 新ニ中支那[派遣×]方面軍

ノ戦斗序列ヲ令セラル

又 広東方面ニ作戦スル為メ㐧十一師団

(一旅欠)及 重藤支隊ヲ十二月中旬

以降 同方面ニ轉用セラルヽ筈ナル事ヲ

内命ヲ受ク

次長ノ語ル処ニ依レハ 中央部ハ未タ十分

目下ノ謀略 及 宣撫ノ重要性ヲ

認識セス 特務部ノ組織ノ拡大

及 人員ノ整備ニ付 決定ヲ与ヘサルハ

甚タ遺憾ニ耐ヘス 仍テ更ニ方面軍

ヨリ具体的意見ヲ上申[ス×]シ決定ヲ急ク

ノ要アルヲ認ム

 

 

   12月2日  晴

1.派遣軍の状況

 第13師団は完全に江陰要塞を占領し、残敵を掃蕩中。

 第16、第9師団の一部は丹陽および金壇に迫り、敵を圧迫中。

 第3師団は数日前より蘇州以北の地区に前進し、ただし片山支隊この日、第101師団の部隊と交代し師団主力に追及す。

 第11、重藤支隊は無錫付近に集結。

2.第10軍の情況

 第114師の一部は溧陽を占領す。

 甯国方面の情況、明らかならず。

 諸情報によれば敵は新たに2集団軍を編成し、鎮江、句容、広徳、蘭谿(浙江)の線を守備し、別に南京城守備軍を編成し、最後まで抵抗すべき命令を与へ(11月25日頃)たるも、その前線はすでに陥落し、全軍の士気崩壊したれば、爾後の抗戦は大なる成果なきものと認めらる。

《南京攻略命令を下す》

 よつて今朝、新たに全軍に対し南京攻略命令を与へ、また方面軍司令の訓示を与へ、第10軍は12月3日頃より、派遣軍は5日頃より前進を開始すべく命令す。なほ海軍に督促し、速に江陰附近に於ける封塞を解放して揚子江の水路を開き、軍の攻撃前進に伴ひ派遣軍の一部(約1師団)を江北に上陸せしめ、江北運河および津浦鉄道を遮断するるの準備をなさしむ。

 なほ茲?夜?、原田少将楠本大佐を招致し、今後軍特務部の編成、任務の分担、および今後の軍の謀略目標に関する予の意見を告げ、具体的立案を命ず。その要旨、右のごとし。

 一、特務部の編成

  原田少将指揮

1.外事部の編成

 主として上海列国関係、大使館との連絡

2.地方宣撫

 方面軍直隷および各軍占領地域に分かち、特務部および両軍によつて宣撫を行ふ。

3.宣伝部

 従来のものを拡大強化す。

4.謀略部

 別に某少将を主幹とし、所要の人員をもつて独立。軍司令官の意図を受け、今後の政治、戦場謀略に任ず。

5.企画研究部

 今後の政治、経済善後措置を研究·立案せしむることとし、齊藤良衛を長とし、陸海外務その他内地、上海の専門家、経験家を集む。

 なほ今後謀略の目標は、まづ国民政府を駆逐して、江蘇、浙江、成し得れば安徽を併する独立政権を樹立せしむるにありて、万やむを得ざる時は、南京付近に残留する国民政府と分離する国民政府を建設するを目的とし、今後南京付近の攻略に伴ひ、その工作を進むることとす。

 

  十二月二日 晴

一、派遣軍ノ状況

㐧十三師団ハ完全ニ江陰要塞

ヲ占領シ残敵ヲ掃蕩中

㐧十六、㐧九師団ノ一部ハ丹陽 及

金壇ニ迫リ 敵ヲ圧迫中

㐧三師団ハ数日前ヨリ蘇州、以北ノ

地区ニ前進シ 但 片山支隊ハ此日 㐧百

一師団ノ部隊ト交代シ 師團主力ニ追

及ス

㐧十一、重藤支隊ハ無錫附近ニ終結

二、㐧十軍ノ情況

㐧百十四師ノ一部ハ溧陽ヲ占領ス

甯国方面ノ情況明カナラス

諸情報ニ依レハ敵ハ新ニ二集団軍ヲ編

成シ鎮江、句容、廣徳、蘭谿(浙江)

ノ線ヲ守備シ 別ニ南京城守備軍ヲ編成

シ 最後迄 抵抗スヘキ命令ヲ与ヘ(十一月廿五日頃)

タルモ 其前線ハ既ニ陥落シ 全軍ノ士氣

崩壊シタレハ 尓後ノ抗戦ハ大ナル成果ナ

キモノト認メラル

南京攻/畧命令/ヲ下ス[上欄]

仍テ今朝 新ニ全軍ニ対シ南京攻畧

命令ヲ与ヘ 又 方面軍司令官ノ訓示

ヲ与ヘ 㐧十軍ハ十二月三日頃ヨリ 派遣軍

ハ五日頃ヨリ前進ヲ開始スヘク命令ス 尚

海軍ニ督促シ 速ニ江陰附近ニ於ケル封塞

ヲ解放シテ揚子江ノ水路ヲ開キ 軍ノ攻撃

前進ニ伴ヒ派遣軍ノ一部(約一

師團)ヲ江北ニ上陸セシメ 江北運河

及 津浦鐵道ヲ遮断スルノ準備

ヲナサシム

尚 茲?夜? 原田少将、楠本大佐ヲ招致シ

今後 軍特務部ノ編成 任務ノ分

担 及 今後ノ軍ノ謀略目標ニ関

スル予ノ意見ヲ告ケ 具体的立

案ヲ命ス 其要旨 右ノ如シ

一、特務部ノ編成

 原田少将指揮

 一、外事部ノ編成

  主ソシテ上海列國関係 大使館

  トノ連絡

 二、地方宣撫

  方面軍直隷、及 各軍占領地

  域ニ分チ 特務部 及 両軍ニ依テ

  宣撫ヲ行フ

 三、宣傳部

  従来ノモノヲ拡大強化ス

 四、謀略部

  別ニ某少将ヲ主幹トシ 所要ノ人員ヲ以テ

  独立 軍司令官ノ意図ヲ受ケ 今後ノ

  政治、戦場謀畧ニ任ス

 五、企畫研究部

  今後ノ政治、経済善後措置ヲ研

  究立案セシムル事トシ 齊藤良衛

  ヲ長トシ 陸海外務 其他 内地、上海ノ

  専門家 経験家ヲ集ム

尚 今後 謀畧ノ目標ハ 先ツ国民政府

ヲ駆逐シテ 江蘓 浙江 成シ得レハ安徽

ヲ併スル独立政権ヲ樹立セシムルニ在リ

テ 萬 已ムヲ得サル時ハ 南京附近ニ残畄

スル国民政府ト分離スル國民政府ヲ

建設スルヲ目的トシ 今後 南京附近ノ攻略ニ伴

ヒ其工作ヲ進ムル事トス

 

 

   12月3日  晴

1.派遣軍の状況

 第16、第9師団は敵を追撃して、すでにその先登部隊をもつて磨盤山頂の線に達す。

 また第11師団の部隊は鎮江に向かひ進撃中。

 鎮江は火災起り、敵軍すでに退却に就きつつあるを知る。

2.第10軍の状況

 第114師団の部隊も溧水に近く進出す。

 なほ第18師団の部隊は寧国に近く進出せり。

 この日、第101師団工藤少将の指揮する歩103連隊、歩兵1大隊をもつて共同租界内の威示行軍を実施す。両租界当局、極力租界内の警備に尽したるも、つひに1名の支那人の爆弾事件ありたるも大事なく、無事示威の目的を達成せり。内外人等しく驚異の眼をもつて見る。在留邦人の感激この上なし。ただこのこと、はじめ海軍に交渉し陸戦隊の協同を希望したるも、海軍側が例の租界と列国を気兼ねする心地なほ去らず、つひに陸軍と協同するを辞したるは極めて遺憾なり。

 この本行軍の結果、特務部をして共同租界警察総監との間に今後一層、租界内排日分子の取り締まりを要求し、必要と認むる時は、軍は自衛上、租界内清掃に関し独自的手段を取るべきことを約せしめたるは、爆弾事件の功名なり。

 なほこの日、大使および大使館員に対し軍今後の作戦の大要を告げ、一層租界および列国に対する治安経済工作につき督励す。

 

   12月4日  晴

1.派遣軍の状況

 第16、第9師団、句容およびその南方の線に達す。

2.第10軍の状況

  第114師団は溧水に達す。

《南京外郭攻撃命令下付》

 よつて軍は両軍をしてさらに南方城外郭の線に向かひ攻撃を命じ、南京城攻略を準備せしむ。けだし南京城の占領は両軍部隊の随意攻撃に放任せず、方面軍においてこれを統制し、秩序ある占領を遂げんとの意なり。また入城前、蔣介石または守城者に対し投降勧告を与へ、成るべく南京城を破壊せず、住民の被害を避けてこれを占領せん予の意なり。

朝香宮殿下、派遣軍司令官親補》

 この夜、東京より電報あり、予の派遣軍司令官兼任を解き、新たに朝香宮殿下、同司令官に親補せらるるを知る。寔[まこと]に恐懼感激の至りなり。よつて直ちにこれを全軍に通報するとともに、殿下の御在任中の警備、ならびに御居住の安全につき、出来得る限りの措置を講ずべくそれぞれ研究を命ず。

 

   12月5日  晴

 この朝、多田参謀次長、前線より帰来す。よつて軍今後の作戦方針、および南京占領後における企図につき予の希望を語り、さらに軍特務機関の拡大、今後の謀略方針につき委細説明し、中央の方針確定を促す。その要、次のごとし。

一、軍今後南京攻略後の謀略は、西山派、政学派、段派および在中支財界中親日者を糾合して、独立政権を江蘇、浙江、安徽を併せて設立せしめ、漸次、北支政権と連絡せしむ。

二、能はざれば現国民政府の不良分子を排除して政府を改造せしむ。しかしこの際、欧米に依存する浙江財閥はこれを排除するを要す。

三、右のため特務機関を拡大し、

1. 建川または重藤を長とし、

2. 重藤は佐々木到一を長とし和地臼田らにより李、白および西山派らに対して謀略を行はしむ。

3. 原田を現在のままとし、外事および宣伝の事に該らしむ。これがため松室、楠本らを使用す。

4. 古城少将を宣伝部長とす。

5. 斎藤良衛を長とし経済および今後の政治、経済等の善後企画を行はしむ。

 

  十二月五日(晴)

此朝 多田参謀次長 前線ヨリ帰

来ス 依テ軍今後ノ作戦方針

及 南京占領後ニ於ケル軍ノ企図

ニ付 予ノ希望ヲ語リ 更ニ軍特務

機関ノ拡大、今後ノ謀畧方針

ニ付 委細説明シ 中央ノ方針確

定ヲ促ス 其要如次

一、軍今後 南京攻略後ノ謀畧ハ西山派、

  政学派、段派 及 在中支財界中 親

  日者ヲ糾合シテ 独立政権ヲ江蘓、

  浙江、安徽ヲ併セテ設立セシメ 漸

  次 北支政権ト連絡セシム

二、能ハサレハ現国民政府ノ不良分子

  ヲ排除シテ政府ヲ改造セシム 而シ此

  際 欧米ニ依存スル浙江財閥ハ必ス

  之ヲ排除スルヲ要ス

三、右ノ為メ特ム機関ヲ拡大シ

 一、建川 又ハ重藤ヲ長トシ

 二、重藤 又ハ佐々木到一ヲ長トシ 和地、臼田

   等ニ依リ李、白 及 西山派等二対シテ謀略ヲ

   行ハシム

 三、原田ヲ現在ノ儘トシ外事、及 宣傳ノ

   事ニ該ラシム 之レカ為メ松室、楠本等ヲ

   使用ス

 四、古城少将ヲ宣傳阝長トス

 五、斎藤良衛ヲ長トシ経済 及 今後ノ

   政治経済等 善後企画ヲ行ハシム

 

    12月6日  晴

《この日、萱野、陳中孚、岡田尚を集め、今後の謀略に関する指示を与へ、これを督励するとともに、李擇一をして福州に在る陳毅の引出策、および杜月笙の上海帰還を画策せしむ》

 この日、大使館に海軍長官、大使館員らと会し、今後の軍事、政経政策に関し予の意見を開陳し、その同意を得たり。すなはち、

一、軍は南京攻略後、南京、蕪湖寧国杭州以東の地区を占領し、更に江北の楊州滁県浦口付近を占領す。

 爾後の行動は東京の企図に俟つ。

二、かくて専らまづ上海付近の平和運動を促進し、漸次に占領地に宣撫工作を進めて自治機関を作為せしめ、機を見て江蘇、浙江、安徽を基礎とする政権の樹立に努む。

三、上海租界に対する方針は、

1. 一般排日抗日空気の清掃の他、

2. 租界に於ける支那国民政府主権を代行し、政治、経済的地保を獲得す。

3. また従来租界を基礎とする欧米依存関係を打破す。

 以上のため、この上軍は威嚇または武力行使を当分見合はせ、努めて平和的にその目的を達成するを期す。したがつてこれが実行は直接軍に必要なるもの、 すなはち治安維持を主とするもののほか、主として外交官憲の努力に俟つ。海軍は租界内における従来の守備を継続して、陸軍の租界外における治安工作に協力するのほか、成るべく速やかに揚子江上流に艦隊を進出せしめ、陸軍の上記作戦に協力す。

 右は一同異議なく、海軍も欣んでこれに追随すべき意を明にす。

《朝香殿下、新に予に代りて上海派遣軍司令官に補せられ、本日着滬せらる。よつて予はこれを埠頭に迎へ、また午後その申告を受け委細の申し継ぎを行ふ。恐懼の至りなり。殿下は明日、自動車にて在無錫司令部に赴かるるはず。》

 

   12月7日  晴

 この日、始て蘇州~上海間鉄道開通するにより、予はこれに乗じて方面軍司令部を蘇州に前進す。

 沿道、漸次平和気分見る。避難農民、逐次帰村しつつあるを見る。欣ぶべし。

 蘇州にはすでに自治委員設立せられ、我が副領事も昨日当地に来たり、治安工作、宣撫に着手しあり。

 両軍の第一線部隊は漸次、南京城外郭陣地に接近す。また第13師団の1連隊は江陰より靖江に渡り、海軍と協力して全く江陰水路の阻絶を除去するを得たり。

 

   12月8日、9日  晴

 両軍の第一線部隊は紫金山を占領し、また雨花台付近を占領し、漸次城廓に迫る。

 この日、飛行機により予の署名する投降勧告文を城内外に散布し、明10日正午に回答を俟つ。

 第18師団は蕪湖を占領し、国崎支隊は太平を占領す。

 

   12月10日  晴

 この日、正午に至るも支那軍の回答なし。よつて午後より両軍に対し南京城の攻撃を命ず。敵軍の頑迷、真に惜しむべし。やむなきことなり。しかれども最早、いはゆる最後の気持だけの抵抗に過ぎず、その実効なきは勿論なり。聞く。蔣介石は昨日すでに南昌に去り、康生智、守城せるごとし。

 この日、国崎支隊は長江対岸に渡河を準備し、第13師団も鎮江付近に進出し、渡河を準備す。

《第101師団は杭州攻撃前進》

 第101師団(3大隊欠)を第10軍司令官の指揮に属し、本日出発、松江を経て杭州に向かひ前進し、第10軍後備隊と協力してこれを攻略せしむ。

《第9師団光華門占領》

 第9師団は敵を追撃してこの日、光華門を占領す。

 

   12月12日、12日、13日  晴

 軍は右より第16、第9、第114、第6師団をもつて今朝より南京城の攻撃を開始す。城兵の抵抗、相当強靭にして、我が砲兵の推進未及のため、この攻撃に2~3日を要する見込みなりしが、第9師団はすでに敵を追撃して光華門を占領し、しばしば敵の逆襲に遭ひつつ同門の占領を保持す。

 国崎支隊は鳥江付近に上陸し、浦口に向かひ南京の退路を遮断するごとく行動しつつあり。

《13日、南京占領》

 13日朝、第114、第6の両師団は中華門および水西門を占領し、同日夕までに第16師団は太平門、共和門を占領。第3師団の一部は通済門を占領し、ここに全く南京城を攻略す。

《英艦船損害事件》

 去る5日、我が航空隊は蕪湖付近における敗敵を爆撃中、同地にありし英国船に損害を与へたる事件あり。また13日朝、橋本大佐の率ゆる重砲兵隊が江を渡りて退却中なる敵を砲撃する際、付近にありし英国商船および英国砲艦乗員に小損害を与へたる事件あり。これ居留民避難保護に任じたるものにして、中に英独領事館員、武官等もあり、将来、多少の問題を惹起すべきも、 かかる危険区域に残存する第三国民ならびにその艦船が多少の側杖を蒙るはやむなきことなり。況んや我が方はすでにこの方面における戦場の危険を列国に予告しおきたるをや。

 

   12月14日、15日  晴

 14日、予は湯水鎮に前進のはずなりしが、準備未完了のため15日に延期し、午後1時発、蘇州飛行場より飛行機にて句容飛行場に飛翔し、それより自動車にて午後3時、湯水鎮、軍司令部に安着す。

 南京城入城の両軍師団は城内外の残敵を清掃す。敗残兵の各所に彷徨するもの数万に達すとのことなるも未詳。

 第11師団天谷部隊は14日夕、楊州を占領す(鎮江より13日渡江)。

 また第13師団の主力は14日、鎮江より渡江、15日、楊州に入り、続いて儀徴に向かひ前進中なり。

 国崎支隊は14日、浦口を占領す。

《南京占領御語下賜》

 14日、大元帥陛下より参謀総長を経て、軍将兵南京攻略に関し御語を賜ふ。一同感泣、直ちに全軍に令達するとともに、奉答の辞を電奏す。

 15日、蘇州自治委員会長陳某を召致し、皇軍の本領および予の大亜細亜主義精神につき説明し、公明なる自治の発展を希望す。この男、一昨年天津にて予の亜細亜運動につき知るところあり。能く予の意を諒す。ただし人民なほ日本軍を恐怖すると。地方の荒廃のため急遽なる自治の実行困難なる旨を語る。聞く。近時、毎日4~5千の避難民帰宅しあるも、 なほ多くは貧民にして、財あるものは未だ帰らずと。

 

   12月16日  晴

《蕪湖英艦事件
 去る13日、蕪湖における英国軍艦、商船被害事件に関し、我が政府は実相を極めず英国の抗議に対し直ちに陳謝の措置を取りたる由。いささか周章気味なれど、すでに実行したる上は詮なく、予は事実を調査したる結果、決して責任者を処分などする必要なき意見を東京に電報せしむ。》

 湯水鎮に在り。この地は蔣介石別荘のありし有名なる温泉場なり。同別荘は焼失して跡なきも、倶楽部建物現存し、一同、久し振りに入湯して気分を能くす。

 南京城内外、掃蕩未了。ことに城外の紫金山付近にあるもの相当の数らしく、捕虜の数、すでに万を超ゆ。かくて明日予定の入城式はなほ時日過早の感なきにあらざるも、あまり入場を遷延するも面白からざれば、断然明日、入城式を挙行することに決す。

《南京攻略後の軍の態勢に関する命令下達》

 この日、南京攻略後の全軍の態勢、ならびに爾後の作戦準備に関する命令を下す。これけだし直後の配置ならびに整理にして、将来の情勢に応じてはさらに浙江省は勿論、江北地方に軍の占領地域を拡大すること諸般の関係上、必要なりと認むるも、さきに伝宣命令によりとにかく長江右岸、杭州、蕪湖、南京以東の地区に集結を命ぜられあるにより、取り敢へず、前記のごとく処置したる次第なり。今後、情勢に応じさらに意見を具申し、所要の配置に就く考なり。

 

   12月17日  晴朗

 この日、南京入城式。

 午後0時半、自動車にて出発、1時25分、中山門外に着、両軍司令官以下幕僚の出迎を受け、1時半、乗馬にて入城式を挙行す。

 中山門より国民政府に至る間、両側には両軍代表部隊堵列。予はこれを閲兵しつつ馬を進め、両軍司令官以下随行す。未曽有の盛事、感慨無量なり。午後2時過ぎ、国民政府に着。下関より入城、先着せる長谷川海軍長官と会し、祝詞を交換したる後、一同前庭に集合、国旗掲揚式に続いて東方に対し遙拝式を行ひ、予の発声にて大元帥陛下の万歳を三唱す。感慨愈々迫り、つひに第2声を発するを得ず、さらに勇気を鼓舞して明朗大声に第3声を揚げ、一同これに和し、もつて歴史的式典を終了す。

 右終つて、師団長以上撮影の後、参列各隊長以上一室に会堂し御賜の清酒の杯を挙げ、海軍長官の発声にて再び大元帥陛下の万歳を三唱し、 本日の式を終る。

《この日、第13師団は六合を占領し、さらに滁県に向かひ前進中、十二圩において塩30万俵を押入す。》

 朝香宮軍司令官殿下、最も御健祥に御機嫌また極めて麗はしく、ことに予の部下として軍司令官の職に励み玉ふ聖旨の程、感激に耐へず。

 終つて首都飯店の宿舎に入る。沿道市中、未だ各戸閉門し、居住民は未だ城の西北部避難地区に集合しありて、路上、支那人極めて稀なるも、幸ひに市中、公私の建物はほとんど全く兵火に罹りあらず、旧体を維持しあるは万幸なり。

 

   12月18日  曇

《忠霊祭》

 今暁、降雪多少あり、天気陰鬱にして、あたかも本日の忠霊祭に適する天気にして、天もまた吾らとともに泣けるものと思はる。

《この朝、各軍師団参謀長を会し、軍参謀長より詳細なる指示および打合せを行はしめ、予は特に一同に対し

1.軍紀·風紀の振粛、

2.支那人軽侮思想の排除、

3.国際関係の要領につき

訓示を与へたり。》

 午後1時宿舎を発し、城内飛行場に準備せる忠霊祭に参列し、祭典前、参集せる両軍司令官、師団長に対し訓示を与へ、終つて祭典に列す。

 予は祭主として陣没霊前に進み、祭文を朗読し、万感胸に迫りたるも、往時のごとく声詰まり涕泣禁じ能はざるごときことなく、何だか一層の勇気と発奮心起り、朗々祭文を読み、忠霊に告ぐるを得たり。けだし英霊この予を激励するものか。感また無量なり。

 参列両軍および海軍将兵、万を超へ、式は簡単なるも甚だ荘厳・厳粛、もつていささか英霊を慰むるを得ん。予はこの朝、大帛に左の2詩を謹書し、霊前に䬻[はなむ]けたり。

《南京城攻略感》

   奉祝南京攻略

 燦矣旭旗紫淦城  江南風色愈清々

 豼貅百万旌旂粛  仰見皇威耀八紘

      方面軍司令官 松井石根

   又南京入城有感

 紫金陵在否幽魂  来去妖氛野色昏

 径会沙場感慨切  低徊駐馬中山門

              松井大将

 これにて上陸戦闘以来の一段落を終へ、この夜は早くより安眠す。万感交々至る。

《またこの夜、軍報導部長を招き、南京攻略後の軍の態度に関する予の所感を述べ、司令官談として発表せしむることとせり。》

 

   12月19日  晴

 休息第1日なり。なほ今後諸般の対策に関し万感禁ぜざるも、まづ漸次心神を休め、徐ろに爾後の方策を練るを可とす。

 この日午後、幕僚数名を従へ清涼山および北極閣に登り、南京城内外の形勢を看望す。城内数ヶ所になほ兵燹の揚がれるを見るは遺憾なれど、さしたる大火にはあらず。概して城内はほとんど兵火を免れ、市民また安堵の色深し。

 各処より祝電来たる。それぞれ重要の人には変電を出すこととするも、一々答ふるに遑あらず。

 近衛首相以下各閣僚に対し返電を出す。

 

   12月20日  晴

 この日、大使館に至り新着の領事館員と会見し状況を聞く。曰く、去る7月大使館引き上げ当時、支那側に寄託したる我が公使建物は、一部の小奪掠のほか概して相当に保護せられ、ことに大使館建物は内容とも完く完全に保存せられあるは、支那側の措置としてはむしろ感服の値あり。

 また避難区に収容せられある支那人は概して細民層に属するものなるも、その数12万余に達し、独、米人宣教師の団体と紅卍会等の人共と協力して保護に任じあり。聞く。江蘇省政府はその引き上げに際し、独人シーメンスのものに銀10万元と南京現在の糧米を托して保護を依頼ししたるものなりといふ。真否明らかならざれど、現に城内に現蓄せられある糧米は1万担に達し、外にもなほ隠匿せられあるものもあり、当分の間、居留民の糧食に事欠くことなしといふ。

 支那要人ら著名のものに残留せるもの見当たらざるも、漸次、相当資産階級のものも顔を出し来たる模様につき、そのうちやはり治安維持·地方自治支那人団体を形成するを得べき見込みなり。この南京の宣撫は最初、軍特務部をしてこれに当たらしむる積りなりしも、人不足のためやはり上海派遣軍をして適当の人(隊長)を選し、特務機関、領事館のものをも併せ指揮して宣撫に当たらしむることとせり。

 なほ聞く所、城内残留内外人は一時、少なからず恐怖の情なりしが、我が軍の漸次落付くとともに、やうやく安堵し来たれり。一時我が将兵により少数の掠奪行為(主として家具等なり)強姦等もありしごとく、多少はやむなき実情なり。

 

 十二月二十日  晴

此日 大使館ニ至リ新着ノ領事館

員等ト会見シ状況ヲ聞ク 曰ク 去七

月 大使館引上當時 支那側ニ寄託シタル

我公使建物ハ一部ノ小奪掠ノ外 概シテ

相當ニ保護セラレ 殊ニ大使館建物ハ

内容共 完ク完全ニ保存セラレアルハ

支那側ノ措置トシテハ寧ロ感服ノ値アリ

又 避難区ニ収容セラレアル支那人ハ概シテ

細民層ニ属スルモノナルモ 其数 十二萬餘

ニ達シ 独、米人宣敎師ノ団軆ト紅卍字

會等ノ人等ト協力シテ保護ニ任ジアリ 聞ク

江蘇省政府ハ其引上ニ際シ 独人 シーメンス

ノモノニ銀十萬[両×]元ト南京現在ノ糧米ヲ托

シテ保護をヲ依頼シタルモノナリト云フ 真否

明カナラサレト現ニ城内ニ現蓄セラレアル糧米

ハ一萬担ニ達シ 外ニモ尚 隠匿セラレアルモノアリ 當

分ノ間 居留民ノ糧食ニ事欠クコトナシト云フ

支那要人等 著名ノモノハ残畄セリモノ見當

ラサルモ 漸次 相當資産階級ノモノモ顔ヲ出

シ来ル模様ニ付 其内 矢張 治安維持 地方

自治支那人団体ヲ形成スルヲ得ヘキ見

込ナリ 此南京ノ宣撫ハ最初 軍特ム部ヲ

シテ之ニ當ラシムル積ナリシモ 人不足ノ為メ矢張

上海派遣軍ヲシテ適当ノ人(隊長)ヲ選ヒ

特ム機関 領事館ノモノオモ併セ指揮シ

テ宣撫ニ當ラシムル事トセリ

尚 聞ク所 城内残留内外人ハ一時 不少 恐怖ノ

情ナリシカ 我軍ノ漸次 落付クト共ニ 漸ク

安堵シ来レリ 一時 我将兵ニヨリ少数ノ奪略行

為(主トシテ家具等ナリ)強姦等モアリシ如ク 多少ハ

已ムナキ実情ナリ

 

 

   12月21日  晴

 朝10時発、悒江門付近、下関を視察す。この付近なお狼藉の跡のままにて、死体などそのままに遺棄せられ、今後の整理を要するも、一般に家屋等の被害は多からず。人民もすでに多少宛帰来せるを見る。躉船、桟橋等、大分焼却せられあるも、多少の修繕を施せば6~7個の桟橋を使用し得る見込み。現に第13師団の渡航部隊、国崎支隊の阪南部隊の渡河は続々実施せられあり。ただし浦口の桟橋は1個を残すほかことごとく焼却せられ、停車場のごときも全く消失して用をなさずといふ。今後、津浦鉄道の北向利用は困難あるものと認めらる。

 

   12月22日  晴

 午前10時半、水雷艇鴻に便乗、下江す。途中 烏龍山及鎮江付近、砲台の残存せるもの、江陰要塞の現状、封鎖の有様など視察しつつ、夕刻、白茆口付近に仮泊す。

 鎮江は損害少なく、電灯などすでに点じある由。現に多少の火災あるも大なることなし。埠頭もほとんど現存する由にて、楊州に在る第11師団部隊の補給連絡等、支障なく実施せられあり。

 江陰要塞も大破なく、就中、ドイツ製15センチ高射砲の新式のもの十数門は、価値あるものなり。

《上海帰着》

 朝9時出港、午後1時上海市政府埠頭に安着す。上海出発以来、丁度2週目にして、南京入城の大壮挙を完成し帰来する気持は格別なり。これより謀略その他の善後措置に全力を傾注せざるべからず。

 

   12月23日  晴

 2週間振りに帰来す。上海情勢、漸次平静に向かひつつあるも、南市の処分、未だ終らず。滬西方面にある外国人の居住も一応は許可せるも、支那人の出入自由ならざるため、実行、意のごとくならず。その後の謀略につき、原田少将、楠本大佐を召致して状況を聞く。これまた多少とも進展の模様にて、上海在住実業家を網羅する和平、救民運動はやうやくその緒に就かんとしつつあるも、未だ十分のまとまりを見ず、一層の努力を要するものと思はる。

 思ふに先日来のパネー事件、蕪湖事件等、英米抗議に対する東西の衝撃が、とかくに上海支那人中にも鋭敏に影響するものありしか。

杭州占領》

 第10軍はこの日、杭州を占領す。最早、何程抵抗なく第114、101師団により易く占領せられたるは欣ぶべし。なほ在留外国人の問題もなく無事なりしが幸ひなり。今後、風紀問題等も故障なからんことをひたすら祈るのみ。銭塘江対岸に対する作戦は今後の情勢により決することとし、暫く肅山、余杭附近を消極的に占領せしむるに止む。

 

   12月24日  小雨

 朝10時、米国海軍長官ヤーネル提督を訪問す。偶パネー号事件もあり、一応訪問し置くを利とすると認めたるによる。米長官以下、能く接待し、態度可なり。上海問題に関し色々の注文を出したるも、大体能く我が軍の態度に信頼を置くもののごとし。パネー号事件に関しては予より一応、遺憾の意を述べ、また犠牲兵に対し弔辞を

述べたるに、誠意、能く容れたり。

 要するに米海軍は我らに対し何ら、毫も感情的悪感なきものと認めたり。なほ彼は特に予に写真を送りたり。帰途、大使館を訪ひ、大使、総領事等に会し、上海方面一般の情勢を聞く。別に大したことなきにより、近々上海付近を一般外人、支那人に解放すべきことを申し合はす。なほ税関問題等については、現下の英米抗議問題片付きたる後、さらに強硬に我が最初の主張を貫徹するを利なりと考へ、右様申し入れ置きたり。

 

   12月25日  晴

《米長官来訪》

 朝、米国ヤーネル提督に以下多数の幕僚、マリン司令官を伴ひ答礼に来たる。予も誠意もつて遇し、日米両国の太平洋の平和に協力すべきことを述べ、なほ上海将来の治安維持については列国の協力を必要とすることを語りたるに、彼もまたこれに賛成し、なほ仏国租界内における排日分子の取り締まりにつき、専任司令官の立場をもつて彼より仏国側に所要の助言ありたき旨、述べたるに、彼は直ちにこれを承認せり。これにてこの日は毫もパネー事件その他、時局問題に直接触るることなく、すこぶる晴蕩の気分にて引き揚げたり。

《仏国海軍の招待》

 午後、仏国旗艦ピツケー号上における仏提督の午餐に出席す。仏国大使始め、例のジヤキノウ牧師等まで多数列席、すこぶる晴蕩たる気分の会食なり。助才なき仏提督、能く談じ、切に親和の情に努む。

 予もこれに応じて応酬し、大使、総領事に対し成るべく速やかににかつ完全に仏租界内の排日分子の清掃を要求せるに、彼は努めてこれに当たるべきも、何分避難民数多く、その取り締まりに困却しある旨を述べたり。彼らまた相応誠意なきにあらざるも、仏国側のことなれば、到底その完全を望むべからざるは勿論なり。

 聞く。同提督は26日発、海防に向かふ由。

 

   12月26日、27日  晴
      28日  雨

 東京と諸般の連絡ならびに意見具申のため、塚田参謀長を派遣す。

 上海兵站病院を視察す。設備も漸次整ひ、現在、傷病兵約5千名に過ぎず。赤十字看護班の協力により、大体好成績に衛生諸設備行はれつつあり、安心す。なほ慰耤の手段に欠くる所あり、研究を促し置けり。

《パネー号事件解決》

 26日、パネー号事件解決の報あり。十分の出来にはあらざれど、これにて一段落となれば、支那の各地方に対する影響、相当大なるべく、今後、上海付近謀略工作などにも一層進展を期し得べし。

 南京杭州付近また奪略、強姦の声を聞く。幕僚を特派して厳に取り締まりを要求するとともに、責任者の処罰など厳重、各軍に要求せしむ。

 27日、中[ママ]支那軍、済南を占領すとの報あり。今後 中[ママ]支那軍はさらに南方へ作戦し、山東を全然孤立せしむるの要あり。これがため我が軍において江北地方の作戦を徐州付近まで進むることさらに有効なりと信じ、前述塚田少将に対し右意見を東京に具申せしむ。浙江方面に対する作戦は右作戦の関係もあり、しばらく時機を待つこと有利なりと考へあり。

秩父宮妃殿下より御手製の靴下2足、将校婦人会を経て下賜せらる。御付武官に御礼の電報を出す。》

 

  十二月二十六日、二十七日  晴

  二十八日  雨

東京ト諸般ノ連絡 幷 意見具申

ノ為メ塚田参謀長ヲ派遣ス

上海兵站病院ヲ視察ス 設備モ

漸次整ヒ 現在 傷病兵 約五千名

ニ過キス 赤十字看護班ノ協力ニ依

リ大体 好成績ニ衛生諸設備 行

ハレツヽアリ安心ス 尚 慰耤ノ手段ニ欠クル

所アリ 研究ヲ促シ置ケリ

[上欄]パネー号事件解決

二十六日 パネー号事件 解決ノ報アリ 十分

ノ出来ニハアラサレト 之ニテ一段落トナレハ

支那ノ各地方ニ対スル影響、相當

大ナルヘク 今後 上海附近謀略工作

ナトニモ一層 進展ヲ期シ得ヘシ

南京杭州附近 又 奪略 強姦ノ

聲ヲ聞ク 幕僚ヲ特派シテ厳ニ取

締ヲ要求スルト共ニ 責任者ノ處罰

ナト厳重<各軍ニ

    要求セシム

二十七日 中[ママ]支那軍 済南ヲ占領ストノ

報アリ 今後 中[ママ]支那軍ハ更ニ南方ヘ

作戦シ 山東ヲ全然孤立セシムルノ要ア

リ 之レカ為 我軍ニ於テ江北地方ノ

作戦ヲ徐州附近 迠 進ムル事 更ニ有

効ナリト信シ 前述 塚田少将ニ對シ右

意見ヲ東京ニ具申セシム 浙江方面

ニ対スル作戦ハ右作戦ノ関係モアリ暫ク時

機ヲ待ツ事 有利ナリト考ヘアリ

秩父宮妃/殿下ヨリ御手/製の靴下/

 二足 将校/婦人會ヲ経/テ下賜セラル、/

 御附武官ニ/御礼ノ電報/ヲ出ス》

 

   12月29日  雨

 この日、市政府区に新営せる軍司令官官邸に引き移る。この家は支那人の家にて病院に充つべき未完成のものなり。これに手入れを加へ、相当の良官邸となれり。新築なるをもつて気持宜し。

 南京において各国大使館の自動車その他を我が軍兵卒掠奪せし事件あり。軍隊の無智乱暴、驚くに耐へたり。折角行軍の声価をかかることにて破壊するは残念至極。中山参謀を南京に派遣して、急遽、善後策を講ずるとともに、当事者の処罰は勿論、責任者を処分すべく命令す。ことに上海派遣軍は殿下の統率せらるるもの。その御徳に関する儀にもあり、厳重に処分方取り計らふ積りなり。

 上海四囲の虹口、滬西地区、南市等一帯に外人、支那人の開放を本日より施行す。その結果、将来、多少の不祥事発生すべきも、これ却つて支那人の見せしめに可なるべく、軍隊側も自然、緊張味を加ふるに至れば、軍紀·風紀問題にも良好の結果を得べしと思ふ。

 第10軍の第18師団は杭州西方富陽方面に敵を追撃し、多少の損傷ありたるも、概してこの方面の敵軍は最早戦意なく、逐次退却しつつあるも、なほ銭塘江右岸地区にさらに全般的追撃を実行する要ありと認む。

 

   12月30日、31日

 この日、李擇一、陳中孚、萱野等と会し今後の謀略につき指示を与へ、その意見をも聞く。上海における平和運動は漸く熟し来り、近々その声を揚げ得べしとのことなり。

 李は近く香港に行き、宋子文等と連絡し、国民政府のその後の動静を偵察すべしといふにつき、宋子文はこれを利用するは可なるも、新政権には参与せしめむべからざる意を伝ふ。

 陳の言によれば在漢口居正の妻、来滬、我が方の意向を知りたしとのことにつき、大体差し当たり防共、亜細亜主義のほか特に注文なき旨を告げ置きたり。なほ居正その他国民政府の一部には、蔣の下野を前提として日本との平和交渉に入りたき希望ある由につき、彼らに蔣下野後、国民政府を解体し、新政権を組織するを先決要件とする旨をも伝へたり。

《31日》

 温宋堯、唐紹儀の代理として来訪。飽くまで蔣の下野を必要とすることを述べ、尚両広(広東・広西)を独立せしめて英国との関係を遮断するの必要を述ぶるにより、同意を与へたり。なほ温は来着匆々、唐の意を承けて広東に至るべき旨を語れるにより、当方も和知大佐を派遣して協力せしむる様、談じ置けり。なほ我が軍は広東を攻撃するの態度を取ること、両広工作上、必要なりと語れり。この儀は研究の価値ありと認む。

 

昭和13年(2598年)

   1日元旦

 陣中元旦感無量。況んや予、本年還暦、寅年に会す。この年をもつて宿志を遂行せざるべからず。朝、屠蘇を祝ひ、11時、方面軍司令部に至り 一同の祝賀を受けたる後、東方に向かひ遥拝式を行ひ、了へて正午、司令部員一同と祝宴を張り、両陛下の万歳を三唱す。

 帰邸の後、各官の祝賀を受け、良元日を祝福す。

   昭和戊寅年頭所感

 北馬南船

幾千秋  興亜宿念顧多羞

 更年軍旅人還暦  壮志無成死不休

 

   1月2日

 朝来、長谷川長官、川越大使等の来訪を受け、諸般の問題を語る。

 塚田参謀長、東京より帰来す。

 その報告によれば、

1.軍の作戦に関し参謀本部は極めて消極にして、今後作戦範囲を拡大するを欲せず。

2.今後の善後措置に関しては、政府は未だ何等の決意なく、あるいは国民政府との妥協も意を嘱し、または新政権の設立を希望するなど、その腹の定まらざること予想のほかなり。

3.しかも軍今後の謀略について深き熱意を有せず、自然、予の希望し残したる人間の派遣に同意せず、ことに予が直接大臣に書信を与へたるにかかはらず、これに返答することなく、次官との交渉すべきを塚田少将に答へたるなど、その優柔不断、驚くに耐へたり。

 これを要するに、政府をしてこの際、国民政府に見切りを付けしむることが、今後の作戦ならびに謀略を実行するの要を認めしむるの先決要件なるを感ぜしむ。よつて大使館側および海軍との間にまづ当地の意見をまとむること必要なりと考へ、これが交渉方を命ず。

 この日新年の書初めを行ひ、多数の旧詩を録し、部下に分配す。

 

   1月3日  曇、寒し

 第10軍に命じ第101師団を上海付近に復帰せしむべく命令す。

 またさきに軍の直轄とする国崎支隊を奉勅命令により北支那軍に復帰せしむべく命令す。本支隊は南京および上海にて乗船し、13日乃至16日出発の予定なり。

 午後、海軍長官を答訪し、上記政府の態度につき通報するとともに、軍の作戦は今後、小範囲の必要なるものに限り、その拡大を行ふこと能はざる旨を告げ、せめて桃中山(銅陵)、鉄砿位の占領を行ひたき意向なるを告げ、該地付近の情況の偵察を依頼す。

 また虹口地区における支那人の復帰を海軍側が遅[→踟]蹰しあるは、一般の情勢上、面白からざる旨を告げ、努めて速やかに復帰方希望するとともに、これがため警備上兵力を要するなれば、陸軍においてこれが援助を吝[おし]まざることを述べ来たる。けだしこれに関する海軍の真意不明。あるいは居留新民の甘心(一部のものむしろ不良なる独占的思想者)を買ふためならずや。考究の価値ありと認む。

 

   1月4日  晴

 河相外務書記官来訪、東京の情勢を聞く。なほ今夜、大使始め外務省側一同と会食の予定なれば、その上重ねて意見を交換するはずなるも、彼が意向は大体、大亜細亜主義の実行に賛成しあるは頼もし。

 この夜、川越大使以下大使館員ならびに河相局長を合はせ時局善後談を試み、まづ

1.政府をして国民政府を否認する旨、何らの形式において声明せしむること、

2.上海税関および塩税収入はそほ幾分を英米銀行に委管せしめ、残部を正金銀行に保管せしめ、将来、南京政権の財源に使用せしむること、

3.上海共同租界の行政および警察に日本の有力者採用を強要すること、

4.虹口租界に支那人を自由にし、その繁栄を謀ること、

5.軍の占領せる虹口~呉淞間の地区に速やかに水道、電気、電話の施設を完成すること、

6.上海以外軍占領区域に逐次に外国人の居住·往来を自由にすること

等を協議し、いづれも意見の一致を見たるにより、さらに海軍との間に意見を取りまとめ、一面これを東京に上申するとともに、現地において実行すべきものを着々励行することに打ち合はせたり。

 

   1月5日  晴

 陸海軍幕僚、特務部の者どもを会合せしめ、昨日大使と協議せる今後国策策定に関する意見中、国民政府否認の声明を発表するの可否につき協議せしむ。大体海軍も予の意見に同意につき、ここに陸海、外務三方面より右意見をそれぞれ東京に具申することに談をまとむ。

 この日、船津辰一郎を招致し、時局に関する意見を聞く。大体これまた予の意見に同意なり。

 

   1月6日  晴

 温宗堯来訪。両広独立運動に関し打合せをなす。温は8日上海出発、香港に向かひ、同地にて同志と協議のはずにつき、当方よりも和地大佐を、能はざれば中井中佐を香港に派遣し、連絡の上、協力せしむることに約す。

 両軍参謀長を招致し情勢を聞き、今後の諸件につき指示を与ふ。両軍の軍紀·風紀も漸次取り締まられ、緊粛に勉めつつあるにより、今後最早、大なる憂慮なきものと認む。なほ今後軍作戦拡張の件については、東京との諒解を得次第、江北および浙江を両方面に向かひ一部の作戦を実行したき予の意向を告げ、夫々準備に怠りなき様要求す。

 その後の謀略、漸次進行中なるも、陸海外務の連絡十分ならず、また各自それぞれ自己の意に従ひ活動し、統一を欠くの感あり。市民協会の設立のごときは全然陸軍の与り知らざりしところなるがごとき、その一例なり。こんなことでは将来のこと思ひ遣られ、何としても速やかに予の直轄の下に一大謀略機関を置き、海軍、外務の人々をも一団となり働く様組織するの要を痛感す。

 三菱銀行上海支店長、吉田氏来訪す。今後の経済問題に関する意見を聞く。格別のことなきも、大体予の意見に反せず。これらの人も将来特務機関中に包容、ともに研究せしむるを可なりと認む。

 

   1月7日  晴

 島田俊雄岡田忠彦大口、原口などの政友議員団、慰問に来訪する。

 阿南人事局長、各地の視察を了り帰来す。その報告によれば、各軍とも軍紀·風紀その他の諸問題漸次振粛し、作戦準備もまた怠りなしとのこと。安心す。

 先日来、大使館、海軍との連絡の結果、この際、我が政府をして国民政府否認を決定し、何らかの形式によりこれを内外に声明するは今後の作戦および謀略上重要なりとの意見に一致し、これが意見具申を大臣、総長に提出するとともに、海軍および大使館をして各々それぞれ上申せしむるに取り計らふ。なほこれに関し人事局長に託し、近衛首相、広田外相、杉山陸将の連名にて私信を認[したた]め、右大方針に伴ふ爾後の作戦、およびこれが実行機関として上海に予の統括の下に特務機関を設立し、海、外、大蔵および商工省等の人員をも網羅し、今後の軍事、政治、経済諸問題を研究立案せしむるの要あるを申し遣はす。

 なほこれが特務機関要員として佐々木到一和地大佐の両人は是非必要につき、速やかにこれを軍司令部付に任命すること、および成し得れば塚田少将を第一部長に任命し、その後任として佐々木少将を充当するも可なるべく、能はざれば佐々木は特務要員に、参謀長は天津にある川辺少将を充当するも可なる旨、申し遣はす。またこれとともに今後軍の作戦および兵力減少の時機に関し、3月まで現情維持の必要なる旨を次長に伝言す。

《第10師団と連絡し、徐州付近隴海鉄道を占領し、塩の運輸を断つとともに、浙江における今後政権の範囲を拡張するため、今後あるいは江北、浙江に対し小規模の作戦を行ふの必要なることをも言ひ付けたり。》

 

   1月8日  晴

 賀陽宮殿下、大学教官の御資格にて戦場視察の為め御来着。軍司令部において一応、主任者より戦況経過其他の所感につき御説明す。殿下すこぶる御元気に、かつ熱心に御研究の状、恐縮の至りなり。

 

   1月9日  晴

 この夜、島田俊雄一行を晩餐に招き、種々時局問題につき予の意見を開陳す。彼ら大体に予の意見に同意。帰国後、大いに尽力すべき旨、申し述ぶ。

 先日来、上海租界内にて兵と外国巡査の衝突、日仏兵の小衝突等あり。大事には至らざるも、彼我感情の阻隔を免れず。先般パネー事件以来、欧米等の態度やや強気となれるやの感あり。自然、支那人にも影響することなれば、適時、所要の手段を講ずるの要あるに至るやも知れず。しかれどもこの上、諸外国の神経を尖らせることも妙なり。さればなほ隠忍するを可とす。

 

   1月10日  晴

 内地の新聞の報によれば、昨日東京において閣議、内閣と大本営との打ち合はせ、参議との談合等行はれ、今後の対支政策につき一層具体的決定を見たるやの模様。内容不明なれど、まあ、かくのごとき漸次政府の旗色明朗となることは、軍の作戦·謀略の上にも明快となるのみならず、支那側に与ふる感興も浅からずと信ず。今後その結果を知るに及びてそれぞれ積極的に行動するを得べしと楽しむ。

 

   1月11日  曇

 この日、南市初度視察を行ひ、第10軍兵站部、砲·工兵厰等を視察し、警備状態を見、兵站病院を慰問す。

 南市の破壊は予想外にして、大部分、火災のため荒れ果てあり。この模様にては居留民の復帰も捗々しく行かざるは勿論につき、兵站司令官および警備隊長に旨を授け、成るべく早く多数の支那人を復帰せしめ、我が軍に懐かしむる様、十分の考慮と工作を行ふ様、申し付けたり。ことに警備隊の態度はやはり支那人を寄せ付けざる方[が]便宜にて面倒なしと云[ふ]気持らしく、これでは到底、南市の復活も何時になるやも計ら[れ]ざるにつき、是非充分の注意を与へたり。

 とにかく軍隊はやはり飽くまで軍隊にて、その気持ち到底吾らの思ふ様に行かざるは当然なるも、そのいわゆる支那膺懲、支那人蔑視の思想が今後とも善後措置にむしろ障碍を与ふべきこと想像せらる。何とか方法を考へざるべからず。

 兵站病院は元中山病院を利用しありて、その設備、建物等完全なれども、水道、電気、未だ一部しか通ぜざるため諸般の施設に不便多し。しかれども現在患者1,500名、相当に看護せられあり。ことに最近、赤十字救護班3班を配属することとなり、すでにその1班は来着しあれば、今後の看護その他に不都合なしと安心す。

 この夜、元第6師長を晩餐に招き色々の実戦談を聞く。

 

   1月12日  晴

 原田少将より政権樹立ならびに政治·経済工策につき既往研究の実況を聞く。大体最近順調に向かひつつあるは可なれども、なほ肝緊の中心人物に唐紹儀が乗り出すや否不明につき、これらにつきさらに外務、海軍と連絡しつつ工作を進むる様、注意を与ふ。なほこれら工作いささか不安の点あるをもつて、南京より佐々木少将を招致し共同研究せしむ。

 広西代表との連絡出来、不日、王紀文、香港に来たるとのことにつき、これが連絡のため何[→夏]文運を香港に派遣し当方の意向を伝へしめ、両広の懐柔に努めしむ。

 

   1月13日  曇

 軍占領地における各部隊が地方物資を占領保管し、地方自治の復活上障碍となりつつある旨、大西派遣軍参謀実視の報告を受く。よつてかねて各軍に訓示せる既徴発物資の処分につき、軍の意図を各部隊に徹底せしむるの要を感じ、参謀長に命じ各軍経理部長を召集し、状況を確かむるとともに所要の指示を与ふるの要を述べ、研究を促す。

 楠本大佐を召集し、南市自治機関の設立その他の模様を聞く。大体、緩徐ながら予の希望に向かひつつあることを知り、一通り安心するも、なほ以後の指導につき注意を与ふ。

 全般的謀略についても昨日原田少将に与へたると同様の注意を与へ、各方面との意思疎通と連絡に努むる様、要求す。

 

   1月14日  晴

  賀陽宮殿下の戦跡御視察に同行し、蘇州河に於ける第9師団渡河戦闘の跡を見、第36連隊第3大隊長、清水少佐の戦歴談を聞く。見れば戦場はさしたるものにあらず、当時敵の兵力に鑑み、その渡河のさしたるものにあらざるを知るとともに、当時における我が軍の志気の程度も回想するに足る。ことにその攻撃に昼間を択びたるは、我が砲兵威力の発揮を欲したるものなるべく、とかくに当時我が軍に夜襲的企図心の萎縻しあるを察するに足る。

 沿道、蘇州河両岸、ことに右岸地区には大分支那人帰来し、大道政府の巡査なども配置せられ、漸次、明瞭気分となりたるを悦ぶ。

 

   1月15日  曇

 伊藤公使来訪。政府の態度、ことにドイツ大使仲介運動いまなほ熄まず、政府これに捉はれて逡巡しあるの情報を伝へ、政府の処決を促すべく策動の要あるを述ぶ。吃驚す。よつて原田少将を招き、再度目下の情勢に応ずる軍の意見具申を行ふとともに、原田少将を一応帰京せしめ当局を鞭撻するの要ありとし、これが熟議を重ぬるとともに再度の意見具申の起案を命ず。 

 

   1月16日  晴

 この日政府は国民政府を今後対手とせざる旨の声明を発したり。その真意審かならざるも、一歩我らの主張に近づきたるは疑ふの余地なし。ただ何だか未だ政府の決意に不安あるをもつて、やはりこの際、当地各方面の意見を政府に進言し、今後の覚悟を強固ならしむるとともに、今後これに応ずる謀略は勿論、作戦にも一段の進境に進むの必要を具申するの必要なるを感知し、伊藤公使、塚田、原田両少将と熟議の上、右様決定し、これに応ずる当地の諸方針を至急取りまとむべく命ず。

 

   1月17日

 賀陽宮殿下、昨日台湾より再度当地に着せられたるにより、午後、御宿舎に伺候し、方面軍編成当時の経緯ならびに丁集団上陸作戦に関する当時の予の意見等を御説明するとともに、なほ本作戦間の経験に基づく所感の二三を御説明す。

 終つて会食の栄を賜ひ、朝日新聞社より寄贈の映画、万歳等を見、一夕の歓を尽くす。

 

   1月18日  曇

 賀陽宮殿下午後2時発、御帰朝せらるるにつき、王賓飛行場に御見送りし、終つて月浦鎮楊行鎮におけるバラツク建設予定地等を視察す。

 付近支那人の一部は廃墟となれる家屋を仮修繕し、多少宛帰郷しあるを見る。なほこれらに生活の途を与へ、これを帰服せしむるの手段を講ずるの必要を痛感す。

 本日の飛行便に托し参謀次長宛、謀略に要する人事の即決を促し、なほ今後軍が江北および浙江、安徽に向かひ小基[→規?]模の作戦を行ひ、寧波をも攻略するの意図なることを申し遣はす。

 

   1月19日  雨

 原田塚田武藤公平を集め今後の謀略、作戦に関する研究を遂げ、委曲、明二十日、飛行便にて原田少将を帰朝せしむるに取り計らふとともに、これに関する当地の計画意見を筆記具申することとし、同時に伊藤公使、岡崎外務書記官のほか海軍側より1名を帰朝せしめ、海軍側に対し同様説明せしむることとす。

 七夫、藤岡同道、視察慰問のため着す。よつてこの夜会食、久振に内地の便りを色々聞く。

 なほ寧波および浙江省に対する今後の攻撃につき幕僚側の研究を促す。

 

   1月20日  小雨

 東京市会議員および鐘紡代表者、慰問に来訪につき、今後の対中支政策に関する予の意見の一班を申し聞かす。

 宮地貫道来訪、日々新聞を軍にて買収の件につき希望を申し入る。よつて金子少佐を招致し成るべく便宜取り計らふ様、申し遣はす。

 

   1月21日  曇後小雪

 この朝8時、北停車場発、汽車にて杭州に行く。なほ清水書記官をして支那人数名を伴はしめ、杭州治安維持会と連絡せしむることを取り計らふ。

 滬杭鉄道は嘉興以西の破壊、大なりしため、やうやく去る17日、杭州に開通するに至りたるも、一同の努力により今後毎日250トンくらいを輸送し得る程度となれるは喜ぶべし。沿道都市は相当の被害あり、ことに嘉興は大部分破壊し、自然、人民の帰来、意のごとくならざるも、概して滬寧鉄道沿線に比し良好にて、その回復も速やかなるべしと思はれ、只沿線守備の後備大隊の一般地方安撫の意気足らざるは遺憾につき、それぞれ激励を与へたり。

杭州は予想以外に破壊せられず、一般に平穏の機運漲りあるは喜ぶべきも、支那軍が退却に充分の準備時間を有したるため、ほとんど官公私宅での物資を持ち去りたるため現情すこぶる振はず、治安自治の人々もまた無力にして、将来何ら[か]の方法を講ぜざれば自治復興困難なりと認めたり。》

 

   1月22日  晴

 軍司令部、師団司令部を訪ひ、野戦、予備の両病院を慰問し、さらに雲隠寺付近の状勢を視察す。

 軍司令官の態度、可なり。ことに軍紀・風紀の取締に努力せる形跡あるは可なり。水嶋師団長は真剣に諸般の事を処理し、最も良好なり。

 軍司令部が軍隊の休養に重きを置き新配備に就きたるは、既往の作戦直後としてやむなき事情あるは諒とするも、ために一般の志気に悪影響を与へたる感あるは遺憾なり。

 すなはち予の希望せる銭塘江右岸の攻撃を実行するためには、今後20日の準備時日を要すとのことなるが、かくては114師団の引き上げ関係等よりその攻撃実行不可能と思はれ、何らかの便法を講ずるの要あり、研究を促し置けり。

《在杭州宣撫の情況は上記杭州の実況上、まづ上海との交通を容易にすること必要にて、さらに上海または対岸より有力なる人および物資を入るることも必要と思はれ、それぞれ当局者に注意を与へ置けり。》

 

   1月23日  晴

 朝10時、飛行機にて出発、湖州、平望等を上空より視察しつつ龍華に帰着す。

 湖州は殷盛にして宣撫の工作も可なり。

 当地農村は一般に兵燹に罹れるもの少なく、すでに安穏の状勢にあるは喜ぶべし。

 龍華付近および滬西地区警備および宣撫の状勢に関し佐藤少将より報告を聞く。一般の状勢、漸次安穏に赴くも、なほ住民、家無く、帰来するもの極めて稀にして、我が軍隊の宿泊すべき家屋も充分ならずと。

 宣撫の効果、未だ緒に就かず。滬西地区すでに解放するも、外人ども帰来するもの極めて少数に過ぎず。要するにこれらの状勢は深く考慮すべきものにして、各所避難所の措置等と併せ研究すべきものと思はる。

 

   1月24日  曇

 参謀次長より、第114師団を2月17日より輸送すべく、第11師団の天谷部隊は南京付近に集結して速やかに海路出発の用意ある旨、内報あり。

 あたかも浙江方面作戦の必要を痛感しある際、114師の帰還は大なる故障を生じ、その実行ほとんど不可能に陥るをもつて、これが善後策につき幕僚の研究を促す。思ふに参謀本部が数度にわたる我が意見具申を無視し、当地方政略関係を顧みず、徒らに軍隊の転用を計画するの妄を歎ぜざるを得ず。

 さきに香港に差遣せる岡田尚、帰来す。その報告によれば、宋子文は蔣介石と離れて当方面政権に合流するの意、多少動きつつあるもののごとく、日本にして真に支那を救済するの意をもつて動くなれば、彼にも浙江財閥を掌握して国民政府と分離するも避けず、進んで我が方とこの間の接衝を試むるの意ありとのこと。右は宋美齡宋子安らとも協議の結果なりといへり。この間の真意に多少の疑いなきにあらざれば、篤と研究を重ねたる上、何分の措置を講ずるを要と認む。

 また福建、陳毅は目下国民党部の軟禁に遭ひ進退自由ならざれば、何とかして福州の現状に処し、あるいは福州を離脱して後図を図らんとするの意ありといふ。これまた遽に信を措き難く、さらに調査の要あり。

《第16師団長、北支に転進のため着滬す。そのいふ所、言動、例により面白からず。ことに奪掠のことに関し甚だ平気の言あるは遺憾とする所。よつて厳に命じて転送荷物を再検査せしめ、鹵獲、奪略品の輸送を禁ずることに取り計らふ。》

 

  1月25日  晴

 この日、羅店鎮、嘉定、南翔附近の戦跡を視察し、地方の状勢を観察するに、とにかく各所人家の大部破壊せられ、人民帰るに家なき様にて、嘉定県内に従来20万余の人口ありしもの、今帰来せるもの約2万に過ぎず。大部は春期に入らざれば復帰覚束なき状勢なり。ただし嘉定県城には毎日なほ100余名の帰来者あり、地方治安の回復とともに漸次、一部の復興を見つつあり。

 瀏家鎮はなほ帰来者300名に過ぎず、最も不成績なり。軍の宣撫工作は漸次効果を挙げつつあるは事実なるも、なほなほ研究の要あり。

 

  1月26日  晴、寒し

 川越大使帰朝の下命。不日出発につき来訪、意見を交換す。大体予の意見に同じ。

 なほ原田少将、本日帰来のはずなりしも不着につき、明日その帰任を待ち東京の状況を確かめたる上、さらに今後の政治工作ならびに作戦に関する腹を定め、同大使にも伝言して当局の再考を促すべく決定し、幕僚にも研究を命ずるも、幕僚どもも最早さらに積極的に軍の最後を全ふするの熱意と誠意足らざるもののごとく、とかくに自重消極に陥らんとするの状にあるは遺憾なり。

 派遣軍より鳳陽攻撃の意見具申あり。よつて攻撃後、現配置に復帰する条件の下にこれを許可す。けだし津浦線における我が軍の積極的行動は、目下の状勢上、緊急なりと認むるも、何分、参謀本部これを認めず、すでに兵力の転用を内命し来たりある現状において妄りに派遣軍の稟申を許容し難く、ことに浙江方面に対する今後の作戦も考慮するときは、この際、軍は全般的に今後の作戦方針を定むるの要あるをもつて、一時、右のごとく措置するの外なきなり。

 

   1月27日  晴

 原田少将帰任す。その報告によれば、東京政府は大体において当方この後の政治・経済方策に依存なきも、陸軍省は将来、飽くまで北京臨時政府をして支那を統一せしめんとの意なる由には一驚せり。外務、海軍はしからずと[の]ことなれど、陸軍側は主として北京方面軍の意見に動かされあるもののごとく、参謀本部は必ずしもしからずとのこと。かかる思想が従来当方面における謀略、作戦を掣肘し来たれること今やほとんど明瞭なり。この妄を啓くにあらざれば将来における中支方面の策動はすべての困難に遭遇すべく深憂を禁ぜず。すでに先般来当地方面は、一方日本側の消極に反して、漢江政府の軍事、政治両方面における積極的工作および宣伝と相俟ちて、漸次に形成悪化しつつある際、この際、当方としてはこれに対抗すべき積極的態度を要すべきは勿論なり。

 しかも東京陸軍側の態度かくのごとくにては、到底謀略・作戦ともに予の欲する底の工作を実行する能はず。何とかしてこの難境を突破せざれば、予は1万有余の忠霊に対し地下に見ゆること能はず。篤と思案を要すべしと覚悟せるも、なほ明日来着のはずの本間少将の意見をも聴取したる上、決心すべく、取り敢へず明日帰朝の途に就く川越大使に対し充分この間の事情と予の意中を説明し、帰京後一段の尽力を頼むこととせり。

 なほ李思浩は一両日来、行衛不明となり、当地の政治工作に頓挫を来せり。これまた篤と研究、後図を策せざるべからず。

 しかも一昨日は敵飛行機は蕪湖、南京および杭州の各地に来襲し、我が軍にも損害ありしのみならず、江北滁県においても蕪湖の前面においても千余りの敵軍攻撃し来たり。勿論これを撃攘して相当の損害を与へたるも、かくのごとく我が方が依然消極守勢の地位にあり反つて敵軍より空陸の攻撃を受けある様にては、中々当方面政権樹立など思ひも寄らざる次第なり。李思浩の遁亡などもこの間の消息を明らかにするものなれば、この度は是非とも何らかの覚悟を定めざるべからず。なほ当地財界要人昨今の態度は却つて日々消極傍観的に陥りあるは、上海におけるテロ団の脅迫等にも原由すべく、併せて何らかの手段を講ずるの要ありと認む。

 

   1月28日

 川越大使、今朝出発、帰朝につき、大使館に決別し目下の状勢に関する所見を伝へ、中央当局の鞭撻を托す。

《軍今後の謀略ならびに作戦に関し中央部との意見の阻隔 これに対する感想》

 本間少将来着す。その言によれば江南方面に対する中央政府及軍部の態度なほ明確を欠くもの多きを感ず。政治工作、作戦方針ともにしかり。ことに政策と作戦との連繋に関する参謀本部の態度、充分の一致を見ざるやの観あるは遺憾なり。けだし参謀本部は将来各方面に対する責任感上、とかくになほ支那方面の作戦を努めて短期間内に終局せしめんとの希望やまず、自然北支、中支ともに作戦の不徹底を免れざるに至れるがごとし。ことに陸軍省側が北支軍の意見に誘惑せられて全支那の将来政局に関する判断を誤らんとするの観あるは憂慮すべきものなり。統率部の不断は出先軍に自然、独断的措置を必要とすることあるべく、政策部の誤認は適宜の独断と指導により事実的にその妄を覚らしめざるべからず。いづれにしても今後予の責任は重大なりと痛感し、要すれば一身を犠牲にするの覚悟すら要することあるべきと覚悟せざるを得ず。一身の安に就くは安し。身を棄てて国難に殉ずる[は]固とより覚悟せるところなれども、全軍統率の責任など考ふれば、ただただ一身の腹切るだけにては全軍統率の任務を完ふする所以にもあらず、篤と熟慮を要すべきの秋なりと自戒す。

 

   1月29日、30日

 参謀次長よりの来電に依れば、大本営は予の前後数回にわたる公私意見を採用せず、江北および西浙地方に対する軍の作戦行動を行はざることに決定せりとのこと。憤懣限りなし。之を要するに、我が陸軍の大勢に通ぜざる作戦部の腹なきに因するものなれど、かくては到底、当地の政権成立に大なる支障あるは勿論なり。ことに昨今支那側の宣伝と各方面における積極的行動に対し、どうしてもその出鼻を挫くこと緊要なるに係は[ら]ず、軍が折角容易に此の目的を達するに足る兵力を徒らに擁しつつ無理に消極的態度を固守することは、自然、将来江南地方に対する我が軍部の熱意を表明すること能はず、折角動きつつある反蔣政客の決心を鈍らすこと明らかなればなり。

 現に各方面の情勢を見るに、当地の政権運動は一頓挫の体にあり。しかも数日前来着せる佐藤安之助、高木陸郎等をして側面より支那側の空気を打診せしめたる結果、支那人間には相当蹶起の覚悟ありて、時期の到来を待ちつつあるは事実なるがごとし。我が方の態度、今においてかくのごときは真に遺憾に禁ぜず。よつてさらに各方面の研究を促し、万一の場合には予自らも決心せざるべからざることあるを期す。

 

   1月31日(旧暦元旦)

 先日来来遊中の七夫、好春明後日帰国、佐藤、高木も今日北支に向け出発につき、この夜会食、訣別し、なほ今後の諸問題につき協議す。

 結局、予の現任中この地に完全なる政権を樹立すること難く、なほ此様の政府、ことに陸軍の態度にては今後たとひ当地に政権を設立するもその指導その他にあまたの困難を生ずべきにつき、予はこの際、強ひてこの地に政権樹立までは行かず、地方自治会程度に止めて、むしろ一応内地に引き上げ、政府を鞭撻して爾後の諸政策を立て直すことに尽力する方良かるべしとの意見に一同同意す。

 よつて七夫帰朝後、篤と当地方の状況、これに関する予の意見を陸相および多田次長に委曲伝達してその再考を促すとともに、佐藤、高木は一応北支の情勢を視察し来たり、さらに当地の現況に即して援助することに談合す。勿論今後の情勢に応じ更に考慮すべきは勿論なれど、大体右様の覚悟を定め置けば余り心痛もなく一時を糊塗し得べく、予は心中極めて遺憾にして、また忠霊に対しても申し訳なき次第なれど、とにかく一時的措置としては最早これ位に思ひ止るほかなく、帰朝後さらに政府を鞭撻し、陸海軍当局の妄を啓きたる上、再渡支して最後の努力をなすを可とするの覚悟を定めたる次第なり。

 

   2月1日

 今朝、塚田参謀長を招致し、大体上述のごとき予の意見を述べたるに、彼ら幕僚の欲するところまたかくのごとく、勿論これに同意を表したるにより、さらに帰邸後、臼田、長の両人を招致し意見を叩きたるに、彼等は飽くまでこれに同意せず、予の在任中いかにもして政権樹立に遭[→漕]ぎ付けんとの決意固く、またその後支那人との折衝の模様、相当目的達成の見込みありとのことにして、李擇一らも今後専らこの運動に専念尽力することとなれるなど申し、予の決意を促すこと頻りなり。

 よつて予は、しからばとにかくその方針にて依然運動を継続し、一面、傅筱庵らをして上海自治機関の設立運動をも併行促進することに同意を与へたり。

 けだしその成否は勿論疑はしきも、やはりこれまでの努力を継続すること、もとより予の本意なれば、しばらく彼らの意に従ひその成行を見ることとすべし。ただしこれがためには要すれば今後軍の作戦をある程度まで断行するの必要あるべく、これに関しては篤と研究覚悟せざるべからず。まづ一応、本間少将帰国前、幕僚会議を開きて、本間少将を説得して当局に決意を促すこととし、さらに今後その情勢に応じて臨機の措置を講ずるの覚悟を定めたり。すなはち本月5、6日頃より自ら南京に至り、派遣軍の情勢を視察し所要の措置を執るの必要をも感じ、なほ研究考慮することとす。

 

   2月2日

 さきに帰朝の途に上り昨日帰来せる伊藤述史公使来訪、東京各方面の情況を聞く。大体従来各方面より聞知せる所に異ならず。要は政府、ことに外務陸海軍の決意、甚だ未だ心細く、今後大いに鞭撻を加ふるの要あるとの判断にて、ただ近衛首相だけが相当の決意あるのみにて、末次内相風見書記官[長]らが唯一の後援者たる有様なりとの事にて、伊藤自身も多分近く帰朝を命ぜらるべく、今後むしろ東京における画策に重要性ありとの談につき、なほ奮励尽力を勧告す。

 大川周明博士、数日前来滬せるにつき、招致して予の意見を色々開陳す。彼の考ふるところ全然予と同じきにより、むしろ至急帰京して東京における尽力を希望し、彼またこれを快諾せり。

 なほ今後当方面における思想、文化運動につき大川氏の尽力を希望せるに、これまた快諾し、帰京後、人選と組織につき考究すべきを約せるにより、これまた近衛、末次両人と熟議し東方文化事業部より出資せしめ、同文書院の組織等を利用するも一案なりと研究を促し置けり。尚、当地にすでに計画中の「興亜会」に支那の学者を収容し、彼らをして活動せしむるを可とするの意見を述べたり。これ最も適切の考察なりと考へ、研究を進むることを約す。

《第13師団は昨日鳳陽、臨准関、定遠を占領せり。敵の抵抗は予想のごとく頑強ならず、自然、当方の犠牲も少なし。まあこれにて徐州方面における支那の宣伝的作戦に一蹴を与へ得たるは幸ひなるも、なほも当方面に一層の強圧を加ふるの要あるべしと考ふ。》

 

   2月3日

 特務部謀略関係のものを集め、政権樹立、地方自治工作に関する状勢を聞く。

 その大要に曰く、

1.政権樹立運動は昨今やうやく本筋に入り来たるやの感あり。李思浩は一時香港に遁れたるも、近く帰滬すべく、すでに同人の各地に連絡せるもの北支より2名来着せり。温宗尭、梁鴻志、陳群、張簫林らを中心として、2月中旬、南京に華中政府籌備委員会を組織し、月内に政権樹立まで到達するの覚悟をもつて画策を進めつつあり。

2.地方自治機関は蘇州、湖州等はすでに相当の成績を挙げつつあり、最近、周鳳岐自ら杭州に至り同地に自治委員会を設立するはずなれば、これらの諸機関と前記政権と連絡して地方自治の実績を挙ぐることに努むべく、上海に政権樹立後には傅筱庵立ちて市政会、大道政府を合同して上海市機関を設立するの準備にあり

との事にて、大体是等の運動が具体化しあるは可歓。殊に李擇一も奮起して是等首脳者の連絡に当たることとなれりと云ふは是亦相当の仕事をなし得べしと考へらる

 よつてさらにこれら運動の妨害たる上海テロ団等の清掃、新聞の取締等に一層の努力を払ひ、安んじて彼等の運動を行ひ得る様、一般の情勢を作為するの要を述べ、その注意を促せり。

 

   2月4日

 かねて上海派遣軍において大場鎮西端に地を卜し表忠塔建設の計画あり。本日その地鎮祭を行ふにより列席す。地は大場鎮西端陣地の一部にして恰適の処にて、500~300mの地を画して適宜地形の改造等を行ひ、公園式様のものを設立する計画なり。経費は派遣軍将兵一同より約4万円を拠出し、兵力をもつて土工をなさしめ、記念碑は上海請負商をして3万円にて請負はしむることに定まれる由。大体の計画、適当なりと認めたり。なほ当日、各師団参謀長等会同し懐旧談を交へて会食し、意義深き地鎮祭なりし。

 本間少将、南京、杭州を視察し帰来せるにより、その後謀略の情況を説明するとともに、一般支那人は少くも徐州占領が政権の発達に必要なりとする感想多き旨を説き、参謀本部が少なくもこの際徐州攻撃を決行するの決心を定むるの要を説き、114師団を江北の運河を経て陸路北に転用するの利なることを説明し、研究を促したり。

 なほ将来軍が浙江、安徽方面に対してもその占領地を拡大するを要するとの予の従来の意見を図示して与へ、研究を依頼す。

 また軍編成の改変については敢へて異見なきも、軍司令官、参謀長の人選につき希望を述べ、要すれば予自ら残留することをも避けざることを申し含めたり。

 

   2月5日 小雪

 田辺輝雄、上海商務総会決議の異見具申案を携帯し来たる。よつてこれを接受するとともに、将来、上海居留民をして真に大局的見地に立ち、日支提携に努力する様指導方依嘱するとともに、今後においても進んで適時意見を特務部に向けて開陳せられ度き旨、申し含む。

 

   2月6日

 朝8時出発、汽車にて南京行。

 沿道の状況すべて著しく鎮静に動き、各地避難民も漸次帰来し、各地自治組織の成立しつつあるは欣ぶべきも、未だ一般の状勢なかなか容易ならず。支那人民の我が軍に対する恐怖心去らず、寒気と家なきため帰来の遅るること、もとよりその主因なるも、我が軍に対する反抗といふよりも恐怖、不安の念の去らざること、その重要なる原因なるべしと察せらる。すなはち各地守備隊につきその心持を聞くに、到底予の精神は軍隊に徹底しあらざるは勿論、本事件につき根本の理解と覚悟なきによるもの多く、一面、軍紀·風紀の弛緩が完全に回復せず、各幹部またとかくに情実に流れ、または姑息に陥り、軍自らをして地方宣撫に当たらしむることのむしろ有害無益なるを感じ浩歎の至りなり。

 6時南京着、直ちに大使館に投じ、夜、朝香宮殿下の御祝宴に列す。殿下は切に江北方面における作戦の必要を述べられ、また現兵力をもつて裕に宿県辺までは守備するに足ることをもつてせらる。御同感の次第にて、これ以上積極的行動は、中央の考の変るまでは慎しむべきも現状を保持するだけは依存なき旨、申し入れたり。なほ軍記·風紀問題についてはやはり第16師団長以下の言動宜しからざるに起因するもの多き旨語られ、全く従来予の観察と同様なり。

 

   2月7日

 朝、軍司令部に至り軍司令官および参謀長の報告を受け、なほ幕僚と懇談す。各課長の意見もやはり江北作戦の必需性と容易性を説き、多少後方守備の兵を増加せば、現第13師団の兵力をもつて広く宿県より芦州(合肥)の線を占領するに適すべく、後方補給もまた現機関をもつて実行し得る見込み充分なる旨を聞く。

 午後、慰霊祭に参列す。予は去年、南京入城翌日、最初の慰霊祭を自ら祭主として営み、今日また50日祭ともいふべきこの祭事に遭ふものなれど、さきのものは戦勝の誇と気分にて、むしろ忠霊に対し悲哀の情少なかりしも、今日はただただ悲哀その物に捉はれ、責任感の太く胸中に迫るを覚えたり。けだし南京占領後の軍の諸不始末とその後地方自治、政権工作等の進捗せざるに起因するものなり。よつて式後参集各隊長を集め、予のこの所感を披露して一般の戒飭を促せり。

  忠霊(病死とも)  18,000余

  斃馬       12,000頭

 終つて宣撫委員を集めその後の状況を聞くに、目下南京城内居住30万の人民中、10万余は城内の旧所に復帰して概ね我が軍に親しみつつあるも、尚半ば不安と外人側の庇護とにより復帰せざるは遺憾なるも、漸次著敷好況に進みあり。ただ自治委員の顔振れいかにも貧弱なるは、財源なきためその施設の見るべきものなきもその一因なり。将来、交通の回復と物資の出入りの便を講ずること目下の急務なりとの意見なり。尤ものことなりと思惟し、それぞれ機関にその旨を伝へ今後の活動を要求す。

支那側の自治委員の各員と会見す。彼等も頌徳の意を表するにより、予もその奮励協力を希望し置けり。》

 

 

↑(偕行社 南京戦史資料集 Ⅱ )

松井石根 戦陣日誌 昭和12.11.1~13.2.28(防衛省防衛研究所 支那-支那事変日誌回想-308)

松井石根『出征日誌第2巻』から(新漢字ひらがな表記) 1937.9.23~10.31

   9月23日(敵兵毒ガス使用?)

 本日、霖雨なほれず、時々小雨あり。陰鬱極まりなし。

1.第11師団の情況

 師団主力は昨日に続きて攻撃を力行し、羅店鎮南端よりまた坑道作業と相まつてその南方家宅付近を占領するを得たり。その中央および左翼方面は依然なほ進展せず。

2.第3師団の情況

 師団は昨日来、攻撃準備を整へ攻撃を開始し、中央方面において家宅を占領し捕虜10余名を得たるも、爾他の正面は戦況、何らの進展を見ず。

 この夜、当師団正面に向かひ約20発にわたり野砲射撃を受けたるが、その際、弾着地付近に石鹸様の臭気を感じ、数名の将兵、咽喉を軽度に損なひたり。早速、化学研究所員を遣はし調査せしめたるところ、我が赤筒に類する毒ガスの作用なりと察せられ、さらに調査を続けあるも、本日は何らこの種の射撃なく、その後の研究未了なり。けだし敵軍に毒ガス使用の準備ありとは考へられざるも、最近ソ支密約成立の関係もあり、あまり油断もならざるにつき、全線に対しこれが予防を講ぜしむるとともに、一方、東京に急電して、将来これが報復手段を執るの必要ある場合を考慮し、赤筒弾薬の至急送付方、電請せしむ。なほこれに関し師団にてはその携帯する緑筒の使用を申し出でたるも、敵軍毒ガス使用のこと未だ確実ならざるをもつて、しばらくこれを使用せしめざることに決す。

 第101師団の上陸は順調に進捗しあり。 

  九月二十三日(敵兵毒瓦斯使用?)

本日霖雨尚霽レス時々小雨アリ、陰鬱極リナシ

一、第十一師団ノ情況

師団主力ハ昨日ニ続キテ攻撃ヲ力行シ 羅店鎮南端ヨリ又坑道作業ト相俟テ南方奚家宅附近ヲ占領スルヲ得タリ 其中央及左翼方面ハ依然尚進展セス

二、第三師団ノ情況

師団ハ昨日来攻撃準備ヲ整ヘ攻撃ヲ開始シ 中央方面ニ於テ嗇家宅ヲ占領シ 捕虜十余名ヲ得タルモ 尓他ノ正面ハ戦況何等ノ進展ヲ見ス

此夜当師団正面ニ向ヒ約二十発ニ亘リ野砲射撃ヲ受ケタルカ 其際弾着地附近ニ石鹸様ノ臭気ヲ感シ数名ノ将兵咽喉ヲ軽度ニ損ナヒタリ 早速化学研究所員ヲ遣シ調査セシメタル処 我赤筒ニ類スル毒瓦斯ノ作用ナリト察セラレ 更ニ調査ヲ続ケアルモ 本日ハ何等此種ノ射撃無ク其後ノ研究未了ナリ 蓋シ敵軍ニ毒瓦斯使用ノ準備アリトハ考ヘラレサルモ 最近蘇支密約成立ノ関係モアリ余リ油断モナラサルニ付 全線ニ対シ之レカ予防ヲ講セシムルト共ニ 一方東京ニ急電シテ将来之レカ報復手段ヲ執ルノ必要アル場合ヲ考慮シ 赤筒弾薬ノ至急送付方 電請セシム 尚之ニ関シ師団ニテハ其携帯スル緑筒ノ使用ヲ申出テタルモ 敵軍毒瓦斯使用ノコト未タ確実ナラサルヲ以テ、暫ク之ヲ使用セシメサル事ニ決ス

第百一師団ノ上陸ハ順調ニ進捗シアリ

 

  10月4日

 天気また陰鬱。聞く、南方洋上、低気圧の掩留するものありと。幸ひに雨に至らざるも、なほ多少の降雨を見ん。

1.第11師団状況

 変化なし。

 左翼第22連隊は西南方に進出す。

2.第9師団の状況

 右翼は新木橋を占領し、右下りに櫓網湾~魔橋頭~徐家宅~田都の線に進出するも、広福、新陸宅付近の東面する敵陣地、相当強硬にして、この師団は飽くまで右方面より南方に向かひ主攻撃を行ふこと有利なるも、軍がその前進目標を陳家行以東の線に与へたるため、自然、師団の攻撃ニ不利ありと考へらる。予は最初よりこの師団をしてむしろ広福西南方合邱宅~三神宅~荘団浜より陳家行にわたる線に西南面して攻撃せしむるを有利なりと認めしが、幕僚の言を容れてかく命令せしはむしろ失策なりやとも考へらる。

 第13師団を狭正面に第3、第9間に入るる考へ。

3.第3師団の状況

 変化なし。

4.第101師団

崇明塘敵陣はやうやく午後に入りこれを奪取せり。捕虜300ありしといふ。爾余は専ら渡河攻撃の準備中。

 ここにおいて軍は速やかに薀藻浜南方地区に進出して爾後の攻撃を準備するの必要を認め、第9、第3、第101師団に対し薀藻クリーク南方約1kmの線に進出すべきを命ずるとともに、第13師団を第9師団の後方に逐次近く集結せしむ。

 また別に第11師団方面へ重藤支隊(後備2大隊、砲兵、工兵各1中隊、重砲1中隊、11Kを付す)をして羅店鎮西方地区を第11師団に代り守備せしめ、全第11師団を南下せしめて近く第9師団の西方に進出して南翔鎮の攻撃を準備するとともに、軍の右側を掩護せしむることとせり。

 これ重藤支隊の任務、相当過重の感ありといへども、当面の敵状に鑑み可能の見込み充分にして、重藤少将も自ら本日、軍司令部に来たりて充分の自信をもつてその任に該るべきを誓ひたるをもつて、予は断然これを決行せし次第なり。けだし第11師団は当初より嘉定攻撃をその主任務としたるも、嘉定東方地区における数線の陣地は容易にこれを奪取する能はざるべく、自然、嘉定の攻撃はむしろ東南方よりこれを行ふを有利なりとし、なほ軍最初の大場·南翔付近の決戦に成るべく多くの兵力を使用するの必要あるをもつて、第11師団のこの転進はその前面の敵情ならびに道路網の関係等より見て相当の困難あり、適時に能く南翔付近に殺到し得るや否は疑問なるも、これにより少なくも軍の大場鎮攻撃間、その側方を援護することを得るものと考へあり。

 なほ本日、幕僚を集め、今後軍の大場·南翔付近攻撃に関する大体の方針を決定せり。その要、軍は主力をもつて大場鎮西方において敵線を突破してその東方地区の敵軍を捕捉するとともに、一挙に蘇州クリーク右岸の地区まで敵を掃蕩し、上海南方および南市の敵を捕捉するに努め、さらに同時に南翔を、続いてまた南方および北方より嘉定を包囲攻撃せんとするにあり。

 

   10月5日

 天候、昨日来不良。時々小雨あり。聞く、南方低気圧、徐々に北進すと。一両日はさらに風雨あらんかと憂ふ。

1.第11師団方面

 重藤支隊は嘉定道北側地区において攻撃を続行す(緩徐に)。

 師団の中央方面、12 i の正面になほ敵兵入り込みあり。この方面の交代にはなほ日時を要すべしと思はる。

2.第9師団方面

 師団は依然、新陸宅~広福付近の線にある敵のため妨げられ、軍所命の方向に対する進出容易ならず。

3.第3師団

4.第101師団

 ともに渡河を準備中。

5.第13師団

 師団主力をもつて劉家行東北地区に兵力を集結中。

 昨夜、久し振りに敵飛行機1機来襲、虹口埠頭を爆撃し、我が運送船に小損害を与れたり。なかなか敵も相応にやるものと思はれ、油断は禁物なり。

 

   10月6日

 低気圧、近く接近し来たり、陰鬱なれども、幸ひに雨に至らず。

1.第11師団方面

 重藤支隊方面、変化なし。

 師団の右翼は北周宅姚家宅西方部落より郭家宅の線に、中央は王家宅~厖家宅~金家店の線に、左翼は第9師団の右翼に近く、蘇家宅よりその南方萬年橋~北梅宅~南梅宅の線に進出し、右翼中央隊は重藤支隊との交代を準備中。

2.第9師団方面

 1連隊をもつて新木橋付近より櫓網橋の線を保持せしめ、主力をもつて急下南進し、朱三房より陸家橋~張宅の線に進出せり。

 よつてさらに当師団の南方進出を容易ならしむるため、第13師団の歩1連、砲1大をもつてこの師団の最右翼隊に代り守備せしめ、全力をもつて速やかにクリーク対岸に進出せしむべく処置す。

3.第3師団

 右翼隊の一部6i は西六房部落へ進出せしも、爾他は未だクリークを渡るを得ず。

4.第101師団方面

 当師団は今朝、渡河を決行し、中央隊(2大)をもつて払暁、江家宅対岸に進出し、さらに進んで伝家橋~北部張沿宅の線に進出し、左翼隊は楊家宅対岸に地歩を占め(2大)、左側方面より敵の逆襲を撃退して東部曹宅南端を占領す。左翼隊方面のみは未だ渡河せず。

5.第13師団方面

 夕方よりその一部をもつて第9師団の部隊と交代せしむ。ただしこの方面は今後、第11師団の転進に伴ひこれを実行せしむることとし、過度の犠牲を避けしむるごとく処置せり。これ当師団は将来、大場鎮突破後、一挙、蘇州河右岸地区に進出せしむる予定なるをもつて、成るべくその兵力を貯存するの要あればなり。

6.谷川支隊方面

 左翼を王家宅、朱港上の線に延伸せり。よつて陸戦隊に交渉し、江湾南方、屈家橋付近の陣地との間にさらにその戦線を延長、確実に連絡せしむるごとく区処す。

 

   10月7日

 低気圧やうやく来襲、朝来、相当の風雨なり。

1.第11師団方面

 重藤支隊方面変化なし。

 師団中央隊は周家宅~丁家宅~李家宅の線に進出す。

2.第9師団方面

 変化なし。ただし新木橋、櫓網湾にある部隊は本日、第13師団と交代し、漸次、兵力を南方に写しつつあり。

3.第3師団方面

 師団右翼隊18 i は一部をもつて八房宅の一角を、主力をもつてその東方河岸の前岸を占領す。

4.第101師団方面

 変化なし。逐次、兵力をクリーク前岸に進出せしめつつあり。

5.第13師団方面

 一部をもつて第9師団の部隊と交代したるほか変化なし。

 その他各方面、大なる変化なし。谷川支隊当面の敵はその兵力を交代したるらしく、昨今、当支隊に向かひ攻撃を試むるも、常にこれを撃退す。

 この日午前11時、軍艦出雲において、呉淞錨地において第3艦隊司令長官長谷川中将および川越大使代理岡本総領事日高参事官と会見す。川越大使は先日来、病疾を患ひ、未だ歩行充分ならざるをもつて、右両人に代理会見せしめたるものなり。

 すなはち本会見において予は左記事項につきまづ長谷川長官と談合し、その同意を得たる後、代理大使にも同意を求め、その快諾を得たり。すなはち

1.今後陸海軍長官の内外に発する声明等は勿論、我が政府当局に発する意見·希望等も、重要なるものは両軍においてあらかじめ相互通報し、成るべく諒解済の上、実行することに致したし。その中央部より受けたる訓令·通報も成るべく相互通報することとしたし。

 なほ大使においてもその陸海軍に関係のあるものは同様に取り計らひたし。

2.大使が今後、政府の訓令または個人の発言により内外に交渉または声明せらるるものは、事直接作戦に影響あるものは勿論、政策·外交に関するものも、その主要なるものは陸海軍に通報するとともに、その同意を得て実行せらるることを希望す。

3.今回の決戦一段落の時期において成るべくすみやかに重ねて今回同様の会見を行ひ、爾後の作戦、居留民の保護、地方治安の維持その他の政策等の諸問題等、腹蔵なき協議を遂げたし。特に今後の政策的処理、一般内外宣伝工作については成るべく三位一致、共同実行することに致したし。これに関しあらかじめ大使と大使館付武官は良く具体的研究を遂げ置かれんことを望む。

 右協議終り一同昼食をともにし、3時、艦を辞して帰還せり。なほこの際、今度の決戦に際する鹵虜の収容につき、近海の孤島に一時的収容すること可能なりや、海軍において研究方依頼し置けり。なほ将来、南市の攻略のことある場合には、成るべく一般民衆に被害なからしめ、延いて各国租界に及ぼす影響なからしむる様、何らかの方法を講ずべきも、やむを得ざればつひに武力によりこれを強行すべき場合あるを考慮し、あらかじめ支那および各国側に諒解せしめ置かれんことを希望し置けり。

 本日会見の際、左の詞を川越大使および長官に贈る。

  江流天地外  山色有無中

  残塁之何程  東方王道存

 

   10月8日

 陰雨また来たる。終日細雨粛条、道路泥濘を極め、全線将兵の苦労、申すに及ばず。補給の困難もまた一層にて憂鬱を禁ぜず。

 この日朝11時、幕僚を伴ひ楊行鎮に至り、各師団長その他の部隊長を集め、大場鎮付近攻撃に関する軍命令を与へ、なほ各師団長に若干の説明と予の全般的意図を示す。また同時、一般に対し軍司令官の訓示を与へ、これを督励す。

 各師団長以下みな元気旺盛にして、相当緊張せる態度をもつて予の訓示および指示を諒せるは欣懐なり。一同盃を挙げてまづ大元帥陛下の万歳、次いで軍将兵の武運の隆盛を祝福し、一同撮影の後、散会す。

 各師団長の報によれば各戦線はこの日何らの変化なし。けだし敵陣、依然たると打ち続ける天候不良のため軍隊の運動、自然、交綏に至れるもののごとし。ただし本日の命令に沿ひ、明後日ごろよりは断乎、各線の活発なる行動を見るに至らんと自負す。

 回顧せば呉淞上陸後正に1ヶ月なり。予は本日初めて沿道第3師団の古戦場を過ぎて楊行鎮に至れり。所在敵の残せる陣地の跡、付近村落交通機関等破壊の状況等、ことごとく胸を打たざるものなし。この間における将兵奮戦の状を想起するに十分なり。また目下、該道路上に来住する輜重その他の人馬の状況は、誠に同情を禁ぜず。痩せ馬を鞭ちて泥中を行く特務兵の顔貌、割合に元気に満てるは意を強ふせるも、雨泥の裡における将兵の労苦は真に察するに余りあり。ことに徴発馬がみな非常に痩衰の感あるに意を惹けり。将来、何らかの法を講ぜざるべからずと思はる。なほ沿道居留民はほとんどその影なく、到るところ米田穰りて収穫を待てるの状、これまた何らかの法を講ぜざるべからず。すなはち経理部長に命じこれが善後策の講究を命ず。すなはち台湾、朝鮮より若干(約二~三千人)を招致し、今後入手すべき鹵虜および帰来する農民を指導して、軍自らこれが穀物を収穫するの案にて、追つて価格は徴用として人民に支払ふべき考案なり。これ政略上にも相当有効なりと思料せらる。

 

   10月9日

 朝来小雨なほまず、憂鬱ますます切なり。東天を拝して沃雲の一掃を祈念す。

 この朝、各師団参謀長を軍司令部に招致し一場の訓示を与へ、なほ今後の作戦指導に関し参謀長をして指示せしむ。

 また余自ら、砲兵弾薬に依存せず歩兵は自らの重火器、ことに銃剣をもつて敵陣を奪取するの覚悟を要求するとともに、従来、我が軍独特の夜襲は近く却つて敵軍に株を奪はれたる感あり。ことに敵は我が軍一陣地を奪取せば必ず一応は逆襲すべく蔣介石より厳命せられあるに鑑み、この逆襲を利用し一挙にこれを追撃していはゆる敵の督戦部隊の線を奪取するの考慮必要なり。これがため我が夜襲に任ずる部隊は小兵力をもつてせず、少なくも重畳せる兵力をもつてすること緊要なりと考ふる旨を述べ、更に、軍は当面の敵を嘉定以西に駆逐し、ここに当面の戦局に一段を画し得るまでは、たとひ砲弾の欠乏することあるも銃剣·軍刀をもつてこれの目的を達成するにあらざれば、能く皇軍の威武を辱しめ[む]所以にあらずと信じある旨を付言し、一同の決意を促したり。

 この日、各師団の戦況、大なる変化なきも、第11師団は予定を早めて11日には第9師団の右翼に進出して広福以北の敵陣を突破し、速やかに三神宅方向に挺進するの決意なる旨を報じ、また第3師団は午後までに前面の敵を駆逐して、東西趙家角より陳宅、呉家院南端の線にまで進出するを得たり。

 また第9師団の一部も盛宅付近の線に進出するも、第101師団正面については未だ新報なし。

 数日来の降雨にて交通路ほとんど途絶の状勢にあるに係はらず、各師団の奮闘は感激の至りにして、能く前日予の意志を服膺しあるものと認む。なほ軍砲兵部隊も道路なき地区において漸次進出し展開しつつあり。

 この日をもつて軍の増加団体の各隊輜重とも、ほとんど全部揚陸を終了し、兵站部隊の揚陸を行ひつつあり。

 この午後、邦人記者十数名を軍司令部に招致し初回の会見をなし、なほ左の要旨の談をなす。

 我が政府は夙に不拡大方針によつて支那に対せしをもつて、上海方面に陸兵を派遣することは当初より予期せざりしところ、あたかも8月中旬、海軍事件に続き支那軍の暴戻甚だしきをもつて、逆に海軍の危に応じ居留民を保護するため陸軍を急派するに至りたる次第にて、予始め大命拝受後蒼惶としてまづ準備し得たる部隊を牽ひて当地に急行し、上海の急を救ひ爾後におこる軍作戦の基礎を定むることに努力したる次第にて、やうやく1ヶ月の日子を費やし昨今概ね軍兵力を充実するを得たり。

 よつて近日軍は上海付近の敵軍に向かひ一挙、決戦的攻撃を実行するはずなり。軍の作戦が内外各方面に関連する問題もとより多く、予自らこれに関する意見を発表することも必要なるべきも、その大要は昨日声明および告示せしごとくにして、これ以上は今これを語ることを欲せず。けだし予は目下その全身の熱血を戦線に傾注し他を顧みるの余裕なし。もしそれ祖国に関するものに関しても今は何らにこれに触るの時期にあらずと思惟しあり。ただ不断国民の熱誠なる激励と後援につきて深く感謝することを言ふのほか、今後方に向かひては何ら語らず。要は不言実行の心持ちで一意任務に邁進せんことを期しあり。

 請ふ、近く上海付近において再び語るの機会まで俟たれたし。云々。

 各新聞通信員一同、能く予の意を諒し、緊張せる態度をもつてその通信員の任務に努力し、軍の行動を後援すべき決意を述べて退散せり。また上海各新聞社および同盟、朝日、毎日の代表者は各新聞記者を代表し、予および軍将兵に対し感謝の辞を呈し、一同撮影の後、帰還せり。

 

   10月10日

 朝来風雨強く、この日、軍司令部戦闘司令所を楊家宅(楊行鎮西端)に推進するはずにて、幕僚の大部は朝来すでに出発せしが、道路泥濘と破壊のため行進容易ならず、夕方、乗馬または徒歩にて楊家宅に到着し得たり。かくて予は出発を延期し道路の回収を俟つこととせり。

1.第11師団の戦況

 師団は羅店鎮付近の守備の交代を終へ、本日夕までに第9師団の右翼に列し王家宅以南、楊涇東岸の地区に進出し、明日の攻撃を準備中。

2.第9師団の戦況

 師団は櫓網橋以北を第13師団の部隊に譲り、一部をもつて老陸宅、孟家宅の線に対せしめ、主力をもつて朱三房~頓悟の線より近く陳家行に近接しこれを攻撃中にて、なほ約1旅団はすでにその東南方において盛宅東西の線に達せり。

 第13師団の部隊にはさらに歩砲の若干を増加し、第11師団の進出に伴ひ南面して三家村、老陸、新陸宅付近を攻撃すべく区処す。

3.第3師団の戦況

 師団は昨日来、猛烈に攻撃を敢行し、この日、田堵宅、栅石橋西方部落より曹宅の線に進出せるも、兪宅付近は未だ占領するに至らず。

4.第101師団方面

 最右翼に於て田湾、王宅を占領せしほか、全線の戦況進展せず。

5.第13師団

 前述新木橋付近に進出のほか、師団の主力は依然、月浦鎮西南地域に集結中。

 呉淞鎮南方根拠地当面の敵は昨夜来退却せしをもつて、小田兵站司令官の指揮する後備隊は独断これを追撃し、夕刻まで西庚橋(紀家橋東側)より趙家宅~王家宅~孫家宅~呉家宅橋の線に進出し、谷川支隊の右翼もこれに共同して陸家橋に進出せり。

 後備隊はその装備の不完に係はらず大隊長以下豪放に常に行動し、今日のこの戦機に応ずる動作は称賛に値するものと認む。

 本日正午、軍司令部においてロンドン·タイムス通信員フレザア、ニューヨーク·タイムス通信員アペンドと会見し、左の要旨の声明を予個人の立場において行ふ。

 予は三十余年、日支提携の事に尽力し来たりたるものにて、今においても支那を膺懲するといふよりも、いかにして4億万民衆を救済し得べきかといふ考えにて一杯なり。支那は今、共産主義勢力よりこれを救脱すること緊急にして、これ支那自身のためのみならず、東亜のため真に喫急の事項なりと確信す。

 ここにおいて予は日本固有の国民精神と東洋伝来の道徳の根基に立ち、日本人得意の犠牲的行動を発揮すべきの時なりと信じあり。

 東洋の諺に、

  自反而縮 雖千万人吾往矣

 これこそ目下、我らの信念なり。全世界はしばらく日本のなすところを静観せんことを望む。

 なほ両人の質問に答へて

 上海の地方におけるこの種の事件は最早これを繰り返さざる様、この度こそ完全なる善処すること緊要なりと考ふ。ことに上海の特殊性質に鑑み、予は出発前において、列国の協力によりこれを遂行せんことを期しありしが、その後の一般情勢および現地の状況を見たる今日においては、いささかその従来の希望を変更せざるべからざるの感あり。すなはち列国が1932年の停戦協定を支那に遵守せしむるの義務を採らざりしこと、およびその後の態度が、すべて予をもつて列国の協力の上に自身を失はしめたるを遺憾とすと述べたりしに、フレザアは敢へてこれを論難せず、右は欧州のことか現地のことかと問へるにより、双方なりと答へ、なほ、しからばいかにして今後その協力をなし得べきやと問へるにより、右は列国は日本の行動を侵略的か、救済的なるかの根本観察を改むること先決要件なりと答へたるに、彼辞なし。またアペンドは、右は米国に関しても同様なりやと問へるにより、米本国、ことに最近大統領の演説のごときは予のすこぶる不満足に考ふるところなるも、上海地方の米国官民の態度については今、特別に指摘すべき所感を有せずと答ふ。

 概して両人とも予の率直の談話に満足の意を表して帰れり。

 

   10月11日

 今朝なほ雲ありしも、午後に至り漸次回復。予の戦闘司令所着の頃より5日振りに旭光を拝し、快極まりなし。3時、途中、泥濘の中を人力にて車を推進しつつ来往輜重、車輌、駄馬、自動車中混雑の中を推し開きつつ安着す。流石に第一線に近く銃砲声も能く聞こゑ周囲に輛車その他の集団せる様杯、初めて戦闘の気分を満喫するを得たり。各師団の戦況は連日来の降雨に禍せられ格別の進展を見せざるも、各師団とも降雨を冒して軍の13日ごろにおける攻撃開始に応ぜんため、鋭意攻撃を続行しつつあるは事実なり。

 なほ第101師団左翼隊においては今暁、昨夜来にわたる曹宅に対する夜襲成功せず。なほ前面全体において相当強大なる反撃を受け、能く現地を死守しあるもつひに曹宅を占領するに至らず。この戦闘において101連[隊]長加納大佐以下連隊本部の首要員ならびに大隊長1名戦死、2名は傷つき、さらに103の大隊長は今なほ行衛不明にて、幹部の損傷すこぶる多く志気もやや減退せるを報ず。東京の後備連隊としてあるいはやむなきことならんも、今後の難戦を予想し憂慮を禁ぜず。

 連日の霖雨は第一線の戦闘の進捗を妨げたるは勿論なるも、さらに補給の上に大なる障碍を与へたり。軍·師団補給部隊の困難、想像に耐へたり。全身泥まみれの特務兵が痩馬を鞭ちて泥中を馳駆するの状、同情を禁ぜず。

 予は当初より軍の補給のため水路の利用を奨励しありしが、幕僚以下各部隊ともこの観念薄く、水路の偵察、利用等はとかく閑却せられあるにより、数日前より特にこれを叱咤督励し来たりしが、右翼方面、貴陽湾~羅店間には、すでに十数日前より発動艇による補給、患者後送等を実行し得、成績良好なりしが、中央方面においても数日前より呉淞~月浦鎮間に水路輸送を開始し、また本日より楊行鎮間の水路を開くを得たり。けだし呉淞クリークの利用は最初より予の最も重要視せしところなりしが、軍の攻撃方針を徹底せしめんため一時この水路を利用し能はざるは遺憾の極みなり。幸ひに昨日、我が兵站守備隊、守備区域の進出により、沈家宅北方より楊行鎮に通ずる水路を利用し得るに至り、現時の陸上輸送の難を補ひ得るを得たるは幸ひなり。本日すでに20余艘の発動艇小舟により100トン位の材料糧薬を前送し得たり。

 また参謀本部は数日来、非公式の手段をもつて上海付近の戦局を速やかに解決する目的をもつて約1師団の兵力を浙江金山海岸に上陸せしむるの企図を有し、これが偵察と意見を求め来たり居りしにより、一昨日、特に吉村参謀をして海軍および停泊場部員と協同して該地方の海上の偵察を実施せしめたり。その結果によれば、乍浦付近には相当の敵防御あり、ことにこの海岸の性質と、目下冬向きの季節において大部隊をこの付近に上陸せしめ長期の補給根拠地を作為することは不可能なりと認めたり。よつて右報告を行ふとともに、目前上海の戦局を即決せん為にはむしろ新増兵力を黄浦江岸および揚子江岸(一部)に上陸せしむるを有利とする旨の意見を付し、中央部の再考を促したり。なほ本増兵、真の目的は直接上海戦闘に関するものにや、さらに戦略·政略的に浙江占領の目的をも有するものなるや、その点明瞭ならざるにより、これに関する軍の意見を開陳するに便ならず、予はむしろ今後この兵力の使用は上海決戦直後の状勢によりその方面を決定するを便なりとし、要すればその兵団を馬鞍群島に待機せしむるを可なりと考へ、これが研究を幕僚に命じたり。

 

   10月12日

 この夜遅くより今朝にわたり風雨ありしも、今日は漸次天候回復し、東北風となれりるをもつて、今後の天

候可良ならん。すなはちまたこの風の間は天気可良なるべく神禱を祈る。しからざれば軍当面の攻撃は一大頓挫を来す虞多し。

 各師団の戦況、大体変化なく、各師団とも先日来の悪天候に禍されてすべての準備遅れたりしも、やうやく今日よりそれぞれ道路の修築を始め、攻撃陣地、砲兵陣地の推進に戻ることを得たり。

 ただし第3師団の右翼隊は能く栅石橋、西塘橋南端クリークの線に進出せり。

 一般の戦情は依然、第一線各部隊は頑強なる抵抗を継続するのほか、後方にては相当兵力の移動行はれあるもむしろ増加隊の来着と見らるる節多く、蘇州、崑山にある敵軍総司令官は上海、南翔付近に前進し来たれりとの報道もあり、真否明らかならざれど、敵軍が一時少なからず動揺せりと見しはむしろ過早なりしやも知れず。なほ軽挙なる攻撃は事実上にも不可能なれど、軍全体としても大いに慎重に攻撃を実施するを可なりと認む。よつてさきに総攻撃実施を13日と予定せしが、天候の関係もあり、これを16日まで延期せり。

 

   10月13日

 天気やうやく定まるらしく、東北風の順風なり。道路も逐日乾き交通容易となる。前線の砲兵もやうやく新陣地に侵入し得るに至る。

 各師団の戦況なほ変化なし。けだし連日の悪天候に禍され昨今やうやく休息の気持ちなるらしく、この間、鋭気を養い、さらに軍隊の移動を試み、攻撃準備に汲々たるもののごとし。

 去る10日より12日にわたり第8戦隊司令官の率ゆる巡洋艦駆逐艦7~8隻に運送船の揚陸を了へたるもの20余隻を率い、さらに大小発動艇40余隻を搭載して劉家鎮、七了江岸に陽動を行ひ、薄暮より発動艇を卸して上陸に偽[→擬?]せしところ、同地方一帯の江岸より熾烈なる銃砲火起り、さらに夜に入り数時間にわたり陸上における銃砲声絶えず、恐らくは我軍の上陸を誤認せる敵軍の同志討ちならずやと察せらる。要するにこの陽動は前回に比し大基[→規]模に、かつ実際的なりしため、相当の効果を奏したるものと思はる。

 

   10月14日

 天気良く東北風にて秋晴れの好天気。これにて天気も続くことと欣ぶ。

 各戦線は依然、当面の敵を力攻中にて、多くは対壕作業にて敵陣地に接近しつつあり。けだし軍の本攻撃に於ける弾薬の将来を思ひ、努めて初期における節約を厳命し、いはゆる5基数をもつて全局を終る計画なるをもつて、各方面とも砲兵の協力に遺憾あること攻撃遅滞の一主因と思はるも、なほ砲兵の集団的運用により逐次、一陣地ごとにこれを奪取するなどの方法を採用する余地もあり、研究を命じたり。

 この日、一宮海軍政務次官、慰問のため来訪す。よつて軍全般の体勢を説明するとともに、江南地方敵軍抵抗の執拗さに鑑み、到底今後1~2ヶ月をもつて当方面の戦局が一段落すること難く、少なくも常熟蘇州松江の線まで敵軍を圧迫すること切要にして、これがため速くも本年一杯を要すべき見込みなることを告げ、我が朝野が深く今後の事態を達観し、飽くまで長期の作戦に耐ふるの覚悟を固くするの要を説き、近衛首相、米内海相にもこの旨伝達方、希望し置けり。またこの日、第8戦隊南雲司令官以下幕僚艦長□□南沿岸に移動につき、訣別に来たる。好将軍なり。

 

   10月15日

 天気少々下火になりつつも、なほ西風なれば天気持続し得る見込み。

 各師団の戦況、依然進展せずごとく、焦慮募るにより、幕僚に進みて今後の対策を研究するとともに各師団の実況を視察せしめありしが、一般の砲弾の不足に因し志気少なからず沈滞し、師団長以下も今後の作戦を考慮して兵力を出し惜しみするの情、相当深きに至れる感あり。しかれども一般に最早、上海付近敵陣地の最前線に達しあるもののごとく、従来に比し敵軍の陣地を一般に鞏固にしてその抵抗も靭強を加へたるがごとく、また数日来、浙江·四川省より来たれる兵力2ヶ師団増加せらるたるごとく、江湾鎮方面より若干の兵力、ことに砲兵を我が主力方面に転用し来たれるやの疑ひあり。要するに敵は我が中央突破作戦を観察し、これに応ずる最後的手段を講じあるもののごとし。軍は何とかこの際、手段を講じて速やかにこの前線陣地を突破するにあらざれば、爾後の攻撃は純然たる陣地戦の状態に陥り、ただただ敵軍撃破の機を遅くるのみならず、我が軍の攻撃意志にも一大影響あるものと痛心す。

 その後調査の結果、14日までの各師団の損傷、左のごとし。

 

       死傷数   補充数

第3師団  6,026  約6,500

 11      6,380     5,000

  101      2,811   未着

 9    2,894     同

 13      156      同

重藤支隊     998      同

谷川支隊     70

 計     19,835   11,500

 

 ほかに傷病兵の原隊復帰者4,000あれば、病者の入院または後送のものも約五~六百あるべく、差し引き現在兵力の定員に対する損耗は約5,000人と算せらる。就中、各師団とも幹部の損耗比較的多く、その浦充員は現役師団にも在郷者を充当せらるるをもつて、第3師団のごとき、その兵員はほとんど定員を充足せるも、一般の戦力は動員当時の約6分の1に過ぎざるべしとの観察にて、この形勢は今後一層増大すべく、相当考慮せらるる問題なり。

 なほ馬の損耗総数は約1,900頭にして、内、先日来の泥濘道路の過労により斃死せるもの四~五十頭に及ぶ。なほこのうち第11師団にては約500頭の補充馬来着せり。

 

   10月16日(軍方面1軍増加の

             快報来たる)

 天気晴朗なれども東北風強く寒気やや増す。幸ひに 第3、第11師団ともほとんどすでに冬衣到達したれば、こちらの心配はなし。ただ自分の冬着類、去月22日東京発のもの未着につき困り居れり。上海より冬下着類を買い取り、間に合はせ居れり。

1.各師団の戦況

 依然、各正面とも大いなる変化なし。第13Dは三家村、第9師団は陳家行の一角を占領せるも、爾後、戦況発展せず。

 第3師団は中央方面において葛家神、梅宅に向かひ攻撃進捗せるも、兪宅、朱家方面依然たり。ことに第101師団の右翼方面、毫も進展せざること遺憾なり。

 すなはち軍全般の攻撃は目下、第9師団右側の新陸宅、陳家行付近を奪取して当師団の南進を促進するを第一とし、さらに第3、第101師団中間の禹橋宅東北地区を占拠することを先決要件とするをもつて、軍は従来の砲弾節約を緩和し、軍砲兵をもつてこれら要地を逐時に集団火力によつて奪取するを緊要とするの意見に落ち付き、軍砲兵および昨日来着せる爆撃飛行中隊をしてまづ新陸宅·陸家行の爆撃·砲撃に協力せしめて、第13、第9師団をしてこれを奪取せしむることとし、それぞれ指示·命令を与ふ。

 なほ右陣地奪取後は、これらの地区を第11師団をして交代占領せしめ、第9、第13をして一意南方に向かひ攻撃せしむるの必要を痛感せるをもつて、この意をあらかじめ第11師団長に伝へしめ、師団の楊涇クリークに沿ふ攻撃を中止し、逐次、兵力を後方に集結すべく準備せしむ。

 また第101師団をしてその右翼方面の進出を遂げしめんためには、そゅ右翼隊(13中隊あり)の兵力の大部を右方に転用するを必要なりと認め、第101師団に連絡し成るべく速く右区署を行ふ様、指示せしむ。

 また軍最左翼方面、すなはち呉淞兵站守備地区、谷川支隊方面は、敵兵一部撤退に伴ひ多少その陣地を推進し得たり。なほこの方面にては暴挙に陥らざる範囲において成るべく前面の敵を牽制せしむるごとく指導を与ふ。

 この日、参謀本部鈴木中佐来着。中央部は新たに1ヶ軍(3師団)を編成し、11月初めより浙江方面に作戦せしむる計画あることを知る。これ最初より予の希望せる作戦方針に応ずるものにして欣懐の至り。かくて中央部の腹も漸次改まり、予もこの分ならもう割腹の機会なきに至らんか。呵々

 

   10月17日

 天気良く秋晴れの気分なれど東北の風強し。この日、各師団の戦況やはり思ふ様に進展せず漸次膠着の感あるは遺憾の至り、何としても犠牲を顧みず速やかにこの前線を突破せざるべからず。

 第13師団の三家村、老陸宅攻撃は15榴および飛行機の協力の下に実行したるも、僅かに老陸宅の北部の一角を占領したるに過ぎず。

 第9師団の陳家行攻撃は24榴および爆撃飛行機の協力の下に、幸ひに午後4時ごろ陳家行西部クリークの線に進出したるも、敵の逆襲に遭ひ再びその一部を失ひたるとのことなれど、状況審かならず。

 よつて軍はこの日新たに第9、第13、第11の作戦地境に多少の変更を加へ、第11師団をしてその歩兵3大、砲若干をもつて現在の線を守備し、主力を後方に集結し、近くその左翼に到る第13、第9の右正面を交代するの準備にあるべきを命じたるも、当師団の左翼隊は(44 i )は目下新宅付近において呉家宅付近に向かひ攻撃中なるをもつて、まづ師団の力をこれに注ぎその陣地を奪取したる後、前記軍命令を実行したき旨、申し来たりたるをもつてこれを是認せり。

 

   10月18日

 秋晴れの快天気なり。風も和き日中はことに清洒の気、充分なり。午後、屋上に登りて眼鏡をもつて大場陳方面に対する戦線を視察す。

 各戦線、大なる変化なきも、多少宛て各師団とも進展しつつあり。軍は24榴をもつて第13、第9の戦闘に協力せしめ、相当の成果を収めたり。

 就中、第3師団中央方面は湖里宅、黄港の線に進出し、左翼隊もつひに兪宅を占領せり。第101師団方面、最も活気を失ひあるをもつて、この日、参謀長を招致してこれを激励し、速やかに兵力の集結·転用を実行して、攻撃準備を整ふべきこと厳命す。

 この日、さきに杭州湾偵察のため派遣せられたる参謀本部の鈴木大佐とともに現地視察を行ひたる田尻少将帰来、偵察の結果に基づく意見を開陳するところによれば、金山湾付近に行ふ大部隊の上陸は天候により著しき影響を受くべく、好天候を利用せば部隊の上陸に支障なきも、爾後の補給は非常に困難を予期し、格別の計画と施設を行ふを要するとのことなり。

 有田八郎氏に書信を認め、佐藤に伝言を依頼す。

 

   10月19日

 天気晴朗に、しかも温暖となり、日中、暑い位の好天気なり。割合に戦況進展せざるを憾むのみ。

1.重藤支隊の状況

 大体変化なく、当面の敵を牽制するため時々各正面に陽攻を行ひつつあり。

2.第11師団

 22 i をもつて右翼集成騎兵と交代す。

 左翼隊は新宅付近に進出せり。

 明20日、師団は従来の戦線の全部を22 i に担任せしめ、主力を羅店鎮東南地区に集結するはず。

3.第13師団

 新たに歩兵第26旅団(58 i (Ⅲ欠)、Ⅰ/116 i )、Ⅲ/

19BAをもつて新木橋付近の敵の攻撃を開始す。

 歩兵第103旅団全部(104 i 65 i )、19BA(Ⅲ欠)、13Pをもつて三家村および老陸宅の一部を占領し、さらに攻撃中。

4.第9師団

 右翼隊は陳家行を完全に占領し、左翼隊は北桃園浜およびその西側無名部落を占領し、さらに孟宅、南桃園浜に向かひ攻撃中。

5.第3師団

 右翼隊は本夕、張家楼下宅に突入し、同部落を掃蕩中。

 左翼隊は午後、黄宅を占領す。

6.伊東第101師団

 本日、全線、各当面の陣地を攻撃し、軍砲兵(24R)もこれに協力せしも、つひに進展を見ず。

 明日さらに左翼隊より抽出せる部隊(Ⅰ/101)をもつて中央、右翼方面を攻撃するはず。

 敵は漸次、左翼方面および後方よりその兵力を大場鎮およびその前線に増加せる模様にて、広西第187師団も陳家行前面に顕出し、重藤支隊正面にありし第43師も南下せるごとく、四川、貴州の徴募兵より成る第80師も初めて北桃園浜付近に進出し来たれり。

 これを要するに敵軍は一時、漸次その兵力を第二線配備に置きたる様なりしが、最近再びその兵力を上海周辺、ことに大場鎮付近に集結しあるがごとし。けだし英米主催の9国条約会議に関連し、飽くまで上海保有を謀りありものと判断せらる。自然、軍の大場鎮付近突破は日々困難を加へあるは事実なれど、自然、これによりて生ずる効果は、戦略的には勿論、政略的にもその重要性を増大しあるものと考へらる。

 

    10月20日

 天気晴朗、温暖、後方補給の状況良好なれども、戦線思ふ様に進展せざるをむ。

 この日、各師団とも攻撃を続行し、第13師団は三家村を確実に占領せるも、爾他の戦線、大なる変化なく、第101師団は軍砲兵24榴の協力により膏家柳の攻撃を力行せるも、つひにこれを奪取するに至らず。

 さきに参謀本部より派遣せる鈴木中佐偵察の結果は、予の従来考へたるところと異ならず。よつて予は同中佐に托し参謀次長に対し今後の作戦に関する予の私見を申し遣はすとともに、委曲、中佐に予の意中を説明し、当局に報告すべきを托す。その要旨、左のごとし。

1.軍の上海西方戦一段落に伴ひ、方面軍を編成し、少なくも2ヶ軍を新たに編成すべきこと。軍の作戦目標は飽くまで南京とす。

2.その第1軍は現派遣軍をもつてこれに充て、太湖北方地区より南京に向かひ作戦す。なほこれがため一時1ヶ師団をこの軍に増加し、重藤支隊とともども滸浦白茆河口に上陸せしめ常熟に向かひ作戦するとともに太倉を遮断せしむ。

 爾後、この軍より1ヶまたは2師団を第2軍に転属し、または方面軍の直轄となす。

3.第2軍は兵力約2師団とし、一部(約1師)をもつて黄浦江岸浦東地区にまづ上陸せしめ、さらに主力をもつて金山付近に上陸せしめ、まづ松江に向かひ主力をもつて作戦し上海南方の敵を捕捉し、のち主力をもつて太湖南方地区より南京に向かひ、一部をもつて杭州付近を占領せしむ。

 要すれば第1軍より適時1師団(第13)を一時または永久に当軍に転属せしむるを得。

4.軍の作戦を11月初めとし速きを可とす。要は上海西方決戦の直後に上陸を実行するを可とす。

5.方面軍の編成には有力なる特務機関を属し、建川中将を長とし、従来の宣伝謀略のほか占領地統治、政略関係にわたり、純然たる戦時の体制をもつて、方面軍司令官の全権をもつて、海軍、外務、人をも統一指揮せしむること。

 なほ方面軍幕僚として重藤少将、根本少将、飯村少将、池田、鈴木、和知、臼田、長津、岡崎各大佐の充用を希望す。云々。

   註

 浙江海岸において第二軍の根拠地を占有することは、その海岸の状況、潮流、特に冬季の季節風に鑑み多大の困難あるべく、なほ野砲師団を浙江地方に作戦せしむることは、地形および道路の関係上、多大の困難あるにより、本軍の根拠地は成るべく上海にこれを写すを必要とし、また初めの時期において余り大なる兵力をこの方面に使用せず、要すれば作戦進捗に伴ひ第13師団(山砲)をこれに転属せしまむるを有利と考ふ。

 けだし浙江の東浙地方に従来ありにし敵軍中2ヶ師団は、既に上海に招致せられたるをもつて、近き将来における東浙地方の敵軍の兵力は、多くも2~3師団に過ぎざるものと判断せらるればなり。

 別に本間第2部長に対し、現下の政略の要点は飽くまで南京攻略、南京政府打倒とし、過早に爾後の政治工作をかれこれ論議せざるを可とする旨の意見を申し遣はす。

 

   10月21日(大場攻撃日の決定、

             第10軍編成)

 天気晴朗、温暖ますます加ふ。

 各師団の戦況、大いなる進展なきも、一皮づつ逐次、敵陣地を抜きつつあり。すなはち第13師団は新木橋陣地を、第9師団は談家頭を、第3師団は張家楼下宅を、第101師団は西部李家橋を奪取せり。敵は今夜全線において攻勢を取り、主として薀藻浜南方に主攻撃を行ふ計画なりしごとく(入手せる敵軍総司令官朱紹良の命令により明らかなるも)実際における敵の攻撃は砲撃のほか甚だ不徹底のものにして、我が軍はこれによりて敵をその陣地外に射殺するの機会を得たることは幸ひとす。しかれども不幸、我が軍の状態はこの攻撃を追撃し一挙に敵陣を奪取するの気魄なきを遺憾とす。

 よつてこの日、軍命令をもつて大場鎮攻撃開始を27日とし、24日中に各師団は予定準備線に進出すべく命令す。

 この日、参謀本部より第10軍編成を令ぜられたる旨、通報あり。当軍は3師団半よりなり、浙江沿岸に上陸して、我が派遣軍の作戦を容易ならしむるを任とす。これにて我が軍は概ね予の最初より希望せし作戦に向かふこととなれるを欣ぶも、その方法についてはなほ意見あるも詳細はなほ未だ詳ならず。

 

   10月22日(第10軍作戦に関する

              意見申達)

 天気、依然快晴·温暖なほ続く。欣ぶべし。昨夜より重藤支隊および第11師団ならびに第13師団正面において相当統一せる敵の攻擊ありたるも、ことごとく多大の損害を与へてこれを撃攘す。けだしこの方面の攻撃は敵の真面目なる反撃といふよりもむしろ大場方面における攻撃の助攻たりしならん。

 本攻撃において第13師第58連、軍旗に敵砲弾命中しその桿を切断せり。未曾有の事なり。

 第9、第3、第101師団正面は反つて敵の攻撃緩まり、むしろ漸次、第一線兵力減可の状にて、著しく各方面とも進出せり。

 この日、参謀本部  中佐、第10軍作戦に関する命令計画等を持参し来たる。該計画によれば第10軍は(第6第18第114師団を基幹とす)金山衛城付近に上陸し(11月2日と定む)上海西方地区に作戦し、我が軍の作戦と響応して敵軍を捕捉せんとするにあり。その計画はすこぶる可なるも、少なからず図上の計画なる嫌ひあり。けだしさきに記せしごとく、この方面の地形と海面の状況において、かかる大兵団を予定の時日に上陸せしめ、速やかに黄浦江を渡りて上海西南方地区に進出せんことは、天候すこぶる可なる場合においても大なる困難にして、目下の敵状および今後予想する上海付近における我が軍奏功後、敵軍一般の動揺、退却を予定せば、もつて能く敵軍を捕捉し得ることすこぶる疑はしく、なほこれがためかかる犬[→大?]兵力をこの方面に必要とせざるものと思はる。しかも今後、冬期に向かひ金山、乍浦付近をもつてかかる大軍の根拠地としてその補給を全ふせんことはすこぶる困難にして、予は深く本計画に遺憾を感ず。しかも事のここに至るは参謀本部があらかじめ本作戦に関し予の意見を求めざりし結果にして、従来、予は中央部においてかかる企画ありを知り、すでに非公式に意見を詳細申し遣はしたるに、後、速やかにこの発令を見たること、返すがえすも遺憾の至りなり。由て予は将来の状勢に応じ便宜、本作戦を変更するを有利とする場合あるを予期し、参謀本部があらためて既報予の意見を研究するとともに、あらかじめ適当の措置を講ぜられたき旨、軍司令官として次長に意見を申し遣はし、なほ詳細  中佐に予の意のある所を述べ、急遽、東京に帰還報告せしむることに取り計らひたり。

 

  十月二十二日(㐧十軍作戦ニ関スル

               意見申達)

天気 依然 快晴温暖 尚続ク 可欣

昨夜ヨリ重藤支隊 及 㐧十一師団 幷 㐧十三

師団正面ニ於テ 相當 統一セル敵ノ攻擊ア

リタルモ尽ク夛大ノ損害ヲ与ヘテ之ヲ擊攘

ス 蓋シ此方面ノ攻擊ハ敵ノ真面目ナル反

撃ト云フヨリモ寧ロ大塲方面ニ於ケル攻撃ノ

助攻タリシナラン

本攻撃ニ於テ㐧十三師㐧五十八联 軍旗ニ敵砲弾

命中シ其桿ヲ切断セリ 未曾有ノ事ナリ

㐧九、㐧三、㐧百一師團正面ハ反テ敵ノ攻擊

緩リ 寧ロ漸次 㐧一線兵力減 可ノ状ニテ

著ク各方面共 進出セリ

此日 参謀本部  中佐 㐧十軍作戦ニ関スル

命令計画等ヲ持参シ来ル 該計画ニ依レ

ハ 㐧十軍ハ(㐧六、㐧十八、㐧百十師団ヲ基幹トス)

金山衞城附近ニ上陸シ(十一月二日ト定ム)上海

西方地区ニ作戦シ 我軍ノ作戦ト響応

シテ敵軍ヲ捕捉セントスルニアリ 其計畫ハ

頗ル可ナルモ 不少 図上ノ計畫ナル嫌アリ 蓋

シ曩ニ記セシ如ク此方面ノ地形ト海面ノ状

况ニ於テ此ル大兵団ヲ予定ノ時日ニ上陸セシ

メ速ニ黄浦江ヲ渡リテ上海西南方地区ニ進

出センコトハ天候 頗ル可ナル場合ニ於テモ

於テモ大ナル困難ニシテ殊ニ目下ノ敵状 及 今後

予想スル上海附近ニ於ケル我軍奏功後 敵

軍一般ノ動搖退却ヲ予定セハ 以テ能ク敵

軍ヲ捕捉シ得ルコト頗ル疑ハシク 尚之カ为 此ル

犬兵力ヲ此方面ニ必要トセサルモノト思ハル

而カモ今後 冬期ニ向ヒ金山、乍浦附近ヲ以テ

此ル大軍ノ根據地トシテ其ノ補給ヲ全フセン

コトハ頗ル困難ニシテ 予ハ深ク本計畫ニ

遺憾ヲ感ス 而カモ事ノ此ニ至ルハ参謀

本部カ豫メ本作戦ニ関シ予ノ意見ヲ求

メサリシ結果ニシテ 従来 予ハ中央部ニ於

テ此ル企画アリヲ知リ 既ニ非公式ニ意見

ヲ詳細 申遣シタルニ 後 速ニ此發令

ヲ見タルコト 返ス/\モ遺憾ノ至ナリ 由テ予

ハ将来ノ状㔟ニ應シ便宜 本作戦ヲ

変更スルヲ有利トスル場合アルヲ豫

期シ 参謀本部カ更メテ既報 予ノ意

見ヲ研究スルト共ニ 豫メ適當ノ措置

ヲ講セラレ度旨 軍司令官トシテ次長ニ意

見ヲ申遣シ 尚 詳細  中佐ニ予ノ意ノアル

所ヲ述ヘ 急遽 東京ニ帰還報告セシ

ムルコトニ取計ヒタリ

 

    10月23日

 天気、続いて晴朗。今日は上陸第2ヶ月の記念日なり。回顧せば過去2ヶ月間、軍は始終、常に困難なる攻撃を力行して今日に至れり。

 第2月以内、3ヶ師団の増加を得て勢力頓に昂まり、爾後逐次に敵を圧迫しつつ、今や大場、南翔付近にわたる敵陣に近く進出するを得たり。

 しかして大場鎮西方地域の中央突破の大勢やうやく成れるをもつて、すでに来27日をもつて決戦的攻撃開始を命じ、目下着々その準備線に近逼しつつあり。しかるに昨日ごろより敵軍やや動揺の色あり、あるいは近く大場以東の敵兵退却のことあるを予期せらるるをもつて、これに応ずるため軍の追撃準備もまた必要なりと考へ、これに応ずる研究を命じたり。

 各師団の状況

1.重藤支隊、永津部隊方面ともに変化なし。

2.第13師団正面には敵軍なほ反攻して繰り返し一般の陣地を固守し、師団は辛ふじて老陸宅を奪取し、さらに孟家宅に対する攻撃を準備中なり。

3.第9師団は昨日、大なる敵の抵抗を受くることなく夕刻までに小郁公廟~徐家巷の線に進出し、さら1部隊は八房宅を占領せり。

4.第3師団も同様、大なる敵の抵抗なく施宅~盛宅~北陳宅の線に進出し、さらに1部隊は東木橋に進出せり。

5.第101師団は同様、田堵宅~庙前宅の線に進出せり。

 この日、陸軍省中山少佐帰京につき、杉山大臣宛書信を託し、さらに左の要旨を伝言す。

1.第10軍の作戦計画、前記のごとく実状に適せざるをもつて、将来、状勢に応じこれを変更し得る様、あらかじめ参謀本部を指導せられたきこと。

2.江南地方作戦の目標は飽くまで南京と決定し、諸般の計画をこれに向かひ準備するを可とすること。
3.これがため方面軍および2軍の編制を必要とし、ことに方面軍には有力なる特務機関を付し、宣伝·謀略の直接作戦に必要なるもののほか占領地治安維持、人民の慰握指導等に任ぜしむることは、目下の状況上、極めて緊要にして、これがため戦時の体勢により軍司令官に全権を与へ、外務、海軍等の機関をも隷属せしむるを要すること。

4.目下、日本の政策は南京政府打倒を核心とし、これ以上、爾後の善後策をかれこれするは未だ時機にあらず。けだし今後の善後政策は南京政府崩壊後における支那の形勢およびこれに伴ふ列国の態度等によりおのずからこれを異にすべく、今よりこれを決定すること能はざるのみならず、過早の時機における善後政策の討究などは、国民今後の精神的作用および目下の積極的政策に悪影響を与へ、延いて支那および列国の態度にも悪結果を招き、結局、時局を困難かつ長期に導くこととなるべく、特に我が朝野の謹慎を必要とすべきこと。
 なほ上海地方を国際都市とすべき様の意見は、目下および将来ともに慎しむべき言にして、予は、本事件終局の奏功のためには飽くまで我が日本の真精神に基づき、いはゆる我らの大亜細亜主義により支那人の拝外思想(対欧米)を全般的に利用するの考慮を有利とすべきこと。云々。

 

  十月二十三日

天気 続テ晴朗 今日ハ上陸㐧二ヶ月ノ記念

日ナリ 囘顧セハ過去二ヶ月間 軍ハ始終 常

ニ困難ナル攻擊ヲ力行シテ今日ニ至レリ

㐧二月以内 三ヶ師団ノ増加ヲ得テ㔟力 頓ニ昂

リ 尓後 逐次ニ敵ヲ壓迫シツヽ 今ヤ大塲、南

翔附近ニ亘ル敵陣ニ近ク進出スルヲ得タリ

而シテ大塲鎮西方地域ノ中央突破ノ大㔟

漸ク成レルヲ以テ 既ニ来二十七日ヲ以テ決戦

的攻擊開始ヲ命シ 目下 着々 其準備線

ニ近逼シツヽアリ  然ルニ昨日頃ヨリ敵軍 稍

動搖ノ色アリ 或ハ近ク大塲以東ノ敵兵 退却

ノコトアルヲ豫期セラルヽヲ以テ 之ニ應スル為メ

軍ノ追撃準備モ亦 必要ナリト考ヘ 之ニ

應スル研究ヲ命シタリ

 各師団ノ状況

一、重藤支隊、永津部隊方面 共ニ変化ナシ

二、㐧十三師団正面ニハ敵軍 尚 反攻シテ繰返

  シ一般ノ陣地ヲ固守シ 師団ハ辛フシテ老陸

  宅ヲ奪取シ 更ニ孟家宅ニ對スル攻撃ヲ

  準備中ナリ

三、㐧九師団ハ昨日 大ナル敵ノ抵抗ヲ受クルコトナク

  夕刻迠ニ小郁公庙、徐家巷ノ線ニ進出シ

  更ニ一部隊ハ八房宅ヲ占領セリ

四、第三師団モ同様 大ナル敵ノ抵抗ナク施宅、

  盛宅、北陳宅ノ線ニ進出シ 更ニ一部隊ハ

  東木槗ニ進出セリ

五、㐧百一師団ハ同様 田堵宅、庙前宅ノ

  線ニ進出セリ

此日 陸軍省中山少佐帰京ニ付 杉山大臣宛 書

信ヲ託シ 更ニ左ノ要旨ヲ傳言ス

一、㐧十軍ノ作戦計畫 前記ノ如ク実状ニ適セサ

  ルヲ以テ 将来 状㔟ニ應シ之ヲ変更シ得ル様

  予メ参謀本部ヲ指導セラレ度コト

二、江南地方作戦ノ目標ハ飽迠 南京ト決定

  シ 諸般ノ計畫ヲ之ニ向ヒ準備スルヲ可トスルコト

三、之レカ为メ方面軍 及 二軍ノ編制ヲ必要トシ

  殊ニ方面軍ニハ有力ナル特務機関ヲ附

  シ 宣傳謀畧ノ直接作戦ニ必要ナルモノヽ外

  占領地治安維持、人民ノ慰握指導等ニ任

  セシムルコトハ 目下ノ状況上 極メテ緊要ニシテ 之レカ

  为 戦時ノ体㔟ニ依リ軍司令官ニ全権ヲ与ヘ

  外務 海軍等ノ機関ヲモ隷属セシムルヲ要スルコト

四、目下 日本ノ政策ハ南京政府打倒ヲ核心トシ

  之レ以上 尓後ノ善後策ヲ彼此スルハ未タ時機

  ニアラス 蓋シ今後ノ善後政策ハ南京政府

  崩壊後ニ於ケル支那ノ形㔟 及 之ニ伴フ

  列國ノ態度等ニ依リ自ラ之ヲ異ニスヘク

  今ヨリ之ヲ決定スルコト能ハサルノミナラス

  過早ノ時機ニ於ケル善後政策ノ討

  究ナトハ国民今後ノ精神的作用 及 目下

  ノ積極的政策ニ悪影響ヲ与ヘ延

  テ支那 及 列國ノ態度ニモ悪結果

  ヲ招キ 結局 時局ヲ困難 且ツ長期

  ニ導クコトトナルヘク 特ニ我朝埜ノ謹

  慎ヲ必要トスヘキコト

  尚 上海地方ヲ國際都市トスヘキ様ノ

  意見ハ目下 及 将来 共ニ慎ムヘキ言ニシ

  テ 予ハ本事件終局ノ奏功ノ为メニハ

  飽迠 我日本ノ真精神ニ基キ 所謂

  我等ノ大亜細亜主義ニヨリ支那人

  拝外思想(対欧米)ヲ全般的ニ利

  用スルノ考慮ヲ有利トスヘキコト

                云々

 

   10月24日(敵軍の退却

          追撃命令下付)

 昨夜半より敵第一線の減兵の報あり。我が軍第9師団の斥候は走馬塘を渡れるが、敵兵退却の状ありと報ず。かくてこの日、予は戦闘司令処を張家宅(劉家行東南約2,000m)に進め、軍の攻撃開始を令じ、さらに森厳なる訓示を各師団長に与ふる予定なりしが、敵軍退却と知り、予定を変更し朝9時、電話をもつて各師団に追擊命令を与へ(爾後、筆記したる完全なるものを下す)また従来の計画を変更し第13師団は依然、当面の敵を攻撃して南翔地北方に進出し、敵の退路を遮封せしむることとし、第11師団の主力(1旅欠)を陳家行付近に集結し、機を見て南方または西南(南翔方向)に突進せしむることに改めたり。けだし最早、走馬塘の突破に大なる困難なきと、敵を捕捉するためには同時に南翔を攻撃するを有利なりと認めたればなり。

 各師団の状況

1.重藤支隊は依然、当面の敵を牽制す。

2.永津部隊、同断。

3.第13師団方面は敵兵頑強に陣地を固守し、昨夜も時々銃砲火による反攻を示せしも、師団は能くつひに孟家宅を占領し、さらに全面にわたり攻撃強行中。

4.第11師団の43 i は夕刻、陳家行およびその南方地区を第9師団の部隊と交代し、師団の主力は南方に向かひ転出中。

5.第9師団は走馬塘の線に進出し、その一部は北張村においてクリークを渡河せり。

6.第3師団は大体、走馬塘の線に迫り進出せしも、未だこれを渡るを得ず、その左翼は洛河橋宅~南陳宅の線に進出す。

7.第101師団はほとんど敵の抵抗なく洪家橋、沈家巷の線に進出す。

8.谷川支隊、兵站部隊も逐次、当面の敵を圧迫しつつあり。

 午後に至るも師団の追撃、思ふに任せざるにより、予は参謀長を伴ひ午後3時、第3師団長の許に至り、第3、第9、第13師団長を召致し追撃を督励するとともに、軍の追撃計画変更の意を説明す。各師団長、能く予の意を諒するも、何分、長時日の陣地戦に慣れたる各部隊の機動力を失ひあると、地形、ことに走馬塘の障碍のため果敢なる追撃を実行し得ざるは遺憾なり。第9師団のごときは未だ戦備補充を果たさず、現在、各歩兵大隊、銃数2~3百の有様につき、本日夕までにその補充を了へて追撃を敢行すべしといひ、 予、無理もなき次第と諦む。

 

  十月二十四日(敵軍ノ退却

         追撃命令下付)

昨夜半ヨリ敵㐧一線ノ減兵ノ報アリ 我軍

㐧九師団ノ斥候ハ走馬塘ヲ渡レルカ 敵兵

退却ノ状アリト報ス 此クテ此日 予ハ戦斗司

令處ヲ張家宅(劉家行東南約二千米)ニ進

メ 軍ノ攻擊開始ヲ令シ 更ニ森厳ナル訓示ヲ

各師団長ニ与フル予定ナリシカ 敵軍退却ト

知リ 予定ヲ変更シ 朝九時 電話ヲ以テ各師団

ニ追擊命令ヲ与ヘ(<尓>後[✕刻✕]筆記シタル完全ナルモノヲ下ス)

又 従来ノ計畫ヲ変更シ 㐧十三師団ハ依然 當面

ノ敵ヲ攻撃シテ南翔地北方ニ進出シ 敵ノ退路

ヲ遮封セシムルコトトシ 㐧十一師団ノ主力(一旅欠)

ヲ陳家行附近ニ集結シ 機ヲ見テ南方 又ハ

西南(南翔方向)ニ突進セシムルコトニ改メタリ 蓋シ

最早 走馬塘ノ突破ニ大ナル困難ナキト 敵ヲ

捕捉スル为メニハ同時ニ南翔ヲ攻擊スルヲ有利

ナリト認メタレハナリ

 各師団ノ状況

一、重藤支隊ハ依然 當面ノ敵ヲ牽制ス

二、永津部隊 仝断

三、第十三師団方面ハ敵兵 頑強ニ陣地ヲ固守シ

  昨夜モ時々銃砲火ニ依ル反攻ヲ示セシモ 師団ハ

  能ク遂ニ孟家宅ヲ占領シ 更ニ全面ニ亘リ

  攻撃強行中

四、㐧十一師団ノ43iハ夕刻 陳家行 及 其南方地区ヲ

  㐧九師団ノ部隊ト交代シ 師団ノ主力ハ南方ニ向ヒ

  轉出中

五、㐧九師団ハ走馬塘ノ線ニ進出シ 其一部ハ北張村

  ニ於テクリークヲ渡河セリ

六、㐧三師団ハ大体 走馬塘ノ線ニ迫リ進出セシモ

  未タ之ヲ渡ルヲ得ス 其左翼ハ洛河槗宅、南陳

  宅ノ線ニ進出ス

七、㐧百一師団ハ殆ト敵ノ抵抗ナク洪家槗、沈家巷

  ノ線ニ進出ス

八、谷川支隊、兵站阝隊モ逐次 當面ノ敵ヲ壓迫

  シツヽアリ

午后ニ至ルモ師団ノ追擊 思フニ任セサルニ依リ 予ハ参

謀長ヲ伴ヒ午後三時 㐧三師団長ノ許ニ至リ 㐧三、

㐧九、㐧十三師団長ヲ召致シ追擊ヲ督勵

スルト共ニ軍ノ追擊計畫変更ノ意ヲ説明

ス 各師団長 能ク予ノ意ヲ諒スルモ 何分 長時日

ノ陣地戦ニ慣レタル各部隊ノ機動力ヲ失ヒアルト

地形 殊ニ走馬塘ノ障碍ノ为メ果敢ナル追

撃ヲ実行シ得サルハ遺憾ナリ 尚 㐧九師団ノ如キ

ハ未タ戦備補充ヲ果サス 現在 各歩兵大隊 銃数二三百

ノ有様ニ付 本日夕迠ニ其の補充ヲ了ヘテ追撃ヲ

敢行スヘシト云 予 無理モナキ次㐧ト諦ム

 

   10月25日

 天気晴朗。

 各師団は続いて敵を追撃中なるも、走馬塘南岸にある敵の収容部隊は既存の陣地において抵抗し、第9、第3師団方面の追撃は意のごとくならず。

 第101師団は近く大場鎮の北方に敵を追撃せるも、未だ大場鎮を占領するに至らず。

 第13師団の攻撃は遅々として進捗せず。けだし敵軍この方面に漸次砲兵を増加し、死力を遏[→竭]して大場方面の退却を掩護しつつあるもののごとし。

 よつて軍は第11師団の全力(永津部隊を除く)をもつて第9師団の右側に進出し、その側方を掩護するとともに、第13師団と連繫して南翔を攻撃せしむべく区署し、該師団は夕刻までに陳家行より頭家を経て僅家宅東方に至る線に展開し、攻撃を準備中なり。

 兵站部隊はこの日、前面の敵を追撃しつつ爾後、廟行鎮を占領し、谷川支隊もこれに連なり江湾鎮陣地をその南北より包囲攻撃中なり。

 重藤支隊方面、変化なし。

 

  十月二十五日

天気晴朗

各師団ハ続テ敵ヲ追撃中ナルモ 走馬

塘南岸ニアル敵ノ収容部隊ハ既存ノ

陣地ニ於テ抵抗シ 㐧九、㐧三師団方

面ノ追撃ハ意ノ如クナラス

㐧百一師団ハ近ク大塲鎮ノ北方ニ敵ヲ

追撃セルモ 未タ大塲鎮ヲ占領スルニ至ラ

㐧十三師団ノ攻撃ハ遅々トシテ進捗セス 蓋

シ敵軍 此方面ニ漸次 砲兵ヲ増加シ 死力

ヲ遏[ママ]シテ大塲方面ノ退却ヲ掩護シツ

ツアルモノヽ如シ

依テ軍ハ第十二師団ノ全力(永津阝隊ヲ除ク)

ヲ以テ㐧九師団ノ右側ニ進出シ 其側方

ヲ掩護スルト共ニ 㐧十三師団ト連繫

シテ南翔ヲ攻撃セシムヘク區署シ 該師

団ハ夕刻迠ニ陳家行ヨリ頭家ヲ経テ

僅家宅東方ニ至ル線ニ展開シ 攻擊

ヲ準備中ナリ

兵站中隊ハ此日前面ノ敵ヲ迫撃シツヽ 尓後

廟行鎮ヲ占領シ 谷川支隊モ之ニ連

リ江湾鎮ヲ其南北ヨリ包圍攻

撃中ナリ

重藤支隊方面変化ナシ

 

    10月26日

 天気晴朗なれども漸次南風となりつつあり。

 今後の天候、疑はし。

 各師団は敵を追撃して前進し、第9師団、第3師団は概ね敵の収容陣地を突破して洛陽橋~張家橋~胡宅~王家宅の線に進出し、第101師団は夕刻、つひに大場鎮を占領して旭旗高く街上に翻る。なほ兵站部隊、谷川支隊も敵を追撃して概ね江湾~大場道の線に進出し、また南方より江湾鎮に進入せり。

 重藤支隊方面、変化なく、第13、第11師団方面は敵の頑強なる防御のため戦況、余り進展せず。けだしこの前夜、敵は大場·江湾鎮より最後の退却を始め、また閘北の敵はこの夜半より退却に就きしがごとし。

 各師団はその砲兵の大部を概ね走馬塘の線に進出せしめ、明日の追撃を準備す。

 思ふに過去1ヶ月有余の悪戦苦闘に酬ひられ、つひに大場攻略の目的を達し得たるは欣懐これに過ぎず。けだしひとへに皇威と将兵の忠烈によるものにて、感激無量なり。

 なほ今後一層追撃を敢行して、成るべく多くの残兵を捕捉すること緊要なるも、地形と残兵に妨げられ、予期のごとくその目的を達し能はざるは遺憾の極みなり。

  悪戦力闘三月  包痍超塁斃不已

  神武敵陣旭旗翻  欲忠霊幽暝裏

 この日、新たに方面軍参謀副長に内定せる元参謀本部第2[→3]課長武藤大佐および方面軍要員数名来着し、方面軍および第10軍作戦に関する中央部の意向および計画の進捗を聴く。大体、予の意に満たざること少なからざるも、既往は詮なく、何とか善後策を講ずるのほかなく、今後状勢の変化に伴ひ処決すべくひたすら考慮を運らしあり。なほ方面軍人事については、方面軍の重要性と権威のため、現内定人を変更するの必要を感じ、大臣、次長に書信を認め明日の飛行便に托送することとせり。

 

  十月二十六日

天気晴朗ナレトモ漸次南風トナリツヽアリ

今後ノ天候疑ハシ

各師団ハ敵ヲ追擊シテ前進シ 㐧九師団

㐧三師団ハ概ネ敵ノ収容陣地ヲ突破

シテ洛陽橋─張家橋、胡宅、王家宅

ノ線ニ進出シ 㐧百一師団ハ夕刻遂ニ大

塲鎮ヲ占領シテ旭旗髙ク街上ニ□

ル 尚 兵站阝隊、谷川支隊モ敵ヲ追撃

シテ概ネ江湾─大塲道ノ線ニ進出シ

又南方ヨリ江湾鎮ニ進入セリ

重藤支隊方面変化ナク 㐧十三、㐧十一

師団方面ハ敵ノ頑強ナル防御ノ为

 

    10月27日

 各師団は追撃を続行す。

1.第9師団は右翼隊をもつて江橋鎮東方侯付近に、左翼隊をもつてその東南方、大場鎮~北新径道および蔡家橋付近に進出す。

2.第3師団は右翼隊をもつて真茹南方約2キロ、泰家付近に、左翼隊をもつて蘇州河畔墓巷衖付近に進出す。

3.第101師団は兵力を彭浦鎮、唐家宅付近に終結し、谷川支隊を併せ指揮し大場東方江湾鎮付近を掃蕩す。

4.陸戦隊は未明より追撃に移り、閘北一帯を占領す。

5.第11師団はその左翼隊をもつて李家門~西顧橋の線に迂回進出し、西方に向かひ攻撃を準備す。左翼隊方面、敵の抵抗ありて進出せず。

6.第13師団の攻撃は遅々として進まず。

7.重藤、永津隊方面、変化なし。

 軍は昨日より薀藻浜をもつて主として糧食の前送を始め、なほ唐橋付近より死傷者の後送に便するを得たり。

 この日、参謀総長軍令部総長より祝電を拝受す。一同シャンパンを挙げて陛下の万歳を三唱す。

 

 10月28日までにおける軍死傷者概数

        (将校)  (准士官以下)  計

         死  傷  死    傷

第3師団  85 197 1,972 6,625 8,682

第11師団    50 151 1,931 5,218 7,350

第101師団  40 158    468 3,604 4,270

第9師団  95 144 1,317 6,313 7,869

第13師団  13  37    238  1,771 2,059

重藤支隊  12   21    307    899 1,239

 計       6,528    24,941    31,649

 

 すなはち大場陥落までの死傷総数31,000余名にて、うち配属せる軍直属部隊のものを含む。なほ現在まで病者の総計は約3,000名にて、うち死亡521なり。右は主としてコレラなり。

 なほ傷病者の既送還者は約5,000名に達し、原隊復帰者は約6,000名の見込みなれば、大体本月初旬に到着すべき浦充員をもつて概ね定員の不足を補ひ得べきみこみなり。

 なお軍馬の損傷、大要左のごとし。

 

  傷死  2,727   現在病馬数  1,732

  病馬死    421

   計  3,149

 

  うち補充馬の既着のもの約500、現在欠馬数4,300頭なり。これは当分補充の見込みなく、戦列隊は輜重より補充のほかなし。

 

   10月28日

 各方面より祝電来たる。東京においてもこの夜は提灯行列など、祝慶気分旺盛なりし由なるも、予ら一同として僅かに上海西方地区を一掃せしまでにて、西方正面にては近く頑強なる敵陣を日夜力攻しつつ、また南方に対してはこの戦機を逸せず蘇州河を渡りて敵を更に圧迫して南市の解放を策せざるべからず、まだまだ心中、慶祝気分たるを得ず。

 各師団の戦況

1.重藤、永津部隊方面、変化なし。

2.第13師団は依然攻撃を力行し新陸家橋および西部老陸宅を完全に占領せるも、新陸宅および首家橋宅の敵陣を奪取し得ざるのみならず、広福はなほ敵兵、陣地を増強しつつ、兵力また増加せるごとし。

3.第11師団は漸次、敵を攻撃して中央隊をもつて婁濠~朱羅家宅の線に、左翼隊をもつてやや離れて郭家宅范家宅~斗門橋の線に進出せり。

4.第9、第3師団は大要、蘇州河岸に近く進出して渡河を準備す。

5.第101師団は依然、敵兵掃蕩中。

 よつて軍は軍砲兵を新たに大場鎮西南方約4キロの線に進出せしめ、今、第11、9、3師団の作戦地境を新区画し、爾後の西方および南方に対する攻撃を準備せしむ。

 かくて軍今後の攻撃は西·南方に対しいかに実行すべきや、第10軍との関係もあり、慎重に考慮せざるべからず。しかも敵の退却方向および兵力ならびに蘇州河南方の敵陣地の情勢等未詳なるをもつて、これらの情勢を見極めたる上、爾後の方針を決定することとす。

 この日、劉家行顧家宅付近の軍野戦病院および第3、第11師団の野戦病院を視察し、傷病兵を慰問す。思ふに傷病者の収容および後送は相当順序よく実行せらるあるごときも、何分家屋なく、病院も逐次交代中にて傷者の手当等もとより充分ならず、深く同情に禁ぜざるもの多し。よつて当事者を督励して看護および後送の万全を期す。

 なほ序をもつて羅店~大場道上唐橋に至り、新たに軍兵站をもつてする薀藻浜糧秣輸送·集積の状況を視察す。同浜は低水時において水幅10m、水深1~2mありて、4時の航運に適し、現下毎日量少なくも200トンを唐橋付近に集積し得る状態にて、これにて今後、雨天となるも補給上毫も心配すべきことなしと安心す。

 方面軍幕僚たるべき塚田少将以下数名来着す。よつて大体予の意見を伝へ、爾後の方面軍作戦に関する研究を命ず。

 

   10月29日

 各兵団はそれぞれ前任務を続行中なるも、第11師団中央隊の張仙廟の一角および壬塘橋を占領したるほか大いなる変化なし。

 敵は南翔付近に漸次陣地を増強しつつあり。大場、江橋付近より退却せる敵の大部は南翔以西の地区に向かひたるもののごとく、蘇州河南方地区に退却せるものはその一部なるがごとし。なほこの方面に退却せる敵は、兵器弾薬の大部を失ひたるがごとく、この補充に相当の日子を要するものと察せられ、また敵砲兵は目下漸次、蘇州河南方地区に現れつつあり。

 よつて軍は南翔方面の攻撃は一時これを見合はせ、速やかに蘇州河を渡りてその南岸に地歩を占め、なし得ればここに南市を封鎖する目的をもつて第9、第3師団の渡河準備を急がしめ、一方かねて計画、連絡せる支那軍の利用と相まつて、第3師団をしてまづ攻撃を実行せしめ、続いて第9師団をして攻撃を実行せしむべく、遅くも11月3日までにこれを実行を命ず。

 なほこれがため軍砲兵の全部をこれに協力せしむべく、それぞれ陣地に進入せしむることとせり。

 この日、ジェスフヒールド公園において英国兵3名、我が砲弾のため死傷せる旨、英国側より抗議し来たれるにより、現状を調査せしめたるところ、第3師団歩兵砲および山砲の砲弾らしく、墓巷衖付近の歩兵の中山橋付近にたいする砲撃の避によるものと判断せらるるにより、原田少将をして英国側と交渉せしめ、英軍は最初、中山橋付近撤退の我が要求を感受せず、自主的にその撤退を行ひし結果、我砲弾の危険区域に(公算躱避区域)現在せる結果、かかる不幸を見たるを遺憾とし、今後、相互能く連絡して危険区域に止まらざる様、取り計らふべき旨、相互の諒解を得たり。

 なほこの日、仏租界霞飛路にも我が砲弾落下せりとの報ありしも、こは所以なき事にて何かの間違ひか、あるいは支那軍の悪戯または謀略によるものなるべく、その旨を仏側に伝へしめたり。

 思ふに将来、上海占領に関してはなほこの種の問題頻発するの虞あり。外国側が吾が要求を甘受して租界境界付近またはそれ以外の地区に止まるにおいては、この種の事件を惹起すること免れ能はざるところなれば、軍としては各師団に命じ外国警備区域への攻撃を禁じ、万事速やかに予防することに努むるも、支那軍がなほその警備区域または外国軍の現在する付近に遮蔽するを場合には、やむなくこれを攻撃せざるべからざることをも列国側に通ぜしめたり。

 

   10月30日

 情勢、変化なし。

 この日、予は呉淞鎮宝山鎮の軍予備病院および兵站病馬厰を視察し、傷病者を慰問せり。

 予備病院の情況は現有患者2,000余名にして、設備もとより不完全なるも治療その他の手続き相当に行はれつつあり、宝山鎮の避病院は現有患者600余名にして最早、危険状態の者はなく、各種コレラ赤痢等漸次減滅し、昨今毎日2~3名の入院患者あるのみといふ。

 兵站病馬厰も現在馬1,700余頭にして傷病相混じ、多きは鞍傷馬にして、その保護·治療は相当に実施せられありと認め、安心す。

 かくて先日来の視察の結果によれば、人馬傷病者の収容·保護はもとより完全ならず。ことにその設備の不備なるは、利用すべき家屋少なく、かつ汚壊せることにて、万やむを得ざることと諦むるほかなし。目下、天幕の補給を要求しあれば、将来その到着後はむしろこれを利用すること可なりと考へらる。

 なほ宝山城に収容せる避難民の状態を視察す。現在者、計1,000余名なるも、多くは老幼女子の類いなり。一般に報道部員の指導にて日本軍の恩恵を感謝しつつあるは欣ぶべく、先日来、近郊の稲刈りその他の農作物の収穫に当たらしめ、既収籾240石、その他綿、豆等相当の額に上りおり、難民は大体満足の状態なり。将来さらにこれを救護して皇軍の皇に浴せしむるは、今後江南地方撫民の魁として特に注意すべきことなりと認めらるも、その指導方法についてはなほ十分監督·指導の必要ありと認めらる。

 予は一般難民に対し銀1,000ドルを送りたるに、一同非常に感謝しおれり。

 この日、方面軍要員より方面軍司令官に対する参謀総長の指示につき説明を受く。内容、満足しがたき点すくなからず。ことに方面軍司令部の構成を小規模にしたるため、方面軍の指揮の範囲および管掌事項を制限せるは面白からず。方面軍統率上、全権を軍司令官に与ふるをむしろ正当なりとすべく、今後両軍の作戦指導上、後退または故障の発生することなきや憂慮すべきものあり。よつてこれに関しあらかじめ参謀本部に対し予の意見を通報するとともに、なほ占領地の民政、国際関係処理等に関し軍司令官の権限を明確にし、所要の人員を付することにつき研究の上、それぞれ意見を中央に具申すべき旨、命ず。

 

   10月31日

 天候下り坂、[時]として小雨あり。

 この日、第3師団は蘇州河渡河を敢行せしが、右翼方面において周家橋西方金家頭対岸において1部隊を渡河せしめたるのみにて、周家橋付近より側射のため渡河を継続するを得ず、左翼隊方面は全然失敗せり。けだし軽渡河材料による架橋の法によりたるものにて、潮流と河幅の大い(50m)なるため渡河、意のごとくならざりしなり。要するに師団の渡河は一面、戦場謀略による敵軍一部の内応的効果に望みをつなぎたる点もあれど、大体、渡河準備、時[→事]前敵陣の破壊等充分ならざりしに起因するものと認めらる。

 第9師団はこの日、渡河準備未成。充分慎重に明日をもつて渡河を強硬する予定なり。

 軍は爾後白茆江方面における上陸作戦を準備するため、西方正面における第13、第11師団の攻撃を一時中止し守勢を取るに決し、左の要旨の命令を与ふ。

1.第13師団(臼砲1大隊を付す)をして現陣地以北の地区を重藤支隊および永津部隊に代り確保す。

2.重藤支隊および永津部隊(22 i 、Ⅰ(-1)/11A、1/3S、1FL、1/3 1/13P[歩兵第22連隊、野砲兵第11連隊第1大隊(1中隊欠)、衛生兵1小隊、第1野戦病院、工兵第13連隊第1中隊の1小隊])を月浦鎮~宝山城間に終結し、上陸作戦準備·訓練を行ふ。

3.第11師団(長津部隊欠)に後備歩兵2大隊を付し陳家行以南の現線を確保せしむ。

 昨日来蘇州河畔の戦闘において、我が歩砲の射撃および飛行機の空中爆撃·射撃等が、多少、英国軍の守備区域を犯せる事実ありて、英国側の抗議的通告あり、原田少将をしてこれと接[→折?]衝せしむ。けだし英国が支那軍の守備区域に接して警備しあるため、敵軍に対する我が空地の射撃が当然の躱避をもつて英国に損害を与ふるはやむを得ざるところなり。

 軍はもとより各師団·諸部隊に命じて、英軍および列国軍の守備区域に損害を与へざる様、命令しあれど、この躱避的損害はやむを得ざる次第にて、列国軍が支那軍をさらに西方に退避せしむるか、自らが危険区域外に引退するのほか、今後といへどもかかる危惧を免るる能はざるは当然なれば、この意をもつて列国側に対し警告を与ふる積りなり。しかれども英仏軍が初めより支那軍に同情·支援的態度を取り、とかくに我が軍の作戦に不利なる言動あるは、今日に始まれるにあらず。よつて我が方としては相当強硬に、かつ合法的に今後の措置を講ずるの要あり。この意を参謀本部にも報告せしむ。

 

松井石根『出征日誌』第二巻 その2(9.23~10.31)
防衛省防衞研究所 支那-支那事変・日誌回想-307-4

帝国日本軍/同盟通信の「支那軍毒瓦斯使用」宣伝 1937.7-12

同盟旬報 第1巻 第04号(通号004号)P.0259

https://www2.i-repository.net/contents/myc/chosakai/A01_0104_004.pdf

南京政府、毒ガス製造

天津【7.28】塘沽に工場を有する水利化学公司は、南京政府の密命により毒ガス製造のため中間製品たる塩素およびアルカリを製造し、これを洛陽の工場に送付し、毒ガスとして中央軍に供給中のもののごとくで、これで我軍を悩まさんとする計画と見らる。


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南京政府毒ガス製造

天津【七·二八】塘沽に工場を有する水利化

公司南京政府の密命により毒瓦斯製

造の爲め中間製品たる鹽素及びアルカリ

を製造し之を洛陽の工場に送付し毒瓦斯

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として中央軍に供給中のものゝ如くで之

で我軍を惱まさんとする計畫と見らる

 

同盟旬報 第1巻 第07号(通号007号)P.0515

https://www2.i-repository.net/contents/myc/chosakai/A01_0107_007.pdf

毒ガス使用を誣ふ

ワシントン【8.27】日支紛争激化とともに支那側の宣伝はいよいよ露骨を加えてきたが、27日、ワシントン支那大使館は、

「日本軍は南口付近の戦闘において毒ガスを使用した」

と発表した。

 

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毒ガス使用を誣ふ

ワシントン【八·二七】日支紛爭激化と共に

支那側の宣傳は愈々露骨を加へて來たが

廿七日ワシントン支那大使館は

 日本軍は南口附近の戰鬪において毒ガ

 スを使用した

と發表した

 

同盟旬報 第1巻 第09号(通号009号)P.0685

https://www2.i-repository.net/contents/myc/chosakai/A02_0109_009.pdf

支那軍、毒ガス使用

上海【9.19】淑里橋方面より進撃せる浅間部隊は17、18両日の戦闘において、淑里橋南方約□キロ北塘口付近の激戦で勝ちに乗じ将に突撃に移らんとした刹那、敵第14師正面の陣地最尖端に当たって異様の臭気と煙幕のごとき発煙体が立ちこめ、前線兵士の嚔[くしゃみ]をする者続出、これがため一時部隊の進出を阻まれるに至ったが、敵は卑怯にも国際公法を無視し遂に嚔性毒薬を使用したること明白となり、我が前線部隊は異常に緊張し、暴戻飽くなき支那軍の行為に激憤している。


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支那軍毒瓦斯使用

上海【九·一九】淑里橋方面より進擊せる淺

間部隊は十七、八兩日の戰鬪に於て淑里

橋南方約キロ北塘口附近の激戰で勝に乘

じ將に突擊に移らんとした刹那敵第十四

師正面の陣地最尖端に當つて異樣の臭氣

と煙幕の如き發煙體が立ちこめ前線兵士

の嚔をする者續出之がため一時部隊の進

出を阻まれるに至つたが敵は卑怯にも國

f:id:ObladiOblako:20201122183524j:image

際公法を無視し遂に嚔性毒藥を使用した

ること明白となり我が前線部隊は異常に

緊張し暴戾飽くなき支那軍の行爲に激憤

してゐる。

 

同盟旬報 第1巻 第10号(通号010号)P.0732

https://www2.i-repository.net/contents/myc/chosakai/A02_0110_010.pdf

支那軍、毒ガス使用

上海【9·23】連日にわたる我が猛擊に支え兼ねた敵は22日夜、ついに国際公約上厳禁されている毒ガス弾を使用するの暴挙に出でた。右敵爆弾は性能充分ならざりしためと、我が将兵の機宜を得たる防毒処置により、ガス被害より完全に免かれるを得たが、右真相は次のごとくである。

 22日午後9時50分頃、飛行機3台は○○○西北の我が田上部隊の上空に現われ、パラシュートを用いた照明弾数個を投下し、敵砲兵陣地と信号しつつあったが、次いで午後10時頃より劉家巷、大場鎮方面より我が○○部隊に対し約50発の砲弾を集中した。右50発の砲弾のうちには炸裂音の緩慢なるもの多数あり、奇異の感を抱かしめたが、突如、我が前線将兵中に異様なる悪臭のため呼吸困難を覚ゆる者あり、配属されているガス専門将校は直ちに窒息性のホスゲン毒ガスの疑いありとして全員に防毒措置を執るよう命令した。一方手を尽くしてガスの性能を調べたが、右十数個のガス弾は多数の野砲榴散弾と前後して落下したため、毒ガスの特性を発揮するに至らず、かつ敵ガス弾の性能充分ならざるものと推定されるに至つた、ガス襲来の報告を受けた我が○○○○○では直ちに技術官をして專門的な調査をなしつつあるが、性能は未だ判明せざるも毒ガス弾を使用せる事は明白で、我が将兵は等しく極度に憤慨している。

 

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支那軍毒ガス使用

上海【九·二三】連日に亘る我が猛擊に支へ

兼ねた敵は廿二日夜遂に國際公約上嚴禁

されてゐる毒ガス彈を使用するの暴擧に

出でた、右敵爆彈は性能充分ならざりし

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ためと我が將兵の機宜を得たる防毒處置

に依りガス被害より完全に免かれるを得

たが右眞相は次の如くである

 廿二日午後九時五十分頃飛行機三臺は

 ○○○西北の我が田上部隊の上空に現

 はれパラシュートを用ひた照明彈數個

 を投下し敵砲兵陣地と信號しつゝあつ

 たが次で午後十時頃より劉家巷、大場

 鎭方面より我が○○部隊に對し約五十

 發の砲彈を集中した、右五十發の砲彈

 のうちには炸裂音の緩慢なるもの多數

 あり、奇異の感を抱かしめたが突如我

 が前線將兵中に異樣なる惡臭のため呼

 吸困難を覚ゆる者あり、配屬されてゐ

f:id:ObladiOblako:20201122184559j:image

 るガス專門將校は直ちに窒息性のホス

 ゲン毒ガスの疑ひありとして全員に防

 毒措置を執るやう命令した、一方手を

 盡してガスの性能を調べたが右十數個

 のガス彈は多數の野砲榴散彈と前後し

 て落下したため毒ガスの特性を發揮す

 るに至らず且つ敵ガス彈の性能充分な

 らざるものと推定されるに至つた、ガ

 ス襲來の報告を受けた我が○○○○○

 では直ちに技術官をして專門的な調査

 をなしつゝあるが性能は未だ判明せざ

 るも毒ガス彈を使用せる事は明白で我

 が將兵は等しく極度に憤慨してゐる

 

同盟旬報 第1巻 第11号(通号011号)P.0837

https://www2.i-repository.net/contents/myc/chosakai/A02_0111_011.pdf

華府でも毒ガス使用のデマ

ワシントン【10.8】在ワシントン支那大使館は8日、またもや声明を発し、日本軍が毒ガスを使用したとデマを飛ばした。

「上海戦線羅店鎮方面において支那軍の頑強な抵抗に窮した日本軍はついに毒ガスを使用し、6日の戰鬪では支那兵50名がその被害を受けた。日本軍は毒ガスに催ガスを混用、カムフラージユして使用している。」

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華府でも毒瓦斯使用のデマ

ワシントン【一〇·八】在ワシントン支那

使館は八日又もや聲明を發し日本軍が毒

瓦斯を使用したとデマを飛ばした

 上海戰線羅店鎭方面に於て支那軍の頑

 强な抵抗に窮した日本軍は遂に毒瓦斯

 を使用し六日の戰鬪では支那兵五十名

 がその被害を受けた、日本軍は毒瓦斯

 に催嚔瓦斯を混用カムフラージユして

 使用してゐる

 

同盟旬報 第1巻 第12号(通号012号)P.0920

https://www2.i-repository.net/contents/myc/chosakai/A02_0112_012.pdf

王寵恵、毒ガス使用誣告

ニューヨーク【10.15】支那政府外交部長、王寵恵氏は15日、米国に向けラジオを通じて放送演説を試み、支那における日本軍の行動を誣告して次のごとく述べた。

「米国民はこの際、日本を援助する様な挙には一切出ないよう希望する。日本軍が支那軍に対し非人道的行為を行っているのは明白で、日本軍が毒ガスを使用していることは南京赤十字病医長エッチンガー博士ならびに連盟保健部代表ボルチック博士の確認するところである。」

▲帝国大使館反駁 ワシントン【10.15】駐米帝国大使館当局は15日、UP通信記者との会見において、日本軍が催嚔ガスならびにダムダム弾を使用したとの支那側の宣伝を否定し、逆に本国政府から接受した確証を挙げて、支那軍こそダムダム彈の使用者だと左のごとく反駁した。

「上海付近の戦線で支那逃亡兵の遺棄した弾薬箱からダムダム弾が発見された。早速、東京に送って保管したが、将来禁止武器使用問題が起った場合証拠として提出するはずである。」

      

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     王寵惠毒瓦斯使用誣告

│ 海 │  ニューヨーク【一〇·一五】支那

│ 外 │  政府外交部長王寵惠氏は十

│ 動 │  五日米國に向けラヂオを通

│ 向 │  じて放送演説を試み支那

       於ける日本軍の行動を誣告

して次の如く述べた

 米國民はこの際日本を援助する樣な擧

 には一切出ないやう希望する。日本軍

 が支那軍に對し非人道的行爲を行つて

 居るのは明白で日本軍が毒瓦斯を使用

 して居ることは南京赤十字病院醫長エ

 ツチンガー博士並に聯盟保健部代表ボ

 ルチツク博士の確認する所である 

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▲帝國大使館反駁 ワシントン【一〇·一五】

米帝國大使館當局は十五日 UP 通信

記者との會見に於て日本軍が催嚔瓦斯並

にダムダム彈を使用したとの支那側の宣

傳を否定し逆に本国政府から接受した確

證を擧げて支那軍こそダムダム彈の使用

者だと左の如く反駁した

 上海附近の戰線で支那逃亡兵の遺棄し

 た彈藥箱からダムダム彈が發見された

 早速東京に送つて保管したが將來禁止

 武器使用問題が起つた場合證據として

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 提出する筈である      

 

同盟旬報 第1巻 第12号(通号012号)P.0922

https://www2.i-repository.net/contents/myc/chosakai/A02_0112_012.pdf

敵陣跡に毒ガス弾発見

上海【10.16】(○○報道部午後4時発表) 大平橋付近において敵陣地へ奇襲せる際、敵の砲兵陣地跡に特殊の塗料を施した数個の迫撃砲彈を発見せるにより、厳密なる調査試験を行ひたる結果、四塩化チタニュームとホスゲンを混合填実せるガス弾たるの確認を得るに至れり。

▲当局談 上海【10.16】(○○当局談)

 最近支那側は頻りに日本軍が毒ガスを使つたと宣伝し、某国大使館のごときはこれを世界に発表してゐるが、正義·人道を基とする日本軍が毒ガスを使用するがごときことは断じてなく、これに関して何らの証拠もないはずである。しかるに日本軍は去る14日、太平橋付近において奪取せる敵の砲兵陣地内より窒息性ガス弾を発見した。これは特に弾頭部に赤色の塗料を施し、弾尾の構造が幾分違つてゐるため、これを拾得、司令部に届け出た。司令部では試みに真[→信?]管の捻を除去すると、盛んに強烈な嗅気ある煙を発散せるため、厳密な理化学的実験ならびに動物試驗の結果、

1.D氏反応および嗅気によりホスゲンの混入を認め、

2.アニリンおよびアンモニア法によつて白濁を検出して、ホスゲンのあることを認む。

3.モルモツトのごときは僅か5分間にしてホスゲン特有の症狀を呈し一部斃死し、一部は肺出血を起こせり。これにより紛ふ方なき四塩化チタニュームならびにホスゲンを混入せる毒ガス弾なることを確認するに至れり。この砲弾はすこぶる巧妙を極め、発煙性あるチタニュームを多量に含む発煙弾と見せかけ、中には致死効果を狙ひ猛毒ホスゲンを含むものあり。ホスゲンは人も知るごとく欧州大戦において各種の形式で毒性の強烈な猛ガスとして使用されたものである。

 8月23日、田上部隊が顔十房付近を攻撃中に[敵は]我が陣地内に嚔性ガス弾を打ち込み、中毒者を出したが、爾来我が軍は敵の不発弾および遺棄せる砲弾に特に注意し、変つた弾丸を発見した場合、直ちに司令部に報告せしめつつありしが、10月12日陳家宅、13日大塘南において、煙を伴へる弾丸が我が前線近くに落下したので、非常な注意を払つたのであるが、前述砲彈弾の実験の結果、これまで発射せる敵の砲弾中にはガス弾の混入せるを裏書きせるものである、最近支那側が頻りに我が軍の毒ガス使用を宣伝するのは、かかる己れの非を転嫁せんとする魂坦によるものにほかならない。

 

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敵陣跡に毒瓦斯彈發見

上海【一〇·一六】(○○報道部午後四時發表)

大平橋附近に於て敵陣地へ奇襲せる際敵

の砲兵陣地跡に特殊の塗料を施した數個

迫撃砲彈を發見せるにより嚴密なる調

査試驗を行ひたる結果四鹽化チタニュー

ムとホスゲンを混合塡實せる瓦斯彈たる

の確認を得るに至れり

▲當局談 上海【一〇·一六】(○○當局談)

最近支那側は頻りに日本軍が毒瓦斯を使

つたと宣傳し某國大使館の如きはこれを

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世界に發表してゐるが正義人道を基とす

る日本軍が毒瓦斯を使用するが如きこと

は斷じてなくこれに關して何等の證據も

ない筈である、然るに日本軍は去る十四

日太平橋附近において奪取せる敵の砲兵

陣地内より窒息性瓦斯彈を發見した、こ

れは特に彈頭部に赤色の塗料を施し彈尾

の構造が幾分違つてゐるためこれを拾得

司令部に届け出た司令部では試みに眞管

の捻を除去すると盛に强烈な嗅氣ある煙

を發散せるため嚴密な理化學的實驗並び

に動物試驗の結果

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一 D氏反應及び嗅氣によりホスゲン

 混入を認め

二 アニリン及びアンモニア法によつて

 白濁を檢出してホスゲンのあることを

 認む

三 モルモツトの如きは僅か五分間にし

 てホスゲン特有の症狀を呈し一部斃死

 し一部は肺出血を起せりこれぬより紛

 ふ方なき四鹽化チタニューム並びにホ

 スゲンを混入せる毒瓦斯彈なることを

 確認するに至れり。この砲彈は頗る巧

 妙を極め發煙性あるチタニュームを多

f:id:ObladiOblako:20201122235315j:image

 量に含む發煙彈と見せかけ中には致死

 効果を狙ひ猛毒ホスゲンを含むものあ

 りホスゲンは人も知る如く欧州大戦に

 於いて各種の形式で毒性の强烈な猛瓦

 斯として使用されたものである。

 八月廿三日田上部隊が顏十房附近で敵

 を攻撃中に我が陣地内に嚔性瓦斯彈を

 打ち込み中毒者を出したが爾来我が軍

 は敵の不發彈及び遺棄せる砲彈に特に

 注意し變つた彈丸を發見した場合直ち

 に司令部に報告せしめつゝありしが十

 月十二日陳家宅、十三日大塘南に於て

f:id:ObladiOblako:20201122235332j:image

 煙を伴へる弾丸が我が前線近くに落下

 したので非常な注意を拂つたのである

 が前述砲彈の實驗の結果これまで發射

 せる敵の砲彈中には瓦斯彈の混入せる

 を裏書きせるものである、最近支那

 が頻りに我が軍の毒瓦斯使用を宣傳す

 るのは斯かる己の非を轉嫁せんとする

 魂膽によるものに外ならない。

 

同盟旬報 第1巻 第12号(通号012号)P.0923

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赤十字総裁に敵毒ガス弾説明

上海【10.16】万国赤十字社総裁ワットビル大佐は16日午後6時、我が総領事館において、支那側が使用した毒ガス弾の実包を前にして谷中佐より詳細な説明を聴取した。

 

f:id:ObladiOblako:20201122191530j:imageぬね

赤十字總裁に敵毒ガス彈説明

上海【一〇·一六】萬國赤十字社總裁ワツトビ

ル大佐は十六日午後六時我總領事館に於

支那側が使用した毒ガス彈の實包を前

にして谷中佐より詳細な説明を聽取した

 

同盟旬報 第1巻 第12号(通号012号)P.0927

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支那軍またも毒ガス使用

上海【10.17】(○○報道部発表)17日夕、敵は柳家宅、橋亭宅付近の我が軍に対し多数のガス弾を射撃せり。

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支那軍又も毒瓦斯使用

上海【一〇·一七】(○○報道部發表)十七日

夕敵は柳家宅橋亭宅、附近の我軍に對し

多數のガス彈を射擊せり

 

同盟旬報 第1巻 第12号(通号012号)P.0938

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支那軍またも毒ガス使用

上海【10·20】本日の○○攻撃に際し、敵が不法にも毒ガス弾を使用し、我が将士が被害を受けた事実がある。すなはち○○攻擊は本日午後1時25分開始され、勇敢なる我が兵はいずれもあるいは丸裸となり、あるいは夏服のまま、全身クリークに水浸しとなって弾丸雨飛の裡を鉄条網を破りつつ敵陣に突入したが、このとき敵陣地よりパッと燃え上がった砲弾が頭上で炸裂すると見るや、煙の様なものが風に乗って四方に拡がる。前進中の我が兵はたちまち眼が痛み息が詰まる様に感じ、「すわ毒ガス」と直ちにガス面を使用し突撃前進を続けたが、敵の非人道的毒ガス使用はいよいよ明白となつてきた。なおこの雄壯なる突撃にさしもの敵も算を乱して走し、激戦1時間あまりにして○○の敵陣地は見事に我が方の手に帰したのであつたが、この戦闘で敵の死体は壕を埋めるほどであった。

上海【10.20】20日、○○の激戦において敵は突撃する我が兵に対し毒ガス弾を発射し、我方の攻撃[を]鈍らせん[と]したが、皮肉にも風は東南より敵の方向に向かって吹き、かつ我が軍の防毒面使用によりほとんど被害はなかった。我が軍は直ちに調査したところ、窒息性·催涙性ガス弾と判明。これまでガス弾を後方陣地に落下させたことはあったが、第一線の戦闘最中の使用は上海戦線最初のことで、将兵はその非人道ぶりに憤慨している。

 

 

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支那軍又も毒瓦斯使用

上海【一〇·二〇】本日の○○攻擊に際し敵が

不法にも毒瓦斯彈を使用し我が將士が被

害を受けた事實がある、卽ち○○攻擊は

本日午後一時廿五分開始され勇敢なる我

兵は何れも或は丸裸となり或は夏服の儘

全身クリークに水浸しとなつて彈丸雨飛

の裡を鐵條網を破りつゝ敵陣に突入した

が此の時敵陣地よりパツと燃え上つた砲

彈が頭上で炸裂すると見るや煙の樣なも

のが風に乘つて四方に擴がる、前進中の

我兵は忽ち眼が痛み息が詰まる樣に感じ

「素和毒ガス」と直ちにガス面を使用し突

擊前進を續けたが敵の非人道的毒瓦斯使

用は愈々明白となつて來た、尚此の雄壯

なる突擊にさしもの敵も算を亂して潰走

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し激戰一時間餘にして○○の敵陣地は見

事に我が方の手に歸したのであつたが此

の戰鬪で敵の死體は壕を埋める程であつ

上海【一〇·二〇】廿日○○の激戰に於て敵は

突擊する我兵に對し毒瓦斯彈を發射し我

方の攻擊 鈍らせんしたが皮肉にも風は

東南より敵の方向に向つて吹き且つわが

軍の防毒面使用により殆んど被害はなか

つた、我軍は直ちに調査したところ窒息

性催淚性瓦斯彈と判明これまで瓦斯彈を

方陣地に落下させたことはあつたが第

一線の戰鬪最中の使用は上海戰線最初の

ことで將兵はその非人道振に憤慨してゐ

る。

 

同盟旬報 第1巻 第13号(通号013号)P.0993

https://www2.i-repository.net/contents/myc/chosakai/A02_0113_013.pdf

軍政部毒ガス製造

天津【10.23】上海、北支戦線において支那軍が毒ガス、毒ガス弾を使用していることは隠れもない事実であるにかかわらず、南京政府は「日本軍こそ毒ガスを使用しており、我が方はこれに対する報復として毒ガスを使用することすら考えていない」等と白々しいデマを飛ばしているが、すでに左の通り支那側の毒ガス工場の所在と内容すら判明するに至つている。目下、最も活躍している工場は隴海線の洛陽と開封の中間にある鞏県付近孝義駅近くにあり、軍政部の兵器厰で日々莫大な毒ガス弾を製造している。その瓦斯も最も非人道的イペリット、レイサイト、アダムサイト、アセトホンなど窒息性、糜爛性、嚔性などの極悪な性質のものである。かつてはアメリカ人技師が製造を指揮していたといわれるが、今では支那自身がやっている模様である。

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軍政部毒ガス製造

天津【一〇·二三】上海、北支戰線に於て支

那軍が毒瓦斯、毒瓦斯彈を使用してゐる

ことは隱れもない事實であるに拘らず南

京政府は「日本軍こそ毒瓦斯を使用して

居り我が方はこれに對する報復として毒

瓦斯を使用することすら考へてゐない」

等と白々しいデマを飛ばしてゐるが已に

左の通り支那側の毒瓦斯工場の所在と内

容すら判明するに至つてゐる、目下最も

活躍してゐる工場は隴海線の洛陽と開封

の中間にある鞏縣附近孝義驛近くにあり

軍政部の兵器厰で日々莫大な毒瓦斯彈を

製造してゐる。その瓦斯も最も非人道的

イペリツト、レイサイト、アタムサイト

アセトホンなど窒息性、糜爛性、嚔性な

f:id:ObladiOblako:20201122194430j:image

どの極惡な性質のものである、曾つては

亞米利加人技師が製造を指揮してゐたと

云はれるが今では支那自身がやつてゐる

模様である

 

同盟旬報 第1巻 第13号(通号013号)P.1017

https://www2.i-repository.net/contents/myc/chosakai/A02_0113_013.pdf

忻口鎮、毒ガス使用

天津【10.29】わが軍の猛攻に堪え兼ねた忻口鎮付近の敵は29日、苦しまぎれにまたもや毒ガス弾を使用するに至った。すなわち同朝敵陣より発射した野·山砲は普通より音が低く、濃緑色の苦味を感ずるような強い臭気のガスを放射、明かに毒ガス弾と認定されたが、わが軍の防毒装備宜しきを得たため、ほとんど損害はなかった。

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忻口鎭毒ガス使用

天津【一〇·二九】わが軍の猛攻に堪え兼ね

た忻口鎭附近の敵は二十九日苦しまぎれ

にまたもや毒ガス彈を使用するに至つた

卽ち同朝敵陣より發射した野、山砲は普

通より音が低く濃緑色の苦味を感ずるや

うな强い臭氣のガスを放射明かに毒ガス

彈と認定されたがわが軍の防毒装備宜し

きを得たゝめ殆んど損害はなかつた。

 

同盟旬報 第1巻 第15号(通号015号)P.1218

https://www2.i-repository.net/contents/myc/chosakai/A03_0115_015.pdf

北支戦況 山西

原城内ガス弾押収

太原【11.16】太原城内の支那軍各機関を整理中の我が軍は16日午後、城内化学研究所および城内北部の工場において製造中であった11種類の毒ガス弾を多数発見し、これを押収したが、支那軍は我が軍の追撃があまりに急であったため、ついに毒ガス弾を使用できず潰走したものである。

 

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北支戦況 山西 

      太原城内瓦斯彈押収

     太原【一一·一六】太原城内の

     支那軍各機關を整理中の我

     軍は十六日午後城内化學研

究所及び城内北部の工場に於て製造中で

あつた十一種類の毒瓦斯彈を多數發見し

之を押収したが支那軍は我軍の追擊が餘

りに急であつたため遂に毒瓦斯彈を使用

出來ず潰走したものである

 

同盟旬報 第1巻 第18号(通号018号)P.1509

https://www2.i-repository.net/contents/myc/chosakai/A03_0118_018.pdf

各城門、攻撃続行

上海【12.11】総攻撃開始以来、最初の24時間が過ぎた。我が最前線部隊は昨日に引き続いてさらに戦線を進め、北·東·南三方の正面より城塁に向かって殺到、今朝来、和平門、大平門、中山門、共和門、通済門では機関銃、手榴弾迫撃砲等による大激戦が展開され、刻一刻、激烈を極めている。

▲光華門の力戰 光華門外【12.11】10日午後5時半、激戦の後光華門を確保した脇坂部隊は、城壁を奪回せんとして夜襲を反復しきたる敵大部隊との間に数次にわたる夜戦を演じたが、伊藤部隊は飽くまでも一旦確保した城壁を死守し、11日早朝に至り多大の打撃を与えてこれを撃退、午前9時半、城壁上に機関銃を据えつけ、さらに数日章旗を朝風になびかせながら城内の敵を掃射中である。陸海両飛行隊もこれに呼応し城内の敵を猛爆中。

支那軍毒ガス使用 光華門外【12.11】10日夜半より今暁にかけての光華門夜襲に際し、支那軍は必死の勢い物凄く、手榴彈、機關銃のほか催涙弾を雨注しきたった、我が将兵は直ちに防毒面をつけて応戦、一時は非常な苦戦に陥ったが、肉弾戦をもってこれを擊退したが、この夜襲戦で断末魔の敵はいよいよ本格的毒ガス戦をもって抗戦してくることが明かとなつた。


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各城門攻擊續行

上海【一二·一一】總攻擊開始以來最初の廿

四時間が過ぎた、我が最前線部隊は昨日

に引續いて更に戰線を進め北東南三方の

正面より城壘に向つて殺到今朝來和平門

大平門、中山門、共和門、通濟門では機

關銃手榴彈、迫擊砲等による大激戰が展

開され刻一刻激烈を極めてゐる

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▲光華門の力戰 光華門外【一二·一一】十

日午後五時半激戰の後光華門を確保した

脇坂部隊は城壁を奪回せんとして夜襲を

反復し來れる敵大部隊との間に數次に亘

る夜戰を演じたが伊藤部隊は飽く迄も一

旦確保した城壁を死守し十一日早朝に至

り多大の打擊を與へて之を擊退午前九時

半城壁上に機關銃を据えつけ更に數旒の

日章旗を朝風になびかせ乍ら城内の敵を

掃射中である、陸海兩飛行隊も之に呼應

し城内の敵を猛爆中

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支那軍毒ガス使用 光華門外【一二·一一】

十日夜半より今曉にかけての光華門夜襲

に際し支那軍は必死の勢物凄く手榴彈、

機關銃のほか催涙彈を雨注し來つた、我

が將兵は直ちに防毒面をつけて應戰一時

は非常な苦戰に陷つたが肉彈戰を以つて

之を擊退したが此の夜襲戰で斷末魔の敵

はいよ〱本格的毒瓦斯戰を以つて抗戰

して來る事が明かとなつた。

 

「昨日の声明で言いたいことはすべて言ひ尽くしている。」「昨日はじめてああいう声明を出し、自分とし今後の作戦に当たる心持ちを発表したわけである。」 松井最高指揮官談 1937.10.9

同盟旬報 第1巻 第11号

(昭和12年・10月上旬号)

839(31) 支那事変

松井最高指揮官談

上海【10・9】秋雨煙る○○部隊本部に最高指揮官松井大將を訪う。大将は着任以来1ヶ月半、兵馬倥偬の間にあって、疲労の色もなく元気に語る。

 昨日の声明で言いたいことはすべて言ひ尽くしている。盧溝橋事件勃発以来、帝国は不拡大方針を堅持し、上海に陸軍を出すことは予期しなかった。大山事件が起こり、支那軍が横暴を繰返し上海の形勢が悪くなったため、ようやく急に応じ上海における海軍の活動を助け、居留民の保護に当たるべく、軍が派遣されたわけであった。自分らは大命拝受早々、間に合うだけの兵力を整えて駆けつけ、江南に根拠を占めて爾後の作戦を進めてきたわけである。爾来1ヶ月半、第三者から眺めると長い月日のようだが、自分にはつい昨日の事のような気がする。毎日時間を忘れてやってきたが、ようやく我が兵力も大部分到着したので、昨日はじめてああいう声明を出し、自分とし今後の作戦に当たる心持ちを発表したわけである。前線将士もいろいろ悪条件を克服して皇国のため尽くしている。ことに昨今悪天候が続き泥濘の中に悪戦苦闘する将兵の苦哀は、国民もよく察してもらいたい。

 

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同盟旬報 第一巻 第十一號

(昭和十二年・十月上旬號)

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839(31) 支那事變

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松井最高指揮官談

上海【一〇・九】秋雨煙る○○部隊本部に最

高指揮官松井大將を訪ふ、大將は着任以

來一ヶ月半兵馬偬倥の間にあつて疲勞の

色もなく元氣に語る

 昨日の聲明で言ひ度いことは凡て言ひ

 盡してゐる、蘆溝橋事件勃發以來帝國

 は不擴大方針を堅持し上海に陸軍を出

 り支那軍が横暴を繰返し上海の形勢が

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 惡くなつた爲漸く急に應じ上海に於け

 る海軍の活動を助け居留民の保護に當

 たるべく軍が派遣されたわけであつた

 自分等は大命拜受早々間に合ふだけの

 兵力を整へて駆け付け江南に根據を占

 めて爾後の作戰を進めて來たわけであ

 る、爾來一ヶ月半第三者から眺めると

 の事のような氣がする毎日時間を忘れ

 てやつて來たが漸く我が兵力も大部分

 到着したので昨日始めてあゝ言ふ聲明

 を出し自分とし今後の作戰に當る心持

 を發表したわけである、前線將士も色

 々惡條件を克服して皇國の爲盡してゐ

 る、殊に昨今悪天候が續き泥濘の中に

 惡戰苦鬪する將兵の苦哀は國民もよく

 察して貰ひ度い

https://www2.i-repository.net/contents/myc/chosakai/A02_0111_011.pdf
 

「作戦地方無辜の民衆に對しては憐愍切なるものあり。すなはち軍は素より一般民衆を敵とせずといへども、いやしくも我に抵抗加害するものは、その軍民のいずれたるを問はず、寸毫も仮借することなかるべし。」「中国朝野の思想ないし対日感情が現在のごとくならんか、遺憾ながらその排日・抗日運動を根絶し、今次事変のごとき不祥事発生の根因を芟除するの要がある。」 松井石根/同盟通信 1937.10.8

同盟旬報 第1巻 第11号

(昭和12年・10月上旬号)

836(27) 支那事変

【 帝 国 】

松井最高指揮官聲明

上海【10・8】(8日午後5時○○報道部発表)松井陸軍最高指揮官は本日午後5時、左のごとき声明を発表せり。

 本職大命を拝して閫外征虜の重責を負ひ、さきに江南の地に上陸せり。爾來、軍の戦力充実し、降魔の利劍は今や鞘を放れてその神威を発揮せんとす。 軍の使命は、日本政府声明の趣旨に基づき、我が権益ならびに居留民の保護を全うするとともに、南京政府および暴戻支那軍を膺懲し、その赤色勢力を苟合せる拝外抗日政策を一擲せしめ、もつて明朗なる東亜平和の基礎を確立するにあり。作戦地方無辜の民衆に對しては憐愍切なるものあり。すなはち軍は素より一般民衆を敵とせずといへども、いやしくも我に抵抗加害するものは、その軍民のいずれたるを問はず、寸毫も仮借することなかるべし。すでに兵乱の災禍に遇ひ、あるいは生命財産の脅威を受けつつある諸外国官民に対しては、同情真に禁ずる能はざるものあり。列国権益に対しては最善の努力をもつてこれを尊重・保護し、寸毫も犯すところなし。日本軍は克く仁、克く威、海陸一致し、誓つて江南の妖雲を拂掃すべく、和平の暁天を望む日方にきにあるは、本職の確信するところなり。

 昭和12年10月8日
     上海方面陸軍最高司令官

           陸軍大将 松井 石根

 

松井最高司令官中國人に告ぐ

上海【10・8】次いで松井大將は「中華民國人士に告ぐ」と題し、左の談話を發表した。

1.最近、北支事変の勃発とともに日支間の感情、頓に激發し、勢ひの赴くところついに戦線を拡大して、まさに東亜百年の危局を招来せんとしつつあるは、両国のためにまことに遺憾に堪へない。この時に当り、予は中国官民が夙に内外の情勢を静視大観し、東亜の道義に還り再省三省せんことを広く朝野の人士に望む次第である。独善、自己に陶醉して日本の実力を軽視し、あるいは赤化勢力と苟合してその存在をうし、さらにまた民族復興運動のため排日・抗日を力説して国論統一、政権強化の具に供するなどのごときは、正に国際道徳の破壊であり東洋平和の攪乱である。諸子が口を開けばいはんとする「打倒日本」が仮に実現し得たりとして、それで中国五民族が幸福に生存し得ると思はるるか。こんな見易い道理をさへ認識し得ないはずはないのであるが、これを口にするを得ない状態に置かれてあるのは、実に嘆かはしく思ふ。予が諸子の反省を望むのは、実にこの点である。かつて民国創立の先哲、孫逸仙氏が中国の復興とともに常に東洋の平和を念願、努力した事実を想起する必要がある。

2.日本が実に庶幾しあるところは日支の提携であつて、これが真に東洋平和を招来する大道なりと確信する。しかしながら中国朝野の思想ないし対日感情が現在のごとくならんか、遺憾ながらその排日・抗日運動を根絶し、今次事変のごとき不祥事発生の根因を芟除するの要がある。軍の目的は茲にあるにほかならぬ。皇軍は容易く動くべきではないが、しかしその一度起たんか徹底的に敵を撃滅し、出師の目的を達成せんとするのが吾人の信条である。軍の目標とするところは、南京政府と抗日軍隊であつて、一般民衆を作戦の対象とする考へは毛頭ない。すなはち従来、南京軍閥政権の扶植に狂奔し来たつた支那官民が、既往の迷夢から覚醒して正常に還るべき機は来たのだ。すなはち真に東洋平和のため我に伍せんとする者に対しては、軍は相携へて喜んで興亜の大業に従ふに吝かでない。しかしながらもしそれ未だ悪夢に迷ひて我に抵抗し、あるいは我が行動を妨害する者あらば、何らの仮借なく断乎これを膺懲するのはやむを得ないところである。無辜の一般大衆中、直接、戦火に遇ひ、あるいは生命・財産の危機に曝されある者に対しては予は深く同情を表するとともに、諸子がこの際何ら流言に惑はされることなく、須く帝国軍隊に信頼してしばらく戦塵の圏外にあらんことを希望する。

3.作戦地方の農民諸衆は、あたかも五穀成就の収穫期に際会しながら、自己安住の地を離れて生業を休止するがごときは、まさに天地の恵沢に応へざるものであつて、予は深く遺憾に思ふところである。また軍はさきに農家に残れる穀類を一部徴用したるところもあるが、当時、住民不在のため直接交渉する相手なく、やむなく今日に及んでゐる。これら徴用品に対する代償は、欣然、 軍において支払ふべきことを欲し、その機会の来たるを待つてゐる次第である。敵意なき民衆に対しては軍は何ら含むところなきは、前縷述の通りであつて、むしろ進んでその安全を保障し生業を保護すべきは、夙夜、予の顧念するところである。戦場後方、我が軍守備地域の良民は須く日本軍に信倚し、父祖英霊の眠る郷邑を思慕して、速やかに農に帰り、安んじてその業に復すべきことを勧告する次第である。

 

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同盟旬報 第一巻 第十一號

(昭和十二年・十月上旬號)

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836(27) 支那事變

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【 帝 國 】

松井最高指揮官聲明

上海【一〇・八】(八日午後五時

○○報道部發表)松井陸軍

最高指揮官は本日午後五時

左の如き聲明を發表せり

▽聲明

本職大命を拜して閫外征虜の重責を負ひ

曩に江南の地に上陸せり、爾來軍の戰力

漸く充實し降魔の利劍は今や鞘を放れて

その神威を發揮せんとす、軍の使命は日

本政府聲明の趣旨に基づき我が權益並に

居留民の保護を全うすると共に南京政府

及び暴戻支那軍を膺懲しその赤色勢力を

苟合せる拜外抗日政策を一擲せしめ以て

明朗なる東亞平和の基礎を確立するにあ

り、作戰地方無辜の民衆に對しては憐愍

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切なるものあり、卽ち軍は素より一般民

衆を敵とせずと雖も苟も我に抵抗加害す

るものはその軍民の何たるを問はず寸毫

も假借すること無かるべし、旣に兵亂の

災禍に遇ひ或は生命財產の脅威を受けつ

つある諸外國官民に對しては同情眞に禁

ずる能はざるものあり、列國權益に對し

ては最善の努力を以て之を尊重保護し寸

毫も犯す所なし。日本軍は克く仁、克く

威、海陸一致し誓つて江南の妖雲を拂掃

すべく和平の曉天を望むの日方に邇きに

あるは本職の確信する所なり

 昭和十二年十月八日

    上海方面陸軍最高司令官

       陸軍大將 松井 石根

 

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松井最高司令官中國人に告ぐ

上海【一〇・八】次で松井大將は「中華民國

人士に告ぐ」と題し左の談話を發表した

一 最近北支事變の勃發と共に日支間の

 感情頓に激發し勢の赴くところ遂に戰

 線を擴大して正に東亜百年の危局を招

 來せんとしつゝあるは兩國のために寔

 に遺憾に堪うない、この時に當り予は

 中國官民が夙に内外の情勢を靜視大觀

 し東亞の道義に立還り再省三省せんこ

 とを廣く朝野の人士に望む次第である

 獨善自己に陶醉して日本の實力を輕視

 し或は赤化勢力と苟合して其の存在を

 殆うし更に又民族復興運動のため排日

 抗日を力説して國論統一、政權强化の

 具に供する等の如きは正に國際道德の

 破壞であり東洋平和の攪亂である、諸

 子が口を開けば云はんとする「打倒日

 本」が假に實現し得たりとしてそれで

 中國五民族が幸福に生存し得ると思は

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 るるか、こんな見易い道理をさへ認識

 し得ない筈はないのであるが之を口に

 するを得ない狀態に置かれてあるのは

 實に嘆はしく思ふ、予が諸子の反省を

 望むのは實に此の點である、曾て民國

 創立の先哲孫逸仙氏が中國の復興と共

 に常に東洋の平和を念願努力した事實

 を想起する必要がある

二 日本が眞に庶幾しある所は日支の提

 携であつて之が眞に東洋平和を招來す

 る大道なりと確信する、然しながら中

 國朝野の思想乃至對日感情が現在の如

 くならんか遺憾ながらその排日抗日運

 動を根絶し今次事變の如き不祥事發生

 の根因を芟除するの要がある、軍の目

 的は茲にあるに外ならぬ、皇軍は容易

 く動くべきではないが然しその一度起

 たんか徹底的に敵を擊滅し出師の目的

 を達成せんとするのが吾人の信條であ

 る、軍の目標とするところは南京政府f:id:ObladiOblako:20201121022326j:image

 と抗日軍隊であつて一般民衆を作戰の

 對象とする考へは毛頭無い、卽ち從來

 南京軍閥政權の扶植に狂奔し來つた支

 那官民が旣往の迷夢から覺醒して正常

 に還るべき機は來たのだ、卽ち眞に東

 洋平和の爲我に伍せんとする者に對し

 ては軍は相携へて喜んで興亞の大業に

 從ふに吝かでない、然し乍ら若しそれ

 未だ惡夢に迷ひて我に抵抗し或ひは我

 が行動を妨害する者あらば何等の假借

 なく斷乎之れを膺懲するのは已むを得

 ないところである、無辜の一般大衆中

 直接戰火に遇ひ、或は生命財產の危機

 に曝されある者に對しては予は深く同

 情を表すると共に諸子がこの際何等流

 言に惑はされる事なく須らく帝國軍隊

 に信頼して暫く戰塵の圏外に在らん事

 を希望する

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三 作戰地方の農民諸衆は恰も五穀成就

 の収穫期に際會し乍ら自己安住の地を

 離れて生業を休止するが如きは正に天

 地の惠澤に應へざるものであつて余は

 深く遺憾に思ふところである、又軍は

 曩に農家に殘れる穀類を一部徴用した

 ところもあるが當時住民不在の爲直接

 交渉する相手なく已むなく今日に及ん

 でゐる、之等徴用品に對する代償は欣

 然軍に於て支拂ふ可き事を欲しその機

 會の來るのを待つてゐる次第である、

 敵意なき民衆に對して軍は何等含むと

 ころ無きは前縷述の通りであつて寧ろ

 進んでその安全を保障し生業を保護す

 べきは夙夜 予の顧念するところである

 戰場後方我軍守備地域の良民は須く日

 本軍に信倚し父祖英靈の眠る鄕邑を思

 慕して速に農に歸り安んじてその業に

 復すべきことを勸告する次第である

https://www2.i-repository.net/contents/myc/chosakai/A02_0111_011.pdf

「占領地域内における現地物資たる水稲は今や収穫時期にあるも、住民逃亡しありて徒に腐朽せんとす。軍は直接これを軍糧に充当するの目的をもつて徴発を実施し、特別手段により刈り取り·収穫を実施…」「作業に必要なる農夫は主として台湾または朝鮮より召致す。」「軍より陸軍省、拓務省を経て台湾または朝鮮総督府に召致委託の手続きをなすものとす。」 上海占領地域内稲刈り取りに関する件 1937.10.10


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決裁指定:【次官委任】 決行指定:【櫛淵】

受領番号:支密第3335号 起源庁:上海派遣軍

件名:上海占領地域内稲刈り取りに関する件

大臣:【委】 次官:【梅津】

高級副官:【櫛淵】 主務副官:【小薗江】

主務局長:【印】 主務課長:【印】

主務課員:【園田】 

主務局課 番号:軍務課第556号

       提出:昭和拾貳年拾月廿日

大臣官房 受領:10月20日

       結了:11月1日

連帯 参謀本部:代【印】 経理局長:【印】

   軍事課:【印】 主計課:【印】

   衣糧課:【印】

 

  次官より上海派遣軍参謀長宛電報案(暗)
                 (陸支密)

 上海占領地域内稲刈り取りのため特に人夫を派遣するの件は、左記理由により見合わすべきにつき、承知ありたし。

   左  記

1.農繁期を控へ人夫の募集困難なるのみならず、今より着手するも1ヶ月後にあらざれば上海に到着し得ず、すでに時機を失せること。

2.人夫の給与、所要器具の整備、輸送費、賠償等を考慮するときは、収支償はざる虞あること。

3.① 募集可能予想人夫数より見て、人糧1ヶ月分を得るに過ぎざること。

② 現地一般物資利用のため特に要する人員の派遣については別に研究するも、差し当たり現地労働力の不足は収容者(俘虜)、土民等を使用するのほか、適当の方法を講じて補はれたし。

④ この際、特に国際的問題を惹起せざることに注意ありたし。

   【陸軍省送達 陸支密電545】

           昭和拾貳年拾月廿日【雨谷】

[付箋]左記を付加せられたし。(経理局)

     左  記

 また本件以外に現地資源利用のため特に要する人員の派遣については別に考慮す。

 

【支密第3335号 その1】

陸軍省/大臣官房/昭和12.10.19/午前】【吉田】

陸軍省/軍務課/12.10.19/□1159特】

㊙ 電報訳 10月18日 午後2時25分発

              午後4時02分着
 陸軍次官 宛     発信者 上海派遣軍参謀長

 稲刈り取りのため上申せる人夫の派遣は、遅延せば時機を失するをもつて、少なくも軍補充用として藁、綿その他農作物および古材等、有利処理するため朝鮮人、台湾人少なくも一千名に技術者若干を付し、農具(刈取機、稲扱機、筵縄等) 大工道具および起居用具(炊具、寝具、アンペラ)を携行、至急派遣方取り計らはれたし。収穫せる籾の処理に関してはさらに研究す。

 

陸軍省受領/陸支密受第3335号】

陸軍省/大臣官房/昭和12.10.18/午前】

陸軍省/軍務課/12.10.18/□1159特】

上軍経第65号

  占領地域内における水稲収集計画の件

  昭和12年10月10日

           上海派遣軍参謀長【官印】
 陸軍次官殿

 占領地域内における水稲は今や収穫期に在るも、住民 遁走しありて徒に腐朽せんとす。軍は直接これを軍糧に充当する目的をもつて物質収集部の編成、派遣を俟ち、別紙計画により徴発を実施せんとする企図を有す。しかして本計画の実行は、国際的関係もありて、将来に関係するところ多く、 また多額の経費を伴ひ、正貨の流出等にも影響するところ鮮なからざるごとく存ぜらるるにつき、これが実行に関しては何分の指令方、御取り計らひ相成りたし。

 なほ拓務省関係についてはしかるべく連絡煩はしたく、申し添ふ。

[付箋]

本件写、10月16日、貴課に送付しあるにつき、本書を添付し置かれたし。

 軍務課御中              官房

 

  占領地域内における水稲収集計画

その1.目的

 占領地域内における現地物資たる水稲は今や収穫時期にあるも、住民逃亡しありて徒に腐朽せんとす。軍は直接これを軍糧に充当するの目的をもつて徴発を実施し、特別手段により刈り取り·収穫を実施するに在り。

 なほ要すれば荒廃せる地方復興の資料に供す。

その2.方針

1.水稲刈り取り·収穫計画の大綱は軍においてこれを定む。

2.刈り取り·収穫作業に必要なる農夫は主として台湾または朝鮮より召致す。

3.軍における実行機関は物質収集部とす。

4.収集方法は徴発により、適時、正当なる賠償を行ふものとす。

5.占領地域内所在の生獣、生野菜等も補給用として収集す。これが賠償については前払による。また時宜により稲刈り取り後、生野菜等の農作準備をなさしむることあり。

その3.実施要領

1.水稲収集計画においては占領地域内水稲刈り取り区域を画定し、各区域には集積精選所を設定するものとす。

2.刈取作業に任ずべき農夫は、軍より陸軍省、拓務省を経て台湾または朝鮮総督府に召致委託の手続きをなすものとす。
 これがため水稲刈り取り·収穫作業に適応せる技術者ならびに指導幹部の派遣方をも依頼するものとす。

3.刈り取り·収穫作業は、物質収集部に配属せる召致農夫団によりこれを実施す。

4.物質収集部派遣方を中央部に要請し、派遣軍の編組に入らしむ。

5.徴発実施にあたりては告示をなし、徴発価格およびその支払時期ならびに場所等を示し、明細なる生産記録を備へ、後日、支払に便するものとす。

6.収集作業は刈り取り、精選を含み、概ね3ヶ月を予定す。

その4.実施に伴ふ細部手続き

1.調査ならびに収穫量予想

 占領地内収穫量は、平時調査に基づき、作付け反別と反当たり1年平作状況を基礎とし、左記のごとく予想するも、実行において一応踏査の上、実行計画を策定するものとす。

占領地域県名│利用率│収穫予想
上海県│対平年収穫予想1/3│ 60,000石
宝山県│         全量│340,000石
嘉定県│        1/4│ 26,000石
 計 │          │426,000石

2.所要人員の算定

 利用見込みの作付け反別見込み195,000反とし、1反に対する作業力、延べ3人役とせば、延べ585,000人役となり、仮に10月、11月の50日間に刈り取りを実施するものとせば11,700人を要するも 、まづ3千人を予定し、これを召致す。
 時宜に応じ俘虜を使用し、また治安回復せば住民を使用す。

3.農夫の管理

(1) 農夫はそれぞれ軍隊組織により班を編制し、各刈り取り区域および精選場所に配置し、所要の技術者ならびに指導員を付し監督す。

(2) 技術者ならびに指導員の給与は雇用人の取り扱ひに準ず。

(3) 農夫は1日、日給1円を基準とし、標準作業高を定め、超過高に応じ割増を行ふことあり。

(4) 農夫の給養は官給とするも、宿営、被服、装備は自弁とす、これがため個人用寝具、食器類、簡易なる炊具など携行するものとす。

(5) 所要の農具および精撰器具は物資収集部において整備[の]上、携行せしむ。各自携行のものにありては軍において補償す。

(6) 往復旅費は官給とし、実費を支給す。

(7) 特に防疫衛生施設手段に注意す。

(8) 自警に関しては兵站において援助す。

4.整理

(1) 軍糧たる精米および藁の生産作業なるをもつて、生産に要する経費は事件費の支弁とす。これがため人夫管理に要する経費は明細書を付し陸軍大臣に申請、認可を受くるを要す。

(3) 上海派遣軍当面の軍需需要としては精米月量3万石、年所要36万石にして、収穫予想額に比すれば鮮少なるも、遠用のものに対する賠償額としては巨額に達するをもつて、現物整理に関しては国際的問題を生ぜしめざるごとく処理するを要す。

 

 

決裁指定:【次官委任】 決行指定:【櫛淵】

受領番号:支密第三三三號 起源庁:上海派遣軍

件名:上海占領地域内稻刈取ニ關スル件

大臣:【委】 次官:【梅津】

高級副官:【櫛淵】 主務副官:【小薗江】

主務局長:【印】 主務課長:【印】

主務課員:【園田】 

主務局課 番号:軍務課第五五六號

       提出:昭和拾貳年拾月廿日

大臣官房 受領:十月二十日

       結了:十一月一日

連帶 参謀本部:代【印】 經理局長:【印】

   軍事課:【印】 主計課:【印】

   衣糧課:【印】

 

 

次官ヨリ上海派遣軍参謀長宛電報案(暗)
(陸支密)

上海占領地域内稻刈取ノ為メ特ニ人夫ヲ派遣スルノ件ハ左記理由ニヨリ見合ハスヘキニ[✕就キ✕]<付> 承知アリ度

   左  記

一、農繁期ヲ控[✕エ✕]<ヘ> 人夫ノ募集困難ナルノミナラス 今ヨリ着手スルモ一ヶ月後ニアラサレハ上海ニ到着シ得ス 既ニ時機ヲ失セルコト

二、人夫ノ給與、所要器具ノ整備、輸送費、賠償等ヲ考慮スル時ハ收支償ハサル虞アルコト一

三、① 募集可能予想人夫數ヨリ見テ人糧一ヶ月分ヲ得ルニ過キサルコト

② [✕就テハ✕]<尚現地一般物資利用ノ為特ニ要スル人員ノ派遣ニ就テハ別ニ研究スルモ差當リ>現地勞働力ノ不足ハ收容者(俘虜)土民等ヲ使用スルノ他適當ノ方法ヲ講シ[✕以テ現地物資ノ利用ヲ計ラレ度 尚✕]<テ補ハレ度、>此際特ニ国際的問題ヲ惹起セサルコトニ注意アリ度

【白井】  【陸軍省送達/陸支密電五四五】

          昭和拾貳年拾月廿日【雨谷】

[付箋]

左記ヲ附加セラレ度(經理局)

  左  記

又本件以外ニ現地資源利用ノ為特ニ要スル人員ノ派遣ニ就テハ別ニ考慮ス

 

【支密第三三三五號其一】

陸軍省/大臣官房/昭和12.10.19/午前】【吉田】

陸軍省/軍務課/12.10.19/□1159特】

㊙ 電報訳 十月十八日午後二時二五分発

            午後四時〇二分着

陸軍次官 宛     発信者 上海派遣軍参謀長

稲刈取ノ爲上申セル人夫ノ派遣ハ遲延セハ時機ヲ失スルヲ以テ少クモ軍補充用トシテ藁、綿其他農作物、及古材等 有利處理スル爲朝鮮人、台湾人少クモ一千名ニ技術者若干ヲ附し 農具(刈取機、稲扱機、筵縄等)大工道具及起居用具(炊具、寝具、アンペラ)ヲ携行至急派遣方取計ハレ度 収穫セル籾ノ處理ニ關シテハ更ニ研究ス、

 

陸軍省受領/陸支密受第三三三五號】

陸軍省/大臣官房/昭和12.10.18/午前】

陸軍省/軍務課/12.10.18/□1159特】

上軍経苐六五号

  占領地域内ニ於ケル水稻蒐集計画ノ件

  昭和十二年十月十日 上海派遣軍参謀長【官印】

 陸軍次官殿

占領地域内ニ於ケル水稻ハ今ヤ收穫期ニ在ルモ住民遁走シアリテ徒ニ腐朽セントス 軍ハ直接之ヲ軍糧ニ充當スル目的ヲ以テ物資蒐集部ノ編成派遣ヲ俟チ別紙計画ニヨリ徴發ヲ實施セントスル企圖ヲ有ス 而シテ本計画ノ實行ハ國際的関係モアリテ將來ニ関係スル所多ク 又 多額ノ経費ヲ伴ヒ 正貨ノ流出等ニモ影響スル所 鮮ナカラサル如ク存セラルヽニ付 之カ實行ニ関シテハ何分ノ指令方御取計相成度

尚拓務省関係ニ就テハ然ルヘク連絡煩度申添フ

[付箋]本件写 十月十六日貴課ニ送付シアルニ付 本書ヲ添付シ置カレタシ

軍務課御中        官房

 

  占領地域内ニ於ケル水稻蒐集計画[✕案✕]

 其一、目的

占領地域内ニ於ケル現地物資タル水稻ハ今ヤ收穫時期ニ在ルモ住民逃亡シアリテ徒ニ腐朽セントス 軍ハ直接之ヲ軍糧ニ充當スルノ目的ヲ以テ徴發ヲ実施シ特別手段ニヨリ刈取収穫ヲ實施スルニ在リ
尚 要スレハ荒[✕敗✕]<廃>セル地方復興ノ資料ニ供ス

 其二、方針

一、水稻刈取収穫計画ノ大綱ハ軍ニ於テ之ヲ定ム

二、刈取収穫作業ニ必要ナル農夫ハ主トシテ台湾<又ハ朝鮮>ヨリ召致ス

三、軍ニ於ケル實行機関ハ物質蒐集部トス

四、蒐集方法ハ徴發ニ依リ適時正當ナル賠償ヲ行フモノトス

五、占領地域内所在ノ生獣生野菜等モ補給用トシテ蒐集ス 之カ賠償ニ就テハ前拂ニ依ル 又 時宜ニ依リ稻刈取後 生野菜等ノ農作準備ヲ為サシムルコトアリ

 其三、実施要領

一、水稻蒐集計画ニ於テハ占領地域内水稻刈取区域ヲ画定シ各区域ニハ集積精撰所ヲ設定スルモノトス

二、刈取作業ニ任スへキ農夫ハ軍ヨリ陸軍省 拓務省ヲ経テ台湾<又ハ>朝鮮總督府ニ召致委托ノ手續ヲ為スモノトス
之カ為水稻刈取收穫作業ニ適應セル技術者並指導幹部ノ派遣方ヲモ依頼スルモノトス

三、刈取收穫作業ハ物資蒐集部ニ配屬セル召致農夫團ニヨリ之ヲ實施ス

四、物質蒐集部派遣方ヲ中央部二要請シ派遣軍ノ編組二入ラシム

五、徴發實施ニ方リテハ告示ヲ爲シ徴發價格及其支仏時期竝場所等ヲ示シ明細ナル生産記錄ヲ備ヘ後日支拂ニ便スルモノトス

六、蒐集作業ハ刈取精撰ヲ含ミ槪ネ三ヶ月ヲ予定ス

 其四、實施ニ伴フ細部手續

一、調査竝收穫量豫想

占領地内收穫量ハ平時調査ニ基キ作付反別ト反當一年平作状况ヲ基礎トシ左記ノ如ク豫想スルモ 實行ニ於テ一應踏査ノ上 實行計画ヲ策定スルモノトス

占領地域縣名│ 利用率   │  收穫豫想
上海縣│對平年收穫予想 1/3│ 六〇、〇〇〇石
宝山縣│        全量│三四〇、〇〇〇石
嘉定縣│       1/4│ 二六、〇〇〇石
計  │            │四二六、〇〇〇石

二、所要人員ノ算定

利用見込ノ作付反別見込一九五、〇〇〇反トシ一反ニ對スル作業力延三人役トセハ延五八五、〇〇〇人役トナリ 假ニ十月 十一月ノ五十日間ニ刈取ヲ實施スルモノトセハ 一万一千七百人ヲ要先ツ[✕五✕]<三>千人ヲ予定シ之ヲ召致ス
時宜ニ應シ俘虜ヲ使用シ又治安回復セハ住民ヲ使用ス

三、農夫ノ管理

(一) 農夫ハ夫々軍隊組織ニ依リ班ヲ編制シ各刈取区域及精撰場所ニ配置シ所要ノ技術者並指導員ヲ[✕給與✕]<附シ>監督ス

(二) 技術者竝指導員ノ給與ハ雇用人ノ取扱ニ準ス

(三) 農夫ハ一日 日給 一円ヲ基準トシ標準作業高ヲ定メ超過高ニ応シ割増ヲ行フコトアリ

(四) 農夫ノ給養ハ官給トスルモ 宿営 被服、裝備ハ自弁トス 為之 個人用寝具 食器類 簡易ナル炊具等 携行スルモノトス

(五) 所要ノ農具及精撰器具ハ物資蒐集部ニ於テ整備上 携行セシム 各自携行ノモノニアリテハ軍ニ於テ補償ス

(六) 往復旅費ハ官給トシ實費ヲ支給ス

(七) 特ニ防疫衞生施設手段ニ注意ス

(八) 自警ニ関シテハ兵站ニ於テ援助ス

四、整理

(一) 軍糧タル精米 及 藁ノ生産作業ナルヲ以テ生産ニ要スル経費ハ事件費ノ支弁トス 之カ為 人夫管理ニ要スル経費ハ明細書ヲ附シ陸軍大臣ニ申請 認可ヲ受クルヲ要ス

(三) 上海派遣軍當面ノ軍需所要トシテハ精米月量三万石 年所要三十六万石ニシテ 収穫豫想額ニ比スレハ鮮少ナルモ 遠用ノモノニ對スル賠償額トシテハ巨額ニ達スルヲ以テ現物整理ニ関シテハ國際的問題ヲ生セシメサル如ク處理スルヲ要ス

 

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C04120058800

敵陣地に毒ガス弾発見 上海【10·16】(○○報道部午後4時発表) 1937.10.16

同盟旬報 第1巻 第20号(No.12)

【昭和12年・10月中旬号】

922(24) 支那事変

 

敵陣跡に毒ガス弾発見

上海【10.16】(○○報道部午後4時発表)

 大平橋付近において敵陣地へ奇襲せる際、敵の砲兵陣地跡に特殊の塗料を施した数個の迫撃砲彈を発見せるにより、厳密なる調査試験を行ひたる結果、四塩化チタニュームとホスゲンを混合填実せるガス弾たるの確認を得るに至れり。

▲当局談 上海【10.16】(○○当局談)

 最近支那側は頻りに日本軍が毒ガスを使つたと宣伝し、某国大使館のごときはこれを世界に発表してゐるが、正義·人道を基とする日本軍が毒ガスを使用するがごときことは断じてなく、これに関して何らの証拠もないはずである。しかるに日本軍は去る14日、太平橋付近において奪取せる敵の砲兵陣地内より窒息性ガス弾を発見した。これは特に弾頭部に赤色の塗料を施し、弾尾の構造が幾分違つてゐるため、これを拾得、司令部に届け出た。司令部では試みに真[→信?]管の捻を除去すると、盛んに強烈な嗅気ある煙を発散せるため、厳密な理化学的実験ならびに動物試驗の結果、

1.D氏反応および嗅気によりホスゲンの混入を認め、

2.アニリンおよびアンモニア法によつて白濁を検出して、ホスゲンのあることを認む。

3.モルモツトのごときは僅か5分間にしてホスゲン特有の症狀を呈し一部斃死し、一部は肺出血を起こせり。これにより紛ふ方なき四塩化チタニュームならびにホスゲンを混入せる毒ガス弾なることを確認するに至れり。この砲弾はすこぶる巧妙を極め、発煙性あるチタニュームを多量に含む発煙弾と見せかけ、中には致死効果を狙ひ猛毒ホスゲンを含むものあり。ホスゲンは人も知るごとく欧州大戦において各種の形式で毒性の強烈な猛ガスとして使用されたものである。

 8月23日、田上部隊が顔十房付近を攻撃中に[敵は]我が陣地内に嚔性ガス弾を打ち込み、中毒者を出したが、爾来我が軍は敵の不発弾および遺棄せる砲弾に特に注意し、変つた弾丸を発見した場合、直ちに司令部に報告せしめつつありしが、10月12日陳家宅、13日大塘南において、煙を伴へる弾丸が我が前線近くに落下したので、非常な注意を払つたのであるが、前述砲彈弾の実験の結果、これまで発射せる敵の砲弾中にはガス弾の混入せるを裏書きせるものである、最近支那側が頻りに我が軍の毒ガス使用を宣伝するのは、かかる己れの非を転嫁せんとする魂坦によるものにほかならない。

 

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同盟旬報 第一巻 第二十號(No.12)

【昭和十二年・十月中旬號】


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922(24) 支那事變


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敵陣跡に毒瓦斯彈發見

上海【一〇·一六】(○○報道部午後四時發表)

大平橋附近に於て敵陣地へ奇襲せる際敵

の砲兵陣地跡に特殊の塗料を施した數個

迫撃砲彈を發見せるにより嚴密なる調

査試驗を行ひたる結果四鹽化チタニュー

ムとホスゲンを混合塡實せる瓦斯彈たる

の確認を得るに至れり

▲當局談 上海【一〇·一六】(○○當局談)

最近支那側は頻りに日本軍が毒瓦斯を使

つたと宣傳し某國大使館の如きはこれを


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世界に發表してゐるが正義人道を基とす

る日本軍が毒瓦斯を使用するが如きこと

は斷じてなくこれに關して何等の證據も

ない筈である、然るに日本軍は去る十四

日太平橋附近において奪取せる敵の砲兵

陣地内より窒息性瓦斯彈を發見した、こ

れは特に彈頭部に赤色の塗料を施し彈尾

の構造が幾分違つてゐるためこれを拾得

司令部に届け出た司令部では試みに眞管

の捻を除去すると盛に强烈な嗅氣ある煙

を發散せるため嚴密な理化學的實驗並び

に動物試驗の結果


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一 D氏反應及び嗅氣によりホスゲン

 混入を認め

二 アニリン及びアンモニア法によつて

 白濁を檢出してホスゲンのあることを

 認む

三 モルモツトの如きは僅か五分間にし

 てホスゲン特有の症狀を呈し一部斃死

 し一部は肺出血を起せりこれぬより紛

 ふ方なき四鹽化チタニューム並びにホ

 スゲンを混入せる毒瓦斯彈なることを

 確認するに至れり。この砲彈は頗る巧

 妙を極め發煙性あるチタニュームを多

 
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 量に含む發煙彈と見せかけ中には致死

 効果を狙ひ猛毒ホスゲンを含むものあ

 りホスゲンは人も知る如く欧州大戦に

 於いて各種の形式で毒性の强烈な猛瓦

 斯として使用されたものである。

 八月廿三日田上部隊が顏十房附近で敵

 を攻撃中に我が陣地内に嚔性瓦斯彈を

 打ち込み中毒者を出したが爾来我が軍

 は敵の不發彈及び遺棄せる砲彈に特に

 注意し變つた彈丸を發見した場合直ち

 に司令部に報告せしめつゝありしが十

 月十二日陳家宅、十三日大塘南に於て

 
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 煙を伴へる弾丸が我が前線近くに落下

 したので非常な注意を拂つたのである

 が前述砲彈の實驗の結果これまで發射

 せる敵の砲彈中には瓦斯彈の混入せる

 を裏書きせるものである、最近支那

 が頻りに我が軍の毒瓦斯使用を宣傳す

 るのは斯かる己の非を轉嫁せんとする

 魂膽によるものに外ならない。

 

https://www2.i-repository.net/contents/myc/chosakai/A02_0113_013.pdf