Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

特命全権公使 大鳥圭介発 外務大臣 陸奥宗光宛 内政改革案提出ノ件 1894.7.9

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廿七年七月十七日接受
主幹 政務局【栗野愼一郎】
大臣 閲 次官 機密受第一〇一八號

機密第一ニ一號 本七〇
  内政改革案提出ノ件

朝鮮政府ニ向ヒ内治改良勧告ノ儀ニ付 去六月二十八日 機密㐧二六号貴信ヲ以テ縷〻御訓示有之候處 同件ニ付テハ其前 既ニ再三ノ御電訓有之 且ツ加藤書記官ヲ以テ御口達ノ訓令モ有之候ニ付 本月三日(即 機密㐧二六号貴信接到ノ二日前)別紙甲号ノ通リ改革方策綱領ニ趣意説明ヲ添へ外務督弁ニ提出シテ大君主陛下ニ轉奏方 依頼致候 然處 本政府ノ内部ニハ改革反對派ノ㔟力 頗ル熾ニシテ 改革派ハ之ニ抵抗スル能ハス 加之 改革派ト虽トモ去十七年 金朴等ノ失敗ヲ鉴ミ 進ンテ改革ヲ唱フルモノ無之ニ因リ 果テハ満朝反對ノ声ト相化シタルガ如ク致傳聞候得共 我勧告ニ向テモ亦 彼等 推切リテ之ヲ拒絶スル氣力無之ニ就 去七日朝 内務督弁 申正熈 同協弁 金宗漢 曹寅承ノ三名ハ我勧告ニ従ヒ改革取調委貟ヲ命シラレタル旨 同夜 外務督弁ヨリ官貟ヲ派シテ御通知有之候 尤モ内政改革協議ニ付 初メヨリ外務督弁ハ公然照會等ヲ用ユルコトナク内密ニ取計度旨 申出候得共 御訓示ノ次㐧モ有之候ニ付 同七日ニ至リ遅延ナガラ別紙乙号ノ通リ照會シ 併ニ委貟ト會同センコトヲ相促シ置キ候處 昨八日夜 属貟ヲ派シ「公然照會セラレテハ迷惑ノ廉不少ニ付 何卒 撤囬スル様ニ」ト依頼有之候得共 断然拒絶致置候 猶ホ今明日ニモ委貟會同ノ期ニ立至リ候ハヽ 㐧一 彼等ノ委任権限 相慥メ 果シテ我相談ニ應シテ改革実行ニ至ル可キ権限ヲ有シ居リ候ハヽ 別紙丙号ノ改革綱目ハ機密㐧二六号之改革案ヲ以テ協議ニ及ヒ 且ツ各案ノ緩急ヲ見計ヒ期限ヲ定メ必行ヲ相迫リ可ヤト存候 將又 別紙丙号ノ改革綱目計ハ機密㐧二六号貴信ニテ御訓示ノ条項トハ致相違候得共 右ハ去三日提出ノ綱領ヲ追フテ取調候者ニ付 今更 之ヲ改ムル様ニ至兼候 尤モ御訓示ノ条項ヲバ一切 其中ニ含蓄セシメ遺漏ナキ様ニ取計宗主 別紙相添 右及上申候也

明治二十七年七月九日
         特命全権公使 大鳥圭介
         【日本帝國特命全權公使】
     外務大臣 陸奥宗光殿

甲号

貴國内政改革ノ今日ニ必要ナル所以 并 我政府ハ其位地 及 友誼上ノ関係ヨリ之ヲ貴政府ニ勧告セサル可カラサル所以ノ理由ハ 先般 本公使ガ 貴國大君主陛下ニ進見シタル際 具ニ御前ニ陳奏シタリト雖モ 本日 内政改革案ヲ提出スルニ當リテ 改メテ貴國政府ニ向ヒ其理由ヲ詳陳セサル可カラス 抑〻貴國ハ最近十餘年ノ經験ニ於テ兵變民乱 屢〻興リ國内 平隱ナラス 其餘響施テ隣國ニ及ヒ 或ハ竟ニ外國兵ヲ招来スルノ不幸ヲ見ルハ 貴我兩國ノ共ニ憂フル所ナリ 必竟スルニ貴國ハ其獨立ヲ維持スル元素 就中 國内ノ安寧ヲ維持スル兵備ニ缺乏スル所アリテ其勢 此ニ至ルモノト判定セサルヲ得ス 我國ハ貴國ト一葦帯水ヲ隔テヽ相隣接シ 隨テ政事 及 貿易上ノ関係 浅カラサレバ 貴國ニ於ケル変乱ハ我帝國ノ利益ニ影響スル實ニ鮮少ナラス 左レバ我帝國ハ今日 貴國ノ困難ナル状態ヲ観ナガラ其侭ニ看過ス可カラザルハ勿論ノ事ナリ 何トナレバ則チ我帝國ハ此際 貴國ノ困難ヲ泰越視スルハ啻ニ年来ノ友誼ニ背クノミナラス 之カ為メ我帝國ノ安寧ヲ害シ利益ヲ損センコトヲ恐ルレバナリ 之ヲ以テ嚮キニ帝國政府ハ東京ニ於テ貴國善後方案若干條ヲ画策シ 之ヲ我國ト略〻同様ノ位地ニ立テル清國欽差大臣ニ提議シ同政府ノ協同ヲ相求メタリシニ 同政府ハ敢テ之ニ應セス冷淡ニモ我協議ヲ斥ケタリ 然リト雖トモ我政府ハ輙ク當初ノ目的ヲ変スル者ニアラス 飽マテ其趣意ヲ追ヒ貴國ニ勧メテ獨立國ニ適當ナル政治ヲ確立セシメント欲ス 依テ此処ニ本公使ニ訓令シテ改革方策五條ヲ提出セシム 貴政府諸公 廣ク宇内ノ形勢ヲ観 國家百年ノ長計ヲ慮リ 以テ我政府ノ好意ヲ空フスル無カランコト 深ク希望スル所ナリ

  内政改革方案綱領

一 中央政府ノ制度 并 地方制度ヲ改正シ 并ニ人材ヲ採用スル事

ニ 財政ヲ整理シ冨源ヲ開発スル事

三 法律ヲ整頓シ裁判法ヲ改正スル事

四 國内ノ民乱ヲ鎭定シ安寧ヲ保持スルニ必要ナル兵備ヲ設クルコト

五 敎育ノ制度ヲ確立スル事

右ハ内政改革ノ大綱領ナリ 其細目ニ至リテハ 貴政府ニ於テ委貟任命ノ後 更ニ本使ヨリ提議スル所アルへシ 依テ貴政府ハ第一着手トシテ大君主陛下ノ最モ信頼セラルヽ大臣数名ヲ委貟ニ任命セラレンコトヲ希望セリ

乙号

㐧七十号

以書柬致啓上候 陳者 我暦本年六月二十六日 本公使ガ 貴国大君主陛下ニ進見シタル際 貴国内省ノ今日ニ必要ナル所以 并 我政府ハ其位地 及 友誼上ノ関係ヨリ之ヲ貴政府ニ勧告セザル可カラザル所以ノ理由ヲ御前ニ陳奏シ 尋テ本月三日 貴督弁ニ御面會ヲ遂ケ 改革案一冊 即チ別紙同文ヲ提出シテ 大君主陛下ニ御代奏相成候様御依頼致置キ候 然ルニ今日ニ至ル迠 既ニ五日ヲ經タルモ貴政府ニハ採否 孰レニ御決定相成リ候哉 未タ何分ノ御囬答ニ相接シ不申候 抑〻我政府ハ今般 貴政府ニ向ヒ内政改革ヲ御勧告及ヒ候次㐧ハ該案趣意書ニモ詳陳致置キ候通リ東洋ノ大局ヲ保全セント願フ深慮ヨリ起見シ 偏ニ貴政府ノ御採用アランコトヲ希望スル儀ナレバ 唯一日モ速ニ御囬答相待チ居候 依テ前記提出案ニ對シ明日 即和暦本月八日正午十二時マテ何分ノ御確答相成候様致度 此段照會得貴意候 敬具

明治二十七年七月七日
       特命全権公使 大鳥圭介
    督弁交渉通商事務 趙秉稷閣下

 

↑韓国内政改革ニ関スル交渉雑件 第一巻
3 明治27年7月5日から1894〔明治27〕年7月17日 https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B03050308300 p.21~