Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

【工事中】「さらに守備兵二中隊を増し、専ら東学党の撃攘に任じ、至る所賊を殲滅せしむるは、一挙にして将来の禍根を鋤去するを得べし」「川上兵站総監より電報あり。東学党に対する処置は厳烈なるを要す。向後、悉く殺戮すべしと」「この際 一刀両断の処置を下すにあらずんば、とても安全を期すべからず」「劇烈の手段を尽すべし」 南部兵站監部 陣中日誌 第三号 十月分より《現代表記》 1894.10. 6−31

                     黒田
記事

    十月五日      金曜 晴

一、午後二時三十分、仁川港到着。直ちに上陸、日本居留地、大仏ホテルに兵站監部を置き、事務を開始す。

二、午後六時、釜山、今橋少佐へ左の電報を発す。

答、バラツク、人夫は便船次第、仁川に送れ。

三、午後七時京城 大鳥公使へ左の電報を発す

下官南部兵站監として今、仁川に来たる。平壌以南の兵站を統括す。自今、閣下の配慮を煩すこと多かるベし。了承あらんことを請ふ。

四、午後後時、平壌、第一軍兵站監、参謀長へ左の電報を発す。

後備歩兵第六連隊第三大隊は大本営の直轄となり、南部兵站監部に属せらる。大隊長および各部隊の所在地を知らせ。

五、午後五時二十五分、釜山、今橋少佐より左の電報あり。

児玉陸軍次官より命あり。松坡亭より竜山間の兵站司令部の地名および守備兵配賦の地名、その数、至急、下官まで御示しありたし。

六、同時、石黒衛生長官より左の電報あり。

雇ひ医師、林俊道、堤辰一は過員につき、雇ひを解きて釜山へ帰さるべし。給料支給のこと、宜しく頼む。

    十月六日      土曜 晴

四、午後三時四十五分、可興、福富大尉より左の電報あり。よって次の返電をす。

安保の西方約五里にある槐山において支那人四名捕縛し、憲兵および守備隊ただ今帰着せり。目下取締り中。取締り済み、いづれへ護送するや、指揮を乞ふ。

答、支那人は仁川に送れ。

五、午後五時三十五分、利川司令官、田中中尉より左の電報あり。

本日、利川発、午後七時、長湖院において支那人三名捕縛せり。取り敢へず報告す。委細、あとより。

    十月八日      月曜 晴

二、午前九時四十分、可興の福富大尉より左の電報あり。よって次の返電を発す。

捕縛せし支那人の携行品、武器のほか沢山あり。みなその地へ送るや、または当部に保管し置くや、指揮を待つ。

答、支那人の携行品、みな当地へ送れ。

    十月九日      木曜 晴

ニ 同時、利川、田中中尉より左の電報あり。

昨日、生捕りたる支那人三名、本日、利川に着せり。明日、当地より仁川に向け輸送す。

五 午前十一時二十分、洛東、飛鳥井少佐より左の電報あり。よって次の返電をなす。

報恩にて支那人四名を縛したり。いかが処分すべきや。詳細はあとより。

答、支那人は仁川に送れ。

七 午后三時十分、洛東、飛鳥井少佐より左の電報あり。

甲、出羽と打合せ、丹陽の賊を聞慶、安保の両道より攻擊のため、藤田は明十日、鈴木は明後十一日、聞慶に向け出発の事を命じたり。右、上申す。

乙、報恩郡は東学党の巣窟。支那人四十五名居ることを探知し、憲兵、歩兵をもって捕縛手を編成し、鈴木大尉に二分隊を引率せしめ、該地に向はせ置きしに 支那人四名を縛し来れり。

東学党は今は集合し居らざれども、近傍、到るところ、みな東学党の村落なり。

十一、午後七時三十分、川上兵站総監へ左の電報を発す。

東学党に関し先日来、洛東付近各兵站司令官の報告によるに、安東、醴泉、龍宮地方はまづ鎮定に帰せしも、豊基、丹陽、報恩郡地方はなほ該党の巣窟にして、支那人数十名加はり居る由。右、鎮圧のため目下、付近兵站地より憲兵、守備兵を配置しつつあり。右は深く顧慮するに足らざるも、察するに牙山残兵の煽動によるならん。先日来、報恩地方その他にて支那人、合せて十二名を捕縛し 、今、仁川へ護送中なり。詳細は後日。

十三 午後九時、川上兵站総監へ左の電報を発す。

龍山、坡州、開城、金川、瑞興、黄州の六兵站地には、すでに司令官以下部員を派遣せり。守備隊長をして兼ねしむる箇所は、今その運びをなしつつあり。

    十月十日      水曜 晴

二、正午、釜山、今橋少佐より左の電報あり。

全羅道にある真の東学党、追々蔓延の萌しあり。守備兵配賦変換の事、早く着手したし。しかるに洛東の両司令官は一日も早く暴民撃退の所置をなす様、御命じ下されたし。

五、午後三時三十、各地へ左の電報を発す。

釜山、今橋少佐へ ○鈴木、藤田の隊は速やかに任務を果すことを計り、終れば洛東に集め、貴官の指揮を受け進退せしむる様、飛鳥井に命じたり。 また各兵站司令官へも本日、守備配賦変換を通報し置けり。都合次第、貴官より直ちに司令官に申し送り、実行すべし。

洛東、飛鳥井少佐へ ○守備兵配賦の変換をなるべく早く実行する必要を生ぜり。鈴木、藤田隊は速やかにその任務を果すことを計り、終れば洛東に集め、今橋に通知し、該隊は同官の指揮を受け進退せしむべし。

亀浦、松坡鎮間各司令官へ ○各兵站地守備兵の配賦を近日、変換する筈なり。今橋少佐より通知あれば実行すべし。

    十月十一日      木曜 晴

二、同時、釜山、今橋少佐より左の電報あり。

全羅道東学党、来たる二十二、三日ごろ、慶尚道金海の方向に進むことを決したる由、領事より通報あり。またこの事に関し領事より相談もあり、兵力を要するに至るやも知れず。ついては目下、援兵として大邱司令部にある第四中隊の一小隊を、直ぐに釜山へ返すべき旨、馬屋原少佐へ御命令相成りたし。今より出発せしむるも五、六日を要するゆへ、早き方を希望す。大邱府にては目下、差支へはあるまいと考ふる。

五、午前七時三十分、大邱、馬屋原少佐へ左の電報を発す。

全羅道金海方向、東学を打攘のため、在釜山の兵にてはやや不足なり。故にさきにその地に派遣せし第四中隊の一隊を、至急、釜山に廻せ。

十五、午後三時、釜山、今橋少佐より左の電報あり。よって左の返電をなす。

川上兵站総監より電報にて、室田領事と協議し全羅道河東府にある東学党撃破の命あり。第四中隊帰着せば、これに当地守備兵の一部を合し、派遣するの見込み。河東付近に逹するは来たる二十日ごろとなるべし。また、場合により、大邱府以南にある守備兵の幾分を、下官の見込にて臨機使用することをあらかじめ許可ありたし。

答 守備兵臨機使用の事、許可す。片岡少佐へも通知せよ。

○第四中隊の一小隊を今朝、釜山ヘ向け出発せし旨、飛鳥井より報あり。

    十月十二日      金曜 晴

五、午後二時四十分、可興、福富大尉より左の電報あり。

忠州司令部あての電報答へ。槐山において支那人捕縛の際、憲兵隊および守備兵にて韓人三名傷付けたるに相違なし。

    十月十三日      土曜 晴

一、午前零時三十分、洛東、飛鳥井少佐より左の電報あり。よって次の返電を発す。

丹陽付近の探偵も出来、時機も宜し。また当部より西にて松面といふ所に一千名も集まり、韓暦二十日に聞慶を襲ふといふ風説あり。旁につき兵を五、六十名、急に御差出しは出来まじきやと、出羽より申し越したり。今橋の命令にて四中隊は既に出発、釜山に帰れり。三中隊未だ当地にあり、これを差し向くべきや。

答 かれこれ応援のため兵を出すは、後来とも貴官の専行に任す。ただしその地の守備は相当に準備し置くことは勿論なり。

六 午後三時十分、聞慶、出羽少佐より左の電報あり、よって次の返電を発す。

やや確かなる探偵によれば、当地より八里西、松面といふ所に東学党千名余り集まり、韓暦二十日に当聞慶を襲ふ様子なり。これに先んじてこれより攻撃をいたしたきについては、洛東より兵を当地へ差し向ける様、飛鳥井へ御命令ありたし。

答 東学党攻撃のため兵を要せば、飛鳥井に要求し、臨機、事を処すべし。すべて貴官の専行に任す。飛鳥井はすでに承知のはずなり。

○忠州の守備兵、槐山にてやや粗暴の挙動ありし由、聞き及べり。不都合なき様、注意せよ。

    十月十四日      日曜 晴

五、同時、川上兵站総監より左の電報を受く。

忠清道東学党起り、まさに京城に進入せんとするの勢ひある由にて、軍隊派遣の事を大鳥公使を経て請求あり。よって大鳥公使へ、兵の必要あれば仁川兵站監部へ請求すべき旨を通し置きたり。請求あれば相当の兵力を派遣すべし。

六、午後十時、京城、大鳥公使へ左の電報を発す。

忠清道東学党に対し勢ひ要すれば軍隊派遣の事を貴官を経て大本営へ請求あり、大本営は貴官より下官に通知あればこれに応ずべき旨を令ぜり。この頃中、聞慶兵站司令官より、槐山付近に東学党千名程も集まり聞慶を襲はんとするの報告あり。多少不穏の事は承知すれども、詳細の事は未だ了知せず。以後、平壌以南の事については下官へも報道を煩はさんことを望む。

七、午後十時三十分、松坡鎮、利川、可興各司令官へ左の電報を発す。

忠清道東学党やや不穏の由、聞き及べり。注意せよ。何か異ることあれば報告すべし。この事を支部へも伝へよ。

    十月十五日      月曜 晴

ニ、午後零時二十五分、京城、大鳥公使より左の電報を受く。よって次の返電を発す。

東学の鎮圧のため韓兵の応援として貴官御配下の後備兵を京畿道安城、竹山の両地へ派遣相成る様いたしたし。右につきただ今、貴官宛郵便差し立て置きたれども、派遣し得らるべき兵数、前もって承知いたしたきに付 御取調 御報を乞ふ

答 竜山守備隊の内より安城 竹山の両地へ一小隊づつ派遣の見込なり

三 午后二時二十分 竜山守備隊長 中山中尉へ左の電報を発す

東学党鎮圧の為め韓兵の応援として其中隊より二小隊を京畿道安城 竹山の両地へ派遣する筈に付 出発の諸準備を整へ後命を待て 糧食の事は竜山 曽田少佐と恊議せよ

四 同時 竜山 曽田少佐へ左の電報を発す

東学党鎮圧の為め竜山守備隊の内より二小隊を京畿道安城 竹山の両地へ派遣する見込なり 中隊長と協議し 予め糧食供給の方法を立て 其用意を為せ ○其地へ軍吏雇員を送ることは姑く延引す

五 午后三時四十分 三浪津 片岡少佐より左の電報あり

去る十三日 密陽附近に暴民千五六百集合し 府使 及 転運使に訴ふる所あらんとし 竹槍を運び白旗を立て 其勢 殆んど密陽府を蹂躙せんとす 府使 狼狽 差し置く所を知らず 転運使 鄭秉夏 密陽支部に援助を求め来るに依り 之に応じ鎮撫に尽力すれども暴民 聞かず 衆を恃んで府内に入らんとするにより 止むを得ず一時 撃ちて退け 八名を斃し 十名を傷く 死者は府使に渡し 傷者は軍医をして一時施療せしめ 府使より其親戚に渡さしめたり 報告す 委細郵便

六 午后六時 川上兵站総監へ左の電報を発す

忠清道東学党の為め大鳥公使より請求の件 敬承 忠清道東学党に就ては未だ兵站司令官より確実なる報告に接せず 目下穿鑿中なり 必要に際せば竜山守備隊より二小隊を派遣する見込なることを大鳥公使へ返事し置けり

七 午后六時十分 京城 大鳥公使より左の電報を受く 依て次の返電を発す

安城 竹山へ一隊づつ派遣の見込の旨 承知せり 就ては該隊長と少時 打合そを為し度に付 明日 当館へ出頭する様 御逹被下度し

答 明日 竜山守備隊長を貴館へ打合せの為め出すことは逹し置けり ○隊長へ命令を下す都合あり 忠清道東学党の事情を御通知あれ

八 同時 竜山守備隊長 中山中尉ヘ左ノ電報を発ス

守備隊派遣に係はり大鳥公使より打合せの件ある由に付 明日 京城公使館に行き 委細承はれ

九 午后八時三十分 京城 大鳥公使より左の電報あり 依て次の返電を発す

安城 竹山への派兵は可成 明後日出発の都合に致度に付 此段 御協議に及ぶ

答 東学党撃攘として派遣せる二小隊は 明後十七日出発の事を命ぜり

十 午后九時 竜山 曽田少佐へ左の電報を発す

竜山守備兵に小隊 東学党撃攘の為め明後十七日出発せしむべし ○守備隊長に告ぐ 大鳥公使へ面議の事は 過刻電報せしめし如くなすへし

十二 午后十時四十五分 京城 大鳥公使より左の電報を受く

忠清道東学党は各所に集り 其頭ありて互に相連絡し 支那の敗兵も亦 其内に交はり居り追々京城方面に向て蔓延の勢あるとて 各地方官より頻りに急報来るに依り 政府は大に恐れ 外国人も多少恐懼せり 目下 収穫に際すれば 当政府は収納前に之を鎭定せんことを希望せり 但し兵力を実地に使用せる様の事なかるへしと考ふ

十五 昨日 可興より護送し来れる支那人四名 嫌疑なきを以て英国領事へ引渡す

  十月十六日     火曜 晴

三 正午 川上兵站総監へ左の電報を発す

忠清道東学党の情况に関し 附近兵站司令官より未だ何等の報告なきも 大鳥公使の通報に依れば 該党は各所に集まり 互に連絡し 支那敗兵も其内に加はり 追々京城方向に蔓延する勢ひある旨 各地方官より頻りに急報あり 朝鮮政府より既に出兵を命じたる由なり 且つ公使より援兵派遣の事を請取に依り 竜山守備兵の内二隊を明十七日安城 竹山に向け出発せしめ 其任務に関しては猶ほ隊長より大鳥公使へ委細 打合はさしむ 右 報告す

八 同時 可興 福富大尉へ左の電報を発す

新谷憲兵上等兵は当分 当地に止む ○忠清道東学党の様子如何 報告せよ

九 午后十時二十五分 可興 福富大尉より左の電報あり

一昨日 忠州支部より下士二名 兵卒二名を出しタンゲツに於て東学党の首領リンシヤクゲン以下三名を捕獲したり 又 昨日 同支部より下士以下九名 軍夫七名 韓人七名を以て清風附近域内の東学党巣窟を襲ひ 同地の首領セイトカンを斃し 四名を捕縛し 賊の即死約三十名 彼が所持せし小銃二十挺 其他 火薬等 残らず焼捨てたり 但し上等兵一名 為めに負傷す 委細郵便

十 夜十二時 可興 福富大尉より左の電報あり

答 可興の西南約四里「ヲサ」村と云ふ地に東学党集合の由 確報あり 今朝 憲兵曹長に同兵三名と守備兵八名を附し 制壓の為め出張させたる後へ 又 利川より同党蜂起の急報あり 直ぐ司令部付曹長ニ守に備兵十名を附し赴援せしめたる後へ 又 忠刕より曩に電報せし七名の捕縛者を送り来り 人数少く三方の㕝に應じ兼ね 困却せり

  十月十七日     水曜 晴

一 午前十一時四十分 可興 福富大尉へ左の電報を発す

東学党の情況報告 承知す 鎮圧の為め充分力を尽せ ○忠清道安城 竹山の両地へ朝鮮政府より出兵す 捕縛者は之に引渡せ 又 之が応援として竜山守備隊より二小隊を本日 同地へ向け派遣す 此事を利川へも通ぜよ

二 同時 松坡鎮 宮崎少佐へ左の電報を発す

東学党の情況報告 承知す 鎮圧の為め充分 力を尽せ ○忠清道安城 竹山の両地へ朝鮮政府より出兵し 又 之が応援として竜山守備隊より二小隊を本日 同地へ派遣す

三 午後四時十五分 川上兵站総監へ左の電報を発す

曩に報告し置きたる捕縛の支那人十二名の内 八名は当地に着す 取調を為さしめたるに真の商人にして 東学党煽動の如き全く関係なきもの認め 本邦領事を経て英国領事に照会し 本国へ送還の保証を為さしめ 同領事へ引渡したり 右 報告す

  十月十八日     木曜 晴

三 午前十時四十分 聞慶 出羽少佐より左の電報あり

藤田大尉に小隊を引かしめ 偵察として松面に遣りたるに 賊徒 逃げ去りたるに依り 無事に帰部す 藤田の隊は洛東に帰せり

四 午后一時四十分 利川 田中大尉より左の電報あり

東学党と称し 本日 忠清道竹山県に四百名程集合し 我諸兵站部を襲はんとする事を聞けり 其巨魁は馬某と称す

六 午后七時三十分 松坡鎮 宮崎少尉より左の電報あり

東学党の首領 徐相轍 今十八日 昆池岩附近に来ること探知したり 注意せよと利川 田中中尉より報じ来り 不取敢 報ず

八 本日午后三時 竜山守備隊の内 二隊 東学党撃壊の為め安城 竹山へ向け出発す

  十月十九日     金曜 晴

一 午前八時五十分 京城公使館 杉村書記官より左の電報あり 依て次の返電を発す

近頃 清風附近にて東学党を攻撃したる由 詳細 電報ありたし

答 去る十四日 忠州支部の守備兵はタンゲツにて東学党ノ首領三名を捕へ 十五日夜 清風附近にて東学党を攻撃し 首領を斃し 四名を捕へ 賊の即死 約三十名 彼の所持する小銃二千挺 火薬等も皆 焼き棄てたり 十六日 昆池岩附近にて首領らしき者二名を捕へ 槍一、火縄銃二、刀二、及 衣類若干を分捕りたり 十八日 東学党の首領 徐相轍は昆池岩附近に来るを探知し 捕縛に着手中なり

ニ 午前十一時 利川 田中中尉より左の電報あり

昆池岩にて昨日捕縛せし二名とも東学党なることを白状せり 猶ほ軍隊の為め東学党の居る所へ案内するとのこと故 暫く利川へ捕へ置くなり 但し其内一名は昨日捕縛の際 受けし傷にて生命危篤なり ○東学党に関する大切なる報告 書面にて貴部へ出した

三 午后九時三十分 可興 福富大尉より左の電報あり

忠刕附近 不穏の報あり 小官 今より出張す 委細 後報す

四 本日 洛東より支那人捕虜 孫雨田、李順方、趙明湖、劉長生の四名を護送し来る

六 本日 各兵站司令官へ左の訓令を発す

     訓令

慶尚 全羅 忠清 三道の東学党 頃日各地に集合す 其目的とする所 我軍に妨害を加へ 或は日を期して兵站地を襲はんとすりものの如し 此等草賊の暴挙 素より敢て深く顧慮するに足らずと雖も 若し夫れ我軍用電線に妨害を試る者あらんか 為めに全軍の命脈たる通信の途 忽ち断絶し 其害の繫る所 蓋 尠少ならざるべし 是れ本官が大に憂慮し措く能はざる所なり 抑も朝鮮国内に架設する軍用電線の保護を確実にし 軍事通信上 毫も障碍なからしむるは我兵站部の一大責任たるを以て 監守の厳密を惴るは実に目下の最大急務たり 機に臨み変に応じ 萬違算なきを期するは身を以て責に任ずるに在り 特に茲に各官を戒飭す

 明治二十七年十月十九日
            南部兵站監 伊藤祐義

  十月二十日     土曜 晴

二 午前九時二十分 大邱 馬屋原少佐より左の電報あり

昨夜 左の事を多富兵站支部より報告あり 多富より西一里半 パンシユン村へ暴民二十名 入込み 金穀を略奪せしの報知を得 偵察として上等兵以下三名 其地に向ひしに 抵抗せんとするを以て東学党と認め 之を打払ひたりと 右の報告 略にして 未だ死傷の数知れず 不取敢 報告す

七 午后九時三十五分 大本営副官より左の電報あり

衆議院は全会一致を以て政府の提出に係る軍事費一億五千万円を可決せり

八 同時 大本営陸軍参謀より左の電報あり

竜山に在る守備隊は此度 貴官と大鳥公使と恊議し 東学党鎮圧の為め派遣する二小隊を除き 幾何あるや

  十月二十一日     日曜 晴

一 午前八時 大本営陸軍参謀へ左の電報を発す

答 竜山守備兵派遣に付 残余は目下一小隊なり 尤も今 守備隊の配賦を変換しつつあり 完成の上は二中隊(一小隊と三分隊 欠)とする予定なり

二 午前八時五十分 竜山 曽田少佐へ左の電報を発す

東学党の巨魁 徐相轍は京城附近に居るの報あり 偵察 捕縛に勉めよ

  十月二十二日     月曜 晴

七 午后一時 川上兵站総監へ左の電報を発す

全羅道より侵入したる東学党は目下 晋州附近に在りて 漸次 金海地方に向ふ 鎮圧の為め守備兵一中隊に朝鮮巡査を附し派遣せり

十二 午后七時五十五分 参謀総長より左の電報を受く

衆議院は国民を代表して左の謹謝表を西郷陸海軍大臣に呈せり

我帝国の忠勇なる陸海軍隊の具さに遠征の艱苦を嘗め 平壌黄海に大捷を奏?し 帝国の威武を宣揚せるは国民の深く感激する所なり 衆議院は茲に誠実に国民の意志を表彰す

十八 午后十一時 川上兵站総監へ左の電報を発す

九月中旬より京城 釜山間 兵站路に於て東学党 屡々起り 我軍に妨害を加ふるを以て今猶 兵站守備兵をして鎮圧に従事せしめつつあるは既に報告せし如し 然るに該党の挙動出没 常なく 之を一方に制すれば更に他方に現れ際限あるなく 実ニ守備兵は目下 東西奔走に苦むのみ 殊に去十五日 大鳥公使の要求に依り竜山守備兵の大部分を忠清道に派遣せり 而して全羅 慶尚道も亦 頗る不穏の景况より要するに 兵站事務は常に東学の為め脳まされ 我軍作戦上 至大の関係を有する軍用電線も亦 或は安全なるを保し難し 是れ本官の甚だ憂慮する所なり 依て思ふに此際 更に守備兵二中隊を増し 専ら東学党の撃攘に任じ 至る所 賊を殲滅せしむるは 一挙にして将来の禍根を鋤去するを得へし 而して之が為め朝鮮南部国民の感情を害せんか 我軍全般の利益を計ると其軽重 比す可らす 此等の事実を賢察せられ 速に守備兵増加の御詮議あらんことを切望す

  十月二十三日     火曜 晴

一 午前一時四十分 可興 福富大尉より左の電報あり 依て返電を発す

東学党一万余 利川府の東北約束四千米の地に集合し 将に当部を襲ひ其勢に乗じ忠州を襲はんとす 御注意あれと 利川 田中中尉より急報あり 然るに当部守備兵は各所へ応援として派遣中なれば 病兵以下六名のみ 念の為め通知す

答 兵力不足にて顧慮するあらば 安城 竹山へ派遣の守備隊と恊議せよ

六 午后四時五十分 兵站総監より左の電報あり 依て次の返電を発す

東学党討滅の為め歩兵二中隊増加派遣の件 承知 近日派遣する筈 ○此兵は何れの地に送るべきや 又 今橋少佐の令下に属せしむべきや 或は貴官の直轄と為すべきや 直ぐ申し来れ

答 増加歩兵二中隊は下官の直轄とし 仁川に送られたし 此隊には大隊長 及び成し得れば有為の中隊長を撰み 附属せられんことを望む 是れ中隊を独立して使用すること多からんを顧慮するを以てなり

七 午后六時三十五分 可興 福富大尉より左の電報あり

忠州より当部へ応援を乞ふこと頻りなり 洛東にある藤田の隊より応援致す様 御下命相成度し

十 同時 可興 福富大尉へ左の電報を発す

洛東へ忠州支部応援のことは命ぜり ○曩に電報せし通り 安城 竹山の守備隊へも照会し 忠州方面へ向ふことを告示すべし

十一 同時 洛東 飛鳥井少佐へ今の電報を発す

福富大尉より忠州支部へ応援兵の派遣を乞へり 其地守備隊より相当の兵員を派遣せよ

  十月二十四日     水曜 晴

一 午前六時 洛東 飛鳥井少佐より左の電報あり

東学党 凡そ四千 丹陽に集合し 府使の宅に侵入 婦女を殺傷し 兵器を奪ひ去れり 丹陽府使は逃けて所在知れず 賊は丹陽より東四里許りの処に聚合せりとの報知を得 之を攻擊せんと計画中の処 忠州援兵の御命令あり 依て福富と恊議し 早速 該地へ一分隊を差向け 尚ほニ分隊を橋田少尉に引率せしめ聞慶より丹陽に向け進行せしむる積りに候

三 午前十一時四十分 竜山 曽田少佐へ左の電報を発す

安城 竹山へ派遣の二小隊を引率せし士官は誰なるや ○未だ到着済の報告なきや 若し無ければ至急報告を促せ

  十月二十五日     木曜 晴

一 午前十一時五十分 釜山 今橋少佐より左の電報あり

当地の商人二名は兼て全羅道咸悦県に至り居りしが東学党の為め脅迫暴行に遇ひ 僅に虎口を遁れ 此頃還り来る 東徒の首領は扶安県古阜郡辺なありて 各地の党員を集め京城に進むの計画を為せりと 又 其目的は大院君に意見を述べ 日本人を撃ち攘ふにありと声言し居れりと云ふ ○晋州に出したる我兵より未だ報告なし 今日は晋州に達せしならん

二 午后七時十分 大邱 田中大尉より左の電報あり

昨日 星州に下士以下拾名 偵察として派遣したるもの 今日午后四時十分 帰り 左の報告を為す 今朝六時 星州に東学党を撃退し 馬四 火縄銃五 劍一 喇叭一 天幕一 旗一を分捕せり 敵の死者一 我には死傷なし 捕縛せし者拾一名 内三名は東学党に捕らはれ居りし者 又 東学党は三十余名にして 目下 集合の模様なし 星州人民は日本兵の派遣を慕ふ者の如し 右 不取敢 報告す 委細は後とより書面にて

三 午后九時四十分 川上兵站総監へ電報を発す

井上公使 只今 来着せり 各地の東学党一刀両断の所置 頗る同意 派遣の二中隊は都合次第 早きを乞ふ

四 午后十時 川上兵站総監より左の電報を受く

出兵派遣に付 更に申出の件 承知す 然るに京城守備隊は近日派遣の筈 此兵は必要の時は其一部を京城外の使用に供せしむる見込なり 故に之と貴官直轄歩兵隊の一部とを以てせば 江原 忠清地方の東学党を鎮圧するには充分ならん 之に反して慶尚 全羅の地方は 目下の兵力にては或は不足ならん 兎に角 今後の状況に依り更に意見申出すべし ○仁川 京城間に敷設の鉄道は本式の鉄道にして 近日着手の筈 但 此事は極めて秘密なり ○中路 及 竜山の各兵站地に格納したる糧秣は約六ヶ月の供給に足るの数量を残して他は冬季前に釜山 及 仁川に出すことを努めよ 但 竜山には臨時の為め貯蔵し置くを要す ○後備工兵隊は仁川に招致し貴官の使用に供すべし 石工は不要なれば解雇せよ

五 同時川上兵站総監へ左の電報を発す

曩に朝鮮兵の応援として派遣したる守備隊 途中にて東学党の巨魁一人を捕へ水原府へ預け置きたるに 東学黨は之を奪はんため其牢屋を劫せりとの報ありたる為め朝鮮政府は兵を派せんとし 外務大臣より我兵の援を乞ひたる趣にて 杉村臨時公使代理より出兵の照会あり 依て本日午后五時 当地守備隊より二分隊を水原府へ向け派遣せり ○曩に派遣しある守備隊は公使の要求あり 一は水原 牙山を経て定山迄 一は竹山 鎮川を経て忠州に至るの予定なり ○全羅道感悦 扶安 古阜 慶尚道開寧 星州等にも同党集合の報告あり

六 午后十時三十分 可興 福富大尉より左の電報あり

東学党千人 当部を襲はんとし 可興の東方 牧渓右岸迄来襲せり 依て守備兵を連れ之を撃退せり 憲兵一名 之に死す 委細は後とより

七 本日午后四時 臨時代理公使 杉村濬 左の電報を持参し出兵を要請す

京城 日本公使館より在仁川 杉村代理公使へ電報

我兵 曩に東学党の巨魁一人を捕ひ 帰往の時迄 水原府に拘留し預け置たるに 東学党は之を取り返さんが為め其牢屋を劫せり 依て朝鮮政府は直ぐ兵を派するに就ては我兵の援けを乞ふ旨 貴官へ電報する様 金外務大臣より依頼あり 右は直ぐ龍山兵站部へ照会すべきや 又は不取敢 武久の巡査にでも送るべきか直ぐ返事待つ

八 右請求に依り仁川守備隊の内より先づ半小隊を派遣することに決し 左の命令を下す

     命令 十月二十五日午后五時
        於 仁川兵站

一 人員未詳の東学党 水原の監獄を劫し朝鮮政府に於て同地に拘留する該党の巨魁を掠主せんとす 朝鮮政府は直に出兵する筈なり

ニ 貴官は半小隊を率ひ即時出発 本夜仁川に宿営し 明二十六日 安陽を経て水原府に至り 韓兵を応援すべし

三 糧食五日分を携行すべし 之が為め駄馬五頭を附与す

            南部兵站監 伊藤祐義
   陸軍歩兵少尉 原田常八殿

     内訓

一 東学党を所分することに就ては 彼れ朝鮮官吏 及 兵隊の所分に任せ 応援の趣旨を守るべし
時機 乗ずべきあれば 進で酷烈の所置を実施し 敢而 仮借する所なかるべし
水原府の所置終れば仁川に帰るべし 其他 臨機の進退は今 訓示すべきなし 責に任じ進退する勿論なり 但し深く進入するに及ばず

            南部兵站監 伊藤祐義

十 本日 可興に於て東学党撃攘の際 憲兵上等兵南海為三郎 戦死す

  十月二十六日     金曜 晴

一 午前九時 川上兵站総監へ左の電報を発す

京城の守備兵三中隊は常置として他に使用せざること緊要なり 東学党に対する中隊 別に派遣の事 更に請求す 速に決行せられんことを望む

二 午前十時五十分 利川 田中中尉より左の電報あり

利川付近の東学党 二十四日より忠州へ向へり 昆池岩附近には尚ほ集合せり、竜山の分遣隊の一部 今日 当地より忠州に向ひ行けり

三 午前十一時三十分 可興 福富大尉へ左の電報を発す

電信の不通は東学党の所為ならん 護衛兵を派し 速に開通せしめよ

五 同時 京城 日本公使館へ左の電報を発す

我兵は昨夜 仁川府に宿営し 本日午前五時 水原府に向ひ出発せり 朝鮮兵は何時出発せしや 返事あれ

六 午后十時五分 京城 吉見少佐へ左の電報を発す

海底電線二哩半 今日 有明丸にて来る 明日 渙隠洞に向て送付する筈 同地に電線の達することの早からんことを御尽力望む ○可興以南電線不通の原因は已に分かりしや如何

七 午后十時二十分 可興 福富大尉より左の電報あり

昨夜 安保兵站東学党の為めに焼失せりと 蓋し夫れ等の原因よりして電信不通になりしが 未だ確報を得ず 東学党は忠州附近に次第に其数を増す 忠州より東方約四里の所 西倉と云ふ地に二万、報恩ちも亦 数万の同黨あり不日 忠州を襲はんとす 又 当地の南方約一里半の内倉にも同党集合し 将に当部を襲ふと唱へ 人心 穏かならず 本日 竜山の援兵来着せしを以て 明日 先づ内倉の賊を払ひ 然る後 忠州に赴援せんとす 但 兵員 未だ充分ならず 尚 若干の援兵を洛東 若くは竜山より派遣せられんことを望む

八 午后十一時 昨夜 水原ニ向ひ出発せる原田歩兵少尉へ命令を与ふ

   命令 十月二十六日午后十一時
      於 仁川兵站監部

一 本日 可興兵站司令官 福富大尉の報告に依るに 忠州 安保附近に東学党集合し 我兵站部を襲撃せるものの如し

ニ 貴官は尓今 水原の賊に対しては深く顧慮するを要せず 該地の情況妨げなければ可興に向ひ急行し 忠州 安保附近に動作する我兵を赴援すべし

三 此命令を伝ふるため明二十七日早朝 乗馬歩兵 下士官等 兵二名は 憲兵一名 変装韓人一名を派遣し 貴官に属せしむ 貴官は此人員を適当に使用すべし

            南部兵站監 伊藤祐義

九 午后十一十一時 京城 井上公使へ左の電報を発す

只今 可興司令官 福富大尉より左の報告あり ○昨夜 安保兵站東学党の為めに焼失せりと 蓋し夫等の原因よりして電信不通なりしが 未だ確報を得ず 東学党は忠州附近に次第に其数を増す 忠州東方約四里の所 西倉と云ふ地に二万 報恩にも又数万の同党あり 不日 忠州を襲はんとすと 又 同地の南方約一里半の南倉にも同党集合し 将に当部を襲ふと唱へ 人心穏かならず 本日 竜山の援兵来着せしを以て明日 先づ南倉の賊を拂ひ 然る後 忠州に赴援せんとす 但 兵員 未だ充分ならず 尚ほ若干の援兵を洛東 若くは竜山より派遣せられんことを望む

  十月二十七日     土曜 晴

一 午前四時五十五分 平壌 第一軍兵站監部より左の電報あり 直に川上兵站総監 及 井上公使へ電報す

軍司令官より左の電報あり
○昨二十五日未明より鴨緑江を渡り 虎山附近に於て劇戦の後 敵を撃退し 遂に靉江岸の高地を占領す 本日も亦 未明より九連城に向ひ進撃せしに 敵は毫も抵抗する事なく遁逃せり 兵器 弾薬 分捕品 多数なり 軍司令部は午前行で九連城に至る

ニ 午前八時五分 京城 井上公使へ左の電報を発す

可興附近 東学党の状況は昨日 電報したる如し 直に之を増加せんか他より動すべき兵員なし 一昨日 韓兵応援として仁川より水原に派遣せし一隊は同地方 顧慮するなくんば急行 可興に赴援すべきを命じたり

三 午前九時三十分 再び韓兵応援として仁川より水原府に派遣したる二分隊に其地へ赴援すべきを命ぜり 到着するは三十日ならんせ

五 午后二時十分 可興 福富大尉より左の電報あり

昨二十六日午前 安保支部東学党に突撃され苦戦防禦の後 遂に之を追ひ退けたり 同日忠州より安保に至る郵便脚夫は抜刀 敵を斬殺 敵中を横り行囊を全ふしたりと 忠州支部より報告あり 電線不通の原因も右の為めと信ず 今已に全通せり

六 午后二時二十五分 聞慶 出羽少佐より左の電報あり

昨日朝 東学党二千人余 安保支部を襲へり 守備兵 苦戦の末 漸く擊退せり 電信不通 昨夜 使者便にて報告を送りたれ共 延着すべきに付 重ねて概略 報告す

七 午后二時四十分 京城 吉見少佐より左の電報あり

音信不通の原因は安保附近にて東学党 線を断ち 又 水廻場、水安保間にて電柱を切りしに依る 大本営へは届け置けり

八 午后三時 京城 井上公使へ左の電報を発す

可興へ援兵派遣の事 了承 然るに今日午前十時 釜山への電信開通の報告あり 閣下もこれを知られしならん 依て推考するに 可興兵站司令官の為したる攻撃の為め離散したるものと信ず 今 問合せ中なり 故に更に兵を派遣するは暫く見合せ 今後の情況に依て決するも未だ遅しとせざるの見込なり 敢て閣下の意見を問ふ

九 午后三時五十五分 川上兵站総監へ左の電報を発す

昨二十六日午前十時半より可興以南 電信不通となれり 蓋し東学党の所為ならん 其後 可興司令部の報に二十五日夜 安保支部東学党の為め焼失したりと ○東学党の事に付 二十五日報告以来の概況は左の如し ○去る二十四日 安保附近に東学党数千人 集合し 聞慶安保の守備兵 之を攻撃 散乱せしむ 二十五日 同党千人 可興司令部を襲はんとす 憲兵 守備兵 之を撃退し 憲兵一名 之れに死す 忠州附近にも亦 同党多数 集合しあり 福富大尉は之を撃攘せんとし 援護を乞ひ来れるを以て 二十五日 水原に派遣したる二分隊へ 急行 可興に赴援べきを命ぜり

十 午后四時十分 川上兵站総監へ左の電報を発す

電線の不通は全く東学党の所為なる事 確報なり
又 安保支部は昨朝 東学党二千余人の襲擊を受け 寡少の守備兵 之を撃退せり 同支部の火災は訛伝なりし
又 更に水原に出したる守備兵は可興に向はしめたる事は今朝 已に報告せり 其 可興に着するは三十日ならん 是等の兵 達せば忠州附近は顧慮するに足らざるべし

十一 午后四時二十分 京城 井上公使へ左の電報を発す

電線の不通は全く東学党の所為なる事 確報あり
又 安保支部は昨朝 東学党二千人の襲擊を受け 寡少の守備兵 之を擊退せり
竜山より曩に竹山に向て派遣したる守備隊の半小隊は 昨日 利川を経て忠州へ向へたる報告あり 今日は可興に達するならん

十二 午后九時三十分 洛東 飛鳥井少佐より左の電報あり

本日 藤田大尉は吉田少尉三分隊を引率 尚州に向ひ 午前八時二十三分開戦 同十一時迄戦ひ 城内に集合せる一千人許りの賊を撃退せり 我兵 死傷なし 賊の死者 五十名 傷者 詳ならず 分捕は馬数十頭 武器沢山なり 其数 追て報告す

十三 同時 釜山 今橋少佐より左の電報あり

川上兵站総監より電報あり 東学党に対する処置は厳烈なるを要す 向後 悉く殺戮すべしと
三浪津へは下士官より通知すべきやを伺ふ

十四 同時 京城 井上公使より左の電報あり

本日昼頃 朝鮮軍務大臣代理 態々 来館して 韓兵 竹山迄進んで駐屯の所 東学党 非常に多く 幾万との数 計られず 将に竹山を襲はんとせり 万一 竹山 陥らば 彼等 進んで龍仁を陥れ 遂に京城に迫る可し 仍而 応援として明日 更に兵二百を派遣する見込なり 然るに該地方に向ひたる日本援兵は 利川 可興等の兵站部 急なりとて其方面に転じたり 就ては竹山の方へ尚ほ援兵の差出方を依頼する旨 申し出でたり 依て考ふるに 此際 該地方に於ける東学党討伐の為め我援兵を派せんとするも 御承知の通り目下 京城の守備兵を分遣する事は頗る不得策に付 可成 貴官の御手許より派兵相成る事に致したし 右は先刻 電報の趣も有れども 前件 軍務大臣代理の申出もあり 其状景 稍 迫りし如く認むるに付 更に申し進む

十五 同時 聞慶 出羽少佐より左の電報あり

今朝六時頃 東学党二千人余 安保兵站支部を襲ひ 四方を囲みて所々に火を放ち劇しく砲撃し 今尚ほ進撃中なり 賊の為めに電線を截られ 報告出来ず 依て大本営へは直接に同文の報告を為し置けり 賊の死体十一名を見出したり 負傷者の数 分らず 我兵 死傷なし バラツク一棟 焼じたり 他は異状なし

十六 午后十一時三十分 大本営 陸軍参謀より左の電報あり 依て次の電報を発す

混成第十二旅団は已に出帆せしや 乗込むべき船は未だ到着せざるや 折返し返事 待つ

答 混成旅団の乗るべき船は昨夜より只今に域け三艘 来り 今 乗船しつゝあり 彼地の模様は川上総監に過刻 報じ置きたり

十七 同時 川上兵站総監へ左の電報を発す

本日午后五時 広島丸 当地に着く 監督将校 植田海軍少尉 報告の大要 左の如し

七日午後十時 仁川 伊藤兵站監 ○広島丸は他の運送船と共に二十三日午前八時 大同江を発し 二十四日未明 坎子底下 畢利河口の東 約二里の海岸に着 揚陸を始む 十六艘の内二三を除くの外は午后五時には揚陸を終りしなら 馬船 少き為め 馬の揚陸は大に遅延すべし 揚陸には一つも故障なく 陸戦隊 何も為す所なし 該地は頗る水に乏き様子 砲兵の一部は金家哨に進み 露営せし由 工兵は桟橋に着手す 又 大島丸 明石丸等は支那船十五艘を捕獲せり 此船には材木 臼砲等を積みありし由 二十六日午前六時には長門丸外 大同江に集合せるもの皆 該地に到着 総軍三千艘に内外す

十八 夜十二時 各地へ左の電報を発す

京城 井上公使へ

援軍派遣の事 了承 松坡鎮の守備兵中より凡そ四十名の兵を竜仁 陽智 竹山に向はしむる事を只今 命令せり 韓兵の出発は兎角 後れ勝にして 我兵をして空しく待たしむる如き事 屡々あり 自今は宜しく即決する様 該衙門へ照會せられたし 曩に申進したる如く 二中隊派遣の事は又も大本営に要求したり 右 申進す

釜山 今橋大佐へ

工兵隊は軽装を成し陸路を採り聞慶に至り 同地の兵站司令官と協議し 忠清道東学党を掃討し終れば仁川に来るを命ずべし 石工は雇を解き 便船次第 帰すべし

京城 吉見少佐へ

松坡鎮 宮崎大佐へ左の電報 急使を以て送付せられたし

○槐山 清安附近には東学党 大に集まり 已に一昨日 安保支部を襲ふ 可興附近にも亦 戦ひあり 皆 撃退す 彼れ漸く増加し 或は北に向はんとするものの如し 其地守備兵二分隊は道を竜仁 陽智 竹山に取り 左翼我が守備兵と連絡を謀り 劇烈の手段を尽すべし 一昨日 水原に向け一部隊を出す 此兵可興方面に向ふ事を更に命じ置きし 明日は陰竹附近に達するならん 若し之と合するを得ば 兵を合はして共に運動すべし
分隊は明二十八日午前に出発せしむべし

川上兵站総監へ

一昨日来 東学党の景況 危険の度を増し 已に安保支部を襲ひ 可興の守備兵も亦 戦ふ 目下 専ら兵站路の保護を旨とし 深く進撃するに遑あらず 思ふに 彼の主力は槐山 鎮川 附近にあり 或は北京城に向ふやも計る可らず 夫が為め一昨日来 水原に向て二分隊を派遣したる事は已に報ぜし如し 今日 井上公使よりの照會に 朝鮮官兵は竹山附近にあるも 若しも撃退せやるゝ時は竜仁も亦 危しとの事を以て 明日 更に兵二百を派遣する見込に付 又も此応援として我兵の派遣を乞へり 井上公使も亦 其求を容れ 守備兵派遣の事を申し来り 之に應応ずる見込なり 此の如き状况なるも 我現在の兵力を以ては迚も彼等を殲滅するに足らず 此際 一刀両断の処置を下すにあらずんば 迚も安全を期す可らず 一昨日も請求したる如く 二中隊派遣の事は大至急 断行せられん事 邦家の為め切望の至に堪へず 又 彼れ混成旅団の出発を聞けば 龍山の守備 減少するを察し 京城に向はんとするも計る可らずと雖ども 漢江を渡らしむる如きは断じて為さしめざる所なり

十九 本日 川上兵站総監より郵書を以て左の命令を受く

       命令

一 自今 電線架設枝隊を解散し 臨時南部兵站電信部を置き 陸軍工兵少佐 吉見精を其提理と為し 南部兵站監の管轄とす 其編制 別表の如し

ニ 電線管轄区域は従前の通とす

三 別紙 吉見少佐への命令は 貴官に於て承知の上 同官へ伝達すべし

   明治二十七年十月十九日
              兵站総監 川上操六
二十 本日 守備隊大隊長 飯盛歩兵少佐 来着に付 仁川 平壌間 守備兵の配賦 及 守備隊長を以てする兵站司令官を左の通 決定す

  仁川 平壌間 守備隊配賦表

[表・備考 略]

十月二十八日     日曜 晴

一 午前七時 大本営陸軍参謀より左の電報あり

其地より第一回に上陸点に向て赴くべき船にて左の事を第二軍参謀長に伝へよ
第一軍は二十六日午前 九連城を掠取せり 敵は重もに毅字 及 明字 両軍にして 宋 及 劉 二氏 之を指揮せるものゝ如し 而して其大部分は安藤県の方位に退去せり 或は猶ほ続て旅順の方向に退去するやも計り難し 注意の為め通報す 右は本日 別に十二浦に通ずる電信にて貴官へ電報し置けり

二 午前十時 洛東 飛鳥井少佐より左の電報あり 依て次の返電を発す

賊の本営より取帰りたる書類を調べしに 各兵站部を襲ふの目的 判然せり 爾後 彼に対する所置は厳酷ならざる可らず 然るに今 報恩等の遠隔地に在る敵を攻撃するには兵員 不足す 若干の増兵を乞ふて報恩附近の賊を悉く殺戮の手段を実行致度候

答 竜山 及 仁川より守備兵 各二分隊を忠州方面へ派遣せり 竜山より出したるは既に忠州附近にあり 仁川より出したるは今日は可興に達するならん 攻撃の事に関しては福富に協議せよ
○分捕り駄馬は使用 差支なし 銃器 其他は焼き棄てよ
○彼に対し厳酷の処置は固より可なり

三 午後零時三十分 京城 井上公使より左の電報あり

韓兵一ヵ隊 今朝 既に発し 明朝 一小隊 発する趣なり

四 午后一時 川上兵站総監へ左の電報を発す

昨夜来の報告に依れば 利川 陽智 竹山 陰竹附近に出没する 最も多く 一は利川 可興等の司令部を襲ひ 一は京城を侵さんとするものゝ如し 増加兵の派遣 最も急を要す 至急 決行あらん事を切望す

五 午后一時四十分 可興 福富大尉へ左の電報を発す

今朝 松坡鎮より二分隊を龍仁 陽智 竹山に向け派遣し 其地附近の守備兵と連絡を謀り 劇烈の手段を尽すべき事を命じたり

六 午后二時 松坡鎮 宮崎へ左の電報を発す

其地のバラツク 及 工兵隊に渡すべき架橋材料 皆 仁川に送れ

七 午后六時三十五分 川上兵站総監より左の電報を受く

京城守備隊は三十日 出発の船にて派遣し 尚ほ亦 三中隊を便船次第 仁川に向け派遣する筈なり
駄馬四五十頭 京城附近に於て買ひ得らるゝや否や取調 至急 返電あれ

八 午后七時十分 洛東 飛鳥井少佐より左の電報あり

昨日 尚州に於て首領と覚しき者 二名を縛し来り 本日 色々 取調候得共 真を吐かず 言語 彼是を察するに首領とも思はれず 右様の者は当部に於て斬殺して然るべきや

答 東学党斬殺の事 貴官の意見通り実行すべし

九 午后八時五十分 京城井上公使へ左の電報を発す

昨夜来の情況 左の如し
○洛東の守備兵は尚州に向ひ 城内に集合せる一千人余 東学党を撃退し 五十名を斃し二名を捕縛せり
○利川の獄舎に繫ぎありし彼徒十名は 破獄逃亡を企てたるを以て 之を銃殺せり
○水原より可興へ向はしめたる一部は今朝 出発したり

十 午后九時廿五分 京城 井上公使より左の電報あり

三中隊は来る三十日出港の船にて京城に派遣し 猶又 三中隊を便船次第 派遣の筈なりと 総理大臣 并に参謀総長より電報ありたり

十一 本日 三等軍吏 鈴木郡一郎 着任す

十月二十九日     月曜 晴

一 午后一時 可興 福富大尉より左の電報あり 依て次の返電を発す

竜山方より到着せし一分隊を率ひ内倉 及 西倉の東学党を打払ひ 銃 槍 及び火薬 鉛等は悉く焼き払へり 亦 洛東の兵と両方より猛進し 報恩に集合し居る東学党を尽滅したし 就ては兵員不足故 援兵として二三分隊 至急 到着する様 願ひたし

答 仁川より派遣したる二分隊は昨夜 水原を発したり 遅くも明日は其地に着するならん

二 午后二時三十分 洛東 飛鳥井少佐より左の電報あり

昨夕 善山府に東学党 数千集合 洛東兵站部を襲ひ 尚州の讐を報ぜんとする趣の報知あり 早速 斥候を出し 其景況を察せしむるに 果して報告の如し 仍て二分隊を本日午前第二時 洛東出発 之を攻撃する事を命ぜしに 同六時 善山着 直ちに開戦 同九時 賊を尽く撃退せり 倉庫守衛 浜田寛有 戦死 兵卒一名 負傷 賊の死傷 并に分捕品等も数多なり 其数 追て報告す

三 午后六時 川上兵站総監へ左の電報を発す

曩に利川の獄舎に繫ぎ置きし東学党十名は 破獄逃亡ヲを謀りたるにより皆 之を銃殺したり
○二十八日 可興の守備兵は内倉、西倉の東学党を攘ひ 銃器、槍、火薬、鉛等の分捕品は直に之を焼き棄てたり
○洛東の報に東学党数千 善山に集合し 司令部を襲はんとするの状况に依り 進んで之を撃攘し 司令部雇員 浜田寛有 之に死すと
○報恩附近には多数集合し居るを以て之を撃攘せんとするも 各司令官は兵力少なきを顧慮し居れり 増加の守備隊 到着を待ち一挙に殲滅を謀らん
二十九日午后六時 伊藤兵站

四 午后十時 川上兵站総監へ左の電報を発す

釜山に集りし後備工兵中隊は本日 同地出発 陸路を取り 途中 東学党征伐を為しつゝ仁川に来る事を命じたり

五 午后十一時 洛東 飛鳥井少佐へ左の電報を発す

曩に釜山に背進したる工兵隊へ 東学党討伐の為め陸行 聞慶に来るを命令せり 途中 要するあらば大塚大尉と協議すべし 又 更に守備隊三中隊 増加の筈なり 此際 到着を待て一挙討滅を謀らん 其迠 兵站路の守備 電線の保護 厚く注意せよ

  十月三十日     火曜 晴

一 午前十一時 聞慶 出羽少佐へ左の電報を発す

曩に釜山に集りたる工兵隊へ 東学党討滅の為め聞慶迄来るを命令し 昨日出発したり 其地に着せば大塚大尉へ協議し 討滅の謀るべし 又 更に守備隊三中隊増加の筈なり 此隊 到着せば一挙 之を討滅せんとす 予め示し置く

二 同時 可興 福富大尉へ左の電報を発す

曩に釜山に集りたる工兵隊へ 東学党討滅の為め聞慶迄来るを命令し 昨日 出発したり 又 更に守備隊三中隊 増加の筈なり 此隊到着を待ち一挙 之を討滅せんとす 利川へも達せよ

五 午后二時 洛東 飛鳥井少佐より左の電報

増兵の事 謹承す 夫迄 線路の守備 電線の保護は小官 死力を尽すべし 目下 橋田大尉を台封に 藤田大尉を洛東に置き 海平 台封の守備兵を各二分隊 増加し 賊 善山 尚州 咸昌等に来らば速に攻撃 線路に近接せしめざるの手段を為し居れり 報恩攻撃の形勢を謀り 其機に臨み上申すべし

六 午后四時 大邱 田中大尉より左の電報あり 依て次の返電を発す

去る二十五日 星州にて縛したる八名の内 一名は東学党なることを自白せり(勢力者にあらず) 他の七名は該党の脅迫に依り使役せられし者にして該党にあらざることを認めたり 亦 他十三名は東学党の為めに縛せられし者にて同党に関係なきものなり 右は九月三十日 兵站監の御達により処分方を伺ふ

答 東学党なること自白せしならば監司に引渡し極刑に処せしめよ 其他の者は再び彼徒の使役に応ずるあらば厳刑に処せしむべきを説き示し放免すべし ○東学党討滅の為め釜山へ集りたる工兵隊へ聞慶迄来るべきを命令し 昨日 出発したり 途中 要するあらば大塚大尉へ協議すべし 又 更に守備隊三中隊 増加の筈なり 此隊 到着せば一挙 之を討滅せんとす 予め示し置く

七 午后八時 京城 吉見少佐より左の電報あり

京城 開城間 電線不通の原因は 高陽村に於て野火の為め電柱二 焼け 又 臨津江に於て断線しに依る 高陽は兵站部の直ぐ傍なるも 同指令部にては更に構はず 臨津には特に電線監守の兵卒あるにも係らず断線を知らざりし由 今後 電線には充分注意する様 各指令部へ訓令ありたし ○京城 平壤間の電線は極めて不充分の所 多し 故に明日より技手を平壌に向ひ検査修理の為め出発しめ 馬馳津にある技手にも平壌より南に向ひ検査修理を命じ置けり ○電線不通の原因 大本営へ報告す

  十月三十一日     木曜 晴

二 午后四時十分 洛東 飛鳥井少佐より左の電報あり

トウバク(咸昌縣西方一里)に賊あるを探知し台封守備兵を差向けしに 武器類を捨て戦はずして逃走せり 是れ尚州の敗兵ならん

 

↑「10月」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C06062204300、明治27年10月5日至同11月9日 「陣中日誌 南部兵站監部 第3号」(防衛省防衛研究所https://www.jacar.archives.go.jp/das/meta/C06062204300