Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

2021-11-01から1ヶ月間の記事一覧

公文別録 朝鮮事件 一(その②) 外務省出仕佐田白茅外二名朝鮮国交際始末内探書 1870. 4

公文別録・朝鮮事件・明治元年~明治四年・第一巻・明治元年~明治四年 八 外務省出仕佐田白茅外二名、朝鮮国交際始末内探書 八 朝鮮国交際始末内探書 外務省出仕 佐田白茅 森山 茂 斎藤 栄 一 慶長·元和以来、朝鮮国より信使差し越し、藩属の礼を執り来たり…

「伺ひの趣き、竹島ほか一島の儀、本邦関係これなき儀と相心得べきこと。明治十年三月二十九日」 太政官指令 1877. 3. 29

[朱書]「十六」 【本局】 内 二百四十 【立案第二十号】 同廿七日来【牟田口】 明治十[1877]年三月二十日 大臣【岩倉】 本局 【土方】【巖谷】 参議 【大隈】【寺島宗則】【大木】 卿輔 別紙内務省伺ひ、日本海内竹嶋ほか一嶋地籍編纂の件、右は元禄五年朝鮮…

朝鮮国出張森山理事官が広津副官を上京させ軍艦発遣を具申 日本外交文書 第8巻 4 朝鮮国との通交に関する件 より 1875.4 

6 四月一日 朝鮮国出張森山理事官より 寺島外務卿宛 朝鮮国東莱副官使と面接の運ひには到り たるも訓噵の都合により延期せるむね ならびに連絡のため広津副官を上京 せしむるむね報告の件 茂ら着韓後の景況は追々上申候ふ通り。過ぐる二十四日、訓噵入館、…

スクリーンショット 日本外交文書デジタルコレクション 第8巻(明治8年/1875年) 5 朝鮮江華島事件ニ関スル件 48~56 1875.9.29~10.10

事項5 朝鮮江華島事件に関する件 〔第7巻事項2参照〕(事項4参照) 48 九月二十九日 朝鮮国出張森山理事官(長崎にて)より 寺島外務卿宛(電信) 江華島事件発生の報知に接し長崎より朝 鮮国に引返すべきや否やに関し伺の件 今日長崎へ着し雲揚艦の事…

「今我が軍艦一、二隻を発遣し、対州と彼の国との間に往還隠見して海路を測量し」「我の力を彼の国に為す、只今この時を好機会とす。」 朝鮮国内訌に際し交渉促進のため軍艦派遣ありたき旨具申の件 広津副官よりの建議書 1875.4.23

◯四月十五日、朝鮮国の我が理事官を待つ、反復、前に論にずるが如し。故に後来の進止を仰がんため副官広津弘信および奥義制(時為三䓁書記生)一時帰朝、その情状を具上し、併せて建議する所あり。 軍艦を発遣し対州近海を測量せしめ、 もつて朝鮮国の内訌に…

木戸参議よりの建白書『朝鮮国処分の廟議一決せば其の任に当りたき旨申請の件』 1875.10.5

五四 十月五日 木戸参議よりの建白書 朝鮮国処分の廟議一決せばその任に 当りたき旨申請の件 長崎の電報によるに、前月二十日、我が軍艦朝鮮海において、彼が不意の砲撃に遇へり。我が艦遂に進戦し、その砲台を毀ち民屋を火し、しかして退けりと。朝鮮交際の…

江華島事件に関し報知の件 寺島外務卿より 各国駐箚帝國公使宛 1875.10.3 

五二 十月三日 寺島外務卿より 各国駐箚帝国公使あて 江華島事件に関し報知の件 八年十月三日付にて達す 別啓 各公使へ別啓案 九月二十日、我が雲揚艦、朝鮮国近海江華と申す辺りへ航行、小艇を下し測量いたし候ふところ、同国砲台より砲発いたし候ふにつき…

【工事中】太政類典第2編第91巻 第2類 外国交際34 諸官員差遣6 件名雲揚艦朝鮮国江華湾ニテ砲撃セラルヽ始末 1875.9.28~10.

太政類典苐二編苐九十一巻 自明治四年八月 至同十年十二月 苐二類 外國交際 三十四 諸官員差遣 六 八年十月三日 使府縣ヘ達 先般我雲揚艦朝鮮國東南海岸廻艦ノ末猶又西海岸ヨリ支那牛荘邊ヨリ向フ航海ノ次九月廿日同國江華島邊通行ノ處不圖彼レヨリ砲発ニ及…

新聞発表第511号 「南市附近一帯には五千名以上の便衣隊を潜入せしめた」 1932.3.25

新聞発表苐五一一号 三月二十五日 (参考)三月二十四日発 某所着電 上海附近では左の噂が傳はつて居る 南京政府要人等は民族観念維持の為 對日屈伏を排し 國際联盟調査委員の上海を去るを待つて 旣に日本軍の為 占領せられた地域囘復の逆襲戰を開始するに決…

新聞発表第509号 陶家屯西方地区の匪賊掃蕩 南湖頭附近の匪賊を追撃 敦化の歩哨狙撃せらる 1932.3.24

新聞発表苐五〇九号 三月二十四日 三月二十三日 奉天発 陸軍省着電 陶家屯西方地区の匪賊掃蕩 一、長春南方大屯孟家屯間の鉄道を破壞せる匪賊掃蕩の為出動した我軍の一部隊は三月二十二日夕 陶家屯西方約一里の地区に於て約三百の匪賊と交戰し 之に多大の損害…

新聞発表第506号 十九路軍支那兵の上海附近侵入 滬寧線及北部浙江に集中した支那軍 1932.3.23

新聞発表第五〇六號 三月二十三日 三月二十日 上海発 陸軍省着電 十九路軍支那兵の上海附近侵入 三月十八日巡警に変裝した支那兵約三百名か南京より浦東東側(日本總領事舘対岸)に侵入し 𦾔遊巡隊兵舎の跡に這入ったか調査の結果 第十九路の兵てあること確…

「今般、朝鮮事件、海軍大輔上申に付ては、各営内へ露布し、随って浮説伝播、人心動揺候ひては容易ならざる儀に付、取り敢へず左の通り御達しかるべきや」「先般、我が雲揚艦、朝鮮国東南海岸廻艦の末、西海岸より支那牛荘辺へ向け航海の次、九月二十日、同国江華島辺通行の処、図らず彼れより砲発に及び候ふに付」 公文別録 朝鮮江華島砲撃始末より 朝鮮国東南海岸於テ我雲揚艦砲撃ノ旨趣ヲ地方官ニ令ス 1875.9.30

5 8年9月30日 地方官ヘ御達先般、我が雲揚艦、朝鮮国東南海岸廻艦の末、西海岸より支那牛荘辺へ向け航海の次、9月20日、同国江華島辺通行の処、図らず彼れより砲発に及び候ふに付、上陸しその所由、これ尋問に及ぶべき処、彼れ砲発ますます励しき故…

「今般、朝鮮事件、海軍大輔上申に付ては、各管内へ露布し、随て浮説伝播、人心動揺候ては容易ならざる儀に付」「本文測量せしとあるは、今般井上少佐帰京、事実上陳の書に探水とこれあるに付、測量の文字は全く電信暗号の誤解に候ふ事」 公文録 海軍省伺(布達)より 雲揚艦ヨリ朝鮮事件電信ノ儀上申 1875.10.3 

[付箋]本文「測量せし」とあるは、今般、井上少佐帰京、事実上陳の書に「探水」とこれあるにつき、測量の文字は全く電信暗号の誤解に候ふこと。 十一 朝鮮興化島(釜山を離るること陸地直径九十里、京城の河口にある離島なり)え二十日到着、端舟を卸し測…

「西海岸より支那海牛荘辺まで測量として航海申し付け置き候ふ処」「端舟を卸し測量せし処、彼より大砲·小銃を暴発したり」 公文別録 朝鮮江華島砲撃始末 1875.9.28

一 第一号 【金井】 雲揚艦より電信の義に付上申 雲揚艦の義、先般来、朝鮮国東南海岸測量として航海申し付け、同海岸測量ほぼ相済み候ふ末、なほまた西海岸より支那海牛荘辺まで測量として航海申し付け置き候ふ処、今般、別紙の通り同艦長井上少佐より電報…

同盟通信「12月10日(上海軍午後7時発表)…夕刻、早くも各城門を占領し、目下、城内を掃蕩中なり。」 1937.12.10

上海【12·10】(上海軍午後7時発表)松井最高指揮官の条理ある勧告に拘らず、敵は頑強なる抵抗を持続せしを以て、午後1 時、遂に我が軍は総攻撃を実行するに決し、砲兵の全力を以て砲撃を開始すると共に、全線一斉に進撃、飛行隊の猛撃と相俟って、夕刻、早…

【工事中】極東国際軍事裁判所 判決 A部 第1章【原文】 1948.11.

JUDGMENT, I.M.T.F.E.PART A, CHAPTER ⅠJapanese Translation byLanguage Division, IMTFE 極東國際軍事裁判所 判 決 A 部 第一章 極東國際軍事裁判 アメリカ合衆國、中華民國、グレート・ブリテン・北アイルランド連合王國、ソビエツト社會主義共和國連邦…

団体等規正令 天皇裕仁署名原本 昭和24年政令第64号 1949.4.4

團体等規正令をここに公布する。裕仁【天皇御璽】 昭和二十四年四月四日 内閣総理大臣 吉田 茂 政令第六十四号 團体等規正令 内閣は、ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件(昭和二十年勅令第五百四十二号)に基き、同令に基く政党、協会その他の團…

法務府民事甲第438号 法務府民事局長通達 平和條約に伴う朝鮮人、台湾人等に関する国籍及び戸籍事務の処理について 1952.4.19

総理府乙第六九號起案 昭和二十七年四月二十二日 決定 昭和二十七年四月二十四日 施行 昭和二十七年四月二十四日 内閣官房長官【保利】 内閣官房副長官【剱木】 内閣総理大臣官房総務課長【山田】 総理府事務官【印】 別紙 法務総裁官房長通知 平和條約に伴…

「皇国の荒廃この一戦にあり、大東亜決戦に南海の空の花と散ります。大君の御盾となって、分隊長をはじめ共にいさぎよく死につき、七度生れかわり宿敵を撃滅せん。ああ男子の本懐これに過ぐるものがまたとありましょうか。」 特攻隊員 松尾 勲の遺書

“「ああ玉と砕けん」 一等飛行兵曹 松尾 勲第二神風特別攻撃隊 義烈隊 二三歳 父母上様 喜こんでください。勲はいい立派な死に場所をえました。今日は最後の日です。皇国の荒廃この一戦にあり、大東亜決戦に南海の空の花と散ります。大君の御盾となって、分…