Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

国会開設の詔勅 1881. 10. 12

太政官 用箋]

     勅  諭

 朕、祖宗二千五百有余年の鴻緒を嗣[つ]ぎ、中古、紐を解くの乾綱を伸張し、大政の統一を総攬し、また夙[つと]に立憲の政体を建て、後世、子孫継ぐべきの業をなさんことを期す。[さき]に明治八年に元老院を設け、十一年に府県会を開かしむ。これみな漸次、基を創[はじ]め序に循[したが]って歩を進むるの道に由るにあらざるはなし。なんぢ有衆また朕が心をとせん。

 顧みるに立国の体、国おのおの宜[よろ]しきを殊[こと]にす。非常の事業、実に軽挙に便ならず。わが祖わか宗、照臨して上にあり。遺烈を揚げ、洪模[謨]を弘め、古今を変通し、断じてこれを行ふ責、朕が[み]にあり。まさに明治二十三年を期し、議員を召じ国会を開き、もって朕が初志を成さんとす。いま在廷臣僚に命じ仮[か]すに時日を以てし、経画の責に当たらしむ。その組織·権限に至りては朕みづから衷を裁し、時に及んで公布するところあらんとす。

 朕惟[おも]ふに、人心進むに偏して時会速やかなるを競ふ。浮言、相動かし、[つひ]に大計を[わす]る。これ宜[よろ]しく今に及んで謨訓明徴し、もって朝野臣民に公示すべし。もしなほことさらに躁急を争ひ、事変を[おこ]し、国安を害する者あらば、処するに国典をもってすべし。ここに言明し、なんぢ有衆に諭す。

  
             太政大臣三条実美

  明治十四年十月十二日

 

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F0000000000000070282&ID=&NO=&TYPE=largeViewer&DL_TYPE=pdf

太政官 用箋]

   勅  諭

朕祖宗二千五百有餘年ノ鴻緒ヲ
嗣キ中古紐ヲ解クノ乾綱ヲ伸張シ
大政ノ統一ヲ総攬シ又夙ニ立憲ノ
政體ヲ建テ後世子孫継クヘキノ
業ヲ爲サンコトヲ期ス嚮ニ明治八年
元老院ヲ設ケ十一年ニ府縣會ヲ

開カシム此レ皆漸次基ヲ創メ序ニ
循テ歩ヲ進ムルノ道ニ由ルニ非ルハ
莫シ爾有衆亦朕カ心ヲ諒トセン
顧ミルニ立國ノ體國各冝キヲ殊ニ
ス非常ノ事業實ニ軽舉ニ便ナラ
ス我祖我宗照臨シテ上ニ在リ遺烈
ヲ揚ケ洪模ヲ弘メ古今ヲ變通シ断シ
テ之ヲ行フ責朕カ躬ニ在リ将ニ明治

 

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二十三年ヲ期シ議員ヲ召シ國會
ヲ開キ以テ朕カ初志ヲ成サントス今
在廷臣僚ニ命シ假スニ時日ヲ以テシ
経畫ノ責ニ當ラシム其組織權限ニ
至テハ朕親ラ衷ヲ裁シ時ニ及テ公
布スル所アラントス
朕惟フニ人心進ムニ偏シテ時會速ナ
ルヲ競フ浮言相動カシ竟ニ大計ヲ

遺ル是宜ク今ニ及テ謨訓ヲ明徴シ以
テ朝野臣民ニ公示スベシ若シ仍ホ故
ラニ躁急ヲ争ヒ事變ヲ煽シ國安ヲ
害スル者アラハ䖏スルニ國典ヲ以テス
ベシ特ニ茲ニ言明シ爾有衆ニ諭ス

 奉
勅         太政大臣三條實美

 明治十四年十月十二日

 

↑公文附属の図・勅語類・(一五)国会開設之勅諭

公文附属の図・勅語類・(一五)国会開設之勅諭 (国立公文書館 附A00304115)

 

https://www.digital.archives.go.jp/img/4151011 1/2 左

[樞密院 用箋]

○ 明治十四年十月十二日

   國會開設ノ勅諭
朕祖宗二千五百有餘年ノ鴻緒ヲ嗣キ、中古紐ヲ
解クノ乾綱ヲ伸張シ、大政ノ統一ヲ総攬シ、又夙
ニ立憲ノ政體ヲ建テ、後世子孫継クヘキノ業ヲ
爲サンコトヲ期ス、嚮ニ、明治八年ニ元老院ヲ設
ケ、十一年ニ府縣會ヲ開カシム、此レ皆漸次基ヲ
創メ、序ニ循テ歩ヲ進ムルノ道ニ由ルニ非ルハ
莫シ、尓有衆朕カ心ヲ諒トセン

 

https://www.digital.archives.go.jp/img/4151011 2/2 右

顧ミルニ、立國ノ體、國各冝キヲ殊ニス、非常ノ亊
業、實ニ軽挙ニ便ナラス、我祖我宗照臨シテ上ニ
在リ、遺烈ヲ揚ケ、洪模[謨]ヲ弘メ、古今ヲ通シ、断シ
テ之ヲ行フ、責朕カ躬ニ在リ、将ニ明治二十三年
ヲ期シ、議貟ヲ召シ、國會ヲ開キ以テ朕カ初志ヲ
成サントス、今在廷臣僚ニ命シ、假スニ時日ヲ以
テシ、経畫ノ責ニ當ラシム、其組織権限ニ至テハ、
朕親ラ衷ヲ裁シ、時ニ及テ公布スル所アラント
ス、 朕惟フニ、人心進ムニ偏シテ、時会速ナルヲ
競フ、浮言相動カシ、竟ニ大計ヲ遺ル、是宜シク今

 

https://www.digital.archives.go.jp/img/4151011 2/2 左

ニ及テ、謨訓ヲ明徴シ、以テ朝野臣民ニ公示スヘ
シ、若シ仍ホ故サラニ躁急ヲ争ヒ事変ヲ煽シ國
安ヲ害スル者アラハ、䖏スルニ國典ヲ以テスヘ
シ、特ニ茲ニ言明シ、爾有衆ニ諭ス

 

↑「国会開設ノ勅諭」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A14110273900、勅語類・明治詔勅・自明治元年至同二十九年十二月・乾(国立公文書館 勅00001100)