Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

【工事中】朴烈·金子文子裁判 大審院第二回公判より ② 検事 小原直の論告求刑 1926. 2. 27

歴史写真会「歴史写真(昭和 14 年 10 月号)」より。 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%8E%9F%E7%9B%B4

検事 小原直は

 本件に関する事実および法律の点につき検事の意見を開陳すべしと前提し、
 さきに大正十三年秋、難波大助に対する刑法第七十三条の罪につき当院の審判を受けたるは、世人の記憶になほ新たなる所にして、当時、国民を挙げてわが国史上の一大汚点として痛恨禁ずる能はざるものありしところ、今またここに被告両名に対し同一の罪につき当院の審判を求むるに至りしは、上 皇室に対し重ねがさね恐懼に堪へざるとともに、国家の不祥事として深く遺憾とするところなり。しかれども事すでに発したる以上、よろしく国法に従ひ厳正に事案を審断して、適正なる刑罰を請求し、もって国家の綱紀、社会の秩序を維持するは、検察の局に膺[あた]るものの当然の責務なりと思料す。
 当院における審理の結果に徴するに、被告両名に対する本件公訴の事実は、証拠上その証明十分にして、ここに被告らに対し有罪の意見を陳述せざるを得ざるは、本職の遺憾に堪へざるところなり。
 以下、証拠に基き事実の認定に関する意見を開陳すべし。しかして本件は被告両名の思想に基く犯罪なるをもって、まづ被告両名の有する主義、思想およびこれらの主義、思想を懐抱するに至りし事情の大略を説明すべし。
 第一に被告朴について述べん。被告朴は朝鮮の由緒ある家系の家に生れ、咸昌の普通学校、次いで京城の高等普通学校の課程を履[おは]り、大正八年十月、十七歳にして東京に来たれるものなるが、被告の供述によれば、京城に在学の頃よりして、朝鮮総督府の施設せる学校教育は日鮮人の間に差等を設けて朝鮮人を侮蔑するものとなし、総督府の朝鮮統治方針に不満を懐き、わが国の朝鮮に対する統治をもって帝国主義的野心により朝鮮民族を死地に陥れ、これが絶滅を期するものとして、わが国家および日本民族に対し反抗憤懣の念を高め、これを救ふには朝鮮の独立を計るのほかなしと断じ、東京に来たるに及び飴売り、人参行商、人力車夫、立ちん坊、郵便集配人等の労働に従事中、出版物を翻読する傍ら主義者と往来して広義の社会主義的思想を懐抱するに至りしが、共産主義的労農露国の情態を見てこれに慊[あきた]らずとなし、個人の絶対自由を憧憬して無政府主義を信奉するに至りしところ、熟々[つらつら]人生を達観するに、人間性は醜悪にしてこれに信頼し期待することを得ず、この醜悪なる人間性の上に無政府主義のごとき理想の美しく叙情詩を建つることは困難なるを知り、ここに虚無的思想を懐[いだ]くに至れり。かく人間性を信頼するを得ざるに至らし結果、寂寞孤独の感を懐くと同時に、自分自身が朝鮮人として生れたる弱者であること、またそれよりも人間として弱者たることを呪詛し、自己は元より万物の存在を否すると同時に、堪へられざる虐待の下に弱者として忍従することが呪はしく、ためにすべての物に対する叛逆復讐によりすべての物を滅ぼすことが大いなる自然に対する合理的行動なりと信ずるに至れり。したがって、自己は目覚ましい復讐をもなし得ずに、むしろ温[おとな]しく日本政府の虐政対して忍んでゐるところの朝鮮民族に対しても、これに呪はしい心持になりたり。これ故に自分は朝

[p. 698, p. 699 (原本四丁分) が黒色戦旗社 1977 年復刻本では欠落している。]

 以上、第二次までの爆弾輸入の計画は被告朴単独の行為なるも、第 三次、第四次の計画は朴が被告文子ト同棲後、被告両名共謀の結果なるをもって、この際、被告文子の経歴および思想の由来について検討するの必要あり。
 被告文子は内縁の夫婦たる佐伯文一と金子きくのの長女として横浜に生れたるところ、被告幼少の折、父は情婦に溺れ被告母子を棄てて他な走り、被告の母は順次数人の情夫に身を寄せ、さらに被告を棄てて数次他家に嫁したるため、被告は九歳にして在朝鮮の親戚なる岩下ヒサシ方に寄寓しをること数年にして、母の原籍地なる山梨県に帰来したるが、この間、具さに辛酸を嘗め十六才、苦学の目的をもって上京し、夕刊売り、下婢、女給等の労務に服する傍ら正則英語学校、研数学館等に学べる際、自己の経歴、境遇に不満を懐きたる結果、人生を悲観し社会を呪詛し、漸次、社会主義的思想を懐くに至り、さらに無政府主義者共産主義者等と交はり、これらの主義に関する出版物を耽読するに至り、益々過激なる思想を懐くとともに、仏教、クリスト教信者、およびいはゆる社会運動者の実際の行動を見るに及び、その虚偽にして売名的かると、農民、労働者らの無知、無気力かるに呆れ、大正十一年春頃より虚無的思想を懐くに至りしところ、たまたま岩崎おでんやにおいて被告朴と相識るに及び、その主義思想に共鳴して遂に同年四月末頃より朴と同棲するに至り、爾来、朴と共に前述の黒濤会、黒友会または不逞社等の団体および太い鮮人、現社会等の刊行に関係し、専ら権力に対する反抗の宣伝、実行を計画せるうち、 遂に朴とともに皇室に対する大逆の計画を企つるに至りしものにして、これらの事実は被告、文子の当公廷における自供、予審における数次の供述により明らかなるところなり。しかしてその大逆計画の実行に供するため、被告朴とともに爆彈の入手を計画したるものとす。
 しかして被告朴は大正十一年九月、 信濃川水力発電所工事に従事せる朝鮮人殺傷事件の報告を兼ね、無産者同盟会に参列するため京城に赴き、はじめて朝鮮民族主義者にして義烈団と特別の関係を有する金翰と相識り、同年十一月中、再び京城に赴き金翰と会して爆弾入手の協議をなし、帰京後、十二年二月頃の間、さらにこれに関し被告文子と共謀の上、妓生李小岩を介して二回(文子は三回といふ)暗号文書の往復をなしたる事実あり。しかして一面、金翰は当時、義烈団の首領、金元鳳と交渉して義烈団員、李応明こと南寧得および朴善の手により上海より京城に爆弾を輸入せんことを計画しをりたる際なりしをもって、朴に対しそのうち若干の分与を約諾したるところ、右爆弾は安東県まで持ち来たりしも、朝鮮に輸送せられざりしため、被告朴の手に入ることを得ず、その後、大正十二年一月中、金相玉一派が京城鍾路警察署に爆弾を投擲したることあり、金相玉は逮捕に向ひたる警察官を射殺し、自己もまた射殺せられたるが、大正十二年三月ニハ京畿道警部 鉱玉が金元鳳と握手し、南寧得の手において爆弾三十余個を朝鮮に輸入せんとしたるも、安東県において官憲のために発覚、押収せられ、金翰もまたこの事件に共謀せるの故をもって検挙せらるるに至りし事実あり。かくのごとくして金翰等の朝鮮に爆弾を輸入する計画、したがってまた被告らが金翰より分与により本件の爆弾入手目的を達するを得ざりしものにして、右の事実は金翰との交渉に関する点については与審以来一貫せる被告両名の供述、証人金翰の第六回、第七回与審調書における詳細の供述記載によりこれを認むるに十分なり。
 第四に被告両名は相談の上、被告朴において大正十二年四、五月頃、当時東京に来たれる無政府主義者たる朝鮮人金重漢に対し、同年秋頃挙行せらるべしとの巷説ありし皇太子殿下の御結婚式までに爆弾を入手たきをもって、上海に赴き義烈団または朝鮮仮政府の関係者らより爆弾分与の交渉をなし呉るる様依頼し、金重漢においてこれを承諾したるも、後日、被告らは金重漢に対しその依頼を取消したるため、遂にこれが実行を見るに至らざりしことは、被告両名の予審以来供述する所にして、金重漢もまた予審における数回の取調に対しこれを認めをる処なるをもって明かなる所なりとす。被告人 朴はこの点に関し当院における第三回予審の取調べ以後、ことに昨日の公判において金重漢に対し右と同旨のことを話したるも、右は崔嚇鎮との従来の交渉を復活せんとする意思ありしをもって、金重漢の気を引いて見るためかくのごとき言をなしたるに過ぎずして、真実、爆弾輸入に関し同人に依頼したるものにあらざる旨弁釈するも、前来挙示せる証拠によれば、右被告の供述はこれを信ずることを得ず、事実は即ち爆弾輸入のことを同人に依頼したるものと認めざるべからず。しかして被告朴が金に対し依頼を取消したることより延いて、大正十二年八月十一日、被告方に開催せる不逞社四回例会の席上、朴と金との間に右に関し争論をなしたることは、同会に出席したる各関係人の等しく認むる所にして、これらの供述によるも、朴が金に右の依頼をなしたるはその真意に出たることを推定するに足る。
 さらに被告文子は昨日の公判において、朴と共謀の上、金重漢に対し上海に赴き爆弾入手のことを依頼したる旨、予審以来陳述し来たりしも、右は全く虚偽の供述をなしたるものにして、金重漢に対する交渉は、朴が自己に無断なしたるものにして、これが取消しのことを金重漢に交渉したる当時、はじめて右の顛末を朴より聞きたるものなり云々と供述を変更せり。しかれども被告文子は、金重漢に対し、朴と共謀の上、爆弾入手のことを依頼したることについては、別件の予審第六回の訊問において詳細に供述し、また第七回の訊問の際はさらに金重漢と知り合ひになりたる顛末より交渉するに及び金がしっかりした人物なるを知り、頼もしく思ひ、自分より朴に金程の男なら爆弾のことを頼んでも良ろーと 

 

《原文》

检事 小原直ハ
  本件ニ関スル事実 及 法律
  ノ奌ニ付 检事ノ意見ヲ
  開陳スベシト前提シ
  曩ニ大正十三年秋 難波大
  助ニ対スル刑法㐧七十三条
  ノ罪ニ付 當院ノ審判ヲ
  受ケタルハ 世人ノ記憶ニ程

↑p. 695

  新ナル所ニシテ 當時 国民ヲ
  挙ケテ我国史上ノ一大汚
  奌トシテ 痛恨 禁スル能ハ
  サルモノアリシ處 今又茲ニ
  被告両名ニ対シ 同一ノ罪ニ付
  當院ノ審判ヲ求ムルニ至
  リシハ上 皇室ニ対シ重ネ/\
  恐懼ニ堪エサルト共ニ 国家ノ
  不祥事トシテ深ク遺憾
  トスル所ナリ 然レトモ事 既
  ニ發シタル以上 冝シク国法ニ従
  ヒ 厳正ニ事案ヲ检断シ

  テ 適正ナル刑罰ヲ請求シ
  以テ国家ノ綱紀 社會ノ秩
  序ヲ維持スルハ 检察ノ
  局ニ膺ルモノヽ當然ノ責務
  ナリト思料ス
  當院ニ於ケル審理ノ結果
  ニ徴スルニ 被告両名ニ対スル
  本件公訴ノ事実ハ 証
  據上 其ノ証明 十分ニシテ
  茲ニ被告等ニ対シ有罪ノ
  意見ヲ陳述セサルヲ得サ
  ルハ 本職ノ遺憾ニ堪ヘサ

  ル所ナリ
  以下 證據ニ基キ事実ノ認
  定ニ関スル意見ヲ開陳ス
  ヘシ 而シテ本件ハ被告
  両名ノ思想ニ基ク犯罪
  ナルヲ以テ 先ツ被告両名
  ノ有スル主義 思想 及 是
  等ノ主義 思想ヲ懐抱
  スルニ至リシ事情ノ大略ヲ
  説明スベシ
  㐧一ニ 被告 朴ニ就テ述へンニ
  被告 朴ハ朝鮮ノ由緒

  アル家系ノ家ニ生レ 咸昌普
  通学校 次テ京城ノ高等
  普通学校ノ課程ヲ履リ
  大正八年十月 十七歳ニシテ
  东京ニ来レルモノナルガ 被告
  ノ供述ニ依レハ 京城ニ在学
  ノ頃ヨリシテ朝鮮総督府
  ノ施設セル学校敎育ハ
  日鮮人ノ間ニ差等ヲ設ケ
  テ朝鮮人ヲ侮蔑スルモノ
  トナシ 且ツ総督府ノ朝鮮
  統治方針ニ不満ヲ懷キ

↑p. 696

  我国ノ朝鮮ニ対スル統治ヲ
  以テ 帝国主義的埜心ニ依
  リ朝鮮民族ヲ死地ニ陷
  レ 之カ絶滅ヲ期スルモノトシ
  テ我国家 及 日本民族
  対シ反抗憤懣ノ念ヲ高メ
  之ヲ救フニハ朝鮮ノ独立
  ヲ計ルノ外ナシト断シ 东京
  ニ来ルニ及ヒ飴売 人蔘行
  商 人力車夫 立ン坊 郵便
  集配人等ノ労働二従事
  中 各種ノ主義ニ關スル

  出版物ヲ翻讀スル傍ラ主
  義者ト徃来シテ廣義
  ノ社會主義的思想ヲ懷
  抱スルニ至リシガ 共産主義
  的労農露国ノ情態ヲ見
  テ之ニ慊ラスト为シ 個人ノ絶
  対自由ヲ憧憬シテ無政
  府主義ヲ信奉スルニ至
  リシ處 熟々人生ヲ達観
  スルニ 人間性ハ醜悪ニシテ之ニ
  信頼シ期待スルコトヲ得ス
  此醜悪ナル人間性ノ上ニ無

  政府主義ノ如キ理想ノ美
  シク叙情詩ヲ建ツルコトハ困
  難ナルヲ知リ 茲ニ虚無的
  思想ヲ懷クニ至レリ 此ク人
  間性ヲ信頼スルヲ得サル
  ニ至リシ結果 寂寞孤独
  ノ感ヲ懷クト同時ニ 自分自
  身カ朝鮮人トシテ生レタル
  弱者デアル事 又 夫レヨリ
  モ人間トシテ弱者タルコトヲ
  呪詛シ 自己ハ元ヨリ萬物ノ
  存在ヲ否定スルト同時ニ 堪

  ヘラレサル虐待ノ下二弱者トシ
  テ忍従スルコトカ呪ハシク 为ニ
  総テノ物ニ対スル叛逆復讐
  ニヨリ総ヘテノ物ヲ滅ス事
  カ大ナル自然ニ対スル合理
  的行動ナリト信スルニ至レ
  リ 従テ自己ハ目覺シイ復
  讐ヲモ为シ得スニ 寧ロ温
  シク日本政府ノ虐政ニ対シ
  テ忍ンテ居ル處ノ朝鮮
  民族ニ対シテモ之ニ呪ハシイ心持
  ニナリタリ 此故ニ自分ハ朝

↑p. 697
[p. 698, p. 699 (原本四丁分) が黒色戦旗社 1977 年復刻本では欠落している。]

  以上 苐二次迄ノ爆弾輸入
  ノ計劃ハ被告 朴 単独
  ノ行為ナルモ 㐧三次 㐧四次
  ノ計劃ハ朴カ被告 文
  子ト同棲後 被告両名
  共謀ノ結果ナルヲ以テ 此際
  被告文子ノ経歴 及 思想
  ノ由来ニ付テ检討スルノ必
  要アリ
  被告 文子ハ内縁ノ夫婦タル  
  佐伯文一ト金子きくのノ長
  女トシテ横濱ニ生レタル處 被

  告幼少ノ折 父ハ情婦ニ溺レ 被
  告母子ヲ棄テテ他ニ赱リ
  被告ノ母ハ順次数人ノ情夫
  ニ身ヲ寄セ 更ニ被告ヲ棄
  テヽ数次 他家ニ嫁シタル为 被
  告ハ九歳ニシテ在朝鮮
  ノ親戚ナル岩下ヒサシ方ニ
  寄寓シ居ルコト数年ニシテ
  母ノ原籍地ナル山梨縣ニ歸
  来シタルガ 此間 具サニ辛酸
  ヲ嘗メ 十六才 苦学ノ目的ヲ
  以テ上京シ 夕刊売 下婢 女給

  等ノ労務ニ服スル傍ラ 正則
  英語学校 研数学館
  ニ学ヘル際 自己ノ経歴 境遇
  ニ不満ヲ懷キタル結果 人生
  ヲ悲観シ 社会ヲ呪詛シ 漸
  次 社会主義的思想ヲ
  懷クニ至リ 更ニ無政府主
  義者 共産主義者等ト
  交リ 是等ノ主義ニ關スル
  出版物ヲ耽讀スルニ至リ
  益〃過激ナル思想ヲ懷ク
  ト共ニ 佛敎 クリスト敎信者

  及 所謂社会運動者ノ實
  際ノ行動ヲ見ルニ及ヒ 其ノ
  虚偽ニシテ賣名的ナルト農
  民労働者等ノ無知無氣
  力ナルニ呆レ 大正十一年春
  頃ヨリ虚無的思想ヲ壞
  クニ至リシ處 偶々岩﨑お
  でんやニ於テ被告朴ト相識ル
  ニ及ヒ 其ノ主義思想ニ共
  鳴シテ 遂ニ同年四月末頃ヨリ
  朴ト同棲スルニ至リ 爾来 朴
  ト共ニ前述ノ黒濤会 黒友

↑p. 700

  会 又ハ不逞社等ノ團体
  及 太イ鮮人 現社会等ノ
  刊行ニ關係シ 專ラ権力ニ
  対スル反抗ノ宣傳 實行ヲ
  計劃セル内 遂ニ朴ト共ニ
   皇室ニ対スル大逆ノ計劃
  ヲ企ツルニ至リシモノニシテ 是等
  ノ事實ハ被告 文子ノ當
  公廷ニ於ケル自供 豫審ニ
  於ケル数次ノ供述ニヨリ明
  ナル所ナリ 而シテ其ノ大逆計
  劃ノ實行ニ供スル为 被告

  朴ト共ニ爆弾ノ入手ヲ計
  劃シタルモノトス
  而シテ被告 朴ハ大正十一年
  九月 信濃川水力発電
  工事ニ従事セル朝鮮人
  殺傷事件ノ報告ヲ兼ネ
  無産者同盟会ニ参列
  スル为 京城ニ赴キ 始メテ朝
  鮮民族主義者ニシテ義
  烈團ト特別ノ関係ヲ有
  スル金翰ト相識リ 同年十一
  月中 再ヒ京城ニ赴キ金

  翰ト会シテ爆弾入手ノ協
  議ヲ为シ 歸京後十二年二
  月頃ノ間 更ニ之ニ關シ被
  告 文子ト共謀ノ上 妓生 李
  小岩ヲ介シテ二囬(文子ハ三回ト云
  フ)暗号文書ノ徃復ヲ为シ
  タル事実アリ 而シテ一面
  金翰ハ當時 義烈團ノ首
  領 金元鳳ト交渉シテ義
  烈團員 李应明 事 南
  寧得 及 朴善ノ手ニヨリ
  上海ヨリ京城ニ爆弾ヲ輸

  入セン事ヲ計劃シ居タル際
  ナリシヲ以テ 朴ニ対シ其内若
  干ノ分與ヲ約諾シタル處 右
  爆弾ハ安東縣迄 持来
  リシモ 朝鮮ニ輸送
  セラレサリシ为 被告 朴ノ手ニ
  入ルコトヲ得ス 其後 大正十二年
  一月中 金相玉一派ガ京城
  鍾路警察署ニ爆弾ヲ投
  擲シタル事アリ 金相玉ハ
  逮捕ニ向ヒタル警察官ヲ射殺
  シ自己モ亦 射殺セラレタルガ

↑p. 701

  大正十二年三月ニハ京畿道
  警部 鑛?玉ガ金元鳳ト
  握手シ 南寧得ノ手ニ
  於テ爆弾三十餘個ヲ朝鮮
  ニ輸入セントシタルモ 安東縣
  ニ於テ官憲ノ为ニ発覺押
  収セラレ 金翰モ亦 此事件
  ニ共謀セルノ故ヲ以テ检挙
  セラルルニ至リシ事實アリ
  此ノ如クシテ金翰等ノ朝鮮
  ニ爆弾ヲ輸入スル計劃 従
  ツテ又 被告等ガ金翰ヨリ

  分與ニヨリ本件ノ爆弾入
  手目的ヲ達スルヲ得サリ
  シモノニシテ 右ノ事實ハ金翰
  トノ交渉ニ關スル奌ニ付テハ
  豫審以来 一貫セル被告両
  名ノ供述 証人 金翰ノ㐧六
  回 㐧七回豫審調書ニ於
  ケル詳細ノ供述記載ニヨリ
  之ヲ認ムルニ十分ナリ
  第四ニ被告両名ハ相談ノ上
  被告 朴ニ於テ大正十二年
  四、五月頃 當時 东京ニ来レル

  無政府主義者タル朝鮮人
  金重漢ニ対シ 同年秋頃
  挙行セラルヘシトノ巷説
  アリシ 皇太子殿下ノ御
  結婚式迄ニ爆弾ヲ入手シ
  タキヲ以テ 上海ニ赴キ義烈
  團 又ハ朝鮮仮政府ノ關係
  者等ヨリ爆弾分與ノ交
  渉ヲ为シ呉ルヽ様 依頼シ
  金重漢ニ於テ之ヲ承諾
  シタルモ 後日 被告等ハ金
  重漢ニ対シ其ノ依頼ヲ取
  消シタル为 遂ニ之ガ實行ヲ
  見ルニ至ラサリシコトハ 被告
  両名ノ豫審以来 供述スル
  所ニシテ 金重漢モ亦 豫審
  ニ於ケル数回ノ取調ニ対シ之
  ヲ認メ居ル處ナルヲ以テ 明
  ナル所ナリトス 被告人 朴ハ
  此奌ニ關シ當院ニ於ケル
  㐧三回豫審ノ取調以後 殊
  ニ昨日ノ公判ニ於テ 金重漢
  ニ対シ右ト同旨ノ事ヲ話シ
  タルモ 右ハ崔嚇鎮トノ従来

↑p. 702

  ノ交渉ヲ復活セントスル意思
  アリシヲ以テ金重漢ノ氣ヲ
  引イテ見ル为メ斯ノ如キ言
  ヲ为シタルニ過キスシテ 真實
  爆弾輸入ニ關シ同人ニ依頼
  シタルモノニアラサル旨 弁釋ス
  ルモ 前来挙示セル證據ニヨ
  レハ 右被告ノ供述ハ之ヲ信
  スルコトヲ得ス 事實ハ即
  爆弾輸入ノコトヲ同人ニ依
  頼シタルモノト認メサルヘカラ
  ス 而シテ被告 朴カ金ニ対

  シ依頼ヲ取消シタルコトヨリ
  延イテ 大正十二年八月十一日
  被告方ニ開催セル不
  逞社㐧四回例会ノ席上
  朴ト金トノ間ニ右ニ關シ争
  論ヲ为シタルコトハ 同会ニ出
  席シタル各關係人ノ等シク
  認ムル所ニシテ 是等ノ供述
  ニヨルモ 朴カ金ニ右ノ依頼
  ヲ为シタルハ其ノ真意ニ出
  タルコトヲ推定スルニ足ル
  更ニ被告 文子ハ 昨日ノ公判

  ニ於テ朴ト共謀ノ上 金重
  漢ニ対シ 上海ニ赴キ爆弾
  入手ノコトヲ依頼シタル旨
  豫審以来 陳述シ来リ
  シモ 右ハ全ク虚偽ノ供述
  ヲナシタルモノニシテ 金重
  漢ニ対スル交渉ハ 朴カ自
  己ニ無断ニナシタルモノニシテ
  之カ取消ノコトヲ金重漢ニ
  交渉シタル當時 始メテ右ノ
  顛末ヲ朴ヨリ聞キタルモノ
  ナリ 云々ト供述ヲ変更セ

  リ 然レトモ 被告 文子ハ金
  重漢ニ対シ 朴ト共謀ノ上 爆
  弾入手ノコトヲ依頼シタル
  コトニ付テハ 別件ノ豫審
  㐧六回ノ訊問ニ於テ詳細
  ニ供述シ 又 㐧七回ノ訊問ノ際
  ハ更ニ 金重漢ト知合ニナリ
  タル顛末ヨリ 交渉スルニ及
  ヒ 金カ確カリシタ人物ナルヲ
  知リ 頼母シク思ヒ 自分ヨリ
  朴ニ 金程ノ男ナラ爆弾
  ノコトヲ頼ンデモ良カロート

↑p. 703

  申マシタ處 朴モ之ヲ
肯定シテ居リタリ
今年五月末頃トナリ 朴カ私
ニ 金ニ先日 上海カラ此ノ秋
迄ニ上海カラ持ツテ来テ呉
レル様ニ頼ンタ處 千圓 要
ルト申シテ居タトノ話アリ
始メテ朴カ愈々 金ニ頼
ンタコトヲ知リタリ 其後
金ト往復シテ居タルニ売
名的ノ嫌アル為 發覺ヲ
怖レ 朴ト相談ノ上 断ルコト
【上左】ニシタリト供述セリ
以上 論述セルガ如ク 被告両
名ガ単独 又ハ共謀ノ上
㐧一乃至㐧四ノ如ク爆弾
ノ輸入ヲ計劃シタルモ 何レモ
之ヲ入手スルニ至ラサリシコトハ
明ナル所ニシテ 被告等カ斯
ク爆弾ヲ輸入セントシタル
目的ガ實ニ我 皇室ニ対ス
ル不逞ノ計劃ノ實行ニ
在リタルコトハ是又 前来 述
ヘ来リタル所ニヨリ其ノ一端ヲ
【下右】知ルコトヲ得ヘキモ 以下 更
ニ其ノ要点ニ付テ説述
スル所アラントス
被告両名ノ主義思想
ニ付テハ曩ニ説明シタル
如クニシテ 本件爆弾輸
入ノ目的ハ即 被告等ノ
虚無的思想ノ實行トシ
テ権力者ニ対シ叛逆的
復讐ヲ為サンガ為ナリ
権力階級ニ対シテ叛逆
的復讐ヲ為スニハ 権力
【下左】階級ノ総攬者タル 皇室
ヲ倒スニ在リ 即 爆弾
投擲ノ対象ハ 天皇
下 又ハ 皇太子殿下ニ在
リタリトハ 其ノ表示ニ多少
ノ爭異アリトハ謂ヒ 被告
両名ノ等シク主張スル所ナリ
而シテ被告両名ノ此奌ニ
關スル主張ハ 初メハ聊カ不
明確 且 軟弱ノ嫌アリ 本
職ノ如キモ最初ハ被告
等ノ此主張ハ其ノ思想 及
【705】境遇ヨリシテ自暴自棄
トナリ徒ニ誇張シテ大言
壮語スルモノニシテ被告等
ノ真ノ意思ニアラス 又 實
際ニ計劃企図シタル處
ニアラサルカ如キヲ疑ヘタルモ
豫審ノ審理 進行スルニ
従ヒ 其ノ主張ハ漸ク瞭ト
ナリ 殊ニ被告 朴ノ㐧六回
㐧十回 㐧十六回 㐧十七回
㐧十九回ノ取調ニ於テハ
其ノ供述ハ益[々]明確 且 鞏
【上左】固トナリ 被告 文子ニ付テハ
其ノ㐧六回 㐧七回ヨリ進
ンテ㐧十二回ノ取調ニ至リ
最も明瞭ニ事実ノ關係
ヲ供述シ 之ヲ前来述ヘ来
リタル爆弾ノ輸入計劃
其ノ他ノ客観的事實ニ
対照スルトキハ 被告等ノ
爆弾投擲ノ対照ハ全
ク 天皇陛下 又ハ 皇太
子殿下ニ在リタリトノ被告
両名ノ供述ハ全然真實
【下右】ナルコトヲ断定スルニ十分ナ
リ 唯タ 被告 朴ト文子トハ
等シク虚無的思想 及 権
力者ニ対スル叛逆的復讐
ノ實行トシテ 皇室ニ対シ
本件大遂ノ企図ヲ為シ
タリト称スルモ 両人ノ民族
的立場ノ異ナルガ為 犯罪
ノ動機ニ関シテ若干ノ爭
異アリ 即 朴ハ㐧六回ノ豫
審ニ於テ
 俺ハ昨年ノ秋頃 日本ノ
【下左】 皇太子カ結婚スルト
 云フ事ヲ聞イテ居タ 夫
 レ故 俺ハ出来ルナラ其ノ
 時迄ニ爆弾ヲ入手シテ
 其レヲ其ノ機会ニ使用
 シタイト思ツテ居タカラ
 金君ニ対シテ出来ルナ
 ラ秋迄ニ手ニ入レテ呉レマイ
 カト頼ンテ見タノダ 日本
 ノ 皇太子カ結婚スルト
 ハ日本帝国トシテ最モ
 御目出度イコトノ一ツタカ
【706】ラ 云々
 其ノ行列ノ際ニ爆弾ヲ
 日本ノ 皇太子ニ投付
 ケテ 甘ク當レハヨシ 若シ當
 ラナクトモ其ノ周囲ノ重
 臣ヲ遣ツ付ケルコトガ出来
 ル 云々
 斯クテ朝鮮民族ノ日
 本ニ対スル反抗ヲ世界
 ニ示スニハ最モ好イ機会
 テアル 此事ハ朝鮮ニ
 於ケル社会的諸運動
 【上左】沈滞シタル日本ノ社會
 運動ニ大ナル刺激ヲ與
 ヘル最モ好キ機会デアル
 云々
 殊ニ朝鮮ノ民族ハ日本
 ノ 天皇 皇太子ヲ
 以テ名實共ニ有スル實
 権者デアリ不倶戴天
 ノ讐敵タト思テ居ル
 カラ此ノ者ノ存在ヲ此ノ
 地球カラ抹殺シテ仕舞
 フコトハ朝鮮ノ民衆ヲシテ
 【下右】感激セシメ ヨク戦闘的
 氣分ヲ持タシメル奌ニ於
 テ 到底 捨ツルヘカラサル有効
 ナル方法ノ一ツテアル 云々
ト供述シ 其ノ㐧十四回ノ豫
審ノ取調ニ於テモ 昨日 裁
判長ヨリ摘讀セラレタル
如ク 極メテ簡潔ニ之ト同
様ノ供述ヲ為シ 被告 文
子モ朴ノ供述ニ照応スル
供述ヲ為シ居ル處ニシテ
朴ハ實ニ朝鮮民族
【下左】刺激シテ其ノ独立運動
助長セシムルコトヲ以テ本件
犯行ノ動機ノ一ト為シタル
コトヲ看取スルコトヲ得ヘシ
以上論述シタル所ニ依リ 被
告両名カ爆弾投擲ノ
対象ヲ 皇室ニ置キタル
コトハ明ナル所ナルモ 而カモ被
告両名ノ供述中 其ノ具
体的対象ニ關シ両名ノ間
ニ多少ノ相違アリ 即 被
告 朴ハ其ノ対象ヲ
【707】天皇陛下 又ハ 皇太子殿
下ノ両者ニ置キタリト主
張シ 被告 文子ハ專ラ 皇
太子殿下ヲ以テ対象ト為
シタルカ如ク供述スルヲ以テ
被告等ノ犯行ノ対象カ
果シテ何レニアリシカ 若シ両
者ノ間ニ対象ノ相違アリ
トセハ 被告等カ共謀ノ上
本件犯行ヲ敢テシタリ
トノ公訴事實ニ付 多少
ノ議論ヲ生スルノ餘地ナキ
【上左】ニアラス 然レトモ被告 文子
ノ意思モ 主トシテ 皇太子
殿下ヲ対象トナシ 天皇
陛下ヲ全然 其ノ対象ト為
ササリシト謂フニ非ラス 其ノ
㐧二十回ノ豫審ノ取調ニ対シテ
供述スル所ニ依レハ「爆弾
投擲ノ対象トシテ 皇太子
殿下ト答ヘサルハ 独リ
 皇太子殿下ノミト云フニ
アラス 其ノ結果ノヨリ確カ
【下右】ナル實現ヲ期スル為ニ 比較
的 可能性ノ高イト思ハルヽ
 皇太子殿下ヲ㐧一対
象トシ計劃ヲ進メタル
迄ノコトニシテ  天皇陛下
ヲ狙ハナカツタノデハナイ 狙ツテ
モ 結果ガ覚束ナク思ハレタ
ル為 判然リト其ノ対象トハ
シテ居ラサリシナリ 以上ハ自
分ノ考ニシテ 朴トモ左様 話
シタリト思フ」ト云フニ在リ
テ 即 未必的 不確定的ニ
【下左】 天皇陛下ヲモ其対象
ト為シタリト謂フニ帰着スルヲ
以テ 是ノ奌ニ於テ朴ト文
子トノ意思ガ全然齟齬
シ従テ犯罪ノ対象ニ相違
アリト謂フヲ得サルモノト思
料ス
被告等ノ犯罪対象ニ付テ更
ニ一ノ研究スベキ問題アリ
即 被告両名ハ爆弾投
擲ノ対象ヲ 天皇ニ置
キタイト称シナカラ 時ニ其
【708】ノ対象ヲ 皇室以外ノ政
治ノ實権者 又ハ宮城 帝
国議会 警視廰 三越
ニ置キタルガ如ク供述シ 又
大正十二年秋 皇太子
殿下ノ御結婚式ニ爆弾
カ間ニ合ハサルトキハ 翌年
ノ「メーデー」ニ施行セント称
シタルガ如ク 其ノ時期ト共ニ
対象モ一定不動ノモノニ
アラス 従テ被告等ノ意
思ハ 皇室ニ対スル大逆ヲ
【上左】企図シタルモノニアラスト論
スルノ余地ナキニアラサルガ如
シト雖モ此奌ニ対シテハ被告
両名ガ豫審ニ於テ弁明
スル如ク 被告等ノ㐧一ノ目
的ハ實ニ 皇室ニ対スル大
逆ニ在リ 唯タ機会ト人
員ト之ヲ許サバ政治上ノ
實権者 又ハ宮城 議會
警視廰 三越等二爆弾
投擲ノ希望モアリタリ
要ハ爆弾入手後 遅疑
【下右】スルトキハ 官憲ニ発覚スル
虞アルヲ以テ 之ヲ手ニ入レタ
ル後 最近最善ノ機會
ニ於テ目的ヲ實行スベシト
謂フニ在ルアリテ 現ニ文子ノ豫
審 㐧十一回ノ供述ニ依レハ
 皇室以外ニ爆弾ヲ
投スル同志トシテ被告等ノ
間ニ 當時 肺患ニ悩メル
新山初代 山本勝之 及
崔圭慓ヲ意中ニ画キ
タルコトアリシモ  皇室ニ
【下左】対スル爆弾投擲ナル最モ
困難ナル仕事ハ 朴ト自分
ト之二當ルコトニ 朴ト談合
シ居タリト謂フニ在リテ 被
告両名ノ爆弾投擲ノ㐧
一対象ハ 皇室ニアリ 従
トシテ其ノ他ノモノヲ置キタル
ニ過キスト謂フニ在ルヲ以テ
被告両名カ 皇室ヲ以テ
爆弾投擲ノ対象ト為
シタルコトハ 動カスヘカラサル
事實ナリトス
【709】以上論スル所ニ依リ 公訴事實
ノ示ス如ク 被告 朴ハ其ノ虚
無的思想ノ實行ニ兼ネ
朝鮮民族タルノ立場
ヨリ我 皇室ニ対シテ叛
逆的復讐心ヲ壞キ 大
正十年十二月頃以来 十二
年秋頃ノ間  天皇陛下
又ハ 皇太子殿下ニ対シ
危害ヲ加ヘ奉ランコトヲ企
図シ 前後四回 爆弾輸入
ヲ計劃シ 被告 文子モ亦
【上左】其環境ヨリ虚無的思想
ヲ抱キ 大正十一年四月頃ヨリ
朴ト同棲スルニ及ヒ 朴ノ前
述ノ企図ニ賛同シテ 前後
二回 朴ト共ニ爆弾ノ入手
ヲ計劃シタルモ 何レモ其ノ
目的ヲ達スルニ至ラスシテ事
發覚スルニ至リシ事實ハ
證據上 極メテ明瞭ナル所
ナリトス
而シテ被告等ノ行為ガ健全
ナル心神ノ状態ニ於テ行
【下右】ハレ 法律上 完全ナル責任
ヲ有スベキモノナルコトハ 被告
両名ニ対スル杉田医師ノ鑑
定ニヨリ明ナル所ナリ
之ヲ法律ニ照スニ 被告両名
ノ所為ハ刑法㐧七十三条
後段 并ニ爆発物取締
罰則㐧三条ニ該当シ 刑
法㐧五十四条ニ則リ 重
キ刑法㐧七十三条ノ刑ニ従 
ヒ處断スベキモノトス 而シ
テ刑法㐧七十三条後段
【下左】ニ所謂 危害ヲ加ヘントシタリ
トハ 危害ヲ加ヘル隠謀豫
備ノ行為モ包含スベキモ
ノナルコトハ疑ナキ所ニシテ
本件ハ正ニ此ノ場合ニ該
当ス
最後ニ被告両名ノ犯情
ニ付テ一元スヘシ 被告等ノ
思想ハ之ヲ一言ニシテ尽セハ
畢竟 欧州大戦ニ基ク世
界的思想ノ動揺ニ歸セラ
レタルモノナリ 被告両名ハ其
【710】ノ虚無的思想ニ基キ
権利者ニ対スル叛逆的復
讐心ノ実行トシテ本
件犯行ヲ敢テシタリ
ト[話?]シ 被告等ノ如キ
境遇性格ヲ有スル者カ
自暴自棄ノ結果 斯
ノ如キ思想ヲ有スルニ至
ルハ稀ニ見ル所ニシテ憐憫
ニ堪エサル所ナルモ 所謂虚
無ヲ以テ宇宙ノ真理
トスルカ如キハ少数偏狂者
【上左】ノ妄断ニシテ 實ニ人類ノ公敵
ト謂ハサルヘカラス 况ンヤ被告
等ハ未タ年所ヲ経ス
カニ数年ノ経験思索
ニヨリ虚無ヲ以テ宇宙ノ
真理ナリト談シタリト謂
フガ如キニ至リテハ 其ノ独
断軽[走?] 採ルニ足ラス 殊
ニ被告 金子文子ニ至ツテ
ハ 當院ノ公判準備ニ於
ケル取調後 昨日ノ公判ニ
於テモ自己ノ思想ニ付 疑
【下右】ヲ壞キ居ル旨 供述シ其
ノ思索モ未タ確固タラサ
ルコトヲ示セリ 而カモ之ヲ以テ
我 皇室ニ擬スルカ如キハ
暴戻悪逆 言語ニ絶スト
謂ハサルヘカラス
被告 朴ニ至リテハ右ノ外 更
朝鮮民族ノ一人トシテ 日
本ノ国家 及 日本民族
ニ対スル叛逆的復讐心ヲ
満足セシムル為 日本ノ権
力ノ総攬者タル 皇室ニ
【下左】対シ本件犯行ヲ企テタリト
称スルモ 日韓合併ハ世界
ノ大勢ニ鑑ミ 東洋ノ平和
并ニ日韓両国民ノ幸福
ノ為 行ハレタル所ニシテ 内地ト
朝鮮ト文化ノ程度 民情
習俗ノ異ナルニ従ヒ 行政上
其ノ他ノ施設ニ多少ノ差異
アルハ免レサルモ 為政者ハ我
 皇室 一視同仁ノ大御心ヲ
奉戴シ 常ニ朝鮮民族
ノ幸寧発展ノ為 最善
【711】ノ政治ヲ行ヒ居ルモノニシテ 被
告 朴ガ我政府ノ朝鮮ニ対
スル統治ヲ以テ 強者ノ弱者
ニ対スル暴壓ニシテ朝鮮
民族ノ絶滅ヲ期スルモノナリ
ト謂フガ如キハ 實ニ誣妄
ノ謬見ニシテ其ノ短見浅慮
ヲ憐マサルヲ得ス 只 朝鮮
人ノ一部ニ斯ル謬見ヲ壞キ
無謀ノ行動ヲ為スモノアルハ
為政者ノ戒慎ヲ要スヘキ
重要ノ問題ナリトス
【上左】本件ニ於ケル被告両名ノ地
位ヨリ之ヲ云ヘハ 被告 朴ハ
主ニシテ 文子ハ従タリ 思想
ニ於テハ朴ハ文子ニ比シ数日ノ
長タルト共ニ 矯激ノ度ニ於
テ優リ 其ノ大遂ノ企図モ文
子ヨリ時期ニ於テ早ク 且ツ
深キハ前ニ陳ヘタル所ノ如シ
之ニ反シ文子カ本件犯罪
ヲ犯スニ至リタルハ全ク朴ト
同棲後ノコトニ属シ 中途
ヨリ朴ノ大遂ニ賛同スルニ
【下右】至リシノミナラス 金翰 又ハ金
重漢ニ対スル交渉ハ朴 專ラ
之レニ當リシモノナルヲ以テ 朴ニ
比シ犯情軽キノ感アルモ 抑モ
我 皇室ハ開闢以来二千
百有餘年 我国家民人ノ上
ニ君臨統治シ給ヒ 常ニ我国
民尊崇ノ中心ト成ラセ給フ
所ニシテ 之ニ対シテ大逆ヲ企
ツルガ如キハ 独リ法ノ許サヽル
所ナルノミナラス 国民的信念
ニ於テ容認スル能ハサル所
【下左】ニシテ 情状酌量ノ余地
ナキヲ以テ 被告両名ニ対
シテハ須ク刑法㐧七十三条
ニ依リ死刑ニ處セラレンコトヲ
希望ス ト論告シタリ
裁判長ハ一時休憩スルコトヲ告ケ
タリ