Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

【工事中】対韓政策関係雑纂 日韓尋交のため花房大丞、森山茂一行渡韓関係 1872. 8~10

自 明治五年八月
至     十月
   対韓政策関係雑纂
     日韓尋交のため花房大丞
     森山茂一行渡韓関係

 

自 明治五年八月
至 同   十月

明治五年、日韓尋交のため花房大丞、森山茂一行渡韓の件 単
 附 同一行乗船、有功丸雇入れに関する件

 

[右余白]壬申八月十四日、差出す。

卿   大少丞記 花房 朝鮮事務保 (印)

  正院御中       外務省

 今般朝鮮国へ遣はされ候ふ蒸気船、来月二日発航決定につき、雇入れ方の義、大蔵省へ速やかに御沙汰下されたく、この段申進候ふなり。
 壬申八月十四日
                [外務省用箋]

 

 来月二日当地発航、朝鮮国へ差遣はされ候ふ蒸気船雇入れ候ふ儀、御省より一応正院へ御申し出の上、当省へ御下命相成り候ふ様いたしたく、この段、至急、御掛合ひに及び候ふなり。
   壬申
     八月十四日   渋沢栄一

      副嶋外務卿 殿
                [大藏省用箋]

 

[右余白] 五年    伺

 達し候ふ 済
 正院御中   外務省 
     十四等出仕
        竹内精三
朝鮮国出張、花房外務大丞ヘ
 御用これあり差遣はし候ふにつき御達これありたく、この段伺ひいたし候ふなり
 壬申九月
                [外務省用箋]

 

            【史材一】

[付箋]秘物

伺ひの通り。【副島種臣
   【上野】
   【前光】

 

            【史材二】

   朝鮮尋交手続きならびに目的

一、明治戊辰、宗対馬守、旨を奉じて大差使を派し、隣誼を修めんことを告ぐ。その書中「政権一帰 皇室不侒嚮奉勅左近衛少将朝臣某礼曹参判公」の語あり。しかるに彼謂はく右「皇室」 「奉勅」の字は両国書契中、未だこれを用ゆる者あらず、「左近衛少将朝臣」も先規これなく押印約のごとくならず、「礼曹参判公」は宜しく「礼曹参判大人」と書すべしとて接受いたさず候ふこと

一、その後、談判度重なり、庚午二月に至り東莱府、接受単簡をもって差使へ遣し「皇」 「勅」等の字を論難いたし候ふこと

一  しかれども左近衛少将の称呼は承知いたし候ふこと

一、「皇」 「勅」等の字句を用ひず、両政府差碍[さは]らざる様の法語を用ひ交際を収めばしかるべしやと訓噵談合の末、書信を作り、同十月外務官員ら渡韓候へども、訓噵一応の面晤さへ許し申さず候ふこと

一、辛未六月、我が漂人数名を和館の前岸に放棄置き候ふこと

一  宗対馬知事、書を東莱、釜山両使に送りて外務官員に款接せられんことを請ひ候へども、承知いたさざる旨、返簡差越し候ふこと

一、同人対馬知事を止められ、さらに外務大丞に任ぜられ、両国間交際を掌るべき旨の告書ならびに外務官員ら東莱、釜山両使に面晤を請ふの書簡を送れり。はじめ遣はせし大差使は四年の時日を費やし帰国候ふこと

一、新差使ら着韓の日より訓噵に応接を懇求すること、ほとんど二十回に及ぶといへども、そのまま上京いたし候ふこと

 

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/B03030134300 1/1

自 明治五年八月
至     十月
   対韓政策関係雑纂
     日韓尋交ノ爲 花房大丞
     森山茂一行渡韓関係

 

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/B03030134400 1/1

自 明治五年八月
至 同   十月

明治五年日韓尋交ノ為メ花房大丞森山茂一行渡韓ノ件 單
 附 同一行乘舩有功丸雇入ニ関スル件

 

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/B03030134500 1/35

[右余白]壬申八月十四日差出ス

卿   大少丞記 花房 朝鮮事務保 (印)

  正院□中       外務省

今般朝鮮國江[=え]被遣候蒸氣舩来月二日
發航決定ニ付雇入方之義大蔵省江[=え]速ニ
御沙汰ヒ[=被]下度此段申進ヽ[=候]也
 壬申八月十四日
           [外務省用箋]

 

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/B03030134500 2/35

來月二日當地發航朝鮮國江[=え]被差
遣候蒸氣船雇入候儀御省ゟ[=より]一應正院江[=え]
御申出之上當省江[=え]御下命相成候様致度
此段至急及御掛合候也
   壬申
     八月十四日   渋澤栄一

      副嶋外務卿 殿

           [大蔵省用箋]

 

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/B03030134500 3/35

[右余白] 五年    伺

 達ヽ[=候] 濟
 正院御中   外務省 
     十四等出仕
        竹内精三
朝鮮國出張花房外務大丞ヘ
御用有之差遣候ニ付御達有
之度此段致伺ヽ[=候]也
 壬申九月
           [外務省用箋]

 

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/B03030134500 4/35

            【史材一】

[付箋]秘物

伺之通【副島種臣
   【上野】
   【前光】

 

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/B03030134500 5/35 左

            【史材二】

   朝鮮尋交手續 并 目的
一  明治戊辰宗對馬守㫖を奉して大差使を
   派し隣誼を脩めん事を告く其書中政権一
   歸 皇室不侒嚮奉勅左近衞少將平
   朝臣某礼曹參判公等之語あり然るニ彼
   謂右 皇室奉勅之字ハ両國書契中
   未多[=た]之を用由[=ゆ]る者阿[=あ]ら寸[=す] 左近衞少將平朝臣

 

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/B03030134500 6/35 右

   も先規無之押印約の如くなら須[=す]禮曹参判公ハ
   宜く禮曹参判大人と書すへしとて接受不致
   候事
一  其後談判度重り庚午二月ニ至り東萊府
   接受単簡を以而大差使へ遣し
   皇勅等之字を論難致し候事
一  然れ共左近衞少將之稱呼𠀋ハ承知致候事
一  皇勅等之字句を用ひ寸[=す]両政府不差碍楔?[=樣?]之

 

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/B03030134500 6/35 左

   法語を用ひ交際を収めハ可然哉と訓噵談合之
   末書信を作り同十月外務官貟等渡韓候へ共
   訓噵 一應之面晤さへ許し不申候事
一  辛未六月我漂人数名を和館之前岸ニ放棄
   置候事
一  宗對馬知事書を东萊釜山両使ニ送りて
   外務官貟ニ款接世[=せ]られん事を請ひ候へ共 承
   知不致㫖 返簡差越候事

 

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/B03030134500 7/35 右

一  同人對馬知事を止られ 更ニ外務大丞ニ任
   せられ両國間交際を掌る可き㫖の告書 并
   外務官貟等 東萊釜山 両使ニ面晤を請ふ
   の書簡を送連[=れ]り 始め遣ハ世[=せ]し大差使ハ四年
   之時日を費し帰國候事
一  新差使等著韓の日より 訓噵ニ應接を
   懇求する事殆ト二十囬ニ及ふといへとも 其侭上
   京致候事

 

 

↑「表紙」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B03030134300、

↑[中表紙]JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B03030134400、

↑「1 壬申〔明治5年〕8月14日から壬申〔明治5年〕9月」(アジア歴史資料センター)B03030134500、対韓政策関係雑纂/明治五年日韓尋交ノ為花房大丞、森山茂一行渡韓一件 第一(外務省外交史料館 1-1-2-3_5_001)