Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

【工事中】判決 能崎清次(原稿用紙)バタビア裁判 106 号事件 1949. 2. 18 

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蘭·バタビア裁判事件番号一〇六号

 能崎清次ケース(和訳文)

【秘 無期限】
    法務大臣官房司法法制調査局

 

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[右余白]山岸裕一氏記 39. 9. 25 完 36 枚

    判  決

 女王の名において

能崎清次 五十八才、石川県金沢市●●●●●●●●●●(日本)にて出生(一八九〇年四月十五日)日本軍陸軍中将、現在チピナン刑務所に抑留中、

 右のものに対す[る]法務官の基礎事実に関するバタビア临時軍法会議の判決

 そのことに付き被告人を起訴した一九四八年十二月十四日負の、法務官の临時軍法会

 

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議への事件送致書を閲読し、

「被告人は、スマラン尠くも蘭領印度において、一九四四年の三月、四月及び五月頃即ち戰爭中スマラン陸軍士官候補生学校の司令官として在職中 戰爭法規及び慣習に違反して前記学校に配属されていた軍人及びその学校に勤務していた民間人即ち彼の部下が戰爭犯罪を犯したことを容認して戰爭犯罪を犯し、彼は前記軍人及び市民を充分に监督することを怠り、又彼等の行為を知ろうとせず或

 

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は知らず、後述の彼の部下が犯した戰爭犯罪の防止或はその再発又は続発を不可能にする様な措置を講じ又は命令を発することを怠り、その結果前記軍人及び民間人が、一九四四年三月及び四月、旣に日本の占領当局によってスマランのスマランオースト、ゲダンガン及びハルマヘラの諸キヤンプ並びにアンバラワの㐧四及び㐧六キヤンプに収容されていた合計約三十五人の婦女を将校くらぶ、スマランクラブ、日の丸及び二葉荘なる

 

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遊女屋に入れ、そこでこれ等婦女子を強制的に売春せしめ、強姦し、且つ悪待遇し、更に一九四四年三月、四月に、旣に日本の占領当局によってムンチランのキヤンプに収容されていた婦女子をマゲランの遊女屋に入れ、これ等の婦女子を同様に強制的に売春せしめ、強姦したが、被告人は、斯様な戰爭犯罪が行われたこと或は行われるであろうことを知っており、又尠くとも想像し得たにも拘らずことを容認した。[」]

 

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 斯る事実は一九四六年法令広報㐧四十五号戰爭犯罪刑法㐧四條及以下に規定せられて処罰することが出来ることになっている。

 一九四九年二月十四日月𫞂日午后二時インドネシア高等法院の建物内にある临時軍法会議の法廷に出頭する様呼び出した一九四九年二月一日火𫞂日召喚狀及び送達礼状に留意し

 法務官の論告を聞き、

 法務省によって提出された、

「被告人を、

 

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一、強制売春をさせるため婦女子を拉致し売春を強制した

二、強姦

三、被逮捕者の悪待遇

たる戰爭犯罪について有罪を宣告し、

 よって死刑の判決を下されたい」との求刑に留意し、

 使用して被告人に提示、読み聞かせた訴訟書類を閲読し、

 被告人及び彼の弁護人の陳述に留意し、

 

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 行われた事又は行われるであろうこと■を知り、尠くとも当然知らなければならなかったにも拘らず 戦争犯罪が行われることを容認したことが被告人に対し起訴されているが、基礎状よりして、これ等犯行がスマランとアンバラワそれからマゲランとで行われているので、証據物を系統的に観察する為め次の如く分けて見ることが望ましいことを考慮し、

一、一九四四年三月及び四月に、合計約三十五人の婦人がスマラン東、ゲダンガン及び

 

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ハルマヘラ並びにアンバラワ㐧四及び㐧六収容所より

 a. スマランの將校クラブ、スマランクラブ、日の丸及び二葉荘なる遊女屋に入れ

 b. 其処で彼女等に売春を強制し、

 c. 彼女等を強姦し、そして

 d. 彼女等を悪待遇した。

二、一九四四年三月及び四月に、一群の婦人をムンチランの収容所より

 

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a. マゲランの遊女屋に入れ

b. 其処で彼女等に売春することを強制し

c. 彼女等を強姦した。

 㐧一項所掲の事実の証據は、当軍法会議が旣にそれ〱一九四八年三月二十四及び一九四八年九月十一日に三橋一味及び池田正一に言い渡した判決一九四七年七十二号及び㐧七十二号Aとその中に記載されている証據物によって合法的に充分に立証せられ、法廷において被告人に読み聞かされた

 

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この判決が、次の部下が下記の刑に処せられていることを考慮し、即ち、

一、岡田敬次  強制売春の為の婦女子のら致、売春強制及び強姦罪で死刑

二、川村千代松 強制売春の為の婦女子のら致、売春強制罪で懲役十年

三、村上類蔵  被逮捕者の悪待遇罪で懲役七年

四、中島四郎  被逮捕者の悪待遇及び強姦罪で懲役十六年

 

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五、石田英一  強制売春のための婦女子のら致罪で懲役二年

六、古屋 巖  売春強制罪で懲役二十年

七、下田信次  売春強制罪で懲役十年

八、森本行雄  売春強制罪で懲役十五年

九、葛(ツタ)木謙二 売春強制罪で懲役七年

十、池田省一  強制売春のための婦女子のら致、売春強制、強姦罪で懲役十五年

 第二項所掲の証據は、法廷において被告人に読み聞かせた次の証言によって充分立証されて

 

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いる。即ち、

ニン·テハ·エレルカンプ−ファンスハイク、三〇〇三/R号

ジュ·ベールマン−ファンバレホーイイン 七八六八/R号

エン·エム·ファンデルレーリ−クゼー 二二八八一/R号

ユ·レントスシラ−スピーリン 二二八八二/R号

シ·ジェ·ドレウメーヤー博士 二二一五六/R号

シ·シ·ジュ·スヘッペライン−ファンダイン 二二八八三/R号

エッチ·エラッセハ−フロット 二二八八四/R号

ジュ·エッチ·ブッシング−ウイルドベルグ 二三一二六/R号

エン·カ·エム·ダシア−ベッセメル 二三一二七/R号

 

 

 

 

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池田一味に対する判決よりして明ら[か]になった事実によって確認された被告人自身の供

 

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述よりして、彼自身、予め民政当局によって又は民政当局の協力の下に民政当局の监督下にある収容所より連れて来られる婦女子をスマランの遊女屋に入れ、その二つを彼が司令官である幹部候補生学校所属の士官及びそ[の]他の軍人及び守備隊用とする計画を承認し、バタビアで、州知事宮野の要請に基き又はその要請なく、その承認を必要とする第十六軍参謀長及び高橋将軍と談合した後、その許可を申請し申請せしめそしてそれを得たこ

 

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とが明らかである。

 婦女本人が自発的に応じたものと勿論思っており、司令部でもこれについて話があり、斎藤将軍が、後になって面倒なことが起こらない様に婦女子をして予め同意書に署名させる様被告人に忠告したことも被告人自身が供述している。

 被告人が、欧人婦女は軽々しく斯様な仕事をすることを承知しないことを知っており、彼自身も亦最初キャンプから必要数の婦女

 

 

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を手に入れることが出来るかをあやうんでいた。

 被告人は、彼が日本語と馬来語で作成されていたと言う、彼の机上に置かれた同意書に、当該人に課せられる仕事の内容が書かれていないのを見て、岡田に説明を求めた

 これよりして、自発的でなければならないと言う條件が、或はおろそかにされるのではないかと被告人が思ったことがわかる。

 彼は、二万人の収容されている婦女子中よ

 

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り百人の自発的応募があることは間違いない、女達の感情を害することを避けるため同意書に仕事の内容を記載しなかった、自発的と言うことについては、選択を引き受けている民生当局が心配ないと保障している故に疑をはさむ必要はないなどの彼の部下の報告によって容易にあざむかれ、調査又は部下将校よりその後の実情を聴取することなく、総てを彼の部下に一任していた。

 以上のことよりして、被告人が目と耳をふ

 

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さいで良心を眠らせていたと結論せざるを得ず、被告人も亦、监督不行きとゞきがあったため責任を感じているといってこれを認めている。

 被告人は、司令部よりの閉鎖命令が来る数日前、将校の一人から自発的だと思われていたがそうではなかったことを聞き、直に大久保大佐に調査を命じたと言っているが、これは彼を救うこととはならず、更に此処に言っておかなければならないことは、この調査が、

 

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東京からの途次スマランに滞在していた小田島大佐が、𠮷田少佐からスマランの遊女屋にキヤンプから連れて来た女達がいることについて聞かされ(長谷川の証言参照)てから始めて命ぜられたものでなければならないと言うことで、このことは、被告人にも当然報告されたに相違なく、又前記大佐が被告人を訪問しなかった理由を物語っているのではないかとも思われる。

 被告人が、調査後明らかになった、キヤンプから

 

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連れて来られた婦女子の或者が自己の意志に反して遊女屋に入れられたことに対し大に責任を感じておること、又遊女屋の閉鎖命令を彼の管理下にあった幹部候補生学校の将校団の□上□身上に印された汚点として受け取り、その為にバタビアに遺憾の意を表しに行ったこと、被告人が、监督すべきであったこと、そしてそれをしていたならば、彼の部下が行った出鱈目な行為がすぐ分ったに相違ないことを認

 

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識していることを認めた被告人の自供よりしても、キヤンプの婦女をスマランの遊女屋に入れる際強制と言う手が使われることを当然予見すべきであり、且つその防止及びその結果よりの救済措置をとることを怠ったことによって、彼に対し起訴された「容認」の罪につき有罪であることは確定的であると見なければならないこと、

 この、本人の自由意志に反してキヤンプから連れて来た婦女子を遊女屋に入れることを容

 

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認したと言うことは、婦女及び娘達は、自己の意志に反してスマランの遊女屋に入れられたものであり、又池田一味に対する事件の審理の際にも既に明らかにされた如く、彼女らは、如何なる條件の下にも遊女屋を出ることを許されず监禁され、上記判決に証據充分と認められ且、本件においても右判決に基いて確実と見られている如く、或は強姦或は悪待遇で売春を強制されたことが判明している様に、同時に彼は部下が犯した「売春強制」「被

 

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逮捕者の悪待遇及び「強姦」と言う戰爭犯罪を容認したと言うことにもなることを考慮し、

 彼女等の仕事がどんなものであるかを良く認識して自発的に自分自身を提供した婦女についても亦多くの場合真に自発的であったと言うことは出来ない。即ちこれ等婦女子は、スマラン及びアンバラワのキャンプ内の事情が旣に事実悪くなっていた結果、又彼女等が日本の官憲によってキャンプに入れられ、自由行動は許されず、彼女等にとってどの形態の捕われの身

 

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となるかを撰ぶことのみが残されていたので、より良い生活を期待しまたはこれを望み、売春に対する道徳的反抗心の欠如から用意に斯くするに至ったものであること、スマラン及びその他の土地でおこった事を、訪問中の東京大本営の小田島大佐が容易ならぬ事態と認め、直ちに新嘉坡の南方総軍に、尠くも第十六軍司令部にこの事について仂きかけた結果、閉鎖命令が出たことよりして、日本人の目にも、

 

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斯る目的の為に、収容されている婦女子を懲[ママ]発することは許すべからざることであり、特に斯る事情の下にあっては、真の自発的とゆうことはあり得ないことを見抜いているので、良俗の国際通念に反すると見られていることを考慮し、

 被告人自身、彼の供述によれば、キヤンプにおいて募集したことは少しもいかがわしい行為ではないことを非常に良く承知していたかが、他の本件関係者と同様に、そうだとすれば同様

 

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責任を問われなけれぱならなかった在バタビア日本軍[タイプ:バタビアの第 16 軍]司令部の許可の後ろにかくれると言う頗る安易な態度を取っておること、

 然し乍ら、本司令部の責任は問われなかったので、被告人は軍法会議の判断をもってすれば、司令部の許可を得てしたと言っている行為については赦され得るものと考えられるので、キャンプから婦女子を遊女屋に入れたことについては、自発的に応募した婦女子に関する限り無罪とされなければならないことを考慮し、

 

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 仍って被告人は、㐧二項の頭部に揚げられた基礎事実に関する限り無罪として、旣に刑を宣告された彼の部下が有罪とされた戰爭犯罪の容認したと言う基礎事実については、戰爭犯罪刑法㐧九條に依り有罪を宣告されなければならないが、軍法会議の意見をもってすれば、「遊女屋に入れる事」は「強制売春の為の婦女子のら致」となすことは出来ないと思われ、從ってそれについて有罪を宣告してはならないこと

 

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を考慮し、
 被告人に科すべき刑の重さの決定に際しては、次のことを考慮に入れなければまならないことを考慮し、即ち
 被告人は、幹部候補生学校の司令官兼中部爪哇地区司令官として、部下の佐官岡田及び池田が命令された任務及び仕事を遂行するで在うことを或る程度期待することが出来又期待することも許されるが、被告の様な地位にある将軍に、彼が責任

 

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ある幹部将校に与えた命令の実行を微に入り細に入り間断なく监督することを、又司令官たる将官として、或程度これ等幹部将校が彼になした報告を調べてみるべきであったと言うことを要求してはならないこと、

 本件の審理中、彼の部下池田及び岡田より非常に良い印象を与えた被告人が、非常に責任を感じていることが分り、又軍法会議も、被告人が、斯様な事件を起して恥ずかしく思っていると言っているのは口先だけの

 

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ものではないと確信しており、更に被告人の供述に誤りは見受けられず、彼が遊女屋で遊んだこともなく、彼が述べている様に通訳を通じて年増女の一人と一寸話をした外は、将校クラブ所属の遊女屋の女達とは誰とも接觸しておらず、その年増女と言うのは、証言からして職業売春婦らしく思われ、彼女が自分が知っている不法行為を開店の晩、現地のこの日本の高官に言いたかったと言っていることは採用出来ること、

 

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 然し乍ら他面において、

 前述の如く、监督不行きとどきと言う形になって現れた被告人の無関心な態度は、極めて深酷なもので、当軍法会議が被告人の部下たちになした判決は、前述の如く岡田敬[ママ]治には死刑、池田正[ママ]一には懲役十五年の刑を、又本遊女屋事件に直接関係があった被告人のその他の部下に対しては懲役七年から二十年までの刑を科さなければならない程のものであり、単に石田英一についてはだけは、判決に述べた根

 

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據に基いた懲役二年の軽い刑を科すことにしたこと。

 上記の事情よりして、軍法会議は、法務省から要求があった最高刑は軽きにすぎ、懲役十二年の刑が被告人の罪にふさわしいと思うことを考慮し、

 前記引用法規の外、戰爭犯罪の定義に関する政令㐧一條㐧二項及び㐧三十五項及び戰爭犯罪刑法に関する政令に留意し、
    裁判を行い

 

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本判決書の頭初に掲げた被告人に対し、基礎事実のうち、証據不充分のものについては無罪を、証據充分のものについては「売春の強制」「強姦」「监禁した者の悪待遇」なる戰爭犯罪に有罪を宣告し、よって懲役十二年の刑に処す。

 本判決は、一九四九年二月十八日判士長陸軍少佐法学博士イル·エフ·デホロート、判士陸軍大尉法学修士ジェ·ジ·エツチ·フアン デル スタルプ、陸軍中尉ニ·ジェ·フアン ブセンメンスタインが、

 

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書記准尉エ·ヴィ·デンアウ立会の下になしたもので、……作成承認されたものである。

         判士長
  書紀
         判士

 

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