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公文別録 朝鮮事件 一(その②) 外務省出仕佐田白茅外二名朝鮮国交際始末内探書 1870. 4

公文別録・朝鮮事件・明治元年~明治四年・第一巻・明治元年~明治四年

八 外務省出仕佐田白茅外二名、朝鮮国交際始末内探書

 

 朝鮮国交際始末内探書

 

          外務省出仕

            佐田白茅

            森山 茂

            斎藤 栄

 

慶長·元和以来、朝鮮国より信使差し越し、藩属の礼を執り来たり候ふ元由

 この儀、両国同等の礼を執らず彼のみ信使差し越し来たり候ふ起原曖昧、確証を得ず。秀吉卒去の後、家康講和の儀を宗義智に命ず。義智、柳川調信以酊庵長老等議して和事を取り扱ふこと殆んど六、七年、慶長丁未(1607年)、和好成りて文信の贈酬あり、その後、義智ら信使来朝の儀を促す。彼は勇武の我に敵ふべからざるを悟り、一着輸してつひに寛永甲子信使差し越すこととなれり。宗家旧記に、和順の復書あれど家康より贈りたる往翰なし。その復書を見るに、本朝に藩属の礼を執らざること明らかなり。しからば本朝の使節を乞ふべきはずなるを、壬申乱後、国内の形勢地理を大いに秘する情体より却つて答礼を受けざるを窃かに緩安し、幕府代替りの都度、信使差し渡し来たれるは、畢竟、敬して遠ざくる意より出しと見え、去々(1868年)、厳原藩建白中に、今通信使を召寄られ、外務省おいて条理を尽し厚く説諭あらば、旧染の悪習変移の機会にも至るべしとの趣き相見え、同藩の見込みいかにこれあるべきや。彼内外の政務これまで文官にあり、近年、仏国人戦争以来、武臣権を専らにし、国政多くは武官より出で、既に去々辰冬、御一新報知の書翰、従前の例に拠り写しをもつて相渡し、本書請取渡しを促すといへど、書契中、皇と称し、勅と称し、礼曹参議に対し大人を公と改め、朝臣左近衛および朝鮮国王より兼ねて渡し置きたる国書を改めて新印を押したる件々を掲げ、すべて文中の不遜なるを咎め、旧例に拠らざるを挙論し、つひに断然受くべからざることに決答すれども、かつて毫も絶交の意なく陰に徳川氏同等の大臣と適礼せんことを陳述す。顚末かくの如き場合え信使を促すとも行き届くべき儀にこれなく、右書翰持参の使臣、樋口鉄四郎、今に在韓前書決答の始末をもつてこの上の取り計らひ振り相伺ひ、御沙汰次第において談判および候ふ心得の御申し聞かせ、これまでの手続きなど篤と承りしに、昨春以来数回談論を重ね、つひに右の結局に立ち至り、以後、何様の御沙汰これあり候ふとも彼頑固の国風とても大差使一分の力をもつて切破行き届き難き儀は勿論、この上宗氏自ら渡韓いたし候ふとも承諾いたすべき儀とも相聞かず、つまり順延、機会を失するより、むしろ彼の決答、後日必証とすべき書面を取り、右をもつて御廟議相伺ひ候ふ方にこれあるべきむね大差使そのほかえも申談、なほ館守役より応接の上、別紙写しの通り東莱府伯よりの書翰、ならびに訓導別差より旧冬差し出だし置きたる難問書え調印いたさせ、右本紙は程なくこの上の取り扱ひ振り相伺ひ候ふ節、一同宗氏より差し出だし候ふ趣きにこれあり、すなはち写し差し上げ申し候ふ。速やかに御廟議の上、御措置これありたく候ふこと。

対州より朝鮮え差し遣はし候ふ使者の礼典、朝鮮より対州え差し渡し候ふ使者の礼典

 この儀、幕府代替り、宗家および朝鮮国の吉凶とも宗家より礼曹参判え向け、書翰を添へ土物をもたらし、使者として執政および重臣の内を差し遣はす。彼の国よりは、幕府代替りには信使、その余りの吉凶、宗家代替りなどには任官と唱へ候ふものを対州え差し越し、双方の礼典、別冊の通りにこれあり。もっとも任官渡来の諸入費は幕府より下げ渡し候ふ仕来たりに相聞き候ふこと。

一 朝鮮国より勘合印を受け候ふよし、右は同国制度に取り入り、貢を受け候ふ取扱ひなるや

 この儀、彼の国、府郡県え国王より相与へ候ふ国書同様にて、宗氏実名を彫りたる銅印なり。歳遣船に添ゆる書翰を始め、何事によらず宗氏より彼の国え贈るところの文信には、悉くこの印を用ひ、もしこの印彰所持せざる船は賊論をもつて断[ず]と往古の約定に載りたり。この印を受くるは彼の国制度上に取り臣下に等し。これに加へ、歳賜米と唱へ年に米五拾石、大豆五拾石を宗氏代々に給す。これ彼の国に臣礼を取るの最一とす。その余り謬例枚挙するに遑あらず。対州初めよりその謬例を知るといへども、彼え接近の孤島、一藩の接待力足らず、その上、領知の豊凶、国計切迫の折は彼より金穀を借り受け、右をもつて生活を補ひ候ふ義、古今ままこれあり、近年もまた勝手向き不如意に従ひ朝鮮より若干借財し、右は追々仕法相立ち済む方いたすべしとの趣には候へども、従前の弊風かくのごとくなれば、自今、朝廷おいて交際筋御引受け相成り候ふ上は、第一、宗家の負債を始め累百年私交の謬例発揮と御正し相成らず候ひては交際の条理相立ち難く候ふこと。

一 朝鮮の国体、臣礼を清国に取り北京の正朔を仰ぐといへども、国政に至つては自裁独断の権力あるや

 この儀、毎歳(冬至皇歴)両度の使价、北京に往来す。往古、宰相、六曹の輩を正使とし、附属とも人数三百人ほど陸地を北京に到つて書を捧げ土物をもたらし臣礼を取り正朔を奉ずるの例とす。しかるに雑費許多なるが故、いつの頃よりか両使を相兼ねて訳官のみを遣はし来たれりと。 国王のは北京より贈る。すべて重大の事件は北京の特命受くるよし。されども明の昔と違ひ心伏するにあらず。その節、彼の猛威に屈し陽に正朔を仰ぎ、貿易も支那鴨緑江の傍ら義州府に開き、同所にも府使、訓噵、通事等数員を置き接対す。北京交際の入費は平安一道をもつてし、日本交際の入費は慶尚半境をもつてすと。内治に至りては、明の旧恩を追慕し清の正朔を書載せず、国内一般支干のみを用ひ国王の何年と唱へ、明の服飾、周の礼楽を行ひ、内政百事独断の権あり。外国に関係する事件といへども自裁する由。されども我勝手のよからる事柄は北京に告知し特命を受くる由に相聞けれど、これまで日本に関係せる事件等北京に奏聞することなしと。彼が狡猾の甚しき、日本に向きては北京を鳴らし、北京に対しては日本を後ろえ備へとするの意を示すよし相聞き候ふこと。

ただし朝鮮国訳官、北京に使し日本の礼典を例とし対州よりの使者を取り扱ひ候うよし相聞き候ふこと

一 皇使差し遣れされ候ふ節、御軍艦首府近海え相廻り候ふにつき良港有無

 この儀、御軍艦釜山浦え差し向れられ候ひては頗る迂遠にして咄嗟に弁ぜさるは勿論なり。近年、仏人戦争のみぎり首府近海江華府に碇泊いたし候ふ趣きに相聞き、同所のほか近海に相応の港これなし。右江華府より内手を漢江と唱へ、南北両線これあり、大艦乗り入れ難く首府まで二十里、小舟をもつて往来するよしに相聞き候ふこと。

ただし御軍艦朝鮮え差し向けられ候ふ節、対州厳原は大艦碇泊の場所にこれなく、同国浅海と唱へ候ふ場所一覧いたし候ふところ、朝鮮地に向ひたる大江にて、就中、芉ケ崎と唱へ候ふ場所、御軍艦屯碇、石炭囲ひのため屈竟の地と存ぜられ候ふ間、すなはち西洋測量地図一葉差し出し候ふこと。

一 朝鮮国の義、ロシアの毒吻に心酔し、陰に保護依頼する風評かつ境界論

 この儀、草梁土人等をも聞き採り、訓噵面会の折もそれとなく事情相尋ね候へども、ロシアに依頼する事情さらに相聞かず。もっとも黒龍江を隔つる北の方、方今ロシア人土宇を開墾する風聞あれど、朝鮮境鴨緑江までは懸隔の場所、境壌いまだ接せざるやにこれあり。しかし永く境壌を安んじ候ふ儀には相成り難しとの風聞にこれあり候ふこと。

一 朝鮮国海陸軍武備の虚実、器械の精粗

 この儀、仏人戦争以来は水営、兵営とも頗る兵を練り、府、軍、県、鎮令には農兵を蓄ふ。首府にては寺僧まで兵隊に加え、同所近海は海陸防禦あらかじめ備はれりとの風聞にこれあり。すでに釜山城下おいて折々火入調練これあり、その体裁、本朝の古流に類したるものにて、大旗をもつて進退指揮し、剣鉾隊、弓隊、銃隊等を研究し、陸戦を主とす。物具は隊長以上、身分あるものに限り、充分錦を入れ鉄板を縫ひ込みたる着込みを着し、桃実に類したる兜へ長さ弐尺ほどのを付け、本朝の火事頭巾に等しきものを冠り、馬乗にて指揮す。兵卒に至りては寺僧または農夫ら常服のまま出陣し、専ら毒箭射殺の術を施す。しかるに仏人戦争以来、小銃に利あるを知り、方今銃砲を製造す。その小銃を見るに火縄打ちの長筒にて、製作の拙なること実に見るに足らず。弓は水牛角をもつて半弓に製し、矢は細く鷲羽をもつて細羽に製し、矢尺弓丈より長く、ただ遠矢に利あるを主とす。戦船は水営に備はれりといへども平常漁船に用ひ、日本船に比すれば甚だ拙く相見え、釜山の大湾中一つの砲台も見えず、城塁も堅ならず、軍営といへどかくのごとし。余りは推して知るべし。ただ敵を切所に引き受け接戦の策と相聞き候ふこと。

一 内政の治否、草梁記聞のごとくなるや

 この儀、果して草粱記聞の如し。大殷君、驕奢、漸次暴政を絶し、方今文武百官紛擾、国民頗る怨嗟の情体相見え、就中、即今賄賂行はれ土人殆んど窮するが故、在上の人を誹謗すること記聞に載りたるよりも甚し。慶尚道漆原の一揆は鎮撫し、即今、江原道の内に一揆起りしとの風聞あれど、いまだその鎮制せる説を聞かず。将に仏人邪教を施すに至りては、最前、北京より耶蘇の教師国内に入り、賤民を煽乱すとこれあり候へども、朝鮮国の情体、彼の国に漂到せる日本漂民すら寸地も陸行を許さず、船をもつて釜山に送る旧例なり。外国人を国内に入れず地図を秘する国体をもつて、仏人の永く国内に潜居したるを知らざる理なし。宗門信仰せし土民の内、仏戦の折柄脱走せしものありといふ。この戦争以前は洋物盛んに行はれ、今日さらに洋物をみず。これ疑ふべきの一つなり。いつの頃よりか国民、仏と私交し、追つて邪宗に害あるを知りて断然攘夷の説を聞き、信仰の徒を厳罰せしよしなれど、今にその余党残り居り候ふ趣きに相聞き、これをもつて考ふれば、国情紛乱たるを知るべきこと。

一 貿易取り開きについては物品の交換物価の低昂および貨幣の善悪

 この儀、金銀をもつて貨幣に鋳造いたし候ふ義これなく、砂金または多少の銀塊をもつて旅行の弁用とし、平常の商法は銭をもつて普通の取引といたし、銭の大小を論ぜずすべて壱文に通用いたし来、すべて貿易上は銭のみの算勘にて、しかるに日本の物品、近年ますます騰貴、彼の物価、我が往古の相場に等し。故に方今、百斤につき価三拾両の丁銅をもつて彼の銭拾弐貫文に売り渡し、百斤につき拾弐貫文の煎海巤を買ひ取り、これを三港の内え運輸し金四拾両位に売り払ひ、往返にて金拾両の益ありといへども、船賃等差し引き強ひての利潤も相見えず、余准の従前の公貿易に至りては錫百斤をもつて木綿弐百疋に換へ候ふ類その益莫大。右木綿の内弐万疋、米に換へ候ふ分壱疋につき米三斗八升余に当る。これ格外の利潤といふべし。これらの益および馳走米等をもつて宗家の経済といたし居り候ふ義にて、方今、交際の謬例を正し歳遣公貿廃止いたし候ふ上は、貿易上に強ひての利潤も相見えず。しかし向来大いに貿易を開き候ふには、日本における各国貿易のごとく洋銀をもつて諸物品の媒し、漸々彼の貨幣に圧せられ今日の相場に至ると。同日の論にていよいよ朝鮮国内に両三港を開き、彼我勝手貿易執り行ふには、第一、我が銭を彼に流融するの策に出でず候はむでは利潤充分とは申し難く、今本朝より銭を輸出するは各国御条約面に差し響き申すべしとの論もこれあるべきか。彼の国を我が部内のものと見、元来、銭のみ通用の国につき彼我互ひに流融いたし候ふ上は、西洋各国え輸すると違ひ、不都合の筋もこれあるまじく、しかる上は彼国に在留するものの弁利、申すまでもこれなく、貿易も盛大に至り申すべく、方今、開港の地を尋るに、首府近海に江華府あり。南漢江より王城に通じ、北漢江を経て開城府に至る。王城、開城の都府は追つて商売のために開市し、江華島は直ちに開港し、その余りは済州は都府を離るることおよそ百里、孤島にして、肥前五島に近く、物品多く産し頗る繁華の地といふ。平安道の義州府は清国と旧来の互市場なれば、釜山とも都合四ヶ所を開き置き、商売の都合によりて在留の法を設け、義州は西隅の地にて清国と鴨緑江一線を隔つるのみ。日本より手を入れ、その利益いかん。されども北京と取引の相場を聞き探るに、便宜の地にて商売掛引の助けと成るべし。これに加へ朝鮮北部、他邦に接する故、動静を探るに、この地を第一とす。右様一時に多港を開くに及ばずとの論これあるべく候へども、彼固陋旧守の国風なれば、最初約条に掲載せされば後日開くこと難し。故に旧来の釜山とも四港二都の開市を約し、便宜の地に貿易し、かつ北京、天津の貿易を開き、朝鮮国産煎海巤、干鮑、鱶鰭などの類、支那に運輸し、支那の胡椒、蘇木、金巾、木綿などの類、朝鮮に渡し、両国の際に立ちて利益を計る。これ大いなる本邦の益と相成るべし。すなはち朝鮮金銀銭見本ならびに釜山の物価、彼我に適し候ふ物品、別冊の通りにこれあり候ふこと。

一 歳遣船向来

 この儀、彼の国より国書を受け、累年歳遣船を送り、公貿報進物の利潤をもつて経済を補ひ来候へども、彼の国に対し藩臣の礼を取るに近く、自今、朝廷御交際貿易御条約御取り結び相成り候ふ節は、廃止の方至当の筋と存じ候ふこと。

対州は両国の間に价立する孤島にて交際の入費、ならびに漂民彼我引渡方など一藩尋常政費外の入費

 この儀、年租三万石、謂れなく召し放たれ候ふむね宗家歎訴中に相見え候へども、右は旧臘藩知事御暇の節、下野の支配地四千弐百弐石余りの場所召し上げられ、前書三万石を束ね、九州おいて三万五千八百五拾石余の場所支配地に仰せ付けられ、旧臘、御高帳御渡し相成り、郷村諸書物未請取、物成高しかと相り分け難く候へども右にて追々仕法も相立つべく、この上
朝廷おいて両国交際貿易の道開かせられ歳遣舩を廃止いたし候ふ上は、所得を失ひ候ふ義につき別紙取調書の通り増支配地仰せ付けられ候ふ方、公平と存じ候ふ。もっとも同家の義、先年同藩紛乱のみぎりより一藩の会計曖昧にして、追年向々借銭相嵩み、つひに朝鮮国よりも米銭借り受け候ふ時宜に至り、一藩の生計必至困苦罷り有り候ふ折から、従来生計を補ひ候ふ公貿の利益に突然放し候ひては、端的、飢渇に迫り候ふは必然にて、方今、
皇使差し渡され私交の謬例御正し相成るべく、また品によりいか様の挙動に至り交隣を絶し候ふも計り難く、一藩の痛意このことにて、貿易の利潤は申すまでもこれなし。それがために生活相立ち候ふ士族も少からず、これまで私交の貿易は今日に至り断然相廃すべきは勿論につき、一藩覚悟の体に相見え候へども、是非
皇使差し遣はされ候ふ以前、これらの御処分相立たず候ひては、忽ち藩政紛擾いたすべく、いづれにも九州地において御見換へ下され候はば、一藩挙げて奮発努力いたすべきは無論と相察し申し候ふ。つまり外邦に食を仰がず一藩の生活相立て候ふ義、素より宗家の渇望するところににこれあり、はた交際上、入費中彼我漂民取扱の義は厳原藩申し立つ通りに候へども和漂民は二、三年に一度、彼の国の漂民は年により十四、五度もこれあり、およそ平均壱ヶ年に八、九度より拾度に到る。送り返し候ふ節々相応の謝報これあり、長崎、大阪送迎、対州逗留中の諸費を右謝報と差し引き候へば、強ひての入費にもこれあるまじく、彼の我漂民入費の義、各国御交際上に拠る時は、彼我とも入費を問はず、今朝鮮の漂民をかくのごとく取扱ふ時は我寡く彼多く、我に取り格別の失費なれば、爾後、書翰に添ひ進物相廃し、互ひの扶助は旧例をもつて取扱ひ候ふ方か。委細は別冊の通りにこれあり候ふこと。

一 朝鮮は草粱項のほか、その内地は日本人の旅行相成りがたきや

 この儀、草粱と称ふる地、海岸のみ壱里余りもこれあるべく、その中央の海岸に倭館を設け、別紙絵図面の通り、およそ七万坪余りもこれあり。往古より地租を出ださず。対州に属し、一廓の所置すべて館守役管轄す。当時在館人数およそ三百人に近く、門の開閉は東莱府より番兵を置きて司らしむ。夜中出入を禁ず。倭館外四方えおよそ三百歩の野辺、遊歩出来候ふまでにて、右も必らず日本通事護送す。釜山寄りの方には際門を設け通行を許さず、この際、門内に豆毛といふ一村あり、倭人これを古館と号く。元禄度、倭館を今の草梁の地に移す。右古館の地に古墳あるゆへ、毎歳両度彼岸中、倭人の墓参を許す。倭館周囲に五ヶ所の見張り小屋取り建て、日本通事両三人も詰め合ひ、和人館を出るを見張り居り、必らず附添ひをなすを彼の勤めとす。万一、日本人この境界を犯越するものある時は、土民挙げて礫を抛ち葛藤を生じ候ふ義ままこれあり、右は倭館規則に明文これあり。これまで重大の事柄といへども、訓噵等先導して到るのほか、東莱は勿論、際門通行を許さず、故に各所え遊歩せんことを館守に談ずといへど、右らの周旋とても行き届儀難き段申し聞かせ、現地事情探索いたし候ふところ、相違なく相聞き候ふこと。

竹島·松島、朝鮮附属に相成り候ふ始末

 この儀、松島は竹島の隣島にて、松島の義につきこれまで掲載せし書留めもこれなく、竹島の儀については元禄度の往復書翰、手続書写しの通りにこれあり、元禄前後は暫くの間、朝鮮より居留のため差し遣はし置き候ふところ、当時は以前のごとく無人と相成る。竹木または竹より太き葭を産し、人参など自然に生じ、その余り漁産相応にこれある趣き相聞き候ふこと。

右は朝鮮国事情、実地偵索いたし候ふところ、大略、書面の通り御座候ふ間、一と先づ帰府仕り候ふ。これにより件々取調書類、絵図面とも相添へ、この段申し上げ候ふ。以上

                          外務省出仕
 午四月        佐田白茅
            森山 茂
            斎藤 栄

 

 公文別録・朝鮮事件・明治元年~明治四年・第一巻・明治元年~明治四年

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一 外務省出仕佐田白茅外二名朝鮮國交際始末内探書 八


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 朝鮮國交際始末内探書

 

       外務省出仕

            佐田白茅

            森山 茂

            斎藤 栄

 

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一 慶長元和以来朝鮮國より信使差越藩属之禮を执来候元由

此儀両國同等之禮を执ら須[す]彼而已信使差越来候起原曖昧確證を得春[す]秀吉卒去之後家康講和之儀を宗義智尓[に]命す義智柳川調信以酊庵長老等議して和事を取扱ふ事殆六七年慶長丁未和好成て文信之贈酬あり

 

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其後義智等信使来朝之儀を促春[す]彼ハ勇武之我ニ不可敵を悟り一着輸し天[て]竟ニ寛永甲子信使差越事となれり宗家𦾔記尓[に]和順之復書あれと家康より贈り多[た]る徃翰なし其復書越[を]見る丹[に]本朝尓[に]藩属之禮を执らさる事明ら可[か]也然らハ本朝之使節を乞ふ遍[へ]き筈なる越[を]壬辰乱後国内之形㔟地理を大ニ秘春[す]る情体

 

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より却而[て]答禮を不受を竊ニ緩安し幕府代替ノ都度信使差渡来連[れ]るハ畢竟敬して遠さ久[く]る意より出しと見え去〻辰厳原藩建白中尓[に]今通信使を召寄ら連[れ]外務省おい天[て]條理を盡し厚く説諭あらハ旧染之悪習変移之機會ニも可至与[と]之趣相見同藩之見込如何可有之哉彼内外之政務是迠文官ニあり近年佛國人戦争以来武臣

 

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権を專ら尓[に]し國政多くハ武官より出既去〻辰冬御一新報知ノ書翰従前ノ例ニ據り寫を以て相渡し本書請取渡しを促春[す]といへと書契中
皇と称し勅と称し禮曹参議ニ對し大人を公と改免[め]朝臣左近及ひ朝鮮國王より兼而[て]渡し置多[た]る國書越[を]改めて新印を押し[た]る件〻を掲希[け]総而[て]文中の不遜なるを咎め旧例ニ據ら

 

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さる越[を]挙論し竟ニ断然不可受事ニ決答春[す]れとも曽而[て]毫も絶交之意なく陰ニ徳川氏同等之大臣と適禮せん事越[を]陳述春[す]顚末如此場合[江]え信使を促春[す]とも可行届儀ニ無之右書翰持参之使臣樋口鐵四郎今ニ在韓前書決答之始末を以此上之取計振相伺於御沙汰次㐧談判およひ候心得之御申聞是迠之手續等

 

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篤と承りしニ昨春以来数囬談論を重子[ね]終ニ右之結局ニ立至り以後何様之御沙汰有之候与[と]も彼頑固之国風迚も大差使一分之力を以切破難行届儀者[は]勿論此上宗氏自ら渡韓い多[た]し候とも承諾可致儀とも不相聞詰り順延機會を失春[す]るより寧彼之決答後日必證とす遍[へ]き書面を取り右を以御廟議相伺候方ニ可有之㫖大差使

 

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其外江[え]も申談猶館守役ゟ[より]應接之上別紙寫之通東莱府伯より之書翰并訓導別差より旧冬差出置多[た]る難問書江[え]調印致させ右本紙者[は]無程此上之取扱振相伺候節一同宗氏より差出候趣ニ有之則寫差上申候速ニ御廟議之上御措置有之度候事

一 對州ゟ[より]朝鮮江[え]差遣候使者之禮典朝鮮ゟ[より]對州江[え]

 

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差渡シ候使者ノ禮典

此儀幕府代替宗家及ひ朝鮮國之吉凶とも宗家ゟ[より]禮曹参判江[え]向書翰を添土物を齎し使者として执政及ひ重臣之内を差遣春[す]彼國ゟ[より]ハ幕府代替ニ者[は]信使其餘之吉凶宗家代替等ニ者[は]任官と唱候ものを對州江[え]差越双方之禮典別冊之通ニ有之尤任官渡来之諸入費者[は]幕府ゟ[より]

 

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下ケ渡候仕来ニ相聞候事

一 朝鮮国より勘合印を受候由右者[は]同国制度ニ取入貢を受候取扱なる哉

此儀彼國府郡縣江[え]國王より相與候國書同様ニ而[て]宗氏實名を彫多[た]る銅印なり歳遣舩ニ添ゆる書翰を始何事に依ら須[す]宗氏ゟ[より]彼國江[え]贈る処の文信ニ者[は]悉く此印を用若此印彰所持せさる

 

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舩ハ賊論を以断と徃古之約定尓[に]載多[た]り此印を受るハ彼國制度上ニ取臣下ニ䓁シ加之歳賜米と唱へ年ニ米五拾石大豆五拾石を宗氏代〻ニ給春[す]是彼國ニ臣禮を取る之最一と須[す]其餘謬例枚擧春[す]るニ遑あら須[す]對州初より其謬例を知るといへとも彼江[え]接近之孤島一藩之接待力足ら須[す]其上領知之豊凶國計

 

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切迫之折ハ彼より金穀を借受右を以生活を補ひ候義古今侭有之近年も又勝手向不如意ニ従ひ朝鮮より若干ノ借財し右ハ追〻仕法相立濟方可致との趣ニ者[は]候得トモ従前之弊風如此なれハ自今

朝廷おい天[て]交際筋御引受相成候上者[は]㐧一

宗家之負債を始累百年私交ノ謬例發揮与[と]

 

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御正し不相成候而[て]者[は]交際之條理難相立候事

一 朝鮮之國体臣禮を清國ニ取北京之正朔を仰くといへとも國政ニ至而[て]者[は]自裁獨断之権力ある哉

此儀毎歳 冬至皇歴 両度之使价北京ニ徃来須[す]徃古宰相六曹之輩を正使とし附属とも人数三百人程陸地を北京ニ到而[て]書越[を]捧土物を齎

 

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し臣禮を取正朔を奉春[す]る之例と春[す]然ルニ雜費許多なる可[か]故いつの頃ゟ[より]欤両使を相兼て譯官而已を遣し来連[れ]りと國王の謚者[は]北京より贈る都而[て]重大之事件ハ北京之特命受るよし然連[れ]とも明之昔と違ひ心伏春[す]るニ阿[あ]ら須[す]其節彼之猛威ニ屈し陽ニ正朔を仰き貿易も支那鴨緑江之傍義州府ニ開き同所ニも

 

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府使訓噵通事等数貟を置き接對春[す]北京交際之入費ハ平安一道を以てし日本交際之入費ハ慶尚半境を以て春[す]と内治ニ至而[て]者[は]明之旧恩を追慕し清之正朔を不書載國内一般支干而已を用ひ國王之何年と唱へ明之服飾周之禮楽を行ひ内政百事獨断之権あり外國ニ関係春[す]る事件といへとも自裁

 

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春[す]る由然連[れ]とも我勝手之よからさる事柄者[は]北京ニ告知し特命を受る由ニ相聞希[け]れと是迠日本ニ関係せる事件等北京ニ奏聞春[す]る事なしと彼可[か]狡猾之甚しき日本ニ向てハ北京を鳴らし北京尓[に]對してハ日本を後江[え]備と春[す]る之意を示須[す]よし相聞候事 

但朝鮮国譯官北京ニ使し日本之禮典を例

 

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とし對州ゟ[より]之使者を取扱候由相聞候事

一 皇使被差遣候節御軍艦首府近海江[え]被相廻候ニ付良港有無

此儀御軍艦釜山浦江[え]被差向候而[て]者[は]頗ル迂遠尓[に]して咄嗟ニ弁世[せ]さるは勿論なり近年佛人戦争之砌首府近海江華府ニ碇泊い多[た]し候趣ニ相聞同所之外近海ニ相應之港無之

 

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右江華府より内手を漢江と唱へ南北両線有之大艦難乗入首府迠二十里小舟を以徃来春[す]るよしニ相聞候事

但御軍艦朝鮮江[え]被差向候節對州厳原者[は]大艦碇泊之場所ニ無之同國淺海与[と]唱候場所一覧い多[た]し候処朝鮮地ニ向多[た]る大江ニ而[て]就中芉ケ崎与[と]唱候場所御軍艦屯碇石炭

 

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囲之為屈竟之地与[と]被存候間則西洋測量地圖一葉差出候事

一 朝鮮國之義魯西亜之毒吻二心酔し陰ニ保護依頼春[す]る風評且境界論

此儀草梁之土人等をも聞採訓噵面会之折も夫となく事情相尋候得共魯西亜ニ依頼春[す]る事情更ニ不相聞尤黒龍江ヲ隔北ノ方 

 

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方今魯西亜人土宇を開墾春[す]る風聞あ連[れ]と朝鮮境鴨緑江迠者[は]懸隔之場所境壌未接哉二有之併永く境壌を安し候儀ニ者[は]難相成との風聞ニ有之候事

一 朝鮮國海陸軍武備之虚實噐械之精粗

此儀佛人戦争以来ハ水営兵営共頗ル兵を練り府軍縣鎮令ニ者[は]農兵を蓄ふ首府ニ而[て]者[は]寺僧迄

 

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兵隊二加え同所近海者[は]海陸防禦豫め備者[は]れりとの風聞ニ有之既ニ釜山城下おい天[て]折〻火入調練有之其躰裁本朝之古流ニ類し多[た]るものニ而[て]大旗を以進退指揮し劔鉾隊 弓隊 銃隊等を研究し陸戦を主と春[す]物具ハ隊長以上身分あるものニ限り充分錦を入鉄板を縫ひ込多[た]る着込を着し桃實ニ類したる兜へ長サ貮尺程之錣を付ケ本朝の火事

 

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頭巾ニ䓁しきものを冠り馬乗ニ而[て]指揮春[す]兵卒ニ至而[て]ハ寺僧又者[は]農夫䓁常服之侭出陣し専ら毒箭射殺之術を施春[す]然るニ佛人戦争以来小銃ニ利あるを知り方今銃砲を製造春[す]其小銃を見るニ火縄打之長筒ニ而[て]製作之拙なる事實ニ見るニ足ら須[す]弓ハ水牛角ヲ以半弓ニ製シ矢ハ篦細く鷲羽を以細羽ニ製し矢尺弓𠀋ケより長く只遠矢ニ利あるを主と須[す]

 

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戦舩者[は]水営ニ備者[は]れりといへとも平常漁舩ニ用ひ日本舩ニ比春[す]れハ甚多[た]拙く相見釜山之大湾中一之砲臺も見え須[す]城塁も堅なら須[す]軍営といへと斯の如し餘ハ推て知るヘし只敵を切所ニ引受接戦之策と相聞候事

一 内政之治否草梁記聞之如くなるや

此儀果し天[て]草粱記聞之如し 大殷君驕奢

 

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媱蕩漸次暴政を絶し方今文武百官紛擾国民頗ル怨嗟之情体相見就中即今賄賂行ハ連[れ]𡈽人殆窮春[す]る可[か]故在上之人を誹謗春[す]る事記聞ニ載多[た]るよりも甚し慶尚道漆原之一揆ハ鎮撫し即今江原道之内ニ一揆起りしとの風聞あれといま多[た]其鎮制せる説を聞可[か]須[す]將佛人邪教を施春[す]ニ至而[て]者[は]最前北京より耶蘇之教師国門ニ入賎民を煽乱春[す]と

 

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有之候得共朝鮮國之情体彼國ニ漂到せる日本漂民春[す]ら寸地も陸行を許さ須[す]舩を以釜山ニ送る旧例なり外國人を国内ニ入連[れ]須[す]地圖を秘春[す]る國体を以佛人之永く國内ニ潜居し多[た]るを知らさる理なし宗門信仰せし土民之内佛戦之折柄脱走せしものありといふ此戦争以前ハ洋物盛ニ行連[れ]今日更ニ洋物をミ須[す]是可疑之一なり何之頃より欤国民佛と私交し

 

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追而[て]邪宗ニ害あるを知て断然攘夷之説を聞き信仰之徒を厳罰せし由なれと今ニ其餘黨残り居候趣ニ相聞是を以て考連[れ]ハ国情紛乱多[た]るを知る遍[へ]き事

一 貿易取開ニ付而[て]者[は]物品之交換物價之低昂及ひ貨幣之善悪

此儀金銀を以貨幣ニ鑄造い多[た]し候義無之砂金又者[は]

 

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多少之銀塊を以旅行之弁用とし平常之商法者[は]銭を以普通之取引とい多[た]し銭之大小を不論都而[て]壱文ニ通用い多[た]し来惣而[て]貿易上ハ銭而已之算勘ニ而[て]然るニ日本之物品近年益騰貴彼之物價我徃古之相場ニ䓁し故ニ方今百斤ニ付價三拾両之丁銅ヲ以彼之銭拾弐貫文ニ賣渡し百斤ニ付拾弐貫文之煎海巤を買取是を三港之内江[え]運輸し金四拾両位ニ賣拂

 

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徃返ニ而[て]金拾両之益ありといへとも舩賃等差引強而[て]之利潤も不相見餘准之従前之公貿易ニ至而[て]者[は]錫百斤を以木綿弐百疋ニ換候類其益莫大右木綿之内弐万疋米ニ換候分壱疋ニ付米三斗八升余ニ當る是格外之利潤といふ遍[へ]し此䓁之益及ひ馳走米等を以宗家之経濟与[と]い多[た]し居候義ニ而[て]方今交際之謬例を正し歳遣公貿

 

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廃止い多[た]し候上者[は]貿易上ニ強而[て]之利潤も不相見併し向来大ニ貿易を開き候ニ者[は]日本ニ於ル各國貿易の如く洋銀を以諸物品之媒し漸〻彼之貨幣ニ被壓今日之相場ニ至ると同日之論ニ而[て]弥朝鮮國内ニ両三港を開き彼我勝手貿易执行ふニ者[は]㐧一我銭を彼ニ流融春[す]る之策ニ不出候半而[て]者[は]利潤充分与[と]者[は]難申今本朝より銭を輸出春[す]るハ

 

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各國御条約面ニ差響可申与[と]之論も可有之欤彼国を我部内之ものと見元来銭而已通用之国ニ付彼我互ニ流融い多[た]し候上者[は]西洋各国江[え]輸為止[と]違ひ不都合之筋も有之間敷然ル上者[は]彼國ニ在畄春[す]るもの〻弁利申迠も無之貿易も盛大ニ至り可申方今開港之地を尋る尓[に]首府近海ニ江華府あり南漢江より王城ニ通し北漢江を経て開城府ニ至る王城

 

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開城之都府者[は]追而[て]商賣之為ニ開市し江華島ハ直ニ開港し其餘ハ濟州ハ都府を離るゝ事凡百里孤島尓[に]して肥前五島ニ近ク物品多く産し頗ル繁華之地といふ平安道之義州府者[は]清國与[と]旧来之互市場なれハ釜山与[と]も都合四ヶ所を開き置商賣之都合ニ依て在留之法を設義州者[は]西隅之地ニ而[て]清國と鴨緑江一線を隔而已日本より手を入其利益如何然連[れ]共

 

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北京と取引之相場を聞探る尓[に]便宜之地ニ而[て]商賣掛引之助与[と]成遍[へ]し加之朝鮮北部他邦ニ接春[す]る故動静を探るニ此地を㐧一と須[す]右様一時ニ多港を開くニ不及との論可有之候得共彼固陋旧守之國風なれハ最初約条ニ掲載せされハ後日開ク事難し故ニ旧来ノ釜山とも四港二都の開市を約し便宜之地ニ貿易し且北京天津之貿易を開き

 

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朝鮮國産煎海巤干鮑鱶鰭等之類支那ニ運輸し支那之胡椒蘇木金巾木綿䓁之類朝鮮ニ渡し両國之際ニ立天[て]利益を計る是大なる本邦之益と可相成則朝鮮金銀銭見本并釜山之物價彼我ニ適し候物品別冊之通ニ有之候事

一 歳遣舩向来存止

此儀彼國ゟ[より]國書を受累年歳遣舩を送リ公貿

 

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報進物之利潤を以経濟を補ひ来候得共彼國ニ對し藩臣之禮を取るニ近く自今
朝廷御交際貿易御條約御取結相成候節者[は]廃止之方至當之筋与[と]存候事

一 對州者[は]両國之間ニ价立春[す]る孤島ニ而[て]交際之入費并漂民彼我引渡方等一藩尋常政費外之入費

此儀年租三萬石無謂被召放候宗家歎訴中ニ

 

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相見候得共右者[は]旧臘藩知事御暇之節下野之支配地四千弐百弐石余之場所被召上前書三萬石を束子[ネ]九州おい天[て]三萬五千八百五拾石余之場所支配地ニ被仰付旧臘御高帳御渡相成郷村諸書物未請取物成高聢与[と]難相分候得共右ニ而[て]追〻仕法も可相立此上

朝廷おい天[て]両國交際貿易之道被為開歳遣舩を

廃止い多[た]し候上者[は]所得を失ひ候義ニ付別紙取調

 

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書之通増支配地被仰付候方公平与[と]存候尤同家之義先年同藩紛乱之砌より一藩之會計曖昧尓[に]して追年向〻借銭相嵩終ニ朝鮮國よりも米銭借受候時宜ニ至り一藩之生計必至困苦罷有候折柄従来生計を補ひ候公貿之利益ニ突然放し候而[て]者[は]端的飢渇ニ迫候者[は]必然ニ而[て]方今

皇使被差渡私交之謬例御正し可相成亦品ニ寄

 

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如何様之挙動ニ至り交隣を絶し候も難計一藩之痛意此事ニ而[て]貿易之利潤者[は]申迄も無之夫可[か]為ニ生活相立候士族も不少是迠私交之貿易ハ今日ニ至り断然可相廢者[は]勿論ニ付一藩覚悟之体ニ相見候得共是非

皇使被差遣候以前是等之御䖏分不相立候而[て]者[は]忽ち藩政紛擾可致いつ連[れ]ニも九州地ニおい天[て]御見換被下

 

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候ハヽ一藩挙而[て]奮發努力可致者[は]無論与[と]相察申候詰り外邦ニ食を仰可[か]須[す]一藩之生活相立候義素より宗家之渇望春[す]る所ニ有之將交際上入費中彼我漂民取扱之義者[は]厳原藩申立通ニ候得共和漂民者[は]二三年ニ一度彼國之漂民ハ年ニ寄十四五度も有之凡平均壱ヶ年ニ八九度ゟ[より]拾度ニ到ル送り返し候節〻相應之謝報有之長崎大阪送迎對州

 

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逗留中之諸費を右謝報与[と]差引候得者[は]強而[て]之入費ニも有之間敷彼我漂民入費之義各國御交際上ニ據る時ハ彼我共入費を問者[は]須[す]今朝鮮の漂民を如斯取扱ふ時ハ我寡く彼多く我に取り格別之失費なれハ尓後書翰ニ添ひ進物相廃し互の扶助者[は]旧例をもつ天[て]取扱候方欤委細者[は]別冊之通ニ有之候事

 

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一 朝鮮ハ草粱項之外其内地ハ日本人之旅行難相成哉

此儀草粱と称ふる地海岸而已壱里余も可有之其中央之海岸ニ倭館を設希[け]別紙繪圖面之通凡七万坪余も有之徃古より地租を不出對州ニ属し一廓之所置都而[て]館守役管轄春[す]當時在館人数凡三百人ニ近く門之開閉者[は]東莱府より番兵を置て

 

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司らしむ夜中出入を禁須[す]倭館外四方江[え]凡三百歩之野辺斿歩出来候迠ニ而[て]右も必ら須[す]日本通事護送春[す]釜山寄之方ニ者[は]際門を設通行を許さ須[す]此際門内ニ豆毛といふ一村阿[あ]り倭人之を古館と号く元禄度倭館を今之草梁之地ニ移春[す]右古館之地ニ古墳あるゆへ毎歳両度彼岸中倭人之墓参を許春[す]倭館周圍ニ五ヶ所之見張小屋取建日本通事両三人も

 

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詰合和人館を出るを見張居必ら須[す]附添を為春[す]越[を]彼の勤と須[す]万一日本人此境界を犯越春[す]るものある時ハ土民挙而[て]礫を抛ち葛藤を生し候義侭有之右者[は]倭館規則ニ明文有之是迠重大之事柄といへとも訓噵等先導し天[て]到る之外東莱ハ勿論際門通行を許さ須[す]故ニ各所江[え]遊歩せん事を館守ニ談春[す]といへと右等之周旋迚も難行届段

 

 

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申聞現地事情探索い多[た]し候処無相違相聞候事

竹島松島朝鮮附属ニ相成候始末

此儀松島者[は]竹島之隣島ニ而[て]松島之義ニ付是迠掲載せし書畄も無之竹島之儀ニ付而[て]者[は]元禄度之徃復書翰手續書寫之通ニ有之元禄前後者[は]暫く之間朝鮮ゟ[より]居畄之為差遣置候処當時ハ以前之如く無人与[と]相成竹木又者[は]竹より太き葭を產し

 

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人参等自然ニ生し其餘漁產相應ニ有之趣相聞候事

右者[は]朝鮮國事情實地偵索い多[た]し候処大畧書面之通御座候間一ト先帰府仕候依之件取調書類繪圖面与[と]も相添此段申上候以上

                          外務省出仕

 午四月        佐田白茅

            森山 茂

            斎藤 栄

 

↑公文別録・朝鮮事件・明治元年~明治四年・第一巻・明治元年~明治四年 より

外務省出仕佐田白茅外二名 朝鮮国交際始末内探書 https://www.jacar.archives.go.jp/das/meta/A03023620400

 

対韓政策関係雑纂/朝鮮事務書 第二巻

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/B03030163700 2/2

 

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朝鮮國交際始末内探書

                外務省出仕

                  佐田白茅

                  森山 茂

                  斎藤栄

 

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一 慶長元和以来朝鮮國ヨリ信使差越藩属ノ禮ヲ執来候元由

此儀両國同䓁之禮ヲ執ラス彼ノミ信使差越来候起原曖昧確證ヲ得ス秀吉公薨去ノ後家康公講和之儀ヲ宗義智ニ命ス義智柳川調信以酊庵長老䓁議シテ和事ヲ取扱フ事殆六七年慶長丁未和好成テ文信ノ贈酬アリ其後義智䓁信使来朝ノ儀ヲ促ス彼ハ勇武ノ我ニ不可敵ヲ悟リ一着輸シテ竟ニ寛永甲子信使差越事トナレリ宗家𦾔記ニ和順ノ

 

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復書アレト家康公ヨリ贈リタル徃翰ナシ其復書ヲ見ルニ本朝ニ藩属ノ禮ヲ執ラサル事明ラカナリ然ラハ本朝ノ使節ヲ乞フヘキ筈ナルヲ壬辰亂後國内ノ形㔟地理ヲ大ニ秘スル情體ヨリ却テ答禮ヲ不受ヲ竊ニ緩安シ幕府代替ノ都度信使差渡来レルハ畢竟敬シテ遠サクル意ヨリ出シト見エ去〻辰厳原反建白中ニ今通信使ヲ召寄ラレ外務省於テ條理ヲ盡シ厚ク説諭アラハ旧染ノ悪習変移ノ機會ニモ可至トノ趣相見エ同藩ノ見込如何可有之哉彼内外ノ政務是迄文官ニアリ近年佛國

 

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人戦争以来武官権ヲ專ニシ國政多クハ武官ヨリ出既ニ去〻辰冬御一新報知ノ書翰従前ノ例ニ據リ寫ヲ以テ相渡シ本書受取渡シヲ促スト云ヘトモ書契中
皇ト称シ勅ト称シ禮曹参議ニ對シ大人ヲ公ト改メ朝臣左近衛及ヒ朝鮮國王ヨリ兼テ渡シ置タル國書ヲ改メテ新印ヲ押シタル件〻ヲ掲ケ総テ文中ノ不遜ナルヲ咎メ旧例ニ據ラサルヲ舉論シ竟ニ断然不可受事ニ決答スレトモ曽テ毫モ絶交ノ意ナク隂ニ徳川氏同䓁ノ大臣ト適禮セン事ヲ陳

 

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述ス顛末如此塲合ヘ信使ヲ促ストモ可行届儀ニ無之右書翰持参ノ使臣樋口鉄四郎今ニ在韓前書決答ノ始末ヲ以此上ノ取計振相伺楢?御沙汰次苐談判ニ及ヒ候心得ノ御申聞是迄ノ手續䓁篤ト承リシニ昨春以来數囬談論ヲ重子終ニ右ノ結局ニ立至リ以後何様ノ御沙汰有之候トモ彼頑固ノ國風迚モ火差使一分ノ力ヲ以切破難行届儀ハ勿論此上宗氏自ラ渡韓イタシ候トモ承諾蚊致儀トモ不相聞詰リ順延機會ヲ失スルヨリ寧彼ノ決答後日必證トスヘキ書面ヲ取リ右ヲ以テ御廟議相伺

 

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候方ニ可有之㫖大差使其外ヘモ申談シ楢官守役ヨリ應接ノ上別紙寫ノ通リ東莱府伯ヨリノ書翰并訓導別差ヨリ𦾔冬差出置タル難問書へ調印致サセ右本紙ハ無程此上ノ取扱振相伺候節一同宗氏ヨリ差出シ候趣ニ有之則寫シ差上申候速ニ御廟議ノ上御措置有之度候事

一 對馬ヨリ朝鮮ヘ差遣シ候使者ノ禮典朝鮮ヨリ對州ヘ差渡シ候使者ノ禮典

此儀幕府代替宗家及ヒ朝鮮國ノ吉凶トモ宗家ヨリ禮曹参判ヘ向書翰ヲ添ヘ土物ヲ齎シ使者トシ

 

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テ執政及ヒ重臣ノ内ヲ差遣ス彼國ヨリハ幕府代替ニハ信使其餘ノ吉凶宗家代替等ニハ任官ト唱候者ヲ對州ヘ差越双方ノ禮典別冊ノ通リニ有之
尤任官渡来ノ諸入費ハ幕府ヨリ下ケ渡シ候仕来ニ相聞候事

一 朝鮮國ヨリ勘合印ヲ受候由右ハ同國制度ニ取入貢ヲ受候取扱ナル哉

此儀彼國府郡縣ヘ國王ヨリ相與ヘ國書同様ニテ宗氏實名ヲ彫タル銅印ナリ歳遣舩ニ添ユル書翰ヲ始何事ニ依ラス宗氏ヨリ彼國ヘ贈ル處ノ文信

 

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ニハ悉ク此印ヲ用ヒ若シ此印所持セサル舩ハ賊論ヲ以テ断ト徃古ノ約定ニ載タリ此印ヲ受ルハ彼國制度上ニ取リ臣下ニ䓁シ加之歳賜米ト唱ヘ年ニ米五拾石大豆五拾石ヲ宗氏代〻ニ給ス是彼國ニ臣禮ヲ取ルノ最一トス其餘謬例枚擧スルニ遑アラス對州初ヨリ其ノ謬例ヲ知ルト云ヘトモ彼ヘ接近ノ孤島一藩ノ接待力足ラス其ノ上領知ノ豐凶國計切迫ノ折ハ彼ヨリ金穀ヲ借受右ヲ以テ生活ヲ補ヒ候儀古今儘有之近年モ又勝手向不如意ニ随ヒ朝鮮ヨリ若干ノ借財シ右ハ追〻仕法相立

 

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濟方可致トノ趣ニハ候得トモ従前ノ弊風如此ナレハ自今

朝廷ニ於テ交際筋御引受相成候上ハ苐一宗家ノ負

債ヲ始累百年私交ノ謬例發輝ト御正シ不相成候テハ交際ノ條理難相立候事

一 朝鮮ノ國体臣禮ヲ受ル國ニ取リ北京ノ正朔ヲ仰クト云ヘトモ國政ニ至テハ自裁獨断ノ権力アル哉

此儀毎歳 冬至皇歴 両度ノ使价北京ニ徃来ス往古宰相六曹ノ輩ヲ正使トシ附属トモ人數三百人程度地

 

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ヲ北京ニ到ル書ヲ捧ケ土物ヲ齎シ臣禮ヲ取正朔ヲ奉スルノ例トス然ルニ雜費許多ナルカ故イツノ殺ヨリ欤両使ヲ相兼テ譯官ノミヲ遣シ来レリト國王ノ謚ハ北京ヨリ贈ル都テ重大ノ事件ハ北京ノ特命ヲ受ルヨシ然レトモ明ノミヲ昔ト違ヒ心伏スルニアラス其節彼ノ猛威ニ屈シ陽ニ正朔ヲ仰キ貿易モ支那鴨緑江ノ傍義州府ニ開キ同所ニモ府使訓導通事䓁數貟ヲ置接待ス北京交際ノ入費ハ平安一道ヲ以テシ日本交際ノ入費ハ慶尚半境ヲ以テスト内治ニ至テハ明ノ旧恩ヲ追慕シ清

 

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ノ正朔ヲ書載セス國内一般支干ノミヲ用ヒ國王ハ何年ト唱ヘ明ノ服飾周ノ禮樂ヲ行ヒ内政百事獨断ノ権アリ外國ニ関係スル事件ト云ヘトモ自裁スル由然レトモ我勝手ノヨカラサル事柄ハ北京ニ告知シ特命ヲ受ル由ニ相聞ケレト是迄日本ニ関係スル事件䓁北京奏聞スル事ナシト彼カ狡猾ノ甚シキ日本ニ向テハ北京ヲ鳴ラシ北京ニ對シテハ日本ヲ後楯トスルノ意ヲ示スヨシ相聞ヘ候事

但朝鮮國譯官北京ニ使シ同所ノ禮典ヲ例トシ

 

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對州ヨリノ使者ヲ取扱ヒ候由相聞候事

一 皇使被差遣候節御軍艦首府近海ヘ被相廻候ニ付良港有無

此儀軍艦釜山浦ヘ被差向候テハ頗ル迂遠ニシテ咄嗟ニ辧セサルハ勿論ナリ近年佛人戦争ノ砌首府近海江華府ニ碇泊イタシ候趣ニ相聞同所ノ外近海ニ相應ノ港無之右江華府ヨリ内手ヲ漢江ト唱ヘ南北両條有之大艦難乘入首府迄二十里小舟ヲ以テ徃来スル由ニ相聞候事

但御軍艦朝鮮ヘ被差向候節對州厳原ハ大艦碇

 

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泊ノ塲所ニ無之内國淺海ト唱ヘ候塲所一覧イタシ候處朝鮮地ニ向タル大江ニテ就中芉ケ崎ト唱ヘ候塲所御軍艦屯碇石炭圍䓁ノ為屈竟ノ地ト被存候間則西洋測量地圖一葉差出候事

一 朝鮮國ノ儀魯西亜ノ毒吻二心醉シ隂ニ保護依頼スル風評且境畧論

此儀草梁ノ出入䓁ヲモ聞採リ訓導面會ノ折モ夫トナク事情相尋候ヘトモ魯西亜ニ依頼スル事情更ニ不相聞尤黒龍江ヲ隔北ノ方方今魯西亜人土宇ヲ開墾スル風聞アレト朝鮮境鴨緑江迄ハ懸隔

 

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ノ塲所境壌未接哉二有之併永ク境壌ヲ安シ候儀ニハ難相成トノ風聞ニ有之候事

一 朝鮮國界陸軍武備ノ虚實噐械ノ精粗

此儀佛人戦争以来ハ水營兵學共頗ル兵ヲ練リ府軍縣令ニハ農兵ヲ蓄フ首府ニテハ寺僧迄兵隊二加へ同所近海ハ海陸防禦シテ備ハレリトノ風聞ニ有之既ニ釜山城下ニ於テ折〻火入調練有之其體裁本朝ノ古流ニ類シタルモノニテ大旗ヲ以テ進退指揮シ劔鉾隊弓隊銃隊䓁ヲ研究シ陸戦ヲ主トス物具ハ隊長以上身分アル者ニ限リ充分錦ヲ

 

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入レ鐵板ヲ縫ヒ込ミタル着込ミヲ着シ桃ノ實ニ類シタル兜ヘ長サ二尺程ノ錣ヲ付ケ本朝ノ火事頭巾ニ䓁シキモノヲ冠リ馬乗ニテ指揮ス兵卒ニ至リテハ寺僧又ハ農夫䓁常服ノ儘出陣シ專ラ毒箭射殺ノ術ヲ施ス然ルニ佛人戦争以来小銃ニ利アルヲ知リ方今銃砲ヲ製造ス其小銃ヲ見ルニ火縄打ノ長筒ニテ製作ノ拙ナル事實ニ見ルニ足ラス弓ハ水牛角ヲ以テ半弓ニ製シ矢ハ篦細ク鷲ノ羽ヲ以テ細羽ニ製シ矢尺弓𠀋ヨリ長ク只遠矢ニ利アルヲ主トス戦舩ハ水營ニ備ハレリト云ヘトモ

 

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平常漁舩ニ用ヒ日本舩ニ比スレハ甚タ拙ク相見ヘ釜山ノ大湾中一ノ砲臺モ見ヘス城壘モ堅ナラス軍營ト云ヘトモ斯ノ如シ餘ハ推シテ知ルヘシ只敵ヲ切所ニ引受ケ接戦ノ策ト相聞候事

一 内政ノ治否草梁記聞ノ如クナル哉

此儀果シテ草粱記聞ノ如シ 大殷君驕奢媱蕩漸次暴政ヲ施シ方今文武百官紛擾國民頗ル怨嗟ノ情體相見就中即今賄賂行ハレ土人殆ント窮スルカ故在上ノ人ヲ誹謗スル事記聞ニ載タルヨリモ甚シ慶尚道漆原ノ一揆ハ鎮撫シ即今江原道ノ内ニ

 

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一揆起リシトノ風聞アレトイマタ其鎮制セル説ヲ聞カス将佛人邪教ヲ施スニ至リテハ最前北京ヨリ耶蘇ノ教師国内ニ入リ賤民ヲ煽亂スト有之候ヘトモ朝鮮國ノ情體彼ノ國ニ漂到セル日本漂民スラ寸地モ陸行ヲ許サス舩ヲ以テ釜山ニ送ル旧例ナリ外國人ヲ國内ニ入レス地圖ヲ秘スル國躰ヲ以テ佛人ノ永ク國内ニ潜居シタルヲ知ラサル理ナシ宗門ヲ信仰セシ土民ノ内佛戦ノ折柄脱走セシモノアリト云此戦争以前ハ洋物盛ニ行ハレ今日更ニ洋物ヲ見ス是可犠ノ一成何レノ頃ヨ

 

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リ國民事ト佛ト私交シ追テ邪宗ニ害アルヲ知テ断然攘夷ノ説ヲ聞キ信仰ノ徒ヲ嚴罰セシ由ナレト今ニ其餘黨残リ居候趣ニ相聞是ヲ以テ考レハ國情紛亂タルヲ知ルヘキ事

一 貿易取開ニ付テハ物品ノ交換物價ノ低昂及ヒ貨幣ノ善悪

此儀金銀ヲ以貨幣ニ鑄造イタシ候儀無之砂金又ハ多少ノ銀塊ヲ以テ旅行ノ辧用トシテ平常ノ商法ハ銭ヲ以テ普通ノ取引トイタシ銭ノ大小ヲ不論都テ壹文ノ通用ニシタシ来総テ貿易上ハ銭ノ

 

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ミノ算勘ニテ然ルニ日本ノ物品近年益騰貴彼ノ物價我往古ノ相場ニ䓁シ故ニ方今百斤ニ付價三拾両ノ丁銅ヲ以テ彼ノ銭拾貮貫文ニ賣渡シ百斤ニ付拾ニ貫文ノ煎海巤ヲ買取是ヲ三港ノ内ヘ運輸シ金四拾両位ニ賣拂ヒ徃返ニテ金拾両ノ益アリト云ヘトモ舩賃䓁差引強テノ利潤モ不相見餘准之従前ノ公貿易ニ至テハ錫百斤ヲ以テ木綿貮百疋ニ換候類其益莫大右木綿ノ内貮万疋米ニ換候分壹匹ニ付米三斗八升餘ニ當ル是格外ノ利潤ト云ヘシ此䓁ノ益及ヒ馳走米ヲ以テ宗家ノ経濟

 

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トイタシ居候儀ニテ方今交際ノ謬例ヲ正シ歳遣公貿廢止イタシ候上ハ貿易上ニ強テノ利潤モ不相見併シ向来大ニ貿易ヲ開キ候ニハ日本ニ於ル各國貿易ノ如ク洋銀ヲ以テ諸物品ノ媒シ漸〻彼ノ貨幣ニ被壓今日ノ相塲ニ至ルト同日ノ論ニテ彌朝鮮國内ニ両三港ヲ開キ彼我勝手貿易執行フニハ苐一我銭ヲ彼ニ流融スルノ策ニ不出候半テハ利潤充分トハ難申今本朝ヨリ銭ヲ輸出スルハ各國御条約面ニ差響キ可申トノ論ニモ可有之欤彼國ヲ我部内ノモノト見元来銭ノミ通用ノ國ニ

 

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ツキ彼我互ニ流融イタシ候上ハ西洋各国ヘ輸スルト違ヒ不都合ノ筋モ有之間シク然ル上ハ彼國ニ在留スルモノヽ辨利申迄モ無之貿易モ盛大ニ至リ可申方今開港ノ地ヲ尋ルニ首府近海ニ江華府アリ南漢江ヨリ王城ニ通シ北漢江ヲ経テ開城府ニ至ル王城開城ノ都府ハ追テ商賣ノ為メニ開市シ江華島ハ直ニ開行港シ其餘ハ濟州ハ都府ヲ離ルヽコト凡百里孤島ニシテ肥前五島ニ近ク物品多ク産シ頗ル繁華ノ地ト云平安道ノ義州府ハ清國ト旧来ノ互市場ナレハ釜山トモ都合四ヶ所ヲ開

 

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キ置キ商賣ノ都合ニ寄リテ在留ノ法ヲ設ケ義州ハ西隅ノ地ニテ清國ト鴨緑江一線ヲ隔ルノミ日本ヨリ手ヲ入其利益如何然レトモ北京ト取引ノ相場ヲ聞探ルニ便宜ノ地ニテ商賣掛引ノ助ト成ヘシ加之朝鮮北部他邦ニ接スル故動静ヲ探ルニ此地ヲ苐一トス右様一時ニ多港ヲ開クニ不及トノ論可有之候得共彼固陋旧守ノ國風ナレハ最初約條ニ掲載セサレハ後日開ク事難シ故ニ旧来ノ釜山トモ四港二港ノ開市ヲ約シ便宜ノ地ニ貿易シ且北京天津ノ貿易ヲ開キ朝鮮國産煎海巤干鮑

 

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鱶鰭䓁ノ類支那ニ運輸シ支那ノ胡椒蘇木金巾木綿䓁ノ類朝鮮ニ渡シ両國ノ際ニ立テ利益ヲ計ル是大ナル本邦ノ益ト可相成則朝鮮金銀銭見本并釜山ノ物價彼我ニ適シ候物品別冊ノ通ニ有之候事

一 歳遣舩向来存止

此儀彼國ヨリ國書ヲ受累年歳遣舩ヲ送リ公貿報進物ノ利潤ヲ以テ経濟ヲ補ヒ来リ候得トモ彼國ニ對シ藩臣ノ禮ヲ取ルニ近ク自今

朝廷御交際貿易御條約御取締相成候節ハ廢止ノ方

 

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至當ノ筋ト存シ候事

一 對州ハ両國ノ間ニ价立スル孤島ニテ交際ノ入費并漂民彼我引渡方䓁一藩尋常政費外ノ入費

此儀年租三萬石無謂被召放候㫖宗家歎訴中ニ相見ヘ候得共右ハ旧臘藩知事御暇ノ節下野ノ支配地得四千貮百貮石餘ノ塲所被召上前書三萬石ヲ束子[ネ]九州ニ於テ三萬五千八百五拾石餘ノ塲所支配地ニ被仰付旧臘御髙帳御渡相成郷村諸書物未請取物成髙聢ト難相分候ヘトモ右ニテ追〻仕法モ可相立此上

 

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朝廷ニ於テ両國交際貿易ノ道被為開歳遣舩ヲ廢止

シ候上ハ是迄之所得ヲ失ヒ候儀ニ付別紙取調書ノ通リ増支配地被仰付候方公平ト存候尤同家ノ儀先年同藩紛亂ノ砌ヨリ一藩ノ會計曖昧ニシテ追年向〻借財相嵩終ニ朝鮮國ヨリモ米銭借受ケ候時宜ニヨリ一藩ノ生計必至困苦罷在候折柄従来生計ヲ補ヒ候公貿ノ利益突然放レ候テハ端的飢渇ニ迫リ候テハ必然ニテ方今
皇使被差渡私交ノ謬例ヲ御止シ可相成亦品ニヨリ如何ノ舉動ニ至リ交隣ヲ絶シ候モ難計一藩ノ痛意

 

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此事ニテ貿易ノ利潤ハ申迄モ無之夫カ為メニ生活相立候士族モ不少是迄私交ノ貿易ハ今日ニ至リ断然可相廢ハ勿論ニ付一藩覺悟ノ体ニ相見ヘ候得共是非
皇使被差遣候以前是等ノ御處分不相立候テハ忽チ藩政紛亂可致イツレニモ九州地ニ於テ御見換被下候ハヽ一藩舉テ奮發努力可致ハ無論ト相察シ申候詰リ外邦ニ食ヲ仰カス一藩ノ生活相立候素ヨリ宗家ノ渇望スル所ニ有之將交際上入費中彼我漂民取扱ノ儀厳原藩申立ノ通リニ候得ハ和

 

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漂民二三年ニ一度彼國ノ漂民ハ年ニ寄リ十四五度モ有之凡平均一ヶ年ニ八九度ヨリ十度ニ至ル送返シ候節ニ相應ノ謝報有之長﨑大阪送迎對州逗留中ノ諸費ヲ右謝報ト差引候得ハ強テノ入費ニモ有之間敷彼我漂民入費ノ儀各國御交際上ニ據ル時ハ彼我トモ入費ヲ問ハス今朝鮮ノ漂民ヲ如斯取扱フ時ハ我寡ク彼多ク我ニ取リ格別ノ失費ナレハ尓後書翰ニ添ヒ進物相廢シ互ノ扶助ハ旧例ヲ以テ取扱候方欤委細ハ別冊ノ通ニ有之候事

 

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一 朝鮮ハ草粱項ノ外其内地ハ日本人ノ旅行難相成哉

此地草粱ト稱フル地海岸ノミ壹里餘モ有之其中央ノ海岸ニ倭館ヲ設ケ別紙繪圖面ノ通リ凡七萬坪餘モ有之徃古ヨリ地租ヲ不出對州ニ属シ一郭ノ所置都テ館守役管轄ス當時在館人數凡三百人ニ近ク門ノ開閉ハ東莱府ヨリ番兵ヲ置テ司ラシム夜中出入ヲ禁ス倭館外四方ヘ凡三百歩ノ野邊遊歩出来候マテニテ右モ必ス日本通辞護送ス釜山寄ノ方ニハ際門ヲ設ケ通行ヲ許サス此際門内

 

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ニ豆毛ト云一村アリ倭人之ヲ古館ト号フ元禄度倭館ヲ今ノ草梁ノ地ニ移ス右古館ノ地ニ古墳アルユヘ毎歳両度彼岸中倭人墳参リヲ許ス倭館周圍ニ五ヶ所ノ見張小屋ヲ取建日本通事両三人モ詰合倭人館ヲ出スルヲ見張リ居必ス附添ヲナスヲ彼ノ勤トス万一日本人此境界ヲ犯越スルモノアル時ハ土民舉テ礫ヲ抛チ葛藤ヲ生シ候儀有之右ハ倭館規則ニ明文有之是迄重大ノ事柄ト云ヘトモ訓噵䓁先導シテ到ルノ外東莱ハ勿論際門通行ヲ許サス故ニ各所ヘ遊歩セン事ヲ館守ニ談ス

 

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ト云ヘトモ右䓁ノ周旋迚モ難行ノ段申聞現地事情探索イタシ候處無相違相聞候事

一 竹島松島朝鮮附属ニ相成候始末

此儀ハ松島ハ竹島ノ隣島ニテ松島ノ儀ニ付是非掲載セシ書留モ無之竹島ノ儀ニ付テハ元禄度後ハ暫クノ間朝鮮ヨリ居留ノ為差遣シ置候處當時ハ以前ノ如ク無人ト相成竹木又ハ竹ヨリ太キ葭ヲ產シ人参䓁自然ニ生シ其餘漁產モ相應ニ有之趣相聞ヘ候事

右ハ朝鮮事情實地偵索イタシ候處大畧書面ノ通リ

 

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ニ御座候間一ト先歸府仕候依之ト先帰府仕候依之件取調書類繪圖面トモ相添此段申上候以上

                外務省出仕

 午四月        佐田白茅

            森山 茂

            齋藤 栄

 

https://www.jacar.archives.go.jp/das/meta/B03030163900 1.明治三年ノ一/巻之四/1 明治3年1月28日から明治3年4月」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B03030163900、対韓政策関係雑纂/朝鮮事務書 第二巻(外務省外交史料館 1-1-2-3_13_002)