Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

【工事中】内田良平 著『日本の亜細亜 皇国史談』「日韓合邦」 1932. 12. 10 

https://dl.ndl.go.jp/pid/1918943/1/158

《形勢良好 成算歴々》
 十一月十四日、著者は宋秉畯を訪ひ、京城より来りし報告書を示したるに、宋も彼の手に達したる報告書を出し、形勢の良好にして生産歴々たるものあるを喜び、翌日武田を京城に向け出発せしむるに決し、十五日、杉山を訪ひしに、杉山告ぐるに「山県公、桂首相に武田起草の上奏文を示し、一進会は之を提出して合邦を請ふの手順となれるを語り、更に寺内陸相にも示し、陸相の質問に対し答解し置きたる」を以てし、其問答を覚書となし来り、之を著者に交付した。合邦運動は漸く此処迄進行し来りたるが、
《讒誣中傷に関する桂首相の注意》
之より先き京城に於ける統監曽禰荒輔の感情態度俄かに一変し、書を山県公に寄せて著者を非難し、又た岡喜七郎も統監の意を承け、公に対して盛んに著者を攻撃し来れる旨を桂首相に杉山に注意され、杉山は之に対し、合邦を遂行せんとするには必ず統監の賛同なかる可らず、然るに統監の感情彼が如しとせば、円滑なる進行を期すべからず。因て誤解を釈くの道を講ぜよと著者に勧告して来たので、著者は書を曽禰統監に贈って感情の融和に努めた。時に十一月四日のことであった。
《亀井総監の尽力》
 十一月二十八日、著者は愈よ合邦嘆願書を携へ、京城に出発することゝなり、二十六日桂首相、寺内陸相を訪問したが、生憎何れも留守中なりしを以て書画を両相に致し、又警視総監亀井英三郎を訪ふて発程を告げた。亀井は熱心なる合邦賛成者にして、首相に対する斡旋其他影に陽に力を致せること少なからず、其後に於ても終始尽力する所があつた。杉山は二十六日首相に展開することを得、著者の渡韓に関して述ぶる所があつた。
杉山茂丸首相を説く》
是より先き首相は合邦に賛成したるも、時期の点に於ては未だ確定診断居らざりしを以て、杉山はこの会見に於て、内田及び宋が此の機運に乗じ、合邦論者を統率して其の運動を実現せしむるとすれば、政府者に於て或は事情の不可なるものあらんも、四辺の形勢は今や一進

https://dl.ndl.go.jp/pid/1918943/1/159

会を駆りて苟も一日を緩ふすべからざるに至らしめたるものあり、内田等の渡韓にして遅延せば、彼等は動力事を挙げんとすとの電報頻々として来り居り、徒らに之を看過するに於ては、不測の変を生ずるを免かれざる勢となれるを以て、先づ内田を急行せしめ、次いで宋を派せんとする旨を報告し、且つ其の同意を求めたのである。
《桂首相断然同意を示す》
首相は一時決心を鈍らせ居りたるも、茲に至りては断然同意を表せられたる旨、二十七日の夜、烏森浜の家に於て、著者の送別と協議会とを兼ねて開きたる席上にて杉山から報告を受けた。
《上奏文及建議書提出の手続議定》
 著者は渡韓の途中、


内田良平 著『日本の亜細亜 : 皇国史談』,黒竜会出版部,1932. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1918943 (参照 2024-03-26)