“「ああ玉と砕けん」
一等飛行兵曹 松尾 勲
第二神風特別攻撃隊 義烈隊 二三歳
父母上様 喜こんでください。勲はいい立派な死に場所をえました。今日は最後の日です。皇国の荒廃この一戦にあり、大東亜決戦に南海の空の花と散ります。大君の御盾となって、分隊長をはじめ共にいさぎよく死につき、七度生れかわり宿敵を撃滅せん。ああ男子の本懐これに過ぐるものがまたとありましょうか。これもみな長い歳月強くなれよと育ててくださった父母上と、またわが子のように育て御指導くださった分隊士先輩方々の賜と、あるいはまた血のにじむような訓練の賜と深く深く感謝いたしております。二三年の幾星霜、良く育ててくださいました。厚く御礼申上げます。今度がそのご恩返しです。勲は良くも立派に皇国のために死んでくれたとほめてやってください。ほんとうに兄弟のなかで私は幸せ者でした。喜こんでおります。弟も立派な軍人として御奉公できるようにしてください。お願いいたします。もうなにも思い残すことはありません。
父母上様、今度白木の箱でかえります。靖国神社で会いましょう。長いあいだありがとうございました。くれぐれも御身御大切になさいますよう。
ああ雄々しき名も彗星艦爆隊、われら第五義烈隊特別攻撃自爆隊、むかう所は敵空母へ急降下。最後の影をカメラにおさめていただきましたので、いずれゆっくりニュース映画で見てください。笑って艦爆隊一六勇士の姿を見てやってください。ああ玉と砕けん特別攻撃。
最後の夜 一〇月二八日 〇一〇〇
於マニラ 勲
父上様
母上様
咲くもよし散るもまたよし桜花
【出典】1967(昭和42)年 河出書房 猪口力平/中島正『太平洋戦記 神風特別攻撃隊』”