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帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

統監府文書第8巻 2.韓日合邦関係書類 ② (2)~(12) 1909. 12. 2~5

若林賚蔵 1866−1941 https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:Wakabayashi_Raizo.jpg#mw-jump-to-license

警秘第 4049 号の 1
 隆熙三年十二月二日
         警視総監 若林賚蔵【官印】

 統監子爵 曽禰荒助殿

  日韓合邦問題に関する件

 近来喧伝せらるる日韓合邦問題の径路に関し、さらに探聞するところによれば、過般来より宋秉畯一進会李容九との間においてしばしば交渉を重ねつつありしは事実にして、その成立せる連邦案の綱目は、左のごときものなりと伝ふ。

宋秉畯 송병준 ソン·ビョンジュン 1857−1925(1910年、『朝鮮貴族列傳』より)https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Song_Byeong-jun_Portrait.jpg

 一、大韓国を韓国と称すること。

 二、皇帝を王と称すること。

 三、王室は現今のまま韓国に存在す。

 四、国民権は日本国民と同等たるへきこと。

 五、政府は現今のごとく存在すること。

 六、日本官吏はことごとく傭聘とし、現今よりその数を減少すること。

 七、人民の教育、軍隊教育を提起すること。

 八、本問題は韓政府より直接日本政府に交渉すること。

 (以上の綱目は甚た要領を得さるも聞込みの侭之を列記す)

李容九 이영구 イ·ヨング 1968−1912 https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:Lee_Yong-gu_Portrait.jpg#mw-jump-to-license

 しかして大韓協会は一進会においてこの謀議あるを知り、さきに一進、大韓両会提携の際、協定したる宣言書中、「両会は連邦制度を排斥し、専ら韓国の自治を期す」(この宣言書は十月十四日、警秘第三二三七号の一をもつて報告)云々とあるにより、これをもつて抗議を申込まんとするも、該宣言書は当時、明月館において両会政見協定委員会合の上、可決したるも、

朝鮮京城明月館本店 玄関 https://kutsukake.nichibun.ac.jp/CHO/index.html?word=%E6%98%8E%E6%9C%88%E9%A4%A8

文字の修正を要すべしとて、修正委員二名づつを選定、これに附托しそのままとなりて今日に至り、いまだ発表しあらざるをもつて、この際、速かに政見協定委員会を開きこれを発表し、一進会の企図を破壊せんとし、しばしば政見協定委員会の開催を促したるも、一進会は事故に托して応ぜず、ここにいおて大韓協会はその動ずべからざるを知り、即ち客月二十六日、総務尹孝定一進会長李容九を訪問し、種々質問せり。その問答は左のごとしと伝ふ。(問答中、要領を得ざるところあるも聞込みのまま列記す。)

尹孝定 윤효정 ユン·ヒョジョン 1858−1939 https://encykorea.aks.ac.kr/Article/E0042711

 尹曰く、合邦問題の提出は何らの意思なるか。

 李答、わが国は日本の保護国なるも、その外形上、独立国のごとし。故に国民の多くはこれを誤解し変乱を生ず。これかため日本の憤怒を招き、国権は漸次墜落せり。たとへば国権を十位とすれば、現今の位置は第三位なり。しかるにこれをもまさに皆無とならんとす。故にわが両会は相呼応して六、七位の間に国権を進め、しかして皇帝を王となし、日本に之これを請求すれば、現状より勝るにあらずや。

 尹曰、契約履行は同等者の事なり。強弱不同なる日韓国の契約は虚文に属す。

 李曰、貴会にてはこの案に不同意なりや。

 尹曰、このことを前日幹部会に提出せしに異論多し。故に不同意なり。

 李曰、吾会は今正に本案を日本政府に交渉中に付決定次苐施行の計画なり

 尹曰、意見合はざれば反対すべく、したがつて両会の衝突、破裂となり国家のため不利益なり。深く再考を望む。

 李曰、いづれにしても一度政見協定委員会を開き、しかるのち決定すべし。

 尹孝定は以上の問答を交換し立帰り、翌二十七日、なほ政見協定委員の会合を二十八日、鐘路商業会議所において開始せんとの故をもつてこれに応ぜず、遂に無期延期となり、今は宣言書の発表はその望なきに至り、同時に勢ひ両会分裂の危機に迫りつつありと云ふ。

 右、報告に及び候ふなり。

 

寺内正毅 1852−1919 https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:Masatake_Terauchi_2.jpg#mw-jump-to-license

[ 「陸軍」 事務用箋]

       十二月三日午後三時二十五分発
       同      六時三十五分著
 曽禰統監宛       寺内陸軍大臣

   電 文 訳

 この電報は榊原少将をして陸軍の暗号にて訳せしめらるべし。
 密報によれば、一進会員は日韓合併の請願をなすの決心をなし、明日にもこれを決行するやの様なり。
 この際における閣下の態度は、将来、国是遂行に大いなる関係を有するをもって、いささか卑見を述べ御参考に供したし。御聴許を得ば幸甚なり。
 もし一進会が前述のごとき請願をなしたる場合においては、統監は泰然としてこれを受領し、単に参考に供すべき旨を答え置かれ、一面、韓国政府に諭し、本件請願のごときは目下、韓国の情態において一つの政事的意見と見るのほかなきをもって、穏当にこれを受領せしむるの処置に (「に」 なり。恐らくは 「を」 な誤りならん【認印】) 執らしめられさかるべしと考う。またこの際、捕縛またはまた虐殺等、無謀なる処置に出でざるよう厳に韓国政府に注意を与えられたし。かつ憲兵警察機関を戒飭し騒擾を予防せしめられたし。また要すれば密かに軍隊を戒め不慮に備え置くの必要あるべし。
 以上は小生一巳 [→己] の私見を披瀝したるものなれども、大体において首相も異存なきことと信ずるをもって、幸いに右の趣旨をもって御処理あらんことを乞う。寺内手書す。

 

[「陸軍」 事務用箋]

      十二月三日 午後三時四十分発
            同 六時三十分着
 韓国憲兵隊長宛     寺内陸軍大臣

    電報訳

 密報によれば一進会員は明日にも日韓合併の請願書を提出する由。果してしかるときは、これを韓国現下の状態において一つの政治的意見として穏当に受理せらるるを当然と考ふれども、これを従来の政争よりせば、あるいは暗殺、捕縛等無謀の処置に出づることなしとも限らず、この際において貴官は統監の意図を奉じ、部下を戒飭して騒擾を未発に鎮め、治安を保つことに尽力せられんことを要す。
 右、密令す。 陸軍大臣

 

曽禰荒助 1849−1910 https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Sone_Arasuke.jp

[ 「統監府」 電報送信控]

電送 統監:承知 秘書官:承知 主任:【中野】

明治四十二年十二月四日午前十一時十五分発
東京
 寺内大臣          曽禰統監
第 暗合 号
御申込の御意見拝?承す。本官も一つの運動たりと考へ、その際には平凡の置を採らんと考へ居りしところなり。御意見感謝す。

 

純宗 李순종 척 スンジョン イチョク (1874~1926、在位 1907~1910)  https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:Emperor_Sunjong.jpg#mw-jump-to-license

李完用 이완용 イ・ワニョン (1910 年/1856~1926) https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:Lee_Wan-yong_Portrait.jpg#mw-jump-to-license

警秘第 4106 号の 1 
 隆熙三年十二月四日
    警視総監若林貴蔵【官印】

 統監子爵 曽禰荒助殿

   日韓合邦問題に関する件

 日韓合邦問題に関し一進会において企図しつつあることは既報するところなりしが、これに関し今四日、別紙のごとく皇帝、統監、総理にあて上書せり。また声明書は明五日配布・公表するはずなり。
 大韓協会はこれより先き、一進会にこの企画あることを知り、同会と提携の際起案せし宣言書を決定し、その企画を破壊せんとし、過日来より政見協定委員の会合を促したるも、一進会は容易に応ぜざりしことは既に所報のごとし。しかるに昨三日夜、いよいよ鐘路商業会議所において会することに協定し、両会の政見協定委員二十四名 (一会より十二名づつ) 会合し議事に移りたるに、一進会側協定定委員は該宣言書は初め一進会に何等協議なくして起案し、成案の後同意を求めたるはその根本において不同意なりと難詰するや、大韓協会側の委員は、一進会は既に禍心 (合邦問題の企図を意味す) を抱蔵するものにして、最早ともに議するの要なしとて、ここに両会の提携破裂し、午後九時大韓協会側委員は一同引き上げたり。一進会側委員は所期の目的を達したるがごとく悠々帰会、その顚末を報告し、同夜、以上の上書ならびに声明書の発表を決定したるものなりと云ふ。大韓協会幹部は今朝未、金嘉鎮または尹致昊宅に集合、何事か密議しつつあり、内偵中なるも現今までは不穏の状况なし。
 右、報告に及び候ふなり。

金嘉鎭 김가진 Kim Ga-jin (1910 年/1846~1923) https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:Kim_Ga-Jin_Portrait.jpg#mw-jump-to-license

尹致昊 윤치호 ユン·チホ (1865-1945) https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%B9%E8%87%B4%E6%98%8A

 

了 

警秘第 4,107 号の 1
 隆煕三年十二月四日
    警視総若林賚蔵【警視総監印章】

統監子爵曽禰荒助殿

   臨時国民演説会の開催
 明五日正午十二時、西部夜珠峴円覚社に於て臨時国民演説会を開催し、その演題、弁士は左記のごとくなる旨、本日届け出でたり。

一、日韓親善の関係 閔泳奎
一、一進会を問責す 李学寧?
一、叱唑?詐魔     文 沢
一、国民の心得   高羲駿
一、過去の反省将来の警戒
           鄭応卨

 [尚?] 開催の内容は国是遊説団員高羲駿、鄭応卨、閔泳奎等の発起にし [て?] 大韓恊会、天通 [→道] 教漢城府民会等 [に] して賛同成立したるものなりと。しかして彼らの主唱するところは、近来、一進会は日韓の合邦を企図せりとの説あり。かくのごときは売国的行為なれば、臣子の分としてこれを黙過すべきにあらず、宜しく満天下に向けて同会の罪を鳴らさんと云ふにありと云ふ。
 右、報告に及び候ふなり。

 追って、本演説につき人心の動揺を挑発し、または詭激の言論を弄さざる様、あらかじめ発起者召喚、警告のはず。

 

[ 「統監府」 電報送信控]

電送 統監:承知 総務長官:承知 秘書官:承知 主任:【中野】

昭和四十二年十二月四日午后七時十七分発

 桂首相    統監

第 号

 一進会長李容九ほか三名、合邦意見を上書として持ち来たりたり。同主意の上書を韓皇および内閣にも提出し、世上には声明書として発表したる趣あり。小官は通常の上書建白と同様に受領し置きたり。世間には未だ何たる影響見えず。当地内閣には注意いたし置けり。

 

[ 「統監府」 事務用箋]

電送 統監:承知 総務長官:了 秘書官:花押 主任:花押 花押【中野】

明治四十二年十二月五日午后六時二十分発

 桂首相            曽祢統監

第 36 号

 日韓合邦に関する一進会上書の趣旨は、要するに、(一) 韓国皇室の尊栄を日本皇室と共に永遠不朽に垂?れんと欲すること、(二) 韓国をして世界一等国の班に列し、韓国民に日本人同様の権利、幸福を享受せしめんとするの二点に帰着し、合邦の意味は連邦なるがごとく、また合併なるがごとく見え、はなはだ不明なり。
 元来、かかる大事を一進会ごときものの行動に基づき今日に実行せんとするがごときは、徒らに平地に風波を起し、その局を結ぶことなきに終るべし。速成を欲して大成を壊るに至るは必然なるのみならず、延いて 我が陛下の御稜威を傷つけんことを恐る。

内田良平 1874−1937 https://otokojuku.grupo.jp/free698914

 ことに内田は韓人に対し、このことについては桂首相、寺内陸相の密旨を受け来たれることを声言しおれるがごとし。これ、最も憂うべきのことと存ず。本書訳文は閣下はじめ各大臣の御参考として郵送す。
 本官に提出したる右上書のほかに、韓帝および李総理に宛てたるもの弐通あり、その韓帝に対する分は内閣大臣の執奏を煩すとのことなるも、右は国体の変更に関し、古来の慣例に照らし謀反律に問わるべき筋のものなるにつき、これを執奏するは穏当ならずとし返却せんことを望?みおれり。右に?取り計らわしめばいかがかな。御返電を乞う。

 

閔泳韶 민영소 (1852~1917) https://m.gerenjianli.com/Mingren/57/nd968877a2.html

趙同熙 조동희 (1856~1934) https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:Cho_Dong-hui_Portrait.jpg

金宗漢 김종한 キム·ジョンハン (1910 年/1844~1942) https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:Kim_Jong-han_Portrait.jpg#mw-jump-to-license

憲機第 2,238 号

 一進会攻撃の目的をもって開催すべき国民大演説会発起人、正一品輔国閔永韶、同趙同熙、従一品金宗漢、同李應鐘らの元老輩は、昨日発表せし一進会の声明書は文字の上においては敢て非難すべきなしといへども、同文中、政合邦なる三字を深く研究、解釈を下す時は、その間種々なる意味を有し、我が韓の亡滅、該三字中に包含し居るは衆目の等しく認むる所なり。同人は今回の同声明書に対して大いに歓喜し居れりと聞く。要するに同会が斯かる声明書発表するに至れも、要は日本政府の陰に使嗾
に因するならんとは予見するに難からず、この際、我らは死を賭して彼に反対し、日韓合併の挙なからしむべきを期せざるべからず云々と、意気込み居る由。
 明治四十二年十二月五日

 

趙民熙 조민희 Cho Min-hui (1859~1931) (1910 年) https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:%E8%B6%99%E6%B0%91%E7%86%99_Cho_Min-hui.jpg

憲機第 2,239 号

 承寧府総管趙民𠘑は去る二日午後二時ごろ、承寧府内において徳寿宮の一般官吏を集め、左のごとく訓示したりと。

 一進会より近日中に重大なる問題を提する由。ついては我々韓国官民は極力これに反対し、官民共に同心恊力して現場 [→状] 維時 [→持] の努力せざるベからず。しかして一進会員中、当宮に職を置く者は速やかに同会を退会すべし云々と。

 右に対し一進会員侍従尹範植は大いに憤怒し、我が一進会は韓国将来のため事を計るものにして、我らは決して退会するに及ばずとて互いに争論したりと云ふ。

閔丙奭 민병석 ミン・ビョンソク (1858~1940) (1910年) https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:Min_Byeong-seok_Portrait.jpg#mw-jump-to-license

 因みに官相閔丙奭も一昨三日午後三時ごろ、昌徳宮職員一同に右趙民凞と同一なる意味をなしたりと聞く。

  明治四十二年十二月五日

 

https://db.history.go.kr/common/imageViewer.do?levelId=jh_098_0020_0020 1/6

警秘苐四〇四九號ノ一
 隆熙三年十二月二日
   警視總監 若林賚藏【官印】

 統監子爵  曽禰荒助殿

  日韓合邦問題ニ関スル件

近来喧傳セラルヽ日韓合邦問題
ノ徑路ニ関シ更ニ探聞スル処ニ
依レハ過般来ヨリ宋秉畯ト一進

 

https://db.history.go.kr/common/imageViewer.do?levelId=jh_098_0020_0020 2/6

会長李容九トノ間ニ於テ屢々交
渉ヲ重子 [=ネ] ツヽアリシハ事実ニシ
テ其成立セル聯邦案ノ綱目ハ左
ノ如キモノナリト傳フ
 一、大韓國ヲ韓國ト稱スルヿ
 二、皇帝ヲ王ト稱スルヿ
 三、王室ハ現今の儘韓國ニ存在ス
 四、国民権ハ日本國民ト同等タル
    ヘキヿ
 五、政府ハ現今ノ如ク存在スルヿ

 

 六、日本官吏ハ悉ク傭聘トシ現今
    ヨリ其数ヲ減少スルヿ
 七、人民ノ教育、軍隊教育ヲ提起ス
    ルヿ
 八、本問題ハ韓政府ヨリ直接日本
    政府ニ交渉スルヿ
    (以上ノ綱目ハ甚タ要領ヲ得
     サルモ聞込ミノ侭之ヲ列記
     ス)
然シテ大韓協会ハ一進會ニ於テ

https://db.history.go.kr/common/imageViewer.do?levelId=jh_098_0020_0020 3/6

此謀議アルヲ知リ曩ニ一進、大韓
両會提携ノ際𫝓定シタル宣言書
中 「両會ハ聯邦制度ヲ排斥シ専ラ
韓國ノ自治ヲ期ス」(此宣言書ハ十月
十四日警秘苐三二三七号ノ一ヲ以テ報告)
々ト在ニ依リ之ヲ以テ抗議ヲ申
込マントスルモ該宣言書ハ當時
明月舘ニ於テ両會政見𫝓定委貟
會合ノ上可決シタルモ文字ノ修
正ヲ要スヘシトテ修正委貟二名

 

ツヽヲ撰定之ニ附托シ其侭トナ
リテ今日ニ至リ未タ発表シアラ
サルヲ以テ此際速カニ政見𫝓定
委貟会ヲ開キ之ヲ発表シ一進会
ノ企図ヲ破壊セントシ屢々政見
𫝓定委貟会ノ開催ヲ促シタルモ
一進会ハ亊故ニ托シテ應セス茲
ニ於テ大韓𫝓會ハ其動スヘカラ
サルヲ知リ即チ客月廿六日總務
尹孝定、一進会長李容九ヲ訪問シ

 

https://db.history.go.kr/common/imageViewer.do?levelId=jh_098_0020_0020 4/6

種々質問セリ其問答ハ左ノ如シ
ト傳フ(問答中要領ヲ得サル処アルモ聞
込ミノ侭列記ス)
 尹曰、合邦問題ノ提出ハ何等ノ
     意思ナルカ
 李答、吾國ハ日本ノ保䕶國ナル
     モ其外形上獨立國ノ如シ
     故ニ國民ノ多クハ之ヲ誤
     解シ変乱ヲ生ス之レカ為
     メ日本ノ憤怒ヲ招キ國権

 

     ハ漸次墜落セリ
     仮令ハ國権ヲ十位トスレ
     ハ現今ノ位置ハ苐三位ナ
     リ然ルニ之ヲモ將ニ皆無
     トナラントス故ニ吾両会
     ハ相呼应シテ六七位ノ間
     ニ國権ヲ進メ而テ皇帝ヲ
     王ト為シ日本ニ之ヲ請求
     スレハ現状ヨリ勝ルニア
     ラスヤ

 

https://db.history.go.kr/common/imageViewer.do?levelId=jh_098_0020_0020 5/6

 尹曰、契約履行ハ同等者ノ事ナ
     リ強弱不同ナル日韓國ノ
     契約ハ虚文ニ属ス
 李曰、貴会ニテハ此案ニ不同意
     ナリヤ
 尹曰、此亊ヲ前日幹部会ニ提出
     セシニ異論多シ故ニ不同
     意ナリ
 李曰、吾会ハ今正ニ本案ヲ日本
     政府ニ交渉中ニ付決定次

 

     苐施行ノ計画ナリ
 尹曰、意見合ハサレハ反対スヘ
     ク従テ両会ノ衝突、破裂ト
     ナリ國家ノ為メ不利益ナ
     リ深ク再考ヲ望ム
 李曰、何レニシテモ一度政見𫝓
     定委貟会ヲ開キ然ル後決
     定スベシ
尹孝定ハ以上ノ問答ヲ交換シ立
帰リ翌二十七日尚ホ

 

https://db.history.go.kr/common/imageViewer.do?levelId=jh_098_0020_0020 6/6

政見恊定委貟ノ會合ヲ廿八日鐘
路商業会議所ニ於テ開始セント
ノ故ヲ以テ之ニ應セス遂ニ無期
延期トナリ今ハ宣言書ノ発表ハ
其望ナキニ至リ同時ニ㔟ヒ両会
分裂ノ危機ニ迫リツヽアリト云

右及報告候也

(2) 日韓合邦問題に関する件、警秘第 4049 号の 1、1909 年 12 月 2 日

 

https://db.history.go.kr/common/imageViewer.do?levelId=jh_098_0020_0030 1/2

[ 「陸軍」 事務用箋]

    十二月三日午後三時二十五分發
    仝      六時三十五分著
 曾禰統監宛    寺内陸軍大臣

   電 文 譯
此ノ電報ハ榊原少將ヲシテ陸軍ノ暗號ニ
テ譯セシメラルベシ
密報ニ依レハ一進會員ハ日韓合併ノ請願
ヲナスノ決心ヲ為シ明日ニモ之ヲ決行ス
ルヤノ様ナリ

 

https://db.history.go.kr/common/imageViewer.do?levelId=jh_098_0020_0030 2/2

此際ニ於ケル閣下ノ態度ハ將來國是遂行
ニ大ナル関係ヲ有スルヲ以テ聊カ卑見ヲ
述ヘ御参考ニ供シタシ御聴許ヲ得バ幸甚
ナリ
若シ一進會カ前述ノ如キ請願ヲナシタル
場合ニ於テハ統监ハ泰然トシテ之ヲ受領
シ單ニ参考ニ供スベキ旨ヲ答ヘ置カレ一
面韓國政府ニ諭シ本件請願ノ如キハ目下
韓國ノ情態ニ於テ一ノ政事的意見ト見ル
ノ外ナキヲ以テ穏當ニ之ヲ受領セシムル
ノ處置ニ✓執ラシメラレ然ルヘシト考フ又

 

左上拡大

「ニ」 ナリ  恐ラク
ハ 「ヲ」 ノ誤ナラン
認印

 

此際捕縛又ハ虐殺等無謀ナル處置ニ出テ
ザルヨウ嚴ニ韓國政府ニ注意ヲ与ヘラレ
タシ且ツ憲兵警察機関ヲ戒飭シ騒擾ヲ豫
防セシメラレタシ又要スレハ密ニ軍隊ヲ
戒メ不慮ニ備へ置クノ必要アルヘシ
以上ハ小生一巳 [ママ] ノ私見ヲ披瀝シタルモノ
ナレドモ大体ニ於テ首相モ異存ナキコト
ト信スルヲ以テ幸ニ右ノ趣旨ヲ以テ御処
理アランコトヲ乞フ寺内手書ス

(3) [一進會員の韓日合邦請願に関する件]、電文訳、1909 年 12 月 3 日

 

https://db.history.go.kr/common/imageViewer.do?levelId=jh_098_0020_0040 1/2

[ 「陸軍」 事務用箋]

   十二月三日 午後三時四十分発
         仝 六時三十分著
 韓國憲兵隊長宛  寺内陸軍大臣
    電報譯
密報ニヨレハ一進會員ハ明日ニモ日韓合
併ノ請願書ヲ提出スル由果シテ然ルトキ
ハ之ヲ韓國現下ノ狀態ニ於テ一ノ政治的
意見トシテ穏当ニ受理セラルルヲ当然ト
考フレトモ之ヲ從來ノ政争ヨリセハ或ハ
暗殺、捕縛等無謀ノ處置ニ出ツルコトナシ
トモ限ラス此際ニ於テ貴官ハ統監ノ意圖

 

https://db.history.go.kr/common/imageViewer.do?levelId=jh_098_0020_0040 2/2

ヲ奉シ部下ヲ戒飭シテ騒擾ヲ未發ニ鎮メ
治安ヲ保ツコトニ盡力セラレンコトヲ要

右密令ス 陸軍大臣

(4) [一進会員の韓日合邦請願による政治的騷擾への対策密令]、電報訳、1909 年 12 月 3 日

https://db.history.go.kr/common/imageViewer.do?levelId=jh_098_0020_0070 1/1 左

[ 「統監府」 電報送信控]

電送 統監:承知 秘書官:承知 主任:【中野】

明治四十二年十二月四日午前十一時十五分發
东京
 寺内大臣   曽禰統監
第 暗號 號
御申込ノ御意見拝?承ス 本
官モ一ツノ運動タリト考ヘ其
ノ際ニハ平凡ノ処置ヲ採ラン
ト考ヘ居リシ処ナリ 御意見
感謝ス

(7) [一進会員の韓日合邦運動への対応に関する件]、暗号返電、1909 年 12 月 4 日

 

https://db.history.go.kr/common/imageViewer.do?levelId=jh_098_0020_0050 1/30

警秘第四一〇六號ノ一
 隆熙三年十二月四日
    警視總監若林貴藏【官印】

 統監子爵 曽禰荒助殿

  日韓合邦問題ニ
  関スル件
日韓合邦問題ニ関シ一進會ニ於
テ企圖シツヽアルヿハ既報スル

 

https://db.history.go.kr/common/imageViewer.do?levelId=jh_098_0020_0050 2/30

處ナリシカ之ニ関シ今四日別紙
ノ如ク皇帝、統監、總理ニ宛テ上書
セリ又聲明書ハ明五日配布公表
スル筈ナリ
大韓恊會ハ之ヨリ先キ一進會ニ
此企画アルヿヲ知リ同會ト提携
ノ際起案セシ宣言書ヲ決定シ其
企画ヲ破壊セントシ過日来ヨリ
政見恊定委員ノ會合ヲ促シタル
モ一進會ハ容易ニ應セサリシヿ

 

ハ既ニ所報ノ如シ然ルニ昨三日
夜愈〻鐘路商業會議所ニ於テ開
會スルヿニ𫝓定シ両會ノ政見恊
定委貟廿四名 (一會ヨリ
        十二名ツヽ) 會合シ議亊ニ
移リタルニ一進會側恊定委貟ハ
該宣言書ハ初メ一進會ニ何等恊定
議ナクシテ起案シ成案ノ後同意
ヲ求メタルハ其根本ニ於テ不同
意ナリト難詰スルヤ大韓恊會側
ノ委貟ハ一進會ハ既ニ禍心 (合邦問題ノ企
              図ヲ意味ス)

 

https://db.history.go.kr/common/imageViewer.do?levelId=jh_098_0020_0050 3/30

ヲ抱藏スルモノニシテ最早共ニ
議スルノ要ナシトテ爰ニ同會ノ
提携破裂シ午後九時大韓恊會側
委貟ハ一同引上ケタリ一進會側
委貟ハ所期ノ目的ヲ達シタルカ
如ク悠々帰會其顚末ヲ報告シ同
夜以上ノ上書并ニ聲明書ノ發表
ヲ決定シタルモノナリト云フ
大韓恊會幹部ハ今朝未金嘉鎭又
ハ尹致昊宅ニ集合何事カ密議シ

 

ツヽアリ内偵中ナルモ現今迠ハ
不穏ノ状况ナシ
右及報告候也

(5) 日韓合邦問題ニ関スル件、警秘第 4106 号の 1、若林警視総監、1909 年 12 月 4 日

 

https://db.history.go.kr/common/imageViewer.do?levelId=jh_098_0020_0060 1/2

了 

警秘第四、一〇七號ノ一
 隆煕三年十二月四日
    警視總若林賚蔵
      【警視總監印章】
統監子爵曽禰荒助殿
 
  臨時国民演説會ノ開催
明五日正午十二時西部夜珠峴円
覺社ニ於テ臨時国民演説會ヲ開
催シ其演題、弁士ハ㔫記ノ如クナ

 

https://db.history.go.kr/common/imageViewer.do?levelId=jh_098_0020_0060 2/3

ル㫖本日届出タリ
 一、日韓親善ノ関係 閔泳奎
 一、一進會ヲ問責ス 李學寧?
 一、叱唑?詐魔     文 澤
 一、国民ノ心得   高羲駿
 一、過去ノ反省
      将来ノ警戒 鄭應卨
尚?開催ノ内容ハ国是遊説團貟高
羲駿、鄭應卨、閔泳奎等ノ發起ニシ
[テ] 大韓恊會、天通教、漢城府民會等
[ニ] シテ賛同成立シタルモノナリ

ト而テ彼等ノ主唱スル處ハ近来
一進會ハ日韓ノ合邦ヲ企圖セリ
トノ説アリ如此ハ賣国的行為ナ
レハ臣子ノ分トシテ之ヲ黙過ス
ヘキニアラス冝シク満天下ニ向
テ同會ノ罪ヲ鳴ラサント云フニ
在リト云フ
右及報告候也
 追而本演説ニ付キ人心ノ動揺
 ヲ挑發シ又ハ詭激ノ言論ヲ弄サ

 

https://db.history.go.kr/common/imageViewer.do?levelId=jh_098_0020_0060 3/3

 サル様豫メ發起者召喚警告ノ
 筈

(6) 臨時国民演説会ノ開催、警秘第 4107 号の 1、若林警視総監、1909 年 12 月 4 日

 

https://db.history.go.kr/common/imageViewer.do?levelId=jh_098_0020_0080 1/2

[ 「統監府」 電報送信控]

電送
統監:承知 總務長官:承知
秘書官:承知 主任:【中野】

昭和四十二年十二月四日午后七時十七分發

 桂首相    統監

第三三號
一進會長李容九外三名
合邦意見ヲ上書トシテ持
チ来リタリ 同主意ノ上書ヲ
韓皇及内閣ニモ提出シ卋
上ニハ聲明書トシテ發表シ
タル趣アリ 小官ハ通常ノ上



https://db.history.go.kr/common/imageViewer.do?levelId=jh_098_0020_0080 2/2

書建白ト同様ニ受領シ置キ
タリ卋間ニハ未タ何タル影響
見ヘス 當地内閣ニハ注意致シ
置ケリ

(8) [一進會長 李容九外三名の韓日合邦上書接受に関する件]、往電第 33 号、曽禰統監、12 月 4 日

 

https://db.history.go.kr/common/imageViewer.do?levelId=jh_098_0020_0100 1/2

[ 「統監府」 電報送信控]

電送 統監:承知 總務長官:了 秘書官:花押 主任:花押 花押【中野】

明治四十二年十二月五日午后六時二十分發

 桂首相       曽祢統監

第三六號
日韓合邦ニ関スル一進会上書ノ趣
旨ハ要スルニ (一) 韓國皇室ノ尊栄ヲ
日本皇室ト共ニ永遠不朽ニ垂?レント
欲スルヿ (二) 韓國ヲシテ卋界一䒭国ノ
班ニ列シ韓國民ニ日本人同様ノ権利
幸福ヲ享受セシメントスルノ二奌ニ归

 

https://db.history.go.kr/common/imageViewer.do?levelId=jh_098_0020_0100 2/2

着シ合邦ノ意味ハ聨邦ナルカ如ク又合併ナ
ルカ如ク見エ甚タ不明ナリ元来此ル大事ヲ一進
会如キモノヽ行動ニ基キ今日ニ實行セントスルカ
如キハ徒ニ平地ニ風波ヲ起シ其局ヲ結フコトナキニ
終ルヘシ速成ヲ欲シテ大成ヲ壊ルニ至ルハ必然
ナルノミナラス延テ 我陛下ノ御稜威ヲ傷ケン
コトヲ恐ル殊ニ内田ハ韓人ニ對シ此事ニ付テ
ハ桂首相寺内陸相ノ密旨ヲ受ケ来レルコト
ヲ聲言シ居レルカ如シ是最モ憂フヘキノ事
ト存ス本書譯文ハ閣下始各大臣ノ御参

 

考トシテ郵送ス 本官ニ提出シタル右上書ノ
外ニ韓帝及李総理ニ宛タルモノ貮通アリ
其ノ韓帝ニ対スル分ハ内閣大臣ノ執奏
ヲ煩ストノ事ナルモ右ハ国体ノ変更ニ関
シ古来ノ慣例ニ照ラシ謀反律ニ問ハルヘキ
筋ノモノナルニ付キ之レヲ執奏スルハ穏當ナ
ラストシ返却センヿヲ望?ミ居レリ右ニ?取計
ハ [×レ□□×]
  <シメ> ハ如何哉 御返電ヲ乞フ

(10) [一進会請願書の趣旨に関する請訓の件]、往電第 36 号、曽禰統監1909 年 12 月 5 日

 

https://db.history.go.kr/common/imageViewer.do?levelId=jh_098_0020_0110 1/2

憲機第二、三三八號
一進會攻擊ノ目的ヲ以テ開催ス可
キ國民大演説会發起人正一品輔國
閔永韶、仝趙同熙、從一品金宗漢、仝
李應鐘、等ノ元老輩ハ昨日發表セシ
一進會ノ聲明書ハ文字ノ上ニ於テハ
敢テ非難ス可キナシト雖 トモ 仝文中
政合邦ナル三字ヲ深ク研究解釋
ヲ下ス時ハ其間種々ナル意味ヲ
有シ我韓ノ亡滅該三字中ニ包含
シ居ルハ衆目ノ等シク認ムル所ナ

 

https://db.history.go.kr/common/imageViewer.do?levelId=jh_098_0020_0110 2/2

リ同人ハ今回ノ仝聲明書ニ對シテ
大ニ歓喜シ居レリト聞ク要スルニ
仝會カ斯カル聲明書發表スルニ
至レルモ要ハ日本政府ノ陰ニ使嗾
ニ因スルナラントハ豫見スルニ難カ
ラス此際我等ハ死ヲ賭シテ彼ニ反
對シ日韓合併の擧ナカラシム可キ
ヲ期セサルへカラス云々ト意気込
ミ居ル由
 明治四十二年十二月五日

(11) [元老大臣たちの一進会非難の件]、憲機第 2338 号、1909 年 12 月 5 日

 

https://db.history.go.kr/common/imageViewer.do?levelId=jh_098_0020_0120 1/2 左

憲機第二、三三九號
承寧府總管趙民𠘑ハ去ル二日午后二
時頃承寧府内ニ於テ徳壽宮ノ一般官
吏ヲ集メ左ノ如ク訓示シタリト
 一進會ヨリ近日中ニ重大ナル問題ヲ提
 スル由就テハ我々韓國官民ハ極力之ニ
 反対シ官民共ニ同心恊力シテ現塲 [ママ] 維
 時 [ママ] ノ努力セザル可カラス而シテ一進會貟
 中當官ニ職ヲ置ク者ハ速カニ同會ヲ
 退會スヘシ云々ト
右ニ対シ一進會貟侍従尹範植ハ大ニ憤

 

https://db.history.go.kr/common/imageViewer.do?levelId=jh_098_0020_0120

怒シ我ガ一進會ハ韓國將来ノ為メ亊ヲ
計ルモノニシテ我等ハ決シテ退會スルニ及
ハストテ互ニ争論シタリト云フ
 因ニ宮相閔丙奭モ一昨三日午后三時頃
 昌徳宮職貟一同ニ右趙民凞ト同一ナ
 ル意味ヲ為シタリト聞ク
  明治四十二年十二月五日

(12) [政府高官による一進会勧誘の慫件] 憲機第 2339 号、1909 年 12 月 5 日

 

한국사데이터베이스 韓国史データベース
조선시대 사료 DB 朝鮮時代資料DB
駐韓日本公使館記録・統監府文書
統監府文書第8巻 2.韓日合邦関係書類

2021 年 10 月 18 日に閲覧した日本語ウイキペディア記事「韓日合邦を要求する声明書」より

(現在はすっかり書き換えられている。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E6%97%A5%E5%90%88%E9%82%A6%E3%82%92%E8%A6%81%E6%B1%82%E3%81%99%E3%82%8B%E5%A3%B0%E6%98%8E%E6%9B%B8

 

“また声明書は、事前に山県有朋桂太郎首相、寺内正毅陸相の同意を得ていたという [10] [11] [12] [13] 。後藤新平逓信相の関与を述べた文書もある [13] [14] 。寺内陸相は声明発表直前 12 月 3 日、曾禰韓国統監に「一進会が請願を出すらしいので受領してほしい。桂太郎首相も同じ考えだろう」と知らせている [15] が、曾禰はこうした行動から 5 日には桂首相宛文書 [16] で「寺内は元々知ってたんじゃないか」と疑っている。”

“[10] 『日本の亜細亜 : 皇国史談』黒竜会出版部、1932年、286頁。「 [1909 年 11 月] 十五日、杉山 [茂丸] を訪ひしに、杉山告ぐるに「山県公、桂首相に武田起草の上奏文を示し、一進会は之を提出して合邦を請ふの手順となれるを語り、更に寺内陸相にも示し、陸相の質問に対し答解し置きたる』を以てし」”

https://dl.ndl.go.jp/pid/1918943/1/158

内田良平 著『日本の亜細亜 : 皇国史談』, 黒竜会出版部, 1932. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1918943 (参照 2024-03-26)

“[11] 海野福寿『伊藤博文日韓併合』青木書店、2004年、178-179頁。「黒龍会編『日韓合邦秘史』によれば、伊藤の死後まもなく宋秉畯・内田良平・武田範之が合邦請願書の草案を作成し、山県・寺内・桂の同意を得たという。」”

“[12] “한국사데이터베이스 비교보기 > (10) [韓日合邦에 관한 一進會의 請願書 趣旨에 대한 請訓 件]”. https://db.history.go.kr/ 2021年9月6日閲覧。 “往電第三六號 明治四十二年十二月五日午後六時二○分發 曾禰統監 桂首相 …殊ニ內田ハ韓人ニ對シ此事ニ付テハ桂首相寺內陸相ノ密旨ヲ受ケ來レコトヲ聲言シ居レルカ如シ是最モ憂フヘキノ事ト存ス” 

 

“[13] “한국사데이터베이스 비교보기 > (32) 韓日合邦 문제에 관한 件”. https://db.history.go.kr/ 2021年9月6日閲覧。 “(32) 日韓合邦問題ニ關スル件 警秘第三四三號 天眞樓滯在中ノ內田良平ハ去四日來訪シタル大阪每日通信員山本光三ニ對シ語リタリト云フ談片ヲ聞クニ日韓合邦問題ニ關シ一進會カ活動ヲ開始シタルニ對シ世人或ハ突飛的ノ感情ヲ起スモノナキヲ保セサルモ同問題ハ旣ニ伊藤公生存中ヨリ萠芽シ來レル宿題ニシテ日本內閣員中桂總理·寺內陸相·後藤遞相等ノ間ニ於テ專ラ秘密ニ劃策セラレツゝアリテ…”

“[14] “한국사데이터베이스 비교보기 > (43) [韓日合邦에 대한 一進會의 성명서 등 대책에 관한 보고서 사본 송부 件]”. db.history.go.kr. 2021年9月7日閲覧。 “[一進會 釀成事件의 系統 및 關係者에 관한 報告書 寫本] (憲機第二三六九號) 今回一進會ノ釀成事件ノ系統及關係者左ノ如シトノ說アリ 遞相後藤男爵ハ朝鮮硏究會ト結ヒ宋秉畯ハ後藤男ヨリ金五萬圓ヲ受ケ一進會ノ相談役タル杉山茂九及內田良平ヲ使嗾シタルモノニシテ內田ハ五千圓ヲ以テ渡韓シ當地ニ於テハ新橋榮次郞 (後備輜重兵少尉) 菊池謙讓等モ多少ノ金ヲ貰ヒ運動ヲナシツゝアリ內田良平ニ屬スル井上藤三郞·武田範之等ハ東京ノ相場士又ハ各通信員等ト結托シ米穀ノ騰貴ヲ計リ一儲セン爲メナリト云フ 明治四十二年十二月七日”

“[15] “한국사데이터베이스 비교보기 > (3) [一進會員의 韓日合邦 請願에 관한 件]”. db.history.go.kr. 2021年9月6日閲覧。 “密報ニ依レハ一進會員ハ日韓合倂ノ請願ヲナスノ決心ヲ爲シ明日ニモ之ヲ決行スルヤノ樣ナリ 此際ニ於ケル閣下ノ態度ハ將來國是遂行ニ大ナル關係ヲ有スルヲ以テ聊カ卑見ヲ述ヘ御參考ニ供シタシ御聽許ヲ得ハ幸甚ナリ 若シ一進會カ前述ノ如キ請願ヲナシタル場合ニ於テハ統監ハ泰然トシテ之ヲ受領シ單ニ參考ニ供スヘキ旨ヲ答ヘ置カレ一面韓國政府ニ諭シ本件請願ノ如キハ目下韓國ノ情態ニ於テ一ノ政事的意見ト見ルノ外ナキヲ以テ穩當ニ之ヲ受領セシムルノ處置ニ執ラシメラレ然ルヘシト考フ又此際捕縛又ハ虐殺等無謀ナル處置ニ出テサルヨウ嚴ニ韓國政府ニ注意ヲ與ヘラレタシ且ツ憲兵警察機關ヲ戒飭シ騷擾ヲ豫防セシメラレタシ又要スレハ密ニ軍隊ヲ戒メ卜慮ニ備ヘ置クノ必要アルヘシ以上ハ小生一己ノ私見ヲ披瀝シタルモノナレトモ大體ニ於テ首相モ異存ナキコトゝ信スルヲ以テ幸ニ右ノ趣旨以テ御處理アランコトヲ乞フ寺內手書ス”

“[16] “한국사데이터베이스 비교보기 > (46) [一進會의 善後策에 대한 總理大臣의 의견 조회 件]”. db.history.go.kr. 2021年9月6日閲覧。 “今回ノ事件ハ一面ハ陸軍大臣ヨリ請願提出ノ豫報モアリ兼ネテヨリ內容ニ於テ間接ニ御承知アリシ樣ニモ推察セラルゝモ”

 

案 聖断、遂に下れること 1945. 8. 10?

[ 「大本営陸軍部」 事務用箋]

    案

 聖断、遂に下れること。

 国体の絶対性と一億赤子の上とを思召さるる叡慮に順はざるべがらず。聖断、必ずしも吾人の信念において御結論を賜はらざりしこと、責任を感ず。この国難、正に吾人は死に勝る苦痛を共にせざるべからず。

 かかる時のためとも云ふべく陶冶せられたる軍紀、いよいよ鞏化すべき団結、真に統帥中央部の真価を表現すべし。

 

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/C12120338400 1/4

[ 「大本營陸軍部」 事務用箋]

   案
聖断遂ニ下レルコト
國體ノ絶對性ト一億赤子ノ上トヲ
思召サルル 叡慮ニ順ハサルヘカラス
聖断 必スシモ吾人ノ信念ニ於テ <御>
              結
[×ハレ×] <論ヲ賜ハラ>
     サリシコト 責任ヲ感ズ
此ノ國難、正ニ吾人ハ死ニ勝ル
苦痛ヲ共ニセサルヘカラス

 

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/C12120338400 3/4

[×此×] <斯ル>
   時ノ为トモ云フへ [×キ×] ク陶冶
セラレタル軍紀、愈〻鞏
化スヘキ團結
眞ニ統帥中央部ノ真
價ヲ表現スベシ

 

↑「案 聖断遂に下れること」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C12120338400、最高戦争指導会議に関する綴 其2 昭和20年4月16日~9月2日(中央-戦争指導重要国策文書-1196/防衛省防衛研究所

【工事中】厚生省引揚援護局資料室『終戦前後に於ける内外地第一線部隊の概観』

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/C15010227200

終戦時における内外地㐧一線軍隊の概観

          昭和二十三、五、調整
          厚生省引揚援護局史料室

↑「表紙「終戦時に於ける内外地第1線軍隊の概観」」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C15010227200

 

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/C15010227300

終戦前後に於ける内外地㐧一線部隊の概観

          昭和三十三年 五 月
          厚生省引揚局援護資料室

↑「中表紙」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C15010227300

 

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/C15010227400

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/C15010227400

↑「目次「終戦時に於ける内外地第1線軍隊の概観」」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C15010227400

 

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/C15010227500 1/2

     前  言
 本書は、 内地及外地に於ける㐧一線軍隊 の  終戦前と終戦時|に於ける態勢並実相  と  終戦后の動向並処理  に 関する概|
観 である。
 元々、方面別毎の終戦記録を整理する爲めの基礎的資料たらしめる|目的を以て、素案を整理し、爾後、逐次、加除修正を重ね、概成を期|したものである。
 素材は、状況報告其他当時の記録・陸軍省(㐧一復員省)の資料課|の整理した情報資料 等 であるが、之等は概して頗る貧弱で、一応|の史実とする為めには所謂資料保有者から色〻と聞かなければならな|いことが甚だ多いのが実情である。
 前述の如く、本書の内容については、逐次、補正し、且つ、拡張附|□しつつ、概成することにしたものであり、昭和三十三年度の当初に|於ては、支那派遣軍南方軍以外は、何れも作業中途で、従つて、詳

 

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/C15010227500 2/2

細の度は、自ら甚だ区々となつて、南東方面(㐧八方面軍・㐧十七軍)・|中部太平洋(㐧三十一軍)、パラオ(㐧十四師団)、小笠原(㐧百九|師団)等 は、作業の関係上、誠に粗薄とならざるをえなかつた。
 が、之等は、万承知の上で、中間整理の意味を以て、昭和三十三年|度初頭に於ける資料を、取敢えず整理し、他日に於ける研究の材料た|らしめる意味を以て、纏めることとしたのである。
 支那派遣軍南方軍については、一応その史実の整理を了つたが、|茲には概貌を載録すると共に、その足らざる処を部分的に保備する如|く努めた。

↑「第1.諸言」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C15010227500

 

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/C15010231100 1/18

4 支那派遺軍の終戦処理

 支那派遺軍総司令官岡村寧次大将は、八月十日夜以来、放送傍受並|中央からの連絡示達によつて日本の終戦企図を承知し、十二日並十四|日、再度に亘り、国体護持に関し強硬なる意見具申の電報を発信した|が、更に、八月十四日午後六時頃、参謀総長を通じて、屈辱的平和を|排し徹底的戦争遂行に驀進すべく御聖断あらせられ度き意味の上奏電|報を発信した。

  注、之等意見具申並上奏電報の細部は、第一巻「終戦の経|緯」に記述する処の如くである。

 

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/C15010231100 2/18

然し乍ら、八月十五日正午の玉音放送を拝聴するや、岡村大将は、 直|ちに、承詔必謹の態度を決定し、全軍将兵に対し宸襟を安んじ奉るべ|きことを訓示したのであつたが、派遺軍に於ては、 八月十五日、総司|令官名を以て、参謀総長宛て、

1. 新情勢に基く大陸命至急発令方取計われ度
2. 派遣軍は百万の大軍を擁し、然も、連戦連勝、戦争には破れたり|と 雖も、作戦には圧倒的勝利を占めあり。斯くの如き優勢なる軍|隊を 弱体なる重慶軍により、武装解除さるるが如きは、 有り得べか|らざることにして、然も支那に於ける治安の現況にては 、武装解|除后は、生命の保全をも期し難く、加之、ポツダム宣言に 於ける|日本軍の武装解除には、其の時期と場所とを述べあらずと思料せ|らるるに付、内地帰還后、又は、乗船地とする

 

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/C15010231100 3/18

如く中央部に於て折衝あり度
 − − − − 後略 − − − −

と要請し、一方、大本営命令に基いて、十六日には積極的侵攻作戦の|中止すると共に一兵に至る迄光輝ある派遣軍の矜持と不抜の信念を堅|持して沈毅自重すべきことを命令し、次いで、仝夜、戦闘行動に関し、|即時停止を命じ、且つ、「命令既に茲に至る、忍び難きを忍び、も迅|速に一兵に至る迄徹底し、以て聖旨に副 [ひ奉] るべし、但し戦闘行動以外の現|任務は之を続行し停戦交渉成立に至る間敵の来攻に方りては已むを得|ざる自衛の為の戦闘行動は之を妨げず」と示逹した。
八月十七日、天皇陛下の御差遣になられた朝香宮鳩彦王大将殿下は、|南京総軍司令部に於て、畏き聖慮を欽逹せられた。
岡村総司令官は、承詔必謹誓つて聖旨に副ひ奉るべき旨奉答申上げる|と共に、左記の通り派遣軍の軍状を報告申上げた。
   軍状報告        臣寧次

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/C15010231100 4/18

 


第6.終戦前及終戦時に於ける支那派遣軍の概況/4.支那派遣軍の終戦処理」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C15010231100、「終戦時に於ける内外地第1線軍隊の概観」(中央-終戦処理-212/防衛省防衛研究所

参謀総長宛 支那派遣軍総司令官 電報 「臣寧次、謹みて奏上す」 1945. 8. 14

総長
極秘 機密親展 昭和20年8月14日配布
        8月14日 20:25発
        8月14日 21:59着
        8月14日 22:40受付
        8月14日 23・48提出

警急電報
 総 長 宛  発信者 支那派遣軍総司令官
総参一電第九二一号

          臣寧次謹みて奏°上°す。
 肇°国°以来、悠久三千年、尊厳無比なる我が国体護持の為には、全国民熱火一丸となり驕敵撃滅の一途に邁進あるのみ。
 しかして皇軍七百万は皇土および大陸に健在し、支那派遣軍勇躍、任務完遂に邁進中にして、必死敢闘する所、必ずや死中活を求め得べきを確信す。
 外電の伝ふるがごとき屈辱的平和は、光栄輝く帝国を抹殺するものに斉しく、帝国臣民として断じて承服し得ざるのみならず、かくのごときは支那派遣軍の実情上、絶対不可能に近し。今や皇国興亡の関頭に臨み、是非とも微衷を
上聞に達し、徹底的戦争遂行に驀進すべく御聖断あらんことを、伏して祈り上げ奉る。
 昭和二十年八月十四日
      支那派遣軍総司令官 岡村寧次

右、御執奏相成りたし。

 通電先:総長
 参 考:威、関東軍、二総、甲、登、波、統

(終)

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/C12120339100 1/4

總長           翻譯者:鎌田
極秘 機密親展 昭和二〇年八月十四日配布
        八月一四日 二〇・二五發
        八月一四日 二一・五九著
        八月一四日 二二・四〇受付
        八月一四日 二三・四八提出
警急電報
 總 長 宛  發信者 支那派遣軍總司令官
總参一電第九二一號

     臣寧次謹ミテ奏°上°ス
肇°國°以來悠久三千年尊嚴無比
ナル我ガ國體護持ノ爲ニハ全國民
熱火一丸トナリ
                   ↘

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/C12120339100 2/4

警急 機密親展
總参一電第九二一號其二
        八月一四日 二二・四〇著
             翻譯者:金子武

驕敵擊滅ノ一途ニ邁進アルノミ
而シテ皇軍七百萬ハ皇土及大陸ニ
健在シ支那派遣軍勇躍任務
完遂ニ邁進中ニシテ
                   ↘

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/C12120339100 3/4

警急 機密親展
總参一電第九二一號其三
        八月十四日 二二四〇著
             翻譯者:黒田
                 國枝

必死敢鬪スル所必ズヤ死中活ヲ求メ得ベキヲ
確信ス
外電ノ傳フルガ如キ屈辱的平和ハ光榮輝ク帝國ヲ
抹殺スルモノニ齊シク帝國臣民トシテ断ジテ承服シ
得ザルノミナラズ斯クノ如キハ支那派遣軍ノ實情上
絶對不可能ニ近シ 今ヤ皇國興亡ノ
關頭ニ臨ミ是非トモ微衷ヲ
                   ↘

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/C12120339100 4/4

警急 機密親展
總参一電第九二一號其五、六
        八月十四日 二二・四〇著
             翻譯者:宿沢

上聞ニ達シ徹底的戰爭遂行ニ驀進スベク
御聖断アランコトヲ伏シテ祈リ上ゲ奉ル
  昭和二十年八月十四日
 支那派遣軍總司令官 岡村寧次
右御執奏相成度

 通電先、總長
 参 考、威、関東軍、二總、甲、登、波、統
                  (終)

 

↑「昭和20年8月14日 参謀総長宛支那派遣軍総司令官電報」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C12120339100 、最高戦争指導会議に関する綴 其2 昭和20年4月16日~9月2日防衛省防衛研究所 中央-戦争指導重要国策文書-1196)

独立歩兵第十四旅団から第一軍参謀長あて電報 東沁軍作名甲第 26 号要旨 1946. 2. 27

【至急】
 【軍事極秘】       【林田】
司令官:花押 参謀長:花押 部課長:花押
配布先:参 3

電文訳 着信番号:32 33 34
発信:昭和 21 年 2 月 27 日 03 時 25 分
着信:            ?? 時 00 分
受信者:参謀長 発信地:南団柏
          【参謀部受付/21. 2. 26】
件名:
発電番号:独歩 14 旅総修電第 114 号

 東沁軍作名甲第 26 号要旨 2 月 27 日 10 時
               南 団 柏

一、東沁線破壊と今時敗戦の挽回を企図し、河南省より北上せる共産軍約 10 個団中、約 4 個団は目下新店 (51−55) 附近にあり。

二、軍は東沁線を急速に打通し、補給を増速し、情勢相応の態勢を強化せんとす。

三、鉄道修理工程隊は南溝以南の鉄道修理を強行すべし。

四、布川、毛利両鉄道工作隊は前項修理現場の掩護に任ずべし。[上余白:150 以外に使用せられあるや]

五、細部は工程隊長、鉄道工作大隊長相互協定すべし。

六、布川部隊長は鉄道修理工程隊長に伝達すべし。

                元泉 馨 終

 

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/C13070322300 1/49

【至急】
 【軍事極祕】       【林田】
司令官:花押 參謀長:花押 部課長:花押
配布先:參 3

電文譯 着信番號:32 33 34
發信:昭和二一年二月二七日〇三時二五分
着信:          □□時〇〇分
受信者:參謀長 發信地:南團柏
          【參謀部受付/21. 2. 26】
件名:
發電番號:獨步一四旅總修電第一一四號

 東沁軍作名甲第二六號要旨
            二月二七日一〇時
            南 團 柏
一、東沁線破壞ト今時敗戰ノ挽回ヲ企圖シ
   河南省ヨリ北上セル共產軍約一〇個團
   中約四個團ハ目下新店 (51−55) 附近
   ニ在リ
二、軍ハ東沁線ヲ急速ニ打通シ補給ヲ

 

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/C13070322300 2/49

   増速シ情勢相應ノ態勢ヲ强化セントス
三、鐵道修理工程隊ハ南溝以南ノ鐵道 
   修理ヲ强行スベシ
四、布川、毛利兩鐵道工作隊ハ前項修理
   現場ノ掩護ニ任ズベシ
五、細部ハ工程隊長、鐵道工作大隊長
   相互協定スベシ
六、布川部隊長ハ鐵道修理工程隊長ニ
   傳達スベシ
              元泉 馨 終

 

150 以外ニ
使用セ
ラレアルヤ

 

発信地 南団柏 電報綴 昭和21年2~4月(1)」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C13070322300、第1軍受信電報綴 昭和20年8月13日~21年4月26日防衛省防衛研究所

津田左右吉 著『文学に現はれたる我が国民思想の研究 貴族文学の時代』より 1916. 8. 20

 さて最後にいって置くべきことは歌の題材である。古今以後の勅撰集の分類からいうと、四季と恋とが主になっていて、歌の数もこの二つが大部分を占めているが、四季のうちにも恋に関するものが少なからず入っている。花鳥風月に対する情そのものが、恋に誘われて生ずることが多いのである。また離別や覇旅の歌にも、その実、恋歌といって差支えないものがある。前章に述べたように、平安貴族の生活がでこまでも私人的であり、自己中心であり、享楽的であるとすれば、歌の題材の最も主要なものが恋であるのに不思議はない。公共的感情などは初から無いのであるから、それが歌に現はれないのは当然であって、国民とか国家社会とかに対する思惑などは全く見ることができない。賀の歌などに皇室に関係したものがあっても、皇室を国民の元首として見たものでは無い。(ついでにいうが、今国家として取り扱われている 「君が代」 の元歌、「我が君は千世に八千世に」 の歌が御代の長久を詠んだものではないことはいふまでもなかろう。現に小野宮実頼の五十の賀の屏風の歌に、「君が代を何にたとへんさゞれ石の巌とならんほどもあかねば」 といふ元輔の作が後撰集にある。) それから、官位の昇進を望むような歌は随分あるが、政治上に何かの事業をしようというような感慨の現われたものは一つもない。すべてが自己のためであって、公共心も愛国心も発達していなかった時代の有様がよくわかろう。

 

https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/957402/1/147

 さて最後にいつて置くべきことは歌の題材である。古今以後の敕撰集の分類からいふと、四季と戀とが主になつてゐて、歌の數も此の二つが大部分を占めてゐるが、四季のうちにも戀に關するものが少なからず入つてゐる。花鳥風月に對する情其のものが、戀に誘はれて生ずることが多いのである。又た離別や霸旅の歌にも、其の實、戀歌といつて差支ないものがある。前章に述べたやうに、平安貴族の生活がどこまでも私人的であり、自己中心であり、享樂的であるとすれ

 

https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/957402/1/148

ば、歌の題材の最も主要なものが戀であるのに不思議は無い。公共的感情などは初から無いのであるから、それがに現はれないのは當然であつて、國民とか國家社會とかに對する思惑などは全く見ることができない。賀の歌などに皇室に關係したものがあつても、皇室を國民の元首として見たものでは無い。(序にいふが、今國歌として取り扱はれてゐる 「君が代」 の元歌君が代」 の元歌、「我が君は千世に八千世に」 の歌が御代の長久を詠んだものでは無いことはいふまでも無からう。現に小野宮實賴の五十の賀の屏風の歌に、「君が代を何にたとへんさゞれ石の巖とならんほどもあかねば」 といふ元輔の作が後撰集にある。) それから、官位の昇進を望むやうな歌は隨分あるが、政治上に何かの事業をしようといふやうな感慨の現はれたものは一つも無い。すべてが自己のためであつて、公共心も愛國心も發達してゐなかつた時代の有樣がよくわからう。

 

津田左右吉 著『文学に現はれたる我が国民思想の研究』貴族文学の時代,洛陽堂,大正5-7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/957402 (参照 2024-03-16)