さて最後にいって置くべきことは歌の題材である。古今以後の勅撰集の分類からいうと、四季と恋とが主になっていて、歌の数もこの二つが大部分を占めているが、四季のうちにも恋に関するものが少なからず入っている。花鳥風月に対する情そのものが、恋に誘われて生ずることが多いのである。また離別や覇旅の歌にも、その実、恋歌といって差支えないものがある。前章に述べたように、平安貴族の生活がでこまでも私人的であり、自己中心であり、享楽的であるとすれば、歌の題材の最も主要なものが恋であるのに不思議はない。公共的感情などは初から無いのであるから、それが歌に現はれないのは当然であって、国民とか国家社会とかに対する思惑などは全く見ることができない。賀の歌などに皇室に関係したものがあっても、皇室を国民の元首として見たものでは無い。(ついでにいうが、今国家として取り扱われている 「君が代」 の元歌、「我が君は千世に八千世に」 の歌が御代の長久を詠んだものではないことはいふまでもなかろう。現に小野宮実頼の五十の賀の屏風の歌に、「君が代を何にたとへんさゞれ石の巌とならんほどもあかねば」 といふ元輔の作が後撰集にある。) それから、官位の昇進を望むような歌は随分あるが、政治上に何かの事業をしようというような感慨の現われたものは一つもない。すべてが自己のためであって、公共心も愛国心も発達していなかった時代の有様がよくわかろう。
さて最後にいつて置くべきことは歌の題材である。古今以後の敕撰集の分類からいふと、四季と戀とが主になつてゐて、歌の數も此の二つが大部分を占めてゐるが、四季のうちにも戀に關するものが少なからず入つてゐる。花鳥風月に對する情其のものが、戀に誘はれて生ずることが多いのである。又た離別や霸旅の歌にも、其の實、戀歌といつて差支ないものがある。前章に述べたやうに、平安貴族の生活がどこまでも私人的であり、自己中心であり、享樂的であるとすれ
ば、歌の題材の最も主要なものが戀であるのに不思議は無い。公共的感情などは初から無いのであるから、それがに現はれないのは當然であつて、國民とか國家社會とかに對する思惑などは全く見ることができない。賀の歌などに皇室に關係したものがあつても、皇室を國民の元首として見たものでは無い。(序にいふが、今國歌として取り扱はれてゐる 「君が代」 の元歌君が代」 の元歌、「我が君は千世に八千世に」 の歌が御代の長久を詠んだものでは無いことはいふまでも無からう。現に小野宮實賴の五十の賀の屏風の歌に、「君が代を何にたとへんさゞれ石の巖とならんほどもあかねば」 といふ元輔の作が後撰集にある。) それから、官位の昇進を望むやうな歌は隨分あるが、政治上に何かの事業をしようといふやうな感慨の現はれたものは一つも無い。すべてが自己のためであつて、公共心も愛國心も發達してゐなかつた時代の有樣がよくわからう。
津田左右吉 著『文学に現はれたる我が国民思想の研究』貴族文学の時代,洛陽堂,大正5-7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/957402 (参照 2024-03-16)