Ob-La-Di Облако 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

リンク・メモ 対支那軍戦闘の参考 昭和12年7月

表紙「対支那軍戦闘の参考」 昭和12年7月 https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C11110829200 対支那軍戦闘の参考 参謀本部 https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C11110829300 目次「対支那軍戦闘の参考 昭和12年7月」 https://www.jac…

「(イ) 朝鮮における労務動員の方式 およそ徴用、官斡旋、勤労報国隊、出動隊のごとき四つの方式がある。……(ハ) 動員の実情 徴用は別として、その他いかなる方式によるも出動は全く拉致同様な状態である。それはもし事前においてこれを知らせば、みな逃亡するからである。そこで夜襲、誘出、その他各種の方策を講じて人質的略奪拉致の事例が多くなるのである。」 小暮泰用の復命書から 1944.7.31

復命書 嘱託 小暮泰用 命に依り小職最近の朝鮮民情動向ならび邑面行政の状況調査のため朝鮮へ出張したるところ、調査状況別紙添付の通りにこれあり。右復命に及び候うなり。 昭和十九年七月三十一日 管理局長 竹内徳治殿 [中略] 七、朝鮮内における労務規…

閣議決定「朝鮮総督府部内臨時職員設置制中を改正す」より「経済統制に伴ふ警察事務に従事する者の増員説明」 1944.7.6 

経済統制に伴ふ警察事務に従事する者の増員説明 戦力増強上、戦時物資の増産は刻下の急務なる処、之が生産の現況を看るに、猶幾多の隘路の存するは遺憾とする処なり。而して其の生産阻害の原因は、資材、労務、輸送力等の全からざるに存すとは謂ひ、就中、労…

【工事中】朴烈・金子文子 大審院第1回公判調書 ② 1926.2.26

裁判長ハ被告人朴準植ニ 問 検事ノ述ヘラレタル事項ハ判リタルカ 答 聞イタ 問 其ノ事実ニ付 被告ヨリ陳述スルコトアリヤ 答 其ノ前ニ俺ノ出シタ書類ヲ出シテ貰ヒタイ 問 之レテアルカ 此時 押収ノ㐧十七号 乃至 㐧二十号ヲ示ス 答 之レテアル 俺ハ俺ノ立場…

朴烈・金子文子 大審院第1回公判調書 ① 1926.2.26

公判調書(第一回) 被告人 朴烈 事 朴準植 同 金子文子 右両名ハ刑法第七十三條ノ罪 並 爆發物取締罰則違反被告事件ニ付 大正十五年二月二十六日午前九時 大審院第一特別刑事法廷ニ於テ 裁判長 判事 牧野菊之助 判事 柳川勝二 判事 板倉松太郎 判事 島田鐵…

金子文子 大審院公判準備調書(第2回) 1925.11.21

公判準備調書 被告人 金子文子 右 刑法第七十三條ノ罪 並 爆發物取締罰則違反被告事件ニ付 大正十四年十一月二十一日 市ヶ谷刑務所ニ於テ 大審院第一特別刑事部 受命判事 板倉松太郎ハ 裁判所書記 戸澤五十三 立會ノ上 右被告人ニ對シ訊問スルコト左ノ如シ …

【工事中】朴烈・金子文子裁判記録 第2回公判調書より 弁護人布施辰治の弁論[新漢字ひらがな] 1926.2.27

前同日午後一時、前同一事件につき、前同一法廷において、前同一の判事、検事、裁判所書記列席の上、 公開せずして対審を続行す。 前同一の被告人出頭、身体の拘束を受けず。 前同一の弁護人出頭。 裁判長は、 引き続き審理する旨を告げたり。 弁護人布施辰…

朴烈・金子文子 大審院第2回公判調書より 弁護人布施辰治の弁論[原文] 1926.2.27

前同日午後一時 前同一事件ニ付 前同一法廷ニ於テ 前同一ノ判事 檢事 裁判所書記列席ノ上 公開セズシテ対審ヲ續行ス前同一ノ被告人出頭 身体ノ拘束ヲ受ケス前同一ノ弁護人出頭 裁判長ハ 引続キ審理スル旨ヲ告ケタリ 弁護人 布施辰治ハ 私ノ所見ヲ述ヘ 裁判所…

リンク·メモ 「最後にはついに「捕虜は全員すみやかに処置すべし」という軍命令が出されたのである。」

山田旅団長は副官相田中佐を軍司令部に派遣し…逆に軍司令部から憲兵将校が旅団司令部に調査にやってくる始末だった…しかし、最後にはついに「捕虜は全員すみやかに処置すべし」という軍命令が出されたのである。通信兵が電話で鉛筆書きで受けた一片の紙きれ…

磐城時報 「支那軍捕虜の中に意外!婦人あり 南京にて 木村守江」 1938.1.24

支那軍捕虜の中に 意外!婦人あり 南京にて 木村守江 (其の三) 先日は何処まで書いたかはっきりせぬが、捕虜二万余の始末に困ったことを書いたと思う。この捕蔣[→虜]の中に女が居たことは書くことを忘れたかも知れない。日本人の想像出来ない、軍隊の中に…

リンク·メモ 「捕虜をどうしたかと言ふことは軍司令官の令に由った丈で」 1938.1.24

木村守江(Ⅰ/65i 軍医見習士官)手記「先日は…捕虜二万余の始末に困ったことを書いたと思ふ。…捕虜をどうしたかと言ふことは《軍司令官の令に由った丈》で此処には書くことが出来ぬから御想像にまかせることにする」(夕刊 磐城時報,1938年1月24日,第7124号,1面…

リンク·メモ 集団殺害罪の防止及び処罰に関する条約(ジェノサイド条約) 1948.1.29採択

本文 https://worldjpn.grips.ac.jp/documents/texts/mt/19481209.T1J.html https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%8E%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%89%E6%9D%A1%E7%B4%84

吉田松陰『幽囚記』より 「今 急に武備を集め、艦 略ぼ具はり 砲 略ぼ足らば、則ち宜しく蝦夷を開墾して諸侯を封建し、間に乗じて加摸察加・隩都加を奪ひ、琉球に諭し、朝覲会同すること内諸侯と比しからしめ、朝鮮を責めて質を納れ貢を奉ること古の盛時の如くならしめ、北は満州の地を割き、南は台湾・呂宋の諸島を収め、漸に進取の勢を示すべし。」 1854著 1940岩波書店

凡そ万国の我を環繞するもの、其の勢 正に此くの如し。而して我れ茫然 手を拱きて其の中に立ち、之れを能く察することなし、亦 危ふからずや。夫れ欧羅巴の洲たる、吾れを去ること甚だ遠く、古時 我と相通ぜざりしも、戦艦 便を得るに及んでは、葡萄芽・西班…

リンク·メモ「語らないことでまた責任が生じる」 相模原の男性が語り続ける 慰安婦への加害の記憶

https://www.kanaloco.jp/news/social/entry-46370.html

極東国際軍事裁判速記録34号(A=検察側立証段階1) ウィルソン医師の証言から 1946.7.25

○ウィルソン証人 一人の男が一見して明かな、鉄砲の弾に依って受けたと見られる、右側肩の傷に依って持ち込まれました。彼は多数の人々が揚子江沿岸に連れて行かれまして、銃殺されて残ったたった一人の男でありました。彼は最初河に沈められ、気絶を装いま…

井家又一日記 12月16日 1937.12.16

◇拾弐月拾六日 拾弐月も中を過ぎ去ってしまった。金沢招集を受けて満三ヶ月に成ってしまった。只無の世界の世界の様である。午前拾時から残敵掃蕩に出ける。高射砲一門を捕獲す。午後又出ける。若い奴を三百三十五名を捕えて来る。避難民の中から敗残兵らし…

信夫淳平『戦時国際法講義』第2巻より 私服狙撃者(便衣隊) 1941

第三項 私服狙撃者(便衣隊) 常人は敵対行為を行ふ資格を有せず 822 交戦に従事するを得るものは交戦者たるの資格ある者、即ち前述の正規兵、及び特定条件を具備する民兵、義勇兵団、並に民衆軍に限らるるのであるから、その資格を有せざる常人は敵兵殺…

信夫淳平『戦時国際法講義』第2巻より不助命宣言の禁止とその例外

不助命の宣言も禁止 997 次の(二)の禁止は「助命セザルコトヲ宣言スルコト」で、これも前の(ハ)号と同じく人道上の要求に出づるものである。往昔にありては、戦場の敗兵は敵に対して助命を望むことをえなかつた。勝者はその捕らへたる敗者をば殺すも…

信夫淳平『戦時国際法講義』第2巻より第992節 1941.11.23

第三目 乞降兵の殺傷及び不助命の宣言 窮鳥懐に入らば猟夫も之を助く 九九二 ハ号の禁止は『兵器ヲ捨テ又ハ自衛ノ手段尽キテ降ヲ乞ヘル敵ヲ殺傷スルコト』で、これは人道上当然の要求であり、又武士の屑しとせざる所である。窮鳥懐に入らば猟夫も之を助ける…

サンフランシスコの「慰安婦」像碑文 2017.9.22

“Our worst fear is that our painful history during World War II will be forgotten”––former “Comfort Woman” This monument bears witness to the suffering of hundreds of thousands of women and girls, euphemistically called ‘Comfort Women,’ wh…

【工事中】【原文】上海派遣軍参謀部 第1課長 西原一策『作戦日誌』 1937.8.11~1938.2.13

作戦日誌 12.8.11-13.2.18 上海派遣軍幕僚 西原一策 靖國偕行文庫 受入番号:80975 図書記号·請求記号:390, 281ニ, ニ 寄 平成5年11月25日 贈 西原春子 氏 【偕行社藏書印】 西原一策(騎 広島) 昭和16·10·15中将 14·3·9少将 11·8·1大佐 陸大34恩賜 仏駐在 …

【工事中】【新漢字ひらがな】上海派遣軍参謀部 第1課長 西原一策『作戦日誌』 1937.8.11~1938.2.13

Ⅰ(秘) 作戦日誌 自8月11日 至2月18日 西原大佐 11/7[7月11日] 盧溝橋事件に関する情報 一、動員第2日2万トン、3日3万、7日~16日4万トン、計45万トン中央部にて集む。 一、各次官は了解済み。外務大臣不在。 一、軍需品は大沽また…

「朕は国務大臣に命じて 昭和十四年度 及 臨時軍事費の予算案を各般の法律案と共に帝国議会に提出せしむ 卿等 其れ克く時局の重大に稽へ和衷審議 以て協賛の任を竭さむことを期せよ」 第74回帝国議会開院式勅語 1939

朕 茲に帝国議会開院の式を行ひ 貴族院 及 衆議院の各員に告ぐ 帝国と締盟各国との交際は益々親厚を加ふ 朕 深く之を欣ぶ 朕が将兵は克く艱難を排して 己に支那の要域を戡定したり 然れども東亜の新秩序を建設して 東亜永遠の安定を確保せんが為には 実に国…

原田 熊吉

大使館附武官 兼 上海派遣軍特務部長 原田熊吉 https://obladioblako.hatenablog.com/entry/2020/10/25/005745 https://obladioblako.hatenablog.com/entry/2021/01/14/000327 https://obladioblako.hatenablog.com/entry/2020/10/24/185421 司令官や福田さ…

宮崎 周一 

宮崎 周一(みやざき しゅういち、1895年(明治28年)2月6日 - 1969年(昭和44年)10月16日)は、昭和期の日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。兵科は歩兵。 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%B4%8E%E5%91%A8%E4%B8%80 宮崎註 岡村将軍は、武…

萩原 直之

1939年4月当時、漢口軍特務部 陸軍歩兵大佐 https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/result?DB_ID=G0000101EXTERNAL&DEF_XSL=default&ON_LYD=off&IS_INTERNAL=false&IS_STYLE=default&IS_KEY_S1=%E8%90%A9%E5%8E%9F%E7%9B%B4%E4%B9%8B&IS_TAG_S1=InD&IS_M…

【工事中】岡村寧次『陣中感想録』現代表記 1937.7.13~1945.11.21

1945年の日記から 11月21日 本日から鼓楼の日本総領事館の渉外部へ出務することにした。 私は、北満出動の第2師団長に続き、第11軍司令官、北支那方面軍司令官、第6方面軍司令官、支那派遣軍総司令官と歴任し、その間書き留めた陣中所感録は、す…

極東国際軍事裁判所判決より 南京暴虐と松井石根·武藤章 1947.11.

極東国際軍事裁判所 判決 B部 第五章 日本の中國に對する侵略 第四節 蘆溝橋事件(一九三七年七月七日)から一九三八年一月十六日の近衞聲明まで より 南京攻擊 松井が上海派遣軍の司令官に任命され、戦地に向つて東京を出發したときに、豫定の上海を攻略し…

「実は酒もあったのですが、南京からここまで来る途中に、敵兵を乗せたジャンクが無数に浮いていたのを片っ端から撃ち沈めた。敗残兵が揚子江の鯰[なまず]の餌食になるのかと思ふと、痛快で仕方がないので、勝利祝いに酒をすっかり飲み乾して仕舞いました。」 橋本金五郎『革新の必然性』「兵に拝む──序に代えて」より 1940.12.31(1937.12.13)

https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=238359715 [前略] 英艦砲擊 かくして杭州灣奇襲部隊は諸兵相ならんで南京へ南京へと急追撃を強行した。 この一戦で将政権をぶつ倒さうといふ意氣で晝夜となく進軍また進軍。その間にも容易ならぬ…

【メモ】【工事中】慰安婦はどのように集められたか ─私的勧誘・職業紹介・強制動員の関係をめぐって─ 20170701 外村 大

p.1 慰安婦はどのように集められたか ─私的勧誘・職業紹介・強制動員の関係をめぐって─ 20170701 外村 大 1、研究状況と本稿の課題 いわゆる慰安婦とされた人びとが多大な人権侵害をこうむったことは、否定できない事実である。また、慰安所の設置の企画、…