Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

2020-10-01から1ヶ月間の記事一覧

樋口一彦 <研究ノート>国際人道法ノート(1)より 2011.9

国際法に限らず、法はもともと慣習法として存在してきたものが多い。後に、近代になって各法分野において「法典化」が行われてきたのである。特に「大陸法」といわれるものにその傾向が強い。日本においても明治以来その大陸法の継受が行われた。国際法も、…

Declaration (IV,2) concerning Asphyxiating Gases.  1899.7.29

Declaration (IV,2) concerning Asphyxiating Gases. The Hague, 29 July 1899. DECLARATION The undersigned, Plenipotentiaries of the Powers represented at the International Peace Conference at The Hague, duly authorized to that effect by their…

セント・ピータースブルク宣言 1868.12.11

Declaration Renouncing the Use, in Time of War, of Explosive Projectiles Under 400 Grammes Weight. Saint Petersburg, 29 November / 11 December 1868. DECLARATIONOn the proposition of the Imperial Cabinet of Russia, an International Military…

【工事中】「毒瓦斯は必ずしも非人道的とはいへない」「毒瓦斯はこれを戦場にて敵兵に向かつて使用する限り、いかなる種類のものにても、いかに苛烈性、残酷性、獰悪性のものであつても、それが敵の戦闘力を挫く上において絶対必要であるならば、これを非とする理由は考へられない。」 信夫淳平『戦時国際法講義』第2巻より 1941.11.23

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1060837/9 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1060837/10 第3章 戦闘 第3項 毒瓦斯 第1目 毒瓦斯の当否 第1次大戦のもたらせる3種の新兵器 1036 第1次大戦において始めて出現したる新兵器の中には、世人周…

「当日の発表はガス使用に関する条約上の意見ないし将来の企図等に一言触るることなく、専ら事実を詳細に説明し、支那側が間違いなくガス弾を使用しある事実を紹介するに努めたり。」 支那側のガス弾使用宣伝の件 中華民国在勤帝国大使館附武官 原田熊吉 1937.10.16

【陸軍省受領/陸支密受第3666号】 【小薗江】 【陸軍省/大臣官房/昭和12.10.23午□】 【陸軍省/軍事課/12.10.2?/546】 【印】 【陸軍省/新聞班/受領/12.10.27】 【陸軍省/軍務課/12.10.25/□1189特】 支庶第205号 支那側のガス弾使用宣伝に関す…

「反共産党宣伝および対ソ宣伝に堪能なるもの2名(日本人、支那人)至急派遣相成りたし。」 上海大使館附武官から陸軍次官·参謀次長あて電報 1937.9.7

参本にて処置しあり 軍事課 【閲】【常務】 【軍務】【宮本】 【補任】【□□】配布済 9月14日【結】 【陸軍省受領/陸支密受第1772号】 【陸軍省/大臣官房/昭和12.9.7-午前】 【印】 【陸軍省/軍務課/12.9.7/47特】 至急 昭和12.9.7 秘電報 9.6…

戦場宣伝のため飛行機配属に関する件 上海大使館附武官発、陸軍次官·参謀次長あて暗号電報 1937.9.2

【陸軍航空本部/連絡員/12.9._?/173】 審案筆記者:【高井】 保存起源:永久 決済指定:局長 決行指定:【櫛渕】 受領番号:支密第1519号 起源庁(課名):上海大使館附武官 件名:戦場宣伝のため飛行機配属に関する件 大臣:委 次官:【梅津】委 高級副官…

「南京館員1名、警察官6名、雇員3名、南京陸軍武官室8名、海軍武官室3名…南京居留民8名(内新聞記者7名、日清ハルクマスター1名)…無事、青島に到着せり。」 支那事変関係一件/在支公館員及居留民保護引揚関係(一般ノ部) 第二巻より 1937.8.16

電信写し 昭和12 19018 暗 青島 17日前発 本省 8月17日前着 亜、人 広田外務大臣 大□総領事 第357号 漢口、重慶、宣昌、長沙、鄭州、沙市各公館長より。 一、冒頭各公館館·署員71名(館長6名、館員8名、警察官57名)雇員3名、南京館員1…

戦後70年 のこす 引き継ぐ 三谷翔さん(96) 「無かったことにはさせへん!」 南京大虐殺を見た18歳の日本兵

https://www.google.com/url?sa=t&source=web&rct=j&url=https://www.min-iren.gr.jp/%3Fp%3D24912&ved=2ahUKEwjGieet7M7sAhWpw4sBHTgmB_AQFjAFegQIAhAB&usg=AOvVaw3VSDnPvYlXjlS7olAOG7Yw

「中華民国在勤帝国大使館附き武官、陸軍少将、原田熊吉、上海派遣軍司令部附き兼勤仰せ付けらる。」 1937.9.4

8月2日 [中略] 陸軍中将 笠井平十郎 陸軍少将 菰田康一 同 原田熊吉 参謀本部附、仰せ付けらる。 8月13日 陸軍少将 原田熊吉 中華民国在勤帝国大使館附武官に補す。 [中略] 陸軍少将 原田熊吉 参謀本部附、免ぜらる。 中華民国駐在員取締を命ず。 …

上海派遣軍特務部長 原田熊吉 1937.11.4

【陸軍省受領/陸支密受第4217号】 【吉田】【金子】 【陸軍省大臣官房/昭和12.11.8/午前】 【陸軍省軍務課/12.11.8/情252特】 【陸軍省新聞班/518/受領/12.11.1?】 業務実施の件報告(通報) 昭和12年11月4日 上海派遣軍特務部長 原田熊吉 【上海派…

「今次の対米英戦争および今後、情勢の推移に伴ひ生起することあるべき戦争は、支那事変をも含め大東亜戦争と呼称す。」 大本営·政府連絡会議決定「今次戦争の呼称並びに平·戦時の分界時期に付いて」 1941.12.10

【極秘】 【決定】 昭和16 12 10 連絡会議決定 今次戦争の呼称ならびに 平·戦時の分界時期について 1.今次の対米英戦争および今後、情勢の推移に伴い生起することあるべき戦争は、支那事変をも含め大東亜戦争と呼称す。 2.給与、刑法の適用等に関…

第9師団作戦経過の概要(上海附近の戦闘より南京攻略に至る)より 1937.12.9~11

第4章 湻化鎮附近の戦闘及追撃 三、攻撃戦闘経過 6.両翼隊は(8日午後11時)相前後して馬鞍山系に拠れる敵を駆逐し夜間追撃に移り、36iは一挙、光華門外に敵を急追し(12月9日)午前5時、光華門外クリークの線に進出せり。 右翼隊の35i主力…

歩兵第36連隊 中支方面に於ける行動概要 自昭和12年9月9日 至昭和14年7月11日 より 4 南京付近の会戦 1937.12.5~12.13

4 南京付近の会戦 連隊は11月12日、第9師団右追撃隊の主力となり高家湾を出発、連日の冷雨の中を泥濘を踏破しつつ高家湾~黄渡鎮~太倉~周壁鎮~昆山道を急追せるに、不幸、敵と戦闘を交うるに至らざるも、崑山付近の敵に対し側背脅威を与え得たり。 …

第9師団 機密作戦日誌(上海~南京)より 1937.11.12~12.13

11月12日 曇後雨 中新涇鎮 追擊 本日、軍より追撃の電話命令あり。すなわち作命甲第52号を下達す。左追撃隊を第6師団の後方を前進せしめし理由、左のごとし。 軍命令のごとく黄渡鎮西方地区に師団の全力を前進せしむるは、道路とクリークの関係上、追…

在日特権を許さない市民の会 予定表 【そよ風講演会】 小池百合子先生講演会「日本と地球の護りかた」 【女性部】 2010.12.5

在日特権を許さない市民の会 予定表 2010年12月5日(日曜日)14時00分 2010年12月5日(日曜日)17時00分 あうるすぽっと(有楽町線東池袋駅直結) 【そよ風講演会】 小池百合子先生講演会「日本と地球の護りかた」 【女性部】 そよ風 小池百合子先生講演会<…

問「どのようなお考えで追悼文の送付を取り止める決定をしたのか」 答「関東大震災で犠牲となられた全ての方々への追悼の意を表した」 問「民族差別が背景にある…不幸な悲劇について、特別にその追悼の文を送ることに…何かしら特別な意味というのは見出されないですか」 答「民族差別という観点というよりは…災害の被害、さまざまな被害によって亡くなられた方々に対しての慰霊」 問「朝鮮人が殺害された事実は否定される」 答「さまざまな歴史的な認識があろうかと思っております」 小池都知事記者会見 2017.8.25

小池百合子 東京都知事 記者会見 2017年8月25日(金曜) 14時00分~14時48分 より 【記者】共同通信の河村です。2点お伺いいたします。1点目です。毎年9月1日に都立公園で市民団体が主催で開催されている、関東大震災の朝鮮人犠牲者の追悼式…

問「ネット上などでは、朝鮮人虐殺は正当防衛だったとの説も飛び交っていますが、知事の今回の対応は、結果的にその説を勢いづかせることにもなりかねない」 答「それぞれの受け止め方でございますので、それによってどういう反応になってるのかは、それぞれだと思っております」 問「虐殺と呼ばれる事実があったと…捉えていらっしゃるのか」 答「さまざまな見方がある」「まさしく歴史的な、歴史家が紐解くもの」 小池都知事記者会見 2017.9.1

小池百合子 東京都知事 記者会見2017年9月1日(金曜)14時00分~14時44分 【記者】東京新聞の榊原です。関東大震災の朝鮮人犠牲者の追悼式への追悼文送付を取り止めたことについてお伺いします。 その追悼式と同じ公園内で開かれている都慰霊協会主催の大法…

「慰安所と申せば一寸劇場か見せ物小屋の様にも想像せられますが、さにあらず。此の兵舎に起居する兵どもの貴重なる精力の排出箇所なのです。慰安所の兵力は僅に二十名そこそこの鮮人にて、然も国家総動員法に縛られ、芳子や花子など桃色配給券が分けられ、軍隊でなければ見られぬ光景です。」 黒竜江省北安地方の憲兵隊が郵便検閲で押収した手紙から 1941.10.16

北安地方検閲部『郵検月報』(1941年)より 十月十六日発信者:黒河 武田●●●受信者:秋田市●●● 村上●●●内容:前文略。北満黒河市街を去る北方四里にある山神府兵舎[の川村、井上、綿引の諸氏は、復転[→耺=職]後の日々の話に夢中です。開墾の]果てもなき広…

岡田尚、李擇一らを通じた謀略活動と宋子文への働きかけについて 松井石根「戦陣日誌」から 1937.12~1938.1

此の日、萱野、陳中孚、岡田尚を集め、今後の謀略に関する指示を与へ、之を督励すると共に、李擇一をして福州に在る陳毅の引出策、及び杜月笙の上海帰還を画策せしむ。(1937年12月6日) 此の日、李擇一、陳中孚、萱野等と会し、今後の謀略に付き指示…

宋子文工作について 極東国際軍事裁判速記録 第310号 弁護側文書2670号、法廷証3409号、岡田尚の宣誓口供書より 1947.11.7

松井将軍は二月中旬、軍の編成改革に連れてその職を免ぜられて日本に歸ることになりました。その節、将軍は 「南京陥落をもって武力戦の一段落となし、今後は南京より上流には戦線を拡大せず、中国政府との和平工作に重点を置く。この仕事こそ軍司令官の地位…

「南京·杭州付近、また奪略·強姦の声を聞く。幕僚を特派して厳に取締を要求するとともに、責任者の処罰など厳重、各軍に要求せしむ。」 松井石根 戦陣日誌 1937.12.26

12月26日、27日 晴 28日 雨 東京と諸般の連絡ならびに意見具申のため、塚田参謀長を派遣す。 上海兵站病院を視察す。設備も漸次整い、現在、傷病兵約五千名に過ぎず。赤十字看護班の協力により、大体好成績に衛生諸設備行われつつあり、安心す。なお…

「一時我将兵により少数の掠奪行為(主として家具等なり)強姦等もありし如く、多少は已むなき実情なり。」 松井石根 戦陣日誌 1937.12.20 

12月20日 晴 此日、大使館に至り新着の領事館員と会見し状況を聞く。曰く、去七月大使館引上当時、支那側に寄託したる我公使建物は、一部の小奪掠の外、概して相当に保護せられ、殊に大使館建物は内容共完く完全に保存せられあるは、支那側の措置として…

「最早、希望ある戦争指導は遂行し得ず、残るは一億玉砕に依る敵の戦意放棄を俟つあるのみ。」 大本営戦争指導班 機密戦争日誌 1944. 6. 24

昭和19年6月24日 土曜 1.ソ軍は一昨日の記念日を期し独ソ戦線に於てモギーレフ、ヴィテブスク方面より夏期攻勢を開始せり。其の規模、強大なり。 2.海軍の「あ」号作戦に関し陸軍と協議の上、中止するに決す。則ち帝国はサイパン島を放棄することと…

「ことここに至ったのはもちろん、政治の政策がよくなかったからでもあるが、また国民の道義のすたれたのもこの原因の一つである。この際私は軍官民、国民全体が徹底的に反省し懺悔しなければならぬと思う。全国民総懺悔することがわが国再建の第一歩であり、わが国内団結の第一歩と信じる。」 内閣総理大臣、東久邇宮稔彦王の日本人記者団との会見 1945.8.28

◎国体護持ということは理屈や感情を超越した硬いわれわれの信仰である。祖先伝来我々の血液の中に流れている一種の信仰である。四辺からくる状況や風雨にとって決して動くものではないと信じる。 ◎現在において先日下された詔書を奉戴し、これを実践に移すこ…

「至尊の聖明を以てさえも尚ほ今日の悲局を招来し、斯くも深く宸襟を悩まし奉りましたことは、臣子として洵に申訳のないことでありまして、民草の上を是程までに御軫念あらせらるる大御心に対し、我々国民は御仁慈の程を深く肝に銘じて自粛自省しなければならないと思います。敗戦の因って来る所は固より一にして止まりませぬ。前線も銃後も、軍も官も民も総て、国民悉く静かに反省する所がなければなりませぬ。我々は今こそ総懺悔し…」 内閣総理大臣、東久邇宮稔彦王の施政方針演説から 1945.9.5

第 88 回帝国議会 貴族院 本会議 第 2 号 昭和 20 年 9 月 5 日 000 会議録情報 昭和二十年九月五日(水曜日)午前十時五分開議 ━━━━━━━━━━━━━ 議事日程 第二號 昭和二十年九月五日 午前十時開議 一 國務大臣の演説に關する件 ―――――◇――――― ↑https://teikokug…

「今の軍隊は慰安婦を同伴して尚且つ強姦罪少なからずいふ有様なり。」 岡村寧次の『陣中観想録』より 1938.8.30

昭和13.8.30 A 6Dは剛勇敵陣中にも轟き、其の将兵の態度は厳然として敬礼も正しく、我が国最精鋭の一つなるには相違なきも、強姦罪の多きには困つたものなり。 稲葉師団長、牛島旅団長等も之が取締りに苦心しあり。兵の行衛不明の多くは我が幹部の…

「斯く申す私は恥かしながら慰安婦案の創始者である。昭和七年の上海事変のとき二、三の強姦罪が発生したので…」 上海派遣軍(第一次事変時)参謀副長、第十一軍(日中戦争時)司令官、岡村寧次の回想 1932, 1938

十 軍、風紀所見(その三) [前略] (二)慰安婦問題を考える。昔の戦役時代には慰安婦などは無かったものである。斯く申す私は恥かしながら慰安婦案の創始者である。昭和七年の上海事変のとき二、三の強姦罪が発生したので、派遣軍参謀副長であった私は、…

「この頃、兵が女捜しに方々をうろつき、いかがわしき話を聞くこと多し。これは、軍が平時状態になるたけ避け難きことであるので、寧ろ積極的に施設をなすを可と認め、兵の性問題解決策に関し種々配慮し、その実現に着手する。」 上海派遣軍(第一次事変時)高級参謀、岡部直三郎の日記から 1932.3~4

三月十四日(月)曇 前日来寒気強かりしが、本日天候稍〻回復す。 ○朝、永見中佐は今中中佐を伴い、陣地視察に赴く。 ○この頃、兵が女捜しに方々をうろつき、いかがわしき話を聞くこと多し。これは、軍が平時状態になるたけ避け難きことであるので、寧ろ積極…

歩兵第41連隊陣中日誌所収、第2軍司令官、東久邇宮稔彦王の訓示と北支那方面軍参謀長、岡部直三郎の通牒 1938.7.13                     

《7月13日 晴 宿県》1.森田隊は8時出発、固鎮に向ひ前進、19時到着す。 〈日々命令〉 2.左の日々命令下達す。 日々命令 7月13日 於宿県部隊本部 一、 陸軍軍医中尉 望月策夫 連隊本部付きを命ず。(7月12日付) 〈軍司令官訓示〉 3.本日…