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【工事中】【原文】上海派遣軍参謀部 第1課長 西原一策『作戦日誌』 1937.8.11~1938.2.13

作戦日誌 12.8.11-13.2.18

上海派遣軍幕僚 西原一策

靖國偕行文庫 受入番号:80975 図書記号·請求記号:390, 281ニ, ニ

 

          寄  平成5年11月25日

          贈  西原春子 氏

【偕行社藏書印】

 

西原一策(騎 広島)

昭和16·10·15中将 14·3·9少将 11·8·1大佐 陸大34恩賜 仏駐在 東大政治卒 功三

昭和10·3·15騎一聯隊長 12·3·1参本戦史課長 12·7·22上海派遣軍作戦課長 12·11·29中支方面軍参副長 13·3·1陸大教官 14·12·1陸大幹事 15·6·24大本営附(仏印監視団長) 15·2·2騎兵校長 16·10·1騎兵集団長 17·12·1戦車第三師団長19·1·7機甲本部長 20·1·3歿

 

[原文]

Ⅰ(秘)

  作戰日誌 自八月十一日

         至二月十八日

         西原大佐

 

11/7 盧溝橋亊件ニ関スル情報

一、動員㐧二日 二万屯 三日三万 七日─十六日 四万屯 計四十五万屯 中央部ニテ集ム

一、各次官ハ了解済、外ム大臣不在、

一、軍需品ハ大沽 又ハ天津ニ終結

一、亊件處理要項 ── 一兵団ヲ山东方面ヨリ上陸セシムルコト必要、

一、北平城内ニ参謀長ト步兵一中隊 居留民約二千名、参謀長ハ城外ニ出ンコトヲ企圖シアリ

居留民ハ領亊館区域ニ集ムル筈、

一、新聞班ヘ星、遠藤少佐、加藤大尉ヲ(沖、寺尾、倉橋ハ戦時職務アリ)

一、四時閣議決定、関东軍部隊ノ出动決裁、

 

一、上陸奌

一、劉河鎭西方地区ノ道路、水流、作物ノ関係

一、海軍陸戦隊ノ配備、

公大飛行場、

 

     亊変ニ関スル作戦日誌

 

八月九日午后六時半 大山海軍中尉 虹口飛行場附近ニテ銃殺セラル

八月十三日陸上戦斗起ル

八月十四日午前 敵十数機 襲撃シ来ル

同日午后 我艦上機 杭州 及 廣德飛行場ヲ爆撃

台北ノ飛行機 之ニ参加ス

八月十五日 大村飛行隊出动ス

 

一、八月十一日午前 軍作戦主任参謀ノ内命ヲ受ケ 作戦ノ槪要ノ内示ヲ承知ス

一、十二日 作戦計画案ヲ受領シ 約十日間ノ予定ヲ以テ上海附近ニ出張ヲ命セラル

夜十一時 东京出茇 長崎ニ向フコトトス

敎総二神少佐(3D増加参謀要員)ヲ同伴ス

夕刻 参謀本部ヨリ電話アリ 明夜 海軍飛行艇ニテ出茇セラレ度キ旨、

一、十三日 夜八時半 自動車ニテ出茇セントスルヤ 㐧三課西村少佐 来宅

1. 海軍ノ呉淞附近ノ占領 絶対ニ必要ナルコト 及 此次陸軍作戦ノ至難ナルコトヲ㐧三艦隊ニ知ラシムルコト、又 混成旅団程度ノモノヲ上陸ニ注キ込ム消極策アルコトヲ通知ス

(梅津次官ノ一案)
一、苐三艦隊司令長官 長谷川中将ヨリノ電報ニヨリ 十二日夜十一時 四相会議アリ 米内海相ヨリ陸軍ノ動員ヲ懇請セラレ 杉山陸相 同意ヲ與フ

一、十三日夜九時二十分 閣議ニテ三、十一、十四ノ动員ヲ決ス

 

    六[ママ]月十三日、十四日、十五日

一、午前八時半 自動車ニテ自宅出茇 二神少佐(川上步中佐同乗)同伴 横濱航空隊ニ至リ 十時 飛行艇ニテ軍令部 藤田大佐、木坂少佐ト共ニ佐世保ニ向フ 高度約四千、寒シ、

午后四時着、五時半 駆逐艦望月ニテ出帆 十時頃ヨリ颱風ニ遭フ 二昼夜 食ハス飲マス

[台風の進行と航路の図 略]

危険ナル難行ヲ續ク 無線故障、上海、ニテハ沈沒セリト思ヘリトノコトナリ

[上余白:上海方面ニ砲声殷々タリ]十五日午後七時 黄浦江着、㐧八戦隊ハ市政府ヲ砲撃中ナリ

一、同時 呉淞沖ヲ強行通過ス 右舷二〇〇米ノ河岸ニハ 敵散兵壕内ニ鉄兜ヲ見ル

一、八時 上海着 十時 出雲(三旗艦)ニ至リ司令官[ママ]ソノ他ニ挨拶ス

一、十一時ヨリ东和洋行ニテ㐂多少将ソノ他ト協議ス 午前二時就寝 四辺静カナリ

 

    六[ママ]月十六日

一、拂暁以来 銃砲声熾ンナリ 十時ヨリ出雲ニテ陸海軍協定ヲ行フ

第三艦隊ニテ呉淞附近ノ占領ハ不可能ナリトシ不調、ソノ他ハ中央協定ニ異存ナシ 一旦知?ル 会議中 敵七機ヨリ領亊館附近ニ七爆弾落ツ

[上余白:街路ニ三支那人死シアリ 破片 东和洋行ニモ来リ 坂少佐 頬ニ負傷ス]

一、午后四時 駆逐艦鴻ニテ現地偵察ニ赴ク、河岸ノ情況ハ二万五千分一地圖上ニ在リ

一、午后八時 帰来ス 敵ノ重砲射撃 熾ンナリ

一、此夜 敵ノ夜襲アリ 北方正面ノ一部ヲ奪取セラル

又 中央部ヲ突破セラレ 在郷軍人五〇名ヲ之ニ手當シ亊ナキヲ得タリ

 

    六[ママ]月十七日

一、此日 敵ノ空襲 数囬アリ

一、午前十時 出雲ニ至ル 幕僚ノ氣色宜シカラス

午后五時 英長官来艦 共同租界警察官 半数撤退ノ申入レアリ 海軍ハ予備隊ヲ以テ此方面十数條ノ道路ヲ占領セシム

一、陸軍部隊ノ派遣方 小生ヨリ打電ス

一、終日 銃砲声アリ

 

    六[ママ]月十八日

一、前九時 木坂参謀来訪 本日 陸戦隊約二千名 到着スへキニ付 協定ヲ为シタシ 成ル可ク早ク来艦セラレ度シト

一、十時半 出雲ニ到ル、

一、陸戦隊一大隊ヲ駆逐艦三隻ニ乗セ 之ニ步兵中隊ヲ合シ 残存スル桟橋ヨリ上陸スルコトニ協定ス

 

    八月二十日

一、終日 出雲ニテ協定ス

二囬爆撃セラル、夕 公大沖ニ移ル 砲弾近所?ニ落ツ

軍艦ヘ?海?ル、虫カ知ラセタノカ、

3Dハ援護隊ヲ商戦ニ乗セル(桟橋焼却セラルタルタメ)

 

    八月廿一日

一、夜 东和洋行斜右前三十米ノ家ニ三十瓩ノ爆弾落チ 十二名(一死)死傷ス 小官ノ室モ硝子ニテ滅茶〱ナリ

終日 3Fト協議ス 日清汽舩三隻ニ步兵二千四百名 陸戦隊六百名ヲ同時ニ岸壁ニ上陸セシムル様 海軍ノ提議アリ 二神参謀モ之ニ同意ナリシカ 主力カイキナリ上陸スルコトハ危険デモアリ 舩ノ損傷ヲモ考ヘ反対シ 陸戦隊六百名ニ步六八ノⅡノ一中<MG一小>隊ヲ加ヘタルモノヲ最初ニ、次ニ一大隊ヲ三駆逐艦ニ 更ニ二大隊ヲ三駆逐艦ニ 最後ニ步二中 砲二中ヲ□[符号:司令部]ト共ニ上陸セシムルニ決ス

 

    八月廿二日

午前三時 馬鞍島ニ着 足柄ニ軍司令官ニ訪フ

直チニ会議ヲ開ク、全員 11Dノ上陸後 3Dヲ上陸セシムル案ナリシモ 小生ハ岸壁上陸ノ可能性、敵軍ノ素质、3Dノ海上能力、直前計画変更ノ不可ヲ述ベ反対シ 軍司令官 之ヲ是認セラル、

 

 [綴じ込み別表]

 參謀部第一課業務   昭一二、八、一六、

氏名/業務/

西原課長

代理 芳村参謀/

 一、作戰計画ノ立案 作戰指導 並 作戰命令ノ起案

 二、第一課ノ統制/

芳村参謀

代理 川上参謀/

 一、西原課長ノ補佐

 二、陸海軍恊同作戰 並 作戰輸送ニ関スル事項

 三、教育ニ関スル事項

 四、機密作戰日誌(副)/

川上参謀

代理 芳村参謀/

 一、西原課長ノ補佐

 二、作戰二関スル通報 報告ノ起案

 三、航空ニ関スル事項(副)

 四、機密作戰日誌ノ記載(主)/

光成参謀

代理 芳村参謀/

 一、航空ニ関スル事項(主)

 二、海軍航空隊トノ恊同二関スル事項

 /兼第三艦隊参謀

二神参謀

代理 川上参謀/

 一、作戰ニ関スル命令、通報 報告発受領、

 二、第三師團ヘ兼務

 三、陣中日誌ノ記載、戰時旬報 及 月報ノ

   記載(主)/

松田海軍参謀/

 陸海軍恊同ニ関スル事項/

部付

鈴木(砲)中佐/

 一、二神参謀ノ補佐

 二、砲兵ニ関スル事項

 三、作戦経過一覧圖調製

 四、陣中日誌ノ記載(副)/

部付

鴨沢(工)少佐/

 一、芳村参謀ノ補佐

 二、交通 及 築城ニ関スル事項

 三、第三課兼務/

部付

金原(工)少佐/

 一、川上参謀ノ補佐

 二、瓦斯ニ関スル事項

 三、戰時旬報 及 月報ノ記載(副)

 四、第三課兼務/

部付

押目(航)大尉/

 一、光成参謀ノ補佐

 二、航空偵<ニ関スル事項>(海軍飛行隊ニ依ル)

 三、第三課兼務/

部付

関口大尉/

 一、西原課長附屬業務

 二、第一課庶務

 三、書類ノ整理保管

 

[上余白:上陸戦斗]

    八月廿三日

3Dハ予定ノ如ク3h13' ヨリ上陸開始、11Dハ遅レテ二時ガ四時半トナル、[上余白:(配舩遅ル)]前者ハ死傷一二〇 後者ハ四二名ヲ出シタリ、

11D司令部ハ夜九時半 空爆ヲ受ケ 下坂参謀、暗号掛將校戦死シ 师団ノ志氣阻喪ス 又 本夜 敵ノ夜間攻撃ヲ受ケ友軍相撃ノ疑ヒアリ(便衣隊) 爆撃ノタメ信号ヲナス敵兵ノ沈勇ハ嘆賞ニ値ス、

11Dハ夕刻 堤防ノ線ニ取リ付ク、

Ⅱ/68長 矢住少佐 戦死ス、下坂11D参謀 同上、

 

[綴じ込み別表]

 運送部隊到着表 第一課 昭十二、八、一九[略]

 

    八月廿四日

苐十一师団ノ戦斗ヲ指導スルタメ由良ハ夜八時半 川沙鎭沖合ニ到ル、11Dハ攻撃前進中ナリ

[上余白:揚陸作業隊長ハ計画者ハ駄目、運输部ノ巠験アルモノヲ充當セサルヘカラス、]

㐧二次输送駆逐艦 五?時 到着(廿四日夜)セシモ 揚陸作業隊睡眠シ 舩ハ陸ニ上リ揚陸出来ス 海軍側ノ不平多シ 作業隊長ヲ海軍側指揮官ノ隷下ニ入レル如ク要求シ来レリ 弾薬 糧秣ノミヲ揚陸シ 他ハ呉淞ニ揚陸スルコトヽセリ、海軍側ニモ色々手落チアルカ如シ

44iノ Ⅱ ハ朱家宅(羅店鎭北方)ニ於テ五六百ノ敵ニ包囲セラレ(便衣隊ノ疑ヒアリ)タルモ此ヲ撃退セリ此师団ハ補給困難ヲ極ム、支那式一轮车ガ便利ナリ

(リヤカー)モ駄目ナリ 嘉定攻撃ノ軍命令ヲ起草セシモ時機尚早ト思ヒ小官自ラ之ヲ撤囬シタリ、

 

    八月廿五日

夜八時半 11Dハ羅店鎭ヲ占領シ 一部ヲ以テ刘家行ニ敵ヲ追撃中ナルノ報告ニ接シタルモ 次テ 未タ之ヲ占領シアラス 敵ハ家屋防禦ヲナシアルヲ以テ飛行機ノ爆撃ヲ要求シ来レリ

[上余白:参謀総長ヨリ上陸作戦成功ノ祝電来ル]

嘉定攻撃ノ軍命令ヲ九時 11Dニ與フ、

呉淞鎭西北端ニ敵ノ迫爆砲アリ 3Dハ之カ爆撃ヲ要求シ来レリ 揚子江口、福州、厦門、仙頭ノ平時封鎖ヲ3Fヨリ茇令セラル、

后五時大西兼勤参謀ヨリ電報アリ上海上陸隊正面ノ敵ハ昨廿四日夜ヨリ後退シツヽアリ 3Dハ万難ヲ排シ江湾鎭方向ニ突進シ敵ノ退路ニ迫ルヲ要ス 然ルニ昨夜電報セシ3D充足人馬ノ運送舩カ 誤テ川沙鎭方面ニ廻送セラレアリシ为メ 3Dヲ出ス能ハス 軍司令官 亦 慎重ヲ期スヘキ御意見ニテ 単ニ情報ヲ3Dニ通報スルニ止メタリ

「ライター」廻送ノ为 芳村中佐ヲ出雲ニ派遣ス

呉淞鎭ヲ攻畧セハ二神参謀ヲ軍ニ復帰セシムへク電報ス、

正午頃 11Dハ劉家鎭、羅店鎭ヲ占領シタリ(前報告ハ誤リナル如シ)

新軍動員下令ノ通報アリ

 

    八月廿六日

[上余白:呉淞鎭攻略ノ圣緯]

午前十一時卅分羅店鎭 及 劉家鎭 共ニ未タ占領セストノ報告アリ

呉淞鎭攻略ノ为 11Dノ一部ヲ楊行鎭方面ヨリ進ムル案ヲ参謀長ト協議ノ上 司令官ニ上申セシモ 軍ノ根本方針ヲ変更スルコトヽナリ 又 3Dニ一度命令セシコトナレハ飽ク迄3Dニ攻撃セシムヘシトノ断案ヲ下サル、之カ为 芳村参謀ヲ3Dニ派遣ス 夕刻 二神参謀来艦シ 师団ノ苦衷ヲ訴ヘ 河岸ノ方ヨリ舩ニ依ル3D兵ノ上陸ハ不可能ナル旨ヲ訴ヘシヲ以テ 方法ハ师団ニ委スモ 同地ノ攻略ハ 軍将来ノ为 絶対ニ必要ナルコトヲ述ヘ 帰ラシム

田尻参謀長ハ 流涕 师団ノ苦痛ヲ芳村ニ傳ヘタリトノ事ナリ

大臣ヨリ上陸作戦成功ノ祝電来ル

 

    八月廿七日

3D長ヨリ 周家宅方面ヨリ呉淞鎭攻撃ノ準備中 乞御安心ノ報告アリ

前十時頃 3Dノ左翼ハ東章家巷占領ノ報アリ

廿六日迄ノ當师団ノ死傷約八〇〇(死一三六)、

統制上ノ所感

無線機遅シ、D司令部ニハ防空機関(MG 又ハ四〇粍高角砲)ヲ必要トス、人夫ノ必要(11D)

午后二時 殷行鎭(3D左翼)占領ノ海軍通?報アリ

乗舩区分表不明ノ为メ 折角 输送舩 黄浦江口ニ着シナガラ 揚陸地ニ至ラシメ得ス 通報ヲ打電セシモ返亊ナシ 午後二時 3Dノ左翼 殷行鎭ニ進出ス、

[上余白:小尾参謀来艦ス]

后九時 小尾参謀来艦、嘉定攻撃ノ困難ヲ訴ヘシモ 断乎 之ヲ排撃ス 廿四日 工兵二小隊(三十名)ハ早クモ羅店鎭西北三叉路二進出シ 敵自动车ヲ捕ヘソノ積载セル砲弾ヲ「クリーク」二投スル䓁ノ行动ヲナセシモ 衆寡敵セス 准尉以下八名退却 他ハ生死不明ナリ コノ時 同時ニ派遣セラレタル44iノ一大隊 近傍ニアリシニ増援セサリシハ不可解、或ハ此ノ大隊ハ 一旦 同時[ママ]ヲ占領シ 撃退セラレタルニアラサルカ

 

[綴じ込み別図]

第三師団方面態勢要図(八月二十七日午後三時ニ於ケル)[略]

 

    八月廿八日  晴

爆撃ノ効果ヲ利用シ 11D主力ハ 羅店鎭ヲ八時十分攻撃 前進ニ移レリ、焼夷弾ノ必要ヲ痛感セシモ現物ナキハ遺憾ナリ、前十一時 3Dヨリ 昨夜 敵ノ二三大隊 呉淞鎭 及 「クリーク」北岸ノ阵地二増加セリトノ情報アリ、

午后一時 羅店鎭ノ敵ハ大場鎭ニ退却中(一時四十分 下山少佐偵察) 十二時半 押目大尉 劉家鎭爆撃中 臀部ニ銃弾ヲ受ク 数日間 療養ヲ要ス、后三時 11Dヨリ報告アリ 正午 羅店鎭ヲ占領、敵ハ西方 及 刘家行ニ退却ス、Dハ一部ヲ以テ追撃中、

芳村参謀 五時 3Dヨリ帰還 3Dノ門?字宅方面ヨリスル攻撃ヲ中止シ 河岸ヨリスル攻撃ヲ計画中 而モ餘リ自信ナキ旨ヲ聽取シ 11Dノ有力ナル步砲ヲ以テ二十九日ヨリ呉淞鎭攻撃ノ意見具申ヲナセシモ [上余白:司令官ノ武士道]3D長ノ面目ヲ憂慮セラレ 3Dノ攻撃実施ノ時 陸上ヨリ11Dヲシテ協力セシムヘキ折衷案ヲ司令官採用セラレタリ、

仍テ11Dニ準備𠀋ケヲ参謀長ヨリ打電ス、

羅店鎭ノ兵力六七师ノ四団(11D報告)ナルモ 突入直後 飛行機ヨリノ報告ニヨレハ多クモ三百ナリト、

[上余白:阵地ニ突入前 敵ハ退却シタルモノナリ(飛行機 下山)]

 

    八月廿九日  晴

由良 川沙口方面ニ移動ス 八時廿四分 日ノ丸ノ標識ヲ有スル飛行機三 11D司令部ニ爆弾ヲ投下セリ、

夜ノ戦斗ニ於テ步六長倉[ママ]新?大佐戦死ス

3Dノ呉淞鎭攻撃ノ遅延ハ 同地ノ上陸 益〻困難トナルヲ以テ (舩員数名負傷)11Dヨリ步四大、山砲二中ヲ以テ楊行鎭、月浦鎭方面ヨリ攻撃スル案ヲ立テシモ 连絡ヨリ帰リシ川上参謀ノ報告ニ依リ 卅一日前十時 上陸ヲ開始スルノ報ニ接シ 步砲ノ有力部隊ヲ以テ之ニ協力セシメ 呉淞砲台、宝山ノ掃蕩ヲモ行ハシムルコトニ決シ 軍司令官ノ決済ヲ圣 各々打電スル所アリ、

 

    八月卅日  晴

劉家鎭支隊ヲ步一大、步砲一小、騎一小トシテ 西塘湾 双草 双美橋?ニ後退ノ線ニ後退セリ(东方ノ赤線路ヲ開放セシハ不可解)3Dヘノ協力部隊ハ步四十三ノ苐二大隊(浅間少佐)山砲一中隊ナリ(軍ノ有力ナル步砲兵云々ノ命令ニハ合セズ 協同精神ノ欠如ヲ思ハシム) 桜井少佐 十時半到着)緑筒ノ使用ハ海軍 及 居畄民ニ対スル報復手段ノ虞レアリ 海軍ヨリ使用方見合セノ請求アリタルヲ以テ之カ使用ヲ禁スルコトヽセリ

 

[綴じ込み別図]

 第十一師團方面彼我態勢要圖

 (八月卅日正午頃ニ於ケル)[略]

 

    八月卅一日  晴

11Dヨリ報告アリ 右協力部隊ハ淺間聨隊(一大欠)ナルコトヲ知ル 計画ノ如ク九時半ヨリ海軍ノ爆撃 及 空爆ニ次キ 十時ヨリ主力ヲ以テ河岸ヨリ一部ヲ以テ(台车ニ依リ)鉄道橋ヨリ突入 上陸ニ成功ス、午前十一時 金家宅附近ニ進出ス 浅間支隊ノ状況不明、敵ノ北方軍ハ陈誠?、南方軍ハ張治?中指揮ストノ諜報アリ、

[上余白:输送区分ノ所見]

毛布ソノ他 不必要ノ荷物多ク 軍無線、弾薬ノ遅キハ状況ニ合セス、建築材料ハ宇品ニ還送セシム

午后五時 浅間支隊ノ状況不明、后十一時半11Dヨリ報告アリ 此支隊ハ午后四時 獅子林砲台西方二粁ノ敵ヲ撃退シ東進ス(遅キヲ驚クへシ 軍命令違反ナリ)

西瓜ニ細菌ヲ注射セリトノ諜報アリ 㐧一線ニ傳フ

五师団ノ軍トスル軍司令官ノ意見具申 及 十四师団ノ取リ敢ヘスノ増派(長中佐ノ意見)ニハ不同意ナリシモ 打電スルコトヽナレリ

 

    九月一日  晴

増派ニ関シ不同意ノ参謀次長ノ電アリ

11Dハ昨日夜四?時 敵ノ逆襲ヲ撃退ストノ報告アリ

14Dノ増派ハ 桜井少佐カ西村步少佐ヨリ中央ニソノ意圖アリトノ報ニ基キ 司令部内ニ之カ要求ノ希望起リシモノナリ、步二九旅(三四欠)夜 黄浦江沖二着、□[記号:連隊司令部]ノ指揮スル步四大、K一小隊、野砲一大、工一小隊1/3Sヲ以テ月浦鎭ヲ圣テ11D正面ノ敵ノ右翼ヲ攻撃セシム可ク意見具申セシモ、不採用、29iBヲ3D長ノ隷下ニ入レ楊行鎭攻略ノ司令官ノ意圖ヲ内示ス、68ノ戦力ハ大ニシテ6iハ劣ルトノ亊ナリ、

午后四?時 浅間支隊ハ獅子林砲台ヲ占領シ 鷹森部隊ハ呉淞砲台南端ヲ占領ス、天谷支隊ハ軍ニ復帰セシメラル ソノ用法ハ 月浦鎭方面ヨリ11Dノ敵ノ背後二迫ラシムルヲ主張シ 採用セラル

 

[綴じ込み別図]

 第三師團方面彼我態勢要圖

 (於八月三十一日午後四時四十五分)[略]

 

[綴じ込み新聞切り抜き:(写真)呉淞砲臺に飜る日章旗(きのふ呉淞砲台にて寫す)]

 

    九月二日  晴

[上余白:呉淞占領 68i]

[上余白:晴天續キハ天祐ナリ]

夜 11Dハ(九時半)呉淞砲台ヲ占領シ 宝山城南側ニ進出ス 浅間支隊ハ一〇半 獅子林砲台出茇 河岸道ヲ南進ス、午前九時 幕僚会議ヲ開ク 長中佐ノ意見ハ 敵ノ兵力 及 素质ニ鑑ミ 羅店鎭ヲモ放棄シテ上海北方ヲ狹ク占領シ 阵地戦ヲ準備スヘシト主張シ 小官 之ニ反対ス、

3Dニ 29iB上陸後 楊行鎭ノ占領ニ関スル命令ヲ下達ス(正午)

夕刻迄ニ11Dハ宝山东南側、尤家宅ノ線ニ進出シ 宝山城ヲ攻撃セス[ママ] 浅間支隊ノ状況 変化ナシ

 

    九月三日  晴

八時 天谷支隊長来艦 軍命令ヲ交付 必要ノ指示ヲ與フ、正午 浅間支隊ハ馬路塘ノ線ニ進出ス

公大飛行場攻撃ニ3Dカ歩二中 砲一中 工一小 戦车一小𠀋ケヨリ充當セストテ 海軍側 不満ナリ 大西、光成両参謀来艦 苦情ヲ述ヘタリ 要ハ軍ト师団トノ右攻撃ノ必要性感ニ差アルカ为メニシテ 軍トシテモ責任ノ一部ヲ負フ可ク 师団トシテモ軍命令ノ尊重ニ欠クル所アリ 二時 3Dハ宝山攻撃ニ[ママ]開始スル筈、(D命令)今回ノ上陸作戦ハ全ク敵地ニ於ケル作戦ニシテ満洲、北支ト趣ヲ異ニシ 支那人ノ便役等 全ク胸算シ得ス、11Dノ希望ハ天谷支隊ヲ川沙鎭方面ニ上陸セシムルニアルモ 陈誠ノ精鋭 一一、一四师ニ一度 打撃ヲ與フルコト必要ナルト 又 11Dノ志氣ヲ昂揚セシムル为メニモ是亦必要ト考ヘ 月浦鎭ニ進ムルコトヽセリ、11D、3D共ニ志氣旺盛ナリト云フヲ得ス 進ンテ軍命令ノ任務ヲ積極的ニ解決セントスル意氣ナキハ遺憾ナリ、

[上余白:天谷支隊 十三日間 舩内生活、水ノ保有量ニ付 注意ヲ要ス]

宝山ハ単ニ砲撃シタルノミニシテ 步兵ノ攻撃ヲ實施セス 明四日モ本日ト同様ノ手形?ヲ施シタシトテ 宣傅ビラヲ一工兵将校持参セシモ 軍司令官ノ同意スル所トナラス 参謀長ヨリ攻撃スヘク田尻参謀長ヘ连絡ス 西村航少佐 连絡ノ为メ来艦ス

 

    九月四日  晴

天谷支隊参謀吉津少佐 连絡ノ为 来艦、

宝山攻撃ノ遅緩ニ鑑ミ 藤田部隊ハ速ニ宝山城ヲ攻撃スヘシトノ軍命令ヲ茇セラル、吉津参謀ヲ陸上ヨリ浅間支隊ニ派遣ス 同支隊ハ沙竜口ニ達シアラス ソノ北方 陈家店附近ニ於テ敵ニ包囲セラレ 一大隊長戦死 一大隊長負傷、山法弾薬ナシ 依テ本日中ニ弾薬ヲ江上ヨリ補充スル處置ヲ取ル、

 

    九月五日  晴

[上余白:作戦計画一部ノ変更、六日 天谷支隊ハ隊伍整頓ニ費ス]

午前七時ヨリ宝山方向ニ銃砲声熾ンナリ 天谷支隊ノ攻撃前進ハ午后二時 3Dノ一部ハ金家宅ヲ占領セシモ ソノ南方橋架东側ハ 敵 之ヲ占領シ 頑強ニ抵抗シ 遂ニ奪取スルニ至ラス 藤沢11D参謀来艦 本日午前 軍司令官ノ承認ヲ坙タル大場攻撃ノ内意ヲ内示シ 嘉定攻撃ノ阵?痛?ヲ輕減シタリ、

[上余白:七日 天谷支隊 午后一時半 攻撃前進 支隊長ハ敗ケ戦ト思ヘリ(五時)]

 

[綴じ込み別図:第三師團方面態勢要圖(九月四日正午頃ニ於ケル)][略]

 

    九月六日  晴

午前九時 宝山攻撃始マル 十五臼砲ノ威力大ナルモ 之ヲ以テ城ノ東南角ヲ破壞セントシツヽアルハ如何カト思フ、寧ロ野砲ノ直射弾ヲ以テスルヲ可トセン

公大ノ飯田大隊モ本夜ヨリ攻撃ヲ開始ス 砲声聞ユ、天谷支隊(安達聯隊)ハ西門大街ノ線ヨリ攻撃前進ヲ起ス 藤田部隊ハ四塘橋クリークノ線ニ昨五日 進出セリ(午后六時)

[上余白:教訓]

「クリーク」地帯ノ前進ハ疎開トセス一本縦隊トシ 敵ニ近ク横廣隊形ヲ取ルヲ可トス 敵兵ナキニ於テ然リ

最初ヨリ横廣隊形ヲ以テスルトキハ支離滅裂トナル

宝山城攻撃ニ於テ我戦車ニ手擲弾ヲ投ケル支那兵ニハ感心セリ 此戦车三辆ノ進出ハ遅キヲ見ル、

[上余白:宝山城占領]

前十時二十分 鷹森部隊ハ宝山城ヲ占領ス(一大隊、戦車一中、臼砲一大隊、一門二十茇以内ト指定ス)

天谷支隊二十五榴一聨隊(一大隊)ヲ配属ス、臼砲一中ヲ呉淞鎭北方ニ布阵、浦东地区ノ迫撃砲制圧ノ準備ヲナサシム、

藤沢参謀ヨリ 浅間支隊ニ 獅子林台砲台ヨリ餘リ南進シテ友軍相撃ヲセサル様 トノ命ヲ與ヘタリト聞ク、(副長室)后二時 天谷支隊ハ妙家宅、周家宅、呉家上楼ノ線ニ進出セリ 夕刻迄ニ泗塘橋以北ノ「クリーク」ノ線ニ進出スル予定、周家宅西南無名部隊[ママ]ニ於テ俘虜六〇〇アリシモ 敵意ヲ有セシ为 全部射殺セリト、

飯田大隊モ計画ノ如ク進捗ス 但シ虹口桟橋ノ一中隊ハハネ返サレ 大茇ニテ北方ヨリ上陸 攻撃前進ス、

[上余白:水田干涸ノ理由]

農民逃避ノ为「クリーク」ノ水ヲ揚クルモノナク 炎天下ニ水田干涸スルニ至リシモノナリ

 

    九月七日  晴

前三時 由良ノ五十米位ノ水中ニ敵ノ爆弾落下 水兵二名負傷ス、

天谷支隊、上野部隊 共ニ㐧一線ヲ進出セシム、飯田大隊ノ攻撃ハ稍 困難ヲ感スルモ 攻撃ニ自信ナキニアラス

3Dヨリ迫撃砲配属ノ希望アリ(電話)

午后六時 軍司令部ハ输送舩瑞穂丸ニ移乗シ 阵地ニ横付トナス 高射砲照空隊ニ命令ヲ與フ

 

[綴じ込み別図]

苐一課

 上海派遣軍方面敵師號系統兵力一覽表 參謀部 第二課

部隊正面/敵師號/系統/徴募地/現出時機

山室部隊方面/九/中央直系、蒋鼎文/廣東、浙江、安徽/八月二十九日、山室部隊正面ニ現ハル。

山室部隊方面/(一一)/中央直系、旧万曾順系/江西/八月廿八日、及 廿九日 山室、藤田部隊正面ニ現ハル。

山室部隊方面/一四/中央直、陳誠/湖南、湖北/八月三十日、山室部隊正面ニ現ハル。

山室部隊方面/(二四)/中央直系/貴州、湖南/八月二十七日、山室部隊正面ニ現ハル

山室部隊方面/五一/中央直系/浙江、江西、湖南/九月三日頃 山室部隊正面ニ現ハル、

山室部隊方面/五六/中央傍、劉和鼎/安徽/上陸當初 山室部隊正面ニ在リ、

山室部隊方面/六〇/中央直、旧十九軍/廣東 及、中央各省/八月二十八日、藤田部隊正面ニ現ハレ、九月五日、山室部隊正面ニ現ハル

山室部隊方面/六五/中央傍、劉鎭華/陝西、河南各省/八月三十日、山室部隊正面ニ現ハル

山室部隊方面/六七/中央傍、元孫傅芳/山西、河南、湖南、浙江/八月二十七日 山室部隊正面ニ現ハル、

山室部隊方面/(八七)/中央直系/中支各省/出兵前 陸戰隊正面ニ在リ、上陸當初 藤田部隊正面ニ現ハレ、八月廿七日頃ヨリ一部山室部隊正面ニ現ハル。

山室部隊方面/(八八)/中央直系/中支各省/出兵前 陸戰隊正面ニ在リ、上陸當初 藤田部隊正面ニ現ハレ、八月廿八日頃、一部山室部隊正面ニ現ハル

山室部隊方面/九〇/中央直、旧張癸奎/廣東、湖南/九月四日 初メテ山室部隊正面ニ現ハル。

山室部隊方面/(九八)/中央直系/湖北、安徽、江西/九月五日頃 宝山ヨリ月浦鎭方面ニ現ハル。

山室部隊方面/一/中央直系/蔣介石、何應欽/中支各省/九月五日 山室部隊正面ニ現ハル。

山室部隊方面

 第一線ニ現ハレシ兵力/總󠄂兵力

 約70,000人/約140,000人

藤田部隊方面/一一二/旧東北軍、王樹常/山東、河南/八月二十八日頃 藤田部隊正面ニ現ハル。

藤田部隊方面/五/中央直系/安徽、江南/九月五日 藤田部隊正面ニ現ハル

 

    九月八日  晴

[上余白:重砲、戦车ナケレハ天谷支隊ノ戦斗ハ成功セサリシナラン]

迫撃一中隊ヲ3Dニ配属シ 飯田大隊ノ攻撃ニ資セシム 公大陸戦隊(十五榴四、十二榴四、野砲三門)ノ協力スシモ飯田大隊ニ緊密ナラサルカ如シ(光成参謀ノ電話) 11Dヨリ當面ノ状況漸次切迫ストノ通報アリシヲ以テ 天谷支隊ニ迫撃㐧四大隊(一中欠)ヲ配属シ攻撃ヲ促進セシム、[上余白:「トーチカ」占領]午后二時「トーチカ」二個ヲ占領シ 飯田大隊ハ軍工路ノ線ヲ奪取ス

夜七時頃 11Dヨリ敵ノ十五加(嘉定附近)及 飛行機ノ爆撃ヲ受ケ 死者一〇 傷者三〇ヲ出スト報告アリ

MG大隊ノ一中ヲ 九日夜八時 駆逐艦ニテ川沙口ニ、MG大隊(一中穴)ヲ天谷支隊ニ増加シ 攻撃ヲ促進セシム

軍司令部ハ 午前 水産学校ニ司令部ヲ開設ス、

 

    九月九日  ?

[上余白:11D参謀 藤沢中佐 原田少将ニ書ヲ送リテ曰ク「軍ノ□□ニ碌ノ奴ナシ 原田少将ノ指導ヲ望厶」ト]

前十時 3Dヨリ重砲増加ノ請求アリ 十二榴一大、渡河材料中隊を配属ス 後備二大ヲ㐧二兵站司令官ニ配属ス、公大ノ陸戦隊ニハ十五榴ナシ、飯田大隊ノ本部ハ八日夜 敵遊撃隊の夜襲ヲ受ケ 二十名全滅ス 中隊長三名モ戦死ス 3D長ハ34ノ一中 MG(2)ヲ新タニ増加シ 何家宅ノ「トーチカ」攻撃ニ決ス、天谷支隊ハ午后二時 貴家宅、王家宅、唐家宅、浦夾橋、顧家宅、三脚宅ノ線ニ進出ス、

 

[綴じ込み別図]

九月五日貴族院衆議院ハ院議ヲ以テ左ノ決議ヲナセリ 右傳逹ス

一、貴族院決議

支那事變勃發以来 帝國陸海軍ハ勇戰奮鬪 良ク敵軍ヲ擊破シ 武勲赫々タルモノアリ 貴族院ハ忠勇ナル我陸海軍將兵ノ勞苦ニ對シ深ク感謝ノ意ヲ表シ 併セテ其勇健ヲ祈ル

二、衆議院決議

支那事變勃發以来 轉戰 旣ニ幾十日 我陸海軍將兵諸士ハ彈雨ヲ冒シ 炎暑ニ堪ヘ 寡兵以テ克ク衆敵ニ對シ 辛苦碎勵 義ヲ泰山ノ重キニ任シ 死ヲ鴻毛ノ輕キニ比シ 奮戰激鬪 北ニ南ニ連勝ノ髙勲ヲ立テ 国威ヲ中外ニ發揚ス

是 元ヨリ御稜威ノ然ラシムル所ニシテ 其忠勇義烈ハ國民ノ齊シク感激シテ已マサル所ナリ

今ヤ事態ハ愈〻擴大シテ 東亜安危ノ鍵 一ツニカケテ此機ニ存ス  聖慮 深遠優渥ナル 勅語ヲ賜ヒテ國民ノ向フ所ヲ示サセ給フ

諸士ノ責任 重大ニシテ 其勞苦 推察ニ余リアリ 衆議院ハ特ニ院議ヲ以テ感謝ノ誠意ヲ披瀝シ 將兵諸士ノ勇健ヲ祈ル

 右決議ス

 

    九月十日  晴

[上余白:約千名ノ敵ノ逆襲アリ]

午前一時 新タニ内地ヨリ三師団、15榴一旅、24榴一聨、十加一聨増加ノ次長電ヲ受領ス

午后 浅間支ハ月浦鎭北端、东端ヲ占領 天谷支隊ハ南北曹宅ノ線ニ進出ス 上野旅団ハ18iノ二大ヲ以テ宿家弄、李家浜ノ線ニ、34iノ二大ヲ以テ慨ネ「クリーク」ノ線二進出ス

新作戦計画ヲ司令官ニ報告ス、兵力増加シタルヲ以テ 最初ノ方針タル嘉定ノ攻略、及 重藤支隊ノ軍工路開放ニ関シ小官ト意見ヲ異ニス、再考ヲ命セラル、武藤ヨリ後備隊増加ニ関シ電話アリ、天谷支隊ヲ依然 協同シテ羅店鎭方面ニ進メラレ度奇意見具申アリ 浅間支隊ハ师団命令ノ関係上 川沙鎭方面ニ帰還ヲ急キツヽアリ

 

 

    十月十日  雨

九時 水産學校ヲ出テ 午后三時 楊家宅西端 新軍司令部ニ移ル 途中 道路ノ泥濘 名状スヘカラス 「シルコ」ノ中ヲ步ムガ如シ、午后五時 13Dノ主力ヲ以テ新木橋以南ノ敵阵地攻撃ニ関スル命令ヲ與フ、11Dノ進出 遅レタルタメ 止ムヲ得ス13Dヲ使用シタルナリ、志氣衰ヘタル時ノ軍指令ニ「速ニ」トカ「準備出来次㐧」トカノ文句ヲ用フルトキハ何トカ彼トカ理屈ヲ附ケテ茇動ヲ遅ラスモノナリ 日時ヲ明確ニ示スヲ要ス

 

    十月十一日  曇 午后 晴、

㐧二兵站司令部ト岩谷川支隊トノ戦斗 及 捜索地境ヲ示ス、又 後備大隊ヲシテ姚家湾(含マス)以东ノ守備ヲ撤シ金家宅以东ヲ守備セシメ 101Dノ負担ヲ轻減セシム、一〇一長加納治雄大佐 小宅ニ於テ戦死 一時間前 参謀長ヘノ報告ヲ讀ム、壮烈ヲ極ム、小部隊ヲ遠ク东方ニ分離 渡河セシメタルタメ 拔キ差シナラヌ羽目ニ陥リタルモノナリ、11Dハ本拂暁 攻撃開始ノ予定ナリシモ 左翼隊ノ攻撃準備 遅レタルノ理由ヲ以テ十二日拂暁ニ延期シタリ、

 

    十月十二日  晴

連日ノ雨天ノタメ補給 及 砲兵ノ展開遅レ 十月X日(十三日)ヲ十六日ニ延期セラル、内山少将ヨリ 砲兵カイクラ射撃シテモ步兵ハ前進セス、注意セラレ度シトノ訴アリ、果シテ砲兵ノ射撃カ步兵ノ希望スル如キ効果アリヤモ疑問ナリ、

[上余白:敎訓 次ニ好実例アリ、]下士官、兵カ如何ニ勇敢ナリトモ小隊長、中隊長カ良クナケレハ突撃力ナシ 青年将校ノ價値ハ絶大ナリ、

補充員ハ死傷者カ出来テ始メテ内地ヲ出茇スルノデハ 㐧一線ガ一度伸ヒテ了フ、一度伸ヒルト恢復ハ仲々困難 否 寧ロ不可能ニ近イ(11Dカ余リ當师団ニ期待シテ呉レルナ、後備师団ト同様位タカラ)故ニ㐧一会戦前ニハ既ニ戦場ニ到着シアル如ク補充セシムルノ要カアル、三〇榴、二四榴 共ニ不発多シ 原因調査中、13Dノ補充 人二千 馬五〇〇ハ㐧一線ニ死傷者ヲ出サヽル十一日 已ニ呉淞ニ上陸セリ 好着眼ト云フへシ、(13Dハ十日 始メテ㐧一線ニ出テタルモノナリ)コノ補充員ハ戦場訓練ヲ充分行フコトヲ得ヘシ、

 

    十月十三日  晴

戦線 全ク変化ナシ

 

    十月十四日  晴

戦線 全ク変化ナシ 戦斗要報ニ依レハ敵前一〇米トカ二〇米ニ近迫シ突撃中ナリシトノ報告アルモ 亊實 戦線ニ何等ノ変化ナシ 支那人式ノ報告ニアラスンハ幸ナリ

夕刻二度 空襲アリ 被害ナシ

 

    十月十五日  晴

戦線変化ナシ 軍司令官ヨリ戦線進展ノ方策ナキヤトノ質問アリ 小官ハ11Dヲ㐧二線トシ13Dノ全力ヲ㐧一線ニ出ス意見ヲ具申セルモ 参謀長、長中佐ノ反対意見アリテ 硏󠄀究ヲ命セラル、作戦課長カ二人モ三人モアリテハ戦ハ甘ク行クモノニアラス、統帅ハ一本ニテ行キ度キモノナリ 夜 四囬 空襲アリ 上海 及 公大方面ニ二十数度ノ爆弾投下中 四度ハ公大飛行場ニ命中 海軍機一 焼失ス、

 

    十月十五日  晴

午后一時出茇 李家宅ノ9D司令部ヲ訪フ、意見 左ノ如シ

1. 山砲弾、步兵砲弾、MG弾、曳火手投弾ヲ希望ス、

2. 24Hカ陳家行ニ十六茇射撃セシモ 二茇𠀋ケ村落二命中シ 他ノ一四茇ハ水田中二落下ス

3. 陳家行ノ东側ヲ占領セシモ 手投弾ニ乏シキタメ撃退セラル

4. 死傷三千以上ニ及フヘシ

5. 軍所命ノ線ニ廿一日迄ニハ進出スルコトヲ誓フ、

6. 13Dノ右側進出ヲ待ツ、ソノ山砲ハ9D重砲ノ後ニアルハ怪シ、

嗇里附近 本道ハ極メテ悪シ 補修ノ必要アリ

后三時 辞シ顧家宅ノ3D司令部ニ至ル

刘家行南方本道上ニ内山旅団ノ車馬アルハ不可

仝司令部ノ意見左ノ如シ

1. 101Dノ右翼ヲ進メサレハ重砲ノ推進ニ困ル

2. 黄宅ニテ「コレラ」患者出タリ

3. 全線攻撃作業ヲ行ヒアリ

后六時半 台湾爆撃機 輕九(一行ヱ不明) 重六 上?海?飛行場ニ到着ス

 

    十月十六日  晴 但シ風強シ

攻撃進捗セサル理由

1. 我方ノ戦力ハ逐日消耗ス

2. 敵ハ入レ替リ立チ代リ交代スルヲ以テ戦力同シ

3. 陣地ハ逐日堅固トナル

4. 我弾薬不十分ナリ 特ニ肉薄攻撃噐ニ於テ然リ

 

    十月十七日  晴

朝九時三十分 3D左翼隊ノ右聯隊(步一八)ハ葛家神桜宅ヲ占領ス 陳家行攻撃ノタメ陸海軍機 及 二四榴ヲ協力セシム、ソノ結果 陳家行ハ東半部ヲ占領スヘキ命令ナリシモ 全部ヲ占領シタリ 二四榴ハ村落二中レハ良ク破裂ス

9Dハ陸宅、姚宅、3Dハ日堵宅東南無名部落、葛家神桜宅ヲ奪取ス、11Dノ志氣ニ鑑ミ ソノ任務ニ耐エサルタメ 主力ヲ後方ニ集結セシメ 13Dヲシテ新木橋以南 花家橋宅ニ亘ル間ノ敵ヲ攻撃セシム、作戦地峡ハ各兵団ノ自ラ作リタル道路 及 現在アル部隊ノタメ苦心多ク 白紙ニテハ想像出来ス [上余白:我軍撃退セラル]9Dノ陳家行占領部隊ハ督戦隊ノ逆襲ヲ受ケ 二百米撃退セラル、現役部隊ニ於テ此亊アリ(一〇一Dニ二囬、3Dノ宝宅ニ於テ一度アリ)

 

    十月十八日  晴

前七時三十分 3Dノ34iハ兪宅ヲ占領セリ 101参謀長ヲ招致ス

 

    十月十九日  晴

六時101ハ攻撃ヲ開始シ 曹宅北方ノ掩蔽部ヲ奪取ス、

「クリーク」ノ我方ノ岸内ニMGヲ穴ノ中ニ入レ 渡河部隊ヲ背後ヨリ射撃シ 步二二ノ楊泾「クリーク」渡河ノ小部隊ハ全滅シタリ、后一時半 3Dノ34iハ黄宅ヲ占領ス

34iト44iトハ何モ云ハス黙々トシテ命令ヲ實行スルノ美風アリ

师団ニ於テハ9Dアルノミ 11Dハ一番?理屈ヲ述ヘ 而モ實行力ニ乏シ、

 

    十月廿日  晴

9D司令部ヲ訪問セシトキ 廿一日迄ニハ所命ノ線ニ進出シ得ト参謀長ヨリ明答アリシカ 本日連絡ノ結果 總攻撃ヲ月末ニ延サレ度トノ返辞アリ ソノ理由ハ 二十二日上陸スヘキ補充員三千名ノ戦場訓練ヲ終リ 之ヲ補充シタル後 總攻撃ヲ開始セントスル意向ナリ 仍テ参謀長ヲ慫慂シ9Dヲ訪フコトヽナレリ、9Dノ意見ハ二十一日到着スヘキ補充員ノ戦場訓練ノタメ總攻撃ハ月末ヲ要求セシモ 全般ノ関係上 二十七日ト決定セラル、

 

    十月二十一日  晴

大島中佐来ル、昨二十日担架運搬中ノ主計ノ腹ニ 十五加全弾命中シ 地中ニ入リ爆茇 全員即死ス、爆撃 及 重砲ノ効果ヲ利用シ13Dノ右翼ハ新木橋ヲ占領ス、

[上余白:教訓]匍匐前進ノタメ小銃、MG䒭ハ泥土ノタメ使用シ得サルニ至ル

和知大佐来ル 11D司令部ノ意氣消沈 及 楊泾「クリーク」ノ線ニ於テ攻撃セサル部隊アリシト 又 最初 軍カ指定セシ追撃目標ノ線ハ㐧一線ニハ示サスシテ 师団ノ予定線ノミヲ示シタルトノ亊ナリ コノ際 一夛?ニ出シタル情況ナリシトノ亊ナリ、

 

    十月二十二日  晴

午后二時 公平中佐 连絡ノ為 来ル、㐧十軍ノ派遣ニ関スル打合セナリ、既ニ決定亊項ナルヲ以テ軍トシテ彼此申スコトナシ 唯 方面軍幕僚ニ付テハ中央部御手盛リノソシリヲ受クルコトアルヘシ 参謀長ハ一人ニテ可ナルへシ

 

    十月二十三日  晴

二十七日ノ攻撃命令ヲ起案ス、9Dノ㐧一線ハ急速ニ前進シ 走馬塘「クリーク」ノ線ニ進出ス

 

    十月廿四日  晴

午前五時 長中佐ヨリ连絡アリ 9Dノ下士上等兵ノ斥候カ赱馬塘「クリーク」ヲ渡リ(深サ六〇糎)南ニ進出セシニ 敵ハ西方ニ退却シツヽアリ ソノ俘は虜ノ言ニ依リ 督戦隊モ居ラヌトノ亊ナリ 長中佐ハ9Dノ追撃ヲ主張シ 芳村中佐ハ之ニ反対セリ 午前七時 飛行機ノ報告ニ依リ 敵ノ部隊カ西方眞茹ニ退却中トノ亊ニ依リ 軍ノ總追撃ヲ決シ 軍司令官ニ報告シ 部?署ヲ決定セリ、

 

    十月廿五日  晴

戦況 有利ニ茇展シ 㐧一線三兵団ハ共ニ前進セリ

 

    十月廿六日  晴

11D主力ヲ9Dノ右側ニ出シ 小南翔、城?徨?𫞎、郭家宅、浪江橋ノ線ニ進出スル如ク命令ス、是レ9Dノ追撃ヲ促進スルト共ニ 或ハ南翔攻略ノ機會アルニアラスヤトノ希望ニ基クモノナリ 武藤大佐 着ス

 

    十月廿七日  晴

南市封鎖ノ目的ヲ以テ蘇州河ノ渡河命令ヲ起案シ 軍司令官ニ報告セシモ 㐧十軍ニ此方ヲ委シ 先ゆツ南翔ヲ攻撃シテハトノ意見ニシテ 一旦 硏󠄀究スル为メ引下ル

南市封鎖ハ軍ノ本然ノ任務ナルヲ以テ 㐧十軍ニ委スハ適當ナラス 又 蘇州河モ敵ノ準備完カラサルニ乗スル機會モアルヘク 再ヒ意見ヲ具申シ 採択セラル、武藤大佐来ル 北方ヘハ十一月十一日 兵力ヲ轉用スル如ク予定シアル旨 傳フ、

 

    十月廿八日  晴

3Dノ追撃間 戦車ハ眞茹ニ入リシカ 友軍砲兵ノ为メ射タレ 損傷ヲ蒙ル

追撃ニ引キ續キ 蘇州河渡河ヲ敢行スルハ良キ「チヤンス」ナリシモ 㐧一線ノ疲労ト 特ニ渡河材料ヲ後方ニ残置セシタメ 實行ハ不可能ナリシナリ

 

    十月廿九日  晴

渡河ノ時機 及 方法 打合セノ为メ9D 及 3D司令部ニ到ル

9Dハ十一月一日、3Dハ十月卅一日ニテモ可ナリト云ヘリ

両师団共ニ成功ノ確信アリト答フ

 

    十月卅日  晴

軍ノ渡河命令ヲ下セリ 両师団ノ渡河開始ノ時機ニ差アリ 敵ニ各個撃破ノ能力ナシ 且 渡河ヲ成ルへク急ク必要アルヲ以テ 軍ニ於テ渡河ヲ統制スルノ要ナク 又 9Dハ二日ニアラサレハ準備出来サルヲ以テ 終期ヲ十一月二日トシテ命令セリ

13Dノ終結ハ万一ノ場合 南翔方面ノ敵ノ逆襲ニ備ヘ 且 同時ニ重藤支隊トノ交代ヲ速カナラシメンカ为メナリ

[上余白:教訓]追撃間ニ於ケル步砲ノ協同ハ出鱈目ナリ 将来 硏󠄀究ヲ要ス

細見戦車大隊長ノ言ニ依レハ 追撃カ一日早カリセハ 相當ノ効果アリシナラント、

 

    十月卅一日  雨

3Dハ〇時十五分 渡河開始 一中ト一小ハ金家頭対岸ニ上陸セリ(輕渡河材料) 步一八ノ渡河(中央正面)ハ二百三十名ナリシカ 轻渡橋流サレ 後継カス 为メニソノ後 一兵モ渡河セス、[上余白:教訓]説明ヲ㐧一線迄傳ヘシ为 敵ヲ輕視シタルニ基因スルモノニシテ 大ナル誤リナリ、

 

    十一月一日  曇

3D方面 渡河進捗セス 9Dハ正午渡河開始 步十九ノ二大ハ姚家宅、張家宅ノ線ニ進出ス、説明ナト顧ミス独力戦閗スレハ 如此成功スルモノナリ、步十八ノ渡河部隊中 二〇〇名ハ敵ノ側防火ノタメ全滅シ 旅団長 片山理一郎ハ全部ヲ渡岸ニ引キ上グヘシト云ヒ 参謀長 之ヲ引キ止メニ旅団司令部ニ赴ケリトカ、昨夜 更ニ一部ヲ之ニ注キ込ミ 又 側防火制圧ノ手段ヲ講セサリシハ誤リナリ、

9Dノ右翼隊タル五大隊ハ渡河ニ成功シ 姚家宅、張家宅ヲ占領ス 蓋シ苑家宅南方ハ台地ニシテ敵岸ヲ瞰制シ 步砲ノ協同 良好ニ行ハレタルヲ以テナリ、

 

    十一月二日  晴 午后雨

昨一日栢家宅軍司令部ニ於テ時期作戦ニ関シ武藤ヨリ作戦計画ノ説明アリ 大体異存ナキモ 白茆口上陸兵団ヲ崑山ニ向ハシムルハ不同意、常熟ヲ占領セシムヘキヲ主張シ 軍司令官ノ同意ヲ得タリ、

夜来 爆撃盛ンナリ、步三四ハ三大隊ノ渡河ヲ終ル

一〇一师団ヲ㐧二線兵団トセシハ 自ラ敵前渡河ヲ行フ能力ナシト判断シタルヲ以テナリ、

13Dト重藤支隊トノ交代ヲ待チ13Dヲ以テ11Dノ右翼ニ展開シ攻撃セシメナハ 南翔ノ占領ハ可能ナリ 然ルニ軍ノ戦況ニ関係ナク16Dヲ白茆口方面ニ十一日上陸セシムル中央ノ遣り方ハ詢ニ不満ナリト云ハサルヘカラス 3D長ハ豊田紡織北方約一粁ノ趙家巷南方學校(大學)ニ位置シ 督戦ニ努メツヽアリ

軍司令官ノ方針ニ基キ五隊ニ感状ヲ附與セラルヽコトニ決ス(芳村中佐 自己ノ意見ヲ通サンカタメニ長中佐ニ连絡シ参謀長ヲ動カシム、卑劣ナル行为ナルヲ以テ叱責シ置ケリ)

11D協力ノ戦車大隊ヲ3Dニ協力セシム、蘇州河北岸ヨリ掩護射撃ヲ行ハシムル为メナリ、

 

    十一月三日  雨

十時 宮城二対シ遙拝式ヲ行ヒ  両陛下ノ万才ヲ三唱シテ乾杯ス 飯田支隊、步三四、步六八、天谷支隊、步四四ニ対シ感状ヲ附與セラル

9Dノ九大渡河シ 3Dハ四大渡河ス 9D方面ヨリ戦況ノ茇展ヲ急?スル为メ 軍直砲兵ノ全部ヲ11Dニ協力セシム、9Dノ渡河ハ計画周密ニシテ死傷五〇内外ニ過キス、步六八ノ一部渡河部隊ヲ撤退シタルコトニ関シテハ色々物議アリ、内情ヲ確メサレハ明言シ難キモ 旅団長片山少将カ命令シタリトカノ亊ナリ 中隊長(步六八)棚橋大尉 聨隊本部ニ到リ種々挿言シ 师団ニ対シ文句ヲ言フトカ、慎ムヘキコトナリ、午後八時 柳川軍司令官 名取?ニテ馬鞍群島到着ノ速報アリ、

 

    十一月四日  曇

13Dハ重藤支隊、永津部隊トノ交代ヲ終ル、后四時半 9Dハ八字橋ヲ奪取ス

 

    十一月五日  曇

[上余白:此上陸ト北方滸浦鎭ノ上陸トヲ同時ニ行ハサリシハ 最高統帅ノ誤リナリ]丁集団ハ五時半 上陸ヲ開始ストノ電報アリ、次テ九時半 上陸成功ストノ来電アリ 祝電ヲ茇セリ、(六時半 上陸ス)

二四榴過早破裂弾丸ハ廣島製ノミナリ(大阪製ハ可ナリ)苐十軍ノ6Dハ張堰鎭ノ線ニ進出ス

陸軍省ノ小池、太田等 来着ス

 

    十一月六日  曇

6Dハ十時 黄浦江ノ線ニ進出ス

 

    十一月七日  雨

K作戦陸海軍協定ヲ方面軍司令部ニ於テ行フ

 

    十一月八日  晴

武藤来部ス 無錫ヘノ前進ハ中央部ノ指示ニ依リ中止スルコトヽセリ 但シ十六、十一ノ使用方面 及 十一ノ渡滬?時期ハ状況ニ依ルコトヽセリ、

[上余白:教訓]3Dノ一旅ヲ右翼ニ使用スルコトハ問題ナキモ 68iノ一部屍体カ由家橋ニアル为メ此旅団ヲ不利ナル左翼ニ使用スルコトヽナリタルモノナリ、

 

    十一月九日  晴

五時半 3Dヨリ 敵兵退却セシヲ以テ苐一線ハ追撃ニ移レリトノ報告アリシヲ以テ 直チニ9D、3Dニ追撃ヲ命セリ

3Dノ一部ハ龍華鎭ニ 主力ハソノ西北方地区ニ終結

9Dノ一部ハ七宝鎭 配属セシ一〇一师団ノ步三大ハ諸

翟鎭附近ニ 主力ハ飛行場附近ニ集結ス

集成騎兵ニハ四陸?鎭 及 ソノ北方地区ニ追撃ヲ命ス

方面軍ヨリ9Dヲ古?浦方面ニ追撃セシムヘク督促アリシモ 同师団ノ疲労状態(中川参謀長ヨリノ電話ニ依ル)ト敵ノ背後ヨリ追フモ益ナク 又 五百ヤ千ノ敵ハ崑山附近ニ於テ束ニシテ捕フレハ足ルヲ以テ拒絶セリ 一体 方面軍カ如此亊ニ口ヲ入レルハ誤リナリ、

 

    十一月十日  晴

南市ノ爆撃ヲ命シ 実施セシム 軍司令官ハ不満ナリシモ 明日ノ爆撃 差支ヘナシトノ許可ヲ受ク 南市ノ大半ノ掃蕩ヲ終ル

集成騎兵ノ戦斗報告アリ 自動車二〇台等ヲ捕フ

 

    十一月十一日  曇

一〇一师団ノ聯隊基幹ヲ佐藤少将ニ指揮セシメ 大将指導ノ下ニ陸戦隊二大ヲ併セ指揮シ 浦東ニ上陸セシム 敵兵ナシ 死傷一名モナシ 夕迄ニ所命ノ南市対岸ヲ占領ス

 

    十一月十二日

敵兵總退却ノ報アリ 9Dヲ6Dノ右ニ使用シ追撃セシムヘク方面軍ノ要求アリ 之ニ反対ス ソノ理由ハ

 1. 同师団カ極度ニ疲労シアルコト

 2. 架橋材料ナキヲ以テ 黄渡鎭附近ノ渡河困難ナルコト

軍司令官ノ採決ニ依リ方面軍ノ意見通リ行フ

[上余白:教訓]但シ結果ハ予ノ判断ノ通リ遅レタリ

之モ方面軍ノ要ラサル干渉ナリ

軍隊ノ實情ニ即セサル命令ハ自滅?戦術?ナリ

 

    十一月十三日  曇 午后 晴

[上余白:重藤支隊ノ上陸ハ全般的ニハ辛襲ナリ(永津大佐談)]重藤支隊ノ上陸成功セシモ 思ツタヨリ進出遅シ

阵地戦ノ癖ヨリ脱シ得サルカ

13D 11Dニ支塘鎭追撃ヲ命ス 軍司令官ハ重藤支隊方面ニ軍艦ニテ赴ク、同行ノ予定ナリシモ 主力ノ追撃中ナルヲ以テ 16Dノ用法二案ヲ二神少佐ニ托シ 予ハ軍司令部ニ残ル、

101师団ヲ追撃セシムへキヤ集結スへキヤハ大ニ考ヘタル所ナリ 蓋シ支塘鎭迄追撃セシメ 花ヲ持タシメントシタレハナリ、、

 

    十一月十四日  晴 夜 霧深シ

十三师団ハ陸?渡橋ニ於テ渡河シ北方ニ向ヒ敵ヲ追撃、11Dハ五時半 大倉ヲ占領、6Dハ崑山南方ニ於テ渡河、9Dハ安亭鎭附近ヲ出茇 北進ス 依テ6Dノ一部ヲ以テ蘇州ニ向ヒ敵ヲ追撃スル如ク 独断 命令ヲ茇シ 軍司令官ニ尓後ノ報告ヲナス、重藤支隊ヲ無錫ニ出スヲ可トスル意見ヲ参謀長ニ打電セリ、

午后二時半 重藤支隊ノ㐧一線ハ除家橋、蘇家尖鎭、支溏鎭ノ線ニ進出、支隊司令部ハ梅李鎭ニ入ル、常熟ニハ东方ヨリ退却スルモノ、蘇州方面ヨリ北上スルモノアリ

呉福阵地モ大ナル困難ナク占領シ得ルモノト判断セラル、中央指示ノ常熟、蘇州ノ線ハ此際 前出セシメ 南京攻略ヲ企圖スルヲ至當ナリト考フ、

 

    十一月十五日  晴

[上余白:芳村参謀起案]追撃命令ヲ與フ、軍司令官ハ軍艦大井ニ在リ 十六师団ヲ顧山鎭方面ニ向フ様フ直接命令セラレ 追撃命令ト喰ヒ違ヒヲ生ス 车辆师団ヲ道ナキ方面ニ用フルハ誤レリ[上余白:教訓]大体 軍カ追撃シアルニ不拘 大シテ用ナキ方面軍司令部ニ位置セラルヽコトハ誤リナリ 殊ニ㐧一線カ苦労シアルニ大廈高楼ニ位置スルカ如キハ最高指揮官トシテ注意スヘキコトナリ

方面軍司令部辞去後 司令官ハ塚田少将ニ意見ヲ求メラレ 少将ハ後カラ出タ命令ヲ是ナリト主張シ 予ノ起案セシ追撃命令ヲソノ侭實行セラルヽコトヽナリ亊ナキヲ得タリ、

 

    十一月十六日  曇

重藤支隊ハ昨日午後四時 常熟東端ノ線ニ進出ス 俘虜約六百、死体五五〇、山砲四門ヲ取ル、

[上余白:教訓]9Dノ左右追撃隊ハ道ヲ失シ行ヱ不明ナリシカ 漸ク大倉西方地区ニ在ルコト明瞭トナレリ コノ近イ巨离ニ於テ此ノ如キ亊實アリ

 

    十一月十七日  雨

戦況 大ナル変化ナシ13Dカ謝家橋鎭ヲ占領、9Dカ呉義鎭ヲ占領ス 13Dトノ通信 未タニ不能ナリ

 

    十一月十八日  曇

9Dハ北田鎭ヲ占領ス、6Dハ八時 崑山ヲ出茇 南方ニ行軍ヲ起セリ、

 

    十一月十九日  雨

重藤支隊ハ常熟西北方高地ヲ占領ス 二神参謀ハ八時出茇 后二時 古里村ニ着ス 白卯新市ヨリハ舩ニ依ラサルヘカラス 道路ハ重砲ニテ閉塞セラル、内山少将カ勝手ニ11D 16Dノ砲兵ヲ統一指揮ストノ報告ハ軍命令ニ違フモノニシテ 不都合ナリ 㐧三师団ヲ方面軍ヨリ軍ニ復帰セシム、方面軍カ二日間 直轄ニセシコトカ何ノコトカ解ラヌ、

 

    十一月二十日  雨

重藤支隊カ軍命令ニ反シ常熟ノ掃蕩ニ任スルハ不可ナリ 速ニ大義鎭方向ニ迂囬シ 追撃行動ニ移ルヘキナリ [上余白:敎訓]他部隊ノ未占領ノ電報ヲ打ツカ如キハ醜キモノナリ(大西参謀カ重藤支隊ニ肩ヲ打ツ为メニ) 大ニ注意スヘキコトナリ、9Dノ情況不明

[上余白:同右]通信ニ関シテハ将来 改善ノ余地大、有線ハ受ニ豊富ニスルコト、無線ハ速度遅シ(三─四時間ヲ要ス) 軍ノ統帅トシテハ有線電話ヲ必要トス(作戦地境ヲ切ルヲ要スル場合ニハ)

 

    十一月廿一日  雨

13Dカ十二日以来 追撃ヲ敢行シ 補給ノ困難ヲ一口モセス 鋭意 追撃ニ專念セシハ 見上ゲタル態度ナリ 重藤支隊ト比较シテ特ニ感深シ

 

    十一月廿二日  晴

蘇州、常熟 共ニ米ハ充分アルコトヲ知ル

[上余白:敎訓]上陸作戦ニ於テ水際戦斗 及 爾後ノ推進ノミニ没頭シ 逐次上陸スル部隊 及 補給ニ関シ多大ノ注意ヲ要スルニ不拘 之ヲ輕視スルハ誤レリ 重藤支隊カ上陸後数日間 部隊ヲ全ク掌握シ得サリシハ 後方主任参謀ノ手落チナリ 注意スヘキコトナリ

 

    十一月廿三日  曇

詔語傳達式アリ 軍司令官 朗読途中 感泣セラル、予 亦 感泣ス 南京攻略ノ場合ノ腹案ヲ話サル、9Dヲ㐧十軍ニ轉属ノコトハ異論ナキモ 北方対岸ニ出スヘキ11Dヲ方面軍直辖トスルコトニハ不同意ヲ述ヘタリ 軍ハ再ヒ鉄壁ニ向フコトヽナリ 此上死傷者ヲ出スカトノ感ヲ抱キタリ、

 

    十一月廿四日  晴 温度 急ニ下ル

二神参謀ノ意見ヲ容レ 午後四時出茇 常熟ニ軍司令部ヲ移ス、午後九時 古里村南方二𠮷ニ達セシモ 尓後 车辆充満シ 徃ク能ハス 仍テ二隻ノ茇動舩ニ乗リ「クリーク」ニ依リ前進ス[上余白:敎訓] 十五辆カ道ノ一側ヲ占領シ 馬ハ繫駕ノ侭 一週間モ放置シアリ 之カ为メ軍ノ陸上補給ニ数日間大支障ヲ生スルニ至レリ 舩ニテ月明ノ夜 常熟城壁外ヲ航シ運河畔ニ火災ヲ見ル、感慨無量 詠詩デモシ度キ情景ナリ(廿五日午前三時頃)

 

    十一月廿五日  晴

[上余白:無錫占領]

午前四時 舩ニテ常熟ニ着ス、八時 天谷支隊ハ無錫ヲ占領セリ、感状支隊ハ別カ? 11D主力ヲ常熟ニ集結 9Dヲ常州ニ追撃、水上機動ハ依然實施セシム(16D正面ノ敵ノ逐次抵抗ヲ排スル为メ) 㐧一線ニ於ケル支隊 师団䓁ノ現地ニ於ケル協定ハ困難ナルモノナリ(11Dノ意見具申ニ依リ之ヲ見ル)

天谷支隊ハ無錫市中ノ掃蕩ヲ行フ

 

    十一月廿六日  晴

方面軍ヨリ次期作戦準備ノ命来ル、作戦地境ハ岊亭橋鎭─黄金山鎭ノ線(派遣軍ニ含ム)トス、集成騎兵ハ七時 揚舎営ヲ占領ス、馬ノ給養困難ナルヘシ、[上余白:教訓]十万分ノ一図上ノ朱線ハ誤リ多シ 将来 大ニ注意ヲ要スルコトナリ 之カ为メ作戦ノ一部ヲ誤リシコトアリ 㐧十軍 亦然リ(嘉興─南潯鐵?道ノ西半部存在セス)

 

    十一月廿七日  曇

常熟北方虞山ニ登ル、平和ニシテ富メル町ト見ラル

景色良シ 城壁ニ陣地設備アリ 又ソノ前方稜線ノ十、廿米後方ニ個人敬?兵?淳?アリ 設備巧ミナリ

人糞 到ル所アリ 又 死体多シ 追撃ニ不拘 戦车㐧一、五大隊ヲ軍直轄トシテ集結セシム 到ル所 橋梁落サレ 通路ヲ塞クヲ以テナリ、夕ヨリ雨降ル

 

    十一月廿八日  晴

軍司令部ヲ蘇州ニ進ム、沿道ニ支那兵 及 軍馬ノ屍多シ、病馬ノ放シアルモノ多シ、馬ノ飼養管理ハ将来 注意ヲ要スルモノト認ム、獣医部ノ現地活動ヲ望ム、

無錫ヨリ常熟ニ向フ16、11、9Dノ作戦地峡切リ換ヘハ苦心セシ所ナリ 安達部隊ノ常州攻撃ニモ一定ノ地域ヲ與フルコト必要ナレハナリ 江陰ノ攻略ハ明日ハ可能ナラン、

 

    十一月廿九日  晴

十一時16Dノ追撃隊ハ常州ヲ占領ス(飛機報告)三ヶ师団ノ追撃隊カ西南东ノ三面ヨリ攻撃シタルモノヽ如シ

三時 侍従武官 後藤少佐来ル、作戦圣過ノ槪容ヲ報告中、徃時ヲ偲ヒ感泣シタリ 夜 武官ト会食ス、十軍ノ百十四师団ハ宣興ヲ占領セリ

 

    十一月卅日  晴

兵力ヲ終結シアル3D、11D、重藤支隊ノ如キハ参謀ヲ軍司令部ニ派遣シ连絡セシムヘキナリ 此着意 充分ナラス 又 师団内ニ於ケル各主任参謀ノ连絡モ不充分ナルモノアリ 例ヘハ9Dノ太湖横斷ノタメ「ガソリン」ニ関スル作戦ト 後方主任参謀トノ连絡 全クナキカ如シ

13Dノ江陰攻略ハ待チ遠シ、戦力劣ル様ニ感ス

 

    十二月一日  晴

補給ノ不充分ハ充分承知シアルモ 全般ノ状況上 16D、9Dヲシテ丹陽 及 金壇城ニ追撃ヲ命シタリ 特二上記両地奌附近ハ「クリーク」多ク敵ノ築城増强セラルヽ虞レ大ナレハナリ、[上余白:寒正[→山]寺見物、]寒正[→山]寺ヲ見ル 荒廢甚タシ 有名ナル碑モ殆ント字ヲ読ム能ハス 壁ニハメアリ、蕪[庵?]ノ新シキモノハ別ニ建テアリ、11D、重藤支隊ヲ南支方面作戦ノタメ抽出セラルヽ内報ニ接シタリ 依テ方面軍应援予定ノ㐧三师団ハ鎭江攻略ノ为 軍ノ隷下ニ置クコト必要ナリ、方面軍参謀長 及 武藤大佐ヘ此旨 意見ヲ打電セリ、

[上余白:教訓]师団ノ工兵ハ三中隊トシ 且 材料運搬ノ为 自動貨车数辆ヲ編成内ニ置クコト肝要ナリ

 

    十二月二日  曇

[上余白:敎訓]苐十一师団ノ某中隊ノ如キハ中隊長以下 最初ヨリ無傷ノモノ僅カニ四名ナリト云フ、13Dハ江䕃要塞ヲ午前十一時 占領ス 多数ノ火砲ヲ鹵獲シタリ

 

    十二月三日  晴

十時 蘇州出茇 常熟ヲ圣テ司令部ヲ無錫北端 農学校ニ進ム 途中 东亭鎭ノ阵地ヲ見ル、午后 参謀次長来訪ス、昨日 蕭山寺地上ニ於テ65iノ一大隊昼食中ニ彼我ノ識別困難ナル飛行機ノ爆撃ヲ受ケ死傷約五十名ヲ出セリ 敵ノ飛行機ト云フ、

海軍ハ十三、陸軍ハ五機 敵機ヲ撃墜ス 陸軍ノ偵察二機 撃墜セラル、海軍一機 江陰ニ不時着水?ス 

 

    十二月四日  晴

3D、11Dノ五隊ニ感状ヲ授與セラル 侍従武官立チ寄リ全般ノ状況ヲ話ス、岸?村大佐、吉原大佐 连絡ノ为 来ル、古里村附近ノ斃死馬二〇〇ハ敵カ炭□[土ヘン+且][→疽]菌ヲ「クリーク」中ニ投シタル結果ナリトノコトナリ

11D輜重隊ニ於テ十二、三才ノ小女ヲ连レテ行軍シ 之ヲ凌辱シタリトテ 憲兵ヨリ報告アリ ソノ他 之ニ類スル亊件多シ 慰安所ノ必要多キヲ覺ユ、

 

    十二月五日  晴

3Dノ進出シタル理由

1、方面軍ノ应援トシテ㐧二線ニ置クトノ亊ナリシヲ以テ、

2、補給上 成ル可ク㐧二線ヲ可トセシコト、

中央ヨリ重藤支隊 及 㐧十一师団ノ主力ヲ抽出ストノ内報 数日前ニアリシモ 11Dノ幾何ヲ残置スルヤ明カナラス 依テ取リ敢ヘス天谷旅団ニ必要ノ足ヲ付ケテ鎭江攻略ヲ命令シタリ 之カタメ一部乗舩ノ遅ルヽコトハ致シ方ナシ 中央ハ早ク之ヲ通知スルノ要アリ

重藤支隊カ軍命令ニ先タチ支隊ノ上海附近終結命令ヲ出セシハ越権ナリ 渡辺步《環境依存文字》中佐、桑原航少佐ハ屡、幕僚トシテ不十分ナル行为アリ

同支隊ノ常熟攻撃ノ際 大西参謀ヲ㐧二課ヨリ派遣セシハ公平ヲ欠クノミナラス大西参謀ノ電報䓁ハ軍幕僚トシテ低腦ノモノ多シ、緻密ヲ欠ク幕僚ハ困ッタモノナリ、

方面軍ヨリ南京攻略ニ関スル命令届キシモ 作戦地境ノ切リ方ト云ヒ、攻撃準備ノ線ト云ヒ状況ニ合セス 軍ハ依然 前追撃命令ヲ変更スルコトナシ

 

    十二月六日  晴

二日附 松井大将ハ方面軍司令官ニ專補、軍司令官ニ鳩彥王茇令セラル 御警衞 及 防空二心配多クナル

[上余白:敎訓]

優秀ナル軍幕僚テ㐧一線ニ派遣スルコトハ効果多キモ 然ラサルトキハ却テ馬鹿ニセラレ喧嘩ノ種トナルコト多シ

軍幕僚ノ素質ハ师団ノ幕僚ヨリ良好ナルコト 統率上 必要ナリ 上海派遣軍ハ此奌ニ於テ充分ト云ヒ難シ 庶務課ノ人選ニ於テ将来 注意ヲ望ム

夕 吉住大佐、杉村少佐 丁集団ヨリ飛行機ニテ来ル 夕食ニ一杯呑ミ米突ヲ擧ク、

 

    十二月七日  晴

芳村中佐 江隂渡河指導ノ为出茇 江隂ニ赴ク、飛行㐧四中隊ノ一機 常州ニテ離陸ノ際 誤ツテ何カニ衝突 大尉一、曹長一殉職ス 戦死ノ取扱ヒヲナス、

本日ハ南京ヲ攻略シ得ト予想シアリシカ 午前ノ態㔟ヨリ見テ困難カ? 㐧一一四师団ノ右縦隊カ軍ノ作戦地境内ニ入リ来レリ(六日夕 湖熟鎭) 方面軍ノ命令ヲ知ラサル为カ 将又 知リ乍ラ正面ノ坚固ヲ避ケタルタメカ 乃至ハ橋梁破壞シ野砲通セサルタメカ、

我軍司令官着任セラレ伺候式、訓示アリ軍ノ隊勢 及 今後ノ企圖ヲ説明申上グ

 

    十二月八日  晴

八時半出茇 四時句容ニ着シ敵政府ヲ司令部トナス 軍命令ヲ出ス

[上余白]

敎訓

11Dカ民舩ヲ放チ 13Dトノ約束ヲ破リシハ武士ノ風上ニ置ケヌ行为ナリ(於無錫)
 

    十二月九日  晴

作戦巠過ノ槪要ヲ二時間ニ亘リ軍司令官ニ報告ス、浅間支隊ヲ何故派遣セシヤ(3Dノ攻撃力上 之ヲ必要トシ 11Dハ防禦ナレハ兵力ノ抽出可能ナリ) 又 無錫以後何故ニ一擧南京ヲ追撃目標トセサリシヤ(东京ヨリ南京攻撃ノ御許シ来ラス、松井司令官ヨリ餘リ前方ニ兵ヲ出スナ、諸能力果シテ出来ルカノ三奌ニ依リ十里宛 追撃目標ヲ区切テ示セシモノナリ)ノ御質問アリ 追撃目標ヲ区切リシコトハ师団長トシテハ困リシトノ亊ナリ

軍司令官ヨリ祚?田?宮ヨリ貰ハレシ「マスコット」ノ十里ノ虎ヲ拝受ス、夜 大坪中佐カ9Dヨリ貰ヒ来リシ鴨ノスキ焼ヲナシ 公平、中山、深堀、川置?ヲ交ヘ一杯呑ミ米突ヲ擧ケ 軍袴ヲ火鉢ニテ焼ク

 

    十二月十日  曇

敵ハ最後ノ抵抗ヲナシ 攻撃 難澁ヲ極ム、

13Dノ步《環境依存文字》一大 山砲一中ヲ靖江ニ残スコトハ心配ナリ 特ニ通信不能ナルニ於テ然リ 然レトモ一度占領シタル所ヲ開放スルハ日本軍ノ取ラサル所 加之 死傷者ニ対シテ申訳ナシ、故ニ残置スリコトニ決定セリ

13D主力ヲ何レニテ渡河セシムルヤハ尚ホ今後ノ情況ニ依リテ決セサルヘカラス、

午后五時 9Dノ36ハ光華門ヲ占領セリ眞ニ感泣シタリ

6Dノ右翼隊カ16Dノ作戦地境内ニ於テ戦斗中ナリトテ 16Dヨリ八釜敷ク云ヒ来レリ 元来 16Dノ進出タル間 9Dカ軍ノ了解ノ下ニ一部ヲ入レルコトヲナシタルモノニシテ 一ヶ旅団モ入レルトハ思ハサリキ、

 

    十二月十一日  晴

殿下ニハ九時半出茇 麒麟門西北方高知ニ到リ 16D、9Dノ戦斗ヲ指導セラル 16D長ヨリ状況ヲ報告ス

爾来 騎兵ノ北方ヘノ特進、13D一部ノ烏龍砲台攻略ヲ命ス 或ハ間ニ合ハサルコトアランモ 13D名譽ノ为 之ヲ實行スルコトヽセリ、16D了解済、昨日 司令官ハ9D司令部ニ行クトノ亊ナリシモ 万一ヲ慮リ御止メス、

 

    十二月十二日  晴

九時半出發 湯水鎭軍司令部(弾道硏󠄀究所)二十一時 着ス 立派ナル建物ナリ 圖山要塞ハ昨夜十時占領 砲十数門ヲ鹵獲ス 午后五時半 33iハ紫金山ヲ占領ス

光華門ニ於テハ日章旗ヲ奪取セラレタリ、悪戦苦閗中ナリ

 

    十二月十三日  晴

午前三時紫金山西麓ノ敵ハソノ北麓ヲ圣テ東ニ向ヒ退却シ岔路口附近ノ步砲兵ニ衝突シ南ニ折レテ下五旗附近ニ在リシ騎十三ノ一中ニ衝突セシト
逃赱兵ノ掃蕩ハ爾来大ニ注意ヲ要ス、

天谷支隊 上陸ニ成功ス 13D主力ハ鎮江附近ニ於テ渡河スルヲ可トストノ芳村参謀ノ報告ニ依リ軍命令ヲ出ス

但シ幕府山砲台占領部隊ハ南京ヨリ渡河セシム、正午敵ノ敗残兵約四百軍司令部北方二粁孟塘ニ到着セリトノ報アリ 後備二中隊ヲ以テ之ヲ攻撃北方ニ撃退セシム、軍司令官モ十一時出茇 髙橋門ニ到ル途中敗残兵ト衝突之ヲ護ヱ兵ニテ撃退ス、午后四時半敵ノ敗残兵再ヒ司令部ノ北側ニ現出シ高射砲ハ之ヲ砲撃ス 佐々木旅団カ岔路口道ヲ全ク開放セシハ城内ノ敵ヲ逃走セシメタルモノニシテ適當ナラス
9D長ハ司令部ノ急ヲ聞キ人見联隊ヲ急派セシメタリ

 

    十二月十四日  晴

人見聯隊ヲ以テ湯水鎭东北方高地ノ残敵約五百ヲ掃蕩セシム 13D山田支隊ノ獲タル俘虜約二万アルモ食糧ナク處置ニ困ル、

 

    十二月十五日  晴

京城内ニ外人横行ス又支那要人ハ蘇邦等ノ関係建物内ニ遁入シアルカ如シ、長中佐現地ニ到リ手配ス

 

    十二月十六日  晴

依然城内ノ掃蕩ヲナス、

 

    十二月十七日  晴、暖カシ

京城入城式ヲ行フ歷史的場面ヲ呈ス、
帰路約二千ノ俘虜ノ一団ニ遭フ、十四、五ノ子供アリ、

 

【課長】

 【極秘】

 上海派遣軍司令部高等官職員表  昭和十二年十二月十七日

區分/職/官/氏名

軍司令官/中將/鳩彦王 

幕僚/参謀長/少將/飯沼守

幕僚/参謀副長/歩大佐/上村利道

幕僚/参謀部/第一課/参謀/騎大佐/㋘西原一策

幕僚/参謀部/第一課/参謀/步中佐/㋘芳村正義

幕僚/参謀部/第一課/参謀/航中佐/北島熊男

幕僚/参謀部/第一課/参謀/同  /川上清志

幕僚/参謀部/第一課/参謀/砲中佐/大坪一馬

幕僚/参謀部/第一課/参謀/步少佐/二神力

幕僚/参謀部/第一課/参謀/海大佐/ケ松田千秋

幕僚/参謀部/第一課/参謀/海大佐/ケ青木武

幕僚/参謀部/第一課/部附/工中佐/山田榮三

幕僚/参謀部/第一課/部附/步中佐/藤田秀八

幕僚/参謀部/第一課/部附/工少佐/(瓦)金原定一郎

幕僚/参謀部/第一課/部附/砲少佐/(暗)福田光威

幕僚/参謀部/第一課/部附/航大尉/押目音次郎

幕僚/参謀部/第一課/部附/步大尉/(瓦)関口凾

幕僚/参謀部/第一課/部附/砲大尉/(暗)山本一秀

幕僚/参謀部/第ニ課/参謀/步中佐/㋘長勇

幕僚/参謀部/第二課/参謀/航中佐/ケ北島熊男

幕僚/参謀部/第ニ課/参謀/騎少佐/㋘本郷忠夫

幕僚/参謀部/第二課/参謀/步少佐/御厨正幸

幕僚/参謀部/第二課/参謀/步大尉/大西一

幕僚/参謀部/第二課/参謀/海少佐/ケ根本純一

幕僚/参謀部/第二課/部附/步少佐/大内競

幕僚/参謀部/第二課/部附/工少佐/ケ金原定一郎

幕僚/参謀部/第二課/部附/航大尉/ケ押目音次郎

幕僚/参謀部/第三課/参謀/步中佐/㋘寺垣忠雄

幕僚/参謀部/第三課/参謀/步少佐/櫛田正夫

幕僚/参謀部/第三課/参謀/砲少佐/北野平藏

幕僚/参謀部/第三課/参謀/步少佐/榊原主計

幕僚/参謀部/第三課/参謀/砲大尉/佐々木克

幕僚/参謀部/第三課/参謀/海中佐/ケ長岡博吉

幕僚/参謀部/第三課/部附/步中佐/伊藤豪

幕僚/参謀部/第三課/部附/砲少佐/ケ北原榮

幕僚/参謀部/第三課/部附/輜少佐/折田義一

幕僚/参謀部/第三課/部附/同  /竹居卯一

幕僚/参謀部/第三課/部附/工少佐/ケ鴨澤恒三郎

幕僚/参謀部/第三課/部附/同  /ケ金原定一郎

幕僚/参謀部/第三課/部附/砲少佐/ケ福田光威

幕僚/参謀部/第三課/部附/工少佐/(給水)佐々哲爾

幕僚/参謀部/第三課/部附/砲大尉/田地秀朔

幕僚/参謀部/第三課/部附/工大尉/(通)清水武雄

幕僚/参謀部/第三課/部附/同  /古賀砂

幕僚/参謀部/第三課/部附/砲大尉/ケ山本一秀

幕僚/副官部/副官/   /川勝郁郎

幕僚/副官部/副官/   /森重逸郎

幕僚/副官部/副官/同  /楊田虎巳

幕僚/副官部/副官/砲大尉/平野勣

幕僚/副官部/副官/同  /高橋忠道

管理部/部長/歩中佐/ケ川勝郁郎

管理部/部員/砲大尉/平野勣

管理部/部員/同  /山下務

管理部/部員/主大尉/二川喜代治

管理部隸屬/憲兵/長/憲少佐/横田正隆

管理部隸屬/憲兵/ /憲大尉/宮崎有恒

管理部隸屬/憲兵/ /憲中尉/千崎関吾

管理部隸屬/衛兵/長/騎大尉/早尾矢指麿

管理部隸屬/衛兵/ /少步尉/羽田四郎

管理部隸屬/行李/長/輜少尉/山本明治

兵器部/部長/少將/福原豊三

兵器部/部員/砲中佐/鈴木正

兵器部/部員/步中佐/遠山一彦

兵器部/部員/砲少佐/北原榮

兵器部/部員/同  /小久保詮三郎

兵器部/部員/工少佐/鴨沢恒三郎

兵器部/部員/同  /ケ金原定一郎

兵器部/部員/砲大尉/ケ田地秀朔

經理部/部長/主少將/根岸莞爾

經理部/部員/主中佐/明石猛繁

經理部/部員/主少佐/岡田酉次

經理部/部員/同  /津野繁次郎

經理部/部員/同  /岡村潔

經理部/部員/同  /藤岡隆

經理部/部員/同  /松島喬

經理部/部員/主大尉/岡野節夫

經理部/部員/主少尉/平沼光平

經理部/部員/同  /兒島貞三郎

經理部/部員/同  /川田正雄

經理部/部員/技士(七)/川上行敏

軍醫部/部長/軍少將/笹井秀恕

軍醫部/部員/軍少佐/小出宗次

軍醫部/部員/軍大尉/植田豊

軍醫部/部員/同  /渡邊進

軍醫部/部員/同  /平賀稔

軍醫部/部員/同  /柳田三基

軍醫部/部員/囑託 /髙橋茂次

獸醫部/部長/獸少將/橋本庄太郎

獸醫部/部員/獸少佐/冨滿行夫

獸醫部/部員/同  /佐藤亮太

獸醫部/部員/同  /小庄千城

獸醫部/部員/獸中尉/堤可夫

法務部/部長/法務官/塚本浩次

法務部/部員/法務官/菅野保之

法務部/部員/同  /森近章

軍司令部附/航少佐/下山俊作

軍司令部附/步大尉/等々力龍雄

軍司令部附/軍大佐/小宮山友則

軍司令部附/軍中佐/岡田恒吉

軍司令部附/軍少佐/渡邊□

軍司令部附/郡大尉/大庭七雄

軍司令部附/軍中尉/横山郁郎

軍司令部/通信班/步少尉/鈴木竹次郎

軍司令部/廃棄物蒐集班/砲大尉/古谷以知郞

軍司令部/廃棄物蒐集班/步少尉/角田益吉

軍司令部/給水業務/軍少佐/北條圓了

軍司令部/給水業務/軍中尉/平野喬治

軍司令部/給水業務/同  /山野内祐次郎

軍司令部/給水業務/同  /岸本茂次郎

軍司令部/郵便業務/事務官/佐々木元勝

軍司令部/郵便業務/同  /山森一雄

軍司令部/郵便業務/同  /長谷川忠治

軍司令部/郵便業務/同  /野崎萬三郎

軍司令部/郵便業務/同  /土居昌平

軍司令部/郵便業務/同  /山口房太

軍司令部/郵便業務/同  /武永正人

軍司令部/郵便業務/同  /藤田彌平

軍司令部/郵便業務/同  /横井新一

通譯/陸軍文官(四)/神吉三郎

通譯/同   (五)/藤木敦實

備考 一、本表中(瓦)ハ瓦斯ヲ (暗)ハ暗号ヲ (通)ハ通信ヲ ケハ部内ノ兼勤ヲ ㋘ハ中支那方面軍トノ兼勤ヲ示ス

 

    十二月十八日  曇 寒シ

慰靈祭ヲ行ハル、山田旅団ハ一万五千ノ俘虜ヲ處分セシカ(昨夜ヨリ本日ニカケ)ソノ中ニ我将校一、兵一ヲ俘虜ト共ニMGニテ殺サレタリト、蓋シ俘虜ノ一団カ抵抗シ逃亡ヲ企テタルタメ混乱ノ犠牲トナリシモノナリ、大嶋中佐申告ニ来ル、夕ヲ会食ス

 

    十二月十九日  晴

午后一時半ヨリか号弾ノ實射 及 説明アリ「テナカ」弾共ニ効果大ナリ、之ヲ大場鎭附近ノ攻撃ニ使用セハ効果大ナリシナラン

 

    自十二月十九[ママ]日
              晴  

    至十二月二十二日

特記事項ナシ、

 

    十二月二十三日  雨

十時出茇 軍司令部ハ南京 首都飯店ニ移ル

 

    十二月廿四日 曇

十時ヨリ兵団長会議、三時ヨリ参謀長会議ヲ行ハル、[上余白:教訓]师団長ノ懇談ニ於テ16D中島中将ハ 「チャコロ」ニ対シテハ予后備兵ニテ沢山ナリト申述ヘタルカ認識不足ナリト言ハサルヘカラス ソノ外 自己ノ体験ノミヲ以テ原理ノ如ク述ヘラレタルハ可笑シ

 

    十二月廿五日  晴

長中佐 方面軍ヨリ帰ル、鳳陽ヘノ前進ハ塚田参謀長ハ困ルトノ亊、松井大将ハ軍デ適當ニヤレバ宜シカラントノ亊ナリシト傳フ、方面軍ノ戦斗序列茇令ノ上ハ軍カ勝手ニ大本営へ意見具申ハ困ルト云ヒ居レリト、併シ参謀次長ノ指示取消サレサル以上 意見ノ具申ハ違法ナラ 現ニ方面軍ヘモ同時ニ報告シアリ

 

    十二月廿六日  晴

夜 加藤拾?三工大佐来ル、大槻去ル、一時半茇 軍司令官ト共ニ南京近郊ヲ見ル、江北ヘノ補給ハ輸送舩ヲシテ浦口ニ揚陸セシムヘキナリ 南京側?岸ノ屍体ハ驚クヘシ 太平門外 亦然リ 燃エツヽアリ 泥江山[ママ] 及 富貴山ノ地下工亊ハ相當ノモノナリ 防空觀念ハ日本ヨリ茇達シアリ、泥江門[ママ]通路上ノ屍体ハ酸鼻ヲ極ム、十字鍬ニテ堀リ返シツヽアリ、兵ノ放火ノ癖 未タニ熄マス、嚴重ニ取締ルノ要アリト認ム、五時帰隊?ス

 

    十二月廿七日  晴

北支10D黄河ヲ渡リ済南ニ迫ルトノ情報アリ 軍司令官ハ速ニ13Dノ一部ヲ鳳陽ニ出シテハト参謀長ニ語リアリシモ軍隊ノ實情 及 大局ヨリ見テソノ必要ナキヲ具申ス、

 

    十二月廿八日  雨

記亊ナシ 夕ヨリ雪トナル

 

    十二月廿九日  曇

午後 軍司令官ハ野戦病院ヲ見舞ハル、

 

    十二月卅日  晴

16D慰靈祭アリ(参列セス) 昨夜南京ニ居住ヲ許ス外國人 及ソノ居住ニ関スル制限ヲ定ム[上余白:七?日ハ蕪湖ハ爆撃セラル、]

 

    自 十二月卅一日 至 一月八日 記事ナシ

 

    一月八日  晴

16Dハ一月廿日頃ヨリ輸送開始ヲ開始シ北支ニ轉用セラルへキヲ以テ天谷支隊ト3Dトノ交代命令ヲ出サル、南京警備ハ天谷支隊ヲ以テ行フ为、然ルニ天谷旅団ハ二月初メ上海附近ニ終結大本営ノ内命ニ接シタルモ軍命令ハソノ侭トシタリ、亊前ニ方面軍ニ問合ハセシニ 當分 天谷旅団ハ変化ナシトノ亊ナリシニ急ニ此亊アリ

上級部隊ニ於テ「グラ〱」スルコトハ下級部隊ハ誠ニ迷惑ヲ感スルモノナリ

 

    一月九日  晴

賀陽宮殿下ヘ隨行 紫金山戦蹟、幕府山御視察ニ隨行ス、原田大佐ノ講話アリ 

 

    一月十日

雨花台、中華門ノ戦跡御見學ノ両殿下ニ隨行ス 正午 賀陽宮殿下 御出茇セラル

 

    一月十一日  晴

13Dハ依然 現態勢ノ侭 北進ノ準備ヲセシムヘク軍司令官ヨリ指示セラル、蓋シソノ内ニ大本営ノ肚モ決ルヘシトノ理由ニ依ルモノナリ

 

    一月十二日  曇  寒シ

記亊ナシ

 

    一月十三日  曇

天谷支隊ト16Dトノ交代命令ヲ出サル、午后 天谷支隊長来部、16Dヨリ申送リヲ受ク、

 

    一月十四日  晴

松田、長岡、青木三海軍参謀ノ为 送別会アリ

㐧二次会ニテ管理部長ノ案内ニテ始メテ日本婦人ノ顔ヲ見ル

 

    一月十五日  曇

安達大佐来ル、㐧一線ノ給養ハ十分ナリト云フ

又 駄馬师団ト雖 自動车道ヲ必要トスト、西門大街ノ攻撃ハ㐧一線大隊長ノ独断ニ依ルト、旅団長トノ電話切レ 聯隊長 之ヲ許セリトノ亊ナリ 銃剣ノミニテグン〱前途セシ「レコード」ナルヘシ

 

    一月十六日  朝

方面軍ノ招致ニ依リテ午后一時半 飛行機ニ依リ上海ニ至ル、

1.  13Dハ追テ鳳陽ニ前進セシムル筈(松井大将)

2.  津浦線沿?道?ニ軍ノ一部ヲ出スコトハ 目下 意見具申中ナリ   独断 軍ニ於テ前進セサルコト

3.  何レノ場合ニ於テモ13Dヲ江南ニ下ゲザルコト

 (予ノ意見ト一致ス)

4.  新政权ハ順調ニ運ビツヽアリ
夕食ヲ东殿?ニテ武藤、公平ト共ニス

 

    一月十七日  曇、雨

夜九時半出茇 飛行機ニテ帰ル 一時間二十分ヲ要セリ、

 

    一月廿一日  晴

天谷支隊ト16Dトハ其警備ヲ交代セリ(午后二時)

 

    一月廿六日  晴

軍司令官ヨリ13Dヲ北方ニ出ス様希望アリ 既ニ四囬ニ及フ 依テ13Dノ自衛上 一度ハ蚌埠附近ノ敵ヲ掃蕩スルノ必要アリ 出スコトニ決心セリ 方面軍ヨリ文句アルコトハ之ヲ覺悟シタリ 軍命令ヲ起案 決裁ヲ受ク

 

    一月廿七日  晴

13D北上ノ軍命令ヲ携ヘ九時茇 飛行機ニテ□線?ニ至リ连絡ノ後 三時半 帰ル 师団トシテモ大ニ㐂ベリ

午后七時ヨリ福宮ニ於テ二神少佐、押田大尉ノ送別会ヲ開キ 十一時 帰ル

 

    一月廿八日  曇

13Dノ㐧一線ハ行動ヲ開始セリ、

 

    二月一日  晴

武藤大佐来寧ス 大本営ヨリノ御叱リヲ持参シテ、

軍ニ於テハ淮河ヲ越エテ13Dヲ遠ク徐州方面ニ出スノ意思ナシ 唯 13Dノ警備上 淮河左岸ニ敵ヲ撃退スル方 却テ従来ヨリ警備容易ナルモノト判断シアリ

 

    二月二日

本間少将主催 大使館ニテ英、米、独、伊ノ四國領時亊 及 書記生等ヲ招待ス 特ニ「アリソン」米領亊ノ为メニ、藝者ト「ダンス」シ有頂天ニナリアリ 此会ヲ一ヶ月モ前ニ行ヘハ問題ハ起ラサリシナラン、軍参謀長トシテノ動キナキニ困ル

13Dハ蚌埠、鳳陽ヲ占領ス

 

    二月三日  雪

13D右縦?隊ノ一大ハ懷遠対岸、左側支隊ノ主力ハ上?窑ヲ占領ス、但シ师団ノ計画ニモ不拘 敵約六千ヲ西南方 寿夜?方面ニ逸セシハ惜シムへシ、

 

    二月四日  雪

 

    二月七日  晴

上海派遣軍慰霊祭ヲ午后一時ヨリ軍官學校裏ノ小練兵場ニ行ハル、松井大将モ来寧セラル

夕食ハ軍司令官招待セラル

 

    二月八日  晴

敵兵約一万 先頭ヲ以テ午前十一時 廬州ニ達ストノ飛行機報告アリ 㐧三飛行団ハ午后二時ヨリ此敵ヲ爆撃ノ为 出動ス、後備一大隊ヲ13Dニ配属ス、十日 浦口着ノ筈、

 

    二月十三日  雨

13D方面 毎日ノ如ク爆撃セラレ 死傷續出ス 3D、9D配属ノ高射砲ヲ二隊 13D二配属ス 江南ノ□ 已ニ来ル、殿下ヨリ廬州作戦ヲ實施セヨトノ仰セアリシモ既ニ軍ノ改変命令到着シアル今日 状況ニ合セス

[完]