Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

【工事中】厚生省引揚援護局資料室『終戦前後に於ける内外地第一線部隊の概観』

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/C15010227200

終戦時における内外地㐧一線軍隊の概観

          昭和二十三、五、調整
          厚生省引揚援護局史料室

↑「表紙「終戦時に於ける内外地第1線軍隊の概観」」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C15010227200

 

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/C15010227300

終戦前後に於ける内外地㐧一線部隊の概観

          昭和三十三年 五 月
          厚生省引揚局援護資料室

↑「中表紙」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C15010227300

 

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/C15010227400

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/C15010227400

↑「目次「終戦時に於ける内外地第1線軍隊の概観」」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C15010227400

 

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/C15010227500 1/2

     前  言
 本書は、 内地及外地に於ける㐧一線軍隊 の  終戦前と終戦時|に於ける態勢並実相  と  終戦后の動向並処理  に 関する概|
観 である。
 元々、方面別毎の終戦記録を整理する爲めの基礎的資料たらしめる|目的を以て、素案を整理し、爾後、逐次、加除修正を重ね、概成を期|したものである。
 素材は、状況報告其他当時の記録・陸軍省(㐧一復員省)の資料課|の整理した情報資料 等 であるが、之等は概して頗る貧弱で、一応|の史実とする為めには所謂資料保有者から色〻と聞かなければならな|いことが甚だ多いのが実情である。
 前述の如く、本書の内容については、逐次、補正し、且つ、拡張附|□しつつ、概成することにしたものであり、昭和三十三年度の当初に|於ては、支那派遣軍南方軍以外は、何れも作業中途で、従つて、詳

 

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/C15010227500 2/2

細の度は、自ら甚だ区々となつて、南東方面(㐧八方面軍・㐧十七軍)・|中部太平洋(㐧三十一軍)、パラオ(㐧十四師団)、小笠原(㐧百九|師団)等 は、作業の関係上、誠に粗薄とならざるをえなかつた。
 が、之等は、万承知の上で、中間整理の意味を以て、昭和三十三年|度初頭に於ける資料を、取敢えず整理し、他日に於ける研究の材料た|らしめる意味を以て、纏めることとしたのである。
 支那派遣軍南方軍については、一応その史実の整理を了つたが、|茲には概貌を載録すると共に、その足らざる処を部分的に保備する如|く努めた。

↑「第1.諸言」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C15010227500

 

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/C15010231100 1/18

4 支那派遺軍の終戦処理

 支那派遺軍総司令官岡村寧次大将は、八月十日夜以来、放送傍受並|中央からの連絡示達によつて日本の終戦企図を承知し、十二日並十四|日、再度に亘り、国体護持に関し強硬なる意見具申の電報を発信した|が、更に、八月十四日午後六時頃、参謀総長を通じて、屈辱的平和を|排し徹底的戦争遂行に驀進すべく御聖断あらせられ度き意味の上奏電|報を発信した。

  注、之等意見具申並上奏電報の細部は、第一巻「終戦の経|緯」に記述する処の如くである。

 

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/C15010231100 2/18

然し乍ら、八月十五日正午の玉音放送を拝聴するや、岡村大将は、 直|ちに、承詔必謹の態度を決定し、全軍将兵に対し宸襟を安んじ奉るべ|きことを訓示したのであつたが、派遺軍に於ては、 八月十五日、総司|令官名を以て、参謀総長宛て、

1. 新情勢に基く大陸命至急発令方取計われ度
2. 派遣軍は百万の大軍を擁し、然も、連戦連勝、戦争には破れたり|と 雖も、作戦には圧倒的勝利を占めあり。斯くの如き優勢なる軍|隊を 弱体なる重慶軍により、武装解除さるるが如きは、 有り得べか|らざることにして、然も支那に於ける治安の現況にては 、武装解|除后は、生命の保全をも期し難く、加之、ポツダム宣言に 於ける|日本軍の武装解除には、其の時期と場所とを述べあらずと思料せ|らるるに付、内地帰還后、又は、乗船地とする

 

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/C15010231100 3/18

如く中央部に於て折衝あり度
 − − − − 後略 − − − −

と要請し、一方、大本営命令に基いて、十六日には積極的侵攻作戦の|中止すると共に一兵に至る迄光輝ある派遣軍の矜持と不抜の信念を堅|持して沈毅自重すべきことを命令し、次いで、仝夜、戦闘行動に関し、|即時停止を命じ、且つ、「命令既に茲に至る、忍び難きを忍び、も迅|速に一兵に至る迄徹底し、以て聖旨に副 [ひ奉] るべし、但し戦闘行動以外の現|任務は之を続行し停戦交渉成立に至る間敵の来攻に方りては已むを得|ざる自衛の為の戦闘行動は之を妨げず」と示逹した。
八月十七日、天皇陛下の御差遣になられた朝香宮鳩彦王大将殿下は、|南京総軍司令部に於て、畏き聖慮を欽逹せられた。
岡村総司令官は、承詔必謹誓つて聖旨に副ひ奉るべき旨奉答申上げる|と共に、左記の通り派遣軍の軍状を報告申上げた。
   軍状報告        臣寧次

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/C15010231100 4/18

 


第6.終戦前及終戦時に於ける支那派遣軍の概況/4.支那派遣軍の終戦処理」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C15010231100、「終戦時に於ける内外地第1線軍隊の概観」(中央-終戦処理-212/防衛省防衛研究所