支那軍捕虜の中に
意外!婦人あり
南京にて 木村守江
(其の三)
先日は何処まで書いたかはっきりせぬが、捕虜二万余の始末に困ったことを書いたと思う。この捕蔣[→虜]の中に女が居たことは書くことを忘れたかも知れない。日本人の想像出来ない、軍隊の中に女が居る。何をやっていたものか御想像にまかせるが、今度の支那兵が相当強くて日本軍に可成[→かなり]多くの死傷者を出さしめたのも、この女軍があるからだなぞと言う人もある。然しこれを全部本当にすることはどうかと思ふが、然し女迄も出征しているのだから如何に挙国一致、蔣介石の所謂救國の非常時に当ったかがうかがわれる。
而かもこの女、十七歳より二十歳位迄のものであるが、堂々正視[→規]兵の服装をしていて、一見男女の区別が日本兵にははっきりせぬ。仲には裸にせねば分らぬのがあったかと言って笑っているものもあった。全部断髪で、仲々の美人も居た。捕虜をどうしたかと言ふことは、軍司令官の令に由った丈で、此処には書くことか出来ぬから、御想像にまかせることにする。
次に十二月二十日は愈々揚子江を渡ることになった。午前六時、南京時間の午前五時で、まだ真暗い中を南京城外を出発、中島鳴[→碼]頭に行軍一里半、阜[→埠]頭には日本軍艦二隻と、捕獲した汽船が数隻、我軍の渡河を待っていた。午前九時頃より乗船、五隻の大型船と駄馬を乗せた数隻の発動機船で揚子江を渡った。一同乗船、凱旋を想像して言に言われぬ感を起した。然し三十分も過ぎたかと思う頃、津浦鉄道の終点なる浦口に到着下船した。気持のせいか、船を乗りて中支に来たと思ふと寒気が身にしみる。後方部隊の来る迄と思って焚火をした。この火が拡がって、見る見る中に火事となった。
続く
支那軍捕虜の中に
意外!婦人あり
南京にて 木村守江
(其の三)
先日は何處まで書いたか
はつきりせぬが捕虜二萬
余の始末に困つたことを
書いたと思ふ、この捕蔣[ママ]
の中に女が居たことは書
くことを忘れたかも知れ
ない、日本人の想像出來
ない軍隊の中に女が居る
何をやつてゐたものか御
想像にまかせるが今度の
支那兵が相當强くて日本
軍に可成[ママ]多くの死傷者を
出さしめたのもこの女軍
があるからだなぞと言ふ
人もある、然しこれを全
部本當にすることはどう
かと思ふが然し女迄も出
征してゐるのだから如何
に擧國一致蔣介石の所謂
救國の非常時に當つたか
がうかゞはれる、
而かもこの女十七歳より
廿二歳位迄のものである
が堂々正視[ママ]兵の服装をし
てゐて、一見男女の區別
が日本兵にははつきりせ
ぬ、仲には裸にせねば分
らぬのがあつたかと言つ
て笑つてゐるものもあつ
た、全部斷髪で仲々の美
人も居た、捕虜をどうし
たかと言ふことは軍司令
官の令に由つた丈で此處
には書くことか出來ぬか
ら御想像にまかせること
にする、
次に十二月廿日は愈々揚
子江を渡ることになつた
午前六時南京時間の午前
五時でまだ眞暗い中を南
京城外を出發中島鳴[ママ]頭に
行軍一里半阜[ママ]頭には日本
軍艦二隻と捕獲した汽船
が數隻我軍の渡河を待つ
てゐた、午前九時頃より
乘船五隻の大型船と駄馬
を乘せた數隻の發動機船
で揚子江を渡つた、一同
乘船凱旋を想像して言に
言はれぬ感を起した、然
し三十分も過ぎたかと思
ふ頃津浦鐵道の終点なる
浦口に到着下船した、氣
持のせいか船を乘りて中
支に來たと思ふと寒氣が
身にしみる、後方部隊の
来る迄と思つて焚火をし
た、この火が擴がつて、
見る〱中に火事となつ
た、
續く
↑夕刊 磐城時報、1938年1月24日付より
https://library.city.iwaki.fukushima.jp/viewer/archive.html?idSubTop=2&id=2238&g=443
https://library.city.iwaki.fukushima.jp/manage/archive/upload/00000_20130128_18079.pdf