在廷の臣僚 及 帝国議会の各員に吿ぐ
古者、皇祖、国を肇むるの初に当り、六合を兼ね八紘を掩ふの詔あり。朕、既に大権を総攬し、藩邦の制を廃し、文武の政を革め、又、宇内の大勢を察し開国の国是を定む。爾来二十有余年、百揆の施設、一に皆、祖宗の遠猷に率由し、以て臣民の康福を増し、国家の隆昌を図らむとするに外ならず。
朕、又、議会を開き公議を尽し、以て大業を翼賛せしめむことを期したり。而して憲法の施行、方に初歩に属す。始を慎み、終を克くし、端を今日に正し、大成を将来に期せざるべからず。顧るに宇内列国の進勢は日一日、より急なり。今の時に当り紛争、日を曠くし、遂に大計を遺れ、以て国運進張の機を誤るが如きことあらば、朕が祖宗の威霊に奉対するの志に非ず、又、立憲の美果を収むるの道に非ざるなり。朕は在廷の臣僚に信任して其の大事を始終せむことを欲し、又、人民の選良に倚藉して朕が日夕の憂虞を分つことを疑はざるなり。
憲法第六十七条に掲げたる費目は、既に正文の保障する所に属し、今に於て紛議の因たるべからず。但し朕は特に閣臣に命じ、行政各般の整理は其の必要に従ひ、徐ろに審議熟計して遺算なきを期し、朕が裁定を仰がしむ。
国家軍防の事に至ては、苟も一日を緩くするときは、或は百年の悔を遺さむ。朕、茲に内廷の費を省き、六年の間、毎歲三十万円を下付し、又、文武の官僚に命じ、特別の情状ある者を除く外、同年同月間、其の俸給十分の一を納れ、以て製艦費の補足に充てしむ。
朕は閣臣と議会とに倚り立憲の機関とし、其の各々権域を慎み、和協の道に由り、以て朕が大事を輔翼し、有終の美を成さむことを望む。
明治二十六年二月十日
睦仁【天皇御璽】
在廷ノ臣僚及帝國議會ノ各員ニ吿ク
古者皇祖國ヲ肇ムルノ初ニ當リ六合ヲ兼子[ネ]八紘ヲ掩フノ詔アリ朕既ニ大權ヲ總攬シ藩邦ノ制ヲ廢シ文武ノ政ヲ革メ又宇内ノ大勢ヲ察シ開國ノ國是ヲ定ム爾來二十有餘年百揆ノ施設一ニ皆祖宗ノ遠猷ニ率由シ以テ臣民ノ康福ヲ增シ國家ノ隆昌ヲ圖ラムトスルニ外ナ
ラズ
朕又議會ヲ開キ公議ヲ盡シ以テ大業ヲ翼賛セシメムコトヲ期シタリ而シテ憲法ノ施行方ニ初歩ニ屬ス始ヲ愼ミ終ヲ克クシ端ヲ今日ニ正シ大成ヲ將來ニ期セザルヘカラス顧ルニ宇内列國ノ進勢ハ日一日ヨリ急ナリ今ノ時ニ當リ紛爭日ヲ曠クシ遂ニ大計ヲ遺レ以テ國運進張ノ機ヲ誤ルカ如キコトアラハ朕カ祖宗ノ威靈ニ奉對スルノ志ニ非ス又立憲ノ美果ヲ収ム
ルノ道ニ非サルナリ朕ハ在廷ノ臣僚ニ信任シテ其ノ大事ヲ始終セムコトヲ欲シ又人民ノ選良ニ倚藉シテ朕カ日夕ノ憂慮ヲ分ツコトヲ疑ハサルナリ
憲法第六十七條ニ揭ケタル費目ハ既ニ正文ノ保障スル所ニ屬シ今ニ於テ紛議ノ因タルヘカラス但シ朕ハ特ニ閣臣ニ命シ行政各般ノ整理ハ其ノ必要ニ從ヒ徐ロニ審議熟計シテ遺算ナキヲ期シ朕カ裁定ヲ仰カシム
國家軍防ノ事ニ至テハ苟モ一日ヲ緩クスルトキハ或ハ百年ノ悔ヲ遺サム朕茲ニ内廷ノ費ヲ省キ六年ノ間毎歲三十萬圓ヲ下付シ又文武ノ官僚ニ命シ特別ノ情状アル者ヲ除ク外同年同月間其ノ俸給十分ノ一ヲ納レ以テ製艦費ノ補足ニ充テシム
朕ハ閣臣ト議會トニ倚リ立憲ノ機關トシ其ノ各々權域ヲ愼ミ和協ノ道ニ由リ以テ朕カ大事ヲ輔翼シ有終ノ美ヲ成サムコトヲ望ム
明治二十六年二月十日
睦仁【天皇御璽】
内閣總理大臣 伯爵 伊藤 博文
司法大臣 伯爵 山縣 有朋
逓信大臣 伯爵 黒田 清隆
内務大臣 伯爵 井上 馨
陸軍大臣 伯爵 大山 巌
農商務大臣 伯爵 後藤象二郎
外務大臣 陸奥 宗光
文部大臣 河野 敏鎌
海軍大臣 子爵 仁禮 景範
大蔵大臣 渡邊 國武
在廷ノ臣僚及帝国議会ノ各員ニ告ク・御署名原本・明治二十六年・詔勅二月十日
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