Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

朝鮮へ差し遣はされ候ふ者 心得方御達の案 1868. 11

  朝鮮へ差し遣はされ候ふ者心得方
  御達の案

 慶長·元和以来、朝鮮国より度々旧幕府へ使節差し越す。右は豊臣家進撃の武威に屈服し、藩属の礼を執り来たり候ふ訳のところ、日本昇平日久しく、武威やうやく衰頽、しかのみならず幕政因循、つひに凌遅して今日の体に成り行き候ふ儀か、または最初、豊臣秀吉卒去、兵威不振、遂に講和の議起り、そのころ朝鮮は国小さく、日本は国大なるゆゑ、朝鮮は一着を輸し使節差し越し、我は本国に坐してその礼を受け候ふ儀か、右起源の大旨意、確証を取り調べのこと。

 対州より朝鮮へ差し遣はし候ふ使者の礼式、ならびに朝鮮より対州へ差し越し候ふ使者の礼典取り調べのこと。

 対州より朝鮮ヘ出交易の儀は朝鮮より勘合印受け候ふよしのところ、右は朝鮮国制度上に取り入り貢を受け候ふ取り扱ひなるよし。往古文明の化、未開対州甘んじてその制度を受け今にそのまま仕来たり居り候ふよし。右は追って
皇使差し越され候ふ節、表立ちその謬例正し相成るべく候ヘども、前書の趣意に相違これなく候ふや、または最初よりその謬例を知るといへども、朝鮮へ接近の孤島ゆゑ入貢の儀を取らざるを得ず、窃かにその例を用ゐ来たり候ふ儀に候ふや、吟味のこと。

 朝鮮の国体、清主北より勃興の節、たちまちに降伏し、それ以来、臣礼を清国に取り候ふ儀、我が国の比にあらず、清の正朔は国内公然遵行いたし、藩属の礼節を守り、何事も北京の特命を受け候ふ様子なるか、または正朔は清へ使節等差し遣はし候ふ節、文書往復の間に用ゐ候ふまでにて、国内一般普通の年号にあらず、かつ国政も朝鮮国主、自裁独断の権力あり、外国へ条約を取り結び等の大事に至り候ひても自国政府の存意に任せ、向背とも北京へ伺ひ候ふに及ばず取り極むべき国体なりや内探のこと。

 皇使差し遣はされ候ふ節、御軍艦は釜山浦草梁項へ向け差し遣はされ候ふこと順序には候へども、同所に必ず因循いたし、国都往復の道迂迴にて百事咄嗟に弁ずまじく候ふ間、首府に近き海港へ御軍艦相迴し候はばしかるべく存じ候ふ。右首府附近の良港有無、吟味のこと。

 朝鮮国の儀、すでにロシアの毒吻に心酔し陰にその保護に依頼するとの風評あり。真にしかりやいな、かつロシアとすでに境壊を接するに至れりと。しからば定まやみて壊堺の論等あるべし。右事実探索のこと。

 朝鮮国海陸軍備の虚実かつ器械精粗のこと。

 同国内政の治否、国主および大臣の風聞、果して草梁起聞のごとく候ふや取り調べのこと。

 朝鮮と貿易取り開き候はば日本より何々の品物を差し迴し彼の国情に適し申すべしや、また我が国へ輸入の国益と相成るべき品もの何々の分しかるべしや、物品取り調べ、かつ同国物価の低昂、貨幣の善悪、ならびに向来貿易手順の見込み取り調べ候ふこと。

 宗家にて受け候ふ歳遣船は従前の通り存置候ふ方しかるべしや、または廃止の方公道に候ふや、見込みのこと。

 対州は両国の間に价立する孤島にて交際の入費ならびに漂民とも彼我へ行き渡し方ね手続等、一藩尋常の政費外の入用これあり、旧幕府の頃その費用金米渡し来たり候ふ様子。そのほか朝鮮私貿易の利潤をもって一家の軽済といたし居り候ふ様子。しかるに御一新前
叡慮をもって年租三万石下賜され候ふところ、程なく右も相止められ候ふよし、宗家歎訴中に相見え候ふ。今般、朝鮮交際の儀
朝廷御引き受けに相成り候ふ上は、右私貿易等の税金は自然に官府に属し候ふことに立ち到るべし。しかるに漂民取り扱ひその他、年来宗家にて所有の利源を一朝ゆゑなく召し上げられ候ふ姿に立ち到り、一藩の情実愍然の儀につき、右は追々相当の御処分これなくては相成らざる儀につき、右御処分の見込み会計局へ篤と取り調べ候ふこと。

 朝鮮は草梁項のほか、その内地は日本人の旅行難相成り難きことにこれあるべく候へども、宗家周旋、首府まで往観の儀相整ひ候はば一往致すべく、その節は風俗制度等、別して委細に認通すべきこと。

 右の条々取り調べ出来候はば、ひとまづ帰府いたすべし。もっとも追って
皇使差し遣はし候ふまで居留いたし、深く他国の情態探索遂げ候はば、なほさら御都合の儀につき、申し合はせ便誼に取り計らはるべく候ふこと。

  巳十一月       外務省

 

 

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/B03030163400 1/65 右

  朝鮮ヘ被差遣候者心得方
  御達ノ案

慶長元和以来朝鮮國ヨリ度々旧幕府へ使節差越ス右ハ豊臣家進擊ノ武威ニ屈服シ藩属ノ禮ヲ執来候譯ノ處日本昇平日久武威漸衰頽加之幕政因循遂ニ凌遲シテ今日ノ体ニ成行候儀カ又ハ㝡初豊臣秀吉卒去兵威不振遂ニ講和ノ議起リ其頃朝鮮ハ國小日本ハ國大ナル故朝鮮ハ一着ヲ輸シ使節差越我ハ本國ニ坐シテ其禮ヲ受候儀カ右起源ノ大㫖意確證ヲ取

 

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/B03030163400 1/65 左

調ノ事對州ヨリ朝鮮ヘ差遣候使者ノ禮式并朝鮮ヨリ對州ヘ差越候使者ノ禮典取調ノ事

對州ヨリ朝鮮ヘ出交易ノ儀ハ朝鮮ヨリ勘合印受候由ノ處右ハ朝鮮國制度上ニ取入貢ヲ受候取扱ナル由徃古文明ノ化未開對州甘ンシテ其制度ヲ受今ニ其侭仕来居候由右ハ追テ
皇使被差越候節表立其謬例正シ可相成候ヘトモ彌前書ノ趣意ニ相違無之候哉又ハ㝡初ヨリ其謬例ヲ知ルトイヘトモ朝鮮ヘ接近ノ孤島故入貢ノ儀ヲ取ラサルヲ得ス竊ニ其例ヲ用来候儀ニ候哉吟味ノ

 

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/B03030163400 2/65 右

朝鮮ノ國体清主北ヨリ勃興ノ節忽ニ降伏シ其以来臣禮ヲ清國ニ取候儀我國ノ比ニアラス清ノ正朔ハ國内公然遵行イタシ藩属ノ禮節ヲ守何事モ北京ノ特命ヲ受候様子ナルカ又ハ正朔ハ清ヘ使節等差遣候節文書徃復ノ間ニ用候迠ニテ國内一般普通ノ年号ニアラス且國政モ朝鮮國主自裁獨断ノ權力アリ外國ヘ條約ヲ取結等ノ大事ニ至候テモ自國政府ノ存意ニ任向背トモ北京ヘ伺候ニ不及可取極國体也哉内探ノ事

 

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/B03030163400 2/65 左

皇使被差遣候節御軍艦ハ釜山浦草梁頂ヘ向被差遣候事順序ニハ候ヘトモ同所ニテハ必ス因循イタシ國都徃復ノ道迂迴ニテ百事咄嗟ニ辨間敷候間首府ニ近キ海港ヘ御軍艦相迴候ハヽ可然ト存候右首府附近ノ良港有無吟味ノ事

朝鮮國ノ儀既ニ魯西亜ノ毒吻ニ心酔シ陰ニ其保護ニ依頼スルトノ風評アリ眞ニ然ヤ否且魯西亜ト既ニ境壞ヲ接スルニ至レリト然ラハ定テ壞堺ノ論等アルヘシ右事実探索ノ事

朝鮮國海陸軍備ノ虚実且器械精粗ノ事

 

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/B03030163400 3/65 右

同國内政ノ治否國主及大臣ノ風聞果シテ草梁起聞ノ如ク候哉取調ノ事

朝鮮ト貿易取開候ハヽ日本ヨリ何々ノ品物ヲ差迴シ彼ノ國情ニ適シ可申哉マタ我國ヘ輸入ノ國益ト可相成品モノ何々ノ分可然哉物品取調且同國物價ノ低昂貨幣ノ善悪并向来貿易手順ノ見込取調候事

宗家ニテ受候歳遣船ハ従前ノ通存置候方可然哉又ハ廃止ノ方公道ニ候哉見込ノ事

對州ハ両國ノ間ニ价立スル孤島ニテ交際ノ入費并漂民トモ彼我ヘ行渡方ノ手續等一藩尋常ノ政費外

 

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/B03030163400 3/65 左

ノ入用有之旧幕府ノ頃其費用金米渡シ来候様子其外朝鮮私貿易ノ利潤ヲ以一家ノ軽濟トイタシ居候様子然ルニ御一新前
叡慮ヲ以年租三萬石被下賜候處無程右モ被相止候由宗家歎訴中ニ相見候今般朝鮮交際ノ儀
朝廷御引受ニ相成候上ハ右私貿易等ノ税金ハ自然ニ官府ニ属候事ニ可立到然ルニ漂民取扱其他年来宗家ニテ所有ノ利源ヲ一朝無故被召上候姿ニ立到一藩ノ情実愍然ノ儀ニ付右ハ追々相當ノ御處分無之テハ不相成儀ニ付右御處分ノ見込會計局ヘ篤ト取

 

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/B03030163400 4/65 右

調可候事

朝鮮ハ草梁項ノ外其内地ハ日本人ノ旅行難相成事ニ可有之候ヘトモ宗家周旋ニヨリ首府迠徃觀ノ儀相整候ハヽ一徃可致其節ハ風俗制度等別テ委細ニ可認通事

右ノ条々取調出来候ハヽ一ト先帰府可致尤追テ
皇使差遣候迠居留イタシ深他国ノ情態遂探索候ハヽ猶更御都合ノ儀ニ付申合便誼ニ可被取計候事

  巳十一月       外務省

 

https://www.jacar.archives.go.jp/das/meta/B03030163300 3.明治二年/巻之三/2」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B03030163400、対韓政策関係雑纂/朝鮮事務書 第一巻(1-1-2-3_13_001)(外務省外交史料館